銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

大石、落下事件(笑)を整理、推敲しました。

2012-05-04 13:08:53 | Weblog


 皆様、以下は、五月三日に2本としてアップしたものを一本として、整理推敲をいたしました。

 私のものとしては珍しくも、5千字以内に収まっております。それを、二日も連続して公開しては、サービス精神皆無ですが、今は、ゴールデンウィークで、私は珍しい買い物に集中しています。それは、花の苗です。いろいろな苦労のある中で、すっきりしたいので、お花は相当に重要なアイテムとなってきています。それも省みられないほど、前だけを見つめてきていた時期もあったのですが、今は、それほど、大きな、または、多くの仕事を欲張らず、人間として、バランスをとる事を、相当に大切にしていて、一種のレジャーとしてお花の苗を、あっちこっちで見る事を楽しみにしています。

 そうです。大天才になるのをあきらめ、普通の人として生きることに決めたのですから、人間としてのバランスをキープすることは相当に大切なこととなってきました。ところで、我が家は、ひあたりが悪いので、せっかくの買い物に出かけても、花の苗を数多く買う事はできないのです。でも、見るだけでも楽しみで、昨日は平塚の、花菜ガーデンという開いたばかりの植物園に行ってきました。
 そこの苗は、サントリーのものを園外の、全農(JA)の売店で売るという形で、それほど、多種類はないのですが、勢いはいいモノがありました。

 ガーデンそのものはまだ、大船のフラワーセンターの方に一日の長があります。花菜は、今のメインのバラが、今年は、寒くてまだ、開花していないので、(つぼみは相当に、出ていますが)華やかさがありません。そして、大船の方が、電車で来る人にとっては、バスの時間が短くて、便利ですしね。樹木も大きく育っていますし、花の種類も樹種も多いです。特にハンカチの木が有名です。

 ただ、花菜とは別に、平塚には子供向けの遊具(無料で、かつ、機械を使わない形のもの)がたくさん置いてある総合公園があって、そこは大人気のようでした。そういうところでゴールデンウィーク内に、子供を遊ばせている家族って、ごく、平和で、普通の人たちで、『これが、幸せって言うものかなあ』と感じた次第です。

 なお、辻堂に、車が入ってこない形で、幼児を遊ばせられる大きなショッピングモールができたそうです。が、私はまだ、そこには一回も行ったことがないのです。なんとなく、湘南地方には、珍しさを感じないもので。

 私というのは、自分が子供のころも、自分の子供がこどものころも、こういう公園で、遊んだ事は少ないのです。私は子供時代は、自分は遊ばなかった人間です。父親に、歌舞伎とか、珍しい博物館に連れて行ってもらった事は多いのですが、父は、こどもを遊具で遊ばせるなんていうことには興味がなかったのです。自分が何かの企画や、催しを楽しみたくて、それに、子供を付き合わせるというタイプでした。(笑)
 で、自分のこどもは、遊ばせなかったわけではないのですよ。十分に遊ばせました。でも、いつもご近所で、ご近所の子供たちと遊ばせるだけだったので、日曜日だって、そうで、家族で、こういう特別な場所に来たことが少なかったのです。夏休みは家族旅行はしましたが。
 孫がいる年になって、はじめて、こういう、普通の場所にやってきています。ディズニーランドより、こういう静かで素朴な場所の方が子供にはいいのではないかと感じました。

 横浜駅近辺には、後、サカタのタネと、イングリッシュガーデンというのがある模様です。横須賀に広い面積を占める、ケーヨーデーツーというのがあって、ここは多種多様の、かつ、生きのいい苗を売っています。が、車を持っている人向けのお店です。
さて、そんな前置きを入れて、今日の本文に入ります。
~~~~~~~~~~~~

 写真の説明をさせてください。これは、2012年5月3日の早朝、我が家の山道で落石があったときの写真です。落石は、道路には、4つ落ちていました。幅高さともに、1.5メートル以上の大きなモノがひとつあって、人はやっと通れるが自転車や車は無理だと言う形でした。この市役所の人が映っているのは、午前10時50分ごろのものです。
 下の写真が、朝の7時半のものです。しかし、最初に市と消防署の人間が数人來て、ここには映っていないほどの、(=人間を上回るほどの)、大きな石を撤去したのは、午前、6時50分ごろですから、二つの写真の間には、五時間の時差があります。
 それが、大変に重要です。


 で、丁寧に最初から説明をさせてくださいませ。

 まず、2012年5月3日の朝の方。暗いですが、これは、雨が降っているからです。その日に、幅も高さも、1.5メートルを越す大石が、落下して、道をふさいだのです。
 写真は、それを取り除いた後のもので、右に二つの小石(しかし、一般的な尺度から言えば、大石)が見えますね。

 この石は朝の五時半ごろ主人が見つけて、鎌倉市に電話をかけて、市が、朝の7時までに撤去してくれた後なのです。午前7時半の写真です。
 私は、朝の六時半には起きていたのですが、ちょっと寝床で、モノを考えていました。ちょうど、服を着替えたときに、消防署の人が撤去しましたと、知らせてくれたのです。で、さらに、その30分後に撮った写真ですが、右側に、二つの石は残っています。
 早寝、早起き方の主人は今朝大活躍をしたというわけです。私も最近では、できるだけ、普通の人のスケデュールへ、時間をあわせるようにしていますので、消防署が、お知らせを下さったときには、起きていて、朝食をとった後で、写真を撮影しに行ったのです。

 主人がその大石の写真を撮らなかったわけは、 
ブログを持ってはいるものの、あまり熱心に更新したり手入れをしていないので、この珍しい写真を撮っておくという発想はなかったみたいで、道をふさいでいる大石の実情は残念ながら、皆様には、お見せできません。

 主人と二人で、いろいろこの件について話し合いました。まず、「非常に処理が早いね」ということと、「でも、小さいほうの石をどうしておいて行ったのだろう」ということの二つ。

 それについて、私は何も言いませんでしたが、心の中で推察するところはありました。

 さて、この文章は大きな流れの中の一環として書きますので、章の番号を振りたいと思います。

副題187、『自然現象だが、自己宣伝に役立つと、敵は見るのかな?』

 私は、常に、神様に助けられていると申し上げております。
それを今から語りましょう。
 この文章は、下に時間が出ておりますように、2012年の5月3日の10時12分47秒に上げております。そして、そのときに、写真を公開したのですが、と、同時にこのパソコン(XP)が、ハッキングを受けているときに固有の音が、シャーっとなり始めました。

 で、その意味を考えたのです。『あ、そうか、敵はこの写真を公開してほしくないのだ。ともかく、こういう自然現象であっても、私の文章が、力を持つ事は避けたいのだ。絶対に避けたいのだ。

 で、朝早く、大石の方は取り除いたのだ。なるほど、私は見ていない。が、主人とこの山の副会長はその実際を見ているはずだ。あたりを払う大石で、すぐニュースになってもいいものだ。NHKニュースが、長谷の方で、落石があったと、きちんとニュースにしていたが、それに比べてもはるかに大事である。映像を撮りに来てしかるべきだ。だが、映像を撮りにくるはずがない。

 というのも、私の地元の道が取材をされたら、私は当然に、ブログへ書くだろう。そうすると、又、当然のごとく、人々の興味を引く。

 現在、物語は、あまりにもディープなところへ入っており、かつ、一般社会にはまだ、有名ではない人の、固有名詞が続々と出てくる。結構、読みにくくなっている。それが、一気に挽回してしまう。で、すぐ、その大石を撤去しないといけない』と、例の敵が考えたとしても、それはありえる発想だ。
 ・・・・と考えました。

 今、私はご近所住まいの市井の人を話題にしていますが、その後ろには例の敵が隠れていて、彼らの行動はすべて、それらによって采配を受けているからです。

 その敵は、我が家の電話を常に盗聴していますから、早朝に、主人が市に電話をしたときでも、それが、主人の声であっても、彼らなりに、適切な(笑)判断を下し、『すぐさま撤去せよ』となったのでしょう。

 しかし、本日(5月3日のこと)はゴールデンウィークさなかです。鎌倉市の職員も、消防署は、ともかく、これらの落石処理班が、人手が、足りなかった可能性はあります。

 で、最初の大石ですが、それを、大きな板でも利用して、軽トラック(それしか、侵入できない細い道である)の荷台に、上げたとしても、重くて上がらなかった可能性はあります。

 すると、二枚目の写真、(この上に別記事としておいてある)のように、つるはしで割って処理をしたと推察もされます。もし職員が、消防の応援を入れても、四人しか来ていなかったら、みんなが、「疲れちゃったなあ。後は明日やろうね」となっても不思議はないです。
 
 で、私たち夫婦が、早朝に不思議がった、どうして、三つの中型の石は残していったのだろうねと、言う質問への、答えがここで出たことになります。

 それで、敵様たちは、もう安心だと思ったのに、私が、小さい石(彼らが大丈夫だと思って残した、小さ目の石の事。ただ、比較の問題でそういっているわけで、一般的に言えば、中というか、大きい石)の写真を使って、ブログを書き始めました。すると、『そのサイズでも、人々の興味を引く』と、敵方は考えたのでしょう。

 それで、大急ぎで、市役所を動かして、残った石を撤去する様に命令したのだと思われます。それが、上の一番目の方の写真です。

 しかし、神様がいらっしゃり、私に常にお見方をしてくださるというのは、どうしてか、私の直感が働いて、私が、新しい写真を撮りに行って、市の職員の作業を目撃したというわけです。そして、上の様な考察ができる新しい情報が手に入ったというわけです。
 この二枚の写真の間には、ほぼ、5時間の差があります。その時間差から考えても、私が、ここに、書いた事は、十分に真実味が出てきます。そこまで、敵が、気にしてくれている事は、今書いていることがどれほど、重要で、真実であるかを明かしています。

 このように、ありとあらゆる手段を通じて、私がブレイクしないように、ブレイクしないように、計られて下さっている(笑)わけです。

 一方で、敵様たちにとって、都合がよい人、たとえば、山本容子さんなど、NHKを上げて支援をしてくれるというわけで、どんどん有名になります。

 私は別に彼女をライバル視など、していないのですが、
 2010年3月の個展の予定が、後ろへずらされて、新しい日程の時期と、同時に、山本容子さんの個展が開かれ、

 普段なら來てくれるはずの、画廊のオーナーが軒並みいらっしゃらなかったので、山本容子が、ライバルとして用いられたのがわかったわけです。

 特にその週に、井上ひさしが死んでいますね。
 私は、彼は、実際には死んでいないと見ています。

 こういう『山本容子の個展をぶつけてきたことの裏側に、あなたたちの悪巧みがある事を知っていますよ』と、言う、サインのひとつとして、鎌倉春秋社に、「個展を見に来てくださいね」と、言う連絡を入れたら、突然に、次の日の夜に、井上ひさしが、死んだことになったのです。
 『なるほどねえ。それが、確定的な傍証になりましたね。私をいじめたり、妨害を加えたりするアイデアの発想者が、井上ひさしであることが』と、わかったわけです。
 彼は、相当に、私を馬鹿にしていて、自分が後ろに居ることなど、絶対にばれていないと考えていたのでしょう。
 つまり、伊藤玄二郎の後ろに居て、かれが、石川和子さんと、元愛人であったという事実を隠したいと願うのに、同調して、私を抹殺すべきアイデアを、次から次へと出しているというわけです。

 どこの墓地に埋葬されたかも、発表をされていませんし、私は、死、そのものが偽装だと、いまだに思っていますが。
 鎌倉春秋社社長の、伊藤玄二郎氏は、山本容子さんが、そのときに個展をした、ガレリアグラフィカの、栗田玲子さんとは、とても親しいのです。
 それが、私にわかったのも、天のお助けというものでしょう。

 ある日、夜の10時半に、鎌倉駅の女性用トイレで、私が栗田玲子さんと鉢合わせしたのです。そのときに、それ以前に、7時半ごろから銀座の有名店で食事を一緒にして、いろいろ話をしたのだが、用件が終わらなかったので、鎌倉で続きを話そうとして、降りたのだと想像しました。無論話題は私のことでしょう。

 私を『銀座でいかにいじめるか、それについて、どうか、これから、いろいろ、ご協力をください」という話のはずです。このようにして、柴田悦子さんも、彼女と親しいらしい、瓜南直子さんも、私が、こちらからは直接は何もしていないのに、すさまじい程度でいじめてきます。(笑)

 栗田さんに戻ります。トイレで、私と出会った後で、その後、一緒に鎌倉の夜の街へ出て行くほどに、親しいのですよ。
 無論、色事のためではなくて、こういう件の打ち合わせのためでしょうが、
 葉山在住の奥様である栗田さんを、夜の10時半に、鎌倉に途中下車させるのは、非常におかしいというか、礼儀知らず、礼儀失脚の話です。
 が、それほど、伊藤玄二郎はあせっていて、栗田さんを利用するべく、説得をしたかったのでしょう。
 ここから先は、スバラしいお話へ入って行きますが、すでに書いていますね。ですから、ここでは省きます。

 栗田玲子、山本容子、酒井忠康、渡辺幸子、大原光孝、等の人材も、それについて詳しい事を書かれては、伊藤玄二郎は、辛いと、思わざるを得ない人材だと思いますが、今、私がブログで書いているご近所様の面々も、・・・「それについて描かれたら大変だ。迷惑をかけたことになる。辛いなあ」・・・と彼が思う人材だとも思います。鎌倉の住人ですからね。特に稲葉広志氏等は、鎌倉で商売をしている人間ですから、あっちこっちで、つながっていますし。なら、ばかばかしい教唆をするのを止めればいいのにと思うのに、いつも、すぐやるのです。ばかばかしいし、幼稚だとも、私が思う諜略行為を。

****
 と、書いて、次に、

 二枚目の人間が映って居る方の写真を、最初の写真より、グーブログのスパコンには、一時間四十分後にアップしました。大型スパコンへの、乗せた差はありますが、世間一般の人への、公開の差は、ないです。両方とも公開したのは同時です。ですから、
 下の写真をアップして、その後、驚いて、もう一回市職員が来て、残りの石を撤去した、時間の間は、ハッキングという形で、私の文章を読めば、一時間半ほどあったわけです。その間に、「氏の職員へ叱責して、再度、市の職員がここへ来る事は、十分に可能です。敵様が、私のパソコンをハッキングをしているのなら、そうなります。石を撤去するのには、間が、五時間ほど空いていますが、私がいつも問題にするのは、敵様の動向と意思が現れる部分のミステリーです。
 
 で、一般の読者への、公開は二つの文章が、同時ですから、
 私のパソコンがハッキングを受けているのは、そこからも証明ができますね。『おや、おや』というほど、敵の悪の分析には、役立つ、収穫の大きい日でした。
 そういう点(ほとんど、傍証として、パソコン内ハッキングがわかったという点)も、私が常に、神様に見守られていると、申し上げる根拠となっております。

~~~~~~~~~~~~~
      2012年5月3日、雨宮舜 (本名、川崎千恵子)
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大石落下、-2、・・・・・残りの石を片付けている、鎌倉市の職員

2012-05-03 11:56:57 | Weblog


 写真の説明をさせてください。これは、2012年5月3日の早朝、我が家の山道で落石があったときの写真です。落石は、道路には、4つ落ちていました。幅高さともに、1.5メートル以上の大きなモノがひとつあって、人はやっと通れるが自転車や車は無理だと言う形でした。
 詳しい事情は下の文章をご覧くださいませ。

 と書いて、このあとの方の、写真を、最初の写真より、グーブログのスパコンには、一時間四十分後にアップしました。公開の差は、ないです。両方とも公開したのは同時です。ですから、
 下の写真をアップして、その後、驚いて、もう一回市職員が来て、残りの石を撤去した、時間の間は、一時間半ほどあったわけです。敵様がハッキングをしているのなら、そうなります。
 で、一般の読者への、公開は二つの文章が、同時ですから、

 私のパソコンがハッキングを受けているのは、そこからも証明ができますね。『おや、おや』というほど、敵の悪の分析には、役立つ、収穫の大きい日でした。
 そういう点も、私が常に、神様に見守られていると、申し上げる根拠となっております。
  2012年5月3日、雨宮舜 (本名、川崎千恵子)
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鎌倉の大雨で、大石が、落ちて來たが・・・・・1

2012-05-03 10:12:47 | Weblog


 まず、今日の写真の説明をさせてくださいませ。暗いですが、これは、雨が降っているからです。本日は早朝に大騒ぎが、あったのです。それは、幅も高さも、1.5メートルを越す大石が、落下して、道をふさいだのです。
 写真は、それを取り除いた後のもので、右に二つの小石(しかし、一般的な尺度から言えば、大石)が見えますね。

 この石は朝の五時半ごろ主人が見つけて、鎌倉市に電話をかけて、市が、朝の7時までに撤去してくれた後なのです。午前7時半の写真です。あとで、人が映っておらず、画面がもっと明るいものと変更します。
 私は、朝の六時半には起きていたのですが、ちょっと寝床で、モノを考えていました。ちょうど、服を着替えたときに、消防署の人が撤去しましたと、知らせてくれたのです。で、さらに、その30分後に撮った写真ですが、右側に、二つの石は残っています。
 早寝、早起き方の主人は今朝大活躍をしたというわけです。私も最近で葉、できるだけ、普通の人のスケデュールへ、又10年前と同じく、時間をあわせるようにしていますので、消防署が、お知らせを下さったときには、起きていて、朝食をとった後で、写真を撮影しに行ったのです。
 ブログを持ってはいるものの、あまり熱心に更新したり手入れをしていない主人には、この珍しい写真を撮っておくという発想はなかったみたいで、道をふさいでいる大石の実情は残念ながら、皆様には、お見せできません。

 主人と二人で、いろいろこの件について話し合いました。まず、「非常に処理が早いね」ということと、「でも、小さいほうの石をどうしておいて行ったのだろう」ということの二つ。

 それについて、私は何も言いませんでしたが、心の中で推察するところはありました。

 さて、この文章は大きな流れの中の一環として書きますので、章の番号を振りたいと思います。

副題187、『自然現象だが、自己宣伝に役立つと、敵は見るのかな?』

 私は、常に、神様に助けられていると申し上げております。
それを今から語りましょう。
 この文章は、下に時間が出ておりますように、2012年の5月3日の10時12分47秒に上げております。そして、そのときに、写真を公開したのですが、と、同時にこのパソコン(XP)が、ハッキングを受けているときに固有の音が、シャーっとなり始めました。
 で、その意味を考えたのです。『あ、そうか、敵はこの写真を公開してほしくないのだ。ともかく、こういう自然現象であっても、私の文章が、力を持つ事は避けたいのだ。絶対に避けたいのだ。

 出、朝早く、大石の方は取り除いたのだ。なるほど、私は見ていない。が、主人とこの山の副会長はその実際を見ているはずだ。あたりを払う大石で、すぐニュースになってもいいものだ。NHKニュースが、長谷の方で、落石があったと、きちんとニュースにしていたが、それに比べてもはるかに大事である。映像を取りに来てしかるべきだ。だが、映像を撮りにくるはずがない。

 というのも、私の地元の道が取材をされたら、私は当然に、ブログへ書くだろう。そうすると、又、当然のごとく、人々の興味を引く。

 現在、物語は、あまりにもディープなところへ入っており、かつ、一般社会にはまだ、有名ではない人の、固有名詞が続々と出てくる。結構、読みにくくなっている。それが、一気に挽回してしまう。で、すぐ、その多い死を撤去しないといけない』と、例の敵が考えたとしても、それはありえる発想です。
今、私はご近所住まいの市井の人を話題にしていますが、その後ろには例の敵が隠れていて、彼らの行動はすべて、それらによって采配を受けているからです。

 その敵は、我が家の電話を常に盗聴していますから、早朝に、それが、主人の声であっても、彼らなりに、適切な(笑)判断を下し、すぐさま撤去せよとなったのでしょう。
 しかし、本日はゴールデンウィークさなかです。鎌倉市の職員も、消防署は、ともかく、これらの落石処理班が、人手が、足りなかった可能性はあります。で、最初の大石ですが、それを、大きな板でも利用して、軽トラック(それしか、侵入できない細い道である)の荷台に、上げたとしても、重くて上がらなかった可能性はあります。

 すると、二枚目の写真、(この上に別記事としておいてある)のように、つるはしで割って処理をしたと推察もされます。もし職員が、消防の応援を入れても、四人しか来ていなかったら、みんなが、「疲れちゃったなあ。後は明日やろうね」となっても不思議はないです。
 で、私たち夫婦が、早朝に不思議がった、どうして、三つの中型の石は残していったのだろうねと、言う質問への、答えがここで出たことになります。

 それで、敵様たちは、もう安心だと思ったのに、私が、小さい石の写真を使って、ブログを描き始めました。すると、それでも、人々の興味を引くと、敵方は考えたのでしょう。それで、大急ぎで、市役所を動かして、残った石を撤去する様に命令したのだと思われます。それが、上の写真です。

 しかし、神様がいらっしゃり、私に常に緒見方をしてくださるというのは、どうしてか直感が働いて、新しい写真を撮りに行って、上の写真が手に入ったというわけです。
 この二枚の写真の間には、ほぼ、5時間の差があります。その時間差から考えても、私が、ここに、書いた事は、十分に真実味が出てきます。そこまで、敵が、気にしてくれている事は、今書いていることがどれほど、重要で、真実であるかを明かしています。

 このように、ありとあらゆる手段を通じて、私がブレイクしないように、ブレイクしないように、計られているわけです。一方で、都合がよい人、たとえば、山本容子さんなど、NHKを上げて支援をしてくれるというわけで、どんどん有名になります。私は別に彼女をライバル視など、していないのですが、
 2010年3月の個展の予定が、後ろへずらされて、そのときに同時に、山本容子さんの個展が開かれ、

 普段なら着てくれるはずの、画廊のオーナーが軒並みいらっしゃらなかったし、その裏側に、あなたたちの悪巧みがある事を知っていますよと、言う、サインのひとつとして、鎌倉春秋社に、「個展を見に来てくださいね」と、言う連絡を入れたら、突然に、次の日の夜に、井上ひさしが、死んだことになったのです。どこの墓地に埋葬されたかも、発表をされていませんし、私は、死、そのものが偽装だと、いまだに思っていますが。
 鎌倉春秋社社長の、伊藤玄二郎氏は、山本容子さんが、そのときに個展をした、ガレリアグラフィカの、栗田玲子さんとは、夜の10時半に、一緒に鎌倉の夜の街へ出て行くほどに、親しいのですよ。
 無論、色事のためではなくて、こういう件の打ち合わせのためでしょうが、
 葉山在住の奥様である栗田さんを、夜の10時半に、鎌倉に途中下車させるのは、非常におかしいというか、礼儀知らず、礼儀失脚の話です。
 が、それほど、彼はあせって、栗田さんを説得したかったのでしょう。

 栗田玲子、山本容子、酒井忠康、渡辺幸子、大原光孝、等の人材も、それについて詳しい事を書かれては、伊藤玄二郎は、辛いと、思わざるを得ない人材だと思いますが、今、私がブログで書いているご近所様の面々も、それについて描かれたら大変だという人材だとも思います。鎌倉の住人ですからね。あっちこっちで、つながっていますし。
 では、2012年5月3日  雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)
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藤本夫人の、違法な境界石が、正当化される?

2012-05-02 10:11:27 | Weblog


副題181、『本日の写真の説明』
副題182、『版画家同士の競争関係』
副題183、『あの人は軽いのだ。許しておやりと言う息子』
副題184、『人の離婚は、蜜の味? それが、子供の世代でも』
副題185、『主人の松坂への単身赴任も、瀬島龍三の罠だったかな?』

副題187、『藤本家の違法な地境石を、正当化する試みが、2009年5月2日に起きたが』

~~~~~~~~~~~~~

副題181、『本日の写真の説明』

 最初に写真の説明をさせていただきます。これは、我が家の北側の道です。いままで、この山の中の道の写真を何葉も上げてきましたが、ここほど、コンクリートの幅が広く見えるところはなかったと思います。
 それが、我が家が犠牲になって、花畑を伐採してコンクリートうちをしたからです。今右側(旧藤本家側)にも花畑がないですが、それは、本日書いている日のさらに後で、さらに、証拠隠滅が図られたからです。それは後日話します。私が、ブログで『花が犠牲になった』とよく言うものだから、藤本家が、すべての木を伐採したからです。しかし、そこには、直径が、30センチ近い巨木さえ、植わっていたのですよ。そして、藤本夫人と、我が家との利得の差は20年以上に及ぶのです。それは、詳細を、後別の日に、語ります。

 が、この写真だけでも、重要な事はいろいろ説明することができます。まず、道の左側によって、コンクリートが幅70センチぐらい見えます。そこは、我が家の花畑があった場所で、手すりを入れると保母、幅一メートルになります。渡辺家など、そこを堂々と花畑にして使っていますが、我が家はこの20年間それを、使うことができません。

 そこから、真ん中の方へ向かうと、幅20センチぐらい草が生えているところがあります。その20センチの草の右側が、藤本夫人が、自分の私宅の塀を造ると主張したところです。そして、業者に頼む前に、自分で準備をするつもりで、電動丸のこぎりを道路に持ち出し、ぐわーんと、大音響を立てて、切っていた部分です。もし、彼女がそこに実際の塀を作ると、ここから上の人は、はば、15センチ未満の道を通らないといけなくなるので、私が花畑を犠牲にしてほしいと頼まれたのでした。
 それは、目視だけでも道のほぼ、三分の二を占めています。どれほど、強欲な主張を藤本夫人が、主張をされたかがわかります。それを、中谷氏は私に説明して、角の鋭角化も見ていたし、道路を、自分が切り裂くという異常な行動にも驚いた私が、中谷さんに、「私サイドが、犠牲になりましょう」と最初は、案を通したのです。
 
 そして、その草が、東の突端で、終わる部分に、藤本夫人は勝手な地境石を、私の直前の住人堀内大衆さんが引っ越して行った後で、勝手に入れてしまいました。それは、見るからに、偏っています。彼女がわが、三分の二をとって、私側に、三分の一しか残していません。それを、中谷氏は裏切りの、極地として、肯定したのです。

 後で、それらの写真もどこかで公開します。また、左側にこげ茶色に塗られた鉄のフェンス(手すり)が見えます。それがあるために、我が家のがけの草取りができず、この20年間に、こでまりなどの喬木も映えてしまい、がけが湾曲するほどの影響が出ています。コンクリート内であり、しかも斜めなので、はしごさえ立てられませんしね。

 ところで、ここが、20センチ幅だけでも、草が生えているのは、長年の間に、その切れ目が割れてきたからです。特にひどいのは大原家と、白井・小野寺家は、基礎の部分の生コンをパイプで通しています。それがとても思いのです。それで、道が割れてしまいました。
 お隣だからきちんと見ていますが、白井家など、相当にあつく、しかも布基礎の形式でしたので、多量の生コンをパイプで、通したのです。で、藤本夫人が切ったコンクリートが、小さく割れて來ていて、草も生えるというわけです。白井・小野寺家と、大原家は、徹底的に、やらずぶったくり精神の人ですね。

 しかもなんと白井・小野寺夫妻は、藤本夫人の2009年5月の測量のときに、まるで、犬みたいに、忠実に、藤本夫人のお助けをなさっておられました。藤本夫人一家が、植木をニ、三本、新居にもって行きたいと思っていて、それを掘っていたら、女手だけで、気の毒だからということで、労力を提供なさっておられましたね。それって私側への、鋭い敵意を明かすということなのですが、その解釈はできなかったのだろうか?
 それとも、生コンのパイプを通すことができるのは、我が家の犠牲があったからだからだということは、すっかり、お忘れなのだろうか? それとも、一切を聞いていないということなのだろうか?

 ともかく、その日の明快な敵対行為を入れると、すでに、三回大きな敵意を示されています。
 そして、あえて付け加えますと、これは、心理的に言えば、又、道徳的に言えば、違法中の違法の測量なのに、それに、加担をなさったのですよね。ご自分の職業が建築家ですのに。恐ろしい矛盾ですね。
 世の中の、匙加減が、少しでも違う方向に傾いていたら、五字分がアネハさんになっていたかもしれないのに。
 しかも、稲葉広志と言う施工業者(鎌倉アーキクラフト)も、建築中から無礼の限りを尽くしました。

 本当にこの山って、悪意に満ち満ちています。だから、私も大変ですが、それだけに、神様のお助けも大きいのですよ。すばらしい形でご援助をいただいています。が、それが、どこに現れているかは言いません。、
 で、写真の説明から、離れて、本文へ入ります。

~~~~~~~~~~~

副題182、『版画家同士の競争関係』

 昨日言い残したことがあります。大原氏がもっとも、食えない人物であり、それが、やっとわかった。養子縁組をした人だったからだ。養子と養い親の間には、真実が通わないときがある。それが、人間形成において、何かの欠点をもたらし、それが、本人が社会へ出て行くときの弱みになる可能性があって、それゆえに、『負けた』と感じるケースもあろう。だから、かえって、他者を憎み、敵意を抱くケースがある。

 大原さんは、あまりにも他者の悪口を言いすぎる。それが、上の現象の現れであろう・・・・・と、感じるのですが、最も驚くのは平山郁夫さんと、山本容子さんへの批判です。私はね。山本容子さんは、現在、伊藤玄二郎氏と、栗田玲子女史との、深い結びつきもあって、NHKに極端に優遇されており、それには、違和感を持っています。
 しかも、2010年の3月に予定をされていた私の個展が、急に四月へ変更をされ、同じ時期に、山本容子の個展が、ガレリアグラフィカで行われて、普段見に来てくれている画廊のオーナーが軒並み、来なかったことが、相当の策略の結果だろうと、感じては居ます。
 が、その政治的部分への嫌悪感はあるが、版画家として、自分を山本容子と比較した事はありません。現れている形象とか、図柄とかが、まったく違うし、色の使い方もまったく違うので、別の分野の作品見たいな、モノだから比べること自体が無駄なのです。
 
 だが、大原氏の口から、たびたび、山本容子の悪口が出てきて、それが、オリジナリティの問題に関連していると、『う、これは、柄沢斉氏の受け売りではなかろうか?』と、感じることが多いのです。上の設定では、私がライバル設定をされたわけですが、実際は、柄沢氏こそ、ライバル意識を持っていて、大原氏と二人っきりで居るときにあれこれ、うわさが出る。これってありだと、推察しています。

 柄沢斉氏は、テレビタレントではありません。が、文章も書けるマルチタレントの一人であって、日経新聞を中心にマスコミ受けのよい作家(特に版画家)です。これを、言いたいのは、「偉い人の内側って、下世話な会話が多いのだ。意外にも」ということなのです。

 という事は、大原氏は平山郁夫さんの悪口も大いに言います。実際には奥さんが、描いているなどとも言います。確かに同じ芸大出身の奥さんが、小さなもの(たとえば八幡宮への献呈の雪洞)などを、描いて折られるケースはあるでしょう。が、そういう話題も、私は、平山さんと同じ二階堂に住んでいる酒井忠康氏からの、柄沢斉氏経由の受け売りの話だろうと推察しています。

副題183、『あの人は軽いのだ。許しておやりと言う息子』

 私がこういう風に内部をばらすのは、大原氏には、相当にひどい迷惑行為を浴びていて、たとえば、スプーンがあっちこっち移動をさせられていたり、額が、すべて左側だけが下がっていたりするのは、すべて、彼のアイデアによる、泥棒の脅迫であろうと思っているわけです。

 これはね、相当にごたごたしてから、個展をかねた我が家のオープンハウスに彼が来てくれて、『あれ、一種の和解のしるしとして来てくれたのかしら?』と喜んだのですが、その日以来、非常に神経に障る形で、銀の匙セット、と、額が、外出するたびに、いじられる様になったからです。

 又、この銀の匙セットはデザインが非常に目新しいのと、光り輝き方が普通ではないのです。クロームめっきといって、ぴかぴか度が普通の銀よりも高いのです。その後、クロームめっきは禁止されたそうで、何でも、私の文章の中の物件を、証拠としては、消していこうとする、国際的軍産共同体のエージェントたちの悪意は感じますので、この銀の匙をいじるいたずらは、彼らの悪意の表出でしょう。

 その様に人を脅迫するアイデアを提供したのではないかと、大原さんを疑うのは、彼が、私の息子や夫を捕まえて、なかなかの長話をすることに懸念と疑念を感じているからです。
 食えない人物だと感じているのも、ここに原因があります。

 彼は、夫や子供たちが、私の事をどう考えているか。どの程度、緊密な関係を持っているかを探りたいのでしょう。カマをかけてくるという態度です。

 これが、決して思い過ごしではないのは、この山で、アジサイ畑欺網事件の証拠をつぶすための工作が、何度にもわたって行われたのですが、夫をそちらわ側が、自陣に巻き込み、利用する事も何度も行われたからです。その詳細は後で語りますが、ともかく、意図と策略をもって、夫や子供たちに近づいている可能性のある人物です。
 で、それを私は夫や、子供からの話で知ることとなります。「今日、大原さんと、話したよ」と、彼らが報告をしてくれるからです。

 一方の私の方は、ここにすごい内幕話を連続して書いていますが、すべて、公的な世界での、見聞を元にしています。御成中学のPTAの日の見聞。又、この山での、聞こえてきてしまう井戸端会議の会話の内容。それから道で出会ったときの様子・・・・こういうもので、すべてがわかるだけであって、特別な事はいたしておりません。無論盗聴など、一切しておりません。
 だが、結婚をして家を出ている息子など、いつ来るかは、電話を盗聴していればわかるわけですね。それに、この四月の、第二週辺り、何度も大原さんとすれ違うこととなったのも、日没の関係から考えると変なのです。

 彼は、スケッチをするために、自転車に乗って、鎌倉市内を、遊泳して歩くのですが、日没前までに帰宅するのが普通なのに、まだ、寒さの残る四月はじめに、真っ暗になってから石段を上がってきます。しかも、私の外出のたびにすれ違います。これは、変です。
 意図的に、すれ違わせて、『彼について、悪口を描いている決まり悪さを、自覚させてやろう』と言う魂胆ではないかと感じるのです。
 ですから、息子がやってくるときに、山の下で、鉢合わせをするように設定しておく事は可能ですね。

 で、内心で、ひどく嫌がりながらでも、軽いジャブとして、「大原さんは、複雑な人だから、話題には気をつけなさいね」と、息子に言うと、「お母さん。あの人は軽いだけの人なんだよ。いろいろあるんだろうけれど、許しておやりよ」というのです。まあ、主人との会話もだいたいそういうレベルで、終始します。

副題184、『人の離婚は、蜜の味? それが、子供の世代でも』

 しかし、それほど、単純な人ではないと、私は見ています。ただ、見かけ上は大変上品です。が、そんな外見の、裏側の底部というか、深部に、ひどい敵意が、隠されていると、感じているのです。誰に対してもの。
 上のように、有名人に対する悪口を聞かされるのは、それが、源発の人が居て、その受け売りだからと、許せるものの、ご近所様について、しれっとして、重要な弱点がその口から出てくると、そりゃあ、ドキッとしますよ。

 そのひとつが、安野家のお嬢様の離婚の話です。昔、週刊文春に上杉隆が、田中真紀子さんのお嬢様の離婚を記事に書いていて、私は大憤慨をしたものですが、他人の子供世代の、弱点を、しかも、私に明かしてはダメです。だって、今回白井家に、何かの教唆を与えた人は安野夫人である可能性は強くて、私はことごとくのてんで、安野夫人にいじめられていますから、どんなポイントに触れるにしても、普通なら、それを聞くのを嫌がるはずで、それを、察知して、触れない方がいい話題の対象なのです。
 それが、人間としての基本的な思いやりです。

 まあ、この件は、お嬢様は、すでに、別の人と結婚をしていて、お子様が二人もできていますから、時効の話のひとつなのでしょう。が、そうはいっても、なお、許しがたい、大原家の道徳的な、ゆるさです。換言すれば、節操のなさです。これは、奥様から聞いた言葉なのですが、『う、ご家庭内の話題が、すべて、この手の話かな?』と、疑わせてしまうところがいっぱいあるエピソードでした。
 この様に、日常茶飯事の中で、人への思いやりが、普通の人なら出る場合に、出ない人なのです。それは、不思議で、不思議で、ならなかったことなのですが、ご養子育ちだと聞いて、やっと、少しは納得がいった次第です。

 養子縁組をする事はかまわないのですが、育て方が難しいです。本当の人間として育て上げるのは、本当に難しい事です。やはり、実の親のところで、育つ様に計らって、養父母は、老人ホームなどの施設に入る覚悟はして、その上で、お見舞いに来てくれるという優しさだけを期待した方がいいのではないかと思います。
 大原家では、養い親と、取り子、取り嫁が三人、超がつくほど、仲良く暮らしていますが、それが返って、大きな負担と、虚偽を家庭内で、生んでいる可能性を感じるのです。だから、その裏返しとして、敵意が他人に向けられるのではないかしら。
 近所住まいの、人間が、そこまで言うのは、言い過ぎかもしれませんが、近所に暮らしていると、普通に暮らしているだけで、そこまでが、わかってしまうものなのですよ。
 それでも、お互いに、敵意を示さないと、何も不満も不審も起こらないのですが、大原さんからは何度も、相当に深い敵意を示されていますから、やはり、私の方で、堪忍袋の緒が切れると言う状態には、なり、この様に文章を書くという結果になります。

 なお、私の方は、ここでは、起きた事を記述しているだけなのです。ですから、「起こさないでくださいね。何も」、といっておきたい事です。

 この四月から、渡辺さんの態度が急変しています。白井・小野寺夫妻と呼応する様にね。それは、白井さんは、安野家からの教唆であった可能性を感じますが、渡辺家は、大原さんからの教唆ではありませんでしたか?
 そのくらいのことは軽く、想像が付きます。

副題185、『主人の松坂への単身赴任も、瀬島龍三の罠だったかな?』

 アジサイ畑欺もう事件というのは、話せば離すほど、恐ろしいことだったなあ。鎌倉のインテリが、こういうことをするのですよ。信じられます?」というような案件なのですが、それが無理にも強行をされてしまったのは、当時は、18坪しかない古屋に、私と中学生の子供二人だけが住んでいたからです。見かけ上とても弱く見えたでしょう。

 一方、敵対する主婦軍団の家庭では、すべて、夫婦同居であり、また、生徒を持っている家庭も多かったですね。前田家は、ご主人側の大学、別の大学に奉職している奥様方の大学に、教えている学生がいました。そして、石川和子さんは、大げさでしょうが、200人からの生徒がいるといっていましたね。それらが、がっちりと組んでいるのです。
 が、何度も言っているように、彼女たちの迷惑行為が、
 私の北隣の、住人・藤本悌子夫人を、怒らせて、彼女の敷地から、二メートル出っ張ったところに、自分の塀を作ると言い出したから、それでは、道路が利用できなくなりますから、私が犠牲になって、自分の私道部分を、コンクリートうちをして、よいと、言った話ですから、
 私は大感謝をされて、道であったときも、みんなから、平身低頭をされるのは当たり前で、いじめられるなどという事は言語道断なのですよ。

 だけど、実際にはひどいことが行われ続けているのは、『のどもと過ぎればあつさ忘れる」で、恐ろしい悪女たちが、マナーを改めないので、次から次へと、争いのタネがおきるからです。
 たとえば、前田清子夫人の、声が、いわゆる矯声という類で、非常に耳障りなのに、どういう風に文章を書いても、反省していないのです。それは、長島さんという早稲田卒の紳士の口から、こちらが、それを話題にしていないときに、「前田さんのは、地声だから無理もないしね」と、言う言葉が出たときに、わかりました。改める気持ちがないということが。

 で、中谷さんがひどい裏切りをした当夜、この山のすべての家庭を回ったら、誰も知らない話だったので、中谷さんと、前の会長の古沢さんの二人の独断で、これが、行われたことがわかりました。特に山を削って、藤本さんの主張する地境を、肯定した事は、ひどい裏切りなのです。ですから、

 たった、二人で決めたことで、他人の土地を奪ったことになり、これは、法治国家には、背く重大事です。後に古沢さんは、ひどく反省してくれました。

副題186、『藤本家の違法な地境石を、正当化する試みが、2009年5月2日に起きたが』

 上の写真の説明のところで、述べている違法な石を、正当なものとする試みが、2009年の5月2日に起こりました。

 それも、怒り怒りの、発露を誘う出来事ですが、
 大切な事は、

 この山で、前田氏などの悪弊も我慢をしてあげて、大原氏のいじめも我慢をしてあげて、家を建て直させてあげて、と、ありと、あらゆる犠牲を強いられたのは、藤本夫人が、あたまがおかしいと、中谷氏が私に告げたからでした。
 私は彼女は単に追い詰められると、必死になるタイプであり、追い詰めた主婦たちの方が悪いと思っていて、
 できるだけ、優しくしてあげていました。差別も一切しないでね。

 ところが、時々、こちらがとんでもない形で、損をするので、今の白井家の前の住人で、西隣に住む遠藤さんには、いろいろ説明をしておこうと思ったのですが、無理だったので、それ以来、誰にも説明をしないでおいてあります。
 そして、藤本夫人はいたわる様に気をつけておきました。

 ところが、その藤本夫人自身が私につげていわく、「最近では、安野さんと仲良くしています」ですって。驚きました。晴天の霹靂とはこの事です。

 私の犠牲はすべて、安野夫人の井戸端会議から起きています。それが、初発なのに、石川和子さんが、警官を呼んで、猫のことで大騒ぎを起こして、私が、とうとう、こういう件を口外し始めたトタンに、安野夫人は、藤本夫人を自陣に取り込むべく工作を始めたのです。

 調度、私が海外武者修行に励んでいて、大原さんが、「川崎さんは、離婚をしたかと思いましたよ。それは、山中の人が知っていますよ」と、あざ笑ったころでしょう。

 そして、お育ちのいい、藤本夫人は、すでに、ころっと言うほど、安野夫人に丸め込まれていて、私が彼女の犠牲になった苦しみなど、すっかり忘れているのでした。うーん。何をか、いわんやですが・・・・・
 氏かもその日はさらに恐ろしいことに、夫が敵側に取り込まれていたのです。この件が始まって、二度目のことで、しかも一度目よりさらに悪辣な形で、夫が向こう側に取り込まれていたのでした。

 そういう風に夫に話しかけやすくするために、夫は今、町内会の環境何とか、役員です。笑っちゃいますが・・・・・前田氏が、話しかけやすくするためなのでしょう。さあて、私としてはどうするかです。
 この、項は、別立ての文章へと内容的には、続きます。というのは相当に長くなるので、別立てで、描きたいです。では、
  2012年5月2日、  雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)
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異常な音の分析から、前田祝一・清子夫妻と、大原光孝氏の、本性が、わかってくる

2012-05-01 10:38:07 | Weblog


 まず、最初に説明をさせてくださいませ。上の場所は我が家の存在する山のトップレベルの場所で、すでに、石段はなくなっています。真ん中の細い道は、幅30センチの敷石です。そして、正面は当時は無住(今も別荘扱い)、右側は無住、左側は、南斜面のがけで、道を挟んで、次の家までの高低差は、一階までは、8メートル近く、手前の家は、高低差、同じく、7メートルです。
 ここを、ウィークディの昼間通行する予定の人は一人しかいません。
 本日は、ここが舞台となってお話が展開します。、

ところで、火曜日の午後五時に一応の完成といたしましたが、なお、共産党がどうしていけないのかノ論議と、養子と養い親の間に何の問題が起きるかの論議が、まだ、なされていません。それは、後で、付け足します。

副題171、『我が家の猫は、テリトリーを失っている』
副題172、『あまりにも、かわいそうなので、散歩に連れ出す』
副題173、『前田夫人が雨戸をがたがたさせて、猫を脅かし、
      ご主人にたしなめられる』
副題174、『前田祝一氏の、真の恐ろしさと、さまざまな後日談』
副題175、『共産党を挙げて、助けてもらっている前田一家』
副題176、『警察の<生活安全課>にも、支援される前田家』
副題177、『大原家でも、サッシをピシャーッと音高く、開け閉めした』
副題178、『大原氏のせいで、第二のパンドラの箱があくぞ』
副題179、『大原氏のせいで、第三のパンドラの箱をも開けてしまうことになるので、大いに大変だ』
副題179、『最も、ぬえ的な要素の、多い、大原氏』
副題180、『だから、意味を持ってくる、白井・小野寺夫妻の玄関戸開閉の、異常音』
~~~~~~~~~~~~~~
副題171、『我が家の猫は、テリトリーを失っている』

 我が家の猫は、石川和子と、柳沢昇という夫婦2人のあまりにも、ディープな、わがままのために、外へ自由に出せなくなりました。ここまでになるまで、息子が説得に行ったり、私が、お手紙を書いたりしましたが、まったく反省がないのです。どこまで増長マンで、自己だけ中心の権利の肥大した、精神の持ち主か、計り知れない連中で、彼女が死ぬまで、いやな思いをさせられ続けました。今は夫の柳沢昇と、伊藤玄二郎の二人に、苦しめられているところです。
 伊藤玄二郎は、鎌倉春秋社社長ですが、石川和子と、愛人だった時期があるそうで、今、NHK,朝日新聞、それから、国会、文学界、美術界へ、総動員的に手を伸ばして、私を苦しめているところです。
 JRの遅延現象が多発しているのも、この二人の、大わがままが、警官を巻き込んだ、とんでもない形に発展したことの、秘匿とか、修正のために行われていると感じます。

 でね。猫好きの我が家としては切ない事、限りがないのですが、ネコを、自由に行動させないことにしました。家の中では、自由自在に動けますが、外は、庭に出したときでさえ、人間がついていて、絶対に監視していることに下のです。というのも山の中に住んでいますので、どれだけ、木戸や塀で囲んでも、どこかに隙があるわけです。ですから、ネコが、外へ出たがれば、私が必ず、ついているという形になっています。
 ところが、猫というのはテリトリーがありますので、
 安野夫人という、石川和子と大の仲良しで、これまた、威張りかえっている主婦の飼い猫が、我が家をテリトリーとして支配しきっていて、縦横無尽に庭を横切ります。
 猫は神経がとても鋭いので、そのたびに我が家の猫は目を覚まし、猫ベッドからむっくりと起き上がり、二階の出窓から、眼下を見下ろして、緊張感で、毛を逆立てます。

 アジサイ畑という花畑が我が家だけ使用形態上、盗まれてしまっていて、使えないのです。それも、見るたびに、24時間神経をさかなでさせられるのですが、今度は、室内に居ても、猫の気配で、異常なほどに高い迷惑を、掛けられている事を自覚します。そしてそれが、この山の安野、石川和子、前田清子などの、意地悪主婦軍団に、し掛けられた事を思い出させられるわけです。

副題172、『あまりにも、かわいそうなので、散歩に連れ出す』

 この『テリトリーを回復させてやる』という事は、すでに、不可能なのです。毎日、我が家の庭を、我が物顔で、歩き回る安野家の猫は、24時間自由なので、それに、対抗するためには、私が24時間猫についていて、外に居ないとダメですね。そんな事は無理です。
 で、仕方がないので、それは、あきらめたのですが、彼女は今では、あまりにも運動不足でもあります。前は、蛇を取ったりモグラを取ったりしていたのです。それも、我が家の山といえども、自由自在に登らせたから、とることができたわけですね。しかし、そこに上らせれば、鎌倉春秋釜(石川和子宅)へ、行っちゃうわけですから、狩さえ、させられない生活です。それで、散歩に連れ出すことにいたしました。
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 ところで、読者の皆様に置かれましては、私が、石川和子と、柳沢昇を呼び捨てにしている事を、それだけでも下品だとお考えだったと知覚しています。 しかも彼女は鎌倉市内で、あっちこっちの公民館・支所を利用しても教えていて、先生と呼ばれている立場です。そういう人をこれほど、けなして、「あなたの方が、おかしいのではないの? 特に鎌倉春秋釜のホーム頁を見たけれど立派でしたよ」とおっしゃる方があるのも推察しております。
 が、毎日、毎日、向こうからし掛けられる、すさまじい迷惑行為・・・・・それは、ニュース(今朝のNHKニュースでは、菅首相を、国会内の原子力調査委員会が諮問する、がありましたが、あれも、このブログと対応していて、ブログを否定する方向で編まれて居ます)でも、痛めつけられるわけですから、

 天の神様に照らし合わせれば、加害、被害の足し算と引き算から見て、絶対に、この手法(=呼び捨て)をお許しくださるわけです。しかも、八幡宮様の大銀杏が倒れましたね。それは、見事にも、伊藤玄二郎を懲らしめるための裁可でした。
 この山のわがまま主婦たちは、ほとんどの、行動を、伊藤玄二郎の発案で動いていますので、彼に対する裁可が下る影には、これらの、我が家近辺の意地悪主婦たちの、日ごろの行動の影響が大きいのです。
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 さて、元へ戻ります。猫を散歩させるといっても、リード(紐)をつけて、小町通りを散歩させている紳士ほど、凝るつもりも自己顕示欲を満たすつもりはなくて、この山の中の、どこかまで猫を抱いて連れて行って、帰り道を、走って帰らせるという形で、運動をさせていたのです。

 そのための最適な場所が、上の写真で描かれている場所です。四方八方に人の気配のない場所です。やがて、そこを気に入った私は、本を制作するための下プリントを校正しながら、時間をすごすようになりました。毎日ではないのですよ。数ヶ月に一度、本当に天気のよい日だけです。しかも、15分も居ません。だって、猫だって、15分以上はじっとしていられません。そこから自由自在に逃げ出されたら、紐もつけていないので、大変です。猫が蝶ちょを、眺めて、飽きないうちに引き上げるという形です。

 そこが、上の写真の場所です。

副題173、『前田夫人が雨戸をがたがたさせて、猫を脅かし、
      ご主人にたしなめられる』

 この場所は、我が家と似ていて、三方に人の気配のない場所です。しかも東南に、鎌倉の市街地が開けていて、光明寺の上の山などが見渡せます。そこで、頁設定済みで、ノンブルも振ってあるプリントアウトの校正をやっていたところ、突然に背後から、がたんがたんという大変乱暴な音が聞こえました。猫がびっくりします。私はすぐ事情を察知しました。前田夫人が二階の雨戸を昼間の二時なのに、開け閉めしていて、しかも、乱暴極まりない形で開け閉めしていて、猫を脅かしているのだと。

 みなさま、ここに、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊した秘密の、20%が隠されているのです。というのも、私が猫を散歩させなければならなくなったのは、二重、三重に、彼女にも原因があるのに、こんな、無残で意地悪な事をするからです。そして、それほどの、事をやる、彼女の、無謬性(自分が正しいのだと信じる気持ち)は、八幡宮様が、彼女を國學院大學の講師に推薦なさったことに依存をしているでしょう。だから、風が吹けば桶屋が儲かるの伝で、三段論法で、そうなって八幡宮様に懲罰が下るという形になって行くのです。

 非常にシンプルに下世話な事を言うと、彼女は猫をかわいがりません。で、ノエミちゃんと言う猫(お嬢様が冬に拾ってきたので、フランス語で、クリスマスという名前がついている)が、より猫好きな石川和子宅に入り浸っても、気にもしないで、迎えにもいかなかったという話です。これは、石川和子さんから聞いていて、『なるほど、それもあって、これほど、和子さんは、他人の猫を楽しむことに関して、ルーズなのだ』と理解した次第です。

 ただし、我が家は家族四人が、全部、猫好きですから前田家とはまるで違います。ここで、今、悔やんで言いたいのは、もし、和子さんが「楽しませていただいてありがとうございます」というムードで毎晩持って、かえしに來てくれたらよかったのです。それから、それが彼女にとって最高に楽しいおもちゃなのですから、三ヶ月に一度ぐらいは、菓子折りを持参で、情報交換に来てほしかったですね。特に、・・・・・<<<おいちに、おいちにの安野君に、東京の人間なら、そこを絶対に、国立大学の付属校とは呼ばない学校への入学に、お祝いにと称して、菓子折りを持参しているのを、こちらに見せ付けたのですから、その手の贈答マナーを知っていると、思われ>>>・・・・・それなら、こちらに、菓子折りを持参しないといけません。
 しかし、まっはんたいのマナーを誇示したのです。それが、どういう意味を持っているかというと、例のアジサイ畑欺もう事件があります。それが、悪いことである事を、死亡した中谷さんと、前田夫妻、安野夫妻、石川和子・柳沢昇、大原光孝夫妻は、知っています。しかし、内心で、それを知っているからこそ、私にどこかへ引っ越して行ってもらいたいのです。そうしたら、証拠はいくらでも、自由につぶせるし、
 どういう人に向かっても、自分たちをいいものに宣伝できるからです。

 だから、私がいじめられているのを見たり聞いたりするのは快感なのです。デモね、猫を脅かす。そのときに、きっと前田清子さんの口は裂けていただろうし、目はつりあがっていたと思いますよ。
 そして、それをたしなめた、ご主人はまともです。
 そして、「奥様が異常、ご主人がまとも」という組み合わせに出遭ったのは、これが二回目です。一回目は、浅野家の令嬢という未婚の女性をスパイに仕立て上げ、彼女の携帯を利用してタイミングよく安野家のベランダから、私の頭に水をぶっ掛けようとした日です。

 私は、いつも、天から助けられていますので、その日も直感が働いて、安野家のヴェランダに、わが身が差し掛かる直前で、歩をとめたのです。目の前をザーッと水は流れて行き、私は、水を浴びませんでした。だけど、前田夫人と同じように強いヒステリー性格を持つ、浅野家では、お嬢さんは、「実は失敗したのだ」と白状できなくて、「成功した」と親に告げたらしいのです。それを、この山で、あからさまに、喜んだのが、前田清子夫人と、大原光孝家一家、ほかでした。
 そのときも、ご主人、祝一氏は、奥様をたしなめていたのです。

副題174、『前田祝一氏の、真の恐ろしさと、さまざまな後日談』

 こういう風に書くと、すぐ、本能にもどり、野獣化してしまう奥様と、理性的なご主人という組み合わせで理想的にも見えます。
 ところが困ったことに、このご主人様も、又、食えないところがあるのです。
 ただし、安野氏などよりは、はるかに上ですよ。はるかに格上ですし、哲学的、考察も可能な人です。某私大で、長らく教授を務めてきただけの事はあります。

 ただし、ことアジサイ畑欺もう事件に関連する部分では、奥様だけが先導しているのではないのです。ご主人も企画にあれこれ、噛んでいる可能性があるなあと、思われる、困った現象が多々あります。それらを、軽いものから、重いものへの順番でいいますと、

 1)、私邸の庭(ただし、私道供出の件では違法な土地)での、孫を利用した、お正月の羽根突きで、正当化しようとした事件。

 2)、同じく孫を利用した事件。
  元はアジサイ畑だったところで、わざと記念撮影をしようとした。そんな他人の私道(=川崎の私有地)で、前田家が、自分の孫の記念写真を撮る必要は微塵もないのに、わざとそんな、いやみな挑発をする。これも、そこを盗んだ事を、盗みではなく正当なものであり、かつ、固定化しようとする試みである。

 3)、同じく孫を利用した事件、
 じゃんけんをして、勝った人が、ち・よ・こ・れ・ー・と(チョキで勝った場合、ぐ・り・こ(グーで勝った場合)、ぱ・い・な・っ・ぷ・る(パーで勝った場合)と、数えながら、その音節分だけ、先へ進むことができる遊び・・・・・を、わざわざ我が家前の石段で、やった事です。非常に悪意が深いです。それも、上と同じで、自分たちが実質上盗んだ土地を、あたかも、公正な手段で取得した、確定した道路であるかのごとく、見せ付ける手段ですから。
 しかも、もし、抗議をするのなら、「孫(=小さい子)をいじめたのだ」と、こちらを悪人扱いをするのが見え見えですからね。

 4)、夜、暗くなってからも同じ遊びをする、不自然さ。
そのころ、引き続いて二回ほど、同じ遊びが繰り返されました。
しかも、夜も暗くなってから、そして、今度はおばあちゃんではなくて、普段は、すでに、この山には住んでいない坊ちゃん(お孫さんにとってはお父さん)が主導しました。
 子供が自然発生的に、他人のところで、こんな遊びをするはずがないです。しかも、よる暗くなってから。
 これが、この前描いた平木さんのキャッチボールというところでも繰り返されました。原型は、ソラヒルズという大マンション群(北久里浜)の立っている土地を、横須賀市から不正取得・・・(地籍変更届を利用して瀬島龍三らが、ただどり)・・・したときに、相手方の一人である益山某という海軍参謀を助けるために、上滝某という、当時はトキワ相互銀行に勤めていた普通の男性が13坪の土地をただでもらえるという約束の見返りに取った手法と同じであり、それゆえに、まったく不自然なものなのです。平木さんは、何を見返りにもらえるのだろう。又、白井さんは何を見返りにもらえるから、異常な音で、私を困惑させたのだろう。

 元へ戻れば、上滝某の、その不自然な遊びを、私がすでに、文章に書いていますので、<<<<<実際には、まだ生きているのに自らの意志で、自らを死んだことにして、地下潜行していると思われる>>>>>井上ひさし等が、研究していて、そのポイントをつけば、彼女は神経を煩わされ悲しむだろうと、みなしているのでしょう。つまり、これらの町内会からの攻撃が、瀬島龍三主体の、大きな攻撃であると、思わせれば絶望的になるはずだとみなされています。そんな事はないです。悪人と一緒になっている庶民なんて、あほの塊だから、私はただ、軽蔑するだけですよ。何の影響も受けません。

 平木さんという若いご夫婦は、アジサイ畑欺もう事件が起きてから、相当の年月が過ぎてから引っ越して來たので、現場としての騒動をあまり知らないのですが、
 それだからこそ、利用をされたのです。
 これから藤本夫人の測量という項目で、本当に丁寧に、その一端を語ります。誰が見ても、恐ろしいことが行われたのです。それが、どうして可能だったかを、これからも、諄々と説いていきます。

副題175、『共産党を挙げて、助けてもらっている前田一家』

 前田家では、『奥様が、ヒステリーを起こしやすく、野獣化しやすいのだが、それに比べればご主人は、洗練をされている知識人だ。常識もある』と、私は過去の、ブログや、メルマガのエッセイで書いています。
 しかし、ご主人も恐ろしいところがあります。上の石段を利用した遊びなど、全山にその声は響き渡るのですから、『それが、心理学的な意味での挑発であり、結果として、こちらをいじめるものであり、アジサイ畑欺もう事件が、その悪辣さが薄まるどころか、ますます、反対に行くものである事は、わかるはずでしょうが、
 とめないのです。

 それだけでも、ことによっては、奥様と同罪であるのですが、ことによってはご主人が主導して、起こされる挑発もあります。それがペンキ塗りお当番事件です。これは、我が家だけが、コンクリートうちをされていて、花畑が使えない上に、そこ二手すりができていて、それが邪魔なために、がけの草が取れないので、がけが今では、湾曲しているほどです。

 すさまじい迷惑の掛けられ方なのですが、その手すりを正当化する目的で行われた非常に悪辣なものが、このペンキ塗りお当番です。ご自分が、私道部分を違法に提供していないのに、それゆえに、起こされたご自分を助けるために、ごく、個人的な発想で出てきたアジサイ畑欺もう事件を、あたかも、正当なものであったかのごとく、町内会のメンバーに思い込まさせる・・・・・非常に悪辣なものなのです。
 手すりがあって、そこが、さびてきたから、町内会で、メンバーで分担して、塗りなおしましょうという事ですが、その忌まわしい件をまるで、お祭りの様にやりました。

 私は被害の傷口に、さらに、塩を塗りこまれたような思いでしたが、復讐もしないで、じっと我慢をして來たのです。そうしたら、八幡宮様の大銀杏が倒れたでしょう。やはり、神様は存在すると確信をしました。
 こんなに、前田夫妻って、あくどいのですが、

 さらにいけない事は、まるでお祭り騒ぎみたいにして、このペンキ塗りを行った事です。そのときに、『ああ、このやり方って、共産党のそれだわ。彼ら夫婦は、共産党なのだ。となると、八幡宮様って、神社庁の所属だし、日本国民が、2000万人も、一年間におまいりをすると言われる場所なのに、
・・・・・共産党の人を推薦したり、ご支援したことになる。それで、いいのだろうかなあ?』と思っていたら、案の定でしたね。大銀杏が倒れました。案の定です。
 しかも、前田夫人の驕慢は、八幡宮様にご支援いただいているという自信に裏打ちされているところが大いにあるから、余計いけないですね。余計、汚辱を八幡宮様に引っ掛けています。ほら、昔でいう、人糞のこえたごから、肥料を畑にかけている図の、ひしゃくを、山の下のほうへ向けて、引っ掛けたと、ご想像くだされば当たっています。

 しかも、あおいエナメルの、防犯何とか立ち寄り所という警察の看板が門前に貼り付けてあります。今の世の中って、「いったいどうなっているの?」と思うばかりです。
 ただ、この共産党員だろうという推測ですが、証拠はないのです。が、その後、傍証が出てきました。あまりに何度もひどい事をされるので、怒ってグーグル検索をしたら、前田祝一氏が、集団訴訟の原告になっていたのです。集団訴訟って、みえみえで、共産党が核となっています。
 その上、私が、前田さん一家について書くだろうとみなされると鎌倉駅周辺に、原水爆禁止運動の署名活動が、展開します。あれは普通は夏のものだったのに、今は季節はお構いなしです。
:::::::::::
 本日も山の下から『何とかに、ハンターい』というデモ行進の音が聞こえたので、『彼女が、今、前田夫妻について、書いている。だから、前田夫妻を援助しないとダメだぞ』と、まだ生きている(と、私は信じています)井上ひさしが考えて、共産党の幹部に、動員を掛けたのかもしれません。それは、無論ユリ夫人を通じて、しかるべき存在への連絡として、有効になるでしょう。それか、前田氏自身が、鎌倉市内や、横浜市内の、党員たちに、動員を掛けられるほど、上の方なのかな?
 それが、私を脅迫する効果があるとみなされていて、書くのを抑止するだろうとみなされているみたいです。だが、私はかえって、それを傍証として、前田夫妻の、共産党員説を、強く前面に打ち出します。
::::::::::
 ここで、大切な事は、どうして、共産党を私が嫌うかです。その党は、日本にあたかも自由があり、言論の自由もあるかのごとく、海外のほかの国に思いこませるのが目的だと、私は見ています。実際には上意下達の典型で、創価学会にも似ていて、本当の事を考える自由はないとみなされます。
 しかも、日教組に代表される、その党に所属している人材の考え方は、
日本社会を引っ掻き回すだけです。小沢一郎氏とそっくりです。
 朝令暮改の典型が小沢一郎氏です。それとそっくりなのですから、結果として、例の国際的軍産共同体の、手下であるということと同じなのです。
 だから、共産党と密接に結びついている井上ひさしはマスコミ界から、優遇のきわみなのですよ。今のマスコミほど、広告宣伝の世界はありません。そこに優遇されているという事は、資本主義の権化なのです。
 まあ、金銭的な部門では、誰でもお金がほしいのは認めます。が、思想的に欺瞞がいっぱいなのが、困るのです。日本に本当の自由はない事を、本来なら、言えるし、言うべき存在が共産党に絡めとられていて、何もいえないということになっているケースは多いと思われます。

副題176、『警察の<生活安全課>にも、支援される前田家』

 実は、生活安全課が、前田家の味方をしたのです。これは、大問題中の大問題なので、後で、詳しく語りなおします。今日は、そういうことまであったのだとだけ、申し上げさせておいてくださいませ。

副題177、『大原家でも、サッシをピシャーッと音高く、開け閉めした』

 さて、前田家で、清子夫人ががた方を、雨戸を開け閉めして猫を脅かした後です。今度は大原家で、雨戸ではなくて、サッシの窓を強く開閉して猫を脅かすことが起こりました。
 大原家の前は、道路が狭くて、猫を遊ばせる事はできず、ただ、通っただけですが、ひどい音で脅かされました。

 このときの方が私の怒りは深かったです。
 というのも、大原家のメンバーはヒステリーではありません。

 だからこそ、この脅かしが、意図的なものであり、野獣化が、政治的意味を持っているからです。だから、私は激怒して、『せみのおしっこ』というブログを書いているし、それ以来、酒井忠康氏の悪を書く事も、日経新聞の石塚雅彦氏への疑念をあらわにする事をも、躊躇しなくなりました。

 本当に怒っているのです。ですから、大原光孝氏こそ、第一のパンドラの箱(鎌倉を中心として行われる、諜略行為)、も、第二の箱(銀座を中心として、行われる美術界での、いじめの行為)も、分析できる人材となります。
 しかも、第三の箱(同窓会を中心とした大悪の分析)にもつながって行く存在となります。

副題178、『大原氏のせいで、第二のパンドラの箱があくぞ』

 その
 理由は、大原さんのお嬢さんが、酒井氏が館長当時の、神奈川県立美術館で、勤務をされていたし、(学芸員ではなくて事故や盗難を予防する監視役としての勤務)、当時、柄沢斉氏が、ここで、個展をしたし、
 (それは、日経新聞に支援をされていたし)、
 大原氏は、柄沢氏の、木口版画の弟子に当たるし、

 酒井忠康氏は、渡辺幸子さんへ、青木繁大賞展で、大賞を与えたし、
彼女は、その賞金を使った(?)、受賞後第一回展を、ガレリアグラフィカで行ったし、

 ガレリアグラフィカのオーナー栗田玲子女史は、葉山の住人なのに、夜の10時半に鎌倉駅のトイレに居るし、

 トイレの外には、伊藤玄二郎が待っていて、さらに女子と入れないの会話で、私と栗田女史が鉢合わせをした事を知ると、身を翻して逃げて行ったし、

 栗田女史は、その夜、私に向かって、『あなたって、怖い人なんで吸ってね』というし、出、じっとその次の言葉を待っていると、「渡辺幸子さんがそういった」というし、(ここらあたりは、にやっと笑ってしまうほどです)、

 栗田女史の応接まで、どうしてか、渡辺幸子女史と、酒井忠康氏と、三者三つ巴で鉢合わせをすることとなるし、そういう脅かしにも、私が屈しないと、栗田女史は、展示室兼応接間を、縮小して、応接間を人目から隠すことになるし、・・・・・

 2010年の二月に予定されていた私の個展は、どうしてか、4月の5日から10日に延期をされ、そこに、同時期に山本容子の、個展(ガレリアグラフィカ)が、ぶつけられるし、
 その会期中に、『あんたが田がいろいろ画策しているのはわかっていますよ』という意味合いを込めて、鎌倉春秋社に、『画廊に、私の個展を見に来てください」といいに行ったら、

 井上ひさしが、突然に、死んだこと(2010年4月9日)に、なるし、
瀬木慎一、馬越陽子、針生一郎、柄沢斉が、どういう風に利用をされているかもわかってきてしまうし。・・・・・

副題179、『大原氏のせいで、第三のパンドラの箱をも開けてしまうことになるので、大いに大変だ』

 さらに言えば、上の柄沢斉、から、石塚雅彦へ入って行くし、渡辺幸子からも、石塚雅彦へ入って行くし、
 で、同窓会関係の、第三のパンドラの箱があいてしまうことになるし・・・・・そこから川名昭宣さんほかを分析しないといけないということになるし、

 栗田玲子から、北鎌倉のポラリスへ入って行くし、そこから又、侘助(北鎌倉の文化人愛好の居酒屋)にも入って行くし、そこから、瓜南直子さんへも入って行くし、それで、結局は、第一の箱(鎌倉問題)へ、返ってくることとなるし・・・・・で、多分、10万字費やしても、この章が終わらないこととなるでしょう。

副題179、『最も、ぬえ的な要素の、多い、大原氏』

 それを誰と比較するかといえば、この山の問題児と比較しても、大原光孝氏が、最もぬえ的な要素が高くて、複雑です。複雑なのは悪いことではないが、今の彼は、こちらの敵として、動いていますので、分析するのが、こちらがわが反吐が出るという感じになってしまいます。
 実は大原さんは、お母さま(80代後半)と、息子さん(60代前半)との間は、養子縁組なのだそうです。

 安野家と違って、はた迷惑な行動が少ないので、私は人がそれを教えてくれるまで、知りませんでした。質問をしたわけではないのですが、相手から教えてくれました。
 ただ、昔、大原光孝氏から、「私の父は吉原で、医者をしていて」という言葉が出た時に、別の機会に聞いた、「僕たちは、夫婦ともに、高知の出身です」という言葉とは、矛盾するので、『変だな』とは思いましたが、『吉原で開業しているお医者(父上)様の、郷里が高知県なのだろう』と、思いなおし、それ以上は深くを詮索しませんでした。

 でもね、今思うと、それが大問題だったのです。養子と養父母がその成長期のどの時点で、養子縁組を結ぶかは大問題なのです。
 多分、中学生以下で、東京へもらわれてきたのではないかしら?

 または、大人になって? いずれにしろ彼には、ほかの人の中に見えない複雑さがあります。養子は、養父母が虐待するなどのケースでは早めに養子縁組をした方がいいけれど、資産と、名前のある家の跡継ぎとしてもらうのなら、遅い方が絶対にいいですね。思春期を、養い親の元で過ごすと、こちらも十分な反抗ができないで育つので、

 人間の深いところの基礎ができないのです。その上、どうしても真実を告げあわないで育ちます。だって、本当の事を言ったら、やしない親なんて、いやだよ。本当の親の元で育ちたいというのが誰者本音でしょう。そこを抑えないと生きていけないのですから、大きな嘘の上に生活が構築されるのです。
 それで、きっと、倫理観とか道徳観において、ぬえみたいになってしまうのでしょう。格好はいいのですよ。そして上品です。だが、この山の住人のうち、最も食えないタイプの一人が大原氏です。
 彼は、私以外の、存在に対しても、隠された敵意を持っている人です。隠された敵意とは深い軽蔑と、同義語です。彼は、誰の事をも尊重できない人間でしょう。だから、取り扱いが難しい人物です。彼に反省を促す事は特に難しいと思われます。大いに難儀な人物です。
 上品なのですよ。虫も殺さない感じです。が、なんとも取っ掛かりがない人です。その人の、恥の感覚にも訴えることができず、ましてや、すべての人に備わっている、しかも深いところにあるであろう、倫理観に訴えることもできません。ですから、分析するのに、非常に面倒な人物です。
 
 で、本日は、彼もまた、戸をピシャーと開け閉めすることに関係があるとだけいっておきます。

副題180、『だから、意味を持ってくる、白井・小野寺夫妻の玄関戸開閉の、異常音』

 ここで、やっと、本日の長い文章の四メガやってきます。本日はここで纏め上げます。
 つまり、なぜ、お隣の白井・小野寺夫妻の、玄関扉(引き戸)のきつい開閉音、ピシャーっと言う異常音に、噛み付いたかを、明らかにできました。ここで、やっとというわけです。

 その音は、歴史のある音だったのです。たぶん相手はそれで、いじめられると思っています。まず、『彼女は、神経をさかなでされる音には、ひどく弱いので、お隣と喧嘩になる。喧嘩をさせると、こちらが有利だ』と思っていたでしょう。そのとおりに、私は罠に引っかかってお隣と、喧嘩をしました。だが、喧嘩は両方が傷つくのですよ。私も大いに傷ついたが、相手の、白井・小野寺夫妻も傷ついたはずです。誰が、そんな音を立てろと、あの夫婦に、命令したり教唆をしたのでしょうか。

 また、『彼女は大切なお隣とは、喧嘩をするはずはない。だけど、いろいろな過去を思い出して、項目がたくさんありすぎて、混乱して、モノを書けなくなるはずだ』と、思ったのかもしれません。
 『あいつにものを書かれると困るんだ』と思っている連中は多いでしょう。
 今日の大原氏の項目で上げた人々は、

 ここでは、軽くお名前だけという感じですが、将来、又、適切な時期に、きちんと詳しく分析をさせていただきます。特に2010年4月の私の個展の近辺と、
 2011年、5月から6月へ掛けての、鎌倉警察署の生活安全課とのやり取りは白眉です。ただし、それを、明日連続して書くかどうかは、お約束ができません。ただ、天が、正しく、かつ面白く、書かせてくださる日を待つのみです。誤変換を直したら、署名を入れます。

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