銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

日本のサグラダファミリア=横浜駅の長い長い工事期間を証明する写真

2024-05-12 00:42:33 | 政治

 2023年のどこかでアド街ック天国が、横浜駅を特集しました。

 その時に、取材陣が、西口を通りかかった人に質問をしていたら、あるご婦人が、「横浜駅って、日本のサグラダファミリアと、呼ばれているんですよ」と言いました。非常に長期間、工事中だからです。

 そうですね。私は、1955年から東横線で、中学へ通うために、日吉から桜木町まで行っていました。その時すでに、相鉄ジョイナス(名品店街・・・・地上階部分)が工事中か、完成だという段階でした。

 で、2023年に、横浜駅の工事が、やっと終わったといわれています。ニューマンという西口の駅ビルが、完成して終わりとなりました。それは、竹中工務店が施工していました。JRのタワービルと、商店街が、合致したビルです。

 となると、私の記憶だけでも、68年間工事中となります。

 これは、息子が四歳ぐらいで、東海道線のホームにいます。親戚の集まりか何かで、彼だけは、親戚と一緒に、東海道線のホームにいるのですが、おや(両親)は横須賀線のホームにいます。それで、とても、心配そうな顔をしています。でも、この年齢の子ども、特有の体形をしていて、それは、かわいいと、親ばかながら、思っています。太からず、細からずです。

 ところで、この写真は、各種過去データを探索中に見つけたのですが、彼の足元をご覧ください。材木が、渡してあるでしょう。その材木は補強のためか、コンクリートを塗ってあって、鼠色をしています。しかし、その下が、工事中だという証です。多分、これは、1974年か1975年なので、地下道を、建設中だったのでしょう。中央改札口北口を工事中だったはずです。で、子供は、現在54歳に近いので、この写真だけでも、50年間工事中だったと証明できるのです。

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 本日(=24-5-11)の、アド街ック天国は、横浜関内を特集しました。1位から20位まで登場項目のうち、10個ぐらいは、知っているという場所です。

 ところで、博学の山田五郎さんが、「関内の西口に、三つのタワービルが、建設中で、それが竣工するとガラッと風景が変わる筈で、皆様もぜひ、今のうちに関内を見ておいた方がいいですよ。」と、言いました。

 その言葉は胸にしみました。その三つのタワービルのうち、一つは関東学院のもので、それは、もと、横浜市の教育センターでした。その一階から三階までは、市民ギャラリーというもので、上野の都立美術館で、開かれている公募団体展は、日展や、院展などの日本画系統を除いて、ほとんどの団体展が神奈川支部展を開いていた場所です。新制作も、春陽も、二紀も、・・・・・

 1980年代・神奈川女流展に絵を出していたころは、知人がたくさんできて、ほとんどの団体・神奈川・支部展に、「来て」と言われて、見に行っていたものです。

  あざみ野に移転をしたそうですが、なんという事だろう。林文子市長時代だと思うけれど、全く知りませんでした。あざみ野じゃあ、不便で、行かれません。

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 で、この絵は、その市民ギャラリーあたり=ただし、まだ、教育センターも建設されて居なかったほどの昔ですが=で、描いています。もちろん、横浜スタジアムもない時代。たぶん、私の年齢としては、19歳から21歳までの夏休みでした。その時期に一人で出かけて描いています。当時、関内駅は工事中でした。まだ、運河が残っています。今は埋め立てられていて、一部が高速道路になっています。

 この油絵をここで、使いたいなあと思って、その実物を、一階に見に行ったのです。また、無い。これも、泥棒をされたみたいです。

 この絵ですが、まだ、公募団体展には接触していない時期なので、素朴そのもののタッチで描いています。でも、力強いでしょう。私が実際には、ひどく、骨太で、しっかりした性格の人間だと言う事を示しています。ふにゃ、ふにゃ、した人間ではないのです。

 それは東京の偉い弁護士さんも言ってくださいました。「最初は、あなたは、所謂被害者像(他人から足蹴にされるが、抵抗できない弱い人)の、典型だと思っていたが、違うんですね。非常に頭がいいし、強い人です」と。

 私はね。40年間もこの谷戸で、行われているすさまじい悪を見過ごしてきました。だけど弱いからそうしたのではなくて、すべてがだまし討ちとか、サブリミナル効果を狙った、裏がある形で、行われるので、真実が、80%位把握できるまで、待っていただけですよ。

 ただ、この原画は、6号か8号です。それが、3x4cmぐらいの小ささで、しかも葉書のに下部に印刷されている形を、また、スキャンしたものですから、画質がものすごく悪いです。

 これは、ポンパドールあたり(吉田橋より、ちょっと外れた南)で、実物を見ながら描いているのです。1962~4年までで、まだ運河があった時期です。

 今日は、特にこの章では、その泥棒画家(植木鉢も、各種の絵も盗んでいる)についての心理学的、人物・分析はやめておきます。なぜ、そういうことをやるのか?は、深い深い分析が必要です。ただ、私には、20年以上前から、彼の事は、裏も表も、全部分析済みですけれどね。

 でも、白井夫人とか、渡辺賢司夫妻は、彼と大変仲良しですよね。白井夫人は東大卒、渡辺夫妻は、外語大卒ではないか?と、思っていますが、『なんという鑑識眼の悪さだろう。国税で、養成された人たちの、なんというずさんな、人物評だろう』とただ、ただ、驚いています。

 でも、かわいそうなことに、彼には、愛する対象もいないし、愛される他人や、親族もいないのですよ。養母さんは、相当に彼を疑っています。おかねの面で。かつ彼の方も真実の敬愛とは、程遠い、処遇を養母さんにたいして、行っています。寂しい人生ですね。

 ただ、ただ、周辺を煙に巻いて生きて来た、75年だからでしょう。本人は自分が嘘をついているとも自覚していないでしょう。本当に『自分は立派なエリートだ』と、自認をしている筈です。だけど、家もない(建物の、名義は、奥様で、土地は、養母さんでしょう)たぶん株も持って居ない。定期預金もない。本当にナイナイ尽くしの男です。

 だから、奥様は彼が、自分をだましていると言う事に、突如、目覚めて、家出をしてしまいました。特に白井達雄氏が引っ越してきてから、真実のエリートとは、白井さんの様なものを差し、夫ではなかった。と言う事が判ったのは、衝撃だったでしょう。自分が、この山で、隋いちのお姫様扱いを、もう、受けられないのだと、悟って、出て行ったのです。誰かの下としての扱いを受ける・・・・・そんな恥ずかしいことはプライドが許さなかったのですよ。

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 なお、クリック間違いで、以下の写真が表に出て居ました。で、ちょっと説明をさせてくださいませ。これは、上の関内駅工事中の作品を描いていたころの私です。場所は三鷹のICU内お教室です。

 男性は、欧陽可亮とおっしゃる中国語の先生で、名筆家として名高い王義之の末裔です。先生の右側が私です。美人じゃアないねえ。苦笑。残念ですね。で、ICUでは下級民族・扱いでした。(苦笑)塩見和子さんみたいな美人がICUでの、上級民族です。その手の美人が100人を超して存在していましたね。1966年までの、ICUって、本当に女性に人気がある大学だったのですよ。ただし、外国に関係のある人(例えば、AFS制度に毎年受かる生徒がいる高校)とか、ミッション系の高校に在学中の人にしか知られていない大学でした。

 だけど、私も、時と場合によっては、特にお化粧をすると、(普段はすっぴんなので)美人になる模様です。以下は、結婚式の私です。

 職場の上司の先生方から、「本当は美人だったんだね」と言われました。

コメント
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