まわりで起こっていること

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アジール。サンクチュアリとは違うな

2018年04月24日 | Weblog

なんて表現すればいいのか。

溜まり場、安らぎの場、とでもいうのか。

サンクチュアリというと、庇護処、とか、駆け込み寺、みたいなイメージだけど。

アジールというと、まったりと、生命としての、生き物としての、というような接頭語でも。

つけたくなるような、そんな場なのかな。

石川理夫さんの、「温泉の平和と戦争」という本には、戦国時代。

敵味方入れ乱れての、休戦時の入浴風景が、アジール、と名付けて、表現されている。

そうだ、思い出した。

面白いのは、石川県は、山代温泉だったか。

帝国陸軍と地元、温泉場の経営者が、やりあって、ジモッティ、源泉を大事に守る温泉場の住人が勝訴した。

という記事があってね。

それも、昭和の7年くらいの話だというので、一路、戦争へ突入、ということの物騒な世の中で。

陸軍がやり込められた、というんだから、裁判官も大したもんだ。

野戦病院、というのか、傷病兵をいやす病院を作るための土地をジモッティが提供し、源泉を分けて与え。

というところまではいいんだけど、陸軍、イケイケの、ナリキの時代だ。

その土地に、独自で温泉を掘り始め、と、他の源泉場からの湯量が急減。

そこで、裁判になった、という顛末らしく。

結果、お互い矛を収め、いい具合に落ち着いたらしいけど、あの時代の、陸軍だからね。

というわけだ。

現在の政権の方が、よほど、柔軟性にかけるのが、怖いところではあるんだけど。

ジモッティが、アジールとしての湯場を守った、という事件が紹介されていて。

山代、じゃなく、山中、かな。

惣湯、とか、総湯、とか呼ばれ、ジモッティたちが、大事に大事にしてきた源泉。

なんの旅行だったかな、山中の惣湯へ、朝方、入りに行ったんだった。

地元の方との会話が楽しくて、なんてこと、いつだったか、このブログにも書いたかも、ですが。

妻と行った、信州は湯田中温泉郷、丁子屋という、昔の湯治場で、プチ湯治を洒落込んだんだけど。

その隣に、大湯、つまり、小さな共同湯があって、そこで老夫婦が、病を得たご主人を丁寧に洗っている。

そんな姿に遭遇し、厳かな心持ちになったこと、思い出す。

角間の大湯では、お隣の雑貨屋さんでの立ち話、そのまた隣に。

自宅を改修したのか、林芙美子の記念館があり、元数学教師だった、というご主人としばし歓談。

なんてのもあったな。

そんな人々との会話を含めた、景色、風光、などなど、大湯、惣湯、温泉郷というのは、アジール。

と呼べる。

なんて書いてくると、このゴールデンな日々には、湯治でも行きたくなっちゃうね。

もっとも、大渋滞をくぐり抜けて、ということ自体、アジールへの旅、というには、ちょっと、かっこ悪いけどね。

大渋滞を、戦国の世の大乱戦、とでも置き換えてみれば、それはそれで、成立するかも、だけど。

 

コメント
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