まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

耳鳴りが海鳴りのように訪れ

2018年04月20日 | Weblog

昨夜は、何が起こっているんだろう。

という気分になった。

細菌くんと細胞くんのコラボではあるんだけど、わが耳を活用しての。

その存在感を際立たせ。

腰湯に、長い時間、浸かっていた。

珈琲のカスで作った、バスクリーンみたいなのが間に合わなかったので、単に。

お湯に浸かる、ということだったんだけど。

汗が出て来て、これで、通常なら、一件落着となるはずなんでけど、今回は。

なかなかに手強い。

明日は、待ちに待ったおじおば会なので、それまでには、戻さないと、ね。

彼女たちの落胆とわが身の不調を比べたら、というわけだ。

それにしても、耳鳴りは、初体験で。

この週末は、妹に続き、娘もやってくるようで、くだんのおじおば会当日は。

娘と長男の嫁さん、お母さん、妻との女子会だそうで。

一人が混じると、一挙に、状況は好転する、という感じだ。

化学反応が起きる。

今朝は、この間いただいた富士山麓の水で、Spring Blend。

湧き水は、まろやかで、なんて表現になるけど、コーヒーに転写すると、シャープ、かな。

挽いた粉への浸透もスムーズで、いつもより早く落ちた。

Springの酸味が、中央に入り込んで、春、を連想させる味わいだ。

珈琲にも、ブレンダーなんて役割の方、いらっしゃるんだろうね。

このお店の方は、この間中、台湾まで出かけていた、そうだから、そんな世界があるんだね、きっと。

店先でいただいた、紛争続くイエメンから届いた豆も、初めての味わいで。

イエメンといえば、自衛隊の日報、あれね、ご家族の方、複雑な思いでテレビ画面なんか、眺めているんだろうな。

と思うな。

軍隊が、紛争地へ行く、言葉を変えれば、戦争をしに行くんだからね。

そりゃ、戦闘もあるし、死傷するのは、やむを得ない話だ。

国民あげて、郷土を守る為にわが命を捧げ、というわかりやすい戦いならまだしも。

それにしたって、お母さんがたは、耐えられないものではあるんだろうけど、言葉によって無理やり。

理屈を作った状況、とでもいうか、その昔、安部公房という作家がいて。

彼が、切れ切れの言葉が事実をつくる、だったか、そんな意味のこと、書いていて。

はたと膝を打ったことがあるんだけど、そんな感じだよね。

公文書にしてもそうだけど、言葉が歴史を紡ぐ、のだけれど、リアル現実は、つまり。

事件は現場で起きてるんだ、の、現場感とはかけ離れた、そんなものになるんだろうな。

だから、経営コンサルさんなんかは、経営者は現場へ出ろ、なんていうんだろうけどね。

しかし、そもそも、現場はどこにあるんだ、ということでもあって。

というのも、脳内に溜め込んだ神話主導の現場感、ってのは、やばくて、というのか。

早い話が、ある目当てをはじめから持ち込んで現場を見る、というやつね。

見たいものを見る、というのか、言葉で現場を見る、あるいは、理屈、イデオロギーで現場を見る。

ってやつだ。

そこここに、そんなこと、溢れてもいて。

だから、実のところ、いろんな言葉の渦にまきこまれず、面々のおんはからいなり。

ってのが、とりあえずの正解なんだろうな。

親鸞さん、よくぞ仰った、ってわけだ。

悪人往生をとぐ、いわんや善人においておや、と。

コメント
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