たぶん、あの二人の役者さんの仕業だったな。
と思い至ったのが、昨夜のスペシャル。
渡辺謙と鈴木亮平の対談やメイキング映像を見ながらの感想だった。
毎回、涙が出てくるシーンがあって、戸惑いもし、訝りもし。
だったんだけど、原作は原作として、あの二人の。
あるいは、スタッフさんも含めての役作り、場面作り、のなせる技だったんだな。
役者さんというのも、凄まじい職業なんだね。
そりゃ、市井の民のごとき暮らしは難しいかも。
いろんなキャラになりきる、というのは、日常生活の中で、統合に失敗。
なんてことも、あるんだろうし。
それを、マーケットの中では、良妻賢母とか、なんとか、倫理道徳に当てはめ。
やれ、不倫だの薬物なんとかだの、というくくりは、そりゃ、無体な。
ってことにもなるね。
もっとも、その裏側のスポンサーさんは、世の紳士淑女のみなさんをお相手にしているんだから。
そんなリクエストも、わからなくもないんで。
それはそれなんだろうけどね。
そんな理不尽の時間の流れの中で、彼らは、あれやこれやの出来事を抱え、なんとか。
それらのリクエストに応えもし、資本主義が爛熟すると、というか。
人によっては終わりの始まり、みたいな言い方もあるけれど。
その辺りが、妙に、ゴリゴリの、まるで儒教が、あるいは、共産主義が、と言ってもいいか。
辺境の地では、原理主義にまで高められ、なんて、わけわかんないことになっちゃうのかも。
と似ている姿なのかな。
なんてことはともかく、役者さん、すごいね、という感想です。
もっとも、われわれだって、役者といえば役者で。
ほんとの自分ってのは、一体全体、どこにあるの、くらいの話だからね。
その都度の状況、環境の変化に合わせ、その時々の、自分、と呼ばれる役を演じ。
つまり、役作りを、リアルにやってもいるわけだ。
ただ、そのことに、無自覚、誰も、褒めてくれない、認めてくれない、なんてね。
ハリウッドもマッツ青なくらいの、大作の主人公を演じ続けているんだけど。
なかなかね、世間の評価、ままならず、投げ銭も与えられず、とかさ。
言い方はいくらでもあるな。
それにしても、外の気配、明るくなるのが早くて。
とともに、行き交う人々も、軽々と、フットワーク軽く、という季節。
卯月、4月。
新しいことが始まる季節だ。
さて、こちらも、新しい気持ちで、カラダくんとの対話を始まるとするか。