まわりで起こっていること

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オカルトじゃないけれど

2018年06月21日 | Weblog

と前置きして、お父上が、仕事の中でやってくるような。

そんな時がある、そうで。

それは、困りに困り、窮地に至る、そんなような時らしく。

と言うのが。

夕べ、お会いした女史、少林寺拳法じゃなく、なんだったっけかな。

なにしろ、武術の衣類なども販売している、そんな方なんだけど。

しかも、中国の大学にいたらしく、もちろん、ぺらぺらの中国語を操る、らしい。

今はなき、お父上が、製紙の機械を発明したりする方だったか。

そんなあとをついだ彼女の話。

そういえば、三保でのカヌー教室での後、そのお父上所有の、木製のクルーザーと言うのか。

見せていただいたことがあった。

オカルト、と言う言葉が出てきたので、それは、リアルにお父様がやってきているんだと思うよ。

と応えた。

だって、どうやら、その通りなんだろうな、と言う、昨日の続きじゃないけれど、予感がね。

あるからね。

そもそも、浮かんでくる考えや感情って、誰のもの?どこからやってくるの?ってなもんで。

いかな科学が発達・発展しても、なかなか、そのあたりは、解明できない。

と言うのは、たぶん、地震予知が難しい、と言うか、あてにならない、と言えば、失礼になるかも。

だけど、似たものではある。

思考や感情なんてのは、地震みたいなもの、とも言えるからね。

こんなところで、こんな思考がやってくるはずないんだけど、と言いつつ、そうそう。

そこには中央分離帯、じゃなく、なんだっけ、そんな裂け目がある、歪みがある、と言うわけだ。

また、新たな発見、みたいなね。

おっと、言いたいことは、降りてくるのはお父上に相違ない、ってことで。

そんな具合に、人は生きているわけで。

決して、独りで生きているんじゃない、と言う話にも繋がるんだけどね。

むしろ、独りでは生きられない、いや、寂しいからじゃなく、どうあがいても。

どなたか、あるいは、多くのどなたか方との共闘、共生、ってことだと思うんだよね。

この世界的には、どなたか、なんてネーミングと言う分離の仕組みのようだけど。

このあたり、たぶん、認識構造、あるいは、認識の仕方という認識そのものが。

そりゃ、この時代のこの地のこの社会の、だけで通用するものかもしれず。

ってわけだ。

なにせ、100万年生きる、という宣言者としては、どうしてもそんな解釈になっちゃうんだな。

そうだ、夕べ、くだんの女史じゃない、60歳ちょっと前の女史、彼女がいうには。

健康年齢があと何年だから、ああしてこうして、なんておっしゃるので。

もうね、こちらの大得意なパターンでしょ、なので。

そりゃ、洗脳されているに過ぎず、そもそも、健康年齢なんて言葉がまかり通っているけど。

それすら、誰かがたまたま言って、どこかの学者さんがたまたま分析し、くらいの言葉で。

そんなことより、今日、この日を単に生きる、くらいの方が、いいんじゃない?なんて応じた。

のだけれどね。

どうも、この頃、世に流通している言葉を疑う、というか、言い換えるクセがついっちゃっていて。

解釈を変えると、世の中、薔薇色にも灰色にもなるわけで、ま、どちらもいい色だけどね。

さて、今日は安全パトロール、行ってくるとしますか。

 

コメント
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