くどいけど、you tube、ってのは、便利なもので。
車を運転しながら、Bluetoothってわけだから、線も繋がずに、iPhoneの画面をタップするだけ。
なんだよね。
わざわざ、三木助で、とタグをつけたのも、以前、図書館で借りたDVDを、それこそ、借りまくり。
なんて時期があって、そこには、三木助だと。
だいたい、「芝浜」、「鼠」、「三井の大黒」くらいだったか。
もともと、床屋さんだったそうで、あの頃は、職人の世界で、カタギじゃない。
というカテゴリーに入るんだとかで、志ん生みたいに、博打大好き、というね。
ネイティブの江戸人、みたいな語り口。
もっとも、ネイティブの、なんて人、どんなだか、知らないんだけど。
隅田川で取れるシラウオを、醤油につけると、スーッと、醤油色になる。
それがうまいんだ、なんてサワリから入る「芝浜」が、好きだった。
談志のもいいけど、どうもね、僕は、こちら、三木助の「芝浜」をとる。
なんて書いてきても、落語、ご存知ない方は、はいはい、そうなんですか。
ってなもんだけど。
この間中、気に入っていた「志ん生一代」を書いた結城昌治さん、そこへ行くと、うまいもんで。
落語の筋を、一筆書きで、ちゃっちゃと、紹介していてね。
だったんだけど、当方、そんな芸はなく、なので、端折っちゃってます。
そう、上記、醤油、なんだけど、もちろん、三木助は、違った言い方だったんだけど、忘れました。
今朝は、この表題で、というのが、あったんだけど、それ、思い出せなくて。
仕方なく、三木助が、みたいなものになっちゃってるんだけど。
なんだったかな。
割と、面白そうなネタのはずなんだけど、記憶というのは。
宇宙規模の大きな楕円軌道を描いていて、今ここにあったと思ったら、その軌道に乗って。
遠くの、悠遠のかなたに飛んで行くそうだから、今度やってくるのはいつになるのか。
って次第で。
ま、待ちましょうか。
「待つ」、という本を書かれていたのが、飯田の上の、恵那だったか、違うか、伊那か、そこらあたりの住人。
加島祥造さんだったな。
短兵急に、結論を求めず、くらいの話だったか。
最近、密かなマイブーム、ネガティブ・ケイパビリティ、って奴にも似ていなくもない。
その場を逃れるような、納得の仕方とか、結論の出し方とか、手打ちとか、そんな所へ行かず。
待つ、あるいは、その場にたゆたふ、とかね。
すると、大きな宝物が手に入りますよ、くらいの話なんだけど。
もともと、イギリスの詩人、キーツが言い出したらしいけど、シェークスピアもそのデンだった。
なんてことらしい。
ま、名うての芸術家なんてのは、そうなんだろうな。
さて、涼やかな空気を吸いながら、かつ、朝日を浴びながらの骨ストレッチに向かうとするか。
朝日を浴びながら、ってのは、松果体へのエネルギー供給になるそうで。