まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

忖度の真逆があるんだそうだ。

2018年04月18日 | Weblog

久々に、昨日、いつもの、わが歯医者さん、カッコ薩摩隼人。

という御仁のところへ行ったわけだ。

母親同士が旧友で、鹿児島からご当地、駿河へやって来た。

口を開いたまま相槌を求められる、というか、先方は慣れたもので。

相槌すら求めず、なのかもで。

昨日も、速射砲とも呼べない語り口で次から次へ、という語り。

かろうじて、口をすすいでください、という瞬間を縫って、ところで。

せごどんが、と言いかけると。

彼、どうも、そんなに喜び勇んでの応対でもなく、訝しんでいると。

どうも、ああいった、大衆受けする、衆知の事実の積み重ねのようなドラマは。

ジモッティとしては、憤懣、まではいかないにしても、納得いかないのか。

コアなせごどんフリーク、なにせ、こちらは口伝で、つまり、事件の当事者のものすごーく近くの方から。

直にお聞きしているんだから、というね。

そんな感じのする反応だったのが、今振り返ってみると、なかなかの西郷愛の賜物か、と。

そうそう、表題なんだけど、忖度というのは、部下が上司のことを慮って、つまり、犠牲になって。

みたいな感じでしょ。

その逆、部下を慮って上司が責任を取る、というのね。

それが、生麦事件で起こったことじゃないのか、というのが、くだんの彼の見解。

横浜近くの生麦村を行くイギリス人一行、彼は、バテレン、と言ったけれど。

それを襲撃、惨殺した犯人の、責任を取って切腹したのが、直属の上司だったそうで。

下手人は、南原さん、と言ったか、示現流の使い手だったらしく、その後も、桜田門外の変での。

井伊直弼襲撃にも加担したのだったか、薩摩藩的には、重要な役回りを命じられ、ということだったらしい。

コアな、ジモッティでなけりゃ、歯牙にもかけない物語を追跡、というわけだ。

面白いね。

口を開けたままの会話は、スムーズに弾まないけれど、彼の、そんな探求を、珈琲でも飲みながら聞いてみたいものだ。

さて、今晩は、こちらも「歴史の旅」の勉強会、カッコお弁当つき、ってやつだ。

 

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