昨夜は、何が起こっているんだろう。
という気分になった。
細菌くんと細胞くんのコラボではあるんだけど、わが耳を活用しての。
その存在感を際立たせ。
腰湯に、長い時間、浸かっていた。
珈琲のカスで作った、バスクリーンみたいなのが間に合わなかったので、単に。
お湯に浸かる、ということだったんだけど。
汗が出て来て、これで、通常なら、一件落着となるはずなんでけど、今回は。
なかなかに手強い。
明日は、待ちに待ったおじおば会なので、それまでには、戻さないと、ね。
彼女たちの落胆とわが身の不調を比べたら、というわけだ。
それにしても、耳鳴りは、初体験で。
この週末は、妹に続き、娘もやってくるようで、くだんのおじおば会当日は。
娘と長男の嫁さん、お母さん、妻との女子会だそうで。
一人が混じると、一挙に、状況は好転する、という感じだ。
化学反応が起きる。
今朝は、この間いただいた富士山麓の水で、Spring Blend。
湧き水は、まろやかで、なんて表現になるけど、コーヒーに転写すると、シャープ、かな。
挽いた粉への浸透もスムーズで、いつもより早く落ちた。
Springの酸味が、中央に入り込んで、春、を連想させる味わいだ。
珈琲にも、ブレンダーなんて役割の方、いらっしゃるんだろうね。
このお店の方は、この間中、台湾まで出かけていた、そうだから、そんな世界があるんだね、きっと。
店先でいただいた、紛争続くイエメンから届いた豆も、初めての味わいで。
イエメンといえば、自衛隊の日報、あれね、ご家族の方、複雑な思いでテレビ画面なんか、眺めているんだろうな。
と思うな。
軍隊が、紛争地へ行く、言葉を変えれば、戦争をしに行くんだからね。
そりゃ、戦闘もあるし、死傷するのは、やむを得ない話だ。
国民あげて、郷土を守る為にわが命を捧げ、というわかりやすい戦いならまだしも。
それにしたって、お母さんがたは、耐えられないものではあるんだろうけど、言葉によって無理やり。
理屈を作った状況、とでもいうか、その昔、安部公房という作家がいて。
彼が、切れ切れの言葉が事実をつくる、だったか、そんな意味のこと、書いていて。
はたと膝を打ったことがあるんだけど、そんな感じだよね。
公文書にしてもそうだけど、言葉が歴史を紡ぐ、のだけれど、リアル現実は、つまり。
事件は現場で起きてるんだ、の、現場感とはかけ離れた、そんなものになるんだろうな。
だから、経営コンサルさんなんかは、経営者は現場へ出ろ、なんていうんだろうけどね。
しかし、そもそも、現場はどこにあるんだ、ということでもあって。
というのも、脳内に溜め込んだ神話主導の現場感、ってのは、やばくて、というのか。
早い話が、ある目当てをはじめから持ち込んで現場を見る、というやつね。
見たいものを見る、というのか、言葉で現場を見る、あるいは、理屈、イデオロギーで現場を見る。
ってやつだ。
そこここに、そんなこと、溢れてもいて。
だから、実のところ、いろんな言葉の渦にまきこまれず、面々のおんはからいなり。
ってのが、とりあえずの正解なんだろうな。
親鸞さん、よくぞ仰った、ってわけだ。
悪人往生をとぐ、いわんや善人においておや、と。