まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

「未知との遭遇」と言いながらも

2018年04月29日 | Weblog

実は、未知のことに戸惑っている自分がいる。

ということに気が付いて、おかしくてね。

合同入社式なんかで、新来の若者に、社会へ出ることは辛いことじゃなく。

未知との遭遇なんだ、それを単に楽しむ、味わう、だけ、なんてのたまったのに。

いざ、自分が、未知と出会うと、心もとなさがやってきて。

というのは、自治会の体育部長、という役回りなんだけど、回覧板への回し方やら。

人集めやら、のルーティンにいたらぬ作業が、未知、ってわけで。

戸惑いながら、なんだけどね。

そんなこと、誰かに電話すれば、それで事足りるんだけど、その一歩を踏み出すまでが。

なんやかんやと自分の中で理由をつけて、結果、何もやらず、時間だけが経っている、というわけだ。

仕事の場でも、なんの場でも、ありがちなことで。

一人、笑っていたんだよね。

ルーティンのどっしりした、地に足のついた感のある仕草と、未知との遭遇でやってくる。

たぶん、転生があると仮定すると、何回も経験してきた、とてつもない未知、災害であったり。

あるいは、巨大な獣たちとの遭遇のような、そんなことが、カラダの、DNAのどこかに残されている。

のかも、なんて解釈も成り立ちそうだし。

しかし、今朝もいい青空だ。

それぞれのゴールデンな日々があるんだろうね。

そう、このブログのコメンテーターの御仁は、長野の小布施へ行かれるということだった。

わが社の女史社員は、今頃、北海道は函館でのコンサートか。

不思議と、どこそこへ行こう、とか今年は、沸き起こらないんだな。

もっとも、前半戦は、何人かの社員さんも現場へ行っているので、そんな気分なのかも。

それにしても、演出効果抜群だった、とか、その裏側に潜むものは何か、みたいな。

言われ方もしている、南北の朝鮮の会談、統一旗がふられている姿は、清々しく感じた。

そりゃ、同じ民族が、他国の都合に翻弄された何十年なんだからね。

仮に、幻想だとしても、いい場面だったと思うな。

そもそも、すべてが幻想、なんて言い方もあるんだからね。

それを、どのように捉え、解釈し、自分自身が感じるか、ってことだからさ。

「サピエンス全史」の著者によれば、そんなことの連続でもあったのが、わが人類の歴史でもあり。

あの学者さん、ハラリ、だったか、面白いわ。

なかなか、文章の意味が入ってこない時があって、そこ、発想がまったく新しい部分なんだよね。

読んでいて、自分の洗脳されていた部分が、明らかになる、そんな瞬間が、これまた。

楽しいわけで。

イスラエル人なのに、ナチスの所業を冷静に書いているところもあったりで、知というものの。

なんというのか、自由さ、とでも、ナワバリのない闊達さ、とでも。

ところで、最近、ツイッターの広告をブロックするすべを覚えて、快適なんだ。

ツイッターのタイムラインに、エロっぽいものやら何やら、広告がやってきていて。

鬱陶しかったんだけど、Facebookでもブロックできるんだね。

気分爽快。

梱包用のプチプチ潰し、みたいな快感だ。

知らぬ間に、そちらの快感に引きずられている自分に気が付いたりね。

なんでもそうだけど、不具合、不都合、不快ってのは、大げさに言えば、創意工夫で。

なんとかなるものでもあるね。

さて、ゴールデンな日々、二日目を始めるとするか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする