なんて表現すればいいのか。
溜まり場、安らぎの場、とでもいうのか。
サンクチュアリというと、庇護処、とか、駆け込み寺、みたいなイメージだけど。
アジールというと、まったりと、生命としての、生き物としての、というような接頭語でも。
つけたくなるような、そんな場なのかな。
石川理夫さんの、「温泉の平和と戦争」という本には、戦国時代。
敵味方入れ乱れての、休戦時の入浴風景が、アジール、と名付けて、表現されている。
そうだ、思い出した。
面白いのは、石川県は、山代温泉だったか。
帝国陸軍と地元、温泉場の経営者が、やりあって、ジモッティ、源泉を大事に守る温泉場の住人が勝訴した。
という記事があってね。
それも、昭和の7年くらいの話だというので、一路、戦争へ突入、ということの物騒な世の中で。
陸軍がやり込められた、というんだから、裁判官も大したもんだ。
野戦病院、というのか、傷病兵をいやす病院を作るための土地をジモッティが提供し、源泉を分けて与え。
というところまではいいんだけど、陸軍、イケイケの、ナリキの時代だ。
その土地に、独自で温泉を掘り始め、と、他の源泉場からの湯量が急減。
そこで、裁判になった、という顛末らしく。
結果、お互い矛を収め、いい具合に落ち着いたらしいけど、あの時代の、陸軍だからね。
というわけだ。
現在の政権の方が、よほど、柔軟性にかけるのが、怖いところではあるんだけど。
ジモッティが、アジールとしての湯場を守った、という事件が紹介されていて。
山代、じゃなく、山中、かな。
惣湯、とか、総湯、とか呼ばれ、ジモッティたちが、大事に大事にしてきた源泉。
なんの旅行だったかな、山中の惣湯へ、朝方、入りに行ったんだった。
地元の方との会話が楽しくて、なんてこと、いつだったか、このブログにも書いたかも、ですが。
妻と行った、信州は湯田中温泉郷、丁子屋という、昔の湯治場で、プチ湯治を洒落込んだんだけど。
その隣に、大湯、つまり、小さな共同湯があって、そこで老夫婦が、病を得たご主人を丁寧に洗っている。
そんな姿に遭遇し、厳かな心持ちになったこと、思い出す。
角間の大湯では、お隣の雑貨屋さんでの立ち話、そのまた隣に。
自宅を改修したのか、林芙美子の記念館があり、元数学教師だった、というご主人としばし歓談。
なんてのもあったな。
そんな人々との会話を含めた、景色、風光、などなど、大湯、惣湯、温泉郷というのは、アジール。
と呼べる。
なんて書いてくると、このゴールデンな日々には、湯治でも行きたくなっちゃうね。
もっとも、大渋滞をくぐり抜けて、ということ自体、アジールへの旅、というには、ちょっと、かっこ悪いけどね。
大渋滞を、戦国の世の大乱戦、とでも置き換えてみれば、それはそれで、成立するかも、だけど。