まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

雨の降りだす前に散歩

2018年06月16日 | Weblog

といった風情で、今朝は、早くから。

巴川べりを歩く方々の声が聞こえてくる。

雨模様のおじおばの会、厳密に書くと、おじ、はカッコつきになるんだけどね。

(療養中)みたいな。

でもね、車中でも会話の端々に、出ることはでるわけで、そこに存在しているんだ。

もちろん、おじは、存命中なんだけど、そうでない、疾うの昔に黄泉路へ旅立った方々も。

キャスティングされているのが、このおじおば会でもあり。

この会に限らず、どこでも、そんな感じで、南方熊楠的にいえば、幽冥界が現出している、と。

まるで我一人で生きてきたような、ってのが、デフォになりがちではあるけれど。

その、我、の後ろ側に無数の、キャラクターを携えた方々の存在がね、ある、というわけだ。

さらに、その我が、未来のどこかへ繋がって行き、血縁のみならず、地縁、であったり。

後なにかな、芸の縁、職の縁、言い出せば数かぎりない縁の連鎖。

それを持って、我、と単に呼び習わしているに過ぎず。

ま、現在の代表選手、とでもいうか。

食や色や異性への好み、なんての、あるけれど、明らかに、あれ、自分の創造したものじゃ、ないよね。

もちろん、育った環境なんてのも一因、という言い方できるけれど、それだけでは。

とてもおぼつかないもので。

残念ながら、今のところ、DNAを分析しても解明されていない、んだよね。

たぶん。

なんて書いてくると、DNA教の教祖、なんて宣っていた大将、思い出すけど。

いずれにしても、見える世界と見えない世界の両方を結びつける、融合。

なんてことが、大事なことでもあるんだろうけど、ともすると、目の前のリアル現実。

ってのに、占有されがちではあるね。

この事務所に引っ越して何年になるか、5年か、6年か。

昨日、朝礼時にラジオ体操やりながら、天井と壁の境を見るとはなく見ているときに。

ひょっとしたら、そこらあたりに、前の方々がいらっしゃるのかも、なんて思ったんだ。

もちろん、喜んでくださっている、という気分で、なんだけど。

わが神棚の榊、ほんとに、ご長寿で、未だに青々としいる彼ら、そろそろ、一年になるんじゃないかな。

半年、ってこと、ないからね。

元気で、若芽まで出し始めちゃって。

毎朝の水換えが、彼らとの交流の時間で、秘密をバラしちゃうと。

愛と光の交歓の場、でもあって。

なんて後に、今朝は、イフニさんのビターブレンド。

さて、こちらも雨の降りだす前の、わがカラダとの対話に入るとするか。

1000歩ほどのウォーキングも、頭を使わない、というか、五感から六感、七感などなど。

それにはもってこいの時間で、それこそ、メッセージ来臨のお時間で。

わが至福の時でもある。

どうも、このところ、至福の時間があちこちにあるようで、めでたきことの限りなり、って。

今朝は陽光は拝めそうもないけれど、雲の向こうは晴れ、って具合で。

太陽の光、エネルギーは、雲を突き抜け、わが方へやってくるわけで。

松果体へのエネルギー供給の時間でもあるな。

70兆?わがカラダを構成する、一つ一つの生命たる、細胞への供給でもあり。

そりゃ、彼らも、元気溌剌、ってことだ。

そこへ、Joyが混じれば、こいつぁ春から縁起がいいわい、ってなもんだ。

 

コメント
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