まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

今朝は富士山溶岩焙煎

2018年04月12日 | Weblog

久しぶりに、と言っても、2回目なんだけど。

昨日、91歳のおばあちゃまがお店番をやっているお店にて、買い求め。

モーニング珈琲、なんて、ヨーロッパ人みたいに洒落込んでいるわけだ。

若い頃には、なかなか、持てなかった時間だな。

というか、ついこの間まで、とも言える。

時間、有限な、なんて形容詞がつくんだけれど、それがまた、ある種の呪いみたいなもので。

だから、大事に、となればいいんだけど、急げ、ハリアップ、という魔女の呪い。

これ、自分にかけられていると思っていたからね、実際。

ところが、呪いをかけているのは、母親でもないし、世間でもないし、他の誰でもなく。

単に、この自分だった、ということに気がついた次第。

となれば、気が楽なもので、ほとんどのことが、この自分が選び、決め、行動し、って訳で。

ここらあたりが、自分自神(じぶんじしん)なんて言い方の根っこ、根源、由来、なんだろうね。

随処に主となせば立つ処皆真、誰が言ったんだったか、最近では、サッカーの長谷部キャプテン。

よく言われる、教育、と訳された、education、ね。

ラテン語で、eは外へ、ducereが導く、誘導する、ということで、教え込む、とは違い。

相方の能力を引き出す、って話ね。

この辺り、わりと、誤解されている観あり、ってとこだ。

短兵急に、とか、堪え性がなく、とかね、気持ちはわかるけど、そういえば。

僕の幼い頃というのは、クラスで、いわゆる勉強ができる子が、学級委員長なんかなったよね。

あるいは、ミコがいい、とかさ。

あれ、先生方の気持ち、今思えば、わからなくないよね、承認欲求充足の完全体、とでも言えるか。

そう、あなたはわかってくれるのね、アタシの教えることが、くらいのメンタリティもありだしね。

それに比べて、なになにちゃんは、まったく!?、なんて心理の流れで、今風に言えば。

発達障害、なんて病名までつけられちゃうくらいのディスり方で。

なんて話、症例、しこたま、あったんだろうな。

しかも、時代は、坂の上の雲を目指し終わり、さらに、三丁目の夕日、みたいな訳で、それこそ。

早く早く、hurry up! hurry up! の大合唱だったんだろうからね、労働者諸君を再生産する仕組みをつくり上げるために。

とも言えるような、ニッポンの夜明け、日本式資本主義の勃興期、いや、繁栄期とも、なんてね。

ま、朝から、ご先祖様、いや、先輩諸氏の営為にケチつけることはやめようか。

みんな、あの夕日の向こうにある新たなる世界目指し、真摯に、真剣に、丁寧に、真面目に、走っていたんだから。

そんなおこぼれの中に、わが、この肉体も、脳みそも、ある種の恵みを享受しての、今、ってわけだからね。

あだやおろそかに、しては、ならぬものはなりませぬ、ってわけだ。

けど、the times  they are a-changi' (時代は変わる)by ボブディラン、でもあるからね。

そこんとこ、斜めから笑いのめす、わけではなく、真摯に合掌し、ありがとうございました、と。

さて、新しい時代を創造していきますから、ご安心くださいませ、ということだね。

ここんとこ、テストに出る処だから、丁寧な解答が必要なんだけど。

わりと、乱暴なんだよね。

コメント
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