皆様、以下は、五月三日に2本としてアップしたものを一本として、整理推敲をいたしました。
私のものとしては珍しくも、5千字以内に収まっております。それを、二日も連続して公開しては、サービス精神皆無ですが、今は、ゴールデンウィークで、私は珍しい買い物に集中しています。それは、花の苗です。いろいろな苦労のある中で、すっきりしたいので、お花は相当に重要なアイテムとなってきています。それも省みられないほど、前だけを見つめてきていた時期もあったのですが、今は、それほど、大きな、または、多くの仕事を欲張らず、人間として、バランスをとる事を、相当に大切にしていて、一種のレジャーとしてお花の苗を、あっちこっちで見る事を楽しみにしています。
そうです。大天才になるのをあきらめ、普通の人として生きることに決めたのですから、人間としてのバランスをキープすることは相当に大切なこととなってきました。ところで、我が家は、ひあたりが悪いので、せっかくの買い物に出かけても、花の苗を数多く買う事はできないのです。でも、見るだけでも楽しみで、昨日は平塚の、花菜ガーデンという開いたばかりの植物園に行ってきました。
そこの苗は、サントリーのものを園外の、全農(JA)の売店で売るという形で、それほど、多種類はないのですが、勢いはいいモノがありました。
ガーデンそのものはまだ、大船のフラワーセンターの方に一日の長があります。花菜は、今のメインのバラが、今年は、寒くてまだ、開花していないので、(つぼみは相当に、出ていますが)華やかさがありません。そして、大船の方が、電車で来る人にとっては、バスの時間が短くて、便利ですしね。樹木も大きく育っていますし、花の種類も樹種も多いです。特にハンカチの木が有名です。
ただ、花菜とは別に、平塚には子供向けの遊具(無料で、かつ、機械を使わない形のもの)がたくさん置いてある総合公園があって、そこは大人気のようでした。そういうところでゴールデンウィーク内に、子供を遊ばせている家族って、ごく、平和で、普通の人たちで、『これが、幸せって言うものかなあ』と感じた次第です。
なお、辻堂に、車が入ってこない形で、幼児を遊ばせられる大きなショッピングモールができたそうです。が、私はまだ、そこには一回も行ったことがないのです。なんとなく、湘南地方には、珍しさを感じないもので。
私というのは、自分が子供のころも、自分の子供がこどものころも、こういう公園で、遊んだ事は少ないのです。私は子供時代は、自分は遊ばなかった人間です。父親に、歌舞伎とか、珍しい博物館に連れて行ってもらった事は多いのですが、父は、こどもを遊具で遊ばせるなんていうことには興味がなかったのです。自分が何かの企画や、催しを楽しみたくて、それに、子供を付き合わせるというタイプでした。(笑)
で、自分のこどもは、遊ばせなかったわけではないのですよ。十分に遊ばせました。でも、いつもご近所で、ご近所の子供たちと遊ばせるだけだったので、日曜日だって、そうで、家族で、こういう特別な場所に来たことが少なかったのです。夏休みは家族旅行はしましたが。
孫がいる年になって、はじめて、こういう、普通の場所にやってきています。ディズニーランドより、こういう静かで素朴な場所の方が子供にはいいのではないかと感じました。
横浜駅近辺には、後、サカタのタネと、イングリッシュガーデンというのがある模様です。横須賀に広い面積を占める、ケーヨーデーツーというのがあって、ここは多種多様の、かつ、生きのいい苗を売っています。が、車を持っている人向けのお店です。
さて、そんな前置きを入れて、今日の本文に入ります。
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写真の説明をさせてください。これは、2012年5月3日の早朝、我が家の山道で落石があったときの写真です。落石は、道路には、4つ落ちていました。幅高さともに、1.5メートル以上の大きなモノがひとつあって、人はやっと通れるが自転車や車は無理だと言う形でした。この市役所の人が映っているのは、午前10時50分ごろのものです。
下の写真が、朝の7時半のものです。しかし、最初に市と消防署の人間が数人來て、ここには映っていないほどの、(=人間を上回るほどの)、大きな石を撤去したのは、午前、6時50分ごろですから、二つの写真の間には、五時間の時差があります。
それが、大変に重要です。
で、丁寧に最初から説明をさせてくださいませ。
まず、2012年5月3日の朝の方。暗いですが、これは、雨が降っているからです。その日に、幅も高さも、1.5メートルを越す大石が、落下して、道をふさいだのです。
写真は、それを取り除いた後のもので、右に二つの小石(しかし、一般的な尺度から言えば、大石)が見えますね。
この石は朝の五時半ごろ主人が見つけて、鎌倉市に電話をかけて、市が、朝の7時までに撤去してくれた後なのです。午前7時半の写真です。
私は、朝の六時半には起きていたのですが、ちょっと寝床で、モノを考えていました。ちょうど、服を着替えたときに、消防署の人が撤去しましたと、知らせてくれたのです。で、さらに、その30分後に撮った写真ですが、右側に、二つの石は残っています。
早寝、早起き方の主人は今朝大活躍をしたというわけです。私も最近では、できるだけ、普通の人のスケデュールへ、時間をあわせるようにしていますので、消防署が、お知らせを下さったときには、起きていて、朝食をとった後で、写真を撮影しに行ったのです。
主人がその大石の写真を撮らなかったわけは、
ブログを持ってはいるものの、あまり熱心に更新したり手入れをしていないので、この珍しい写真を撮っておくという発想はなかったみたいで、道をふさいでいる大石の実情は残念ながら、皆様には、お見せできません。
主人と二人で、いろいろこの件について話し合いました。まず、「非常に処理が早いね」ということと、「でも、小さいほうの石をどうしておいて行ったのだろう」ということの二つ。
それについて、私は何も言いませんでしたが、心の中で推察するところはありました。
さて、この文章は大きな流れの中の一環として書きますので、章の番号を振りたいと思います。
副題187、『自然現象だが、自己宣伝に役立つと、敵は見るのかな?』
私は、常に、神様に助けられていると申し上げております。
それを今から語りましょう。
この文章は、下に時間が出ておりますように、2012年の5月3日の10時12分47秒に上げております。そして、そのときに、写真を公開したのですが、と、同時にこのパソコン(XP)が、ハッキングを受けているときに固有の音が、シャーっとなり始めました。
で、その意味を考えたのです。『あ、そうか、敵はこの写真を公開してほしくないのだ。ともかく、こういう自然現象であっても、私の文章が、力を持つ事は避けたいのだ。絶対に避けたいのだ。
で、朝早く、大石の方は取り除いたのだ。なるほど、私は見ていない。が、主人とこの山の副会長はその実際を見ているはずだ。あたりを払う大石で、すぐニュースになってもいいものだ。NHKニュースが、長谷の方で、落石があったと、きちんとニュースにしていたが、それに比べてもはるかに大事である。映像を撮りに来てしかるべきだ。だが、映像を撮りにくるはずがない。
というのも、私の地元の道が取材をされたら、私は当然に、ブログへ書くだろう。そうすると、又、当然のごとく、人々の興味を引く。
現在、物語は、あまりにもディープなところへ入っており、かつ、一般社会にはまだ、有名ではない人の、固有名詞が続々と出てくる。結構、読みにくくなっている。それが、一気に挽回してしまう。で、すぐ、その大石を撤去しないといけない』と、例の敵が考えたとしても、それはありえる発想だ。
・・・・と考えました。
今、私はご近所住まいの市井の人を話題にしていますが、その後ろには例の敵が隠れていて、彼らの行動はすべて、それらによって采配を受けているからです。
その敵は、我が家の電話を常に盗聴していますから、早朝に、主人が市に電話をしたときでも、それが、主人の声であっても、彼らなりに、適切な(笑)判断を下し、『すぐさま撤去せよ』となったのでしょう。
しかし、本日(5月3日のこと)はゴールデンウィークさなかです。鎌倉市の職員も、消防署は、ともかく、これらの落石処理班が、人手が、足りなかった可能性はあります。
で、最初の大石ですが、それを、大きな板でも利用して、軽トラック(それしか、侵入できない細い道である)の荷台に、上げたとしても、重くて上がらなかった可能性はあります。
すると、二枚目の写真、(この上に別記事としておいてある)のように、つるはしで割って処理をしたと推察もされます。もし職員が、消防の応援を入れても、四人しか来ていなかったら、みんなが、「疲れちゃったなあ。後は明日やろうね」となっても不思議はないです。
で、私たち夫婦が、早朝に不思議がった、どうして、三つの中型の石は残していったのだろうねと、言う質問への、答えがここで出たことになります。
それで、敵様たちは、もう安心だと思ったのに、私が、小さい石(彼らが大丈夫だと思って残した、小さ目の石の事。ただ、比較の問題でそういっているわけで、一般的に言えば、中というか、大きい石)の写真を使って、ブログを書き始めました。すると、『そのサイズでも、人々の興味を引く』と、敵方は考えたのでしょう。
それで、大急ぎで、市役所を動かして、残った石を撤去する様に命令したのだと思われます。それが、上の一番目の方の写真です。
しかし、神様がいらっしゃり、私に常にお見方をしてくださるというのは、どうしてか、私の直感が働いて、私が、新しい写真を撮りに行って、市の職員の作業を目撃したというわけです。そして、上の様な考察ができる新しい情報が手に入ったというわけです。
この二枚の写真の間には、ほぼ、5時間の差があります。その時間差から考えても、私が、ここに、書いた事は、十分に真実味が出てきます。そこまで、敵が、気にしてくれている事は、今書いていることがどれほど、重要で、真実であるかを明かしています。
このように、ありとあらゆる手段を通じて、私がブレイクしないように、ブレイクしないように、計られて下さっている(笑)わけです。
一方で、敵様たちにとって、都合がよい人、たとえば、山本容子さんなど、NHKを上げて支援をしてくれるというわけで、どんどん有名になります。
私は別に彼女をライバル視など、していないのですが、
2010年3月の個展の予定が、後ろへずらされて、新しい日程の時期と、同時に、山本容子さんの個展が開かれ、
普段なら來てくれるはずの、画廊のオーナーが軒並みいらっしゃらなかったので、山本容子が、ライバルとして用いられたのがわかったわけです。
特にその週に、井上ひさしが死んでいますね。
私は、彼は、実際には死んでいないと見ています。
こういう『山本容子の個展をぶつけてきたことの裏側に、あなたたちの悪巧みがある事を知っていますよ』と、言う、サインのひとつとして、鎌倉春秋社に、「個展を見に来てくださいね」と、言う連絡を入れたら、突然に、次の日の夜に、井上ひさしが、死んだことになったのです。
『なるほどねえ。それが、確定的な傍証になりましたね。私をいじめたり、妨害を加えたりするアイデアの発想者が、井上ひさしであることが』と、わかったわけです。
彼は、相当に、私を馬鹿にしていて、自分が後ろに居ることなど、絶対にばれていないと考えていたのでしょう。
つまり、伊藤玄二郎の後ろに居て、かれが、石川和子さんと、元愛人であったという事実を隠したいと願うのに、同調して、私を抹殺すべきアイデアを、次から次へと出しているというわけです。
どこの墓地に埋葬されたかも、発表をされていませんし、私は、死、そのものが偽装だと、いまだに思っていますが。
鎌倉春秋社社長の、伊藤玄二郎氏は、山本容子さんが、そのときに個展をした、ガレリアグラフィカの、栗田玲子さんとは、とても親しいのです。
それが、私にわかったのも、天のお助けというものでしょう。
ある日、夜の10時半に、鎌倉駅の女性用トイレで、私が栗田玲子さんと鉢合わせしたのです。そのときに、それ以前に、7時半ごろから銀座の有名店で食事を一緒にして、いろいろ話をしたのだが、用件が終わらなかったので、鎌倉で続きを話そうとして、降りたのだと想像しました。無論話題は私のことでしょう。
私を『銀座でいかにいじめるか、それについて、どうか、これから、いろいろ、ご協力をください」という話のはずです。このようにして、柴田悦子さんも、彼女と親しいらしい、瓜南直子さんも、私が、こちらからは直接は何もしていないのに、すさまじい程度でいじめてきます。(笑)
栗田さんに戻ります。トイレで、私と出会った後で、その後、一緒に鎌倉の夜の街へ出て行くほどに、親しいのですよ。
無論、色事のためではなくて、こういう件の打ち合わせのためでしょうが、
葉山在住の奥様である栗田さんを、夜の10時半に、鎌倉に途中下車させるのは、非常におかしいというか、礼儀知らず、礼儀失脚の話です。
が、それほど、伊藤玄二郎はあせっていて、栗田さんを利用するべく、説得をしたかったのでしょう。
ここから先は、スバラしいお話へ入って行きますが、すでに書いていますね。ですから、ここでは省きます。
栗田玲子、山本容子、酒井忠康、渡辺幸子、大原光孝、等の人材も、それについて詳しい事を書かれては、伊藤玄二郎は、辛いと、思わざるを得ない人材だと思いますが、今、私がブログで書いているご近所様の面々も、・・・「それについて描かれたら大変だ。迷惑をかけたことになる。辛いなあ」・・・と彼が思う人材だとも思います。鎌倉の住人ですからね。特に稲葉広志氏等は、鎌倉で商売をしている人間ですから、あっちこっちで、つながっていますし。なら、ばかばかしい教唆をするのを止めればいいのにと思うのに、いつも、すぐやるのです。ばかばかしいし、幼稚だとも、私が思う諜略行為を。
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と、書いて、次に、
二枚目の人間が映って居る方の写真を、最初の写真より、グーブログのスパコンには、一時間四十分後にアップしました。大型スパコンへの、乗せた差はありますが、世間一般の人への、公開の差は、ないです。両方とも公開したのは同時です。ですから、
下の写真をアップして、その後、驚いて、もう一回市職員が来て、残りの石を撤去した、時間の間は、ハッキングという形で、私の文章を読めば、一時間半ほどあったわけです。その間に、「氏の職員へ叱責して、再度、市の職員がここへ来る事は、十分に可能です。敵様が、私のパソコンをハッキングをしているのなら、そうなります。石を撤去するのには、間が、五時間ほど空いていますが、私がいつも問題にするのは、敵様の動向と意思が現れる部分のミステリーです。
で、一般の読者への、公開は二つの文章が、同時ですから、
私のパソコンがハッキングを受けているのは、そこからも証明ができますね。『おや、おや』というほど、敵の悪の分析には、役立つ、収穫の大きい日でした。
そういう点(ほとんど、傍証として、パソコン内ハッキングがわかったという点)も、私が常に、神様に見守られていると、申し上げる根拠となっております。
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2012年5月3日、雨宮舜 (本名、川崎千恵子)