メリークリスマスの雄叫びが、いや、静かな語りかけがそこここで聞かれるだろう夜。
僕は、表題のように、筒井康隆のドタバタ短編小説を賞味させていただき。
健康ファシズムが吹き荒れる中、世界中で残った最後の喫煙者たち、20名が。
東大の安田講堂みたいなところへ集まり、ひとり二人と撃ち殺され、主人公がひとり残される。
彼は、死を覚悟し、というとき、通りの向こうから拡声器からの声が聞こえてくる。
いけません、彼を残さなければ、彼は喫煙時代の遺物、天然記念物です、人間国宝になるかもしれません。
とね。
緊急に発足した喫煙者保護協会からのアジテーションだったのでした。
なんて小説だけどね。
ホーリーナイトに読むかね、ってなもんだけど、この時代、どうも一様に流れがちだから。
むしろ、心の奥の方で喜んでもいたんだけどね、実のところ。
太宰治が、明るさは滅びの始まり、みたいなこと言ってたな、たしか。
ポジティブシンキング、ってやつでもあるか。
は、ともかく、来年の干支、辛丑(かのとうし)。
恒例の、安全祈願祭の挨拶文を、昨日、書いてね。
実際には、役員だけの出席にしたんだけど、密を避けて、って。
一筆書きでは、来年は、赤ちゃんが右手を伸ばしてつかむ、結ぶ、となるかな。
伸ばす、と言うことは、曲がっている状態があって、それが今であり、そこをあえて抵抗も感じつつの。
と言うような状態、まさに、古い、拠って立ってきたポジション。
そこから身を剥がすように伸ばす、と言うので、多少のつらさも伴う。
しかし、それは種から芽が出ようとする瞬間。
ざっくり、そんな感じかな。
まさに、魚座の時代、i believe から水瓶座の時代、i knowへの扉が開いたんだな、きっと。
種には、結実するまでのプロセスのイメージがあるんだよね、静かに大声で語らないけれど。
たぶん、ここんとこ、テストに出るよ。
ということで、今日と名付けられた種は、どんなイメージを芽吹くのか。
なんて書くこと自体、自然から離れていくか、と言いつつ、〆とさせていただきます。