といった風情で、今朝は、早くから。
巴川べりを歩く方々の声が聞こえてくる。
雨模様のおじおばの会、厳密に書くと、おじ、はカッコつきになるんだけどね。
(療養中)みたいな。
でもね、車中でも会話の端々に、出ることはでるわけで、そこに存在しているんだ。
もちろん、おじは、存命中なんだけど、そうでない、疾うの昔に黄泉路へ旅立った方々も。
キャスティングされているのが、このおじおば会でもあり。
この会に限らず、どこでも、そんな感じで、南方熊楠的にいえば、幽冥界が現出している、と。
まるで我一人で生きてきたような、ってのが、デフォになりがちではあるけれど。
その、我、の後ろ側に無数の、キャラクターを携えた方々の存在がね、ある、というわけだ。
さらに、その我が、未来のどこかへ繋がって行き、血縁のみならず、地縁、であったり。
後なにかな、芸の縁、職の縁、言い出せば数かぎりない縁の連鎖。
それを持って、我、と単に呼び習わしているに過ぎず。
ま、現在の代表選手、とでもいうか。
食や色や異性への好み、なんての、あるけれど、明らかに、あれ、自分の創造したものじゃ、ないよね。
もちろん、育った環境なんてのも一因、という言い方できるけれど、それだけでは。
とてもおぼつかないもので。
残念ながら、今のところ、DNAを分析しても解明されていない、んだよね。
たぶん。
なんて書いてくると、DNA教の教祖、なんて宣っていた大将、思い出すけど。
いずれにしても、見える世界と見えない世界の両方を結びつける、融合。
なんてことが、大事なことでもあるんだろうけど、ともすると、目の前のリアル現実。
ってのに、占有されがちではあるね。
この事務所に引っ越して何年になるか、5年か、6年か。
昨日、朝礼時にラジオ体操やりながら、天井と壁の境を見るとはなく見ているときに。
ひょっとしたら、そこらあたりに、前の方々がいらっしゃるのかも、なんて思ったんだ。
もちろん、喜んでくださっている、という気分で、なんだけど。
わが神棚の榊、ほんとに、ご長寿で、未だに青々としいる彼ら、そろそろ、一年になるんじゃないかな。
半年、ってこと、ないからね。
元気で、若芽まで出し始めちゃって。
毎朝の水換えが、彼らとの交流の時間で、秘密をバラしちゃうと。
愛と光の交歓の場、でもあって。
なんて後に、今朝は、イフニさんのビターブレンド。
さて、こちらも雨の降りだす前の、わがカラダとの対話に入るとするか。
1000歩ほどのウォーキングも、頭を使わない、というか、五感から六感、七感などなど。
それにはもってこいの時間で、それこそ、メッセージ来臨のお時間で。
わが至福の時でもある。
どうも、このところ、至福の時間があちこちにあるようで、めでたきことの限りなり、って。
今朝は陽光は拝めそうもないけれど、雲の向こうは晴れ、って具合で。
太陽の光、エネルギーは、雲を突き抜け、わが方へやってくるわけで。
松果体へのエネルギー供給の時間でもあるな。
70兆?わがカラダを構成する、一つ一つの生命たる、細胞への供給でもあり。
そりゃ、彼らも、元気溌剌、ってことだ。
そこへ、Joyが混じれば、こいつぁ春から縁起がいいわい、ってなもんだ。