銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

横浜市長、四年前の事で、登場する24-3-14

2024-05-13 21:20:09 | 政治

 これは、私のブログ、

我が家の私道部分が盗まれた事の真の責任者、前田清子さんと夫は二度にわたってそこが正当だと言い始めたが、実はとんでもない話なのだ。公文書偽造か?

2024-05-18 23:46:11 | 政治

 の、副題3、で、熱海市長に続いて、今は、横浜市長が伊藤玄二郎ら(CIAエージェント)らに利用をされている・・・・」と書いているところとリンクします。

 つまり、私が、横浜市長の悪事(生活保護費を不正供与しているということ)を、書きそうだなあと、言うタイミングを狙って、NHKニュースとして、横浜市長の映像を流すのです。その実例です。ま、内容はないものですが、公開をいたします。

4年前の女子中学生自殺 横浜市長が対応改善に取り組む考え示す

4年前、横浜市の中学校の女子生徒が自殺し、市の第三者委員会がいじめと因果関係があったと認定したことについて、山中竹春市長は「生徒の助けてほしいというサインをキャッチする体制が欠けていた」と述べ対応の改善に取り組む考えを示しました。

2020年3月、横浜市の中学2年生の女子生徒が自殺したことについて、調査に当たった市の第三者委員会は先週、いじめと因果関係があったと認定したうえで生徒への支援のあり方などに誤りがあったと指摘しました。

これについて、横浜市の山中市長は14日の定例会見で「大変重く受け止めている。生徒の助けてほしいというサインをキャッチする体制が欠けていた」と述べ、生徒の様子に少しでも変化が見られた場合はスクールカウンセラーに速やかにつなげるなど、今後は学校が組織的にいじめの問題を把握できるよう改善に取り組む考えを示しました。

また生徒の死亡後、学校が行った基本調査の報告書案に対し、教育委員会が「いじめ」という文言を削除するよう指示したことが第三者委員会の調査で明らかになったことについて、山中市長は再発防止策として弁護士などの第三者を最初から調査に加えることが必要だという認識を示しました。

これは、最初期は、2024-03-14 19:46:52に、アップした。ただし、なんとなく反町と関係があると、思われる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隈研吾氏の、トロイヤー館にはぞっとする私。大成建設の名前が伏せられているのも悪意満載だ。but 石塚雅彦さんには勝てない?!?!?

2024-05-13 04:11:23 | 政治

 本日は文章の目的は、はっきりしているのですが、そこに至るまで、また、あっちこっち、寄り道をさせていただきます。

副題1、『えっ、この建物って、ぞっとするなあ! 隈研吾設計、国際基督教大学、新建物=トロイヤー館』

 私ね、ありとあらゆることをするに、遅くなっちゃったのです。で、今日の午前2時から、パンフレット類の整理をして居たのです。美術家連盟とか、いろいろ、読みで・が、あるものがあったので。

 で、国際キリスト教大学学報、第52号を、24-5-13に読んだのです。同じところに置いてあった美術家連盟のニュースは、No490で、2024年四月号です。だから、ICU広報の方も新しいものだと、考えて読んでいました。寄付者ご芳名というチラシが挟んであって1億円以上の寄付者もいて、1000万円以上の中には、私が、在学中に、助教授か講師だった溝口節子先生のお名前もあって、驚きました。現在90歳を超えておられると思う。実家が裕福なのか、結婚なさった相手が裕福なのか? 寄付を1000万円できるということは、年収がいくらなのでしょうか?と驚きました。

 五万円未満という欄に同期の名前10人ぐらいを見つけて、いるうちに、3歳年上の石塚雅彦さんの名前も見つけました。。

 石塚さんは、小学校での先輩(日吉育ち)、大学での先輩、大学美術部の先輩の三つが重なっていて、しかも、長期間大学同窓会長をしていたので、割と接触が多い先輩です。で、2000年までは、優雅な関係だったと思います。石塚さんは、外人記者クラブ(紺色の緞帳の前で、記者会見が行われるクラブ)の、理事長もしていたので、そこのレストランで、美術部同窓会展の打ち合わせもあったし(それは、出席者が、12名ぐらいです)かわいい、かわいい、おくさま(文芸春秋社・社長のお嬢様)とも会話を交わしています。

 ところが、6歳年上の渡辺幸子さん(新制作に出品中、ガレリアグラフィカの押し画家、青木繁大賞展、大賞受賞者)の、誤解と嫉妬に基づく、強烈ないじめに出会って、その会を私の方は、去りました。今、思うと損だったかもしれない。ただし、私は、心の中が、静謐であることが必要で、面と向かって、激しい嫉妬心を示す、渡辺幸子さんとは、二度と会いたくないと、考えたのでした。

 そのころから、石塚さんが変わったのです。渡辺幸子さんの、青木繁大賞・受賞も石塚さんが裏で動いたと思うし、今、私が問題としている、雪ノ下二丁目の、石井秀樹邸が、テレビ東京で、2013年7月18日、二時間・特番として放映をされたのも、元・日経新聞論説委員だった、石塚雅彦さんの手配によるものでしょう。でも、それによって、前田祝一という人物と、今、ずっと、問題にしている白井達雄氏の奥様の顔写真が取得できたのは、変な意味ですが、ラッキーでした。

 ところで、その後石塚さんと、古村浩三君が組んだ、数多い、謀略事件(片山ゆうすけ君のなりすまし疑惑等)が起きて、それらについても、私は、死ぬ前には、石塚さんから謝罪をもらいたいと思うのですが、まあ、道は遠いです。でも、雪ノ下が終わったら、取り組むつもりです。

だが、石塚雅彦さんは、堤義明氏と、いとこ同士だと思うし、早稲田の大学院の教授になったし、ロックフェラー四世と、ICU第一男子寮で、一緒だったと思われ(それ以降もずっと、夫妻一緒の付き合いがあると思われ、)この仕組みを元に戻し、平静な生活を、私が取り戻すまでは、前途遼遠です。81歳のわたくしと、83歳の雅彦さんが、死ぬまでに、できるかどうか?

 でね。この章で、語りたいことは、隈研吾氏に、国際キリスト教大学の新建造物、トロイヤー記念館の設計を依頼する様に、手配したのも、石塚さんだと、私は、考えております。

 その建物ですが、私としては、ぞっとする様な建造物です。

 隈研吾氏の、名声を・・・さらに、上へと・・・・上げるのには、ふさわしい建造物でしょうが、

毎日使う建物としては、ぞっとする限りの建物です。恐ろしい形状です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『今、施行業者を探していて、やっと見つけた。それが、なかなか見つからなかったことも、また、政治的意味、満載なのだ。で、簡単に、施行業者が、明記されていない意味を書いておこう』

今、やっとウエブサイトで、その写真を皆様にご覧いただくことができる様になりました。30分以上探しました。著作権があると思うので、学報52号の表紙に、でかでかと載っているその建物の写真を皆様にお見せできなかったのですが、

学報「The ICU」52号(2023年7月号)を発行|国際基督教大学(ICU)

 というオンライン文字化されたニュース頁を見つけましたので、それをご覧いただきたいと思います。

 ところで今、午前六時になったので、一旦パソコンから離れます。この記事は、決して単純な文章ではありません。なんで、昔の広報が、今、テレビの前のスツールに置いてあるかが大問題なのです。

 我が家には盗む泥棒も入るのですが、いやがらせ用、物質を入れ込む、そういう泥棒も入るのです。一年に四冊送付される、大学広報の、五冊も前のものが、いかにも新しいものであるかの如く、テレビ前のスツールに置いてあった。それこそ、政治中の政治です。それについて、説明を加えます。

 ところで、今、念のために施行業者・・・・・実際は大成建設だったが・・・・・を探そうとしたのです。これが、ICUの、公式サイトでは、なかなか、出てきません。

 今、3時間以上この件で、ウエブサイトを検索中でしたが、施行業者がずっと出てこなかったのです。それも、隈研吾氏に光を当てるためだったでしょう。やっと出てきたホーム頁の写真の方がこの建物の全容がわかります。

トロイヤー記念アーツ・サイエンス館 竣工式および見学会|国際基督教大学(ICU)

 下の記事の最後の方に、竣工式参加者の、集合写真があります。そこには200人からの、しかるべき人物が、写っています。そういう人物に比べると、私の存在は、いかにも小さいです。しかし、美術を、専門業として、数十年間を経ている私の直感は、バカにしたものでもないですよ。

 この建物は、隈研吾氏の名声を高めるかもしれませんが、学生及び、訪問者の心を潤す建物ではありません。コケ脅かしの恐ろしさがあります。

 ところで、長時間、ここを離れますが、だからこそ、簡単にこれから先に書くことを書いていきましょう。

私は極めて、深いICUへの愛を持っているのです。

 この建造物を、ふつうのビルとして建てたら、同じ金額で、6階建てビルができる筈。ICUは元、中島飛行機を無償で、もらっている大学だと推察しています。当初5万坪あったのです。だが、切り売りをして、今は、何坪になっていますか? それでも広い。明治大学よりも広い。だから、土地の集約的活用を、気にしないでいい。だけど、このトロイヤー館は、ひどいと思う。あまりにも建設費が高いでしょう。ずさんな理事会だと思う。だけど、石塚雅彦さんが事前に根回しして、絶対に多数決で、通る様にしていたのだと思う。

また、無償で、もらった土地を、大沢側(=西側)で売ったのではないですか? 宅地として。????? ニュースとしては、公開をされていないけれど、そうではないかしら? どこから、こんな大金を生み出しましたか?不思議です。

 隈研吾氏は、代々木の新国立競技場でも、莫大な維持費を生む大規模な建造物を、批判を押しのけて、建設しました。国民への愛は、ない人です。都民への愛もない人です。

 今度のパリオリンピックは新建造物をできるだけ、作らないで、行おうとしているそうです。ね、そういう哲学が大切です。

 隈氏は、ご自分の名誉を高めることにまい進をしている恐ろしい人です。私が批判をしているからこそ、どんどんドン仕事が入っています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『国際キリスト教大学って、1937年7月7日、盧溝橋事件(日中戦争開始時)から、現代政治に、密着しているのです』

 さて、中島飛行機は、ゼロ戦を設計したことで有名です。で、ゼロ戦は、神風特攻隊を生みました。という意味で、中島飛行機にもある意味での、罪があるかもしれない。というのは神風特攻隊の神格化があって、昭和天皇の神格化に寄与しているからです。IS国の若者を笑えません。あれらを、異様なものと考えると、神風特攻隊を理解できません。

 ともかく日本は、中国へ侵略し、その後、アメリカを相手に8年間戦争をするのです。その間、中島飛行機は、あこがれの就職先だったと思います。私が、戦時中までは、中島飛行機勤務だった、増田忠氏(後ほど、昭和天皇の御料車をデザインした紳士)との、あれこれのいきさつを書いていましたね。あれは、増田忠さん自身が、間接的にではあるが、第二次大戦の、一種の被害者だったという話です。私は、散らかったベッドの写真を見せられて、「片づけに来て」と言われて、それが、一種のベッドインのお誘いだと察して「どうしたの? 増田さん?」と、驚き入ったのですが(だって子供の時から接触している北隣のお嬢さんのパパさまですよ)、あいまいな返事をした(イエスともノーともいわずに)ママ、わかれたら、次の日の午前五時に、「昨日は、寝られなかった」と、ぐちぐちと、した電話が、かかって来て、45分以上、・・・・・精神的に悩んで居て、寝られなかった・・・・・と、氏が言うのです。サラリーマンの息子がいて、朝食を作らないといけないのに、本当のことを言わないで、ずるく、修正しておこうとする、こういう態度(電話でも同じですが)が、私は大っ嫌いです。

 白井夫人が、そっくりな態度をとるのです。12日の、夜にも意味ありげなサインを送ってきたのですが、それも大っ嫌いで、決して乗るつもりはないのです。それぐらいわかっているのに、ひっかけてくる。増田忠氏も、私の方が、氏の誘い掛けを、

『セックスをしようという意味だったか、どうか? 分かっているか? わかっていなかったか?』を知りたいのでした。そんなこと、むろん、わかっていますよ。だけど、私はリアルな世界では、喧嘩をしない主義だから、「増田さん、何言っているのよ。おかしい。どうしたの?」とかは、言わない主義なのです。黙っています。この際は、増田さんは、電話をかけてくるべきではなかった。ただ、ただ、時がいやすのを待つべきだったのです。これをきちんと書くのは、これが、カリタス小通学バス襲撃事件への導入になるからですよ。それに妹の他殺事件にもつながっていくからです。

 さてグァルネリか、ストラディヴァリうすを、戦時中から持っていて、美しく引くことのできる増田忠さんが、どうして、こんなに落ちた偶像になってしまったかは、複雑な背景があるのでした。奥様が兄嫁だった人であり、その兄の早い死が、戦死だったら、増田忠さんは、これまた、間接的な戦争被害者でもあるのでした。増田忠さんのお子さんは、慶応と早稲田に進学しています。だが、南隣の長女(=私の事)が国際キリスト教大学に進学したことを聞いて、少なからず、衝撃を受けて、嫌がっていたかもしれません。私が、高校(お茶大付属高校)在学中までは、東横線の日吉発に乗って、博学強記の氏から、いろいろなことを教えてもらった素敵なオジサマだったのに、国際基督教大学に進学したことで、内心で、恨み嫌う女性になっていたのかもしれません。

 ただ、私が日吉で、増田忠さんに再会したときは、氏は、よれよれで、よぼよぼな段階でした。腰は、90度曲がっていて、かつ痛いのだそうです。1997年のことでした。私は小田歯科医院と、実家によるつもりで常盤台と、言う住宅街への坂を上がっていて、増田さんの方は、昔のご近所主婦たちを会話を楽しむために、訪問をしていたのでした。増田さんは、高額で、自宅を売ったのです。相手は真田宏之さん一家でした。だが息子さん一家との同居が全くうまくいっていなかったのです。会話はない。食事会もない。非常に冷たいものだったのです。

 というわけで、アメリカに負けたことで、

 アメリカに負けたことで、解体されてしまった、旧・中島飛行機に勤務していたエリートだった、増田忠氏は、25歳は年下の私を、心底深くは呪ったのかもしれないのです。でも、それに気が付いたのは、最近の10年間であり、

 だけど、多くの血が流された(ただし、三鷹、大沢で、流されたわけではありませんが)中島飛行機の跡地が、

戦勝国アメリカにより、アメリカ文化を、習熟する人間を要請する大学として、建学をされました。だからこそ、肝に銘じて、清潔な運営を続けなくてはならないでしょう。

 このトロイヤー館は、ひどいと思っています。私を苦しめるための無駄遣いだとおもっています。

 でも、いわゆる、本当のことを言う私へ、復讐するために、石塚雅彦さんは、手を回して、孫が、ICUを受験した際に落としますか?

 そして、長男の収入がさらに減る様な動きも、しますか? 今まで、何度もそれを経験しています。また、ここで、西原理恵子を利用した仕組みを、再現しておかないといけません。石塚雅彦さんは、そういうことを過去にもやっています。

 リロケーションジャパンという会社に隈研吾氏が入って行って、顧客としてのわたくしに意地悪をする様に、命令をした。で、復讐行為を、これほどに、名誉ある隈研吾氏もやるのだった。それが、CIAエージェントが支配する日本の特徴である。大名誉と、大富豪なのに、批判をしている、私に対して、個人的に復讐をして来るのが、隈研吾氏です。隈研吾氏に、そうする様に、手配をした人間は誰でしょうね。今のところ、それまでは見えていませんが?

 

 そういう風に過去のありとあらゆるブログ文が、ここにかかわってきます。お待ちください。続きは明日書きましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする