個人ミーティングの合間を縫い、往復1000歩くらいのところにある。
中華屋さん。
いつもの、レバニラ炒めを頼むと、ちょっと離れたカウンターで、そんな声が聞こえてきた。
かいせい、が、だんだん、海の蜻、と書いての、「海蜻」だということに気がつき。
思わず、いつ?と声をかけてしまった。
10日ほど前だったようで、亡くなった当日から、おかみさんは店を開けていた。
なんて言ってたな。
僕が包丁を二本、いただいたお店だ。
うちの会社の社員さんの父上とも、若い頃の遊び仲間だったそうで。
月並みだけど、一時代が過ぎた。
早々に店を開けたおかみさん、というのも、なんだか、哀しく切なく、浮かんでくる。
生前は、カウンターの向こうで、口喧嘩の絶えない夫婦、だったけれど、いたたまれない。
身の置き所がない、そんな具合だったんだろうな、お店を開かないと。
まだ、49日も過ぎてないので、さぞかし、どこぞを浮遊しつつ、嘆いているか。
悔やんでいるか、どうだろう。
大井川の河畔の、ま、言ってみれば、水運で財を成した家の跡取り息子、だったかな。
それが、流れ流れて、清水湊の地で、果てたわけだ。
80歳だそうで、今では、若いね、という感想だ。
だからね、人生、楽しんだモン勝ち、ってことだよね。
しかも、楽しみのネタは、日常の、ほんのサモナイ出来事の中にある、という真理ね。
ここんとこ、テストに出るところだな。
有名な、だれ? 幸せの青い鳥、書いたの。
あれだね。
例えば、上記、おかみさんの、店を開ける、って話ね。
落語の、クマさんの世界なら、ありがてぇじゃねぇか、あのおっかあ、店を開けてるぜ、ってなモンだ。
ちなみに、このシチュエーションは、「薮入り」の、丁稚に出た一人息子が。
つまり、今で言えば、新入社員だ。
今日は、おひまをもらって帰ってくる、というので、朝早くから、起き出したクマさんが。
家のまえを掃除しているのを見て、近所の悪党仲間がいう台詞なんだよね。
そのクマさんの姿を見て、有難い、と。
この掛け合い、わかるかな〜、わかんねえだろな、西欧かぶれにゃ、ってとこだ。
話は、大将がみまかった、ってことだ。
あの包丁は、ひそかな形見だ。
大事に使わせていただこう。
かの御仁との一つ一つの出来事が、思い出に変わり、わが肥やしになり、こちらはこちらで。
どこぞの呑み屋さんで、オダを上げるのか、それとも、わが事業の中に反映されていくのか。
まったくわかりませんが、そんな具合に、人との交情、交流、出会い、付き合い、は醸成され。
一見、別物のような姿形で、まったく、別の場所と時間に現れ変わる、と。
今朝は、なんとなく、しめやかなブログになってる。