まわりで起こっていること

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日限地蔵さん、っていらっしゃるね

2018年06月22日 | Weblog

ふと、今朝は、そんなお地蔵さんの名前が思い浮かんだ。

来週の月曜日に、経営方針の発表会を挙行。

ということで、スタッフハンドブックという冊子の作成に余念がなく、という風情で。

この、日を切る、ということが、なかなか、ストレスでもあり。

そこに間に合わせる、ということが、まるで、締め切りを抱えた作家さんみたいな。

そんな感じなんだけど、日限、というのも、それはそれで有効でもあるのか、と。

でないと、日々訪れる、それこそ、竜巻に翻弄され、あれもこれも、と思いつつ。

日にちだけが過ぎゆき、焦燥感のみが残る、なんてことになりがちだからね。

なんとか、間に合いそうかな、どうかな、というか、いつだって。

満ち足りる、というのはないわけで。

そんな未練を断ち切るかのように、やりきった感をもつ、そんな仕組みかもな。

そこに立った時には、虚心坦懐、澄明な、そんな心持ちで臨む、というわけだ。

どうもね、年ふり、歳重ね、なんてことになると、いろんなエクスキューズが上手になって。

そんなに上手にならなくても、精神の分裂なんか、起きないし、仮に起こっても。

得たりやおう、ってなもんで、ある種の僥倖でもあるんだけどね。

分裂が創造の、つまり、生きることそのもの、源、とも言えるんだから。

分裂を押さえる思想、ってのが、ヨーロッパの思想、とアースダイバーの中沢新一さんが言っていたよね。

って、言っていたんです、南方熊楠の漫画、そのあとがきでね。

西欧文明、文化の奔流に流されてきた、わが列島では、そんな仕草、仕組み、心持ちがデフォになっているのかも。

なんて風情なんで、そこんとこ、テストに出ますよ、的な。

ちょっと、立ち止まる、というのも必要なんだな。

表題では、日限地蔵さんと書いたけど、随分前に、自分を限るな、だったか、そんな言葉に出会ったことがあって。

しばらくの間、持ち歩いていたことがある。

早い話が、限界づけるな、とか、こんなもんだと決めつけるな、とか、そんな意味だと思うけど。

安岡正篤さんが、例によって、中国の古典から引っ張ってきて、何か言っていた、そんなところだった。

今となれば、解釈の仕方、視点の持ち方、自分へのね、そんな具合になるか。

それを鼓舞するように、本来、自分が神様なんです、自分自神、とかね、ゼロポイントフィールドとつながれば。

そこからは、無限のエネルギーが流れ込み、とか。

あと、いろんな言い方で、鼓舞してくださる言説、ってのは、世の中に満ち溢れていて。

引き寄せの法則、なんてのも、そんな類なんだろうな。

それほど自由に、際限の無い人間であるから、日限する、みたいな。

そこに、違和感、摩擦が生じて、何事かの創造となる、なんて解釈、できるね。

って、ほとんど、こじつけだけど。

さて、なんとかフライデーの、いや、それは来週か。

いずれにしても、冷気の気持ち良い朝からスタートするとしますか。

 

コメント
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