久しぶりに、と言っても、2回目なんだけど。
昨日、91歳のおばあちゃまがお店番をやっているお店にて、買い求め。
モーニング珈琲、なんて、ヨーロッパ人みたいに洒落込んでいるわけだ。
若い頃には、なかなか、持てなかった時間だな。
というか、ついこの間まで、とも言える。
時間、有限な、なんて形容詞がつくんだけれど、それがまた、ある種の呪いみたいなもので。
だから、大事に、となればいいんだけど、急げ、ハリアップ、という魔女の呪い。
これ、自分にかけられていると思っていたからね、実際。
ところが、呪いをかけているのは、母親でもないし、世間でもないし、他の誰でもなく。
単に、この自分だった、ということに気がついた次第。
となれば、気が楽なもので、ほとんどのことが、この自分が選び、決め、行動し、って訳で。
ここらあたりが、自分自神(じぶんじしん)なんて言い方の根っこ、根源、由来、なんだろうね。
随処に主となせば立つ処皆真、誰が言ったんだったか、最近では、サッカーの長谷部キャプテン。
よく言われる、教育、と訳された、education、ね。
ラテン語で、eは外へ、ducereが導く、誘導する、ということで、教え込む、とは違い。
相方の能力を引き出す、って話ね。
この辺り、わりと、誤解されている観あり、ってとこだ。
短兵急に、とか、堪え性がなく、とかね、気持ちはわかるけど、そういえば。
僕の幼い頃というのは、クラスで、いわゆる勉強ができる子が、学級委員長なんかなったよね。
あるいは、ミコがいい、とかさ。
あれ、先生方の気持ち、今思えば、わからなくないよね、承認欲求充足の完全体、とでも言えるか。
そう、あなたはわかってくれるのね、アタシの教えることが、くらいのメンタリティもありだしね。
それに比べて、なになにちゃんは、まったく!?、なんて心理の流れで、今風に言えば。
発達障害、なんて病名までつけられちゃうくらいのディスり方で。
なんて話、症例、しこたま、あったんだろうな。
しかも、時代は、坂の上の雲を目指し終わり、さらに、三丁目の夕日、みたいな訳で、それこそ。
早く早く、hurry up! hurry up! の大合唱だったんだろうからね、労働者諸君を再生産する仕組みをつくり上げるために。
とも言えるような、ニッポンの夜明け、日本式資本主義の勃興期、いや、繁栄期とも、なんてね。
ま、朝から、ご先祖様、いや、先輩諸氏の営為にケチつけることはやめようか。
みんな、あの夕日の向こうにある新たなる世界目指し、真摯に、真剣に、丁寧に、真面目に、走っていたんだから。
そんなおこぼれの中に、わが、この肉体も、脳みそも、ある種の恵みを享受しての、今、ってわけだからね。
あだやおろそかに、しては、ならぬものはなりませぬ、ってわけだ。
けど、the times they are a-changi' (時代は変わる)by ボブディラン、でもあるからね。
そこんとこ、斜めから笑いのめす、わけではなく、真摯に合掌し、ありがとうございました、と。
さて、新しい時代を創造していきますから、ご安心くださいませ、ということだね。
ここんとこ、テストに出る処だから、丁寧な解答が必要なんだけど。
わりと、乱暴なんだよね。