まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

新大陸

2006年09月24日 | Weblog
イヨクニモエル コロンブス と子どもの頃、教わった。

1492年に、コロンブスが、アメリカ大陸を発見した、と。

発見したその土地が、インドだと思って、ネイティブをインディアンと呼んだ、とも。

同じ頃、アメリゴ・ヴェスプッチも発見して、その名をとって、アメリカと名づけられた、と。

県立美術館で、ナスカ展を観た。

ナスカとは、ペルーの南岸あたりになるんだけど。

そこでの説明書きによると。

ミトコンドリアDNAはA~Dまであって、ナスカ近辺には、Aタイプが多くて、コロンビア、エクアドル、アメリカ先住民なども同じで、日本人の7%も。

2~3万年前に、中央アジア、バイカル湖周辺から移動してきたのでは、と書いてあった。

陸続きの土地を歩いてきたのか、大海を渡ってきたのかは、わからないけれど、たどりついた彼は、徒手空拳、報告するべき女王もいなかったんだろうね。

生きようとする、イヨクニモエテいたんだろうけど、コロンブスのイヨクとは、少し違っていた。

新大陸発見って、ギネスブック的に言えば、おいおい、コロンブスさん、あんたの3万年前に、すでに、発見されていたんだよ、と報告してもあげたいけどね。

しかし、コロンブス、草葉の陰で、500年以上も後の世で、学校の教科書で教えられているとも知らず、いいんだよ、おれは、イザベラ女王の投資に答え、大儲けできたんだから、と言うかな。



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ブログネタ

2006年09月23日 | Weblog
大学生の息子を送りながら、娘も合流して、食事。

ANATA NI KATAOMOI、の牛角。

とうさん、ブログ、毎日、朝早くから、えらいね、と娘にほめられる。

この間、浅香光代と会ったこと、言ったのに、ブログに書かなかったよね、とも。

せっかく、ブログネタをふったのに、という口ぶり。

彼女と握手したら、いかにも、おばあさんっぽくて、うちのおばあちゃんを思い出しちゃったよ、だって。

毎日、顔を突き合わせていたときには、あれやこれや、うざいこともあったんだろうけど、遠く離れて一人暮らしを続けていると、また、趣が違ってくるんだろうね。

とうさん、自分の文章に酔っているときあるからね、娘から見て、よくわかるんだよ。

そうかもしれないね、でも、そこんとこ、ゆずれないね、と。

傍らの大学生、えっ、ブログ、どうして入っていくの、というから、まわりで起こっていること、って、GOOGLE検索で、たどり着くと思うよ、と言っておく。

本日は、高校生の息子は、友達がとまりに来ると言うことで、これなかったけれど、ひさびさの会食は、楽しかった。



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隠れ家

2006年09月22日 | Weblog
友人の床屋のおやじが、店を改装した。

二階へ上がると、男の隠れ家という風情。

最近、男性雑誌なんかで、よく目にする言葉だけど。

そこで、音楽を聴きながら、コーヒーをご馳走になる。

ワンダフルな空間だった。

ちょっと時代を先取りした、フェースケアを含めた癒しの空間をイメージしているようだけど、娘さん夫婦が企画立案した模様。

戦争の焼け跡の中、育てられた父母の姿。

それを根っこに、自分の店つくりをしてきた彼。

世代をつなぐ、という言葉が浮かんできた。

駅伝でいえば、たすきをつないだわけだね、と。



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秋空

2006年09月21日 | Weblog
秋の空は、高い。

空を見上げて、雲が高いな、と思い始めると、もう秋だな、と。

子供の頃、校庭にねっころがって、よく空を見上げていたっけ。

ちょうど、運動会の季節。

何を思っていたのかは、もう覚えていないけれど、何かへのあこがれ、のような茫漠たるものだったというぼんやりとした印象だけは、残っている。

まわりで起こっていた、説明不明の出来事も含め、女の子のこと、勉強のこと、友達のこと、親のことなどなど、いろんなことを、高い雲にこめていたのかもしれない。




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カーネギー

2006年09月20日 | Weblog
以前アップした、アメリカの鉄鋼王、カーネギー。

1835年生まれ、というのは、前にも書いたけど、品質のいいイギリスのレールを見て、奮起一番、会社を興したのは、たぶん、1860年頃なんだろうね。

日本では、ちょうど、幕末維新の頃。

新撰組や坂本竜馬たちが活躍していたんだろうね。

かたや、カーネギーが生まれるちょっと前、1820年頃のイギリス。

新興国家アメリカからしたら、精密なレールを作っていたわけだけど、労働環境は、劣悪だったらしい。

こどもたちの労働時間、朝の6時から夜の10時まで。

時計は持たせず、お昼の時間は、時計の針を早めた、という。

貧民から豊かな者を守るのは、軍隊だけ、なんて、裕福な人たちは言っていたらしい。

悠久の、人類の歴史からしたら、ほんの少し前の話。

ニートやひきこもりって、彼らには、理解できないだろうな。

4000キロを、星だけを頼りに、カヌーでハワイへ渡るってことも、僕らに理解できないように。





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夢枕

2006年09月20日 | Weblog
毎晩、白い着物を着た人が夢枕に立つ、と明治28年生まれの祖母から手紙が来た。

あれは、もう、30年くらい前になるのかな。

僕は遠くにいて、祖母とは手紙のやり取りをしていた。

さびしくてたまらない、というような内容だった。

20代前半だったあの頃、懇々とさとすような手紙を、何通も書き送ったことを覚えている。

自分の死は自分で向き合うしかないし、寂しさを寂しさとして抱きしめてあげてください、みたいな内容だったかな。

昨日アップした看板屋さんも、ご自分のお母様の死に直面して、勇気をもって死になさい、死ぬときは堂々として笑って死になさい、と言ったらしい。

そのとき、母の顔は目じりが下がり微笑んでいた、と。

わが社の社員さんの好きな吉村昭という作家。

自分で生命維持装置をはずしてなくなった、と。

どんなことになっても、自分で死んではいけない、と言っていたのにな、と彼は言う。

ある人が危篤になったとき、ある女性が、大丈夫ですよ、肉体は死んでも、エネルギー生命体は生きてますから、と言った。

その言葉は、今でも耳に残っている。

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問わず語り

2006年09月19日 | Weblog
あの人の好きな書家はだれだったんだろう。

ドライブの途中、妻が、なくなった母親のことを、語りだす。

書が好きだったらしいけれど、誰にも言わなかったな。

おとうさんが生きていれば、わかるかもしれないけれど。


書について、ネットサーフィンして、ある看板屋さんのブログにたどり着いた、と。

もと不良だったという看板屋さん。

楷書で書いても、微妙にその人がにじみ出てくる、という。

妻は、車で走りながらも、看板の文字が、目に飛び込んでくるらしい。

長く一緒に暮らしていても、聞いてみなければわからないよね。
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敬老の日

2006年09月18日 | Weblog
今朝は、パソコンが、なんの理由か、つながらず、ブログをアップできなかった。

習慣になっているものができないと、不思議な感じ。

台風はそれたようだけど、雨は時折強く降っている。

朝の町内の放送で、今日は敬老の日です、おめでとうございます、とあり、母親たちは、いそいそと出かける準備。

あいにくの雨だけれど、近くでもあるから、濡れてもしれてるよ、と。

なにか、おおきな記念品が出て、お弁当を食べてくるらしい。

社会の仕組みが、高速で変わっていき、老いから、先人から学ぶことが、とても、みえにくくなっている時代。

せめてもの、自治会での敬老パーティー。

雷がとおくで鳴っている。




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チェックポイント

2006年09月17日 | Weblog
三島から箱根に上り、湿生花園の前で、おそばをいただき、山中湖を回って、帰ってくるコース。

9月度のおじおば会。

おかげさまで、気持ちのよい天気だった。

箱根御関所という看板の英訳が、チェックポイントになっている。

そのとおりなのかもしれないけれど、今の時代からすると、なんとも、英訳が軽く見えてしまう。

悲喜こもごものドラマがくりかえされただろう関所。

もちろん、血もながされただろうけれど。

その関所跡で食べたもの。

雲助団子、蜜団子のようなものだけど、蜜が甘すぎず、おいしかった。

有平糖(ありへいとう)と書かれた飴のようなもの、ここもう一箇所でしか、うってませんよ、と。

ひょうたんの漬物、シバ漬けみたいな。




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どこかで見たような

2006年09月16日 | Weblog
鉄鋼王で有名なカーネギー。

1835年生まれ。

スコットランド移民で、聡明な子どもだったらしい。

投資を勉強して、寝台列車に投資をする。

そのころ、レールは、イギリスで製造したものを使っていたらしい。

アメリカ国内産は、粗悪で耐久性がない、という理由で。

カーネギーは、鉄鋼所をおこし、安い労賃を利用して、国産レールを作ることにした、と。

日本VSアメリカ、韓国VS日本、中国VS日本という構図だよね。

まさに、歴史は繰り返す。

結果、カーネギー、国家予算の5%くらいの資産を手にし、引退。

全世界に学校やら病院やら、3000ケ所、開設。

裕福なまま死ぬのは不名誉なこと、という信条をもっていた、という。

アメリカのチャリティーへの底力、というのか。

この世で働いて、その結実を神のためにお返しする、というプロテスタンティズムが、アメリカ資本主義の原動力だった、と誰だっけ、ウェーバーが書いていたよね。
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