まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

天孫降臨するにはなくてはならないものがある

2018年06月11日 | Weblog

降臨している方々を、懐かしいな、と思う人々がね。

必要なんだな。

一昨日の法事を経て、そんなことに思い至り。

つまり、天孫降臨というのは、ご先祖様がた、ということなんだけど。

思えば、そこに降臨なさる、という仕組みでもあり。

そこが、そのことによって、笑いの、和やかな渦となれば、それはそれでいいし。

しめやかな、静穏に包まれても、それも一つだしね。

いずれにしても、目に見える、手に触れられる世界だけが、単独で存在しているのではない。

ということがね、実感として、感じられれば、そこに青い鳥がいる。

あのあと、わが家にやってきたいとこが、何十年と経って、思い出して、話題にしてくれる人がいなければ。

なんて言っていたんで、そうか、それで、50回忌ともなると、神様になる、なんて言い方。

残されているんだな、と。

集合知とでもいうのか、長く続いている習俗には、それなりの意味があるんだろうね。

昨夜のせごどんは、また、泣きながら観ていた。

討幕派として勇みたつ、弟や有馬新七たちを前にしたシーン、刀を外して彼に渡し、俺を切れ。

みたいなのね。

国父久光の逆鱗に触れ、またあれで、沖之永良部島へ流されるのか。

なんてこと、味わいつつの時間だった。

神話、ドラマ、ストーリー、虚構、なんていうのか。

鹿児島では、どんな風に、あの大河、観られているのかな、なんて思うね。

なにせ、かの地の方々は、西郷さん、好きだもんね。

わが駿河、清水の地も、ついこの間までは、次郎長さん、だったんだけど。

いつの間にか、エスパルス、ちびまる子ちゃん、になっちゃったな。

渡世の義理なんての、流行らなくなっちゃったからね。

それも仕方ないか。

そんな具合に、ご当地の英雄を、挙げ奉り、というので神社なんかの御祭神、となるのか。

さて、今朝は新聞が休みだ。

朝の5時前から、新聞屋さんを待っている、わが同級生の御仁は、こんな時、どうするのか。

なんてこと思いつつ、この辺で。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする