銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

知的障害者に優しいパリの人々ー1

2008-10-14 10:20:25 | Weblog
 皆様はパリの普通の人々に対してどんな、予測を持っておられますか。私はユトリロや、サティなどの、芸術家の生涯を紹介する映像を見るたびに、『古都だから、京都と同じく、後から入ってきたものにとっては、暮らしにくい面はあるだろうなあ』と事前には予測しました。そして、実際に行って滞在してみて、具体的に付き合ったインテリの中には、そういうムードを示す人もいたのです。特に先に住んでいた日本人が。これは、どこの国へ行っても同じで、古くは堀文子さんが、ご著書『ホルトの木の下で』の中で簡潔に述べておられますので、私はここでは繰り返しません。

 でもね、そんなパリの人が知的障害者には、とても優しいのです。私が住んでいたサン・ポールの駅そばに、ふらふら、うろうろしている青年がいるのですが、彼は驚くほど、映画『ポン・ヌフの恋人』の主人公アレックスに似ておりました。頭はスキン・ヘッド。ある日、夜・コインランドリーに行くと、床に彼が寝ている。ホームレスなのです。パリの10月とか11月にはとても寒い夜があります。だから、暖を取るために、そこに寝ていたとしても、利用する人が、持ち主にチクれば、追い出されてしまうでしょう。で、すぐ、そのポイントだけで、パリの人がホームレスに優しいのを、まず、知りました。

(しかし、本当はここに、差別用語かもしれないが、こじきと言う言葉を当てたいですね。パリのホームレスはちょっと、日本のホームレスより、違う点があります。よく缶を前において座っておもらいをしているし、あのブルーのテントを見かけませんし、より元気に見えます) 

 その次に彼が、相当に人気があるのを知りました。カフェに入れば、黙って、コーフィーを振舞われているし、パン屋に入れば、「はい」と、いとも簡単にパンを渡してもらえます。別にお金を払っている様子も無い。

 それで、私は映画『ポン・ヌフの恋人』の主役、アレックスを演じた、ドニ・ラヴァン本人なのかしらと、何度も考えました。『落ちぶれた映画俳優だから、こういうほどこしを親切に受けるのかしら』とも。

 またはそのアレックスのモデルだと考えられている、レオン・カラックス監督本人? もちろん、芸術の道は、きびしい。レオン・カラックス監督は、Wikipediaに拠れば、この映画『ポン・ヌフの恋人』の撮影中に、多額の費用と時間がかかりすぎたために、事実上の恋人であった、ジュリエット・ビノシュと別れてしまいます。

 そして、それが、痛手だったのか、その後、八年間沈黙をするのだそうです。私が、その不思議なホームレスの青年をを見かけた時期は、1998年ですから、まさに監督の沈黙の時代の最中ですね。

 なんどもそうは、思いましたが、でも、俳優・ドニ・ラヴァンである可能性は捨てました。どうも彼には知的障害があるらしいのです。あの映画の主人公は、『口がうまく利けない』と言う設定になっております。しかし、「それを、本当の知的障害者が、演じきる事ができるだろうか?」と問われれば、私は「できない」と、答えます。『こちらの人物の外見やら行動を観察し、それを模写して、あの映画の中の主役の人物造型は出来たのだ』と、私は、当時は、考えました。

 目の前でうろうろしている青年の方は、一種のふてぶてしささえ見せるときがあるのですが、人々は彼を絶対に嫌がりません。差別は生まれません。意地悪をされないのです。で、私は考え込み、・・・・・この乱暴に見える姿、そして、ふてぶてしい悪人にさえ見える姿は、本人が『他人にどう、自分が思われているか』を気にしないほど、単純な思考の持ち主であり、だから、人々から愛されるのだ・・・・・と結論をつけました。
 そして、パリの人の優しさに驚いたのです。
 ただ、この項は続きます。考察をもっともっと深めます。

 尚、右上に添えたのは、私の版画で、12x13センチと言う小さいものです。
      2008年10月14日        川崎 千恵子
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パリのバス停で、喧嘩して仲直り

2008-10-13 12:59:31 | Weblog
 皆様は、バスを普段よくお使いになりますか? 私は日本でも、電車を利用して降車後、15分程度は歩くと言うほうが好きです。これが、海外にいると、さらに、地下鉄派となります。もし、バスに慣れると、用事で移動するときに窓外の景色を楽しむ事ができると思いますけれど、路線図がなかなか手に入らず、しかも複雑ですよね。だから及び腰になってしまいます。

 でも、私は海外の滞在と言うと必ず、版画修行に出かけるので、毎日同じ場所に通うことになります。となると、だんだん慣れてきて、他のルートを使って試してみたいなと思うようになりました。で、版画工房の知り合いに『どうしたら、良いか』を問い合わせ、その通りにトライしてみることにしました。

  天気の良い日でしたが、辺りは全く静かで、人通りも車の通りもなく、私はたった、一人でそのバス停のベンチに座って、バスの来るのを待っておりました。すると、5分ぐらいしてから、隣に、あるご老人がやってきて座りました。

 そのご老人の様子ですが、痩せておられること、それだけはすさまじいほどで、私は、『ああ、この方は、相当なインテリだろう』と先ず思ったのです。こんなことをここで、急に言うのは、この12日の日曜美術館で、桜井浜江さんの特集があったからなのです。
 太宰治の「饗応夫人」のモデルになった方ですが、女流展に長く出品をしていて、当時の会長でいらしたので、実像を知っている私にとっては、『とても、痩せておられた』と言う思い出が、強い方なのです。
 気を使って、気を使って生きてこられたそうです。その桜井浜江さんを、パリのそのバス停で連想したのでした。
 で、そのご老人について感じたのはそれだけです。汚い人などとは全く思いませんでした。洋服だってちゃんとしておられましたよ。

 そして、彼が座った途端だったと思いますが、注目していた進入路から、私が乗りたい番号のバスが遣ってきました。それを、見た途端、待っていたものですから、私は立ち上がりました。

 すると突然、隣のご老人が怒り出したのです。もちろんフランス語でね。
 私は『あれ、困ったなあ。この人は私が明らかにアジア人と言う様子をしているのに、フランス語が、完璧だと思っているのかしら。私は、英語なら、使えるけれど、フランス語はまだ、会話が自由だと言えないのよ。
 ここは、英語で何かを言うべきかなあ?』と、いったんは思いましたけれど、すぐ、バスが来るのも知っているので、その会話は抑えて、ただ、指で、こちらに進入してきつつあるバスを指し示しました。

 するとご老人はほっとした様子を見せて、『ああ、僕は誤解をしていた。あなたが僕を嫌って立ち上がったのかと思ったのだ』と言われました。私はただ、にっこりしました。
 彼が最初に言ったことは「どうして、僕が来た途端に立ち上がるのだ。僕は汚い人間でもなんでもないのに」だったのです。その質問自体が、彼の方の過剰な誤解だった事、そして、私は彼を嫌ってなどいない事が、その笑顔一つで、伝えられました。

 先ほど、桜井浜江さんに言及しましたが、どうして、ここで、二つを結び付けたかと言うと、このご老人も、他者に気を使う人なのです。きっとそうなのです。繊細で神経質で、したがって傷つき易い人でしょう。でもね、その人の小さな不安を、すぐ、解消して上げられたことは、こちらにも嬉しいことでした。

 尚、右上の小さな像は、12号の油絵で、毛糸など使っております。

               2008年10月13日   (川崎 千恵子)


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ボージュ広場の楽しい画廊

2008-10-12 19:45:45 | Weblog
 パリ在住の人は意外と歩くのが好きなのでした。きっと、パリの全体としてのスペースが、東京圏・・・(北は埼玉から南は神奈川を含み、東は千葉、西は山梨まで通勤圏となっている大きなスペース)・・・に比べれば、はるかに小さいし、環状線としての電車が少ないので、歩く人が多いのだと思います。以前、サティを特集したNHKハイビジョンの番組で、サティは北から南へ毎晩、歩いて往復したと出ていましたが、現在のパリの人もそうするのでした。

 私も最終段階では、それを真似し始めて、ボージュ広場の、南側から入って、東側に抜けるのでした。そこを通ると自分が所属をしている工房まで、四十分程度で行かれるのです。四十分とは、日本では歩く距離ではないのですが、パリの人を真似してやり始めたのです。

 ボージュ広場は、今は、一階部分はお店が連続をしています。ある部分では高級・貴金属のお店などがあるようですが、そういうお店には私は用事が無くて、ただ、一つある画廊に、興味が惹かれました。それは、美術の勉強と言うよりは、猫の絵が大量に飾ってあったからです。そして入ってみると、右側半分が猫の絵、左側半分が犬の絵と、両方のファンに合わせてあるのでした。

 はっきりいうと、その画廊は、観光客目当ての、お土産としての絵と言うか、楽しみのための絵を売っているので、私たち、現代美術の専門家にとっては普通なら、覗くはずも無い画廊なのですが、猫の絵に惹かれて覗き込んだのです。

 オーナーはちょうど良い年頃の女性で、しかも優しい感じの人でした。これが、専門的な画廊の、女性オーナーとなるとこわいぐらいです。しっかりとしておられますよ。そういう立場はお金持ちらしくて、体格も日本人より大きいし。だけど、その猫と犬の絵・専門の画廊のオーナーは、柔和で優しい人でした。栗色の髪をグレース・ケリーみたいに柔らかくウエーヴさせてね。英語も出来る人なので、私は思い切って、「すべての絵にユーモアのセンスが含まれているんですね」と言いました。それは、図星だったらしくて、彼女は喜んでいろいろ、会話を持ちかけてくれました。

 しかし、私は、超がつくほど、正直な人間で、今思うと失礼なことを言ってしまいました。つまり、「ごめんなさい。私は専門家で、他人の絵は買いません」と。相手が私を買うお客と見て、丁寧に応対してくれるのを感じてしまったからです。人の心を先読みして、そして、彼女の時間と心を、無駄遣いさせたくなかったのでした。

 しかし、その言葉を聞いた彼女は、一瞬恥ずかしそうな顔をしました。その途端に、私は、自分が悪い事をしてしまったのを、理解したのです。でも、フランス人にもいろいろあって、こういう純真な人もいれば、人種やら、なにやらで、差別をする人もいますので、彼女の応対には、なんと、心が休まったでしょうか?

 今、そのとき(1998年)から、10年過ぎていますので、そこにまだ、その画廊があるか、そして、彼女が以前と同じように純真にお客さんに対応しているかを、私は知りませんが・・・・・尚、右肩においてある小さな版画は私のものです。

               2008年10月12日     川崎 千恵子
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ビクトル・ユーゴーの旧宅

2008-10-11 20:39:26 | Weblog
 話が『リゴレット』に入って行きましたので、その歌劇そのものの周辺の話題へ入っていきましょう。パリー・バスティーユオペラ座のパンフレットは(1998年のことですが)、白い紙に、黒一色で、印刷をされた意外と単純なものでした。無料ですから、それで、仕方がないのでしょう。
 まあ、パンフレットとしては、小さいものの、メトロポリタン・オペラのものは無料なのに情報量が豊富で、びっくりしました。日本のそれは、大きくてお高いのですが、主役へのオマージュだけで、全然役に立ちません。映画でもそうなのですが、舞台でもほとんど同じです。舞台とは、主役陣だけではなく、裏方とか、支援者の協力があってこそ作られるものですから、メトロポリタンのパンフレットの後ろの方に、寄付金の納入名簿がずらっと出ていたのも、私は結構だと思ったものです。

 しかし、バスティーユの方は、ドゥローイングで、舞台装置の一部が入っていたりして、それは、それで、趣があったのです。そして、前半の方に、原作者のビクトル・ユーゴーについての説明がありました。

 リゴレットは、非常に複雑な筋で、日本の歌舞伎に通じると言うか、因果応報の観念とかが含まれている悲劇です。しかしユーゴーが当時のパリの貴族社会、特にフランス王を、風刺批判する趣で書いたという、のには、当時のパリの沸騰振りを感じることが出来るのです。オペラ『フィガロの結婚』と、『セビリアの理髪師』は、ユーゴーではないものの、原作者が同じで(作曲家は違う)やはり貴族社会への批判として、書かれ、それをオペラ化する、モーツァルトは決死の覚悟だった模様で、しかも大きなストレスを背負い込み、早死の原因の一つとなったでしょう。

 ユーゴーの演劇の方は一日で、上演禁止となったそうですが、今、因縁のバスティーユで、堂々と、オペラ版(イタリアへ、舞台を移し、フィクショナライズをさらに進めた)が演じられるのも、芸術というものの永遠性と力強さを、再び感じさせられたことでした。
普段とても質素で抑圧の強い生活を送っているものですから、こういう現象を見るのは、嬉しいことです。

 さて、パリはもちろん版画修行に行っていたのですが、工房へ、もし歩いていくとなると、ユーゴーの旧宅があったボージュ広場を通るのでした。ボージュ広場は、私が借りていたアパルトマンから、四本目の路地を、バスティーユへ向かって左側へ入ったところにあり、10分とかからないで行かれる場所でした。

 広いサン・アントワーヌどおりから、その広場へ入る導入路の左側にレストランがありました。日本の観光案内所などには出ていない古いタイプで、オーナーも老夫婦でした。しかし、ユダヤ系の伝統料理、壷に入ったスープなどが出るのです。私はレストランで孤食をすると疲れるので、ほとんどが、自分で料理を作るか、中華風のお惣菜を買ってきていたのですが、最後の方に忙しすぎる時間帯がきて、外で食事をすることになり、その際に、このレストランを選んでいたのです。

 すると、ご夫婦のお客も来るのですが、独りのお客も来ます。もちろん、観光客ではないマレ地区の住人です。四〇代後半と思われるやせた男性が、独り着席をしていて、その伝統料理を食べているのなどみると、突然時制が、50年か、100年ほど、さかのぼったようにも感じるのでした。この現代の忙しいパソコンやら、インターネットが無かった時代のパリを彷彿とさせるのでした。このレストランは、この老夫婦か、その親の世代には既にここにあったのだろうと思わせるのでした。

 パリでは、その1998年当時、30代以降の人の60%が独身として生活を送っているとのことでした。そういう人々、特にマレ地区の、人々の普通の生活を見ることが出来るのでした。日本の観光案内書などでは、ファッションの新拠点になっていると出ています。確かに裏路地に、日本のデザイナー経営のブティックなどもあります。ピカソ美術館もあるし、でも、このボージュ広場、入り口への導入路左側に在る古いレストラン(今はどうなっているかが判りませんが)ほど、普段着のパリを感じさせる場所はありませんでした。

最後になりましたが、今日の版画は、元々は私がペルセポリスでスケッチしてきた絵を、自分で素朴なエッチングへと、直したものです。
                
    2008年10月10日これを書く。送るのは後で。
                (川崎 千恵子)
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アンナ・ネトレプコの2、ベルリン野外音楽堂にて

2008-10-10 16:34:47 | Weblog
アンナ・ネトレプコの2、ベルリン野外音楽堂にて

・・・・・彼女は、大観衆を引き受ける胆力はあるスターです。が・・・・・

 一報、前で(しかし、このブログ上では二本前になりますが)アンナ・ネトレプコが、ベルリンの野外音楽堂(この時期はサッカーのワールドカップが開かれた頃ではないかと思うのですが、私はだいぶ後になってNHKの放映で見ました)で、三大テノールを従えて、リサイタル形式で、大観衆の前でそのお姫様振りを示したことを書きました。そのときには、本当に旬のスターの美しさは感じました。体型も歌手としてはスリムな方です。

 キャスリーン・バトルなどは、スリムではありますが、小柄すぎて舞台上のアンサンブルには、ちょっと、うまく行かないところがあって、それを、彼女自身、知っていると思われます。だから、リサイタル形式を主にとっているように思われます。が、ネトレプコなら、どんな役も引き受けられるでしょう。

 まあ、舞台ではないものの、そのベルリンのリサイタルはすごいものでした。ホセ・カレーラスが白血病(?)を克服したばかり、そして、ルチアーノ・パヴァロッティ(なんと、この2008年に亡くなっております)、そして、この7日の火曜日のNHKで、指揮者として健在振りを示した、プラシド・ドミンゴの三人がネトレプコを支えたものだったのです。ドミンゴはルネ・フレミングのインタビューに拠れば、前夜には、歌手として同じメトロポリタン歌劇場で、歌っているそうです。大変な体力と覇権振りを、示しているのですが、男性だから、それは舞台上の役割と、矛盾をしないで、こちらの観客側に受け入れられるのです。

 ああ、しかし、ソプラノに割り振られている役柄は、ほとんどが悲劇のヒロインです。それらの主役たちは、リゴレットの主役ジルダにしろ、椿姫の主役にしろ、トスカの主役にしろ、ほとんどが死んでいくはかなさを内包しております。

 でも、それを演じるネトレプコは健康そのもので、強い意志を持っております。それは、一見しても判ることでしたが、この7日のフレミングのインタビューで、ネトレプコが舞台途中の楽屋インタビューに応じたこと、そして、あっけらかんと、「私はシャイではないから、ラヴシーンは平気です」といったことでも、言葉で確認された気がしたのです。でもね。だからこそ、役柄と本人の実像との間に矛盾を感じるのです。

 でも、これは、仕方がないということでしょう。決して、私が批判をしているわけではありません。ネトレプコはテレビ放映も含めれば、何億人と言う人を魅了しなければならないのです。そういう人間とは、非常に強いものを持っていないと、とれない立場ですから、これでいいのでしょう。
~~~~~~~~~~~

 しかし、今、どうしても、名前が思い出されないのですが、(と言うことはネトレプコほどの大スターには、未だなっていないということでもあります。日本の普通のお店ではCDが手に入りません)1998年にパリのバスティーユ・オペラ座で、見た、リゴレット内のジルダ役こそ、そのはかなげさで、満場の大喝采を浴びていたのでした。

 ジルダ役の方はアメリカ・テキサス出身だと言うスリムで背の高い金髪の美形です。細いがゆえか、ちょっと、声量が足りないように、私は思い、『このアンサンブルでは、マントヴァ公爵役の方が、拍手が多いだろう』と事前には思ったのに、カーテンコールでは、ソプラノの方が高く評価をされたのでした。拍手の長さが二倍程度。

 多分、ネトレプコはメッゾに近い声なのです。それに比べるとこちらの方はリリコと言うか、コロラチュラと言う感じなので、それもこの悲劇のヒロインにぴったりだったのでしょう。
  では、2008年10月9日書く、送るのは後で、 

なお、今日使いました花は我が家のがけに自生をしている、赤まんまとがくアジサイです。                          川崎 千恵子


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有馬稲子の2、ものの整理術

2008-10-09 16:54:48 | Weblog
有馬稲子の2、ものの整理術

 有馬稲子の1で、書いたように、そのNHKの番組への出演は、一種のプロモートでもあり、近々公開される老夫婦を描いた映画を広報・宣伝する趣もあったみたいです。この件に連動してか、夫役の長門裕之氏が奥さんが、痴呆症に近い状態だと別の番組で公開されております。

 それで、話題が老後をどう過すかと言うことへ移っていきました。彼女は一時期、総坪数、900坪の敷地を持つ、豪邸で、錦之助や、そのお取り巻き10人弱と、お手伝いさん、三人ぐらいと一緒に夕飯を食べるような生活をされていたそうですが、

 現在、横浜のマンションに引っ越されたそうです。スペースとしては小さいが、ケアーつきで、クラブが80ぐらいある、楽しいところだそうです。規模が大きくて、入居者が、400人を越えるのだそうです。だから、クラブ活動も盛んなのでしょう。

 とても、よいところみたいですね。私としては、綱島と鶴見の間にある、三ツ池公園のそばではないかと、散歩する有馬さんを見ていて感じました。池の形とその岸辺に記憶があるのです。

 でも、普通の人である私にとっては、二つの側面で、自宅で最後まで過したいなあと思ったことです。それは、結構入居費、が、高いであろう。ということ。最初の資金が数千万円かかるのではないかしら。それから、それが、少額ですむ場合は、毎月の経費が、お高いです。

 それから、小さいことですが、もし、大食堂でお食事を取るのなら、一体誰と一緒に食事をするかなど、気を使いますね。母のホームは小さいので、母のテーブルに着席する人は決まっています。まあ、有馬さんのマンションは、高額の入居費が要るからこそ、レベルの高い人が住んでいるらしくて、その80もあるクラブ活動へ参加をすれば、適宜なお友達ができるのでしょうが。

 最後に物の整理には、相当な時間がかかるので、老後をどう過すかの決意は早めにしたほうが良いと言うご忠告でした。八十を越えたら、絶対にやらなければいけないのですが、七十歳を越えたら、物の整理の方だけは、絶対にし始めなければならないでしょう。私なんか、この家にあるものが、ものすごいものの量なので、今から、やり始めておりますが、自分で創作したものは捨てられなくて、本当に困ります。ふう、ふう、ふう。

 最後になりましたが、この文章は、二回前の有馬稲子ー1に続くものです。

   2008年10月7日書く、送るのは後で。   川崎 千恵子
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アンナ・ネトレプコ

2008-10-08 15:43:54 | Weblog
 私はオペラが大好きで、海外では見るのです。リンカーンセンターのメトロポリタン・オペラが二回、シティ・ホールが一回、パリ・バスティーユが一回。それらは、旅行ではなくて、版画の修行の傍らの見学です。でも、日本では高くて見ません。
 まあ、世の中にはオペラ通と言う方も多いでしょうから、この程度では、別に物を語るほどでもないと、あなた様はお考えでしょうか?

 ただ、私は非常に感動をしやすく、ものを、丁寧に見ますし、すぐ、文章に落としますでしょう。ですから、その点で、オペラについても語っても良いだろうと考えているのです。よくウィーンのニューイヤー・コンサートの左袖に、和服の日本人女性が、座っているのを見るのですが、ああいう人みたいな、ブルジョワ(現代の言葉で言えばセレブ)ではなくて、貧乏絵描きですが、それゆえに、人にものを伝達することには、長けているつもりもあり、それで、あらゆる話題について、書くわけです。
~~~~~~~~~~
 ところで、舞台だけではなく、CDも聴きますし、NHKで主に放送する、舞台の中継も見ます。最近メトロポリタン・オペラの特集があります。(これは、10月8日の時点ですが)、

 その第二夜に、ルネ・フレミング(私が好きな方の歌手です)が、その晩の主役陣を、楽屋裏に訪問するという企画・映像がありました。この企画そのものは私は好みません。本当は、こういうつくりではなく、休憩時間は、2分ぐらいおトイレタイムを取るだけの、放映の方が好きです。訪問インタニューをするなら、最初とか、最後にまとめてそれを、入れるのが好きです。が、それは、さておき・・・・・

 プラシド・ドミンゴとの会話など、演目がルネ・フレミングは、52役を今までこなし、ドミンゴは、若い日の端役も入れれば、125役をこなしているなどというのは、面白い知識(情報)だと思いました。

 そして、フレミングの最大の役割は主役のアンナ・ネトレプコを訪ねることでした。先輩として、突っ込んだ質問ができると言う意味で選ばれた側面もあるのでしょう。ネトレプコは相当正直に答えていて、その点では好感を持ちました。

 『彼女にとって、ジュリエットの役柄は、結構、難しい。それは、音域がこの役に比べて、低いから』だそうです。ふむ。ふむ。なるほど。そして、「実際のジュリエットより少しだけど、年上だから」とも。この表現にも好感を持ちました。それは、今旬のタイトル・ロールであり、自信があるからこそ、発言できた言葉でしょう。

 さてね。そこへ、ロミオ役のアラーニャが入ってきて、フレミングが、「ラヴ・シーンが多いが、その点について、どう考えますか」と質問をすると、二人がそれぞれ、違った考えを述べて、その点が非常に面白いと思いました。

 アラーニャは「自分はシャイだから、相性などが合うとか、相手を尊敬できるか、SINCEREである必要がある」とか、いろいろとても、真面目に答えていたのです。すると、ネトレプコが、「私は、ラヴシーンは平気です。シャイじゃあないから」と答えたのです。

~~~~~~~~

 そのときに私はやっと、腑に落ちたのです。『そうか。私はこの現在、最高と言われる、ソプラノを聴いても、どうしても、感情移入が出来なかったのは、その点に原因があったのだ』と。そうですね。今までファンとも、自分を名乗ったこともないし、その主演オペラについて、しかとした、文章を書いたこともありません。素晴しい美貌で、彼女が椿姫などを歌うと、そのアリアは覚えるほどですが、それでも、他者に文章を発表をしたことはありません。

 きっと、受け手として、私の方に、彼女との相性が無いのでしょう。そのときにNHKのテロップで相性と訳されている英語の、本当の発音は、CHEMISTRYでした。よく、ピッピッピーと直感的に、恋愛に陥ることを、英語で、「化学反応が起こる」と表現するらしいのですが、相性と訳されているのには、びっくりしました。が、・・・・・

 ともかく、私は華やかなものの中に、少しだけでも、欠点とか、影とか、そして、ペーソスとかが含まれている、ソプラノが好きなのでした。まあ、勝手・気ままな言い分でございましたけれどね。私が何を言おうと、ネトレプコの評価が変るわけでもありませんし・・・・・特に男性のファンにとっては、ネトレプコは大いなる魅惑の存在でしょう。

 ただね。私が感情移入が出来た、シャロン・スイート(これは舞台を実際に見えている)他の歌手の舞台について、将来語ることもあるでしょう。それは、また、宜しくお願いを致します。
   2008年、10月8日書く、送るのは後で。      川崎 千恵子

 
 

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有馬稲子の1、『はなれ瞽女おりん』

2008-10-08 00:09:49 | Weblog
有馬稲子の1、『はなれ瞽女おりん』

 08年10月3日(金)に、NHKの生活『ほっと、モーニング』に有馬稲子さんが出ました。この人は芸能マスコミに、可愛がられていないというか、『きつい人だとか、生意気な人だ』と書かれ続けてきた記憶があります。

 美しさと言う点では華やかな、そしてモダンな美しさのある人で、私は美形好きですからもちろん、好きな人で、映画『浪速の恋の物語』も映画館で見た記憶があります。日本映画を大スクリーンで見たのは子どもと一緒に行った南極物語とか、銀座鉄道999とか、キタキツネ物語ぐらいですが・・・・・この映画は彼女の方も大好きで、この共演がきっかけで中村錦之助と結婚をされます。

 ただ、今見ればどうかは、わかりませんが、当時の私(若い、若いころのこと)には、内容が受け入れられませんでした。
 
その後、水上勉の『離れ瞽女おりん』の舞台版で、ずっとおりん役を務め、20年間にわたって、それは、684回を越えたそうです。私はその筋を全く知らなかったのですが、襲われかかったおりんを、救った男性との純粋な愛、の物語のようです。映画もあるようです。が、岩下志麻さん主演のようですね。

 でも、絵空事ではなくて、男性の方が、最後に、「お前を食い物にした点もある。稼ぎの一部を母親に送っていた」と言いながら、官憲にしょっ引かれていくのです。しかし、彼が捉えられた原因は、その悪い男をひょんなことで、殺害してしまった点にあるので、可哀想な、可哀想な、二人と言うことになります。

 その舞台の一場面が、テレビ画面に映りましたが、とても迫力があって、短い時間に、引き込まれました。昔の浪速の恋の物語どころではない、今の演技達者な人、有馬稲子でした。映画より舞台の方が難しいとよく聞きますので、さらに尊敬を深くしたところです。
~~~~~~~~~
 その後、共演者の松山まさひろさんが、亡くなった事が主原因だと思うのですが、これを、演じ止めたところ、ある別の企画が持ち上がり、

 今度は音楽付き(演奏者は五人)一人語りと言う形式で、演じ始められたそうです。・・・・・
 
 ところで、亡くなった松山まさひろさんについて、少しさらに述べれば、あて字は政治とかくようですが、その前には省二と言う芸名で活躍していたひとです。テレビの世界で活躍していた頃は細面でやさしい感じのひとでした)・・・・・

 その独り語りヴァージョンの方の、一部分をスタヂオで、突然遣ってもらったのですが、それでも、すぐ入魂の演技で、場面の真情を彷彿とさせました。衣装なし、伴奏なしでも、涙が出そうでした。

 戦後民主主義の時代をしっかりと生き抜いた知性派女優さんは、実力もすさまじいものでした。この番組への出演は、一種のプロモートでもあり、近々公開される老夫婦を描いた(もしかしたら、モデルは新藤兼人と、音羽信子)映画を宣伝する趣もあったみたいです。

  この後は明日にお送りをさせて頂きます、有馬稲子の2へ続きます。

なお、今日の図は、昔々のホーム頁から採録した、版画です。拡大をされますと、画質が悪すぎますが、ちいさな、ラベルとしておきました。どうか、よろしく。

   では、2008年10月5日これを書きましたが、送るのは後日に
                         川崎 千恵子


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NHK『アマデウス』に初めて惹かれる

2008-10-07 09:43:25 | Weblog
第16回、ムソルグスキーの展覧会の絵の、章で

 私は、NHKハイビジョンで、『アマデウス』と言う新番組が始まったのには気がついておりました。でも、今までは惹かれませんでした。それは、導入部分の司会者たちの会話に、ちょっと、『啓蒙主義が強くあるので、嫌だなあ』と感じていたからです。

 でも、それは、クラシック音楽に対する接し方の個人差があるので、一概にどうとは言えないのですが、私は原曲を何の、解説もなく、聴くのが好きですから、この番組の解説を『過剰なものだなあ』と、今までは思っていたのです。もちろん、司会者たちのアドリブではなくて、脚本に基づいた会話でしょうから、彼らを個人的に責めるつもりはまったくないのですが、やはり、原曲の持っている魅力に比べて、作者名のわからない脚本では、質が違いますので、今まではそこが、自分には、受け入れられなかったのでしょう。

 しかし、全くの偶然ですが、10月4日の土曜日に、終わりの方だけを、20分間見たのです。ムソルグスキーの展覧会の絵(原曲はピアノ曲)を、ラヴェルがどのように編曲をしたかと言う部分です。全く知らないことでしたので、非常に新鮮に思いました。

 それで、今朝、7日の火曜日の再放送を、最初から丁寧に見たのです。番組がとても、きちんと、作られていることに感動しました。その司会者たちの会話の、到着点が予測しうるところは相変わらずでしたが、中に挿入されていた研究成果の提示、などには、本当に惹きこまれました。その内容はレベルが高かったと思います。それで、つなぎの司会者たちの会話にも大きな意味が出てきました。

 研究者とは、初めて私が接する人でしたので、苗字だけしか覚えられませんでしたが、玉川大学の安田教授と、愛知芸大の安原教授です。これは、普通の人なら、どんなレベルの人にとっても、初めて聞く話ではなかったかしら。

 これはテレビ視聴の醍醐味です。普通なら、学会等でしか、聞かれない話をお茶の間にいて、聞くことが出来る。しかも、とても判り易い言葉で。今は民放も、ドキュメンタリー等の真面目な番組をゴールデンアワーに放映することになったらしいのですが、ともかく、地上派の民放は、私には、既にほとんど、お呼びではない世界になっていました。だけど、このアマデウスなどは、非常に高度な新しい知識を、与えてくれる番組ですね。まだ、地上派で、放映されているかどうかは知りませんが、

 ただ、途中で私が、自らを 特に、笑ってしまった点がありました。それは、ムソルグスキーが生まれた地方の、ものすごく、貧弱な小屋のような農奴の家を映したときに、「もしかして、ムソルグスキーって、こういう育ちなの?」と一回思ってしまったことなのです。

が、そうではなくて、結果としては、結構崇高な地点にこの番組が導いてくれたことです。

 彼は、大地主の家の息子として生まれながら、それでも、苦しい庶民の味方となり、それが、『未来へ作品が、残っていく、芸術家の、使命と言うか、本性である』と、喝破しているところです。そういうように、彼が書き残しているのを知って、まるで、違った前衛性と、人間的な深みを、ムソルグスキーに感じて、『すごいなあ』と思ったことと、この名曲が生まれた影に、人と人の友情が大きく作用していることも知ったからでした。

 展覧会とは、ありきたりのものではなく、親友ガルトマンの遺作展でした。それを見て、すぐ、この曲ができたそうです。それは、知らなかったので、そういう知識は、与えられてありがたく思いました。ガルトマンの肖像とか、その絵が、画面で展開するのはテレビ視聴の醍醐味です。

 結局のところ、『この番組では知識を得て、楽曲は別の機会に、独りでCDで聴くで良い』と思いました。となると、最初に感じた違和感や、嫌悪感を拭い去る事ができたわけです。で、この番組の意義をあらためて感じました。

 偶然かな、それとも、意図的かはわかりませんが、この曲の全世界的な、展開に役立った、フランス人ラヴェルと、同じ国籍のシャルル・デュトワさん指揮の、N響定期演奏会らしい映像も、流れて、最後のたった、7分程度ですが、眼を閉じれば音だけが聞こえる世界も展開して、それは、良かったです。

    2008年10月7日              川崎 千恵子
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ニューヨークのペンシルビル

2008-10-05 15:23:23 | Weblog
  先般雑居ビルで、また、悲惨な事が起こりました。それを、テレビで見た主人が、「どうして雑居ビルという名前をつ」けるのだろう。とても、低レベルなビルという感じがする」といいますので、私が、「あのね、そういう名前を付けられているビルは、繁華街にあって、入っているテナントが、娯楽とか、飲食店・・・・特に居酒屋・・・・とかが多いので、そういう名前がついているのよ」と、答えておきました。主人はお酒を飲まない人なので、そういうビルを知らないのでしょう。

  ところで、私はニューヨークに暮らしていたことがあり、特にマンハッタン南部のマディソン・スクエアーと言う公園の近所のビルに毎日通いました。その公園の近辺には、結構古いタイプのエンパイア-・ステートビルと、とても似ている高層ビルがたくさんありました。
  それらは、最上階に向かうに連れ、細く成っていて、その最上階近辺は、ゴールドか、銅の緑青の緑で、装飾をされているのです。しかも、夜間にはその尖塔部分がライトアップされて更に美しく見えます。だから、毎晩、コーフィーなどを買いに行く時に目の保養をしていました。
 
  その中に、高層ではない(23階くらいの高さ)ものの、この三角形のペンシルビルも有ったのです。このビルの特殊な形は、ここが、五番街と、ブロードウエイの交差する六差路だからです。ブロードウエイと言うと、ショービジネスの街として有名ですが、あれもここと同じ道路を指しています。ただ位置としてはもっと北に、あの有名な劇場が集中している街はあります。マンハッタンには、今では珍しくなった斜めに走っている通りで、それが、ここで、23丁目と五番街の十字路と、重なって六差路に成り、細長い三角形が生まれ、そこへこの美しいビルが建っているわけです。
 
  本を少しずつ読むと、このビルの名前は、The FLATIRON(フラティロン)と言いENO(エノ)一族が買い、このビルを建てて多額の賃貸収入を得たそうです。するとエノ一族は森ビルのオーナー一族みたいですね。ただし、そのお金は、優雅な五番街ホテルの経営で得たそうですから、帝国ホテルの犬丸一族と言えるかも。そして、アメリカ人は、こう言う一家をきっととても好きなのです。全くまっとうな手段で、お金を儲けたお金持ちですから。ケネディを好きなのは、一般大衆だけだったりして、古いニューヨーカーなどは、あの一族を鼻で、せせり笑ったりしているかも知れません。
 
  この土地は、古くはCOW・CATCHER (牛・とっ捕まえ)と呼ばれていたのだそうです。ここに臨時の牧場が置いてあったからだそうです。なるほど、アメリカにも歴史は有るのです。京都や奈良程ではなくても。
 
  私が外国に行って良く感じるのは、パリはともかくとして、相当古いビルを丁寧にしかも大切に使っている事です。私たちは、日本は、木や紙の文化で、外国は、石の文化だから、建築が長持ちすると教えられて来ました。でも、最近の日本での、ビルの破壊と建て直しは、ちょっと疑問を持ちますね。

  だって、古い写真を見ると、関東大震災と、第二次大戦の災禍によって、東京のビルは大部分破壊をされたわけで、それらが、建て直されてから、まだ、百年は経っていない訳ですから。それなのに、ぼんぼん、改築されていますでしょう。それに比べて、ニューヨークのビルに、大きなネットがかかっていて、改築中かなと思っても、大抵は外壁を新しい素材で、巻きなおすだけなのです。それも道路に面したところだけを。だから、裏窓から見ると、ほとんどのビルで、レンガが剥き出しに成っています。

  日本は、いわゆる箱物と言うビルをたくさん作っているし、企業のビルも大きいのを、たくさん作っていて、それは、産業社会・全体を潤したわけですね。それなのに、どうして、国全体として大きな借金が有ったり、国民が、今、人々がリストラされたりして、個人として苦しんで、居るのでしょうか?  

  こう言う事も、きっと非常に単純なからくりで、説明出来るのだと思います。きっと○○が悪いのでしょう。ではまた。
       原文は随分前に書く、載せるのは、08-10-5 川崎千恵子

尚、添えられた写真はとても古いものです。MADISON SQUARE(GIBBS ・ SMITH 刊)と言う本のカバーから縮尺、コピーして転載をさせて頂いております。前に馬車が走っております。今では、この近辺は、このビルを囲む形で大きな新しいビルが出来ております。
          
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映画『西の魔女が死んだ』を見て

2008-10-03 22:11:24 | Weblog
  今日(といっても、これは、6月30日のことですが)、『西の魔女が死んだ』を見てきました。先週は『アフタースクール』を見て、最近映画に凝っています。『靖国』を見て、久しぶりの映画に面白さを感じて、結構映画館にいっています。

  アフタースクールは話題の徳川家定公(堺雅人)に惹かれてみたのですが、山本圭が突然太った叔父さんになって現れたので、最後まで演じている人が、誰かがわからなくて、びっくり。この俳優さんは上手な人だけど、見たことが無い人だなあと思ったら・・・・・私と同世代の、成蹊高校卒の人気俳優だったのです。

  それにしても、『山本学と山本圭がテレビにぜんぜんでないなあ。もしかしたら、山本耕史という若手の演技派は、山本家の一員なの? それで、彼が当たっているから、世代交代して、叔父さん族世代は、もうテレビには出ないの?』などと思っていたら、その間に、突然、圭さんは太っていたのでした。

  まあ、以上は軽い前置きとして、

  『西の魔女が死んだ』は想像通りの映画でした。母親役の『りょう』という女優さんはもとから大好きですが、主役の少女がすばらしいです。純真な感じと清潔な感じと、ほとんど、演技だと思えない・・・・・自然なせりふの発声。・・・・・この映画の中で圧巻の存在です。

  また、サチ・パーカーさんの最初の二、三のセンテンスは、わざと外人めいて(イギリス人だという設定だから)発音されていると思いますが、それは別として、それ以降の日本語のせりふが本当に自然で、驚きました。

  特に、思いがけない部分としては、何故、学校へ行けなくなったかを、魔女(おばあちゃんに、説明する、せりふ、・・・・・たった、4行ぐらいの短さで・・・・・いじめの本質を説明しています。・・・・・)そこだけは、予測に反する見事さでした。私は原作を読んでいないので、余計驚かされたのだと思います。
  「女子の世界って、難しいところがあるの」と、つぶやくように語り始める主人公。ゆっくり聞いてあげる魔女(おばあちゃん)

   ~~~~~

  『西の魔女』は、しいて言えば、娯楽映画というより、真の教育映画です。楽しみながらいろいろな事を考えさせられる、教育映画です。私ぐらいの年齢になっても教育されました。あ、は、は。

  まあ、褒めるばかりではリアリティがないので、ちょっとけなせば、この原作が創作をされたのが、いつなのかを正確には知りませんが、アイデアとしては、ターシャチューダーを髣髴とさせるし、それにしては、映画の中の花畑等が、ターシャチューダーの本物の庭に比べれば、急ごしらえだと、見えることです。

  また、主役の二人が最も好きな場面だといった、孫を慰めるために、魔女がクッキーを焼いて、二回の寝室に持っていく場面で、お皿の上に三種類のクッキーが乗っていたことです。もし、冷凍庫に種が入っているのなら、最初の夜から魔女は、クッキーをご馳走したはずですし、この夜に急に焼いてあげたのなら、普通は、三種類はできません。

  だけど、そういう欠点を越えて、上品だし、いろいろ考えさせられる良い映画だったと思います。

  そして、私は演技者として、著述家として、大きな仕事をした、サチさんのお母さんのシャーリー・マックレーンのことも思い出しました。

  2008年6月30日に書いて、送信するのは、10月3日  川崎 千恵子
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「圧倒されたその人生、劇画家、さいとう・たかお」

2008-10-02 22:16:28 | Weblog
 2008年の7月、13日の深夜、珍しく、バックグラウンドミュージックとしてNHKの総合一チャンネルをつけていたのです。そして、それに背を向けて、パソコンをやっておりました。

 すると、後ろから、大変悟った、賢い男性の吐露が、聞こえる。言葉の一つ、ひとつが、衝撃を与える言葉です。たとえば、ずっと、何十年もペンばかり持っていたので、握力が全くなくなってしまった。とか。

 子どもの頃、大阪に住んでいて、府の金賞を自分の絵が取ったのに、お母さんがかまどで、それを焼いてしまったとか。どうして、一足す一が二になるのかを、誰も教えてくれないので、勉強がわからなくなったとか。

 お兄さんを大学へやるために、床屋さんになるように、母から決められてしまう。とか。勉強がわからないので、いたずらがきばかりやっていたら、大変しかられたが、戦後、すべて、教科書に墨で削除を入れる事になったので、

 それに、ある種の感動を覚えて「あ、今度は、教科書にいたずら描きをしていいんですね」といって、先生にすごくしかられるとか、強い子なのに、お父さんがいないせいか、それから、変わり者だと先生からにくまれているせいか、同級生から、いじめられることとか。

 事実としてはどぎつい事の連続なのに、声が本当に静かで、宗教家のことばのように感じられるのです。

~~~~~

 番組の構成の仕方も良かったし、緊迫感が、あって、すごいドラマを見たような気がしました。それでね。これから、オンデマンド包装が始まるので、それを、ご覧になることをおせっかいながらお勧めします。ご本人も、番組の制作姿勢もすばらしい。

 一部分、『泥の河』みたいなところがあるので、ゴールデンタイムは無理かもしれないが、そういう、ちょっと、子供向けではないかもしれない、部分を過保護にしないで、これを、こどもに見せても、こどもは理解できるでしょう。

 このさいとうたかおという人の作品は、ゴルゴ13というコミックで、私は、ちらっとしかみたことがないのです。コミックは、ガラスの仮面を数巻。読んだだけで終わっています。ちょっと世代が違うので、読むのがつらいのです。でも、今の若い人の中で、バンドと、アニメか、コミックの世界に入る人が、一番エネルギッシュなんでしょうね。さいとうさんはそのはしりですね。

最後に、ご本人から、ご自分の今の落ち着きの秘密がもたらされました。

 それは、お父さんが、自分と同じく、芸術というか、絵が好きな人で、それゆえ、家庭を顧みなかったそうです。それが、お母さんのトラウマになっていて、それが、子ども時代のさいとう・たかおさんを縛り付ける、新たなトラウマ(絶対に絵の道に進んではだめだといわれ続け、絵を描く事に罪悪感を抱き続けた)になっていったのです。

が、それを、今は、克服なさって、絵を描くのが楽になったそうです。

    2008年7月13日、書きましたが、アップロードは、10月2日

                   川崎 千恵子
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