銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ペレリマン博士(数学の天才)の引きこもり

2009-01-14 23:05:19 | Weblog
 この寒空に、ヨーロッパの一部では、そして、ウクライナ(?)も同じでしょうか? ガスの供給が止まって大変なことになっているらしいです。文明の利器を利用する現代人は、古代の洞窟に住んでいた人類より、弱いところがあります。それは、この種の発達したライフラインと言うものが止められたときに、一番現れる現象でしょう。ロシアの指導者はソビエト時代から厄介な人々らしい。

 しかし、ロシア人を一個人としてみた場合、それは、また、とても人間的な人のはずです。

 そういう魅力的なロシア人の代表として私が考える人が、2007年の10月第一週にNHKハイビジョンで放映された数学の天才、ペレリマン博士を中心にすえた、数学の難問を解く話でした。素晴しい番組だったと思いますが、私は残念ながら、番組タイトルを覚えておりません。

 今、このブログを書くに当たって、グーグルの検索を調べたら、もう独りニフティのブログを持っている方が詳細に書いておられました。

 だけど、私はその番組を見た直後の感想を、私なりに述べさせてくださいませ。

 数学の世界で、最高の栄誉(ノーベル賞に匹敵するもの)にフィールズ賞と言うのがあるのですが、それを、『ポアンカレ予想を解決した、天才として、受賞することになった』のに、拒否したとして有名な存在が、ペレリマン博士なのです。

 ですから、その番組はペレリマン博士が主役なのですが、しかし、一種のミステリーとして構成をされております。それは、どうしてかというと、ペレリマン博士は、30歳ごろから、激しい引きこもりをして、いて、それに対する、(精神的な問題に関しての)遠慮がNHK側にあるからでしょう。

 でもね、私はペレリマン博士の存在に対して、最高の芸術家と、同じ集中力を感じて、決して異常なこととも思わないのです。芸術家の生活とは純粋であればあるほど、厳しく苦しいものです。まず、お金など見返りとして期待してはいけない。だけど、大勢の人がそこへ、入り込んでしまうのは、創作することが、ある種の人々にとっては、最高の快楽であるからです。脳内麻薬のアドレナリンが相当出るのだそうです。つまり、おいしいものを食べたり、美しいものを見たり、セックスの喜びを感じるよりも激しい、アドレナリン量が出る。

 だから、画家でも天才といわれる人々は、発表の方面は諦めるというか、顧慮をしないでただただ、創作の側面のみを追及します。ゴッホしかり、田中一村しかりです。

 発表をして、有名になろうとしたりするとわずらわしい事が一杯起こります。そこに不純なものが入り込みます。

 だけど、生活というものがかかっているために、難しいのですが、ペレリマン博士は完璧なひきこもりで、貧しいアパートに住み、誰にも遭わないのだそうです。私が推測するに、母親からの遺産か、又はご自分が、30歳までに働いたお金で、りんごを買うぐらいのお金の消費ですごしているのでしょう。

~~~~~~~

 ポアンカレ予想と言うのは、数学の世界では、未解決問題と呼ばれているそうですが、一般人の私としては、最高の難問であると、おつたえをさせてください。

 頭にイメージを浮かべるとすれば、宇宙に向かって高速で、ロープをまっすぐ発射したとして、もし、宇宙が丸いなら、そのロープはどこにも引っかからないで、地球に帰ってくるはずだ・・・・・それを、数学的に証明せよと言うのです。

 そして、そのペレリマン博士の証明が生まれるまで、何人もの天才数学者が人生を狂わされたりしながら、その難問の周辺まで近づいたのでした。だけど、誰も解けなかった。それなのに、インターネットの世界で、その証明が登場したのだそうです。
 数学者たちは、『例の冗談の一つだろう』と、数ヶ月間、相手にもしなかったそうですが、

 だんだん、その証明が正しいと思われ始め、それで、その発表者に向かって、プリンストン大学の何々教室で、何月何日に発表会を用意するので、そこに登場して、正式な発表をせよと、呼びかけます。

 大教室、階段教室ですが、私が本当に驚いたのは、その可動型、黒板の大きさです。九面あるのですが、もう、神殿かと思うほどの、高さで、それを、滑らせ、次々に公式を書いていって、ペレリマン博士は、そのポアンカレ予想を解いていったのです。

 しかし、会場にいる大勢の数学者はただ、唖然とするばかりで、ペレリマン博士についていけなかったそうです。と言うのも、普通ならこの難問を解くルートになるはずの、トポロジイ(空間幾何学)ではなく、物理や微分積分の分野を使って、ペレリマン博士がその難問を解いたからでした。

 ペレリマン博士と言うのは言うに、言われないすごい人でした。もし、再放送があったら、皆様にもごらんを頂きたいと存じます。

  2007年10月8日 AOLのメルマガで初稿として書く、

推敲して、グーブログに、09-1-14に載せる。 川崎千恵子(筆名 雨宮 舜)
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雪舟とオリジナリティー・・・・・・手塚治虫の2として、

2009-01-13 20:52:44 | Weblog
 しかし、私には、ながらく、言いたいことがありました。それは、<海外でミュージカルや映画になった『ライオンキング』は、手塚治虫の『ジャングル大帝』の換骨堕胎ではないか>と言うことなのです。

 そして、それを・・・・・どうして、手塚本人または、それを、継承した手塚プロは、抗議をしなかったのだろう・・・・・いう点です。しかし、あの温和な表情を見ていたりすると、彼が、抗議とか、争いを好まなかったという点は察せられます。漫画の主人公も手塚治虫自身に似ていて、ふっくらとしています。

 それと、ものすごく忙しかったゆえに、エネルギーをとられる『抗議』と言う行動に出なかったという推察です。また、どこかの外国で、ひっそりと、地方回りから始まった作品・・・・・
 
 (ミュージカルや、演劇は、日本では東京始発で、地方を回ることになっているようですが、アメリカ等では、地方で初演を重ねて、ブラッシュアップをしていくようなのです)

 ・・・・・を、チェックする機能は、手塚治虫さん自身にはないと思われます。そのうち、作品がビッグになっていってしまうと、いまさら抗議をしても、それの上演を止めさせることは出来ないし、「著作権料を支払ってください」といっても、それを、海外との間で交渉するのは、メールなどの発展していなかった時代には、容易ではなかったでしょうし。

 ただ、いまなら、「これは、日本のホラー映画『リング』のハリウッド版リメイクです」などと、きちんと、報道がなされます。明々白々のリメークは、却ってそれを明らかにした方が、観客(特にその母国である日本のそれ)を呼び込めるという判断でしょうか。

 そういう疑問を長らく抱いていましたが、この『どろろ』を見て、初めてその問題に対して、手塚治虫がどう考えていたかを、正しく察する事ができました。

 私は、絵および、版画を制作する場合は、オリジナリティの問題を重視し、自分には激しい規制をかけております。アイデアが浮かんでも、デジャブーがありそうな、結果(作品)として、結実するなら、必ず、倣うという字を付けたいと思っています。

 先週の日曜美術館(11日放映)のアートシーンと言う最後の15分間でチラッと見た雪舟の作品に、「倣う、○○」と落款傍に書いてあったので、尊敬を新たにしました。録画をしていないので、○○のところに、どういう名前が入るかを正しく皆様にお伝えできませんし、その展覧会が、どうも、千葉市立美術館でこの25日まで開かれている『雪舟と水墨画』の案内だったらしいということしかいえませんが、・・・・・やはり、大家と言うものは、きちんと、それをわきまえていらっしゃると、驚きの念を含めて尊敬しました。
   
   2009年1月13日       川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)

  今日の図版は、八木原由美さんと言う版画家の作品です。私は英語のブログを持っていて、http://blog.goo.ne.jp/amesyun-ck/
そちらに、貸していただいたのでこちらでもお披露目をさせてくださいませ。

  彼女は、ブログや、ホーム頁を持っている人です。そちらには、もっとたくさん、彼女の作品写真が載っています。

八木原 由美絵画館
http://www.h2.dion.ne.jp/~yagihara/
ロココの風
http://blogs.dion.ne.jp/rococo/

なお、日本時間、夜の九時から12時までにこれを、お開きになる方は、下に、手塚治虫のどろろにびっくりした話が載せてありますので、それもよろしく。
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「やはり、天才でしょう。手塚治虫」

2009-01-13 00:47:33 | Weblog
 昨11日(日曜日)映画『どろろ』のテレビ放映を見ました。最初はどうなるかと思うほど、奇妙奇天烈で・・・・・まあ、漫画が原作ですから、その際には、それでよい無国籍性が、随所に見られ、・・・・・「鎧姿の武者が出てくるから、日本らしいけれど、これは、ベリーダンスじゃあないの?」などと言いながら、66歳同士の夫婦は、笑いあっていたのです。

 しかし、なかなか複雑で重なり合う筋となっているのですが、その理解を助けているのはコンピューター・グラフィックです。『だから、この映画が、今になって出来たのだ。それ以前にはできなかっただろう』と言うことも推察をされます。

特に、土屋アンナが蝶になって天に昇り、それを<魔物に食われた人間の子どもたちが白い火の玉となって追うシーンなどがあるのですが、そこら辺りの映像はきれいでした。


 このごろ、大河ドラマ『篤姫』の成功以来、民放と、NHKのコラボレーション的便乗が目立つそうですが、この『どろろ』の放映の時期も、09年の大河ドラマ『天地人』に主演する妻夫木聡と、08年にほぼ主役級の役割を果たした瑛太の二人が出ているので、視聴者をひきつけると考えられたのでしょう。実際に、私はそういう意味で見はじめました。そして、『昔は善人役しかしなかった中井貴一が、どうして悪人役をしているの?』などと思っているうちに、筋の上から、『なるほど、彼が納得して、引き受けたわけですね』と理解できました。

 特に、父として、成功(国の支配者となる)を得るために、こどもを魔物たちに売り渡す『魔弾の射手』的な発想は、圧巻でしたね。その結果、主人公百鬼丸の全身、48箇所がフェークとなっていて、それを、本物と取り替えなければいけないそうです。そこもCGが活躍しますが、でも、途中で笑ってしまうほど、先行する物語の、本歌取りが見られます。百鬼丸が川に捨てられ、それが、どんぶらこ、どんぶらこと、流れてきて、原田芳雄が救ってあげて、木ではなく、死体の一部を利用して、科学的な魔術で、ピノッキオ風に、胴体だけしかない赤ちゃんに、いろいろ四肢を付けてあげるところなど、・・・・・と、この様に書いていましたら、後ろで主人が、「不完全なこどもを、川に流す風習は、昔からあって、その流される子を、蛭児といったのではないかなあ」と言います。すると、手塚治虫は、そちらの風習を生かしたのかもしれませんね。

 だけど、その場面からふと、医者としての、手塚治虫の姿が見えてきました。その場面は、ピノッキオの影響も強いが、最近と言うか、その頃から、医者たちの内部では話題になっていただろう、臓器移植の問題を、取り入れているような気がしてきたのです。
 手塚治虫は、はっきりと、批判をしているわけではないのですが、死体から、部品として取り去ってきたものを、電気とか、そのほかさまざまな療法を加えて、生き返らせるというのは、医者としての夢なのでしょう。実際にはだんだん生体からの移植が、始まっているのですよね。腎臓をはじめとして。やはり、生体からの方が確実なのです。随分はっきりと言いますが、あの『どろろ』の刺激を見ると、そこまで言うように、医者でもない私がなります。

 で、私自身としては、お金もないし、自然がいいし、自然に遣っていくしかないと思っていて、臓器移植をして長生きしようとは思いません。

 ただね。もう一つ、手塚治虫は、『やはり医者だなあ』と思うのは、あの原作ができたであろうころは、サリドマイド禍が起こっていた頃ですよね。だから、手足が無いお子さんはたくさん生まれたのです。その障害の程度の差はあれ、そういう事が実際に影にあり、そういうお子さんに対する、医者としての責任とか、希望が、あったとも感じられるのです。あたりまえですが、そういうお子さんたちにとって、きちんと、四肢が自由になって回復するというのは、夢ですよね。そういう大きな夢と、それに対する支援の気持ちが、あの映画の陰に隠れていると思います。

 そして、フェークの腕が砂のように崩れ去って、本当の肉が生まれてくる場面で、主人が、「ひとiPS 細胞みたいだな」といいましたが、そういえば、ひと、iPS 細胞の出現とその将来の応用を予見しているようにも見えますね。

 スタッフやキャストが、一生懸命になって撮っていたのは、そういう部分に感応したからでしょうか?

  2009年1月12日   川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)
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『羞恥心』(タレント・ユニット)と、ゆとり教育

2009-01-11 18:06:29 | Weblog
 今日は初めて、ウエブニュースの末尾についていた、「この記事についてブログを書く」と言う欄を利用します。結果がどうなるかがわかりませんし、私の場合は書いた時間は何であれ、送信は真夜中にする予定ですので、ウエブニュースから以下の記事が消えているかもしれないのです。

 初めてのことだから、どうなるか、全く判りませんが、急ぐのはやめて、いつもの習慣を保持しましょう。自分が書いた文章も大切です。

 以下の記事は、若者に対する愛情に満ちています。それが、素晴しい。例の秋葉原の大殺傷事件も裏に、この世代(彼らが17才のときにも大事件が多発した)への、教育の在り方や社会の在り方にも原因があったのではないかと言う見方もあります。

 またね。この記事は意外と短かったのです。それも、すぐ読んでしまえる事情となりました。このごろ、ウエブニュースを、サーフィンするのが可能になった・・・・・やっとですが・・・・・66歳の今の私なのでした。

 20年ぐらい前は、友人のお嬢さんが、「そういうことを仕事にしている」と電話内で仰るのを聞いても、実像がさっぱり目に浮かばなかったのに、・・・・・面白いもので、必要に迫られて、PC技術が進歩してきました。
  
 なお、今日の画像はものすごく昔にふらっと描いた習作です。たんす部屋(一種の納戸)に飾ってあるのですが、ガラスをはずさないまま写真に撮ったので、フラッシュが一緒に写っていますね。お許しを。

  では、2009年1月11日      川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)


【記者が読む】「羞恥心」涙の音楽活動休止(産経新聞) - goo ニュース

 最後に例のごとくで恐れ入りますが、このブログを、日本時間の夜6時以降12時までにお開きになる方は、下をご覧頂きたいです。そこに本日の分がまだ、残っておりますので。
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お金があると、油断をした恋愛になる

2009-01-09 10:54:34 | Weblog
 今朝、1月9日のNHKニュースで、オバマ大統領の就任式に、『ブルックリン・ステッパーズ』という青少年のブラスバンドが演奏をする事が知らされました。その創設が、20年前と聞き、『なるほど、随分、人々は改革に取り組んできたのだ。それも子供を中心にして』と、感じました。ブルックリンは、相当環境がよくなっているのです。よかった。

 ところで、日本もアメリカも急に経済が冷え込み、ブルックリンも心配ですが、もちろん日本も心配です。でもね、主人が言うのですが、『これが、結構よい効果を生むかもしれない』と。私もそう思うのですが、それは、時間や、エネルギーの消費の方向性が変ってくると思うからです。

 総量が少なくなると、より大切なものに、向かいます。自分にとって、本当に大切なものに向かいます。しかし、お金が有り余るほどあると、間違った方向に使ってしまいます。以下の文章は、こんどの五冊目の本の218頁からの再録ですが、お金が有り余っていたころの日本人を両親としているだろう、若い日本人女性の、ちょっと、ばかげた恋愛の話です。彼女が今どうなっているか、心配していますが、結構、しっかりした主婦をしているかもしれない。これは、5年前の話、です。
~~~~~~~~~~~~
 ある交差点で待った時に、目の前で私の注目を引くものがありました。それは、穴のあいたワンピースで、真っ白なメリヤス地でできていました。このときは、八月の初めで、街はかんかん照りであり、アスファルトはその太陽熱を吸収し切っていて、非常に暑かったのです。だから、穴のあいた木綿の洋服は、着心地の良いアイテムですが、それが素敵だから、私の注目を引いたのではありません。たまたま、その直前ホテルチェルシーに先生であるロブを見舞ったときに、看護婦さんが、中身の入った尿瓶を隠すのを忘れてしまったり、先生のパンツに、介護用の穴があいていて、その穴を、最初には介護用とも思わず、古いから開いていると誤解をしてしまい、それゆえに、相当、大きな悲しみに打たれたのです。

 しかし、より一層、私を深く悲しませ、感動をさせたのは、先生が、そんな状態になられているにもかかわらず、真に明るく、他者のためをのみお考えになっていることでした。そんな深い、心理的な経験をしたばかりですから、その洋服に特別な興味を抱いたのです。彼女の素肌がその穴を通して見えました。先生と違って真っ白な肌。真っ白なメリヤス地の間から、ホテルでは褐色の肌が見え、こちらでは、白い肌が見えたわけです。ただ、彼女の髪は黒い。

 私は直感的に『このひとは、日本人ではないかな』と思いました。そういえば、この穴は人工的にきちんとあけられている。『そうだ。これは、川久保怜のコムデギャルソンの今年(当時は二〇〇三年だった)の流行で、世界を席巻しているスタイルだ』と気が付いたのも、同時。私は前に回って、それを確かめたいと願いました。

 というのも、彼女が右手を金髪の白人の体に回して、密着しすぎていたからですが、その白人が異常に背が低かったので、ちょっと心配になったからです。その上、金髪をヴェップ(若者向けの整髪料で、ジェル状のそれを、塗った後で乾かすと、形が固定するもの)で、がちがちに固めて、あっちこっちをつんつんと、とんがらかせていました。普通の若者のスタイルではないのです。

 それで、心配になって、どういう顔の男性かと追い抜きざまに調べようと近付くにつれ、耳にはピアス、首には背中からも見えるじゃらじゃらしたアクセサリー、ジーンズには鋲がたくさん打ってあり、申し分なくまともにはみえなかったのです。

 アーチスト系であることは確かでしょう。しかし美術系なら汚れるということもあるから、大学院や、工房で出会った本ものの、ニューヨークのアーチストたちが、別に『気取った、ためにする特殊なおしゃれをしていないこと』を熟知している私は、『こいつは、ちょっと変だぞ。偽物臭いぞ』と思ったのです。
 
 追い抜きざまに顔を見ました。あっというほど、いや、ぞっとするほど、神経質な顔であり、隣にいる女性の方は、丸い顔で、受け口で、ぽっちゃりしたピンクの頬、すべてがかわいくて甘いのでした。が、その顔を見ていると、『彼女は、何も物事を真剣に考えたことがないのだ』と思われました。

 私は心の中で彼女に向ってこういいいました。『あなた、人生は短いのよ。この男性は、あなたが一生を託せる男ではありません。あなたにすがって、ひと時の慰安と楽しみを求めているだけです。こんな人と一緒に、若い日の大切な時間を浪費してはなりません。そしてあなただって、この人の悩みを受け止める力は無いし』と。その男性は内部に、いろいろなトラウマを抱えていることが確かでした。

 だからこそ、これほどのおしゃれをするのです。そして、それに気がつかず、彼を責めない、甘いしかも若くてお金持ちの日本人女性と接触できて『ラッキー、ラッキー』と思っているのが、目に見えてわかりました。

 コムデギャルソンを買うことができる女性なら、金持ちでしょう。だけど、自分で働いたお金でニューヨークへ来ている日本人女性なら、絶対に、ブランドものなど買いません。お金は貴重で、たいせつです。

 『この人は親のお金で暮らしている。しかもお勤めをしていない。この金髪の背の低い甘えん坊と出会って、これほど、親密になるためには、時間が必要だ。旅行者には無理だ。このニューヨークに二週間以上はすでに、滞在している。日本では大学に通っていて、夏休みを利用してこちらに来たのだろうか。滞在がもっと長くて、しかも、こちらの大学に通っていたら、こんな、チンピラには引っかからない。なんという無防備なあまちゃんだ。そして、その旅費と滞在費は、親から出ているはずだ。親から可愛がられているのなら、その親を心配させるようなことはしてはいけない』と、私は心から思いました。

 ブランド品を買うということはお金が有り余っていたら出来ることですが、お金の総量が少なくなったら、出来ないことなのです。だから、経済的に悪くなると、そんなふわふわした恋愛をしていられないので、それだけ、時間を無駄にしないで済むと思うのです。若い時期の時間の浪費はもったいないですから。

  では、2009年1月9日         川崎 千恵子(雨宮 舜)
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マチルドの本当の力

2009-01-06 22:12:21 | Weblog
 最初に会ったときから口数の少ない彼女でした。冗談も言わないし、質問も出てこない。で、『美人は、頭の回転が悪いのだろうか』とさえ、思ったほどです。彼女の顔は本当に美しいのです。白人だと、やせている人は、怖く見えます。アフリカンの彼女は目が大きくて、鼻がとがっているわけでもなく、温和な顔で、生き生きした美人です。

 しかし、ある日、事務机の前ではなく、エレベーターホールで立っているマチルドを見たときに、そのプロポーションの美しさにも、気がついて「マチルド、あなたって本当に美しいのね」と感嘆しながら言ったら、「ええ、母には感謝しているわ」と、彼女が答えたので、その答え・そ・の・も・の・には仰天しました。

 そのときは、私はまだ、彼女が元スーパー・モデルだったということを、知らなかったので、余計驚いたのです。プロポーションのよさにも、そして、彼女が素直に、自分の美しさを肯定したことにも。

 『ここは、やはり、アメリカだなあ。全く発想が違うのだ』と思って。日本人だと、「いえ、それほどでもないわ。あなたって、口がうまいのね」ぐらいの、謙遜を含んだ返事になると思います。これほど、ストレートに自分の美しさと言うか優越点を肯定しないでしょう。

 私も日本人としては、ストレートな方で、もちろん、お世辞で言ったわけではなく、本当にびっくりして、感嘆したのですが、それに対して、『こんなに、人に褒められるほど美しく、そして、その美しさで収入や、キャリアーが出来るほど、の、レベルで生んでくれて、お母さん、ありがとう』と思いながら、ただ、簡潔に「そうよ」というのは、今、九年間経ってみると、(特にスーパー・モデルとして働いていた過去があると知ってみれば、)『本当に、正直な言葉だったのだなあ』と感じます。当時一瞬抱いた、批判の精神は、微塵もなくなって。

~~~~~~~~~~

 ある日、そのマチルドから、「溶剤を買いに行くから、手伝って」と頼まれました。そして、10分ぐらい歩いたところにある大きなペンキ屋で、鉄の缶入りの灯油、トルエン、等を五缶か、六缶買いました。

 その時に、経営状態が急に悪くなっていたので、彼女は、簡単な買物ぶりではなくて、熟考して銘柄を選びました。そしてお店の人に、「手押し車を貸して」と頼んだので、私は仰天してしまいました。私から見ても、本当に美しい女性ですから、男性だと『すぐ、鼻の下を長くして、ちやほやするんじゃあないか』と思ったし、そういう経験を重ねているだろう彼女なら、『ペンキ屋の店員さんに、それらの缶を、手押し車に乗せて、お店の外まで運んでもらうぐらい、当然だろう』と、事前には、思ったのです。これはマリリン・モンローの映画等を見た結果、抱いた印象でしょう。

 ところがどうしてどうして、彼女は全く甘えない人でした。誰にも甘えない人だったのです。

 『何ガロン缶と言うのかな。直径五十センチぐらいの、丸い厚手の鉄の缶に入っていて、もち手がついているのですが、持ち上げると、日本の赤い灯油の20リットル容器より重い感じです。それを、きゃしゃな、きゃしゃな彼女がばんばん運ぶのですから、私もすぐさま、事情を理解して、一緒になって運びました。

 そして、タクシーで、工房まで持って帰るのです。配達のサービスと言うのがアメリカには無いのか、それとも、配達運賃をマチルドが倹約したのかはわかりませんが、タクシーを降りても、業務用(つまり裏にある、人間用ではないものを、使わなくてはいけないらしいのです。こういう作業用のものを運ぶときは。下の階のカメラマンの助手が、カメラ他の道具を、同じく手押し車に乗せて運ぶときは表の人間用エレベーターを使うのですが、・・・・・裏のエレベーターを使うのです。

 もう、お店の手押し車は返してしまっているし、業務用のエレベーターが、道路から遠いので、えっさこら、うんとこしょと言う感じで、運ばなければならないのですが、マチルドはまったく、音をあげず、ただただ、ぐんぐん運びます。強い。強いこと、たとえようもありません。

 それだけでも驚いたのですが、たまたま、その日は他の人が誰もいなかったので、マチルドが慰労のために入れてくれたコーヒーを間にして、気にかかっていた、「この工房(一つのフロアー、100坪ぐらいを全部占めている)で、家賃は一月いくらなの?」と質問をしました。すると、「1,100ドルよ」とのことです。それは、当時の日本円で換算して、13万円ぐらいでした。広いし、南部の方だといえ、24th st.West9は、ほとんど、マンハッタン島の中心ですから、(マディソン・スクエアーと言う美しい公園のそばだし)私は「安いわね」といいました。すると、「ううん。値上げを迫られている」とマチルドは答えます。

 その時に私は二つのことに気がついたのです。まず、『所長のロブがどんなに、人気があるアーチストだったか。それは、彼の人柄のよさも関係している』と言うことと、その彼が病気になってしまったので、その威光がもう利かなくて、現在の相場そのものの、家賃を払うように、彼女が、求められていること。そして、それが、ずるい人たちの影響で、使用料支払いモラルが低下してしまっていて、お金がきちんと、集まらなくなっていて、マチルドが苦悩をしていることでした。

 そして、一番びっくりしたのは、マチルドが、それに対して何の愚痴も言わなかったことです。その数ヵ月後に閉鎖になるのですが、それでも、所長のロブをしょっちゅう、車椅子で、現場やら、他の美術の催しに連れ出してあげていましたし、・・・・・『ただ、今出来ることを一生懸命遣る』・・・・・と言う姿勢だけで生きている、姿・・・・・それに驚いたのです。

 日本人は違います。もっと先読みしたり、してともかく、考えます。それから、二人の人がいて、相手に対して、安心したり、信頼したりすると、すぐ、内情を話したりします。そして、それが、親しみを表すということで、おしゃべりがはずみます。でも、マチルドは、愚痴も言わないし、何も、説明をも、しません。

 それが、マチルドの個性なのか、それとも、所長のロブも同じように、病気のことや、そのほかの悩みを一切言わない人だったので、アフリカンの人々に固有の、内面の強さ、(特に、我慢強さ)が、あるのかもしれません。そんな感じを受けました。

 最初に、申し上げた事が、間違っていたわけです。口数の少ないのは、我慢強さの表れだったのです。ともかく、感情をゆれ動かさないのです。そして、きりりとして、我慢強い。本当に驚きました。きゃしゃな体に、強い精神が、宿っているのです。では、今日はこれで。
    2009年1月6日       川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)
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元スーパー・モデルが無給で働いてあげる場所

2009-01-05 12:05:28 | Weblog

 私が海外へ行くのは常に版画の勉強のためです。遣っている方式が特別で、長時間仕事をしないと、材料費が馬鹿にならないレベルで、損をするので、長時間使用できる海外の工房を使うようになったのです。1999年には偶然に、ニューヨークの中心にある、伝統のある古い工房を見つけました。

 ここは、経営者と言うか所長さんが、版画家なので、大変使いよい環境が整えられていて、抜群に働き易い場所でした。しかし、実際のところ、そこには、大勢の人間が所属をしていて、その人間関係が、こちらが作りたくなくても、相手が居ると、相手からの働きかけもあって、自然に出来てきて、ややっこしいこともたくさんあって、それが、私の五冊目の本の主題の一つとなっています。

 そして、不思議なことに、たった一人のよこしまな思いが、結局はその何十年も続いた工房を、つぶすのです。そして、それが、つぶれたことによって、行き場所を失った、独りの初老の版画家が、孤独死をしたのです。私が去ったたった、9ヵ月後に。しかも、彼は、私が滞在中はすこぶる健康に見えました。

なぜ彼が孤独死で、人生を終わらなければならなかったが、十年後の今、やっと謎が解けて、(それは、私の人生経験の、成熟度によるのですが、彼の簡単な嘘『日本人の奥さんが、僕には居るんだ』を、当時は見抜けなかったのでしたが、今、かれが、・・・・・立派な社会人であることを、他者に知らしめるために、・・・・・・そこを、嘘をついていた事が判ってきて、どれほど、大変な内情だったか、悼みの気持ちに溢れてきて、)それも、新しい本を作る大きな動機だったのです。

芸術家が生きるということは、本当に大変な人生を選び取ったということです。ゴッホだけではないのです。家族が居なかったりすると、ほんのちょっとしたことで、貧乏とかそれゆえの飢え(?)のために、簡単に亡くなってしまうのでした。特に海外では、作品が結構売れたのです。日本では有名な人に向けて、人々の購買意欲が集中しますが、海外では、満遍なく、人々が好きな作品を買うという傾向が有って、それで、貧乏でも生きていかれるものですから、他の職業を持ちません。日本では、作品が売れると言う事が、ほとんどの場合無くて、(一時期、自治体が、立体を買ってくれたでしょうが)学校やカルチュアー・センターの先生などを遣っているので、結構、芸術家が豊かですが、ニューヨークで孤独死をした、そのエドゥアルド(仮名)その無念さ、無常さ・・・・・を、思えば本と言う形で、彼の追悼を、してあげたいと願ったわけです。

~~~~~~~~~~

 さて、所長のロブ・ブラックゲーン氏(これも仮名)は、ホテル・チェルシーを定宿としている芸術家で、一時期のアメリカアート界のスターですが、アフリカン系です。彼については、連載としてもブログでは書ききれません。でも、1999年ごろから急に工房の経営状態が悪くなりました。彼は、病気で、きちんと隅々まで見ていられないので、そこをついて、お金を払わないで使っている人が、たくさん増えてしまって、ビル使用の家賃等を払えなくなった模様です。

 そのことについて、どうして、元スーパー・モデルだと言う(つまり、版画とは直接の関係がない)マチルドが情報を得たのかを、私は知りません。でも、マチルドが、『見るに見かねて、助けてあげたい』と思って、無給で秘書の仕事をし始めたのは推察できます。きちんと、使用料を管理するつもりだったのでしょう。

 彼女は実は別の会社で働いているそうです。今でも、(当時は、30代後半か、40代の初めだと思いますが)充分に美しいのに、お子さんも居て(中学生だとのこと)、落ち着いた普通の生活を選び取った人なのです。モデルの後は演技を勉強して転進するなどと言う生活ではなくて、ごく普通の女性として生きている人なのです。だからこそ、落ち着いていて、そういう奉仕活動に入る事ができたのです。それは、お金にも、名誉(内心では深い自負があるでしょうが、社会的には誰からも、さしたる評価を得られないシゴトです)にも関係がない世界です。それに時間を掛ける彼女の、真の自負は、やはり、アフリカン系の長い差別の歴史の中で、芸術の才能を通じて、すっと、スターになって行ったブラックゲーン氏への、憧れとか、尊敬とかが、子ども時代からあって、こうなったという帰結でしょう。

彼女は版画家ではないので、洋服が汚れないので、いつも、スーツ姿です。別にウエストを強調しているスタイルでもないが、スリムな体にぴったりと合った、上等なウールのスーツ姿です。そして、足はまるで、バービー人形みたいです。だけど、彼女について述べたいのは、その精神力のつよさと、毅然さ(または高邁さ)なのです。それを、明日お話をさせてくださいませ。

   では、2009年1月5日      川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)

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アフリカン系、ビューティ-1

2009-01-04 22:14:08 | Weblog
 アフリカン系アメリカ人の若い男の子は、10年前から非常に美しいと感じました。ちゃんとしたスーツを着て、スキンヘッドにしていて、さっぱりとして、細身で、そして声が低くつややかな子が多いのです。

 その少し前までは、アフロヘアーと言うのかな? ぢぢれて居ることをさらに、強調するファッションが、はやっていたのでしょうが、私がいた、ミレニアム(2000年)前後、(1999年、2,000年、2003年)には、むしろ自分たちの美しさに自信を持ったのが、彼ら、特に男の子たちでした。

 女の子は、もうちょっと複雑です。育ち、それから、現在の収入のこと、学んできた内容のこと、それぞれによって、おしゃれも、服もすべて違います。

 自信のある収入の高いシゴトをしている場合でも、年齢によって、その発想は異なってきます。アメリカでは大体、女性は、自信があるほど、化粧をしないし、服装も質素です。しかし、熟年ですと、歴史的な背景があるから、お金があれば、それだけ、おしゃれにお金を掛けます。

 私たち日本人がもっとも、頻繁に目にする代表がライス国務長官でしょう。彼女は、ほとんどの場合、黒のスリムなワンピース姿ですが、それは、姿形が美しく、ボディラインが出ても、絶対に美しいという自負を秘めているスタイルだと思います。髪形も、ほとんど手を加えていないように見えますが、美術の世界で言うミニマムアート、日本的な言葉で言い換えれば、粋とか、わびさびの世界まで到達したおしゃれです。

 ただし、はっきり言えば、髪形には、大変な手間とお金が掛かっているはずです。

 ところで、それほどの、有名人ではないが、方向性が全く同じだった人が、私が1999年に通っていた美大の、美学部長の秘書さんでした。秘書は、総勢、三人ぐらいいるのですが、もっとも、元締めに当たる女性は、アフリカン系の、五十代後半の女性で、上等なウールのスーツ姿で、白髪をゆったりとウエーヴをさせています。その白髪は、つややかで、輝いています。こうするためには、相当の技術と、よい薬を使わないと駄目なのです。
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 日本人は、・・・・・・特に年齢が高いと、・・・・・・質の良いものを着るのが当たり前ですが、外人は意外にも質にこだわらないのです。ですから、質のよい材料のスーツ、しかもカッティングがよくて、自分の身にぴったりと合ったものを着ている人は、特別に目立つし、それだけ、他人が『あなたは、人生に勝利してきたわけですね』と、納得し易くなります。

 それほど、年齢が高くない女性で、しかも、しっかりとしたおしゃれをしている女性にも二人ほど会いました。

 ひとり目は、ブルックリンの不動産屋、(しかし、相当高級なところ)で、自分のブースを持っている三十台の女性です。ウエストが見事にくびれていて、それを、強調するように、前ボタンが、30個ぐらい飾りとして付いている、ボディラインがはっきり見えるスーツで、その色が緑であることにも感心をしました。

 ブルックリンにもとても、きれいなところがあります。ハイツではなくて、低地でも、道路の並木が育っていて、まるで、表参道みたいな美しいところです。しかし、車も人も圧倒的に、表参道に比べれば少ないのですが、それだけ、辺りが緑に満ち満ちていて、緑の風が吹いているような場所です。
 そこで、緑の風を振りまくような、うす緑色のスーツを着て、きびきびと働いているアフリカン形美人・・・・・彼女の髪は、ちぢれっ毛を、細いミツ網にして、しかもそれを、古代ギリシャ美人風にまとめています。

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 しかし、以上に述べた女性たちは、その心の中まではわからず、私にとっては表面的な観察でしかありません。

 しかし、版画工房の秘書をしていた、元スーパー・モデルのマチルド(仮名)については、感心した事がいろいろあり、明日から、三回ぐらい、マチルドについて述べさせてくださいませ。

 もし、あなた様がAOLのメルマガの読者でいらっしゃったり、私の五冊目の本、『黄色いさくらんぼ』をすでにお持ちであると、重なる内容になりますが、それはお許しを頂きたく。では、明日をお待ちくださいませ。
   2009年1月4日       川崎 千恵子 (筆名 雨宮 舜)
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