9日の夜に推敲と、加筆をしますと、申し上げておりました。が、日常作業(=家事というか、終活というかに時間とエネルギーを使っています。すみません。少し、ゆったりと、進みたいからです。上は、主人が撮影した、ペルセポリスの写真です。私は、フェイスブック(=メタ)を始めるまで、は、一切写真を撮らなかったのでした。どうしてかというと画家だからです。でも、今、自分の絵が、見つからないので、主人が撮影した写真を使います。上は、ペルセポリスです。平山郁夫さんが、名作の数々を、お描きになっているところで、昔はペルシャと、言う名前の国でした。今は、イランという名前の国になっている、国の田舎も田舎、誰も住んでいないところに、あるグレコローマン遺跡です。1981年から、1983年の間だったと思うのですが、パスポート(前のもの)が、盗まれているのと。絵も数々、盗まれているので、すぐ、使うわけにもいかないのです。1980年に、トルコへ行って、エフェソスッという大遺跡(同じくグレコローマンのもの)を見て、・・・・・そこのハドリアヌス帝の、トルソの前で、2キロ×3キロの広い範囲の中にたった二人だけという形で、立花隆と出会って、『あ、この人って駄目だわ」と感じた経験があり、1991~1994年ごろにイタリアに行って、そこでも、グレコローマン遺跡を見て、
1998年には、ギリシャに行き、デルフォイとアテネで、グレコローマン遺跡を見て、同じころ、スペインに行き、ロマネスク様式の、プラド美術館を見て・・・・・ともかく、いろいろ、見て回って、絵を描いているのですが、奥の奥に入れておいたものを、
だけど、終活をしていたら、この写真がどうしてか見つかったので(もしかしたら、敵さんが、わざと目に付くところに置いたのかもしれません。)使います。
ところで、この敵さん(例の鎌倉エージェントと、その家来である警察官たち<二種類、居ますが>とか、警察から合いかぎをもらって私の家の中に、自由に侵入をしているご近所様二軒がいて、もう、神経の休まる暇がないという体たらくです。)が、いろいろなものを、侵入した際に盗みもするのですが、入れ込んでも行くのです。ともかく、嫌がらせと、脅かしのために、盗んだり、入れ込んだりして帰るのでした。
ごく最近の、異様なものとしては、湯川由紀子さんのお手紙の封筒だけが、見つかっているのも、在りますね。それは、1980年ごろ来信のものだから、今頃我が家の床に落っこちているはずがないのです。我が家から、いったん盗んでおいて、今、入れ込めてきたのでしょう。意味は、こうです。・・・・・お前さあ、威張るなよ。貧乏なくせに・・・・・です。例の鎌倉エージェント(代表は、今だ、生きている井上ひさしですが)が、考えたアイデアにのっとって、こういうものが入れ込められているのです。
湯川由紀子さんとは、旧姓桝田さんと言ったと、記憶しています。二期上の卒業だったかな。国際キリスト教大学が、とても華やかで、人気があったころ、神戸女学院から、入学してきた人で、そこを選ぶ人の典型的ケースです。ミッション系の私立学園から、国際キリスト教大学というコースで鵜。彼女は、仕事上は、【婦人公論】編集長、から【中央公論】の編集長で、引退した、ひとですが、
1980年代初頭のある日、中央公論社の、旧ビルの玄関から、送り出してくれる際に、「今日のはいいわ。前回のはだめだったけれど」と、言われたのです。何のことかというと、洋服のセンスと、質の高さが、「前回は、安物だったし、平凡過ぎたけれど、今回は、センスが良くて、かつ高価なものですね」と、言う事を、非常に短い言葉で、指摘をされたのでした。
私は、一生、162cm45キロという形で、体系が変わらないのです。でも、1970年代から2000年までの、30年間、自分の体形に合う洋服なんて、売っていなかったのです。で、ブレザーと、プリーツスカートは、やせっぽちの自分にとって、体系を膨らませてくれるからいいかな?と、思っていたのですが、アウトだったのでした。
湯川さんに会う、15年前には、すでに、CIAエージェントの大物だったベイカーさんと、出会っているので、1回目の湯川さんとの邂逅で、すでに、CIAから、「川崎千恵子には、絶対にチャンスを与えるな」という指令が出ていた可能性があるのです。しかし、当時は、まだ、そこまで、改名が出ていたわけではないのですが、ともかく、湯川さんのボディラングエッジを、みると、「彼女は、好意的ではない」と言う事が私にわかるわけです。で、2回目は「これなら、バカにされないだろうと思う、おしゃれをしていったのです。上半身は、母が買ってくれた、上等な黒のカーディガン、(当時は、とても珍しかった、ポリエステル糸で、編んであって、一見すると、絹の糸で、編んだみたいに見える、つややかなもので、今買えば、25万円以上でしょう。それに合わせて、自分で、縫いあげたので、ぴったりと、細身の自分に沿う、Aラインの、黒のウールのギャバジンの、スカート、・・・・・こんないでたちを、京急北久里浜駅近辺の、ご近所様に見つかったら、・・・・・・「川崎さん、何があるの?」と質問をされちゃうでしょうが、銀座だったら、画家が自分の個展の初日に着る様なお洋服と、みなされるので、道路を、昼間これで、歩いていても、おかしくないお洋服でした。で、湯川さんが『今日のはいいわ。前回はだめだったけれど」と言ったときに、忽然と分かったのです。有名な文筆家が、どれほど、高収入なのかと言う事を。
今、ネコメンタリーというのを、NHK・ETVで放映しています。本日、21-12-9【土】は、東山彰良ト、愛猫カグラが、出演しました。東山彰良は、福岡県に住んでいるのかしら。それとも広島県ですか? ともかく、他の、東京圏に住んでいる文筆家に比較すると、人間的な住まいでした。奥さんも、声でも、腕などでも、出演をしましたし。
ところが別の回で、港区か、江東区か、江戸川あたり、のタワマンに住んでいる文筆家を、紹介するときは、
ただ、主人が撮影した、ペルセポリスの写真、二枚目をここに置きます。
すいません、ここで、体力が尽きて、掘ったら河岸で、寝ます。お添それいります。
@@@@@@ここが、現在書きかけ中の最先端です。
平木伸明家の、お子さんに関する紙の資料が、いくつも我が家に入れ込められているのですよ。
奥さんが、いつも、も・もーっと大声で、叫んでいたのを覚えて居るのですが、二人の男の子の名前が列記されている、ピアノ教室の領収書も我が家に入っていたのですよ。
こういうことが大問題なのは、暴走老女にひき殺されたという、大久保忠春(福岡県に住んでいた大学教授で、私とは、横浜国立大学付属中学の同期)と一緒の新聞記事を少し拡大してパネルに貼って、鎌倉
さんの交通事故のニュースがNHK総合チャンネルには、は、捨てました。とっくに。ごく最近入れ込められたのは、ファイルの背表紙で、もも〇〇と、言う名前が下の方についていて、、、
副題〇、『この章を書くにあたってのお断り』
この章は、まったくもって、前報
毎日新聞の大物、水谷さん・・島田章三・鮎子夫妻・・杉本正子・俊一夫妻・・雉も鳴かずば撃たれまいの典型だった章三さんの実妹
の続きです。当初は、そこの後半に続けたいと、思っていました。しかし、最近、体力が落ちて来て、一時間で書ける量が少なくなっています。それで、昔だったら、たった一日で、書けた分が、今は、3日か、4日、かかってしまいます。それで、同じところを何度も、お読みいただくこととなってしまうので、それは、申し訳ないので、別章を起こします。
前報で、私は、母がご近所の実力者に、「聡明な人だよ」といわれたエピソードを書いています。
そのついでに・・・・・といっては何ですが、横須賀市で起きた大事件(何十億円もの、不動産物件がタダで、益山重夫とその義弟、仲野通巳吉に渡った)と、それに絡んで、現代アートの世界も、徹底的に、CIAエージェントに支配をされている話へ入っていきました。
美術関係者としては、水沢勉、本江邦夫、若江漢字、島田章三、の四氏に触れています。この章では、それにプラスして、長瀬いずみ、中島三枝子、保坂航子、谷内六郎、平山郁夫、また、その奥様、などにもちらっとですが触れていきます。
しかし、と、同時に、それらの、人々を囲む、周辺の人々にも触れています。そして、その章の主役は、大沼嘉津江さんという、一種の一般人ですが、横須賀の、根岸小学校の通学範囲では、大金が、その人へ流れ込んだ、有名人・島田章三さんの、実妹なので、一般人とは言えず、一種の有名人化しており、大きく悪口を言われている人でした。
私って、考えることが大好きで、しかも何について考えることが好きなのかというと、人間とは何だと、言う風に考えることが好きなので、大沼嘉津江さんと、その周辺の人には、興味と関心が尽きないのです。1979年に根岸小学校、広報委員会というPTA活動で、たった一年間、つきあっただけですが、・・・・・・深い印象を受けております。嘉津江さんのお取り巻き、杉本正子(杉本俊一、横須賀市副市長の妻)さんを含めてね。
彼女の父君は、たぶんですが、戦前の千葉大(高等工芸)を出た方で、造船所で、船のインテリアを担当されていたとは、以前から知っていました。が、最近、wikipediaから、後年、市会議員にもなって、しかも、議長だったことがあったと、知り、驚き入っています。という事は、意外と図太い人で、それが、島田章三さんと、末っ子の嘉津江さんに遺伝をしているのかもしれないと、思います。
嘉津江さんご本人は、それを知らないらしいし、何も気にしていないみたいですが、章三さんの版画(10畳程度の部屋に飾るのに適切な普通のサイズ)が、大津支所という根岸小学校の、すぐ近所にあった横須賀市役所の分所の待合室の壁にかざってあって、それに、横須賀市が、7000万円支払ったと、言う件が、知る人ぞ知る話であって、それが、嘉津江さんが、悪口を言われる、大本だったのですが・・・・・
美術の世界にいる私は一般の人たちが大問題としている、大津支所の版画一枚よりも、横須賀市立美術館が所蔵している、章三さんの油絵の方が高くて、大金(数十億、または、100億を超える金額かもしれない)が、1978年以降、40年間にわたって、注ぎ込まれ、それを章三さんは愛知芸大に注ぎ込んだので、そっちの方が政治的な部分で、大問題とすべきところだと、思っています。横須賀市立美術館は、別館を建てて谷内六郎の絵を展示していてそれをうりものにしていますが、谷内さんの作品の方は遺族からの寄贈かもしれないし、・・・・・・問題は島田章三さんの作品の方にあるのです。
島田省三さんの作品は、モチーフとしては妻の鮎子さんの、ものを使っているよね。(一種の盗作に近いよね)というのは、国画会内部の、知的レベルの高い人たちの中では、共通認識だと思いますよ。
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副題1、『わたくしが、大沼嘉津江さんについて、書き始めたのは、2013年一月に、長瀬いずみという、当時は、まだ、会員ではなかった、作家から、画廊るたんで、大変失礼な処遇を受けたからだった。それは、画廊るたんの中島三枝子さんにも半分責任はあるのだが、長瀬いずみが、秋田の人だから、そう、なっていると、言うことも言えるだろう。保坂涼子(山口みつ子さんが、他殺となった件で、心理的に言えば、その引き金を引いた人物、それを私が書いているので、今は、航子と改名している)さんも田舎の出身だ。福島県、相馬市出身らしい』
田舎って、人口が少ないです。それで、ちょっと、箔をつけると、周辺や市などから、ちやほやされるのです。で、舞い上がってしまう。で、目の前の人間を傷つけるほどの、失礼なことをしても平気なのです。これが、東京や、横浜だと、そうはいきません。
平山郁夫さんですが、ご近所の大原光孝さんに言わせると、「奥さんが代筆するケースがあるんだよ。鶴岡八幡宮のぼんぼりなんて、まさにそれ」という具合で、けちょん、けちょんです。芸大の学長という偉い方であっても、創形美術学校出身者に、そういわれてしまう。ただ、この二行は、柄沢斉からの受け売りかもしれないし柄沢斉は、酒井忠康氏の言葉を、飲み込んだのかもしれません。
この話は、実際にアトリエで、奥様がぼんぼりの絵を描いているところを見ないとわからないことですよね。でもね。上記の三人の男性が、平山家のアトリエに入って奥様が、八幡宮からいただいた方書士に絵を描いているところを見たわけではないでしょう。真相は、こうだと思います。奥様はね。ペルセポリスに一緒にいらっしゃるときなど、苦労があったでしょう。私もそこへ行きました。が、電車はないし、ホテルもないし、無論自販機もないし、トイレもないです。すごく大変です。だから、そういう旅行に付き添う時代は、ご苦労があった筈です。だけど、それ以外は、お幸せだったでしょう。日本画はたかくうれますし。テレビでアトリエを見たことがあるけれど、何よりすごいのは画材です。500cc入りのガラス瓶に、ずっしりと、画材が入っている、そういうガラス瓶が600本程度ありました。日本画の画材ですが、例えばラピスラズリーなどとか、硫酸銅などの、同じ鉱石でも、粒の大きさによって、発色が違うのです。でね。警戒心がないのです。で、誰かに「宅の主人は、今度学長になったものですから、忙しくて。ぼんぼりは、私が代筆しているのですよ」と、おっしゃったと仮定します。その相手が同じ、二階堂で住まいで、また同じく、ぼんぼりを出して居る酒井忠康氏、の、おくさまだったら、見事に整合性があります。
大原光孝さんというのは、本当におっちょこちょいで、本日も一昨日も、目の前をうろうろして、それが、私への威嚇に役立つので、ブログを書くのをやめるだろうと、思っているみたいです。(か、か、か・・・・大笑の、一種)なお、彼は、平山さんのことを対等以下という感じで、話しました。むしろ悪意満々という形で、話しました。そうすることによって、自分がとても格が高くなったと、感じられる模様です。
長瀬いずみに、失礼極まりないことをされたのは、2013年1月13日だったと、記憶しています。長瀬泉に言っておこう。私は、決して感情を表には出しません。喧嘩も致しません。だけど、考える人だから・・・・・
ああ、これで、島田章三に対する禁忌が解けた」と、感じましたよ。 で、前報は、長瀬いずみが書かせたのだとも。私は目の前にいる、長瀬いずみとか、中島三枝子とかいう人間を「なんて、単純な、むき出し型タイプなのだろう。sophiscated なんていう言葉も知らないのではないか!」と、思って居るわけですが、その瞬間に、頭の中では、神様との対話によって、『ああ、書いていいのだ。嘉津江さんについても、章三さんについても』と、思うわけです。
この続きは、明日9日書きます。
和田義彦、1940年4月生まれ
島田章三、 1933年7月生まれ、
@@@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。
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副題2、『前報で、PTA活動について書いているが、それは、1970年代から、80年代にかけての話です。最近では、専業主婦がいなくて、なり手がいなくて、とても学校が困ってきて、夜のPTA活動となったらしいのですが、それは、また、不倫の横行とか、別の問題が起きていると、言う話です。なお、前報で、PTA活動とは、専業主婦にとっては、良い時間つぶしで、しかも、三役になったら儲けもので、あわよくば市会議員になって・・・・・という出世コースに乗れるのだと、言っています。しかし、地域社会固有の特徴があって、横須賀地域だと、三役をやるのなら大津高校以上の偏差値の高い高校を出ておくべきだと、言う暗黙の了解があります。こういうことは不文律なので、人付き合いをちゃんとしていないとわかりません。
なお、私が特に大津高校と明記したのには、訳があります。横須賀いち、偏差値の高い高校は、県立・横須賀高校でしょう。ノーベル賞を受賞した小柴さんが出ていることで有名です。ところが、そこを出た女子の場合、辞めがたいほど、良い職業についている可能性が高いのです。で、結婚をしないとか、結婚をしても、子供を産まないというケースがあります。で、PTA活動などには、無縁となります。
PTA活動とは、普通の女性で、ちょっと、頭一つ、他人より優れていると、言う人が取り組む仕事です。家庭も経済的に豊かです。夫婦仲もよいですと、言う家の主婦が取り組む仕事です。しかし、それらのグループでは、女性であることが全開だから、そういう面で大変です。嫉妬とか、競争心とかが、全開の世界でもあります。人間を研究するという意味では、相当に勉強になる場ですが、体力が、必要な世界でもあります。だから、向き、不向きがあります。
それから、男の子を持つ母親の場合、中学や高校という時期に母親がPTA三役をするのは、良くないのです。それについて、は、横須賀で、先輩たちのケースを見てきているので、確信が合います。
ほか、ベトナムの少女臨ちゃん殺しの一件とか、あれこれがありますが、それは、9日の夜に書きましょう。
私は、章三、嘉津江きょうだいの、ご母堂に、も、問題があったと、する説を取っています。そして、水沢夫人(勉先生と悦ちゃんの母)にも同じ様な問題があったと、見ているのです。
水沢勉さんが、日吉に住む、姉の悦ちゃんに悪い噂(私の妹が他殺なのに、自殺だと、言う噂っを流したから、大沼嘉津江さんにも、触れていったのでした。島田家には、特にご母堂に問題があったと、推察しているからです。
ところで、水沢家の内実を教えてくれた人は我が家の東北のお隣さんではありません。そちらもご主人が東大卒で、かつ、いすゞ自動車勤務でした。そちらのご主人は、車に私の妹と母を乗せて、バレー教室の発表会に連れて行ってくださったのです。いすゞは、今は自家用車を作っていないみたいですが、1950年代には、ヒルマン・ミンクスを作っていたのでした。
ともかく、そちら様は、水沢家の噂をするなんて言うことはありませんでした。往年の、良き時代の東大卒らしい、ノブレスオブリッジをキープしている方でした。
比較すると、大沼嘉津江さんが、話す、次兄章三さんて、「なんって、狭量なのだろう。なんて、自分本位なのだろう」と、思う事ばかりでした。