銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

友が「息子が東工大の教授になったの。しかも30代で」と電話でいう。それは慶応ルートを使った攻撃であり、私は古傷を掻き毟られて苦しむのだったった

2023-01-06 21:10:27 | 政治

 この章で、私は、大変複雑なことを書きます。書くのにつらく苦しいことを書きます。しかも、大変、力が必要です。でね。総タイトルをご覧になって、私が単純にも、「彼女は、上級国民を友人に持っていることを、自慢して、威張っているらしいなあ?!?!?」などと、は、誤解をなさらないで、くださいね。

 これは、鎌倉えーじぇんと(=CIA)と、警察と、慶応大学が、そして、日経新聞とテレビ東京が、からんでいる壮大な、政治的弾圧の物語なのです。で、24時間は、【少学校時代の友の坊やは、30代で東工大教授に。夫=父=がSQARE ENIXの重役だから、さもありなんと、私は納得をする】と温和な総タイトルをつけておりました。が、8日の夜10時半に、より、この章の内容に近いものに変更します。

 でね、各節を副題αとナンバー付けをしていくのは、いつものことですが、さらにその上に、第β部という、大枠の分け方も付け加え、、そこにそれなりの、ナンバリングもつけていきます。非常に構造が複雑なので、わかりやすくするためです。その第一部は、2023年1月6日に部分的に書いたものの、これだけでは、意味をなさないと判断をして、一回引っ込めています。それは、文末に置きます。その第一部を書いたわけは、電話をかけてきた友人のご主人が、慶応大学の理事、しかも、売上高が高いスクエアエニックスの幹部なので、私を苦しめる為にかけてきた電話が、ファイナルファンタジーの歌舞伎化と、連動をしているなあと、感じるからでした。したがって、そこから、始めています。

 が、主たるポイントは、私が、友人からいじめられているという話なのです。とても、にていることは、数年前にも起きています。お茶大付属高校卒の後輩(5年下)の広瀬由紀子さんご本人から、「今度、学芸大学の教授になりました。広報担当の特任教授です」という、はがきをもらった時のことです。そのとき、以来の悪意を感じました。学芸大学の教授の方は、ずっと、個人オフィスを開いていた千葉大卒のデザイナーだったのに、急に国立大学の教授になったのは、すべて、私を苦しめる為の、(川名昭宣君などの)、国立大学の教授任命権を握っている、CIAエージェントが、画策したことでしょうし、かれらが、川崎千恵子(雨宮舜の本名)に「知らせなさいよ」と、命令するから、わざと直接知らせてきたと、わかることだから、軽くやり過ごしました。このブログでも、書かなかったと思います。それは、ほかの多数の攻撃と、連動しているので、いつものことだと、思ったし、広瀬さんから、ほかの面で、情報をもらうこともあったので、「フィフティフィフティです。これは、仕方がないわね」と、覚悟をして、やり過ごしました。

 広瀬さんの場合ですが、個人で、事業をやっているのと、学芸大学の教授になって、キャリアを引退をするというのとは、信用度が大きく違います。彼女は、お茶大付属高校の同窓会で、今では、大きな位置を占めているし、お子さんや、お孫さんの就活や、婚活にも大きな利益や援助をもたらすことでしょう。

 しかし、東工大の教授になった息子を持つ、お子さんの、電話は、二か月ぐらい前のことで、しかも、大学受験期に当たっているので、私の心を大きく乱しました。孫が、大学を受験する、年度なのです。月に一度ぐらいOPCという名の、お勉強会を一緒にする、広瀬さんと違って、そちらは、小学校、5,6年時の同級生で、昔も今も、結構活発な交流のある友達だからです。そういう人に裏切られるきつさを、どうか、ご推察くださいませ。ここまでが、二日目の加筆部分で、ここから先は初稿に戻ります。文体も変わります。

 小学校時代の友人は、すでに、25回ぐらいにわたって、クラス会を開いている。中で、市瀬紀美子さんという女性は、ひときわ富裕になったし、それをどことなくひけらかすので、みんなからけむったがられているのだが、特に私に対しては、そこへ、政治的弾圧の要素が加わっているので、私に、とっては、彼女との対応は、しんどいことの連続ではある。

 彼女が歌舞伎座のエレベーターに、偶然を装って、乗り込んできた日に、私は、彼女から、こういうセリフを放たれた。「桜姫、良かったわね。私あれを、四度もみたのよ」と。

 私は無論、見たかった。だが、攻撃がひどくて、その対応のブログを必死で、書いているうちにチケットは、完売してしまった。海老蔵の団十郎襲名も、第一部は、11月も12月もチケットが手に入ったが、第二部【助六】は、どうしても、手に入らなかった。それも、むろんのこと、ブログを緊迫して書いていたからだった。安倍晋三銃撃事件とか、宮代教授傷害事件とか、次から次へと、起こされた。安倍晋三さんが、奈良県西大寺で、銃撃されたのは、私が、旧姓西大寺さんから、井上ひさしの力と、カソリックの力を使って、引き離されていることを刺激するためだと、私は書いている。その件で、ここで、加筆をしたいが、旧姓西大寺さんの坊ちゃまが、数学専攻の学者であってプリンストン大学や、ソルボンヌ大学で、学んでいると、教えてくれたのは、広瀬由紀子さんなのだ。私と旧姓西大寺とは、西大寺さんが、五歳上、広瀬さんとわたくしとは、五歳広瀬さんがしたという間柄で、神田の学士会館のレストランで、講演会を聞いたのちに、二次会を開いて、懇談する間柄だった。それが、二か月に一度で、十年間は続いていたと、思う。広瀬さんからの年賀状が、今年は来ていない。ほかにも、その二次会仲間から、いつも来る人が、くれていない。ということは、安倍さん銃撃に関して、私が書いたことが、ほとんど正しくて、旧姓西大寺さんに、それが、伝わっていると、言うことを意味するのだろう(あと注4)

 

 市瀬紀美子さんの、攻撃は、一回だけではなくて、二回あった。その一回目の方が、歌舞伎座では、常連であると、言うことを、自慢する話だった。わたくしが、桜姫を、見られなかったことを、鎌倉エージェントから知らされていたうえで、「四回もみたのよ」と、自慢をしてきたことだった。一方、その鋭い嫌味をエレベーター内で、放たれた日とは、別の日に聞いたのだが、彼女は松竹のゴールド会員だそうだ。ということは、私よりも、4日も先にチケットを申し込むことができるのだった。それは、今回の団十郎襲名の時みたいな、特別な時には、大いなる差となってくる。

 しかも、彼女が、差別をしてくる点は、ほかにもあった。歌舞伎鑑賞の、富裕度の差よりも、子供の出世度の差の方が、私にとっては、よりきついものだった。それでも、2022年の、10月か、11月に、「息子が、東工大の教授になったのよ。しかも、40になるギリギリ手間でしたけれど、一応、三十代でね」と、言う電話は、相当にきついものだった。

 しかし、それでも、ブログ化は、しなかった。なぜか?・・・・・というと、それは、孫の大学受験に、CIAエージェントが、裏から手を回して、不合格にするのではないかという、10年以上前から、抱えている心配事を刺激する話だったから、かえって書けなかったのだ。なぜ、この一月7日にブログ化したかは、本日(9日)の、本省推敲後、文末に、加筆できたら、加筆したい。まあ、私を襲っている悲劇中の悲劇があって、ついにそれをブログ化することとなったのだが、その悲劇を、本日中に書けるかどうかは、わからない。お待ちいただいとも言えない。というのも、読者の皆様のうち、普通の心を持っている人は、他人の不幸や悲劇など、聴きたくないと、お思いになるだろうから。しかし、過去に、このブログに実名で、登場した方で、それを迷惑だと、考えている人物は、私の悲劇を知れば、喜ぶ可能性がある。

 この件の裏に、私の息子は、私立中学受験時(=1982年初冬)に、二校も、瀬島龍三によって、不合格にされた。で、すごく荒れたし、人生がごちゃごちゃになったともいえる。だけど、中三で、復活してくれたのは、ありがたかった。

 それは私が、画家になる夢など捨てて、ただ、ひたすら、主婦と、母業だけに、従事したからだと、ひそかに、思ってはいる。だから、私は、一ノ瀬智恵子さんを批判をするのだ。彼女はお子さんが殺される前には、私ほどの心遣いとか気づかいをしていない。お世話もしていない。特に大切なことは、待つことなのだ。それなのに待たないで、警察へもっていった。過去のストーカーの例を研究しても、警察へもっていくと必ず、殺される。そういう過去例を見たって、警察へもっていかないで、ただ、待つ、という忍耐の時期を経ないといけないのだ。しかし、彼女は、自分の仕事の時間が欲しかったらしい。事件当日だって、家で、紗綾ちゃんの帰りを、待っていなかった、朝警察へ訴えを出したのだから、最も危険な日だったのに、待っていなかった。

 ここで、飯能事件に入る。あれは、過去の私の文章を否定するための要素が満載の謀略事件で、ビショップさん親子は殺されてはいないと、見ているが、三つ目のポイントとして、庭で三人が殺されたと、言う一軒がある。鈴木紗綾ちゃんは、家の中で、待ち伏せしていた、青年に刃物で襲われて、道路まで逃げたそうだ。が、道路で絶命したとのこと。

 子育てって、予期せぬことが起きる。日能研の先生が、絶対に合格しますよと、おっしゃっていたのに、そして、別に栄光とか、星光(1982年当時、桐蔭は、まだ創立されては、いなかった)を受験したのではないのに、不合格だった。うちの子は、日能研の先生にかわいがられていて、「将来は、東大だね」と、言われていて、卒業文集にもそれを書いてしまったぐらいだった。知っていたら、注意したのにと思うし、担任の先生から、私にお知らせをいただき、訂正をして置きたかったと思う。また、親戚中から、私が、お正月宴会などで、「ちっちゃん(わたくしのこと)の子供だから、きっと、すごく優秀だろうね」と、言われていたことも、災いをした。私が、当時は、一流校だった付属に、ほかの子と、50点も差をつけて、一番で、入学したことは、周辺によく知られていて、その子だからと、言われるのもしばしばだったから。

 その1982年の初冬に、私は、まだ、自宅が、盗聴をされているとか、瀬島龍三一派が、深く、私の死を願っているなどとは、思いもしなかった。私の死を願うから、息子という希望の種の芽を摘んだのだった。しかし、私は性善説の人だから、しかも、彼らは、横須賀市の旧水道山を地積変更届という、一種の高等知識を使ってただで、取得している大富豪化後の人間だから、そこに満足していて、真の上流階級らしく、・・・・・事件の裏側を知る私を、狙うなどとは、する由もないだろうと、思いこんでいたのだった。

 だけど、今思うと、あの時に、その悪事(入試を裏から不合格にさせた)に気が付かなくてよかった。もし、あの時に気が付いて居たら、私は苦しさのあまり、くるっていたと思う。くるわなくても、瀬島一派の、張本人、益山智恵子さんに、何らかのアタックをした可能性がある。そうしたらあの時点で、家庭が壊されていたかもしれない。真相に、気が付かなくてよかった。最近になって、真相を確信する様になったのは、織田歯科医院の先生のえぐる様ないじめから、カリタス小通学バス襲撃事件が起きたからだった。これは、書きかけ中で、書こうと思うと何らかの謀略事件が起こされて、完成していない。だが、息子が、中学受験に不合格だったのは、裏からのCIAの工作だったというのは、確かだった。

 しかし、2005年ごろから、この事実には気が付いており、したがって、ひそかに孫のことを心配し始めたのだった。まあ、孫は、さておいて、長男の方へ戻る。彼が、私の身代わりというか、間接的攻撃の対象として、どれほどに、苦労をしたかを語りたい。

 ここまで、9日の午前1時20分までに、加筆推敲をしました。ただ、本当に疲労困憊しています。消耗が激しくて、これ以降の推敲加筆は、後刻をお待ちくださいませ。

その後就活の際に、いじめられて(これは、わかっているけれど、まだ、ブログ化していない)、就職後もいじめられて、大変な苦労をしてきている。

 三国屋善五郎に、勤務して居たころのケースなど、息子は、何も言わないが、西原理恵子の、【さいばら茸】第8巻を秋葉原のブックオフで、偶然買って、帰りの電車内で、読んで、彼の苦労の、秘密がわかったのだが、

 これは、合計、7人もの人間がかかわっている謀略で、いじめられ切って、しまい、子供の世話・・・・・があるために、会社を、辞めざるを得なかった。孫には、少し、自閉症の気味があり、妻=母親だけには任せられなかった。本当に、息子は、その子<孫>を、今も、かわいがって育てている。

 それは、高須院長、西原理恵子、罠をひっかけてきた三国屋善五郎の、女子店員、三国屋善五郎の社長、大前研一、大前勇介、石塚雅彦というラインで、構成された謀略だったのだ。

 西原理恵子は、吉祥寺に住んでいるのにもかかわらず、状況以来初めて、帰郷し、法事に出たのだが、法事のお返しに、三国屋善五郎のお茶をわざわざ、横浜駅東口のポルタにまで、買いに来て、しかも、それを包装した、女性店員は、社長に命令されて、わざと慶祝用の、熨斗紙をつけ、それを起こった、西原理恵子は、高知県に来て、謝罪をしないと、許さないといい、女性店員の上司である、息子は、飛行機代も、ホテル代も出ない形で、最初は、謝罪に行くと、お嫁さんが言っていた。

 私がお嫁さんにあったことによって、

 息子は、自分の苦しみを、母親や、お嫁さんに、詳細に語る人ではない。だけど、私は、異様な胸騒ぎがして、お嫁さんを訪問をして、その話を、彼女が私をバス停まで、送ってくれたたった、5分間の間に聞いた。

 その後、ホテル代と、飛行機代は出たそうである。これは、尾行者がいて、私が、お嫁さんを訪問をしたことを知って、慌てて、社長に、飛行機代と、ホテル代は出しなさいと、企画をした、石塚雅彦さん、または、大前研一が、命令をしたのだと、推察している。

:::::::::::ここで、挿入に入ります。東大を卒業した後で、電通に入社した、高橋まつりさんが、上司からの、パワハラや、セクハラを受けて、自殺をしました。その後、だいぶ時間がたってから、お母さんが大々的に、記者会見をしました。それに対して、私が、一文を書いています。

 そういう、不思議な、感覚が通じるのです。江戸時代後期に出版をされた【雨月物語】の中に、【菊花の約(契り)】という章があり、約束の日に会えないので、遠くで、自死した『友人が、自宅へ訪問をしてきて、一緒にお酒を飲んだのだが、ちょうど、その時に、かれは、死んでいたのだなあ』と思う主人公が出てきます。昔は、電話もないし、ネットもない時代で、手紙だけが、唯一の交流手段だった場合に、それほどの、心の交流があると、言うことを書いている文章です。あのね。それから、菊花の契りとは、ボーイズラブ(というか、同性愛)を指す様になった模様ですよ。

 それに対して、いくら静岡県と、東京と離れていても、お母さんが、まつりさんの、苦境を理解しえなかったというのが不思議です。母と娘とは、自然な形では愛情が育ちにくいのです。とくにまつりさんの母親が、弁護士事務所に、勤務してると見え、その先生と一種のパートナーシップを結んでいたりしたら、まつりさんは、母親を嫌うでしょうし。

まつりさんは性格が悪い?。自殺は、母にも遠因があるのでは?・・・・・母って胸騒ぎがするものなのですよ△   2016-11-12 20:00:14 | 政治

 ともかく、私のまつりさんに、関する文章は、相当深い内容で、読者の皆様にも、評判が良いものです。あの大々的、記者会見ですが、私がブログで、実名で、あれこれを書くのは、何か、法廷闘争になった場合に、これらのブログを使うつもりだからだ・・・・・と、書いたことを、からかってきた記者会見だったでしょう。つまり、俺たちの陣営の人間は、記者会見などができるし、法曹界の人間のサポートを受けられるが、お前はだめなんだと、言うことを言いたくて、あれほど、大げさな、記者会見を開いてもらえたのだと、思います。つまり、まつりさんの上司(弁護士)には、伊藤玄二郎が手を伸ばせる存在だと、言うことです。

 ともかく、私は、まつりさん、ご本人は、かわいそうだと、思うけれど、母親が、悲しみを記者会見で、売ったるのは、ただ、打ただ、ぞっとして、見ているだけです。この人は、お葬式ごっこで、岩手の祖母を訪ねようとして、切符代がなかったので、駅構内のトイレで、自殺した、鹿川君の母親を思わせます。美しいミルク・チョコレート色のアンゴラセーターのアンサンブル(二枚が一組になっているデザイン)のトップスに、美しくカットした、マッシュルームで、髪をかき上げながら、カメラの放列の中を歩いている彼女は、まるで、スター気取りでした。お子さんが、お小遣いを貯金していて、数万円持っているだろう、中学二年生なのに、切符代がなかったそうです。むろんのこと、いじめっ子にお金も、奪われていたかもしれませんよ。だけど、そこまでの段階に行くのに、どうして母親として、気が付かなかったのだろう。鹿川君のケースに限らず、いじめられっ子というのは、母親に、ネグレクトに近い扱いを受けているケースが多いのです。かわいそうだけど、自宅で、かわいがられていない子供は、外で、攻撃者(例えば、リンチ事件の首謀者)となるか、被害者となり、自殺をするかのどちらかになりやすいです。有名大学を出て、自分のキャリアを育てるのに一生けん命で、子育てを、赤ちゃんの時から、保育所に任せるのは、大反対です。

 育てないと、愛情もわかないのですよ。生むだけでは母親とは、成れないのです。苦労をするから、いとしくなるのです。毎日、毎日、子供の要求にこたえていくうちに、次の段階の要求がわかる様になり、それによって、母子の間の関係もできてくるし、深まっていくのです。

 私は、木村花さんと、言う若い女性には、一切の知識がないのです。三浦春馬は、他殺だし、竹内結子も他殺です。絶対に、自殺ではない。その系列の中にいる模様の、花さんも、他殺かもしれない。ただし、観察をしていないので、何かを言いません。でもね。あのお母さんを見ていると、・・・・・おおや、おや、このお母さんって、鹿川君のバリエーションだけど、どうして、これほどに目立つ形で、パーマをかけているのですか? ふつう愛する子供が無くなったら、悲しくて、控えめにするものですよ。

 お母さんは美人ではないです。もしかすると、美女であった娘に嫉妬していましたか? だから、娘が死んでも、全然悲しくないですか? 娘さんが、格闘技などという特殊な職業を選んだこと自体、一種のリストカットではないかと、思いますよ。自傷行為に近いので花かなあ。彼女のおケースは、SNSの投稿で、傷つけられたと、言うケースで、鎌倉エージェントたちに裏から、サポートを受けていると感じますよ。「あんたは、すごく大切な人です。普通ではない。見事な記者会見でした。これからも頑張ってね」と言われていると推察します。それでね。自分自身が、スターになったつもりでしょう。

 この・・・・・権力ある男をバックにすると、自分がお姫様になったと、勘違いする女性・・・・・は、この山にもいるのです。石川和子さんという鎌倉春秋窯主宰者は、その名称からもわかるとおり、伊藤玄二郎の愛人だそうで、それを、鎌倉市内でも、公言して歩いている女性です。肉体関係は、伊藤玄二郎が、結婚後は、無いかもしれません。だけど、精神的サポートはずっと、受けてきたでしょうから、並みはずれたわがままの人でした。他人のものだって、素敵なものだったら、自分のものだと思い込んでいる女性で、私の猫が素敵な猫だった(頭が良くて、一緒にいると、面白いのです)ので、自分の猫にしたいと、願っていたのです。しかし、究極のところで、猫が私の方を選んだので、頭に来て、猫に復讐する手段は、思いつかなかったらしくて、猫の母親である私に復讐をしようとして、その手立てとして、警官を使ったのでした。つまり、税金で給料をもらっている警官を、自分の私兵(=家来)として使ったのです。信じがたいほどの傲慢ぶりです。

 もう一人、莫大な権力を持つ組織、警察庁に、ご愛顧をいただいている安野智紗夫人も、その、傲慢と、自信の強さには、ただ、ただ、驚嘆をするばかりです。ところで、安野智紗夫人の自信ありげな姿に、てっきり騙されて、彼女を、私より上に置いたのが、鶴岡八幡宮の上級神官龍村さんです。

 私はここでも、龍村さんに申し上げたい。警察の制度って、明治政府が作ったのですよ。鶴岡八幡宮って、明治維新よりもその創設は古いではないですか? 日本人の宗教的、敬愛の対象です。それが、どうして、一五〇年未満の伝統しかない、警察庁の言うことを聞くのですか? 不思議ですねえ。むろん、歌舞伎をみたり、娯楽小説を読むと、江戸時代にも、岡っ引きとか、言う、今現在の警察に似た組織はあったのです。十手を持っている、庶民代表です。しかし、繰り返し述べますが、鶴岡八幡宮の創建は、鎌倉時代です。

 龍村さん、あなたが、私がわかっているほどの、歴史認識がないと、言うことに驚いてしまうのです。だって、私の推察するところ、あなたは、京都の帯メーカー龍村の出ではありませんか? となると、京都出身だと思われる吉田茂穂現宮司様とは、大変気脈が通じている間柄ですよね。だとすると、次の次の宮司という路線に入っていらっしゃるのではないですか? そういう方が、あの手水鉢の傍で、私の方は、瞬間的に頭に思い浮かべた日本史を、あなた様は、まったく顧慮せずに、

 安野智紗夫人を私の上に置かれましたね。私は、その瞬間、踵を返して、自宅へ帰りました。その後ろ姿を、「あいつを負かしてやった。上首尾、上首尾だ」と、誤解をなさっているのではないでしょうか? その後の鶴岡八幡宮の大太鼓の音を聞くと、そう、思えます。だけど、私は、反対に「しめた。言質をとったぞ。これで、これから先、二〇年間、ブログの種ができた」と、思って、帰ったのですよ。「言質を取った」ということの中身とは「鶴岡八幡宮様は、鎌倉警察署の言うなりなんだ。それが、今日証明をされた」と、いうことです。『女性としての安野智紗夫人の色香に迷ったのだなあ。あの人って』と、思ったわけではありません。いや、そういう人は、多いのですよ。石春産業の常務(社長の弟だと、聴いている)など、私の目の前で、それを発揮しましたのでね。彼を、はじめ、数多いのですよ。だから、私は、安野智紗夫人を、藤田紀子さん(前は、憲子と名乗っていた、若・貴兄弟の母親)にそっくりだと、いうのです。で、それに、乗じて、巡業中の、大相撲で、貴ノ岩騒動というのが、警察によって、起こされて、安野智紗夫人を守りました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、ここで、石川和子さんと、安野智紗夫人の主要な、二人がご登場なさいました。ので、ちょうどいいので、一九八四年の二月のある日の安野家の、門前での、二人の会話を、再録します。
 「国立大学付属高校ご入学おめでとうございます」と、石川和子さんがいって、菓子折りを差し出しました。

 私は、これが、瀬島隆三が、私の子供や、孫を狙って、苦しめ、その結果、私を、死に至らしめようとした、策謀の。最も目立つ、現象の、しかも、最初のものだったと、見ています。そして、当時から、我が家の室内の物音も会話も、盗聴をされていたし、泥棒も入っていたのだと、今では、わかってきています。だから、鍵をかけて、門を開閉する音を聞いて、タイミングよく、石川和子さんが、菓子折りを差し出したというわけです。
 瀬島隆三とは、戦後最大のCIAエージェントで、伊藤忠商事のトップでした。彼が、どうして、私を狙うかというと、戦時中に、陸軍中野学校などで、親しくなった、益山重夫夫妻と、組んで、横須賀市の水道山を、無償で、手に入れた、一種の詐欺事件である、地積変更届の詳細を、知っているからです。

 水道山の敷地が、1200坪=4200平米で、しかも、京急が、インフラ整備をしたどさくさに紛れて、益山重夫は、水道山よりも、さらに、北側にある丘陵地帯、800坪も、どうにかして、すでに、自分のものとしていましたので、両方で2000坪をタダで、手中にしたのです。その当時の測量士は、中島(進?)だったと記憶しています。

 すべての書類が正しいもの(印紙代を支払って、登記所で、手に入れたものとして、公図ほか、保管をしてあったのですが、それが盗まれています。悪人たちは、自分の方が先に悪をなしておきながら、それを私が見破ると私が、文章化する、しないにかかわらず、私を肉体的に、殺してしまおうと、するのです。

:::::::::ところでここで挿入です。西隣の白井夫人が恐ろしいことを建築中からやってきたと、書いていますね。それは、ちゃんとした理由があるのです。瀬島隆三と、益山夫人は、旧水道山に、美麗なマンション、ルネ北久里浜(発売時の名前、空ヒルズ】を建てました。それと、横浜都筑区の、傾きマンション、ララ横浜は、外見がそっくりで、我が家の西隣に住む、白井達雄さんが、松田・平田設計事務所の、仕事として引き受けたと、見ています。
 だから、建築中から異様に意地悪だったのです。ちゃんと、因果関係はあるのですよ。その上、もって生まれた性格も加味するので、白井達雄さんはまだしも、白井夫人の方は、狷介至極で、私はとても大変です。
 しかし、白井夫妻の攻撃とは、私の身にかかってくる問題です。それは、やや、突破しやすい問題です。::::::::::

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 しかし、子供や孫に対する攻撃は、どうしようもないケースです。そこを狙われたら、本当は、ひとたまりもないところです。

 しかし、公立おなり中学で、通信簿に、1と、2しかないと、言うことで、有名な安野家の次男が、上で言っている様に、国立大学の付属高校にご入学と聞いては、・・・・・絶対に裏があるぞ。これでは、私の子供の、私立中学・二校に不合格だったのは、絶対に裏からの悪しき手配がありましたね・・・・・と、確信をしたのでした。

 そして、それを確信させる、日吉の織田歯科医院の先生の孫自慢を、書き始めたからこそ、私を脅かして、それから先を、書かせない様にするために、カリタス小通学バス襲撃事件(登戸事件)を起こしたのでした。このケースは、まだ、完成をしておりません。だが、水沢勉氏を助ける為の謀略で、私が、時間があれば、続きを書く決意であることを知っているからこそ、飯能事件を起こしたのでした。容疑者と、被害者の家が、60mの距離で、ご近所だというのは、私が、水沢勉氏とのあれこれを書く際に、常に、使っていた文節と、同じ距離だからです。

 そしてついでに、富沢夫妻を助けようとして、さらに、事件が起こされたのが、「7時から、大声の喧嘩があった」とされる飯能事件なのです。でね。飯能事件が起きる直前だったと思うのですが、

 市瀬紀美子さんから、「浅草の、花形歌舞伎(若手が演じる、歌舞伎)に一緒に行きましょう」というお誘いがありました。

 市瀬さんの最近の動きは、すべて、慶応大学の理事をしていて、スクエアエニックスのトップ(1980年代から2015年までのことですが)、もしくは、ナンバー2、または、ナンバースリーであった、ご主人の教唆を受けてのことだろうから、ご一緒するのを断りました。慶応大学関連で、富沢夫妻を救う目的の会話が展開するはずだからです。私は、富沢夫妻については、本当に堪忍袋の緒が切れていて、すべてを書きぬくまで、彼らから、目を離すつもりはないからです。

 「市瀬紀美子さんに、ここで、懐柔されてはたまらない」と、言うことです。で、浅草に一緒に行くのは、断りました。

 ところで、ここで、市瀬紀美子さんが、何故、重要かを語ります。それはね。総タイトルに書いている通り、彼女が、突然電話をかけてきて、短い会話の中で、

 「うちの子がね。東工大の、教授になったの。うれしいことに、40になる前になったのよ」と、言ったエピソードを使いたかったので、この章の第一部を、書き進めたわけです。

 第二部には、市瀬紀美子さんの行動は、すべて、慶応大学を守りたいと、言う話なので、それが、どうして起きるかとか、市瀬さんと、ご主人の、関係とか、彼女の、朝令暮改の、親しさの示し方と、嫌がらせのセリフの混在を、具体的な、事実で、語っていきたいと思って、準備中です。

 あのね。市瀬さんの坊ちゃんが、AIの研究者で、東工大の教授に、30代で、なったというのは、嘘ではないでしょう。そして、それは、安野家の次男が、通信簿に、1と、2しかなくて、おいちに、おいちにの、あひるさんと、呼ばれていたのににもかかわらず、国立大学の付属高校(わたくしが、そこ卒だから、こそ、「どうだ。お前、負けただろう?」という感じで、使われた語彙だとは思うが)を卒業して、今では海上保安庁勤務であり、生涯賃金の差で、圧倒的に我が家より、彼女の家の方が勝っているということを、

 さらにさらにえぐってきたのが、市瀬紀美子さんの、「うちの子が、30代で、東工大の教授になったのよ」という電話での、宣言でした。ああ、そうですか、そうですか というしかないですよね。

 ただし、一部にうそがあります。市瀬紀美子さんの坊やが、今、40であるということはありえません。市瀬さんは、子供時代は、父親がいないので私立中学受験をしませんでした。しかし、1961年、横浜国立大学に入学以来、塾を経営しているし、お母さんが、賢くて、収入が増えるたびに、不動産取得に乗り出して、下宿を拡大し、アパート経営にも持って行ったので、彼女が、25歳ぐらいになったころは、すでに、資産家になっていたはずです。だから、ご主人は、市瀬家へ、養子に入りました。お父さんは、戦死だったのか? BC級戦犯だったのか? それとも離婚だったのか? ともかく、お父さんのことについては、深い話は、聴いたことがないのですが、

 優秀なご主人が、養子に入るぐらいですから、彼女の家もまた、先祖は名家であったはずで、それだけの、品の良さが、顔貌にあるのです。よく言えば、お雛様をちょっと、目を大きくした感じでね。色白だし。で、結婚は、若い時期だったと思います。そして、十分な資産が、すでに、あるのだから、ご主人が、1960年代とか、1970年代に、会社に勤務せず、給料を持って帰らなくても、それで、妊娠を待つ必要はなかったと思いますよ。だから、坊やは、すでに、50代であり東工大教授になったのは、10年以上前だったと思います。

 それを、2022年の、11月ごろ(または10月ごろ)に、唐突に、しかも電話で、告げてくるのだから、彼女自身の、発案ではないでしょう。彼女だって、バカではない。すでに別の面で、私以外の、旧友に嫌われているのは、気が付いていると思います。富裕層であることをひけらかすのを、同級生に嫌われているのは、十分に、わかっているでしょう。それと同じで、相手に勝っていることを相手に面と、向かって言うのは、レディの、行動様式ではないですね。だから、彼女自身の発案ではない。
 鎌倉エージェントの中の、特にお馬鹿さんな人材(あの人ですよ。田舎出身で、いつも瑕疵満載の謀略を作り出す人間です)が発案をして、伊藤玄二郎経由で、横山和生君(わたくしの中学の同級生であり、かつ、慶応三田会の横浜支部長。こちらも、超富裕層)などに伝わり、彼が、市瀬さんの夫へ、連絡を入れ、市瀬さんは、夫の言うなりに動いたと、考えています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、ここからは、関係者ではなくて、一般の人すべてに聞いてもらいたいのですが、私が、常に、安野家の次男は、通信簿の成績が、1と、2だけなのに、国立大学付属高校に、ご入学遊ばしてかつ、海上保安庁に、入庁し、生涯賃金三億円以上をご獲得になるでしょうと、書いているのは、自分の方の、被害を書きにくいからでした。どうして、自分の方の被害を書きにくいかというと、

 私には、孫がいます。四人もいます。それらに対して、長男に対する、攻撃(本当は、合格していたのに、不合格とする】などが繰り返されると、大変だからです。

 私は、長男の不合格が、裏工作だとは、19年前に初孫が生まれたときに、気が付いたのです。本当に心配をしました。でも、言霊という現象があるでしょう。不吉なことを書いたら、わざと、不吉なことが、寄ってくるといいますよね。だから、書けませんでした。

 しかし、この10月3日以来、ものすごい、不幸というか、攻撃を受けている私です。それは、横浜市神奈川区宗興寺での、実家の法事という行事が、その日にあって、

 それには、欠席しました。数年前から、浄智寺が加味した、謀略があり、宗興寺さんが、曹洞宗の事務方トップであろうがゆえに、オイコノミアを、使っていじめられたりして(オイコノミアは、この件で、終了したのですよ)いるがゆえに、宗興寺さんに対する不磨のを、ブログで書いているからです。中野誠哉氏が、喝を入れてくださらないとか、一緒に食事をなさらないとか、いろいろ、手抜きをなさる・・・・・悲しいことだし、理不尽なことだ・・・・・と、書いているから、出席しなかったのです。場所が宗興寺本堂で行われるし、私は、10月3日、文京区で、行われる前橋汀子さんの演奏会の切符をすでに持っているからでした。ともかく、欠席にしたのは、法事の主役の弟が、無事に、法事を、進行をさせることを願ってでした。これに妹の連れ合い柏木孝司さんと姪が出席していたのも、これも、私のブログに対する攻撃でした。

 しかし、それを自分たちが勝ったと、考えている、鎌倉エージェントたちは、猛攻を仕掛けてきているのです。

 そして、ここでね。また、神様への報告と変わって、私は、孫の大学受験で、繰り返されると、もちろん、大変だと、思っていて、したがって、平木伸明さん一家では、対、私への攻撃への報酬として、ご長男が、東大へ、推薦入学をかなったと、書いているわけです。

 ああ、しんど。ここで、書くのをやめます。ただし、この文章が完成しているというわけではないが。

~*;+;*~~*;+;*~~*;+;*~~*;+;*~~*;+;*~

第二部、」

 

 

~*;+;*~~*;+;*~~*;+;*~~*;+;*~~*;+;*~

第一部

【ファイナルファンタジーを菊之助が歌舞伎化する? あなたのPCに、浮かぶ情報は操作及び選択をされていますよ】

副題1、『演劇界と、言う雑誌が、廃刊になったのは、私のブログを消していこうとする、鎌倉エージェントの指図でしょう』

 伊藤玄二郎は、松竹で、小津作品を制作した、山内静雄氏と、懇意になっています。慕い寄っているといってよいでしょう。山内氏が、有名な小説家にして、元華族様である里見頓の四男だからです。また、今、現在、伊藤玄二郎と、ぴったり連動して、あたかも二人羽織と言ってよいほどの、謀議を重ね、種々の謀略的事件を編み出している、井上ひさしは、歌舞伎の脚本を書いています。なお、井上ひさしは、公的には、自分を死んだことにしていますが、実際には、生きていて、地下潜航をしていますよ。そして、死んでいるのだから、責任を負うことがないと、言う意味で、とても大胆な犯罪を、企画し、警察の特殊部隊が、おぜん立てをして、それが、実行される様に手助けしています。

 私は、鎌倉で知り合ったインテリの外人女性を歌舞伎座に案内した日から、突然に、歌舞伎に興味を抱き始めました。親は、大好きで、昔、闘劇で、歌舞伎が開かれていた時代に、(妹が生まれる前の未就学児時代)連れて行ってくれたのですが、その後、65年以上、触れていなかった歌舞伎に、突然に、通い始めたのでした。

 そして、鎌倉(市立)図書館で、演劇界のバックアンバーをずっと、さかのぼって借り続け、2006年11月号まで、借りたのでした。それで、急激に歌舞伎に関する知識を深め、お隣のお客さん(ただし、予約切符ではない場合のみだが)から、「あなたは、ずいぶんよくご存じなのですね」と、言われたりする様になりました。

 だが、歌舞伎界に、強い力を持つと、考えている井上ひさしと、伊藤玄二郎の二人は、私が、歌舞伎に興味を持つことを気に入りません。そこは、自分たちのフィールド(=陣地)だと、考えているからです。

 それで、図書館と、雑誌演劇界の両方を使って、例の冤罪に陥れようとしました。植木鉢の怪と、まったく同じコンセプトです。植木鉢の怪は、わざと、我が家から盗んだ大量の植木鉢を、間違った日に私が捨てたかという風に装い、17日間も、鎌倉市から叱られ続けるビラを貼られて、「だらしがないのは、川崎さんよ」と、ご近所人間が噂しあう仕組みでした。

 演劇界の方は、まず、古い雑誌は、「小田原の図書館から、取り寄せる必要があります」と、言われました。それは、・・・とても、貴重だから、なくしたら、だめですよ・・・と、言う暗黙の注意を、与えられたということです。かつ、図書館を強く意識せよと、別の形の謀略にも出会いました。それは、常に、はがきで来る、ご案内が、そのころだけ、封書で来たのです。その内容は、当時の館長が、研究課題としているかまくらアカデミアに関する、セミナー(場所は、光明寺で開かれるもの)への開催案内でした。はがきだと、目立たないと考えられたのでしょう。しかも、すでに、住所は、登録済みで、パソコンから、出力するだけだろうに、その時だけ、番地が違っていて、(図書館の司書らしい女性または、婦人警官)が、その番地の間違っている封書を、わざわざ、玄関まで、届けてくれたのでした。

 その上で、その雑誌が、紛失し(鎌倉駅、改札口傍にある、図書館返却用ボックス)に確かに返却をしたのにもかかわらず、帰っていないと、言われたのです。それが、四月でしたs。その後、中古本を買おうとしたのに、新品が送られてきたり、そして、問題の雑誌は、浜銀の金庫の、2331番(今は、すでにそれは、返却してあるが)から9月に入ってから見つかったのでした。返却ボックスは、尾行者がカギを開けて盗んでいったと、考えられます。ほら、飯能市の容疑者が、自宅に潜んでいるので、警察が、次から次へと、鍵を開けて、捕まえたといっているでしょう。警察は、チェーンまで、開場できる道具を持っているのではないかと推察しているし、合いかぎは、鍵メーカーのスパコンに入って、設計図を、盗んで作るのだと、推察しています。

 ちょうど主人が、心筋梗塞で、入院中で、あれこれ、精神的に的にも大変な時でした。猫が留守中に、合いかぎを持っていると推察している安野夫人と安野夫人の猫に自宅内で、追い詰められていた日々で主人退院・直後に死んだりしましたでしょう。それは前報ほかで書いています。ほかにもひどいことが連続しておきました。

 心筋梗塞後の主人が、救急車が横付けできる家に住んだ方がいいのではないかと考えて、鎌倉雪ノ下の、下から、石段を165段上がらないと居間にたどり着けない家から、
 主人と一緒に、北久里浜に住むことを考えて、北久里浜にネット環境を作ろうとしたら、NTTドコモ大船かさま口支店では、信じられないいじめを受け(むろん、裏に警察が詰めていて、あれこれ、支店長をはじめスタッフにいじめる様に、指導や、命令をしていたのです)したがって、その支店は、消えて、かつ、NTTドコモという会社も一部上場を廃止しました・・・・・ここも私のブログが、どれほどに力を持っているかを証明しています。

 というわけで、彼らのいじめによって、私が、緊迫した形で、右往左往させられた雑誌演劇界ですが、その後図書館内で、読むことは読むが、自宅へ持って帰る形での、借りるのは、できるだけ、避ける様にしていました。が、そういう遠慮じみた、好意をとることをも込めて、【演劇界】が、廃刊になると、私が悲しむだろうと、見て、廃刊にしたのです。

 購読者が少ないから、廃刊になったわけではなくて、2016年3月から9月まで、演劇界の紛失で、苦しめぬかれた私のブログが、真実を書いているからこそ、演劇界という雑誌そのものをつぶして、私のブログが、意味をなさない様にしてやろうとする、井上ひさしと、伊藤玄二郎の画策の結果、演劇界が廃刊になったのです。

 むろん、二人は、さらに、次の人物(例えば、新潮社の社長とか、松竹の会長とか)を、通して、そういう命令を、雑誌編集者等へ、下したと、思いますが・・・・・・

 しかしね。さらに詳しく言うと、雑誌演劇界は、数年前から、私が押している中村梅枝の、舞台写真をわざと少なくするなどの、命令をひそかに受け入れていたのです。しかし、伊藤玄二郎達鎌倉エージェントは、性格が非常に悪くて、彼らの命令を聞いて、忠節を誓っても、結果として、自分たちが活躍できた場である雑誌そのものを廃刊にせよと、命令をされるのです。朝令暮改ですし、物事の本質をとらえていません。だから、歌舞伎界にとって、損失になることばかり提案をし続けることでしょう。

 なお、雑誌演劇界が、無くなった今、最も頼りになるのは、渡辺保氏のサイトです。

 なお、NHK ETV 日本の芸能、2022年度最終版で、織田氏が、演劇界の配管を惜しむ理由をあれこれ述べておられました。むろん、その通りです。だが、鎌倉エージェントが、自分たちの身を守るために廃刊にしたのでした。織田氏が演劇界の配管を悲しむのは、当然だし、結構です。だが、国立劇場の建て替えに関しては、反対をなさらないのですね。不思議です。老人たちは、建て替えの間、国立劇場での、歌舞伎公演を見ることができなくなり、そこには、織田氏も含まれると思いますが?

 そして、国家予算が赤字な今、国立劇場は今のままで、十分に機能していると、見ています。もしかして、これも隈氏が、設計しますか、新国立競技場という、建築費だけではなくて、維持管理に関して、とんでもない金食い虫を発生させた隈氏は、今度は、古典芸能の世界に、税金の無駄遣いをする道を発生させるのでしょうか?」

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ここで、歌舞伎座2022年11月公演と、12月公演に関して、語りたいことが山ほどあるが、この章には、別の目的があるので、それには、触れないで、先へ進みます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ふとした偶然で、2023年の三月から、菊之助が、ファイナルファンタジーの歌舞伎化こうえんを、IHI劇場で、行うと、言う情報を得た。・・・・・8時間一挙公演だとある。

 ・・・・・ああ、それで、あの日、市瀬紀美子さんは、歌舞伎座四階のエレベーターに表れたのですね・・・・・と納得をした。しかし、その前に、何故、私は、ファイナルファンタジーの歌舞伎化を、知らなかったのだろうと、思う。情報は、7月から、開示されていたそうだし、ファンは、おおさわぎだったらしいのに』

 さて、ここで、市瀬紀美子さんという富裕層夫人が登場します。しかし、皆様は、ああ、また知らない名前の人が出てきた。面倒くさいなあと、お思いになるだけでしょう。

 しかし、相当な大物なのですよ。まず、彼女自身が、日吉で、評判の高い塾を経営していて、神奈川県立翠嵐高校(県下一人気が高い県立、偏差値も高い高校です)へ、多数の生徒を入学させた人物であり、日吉を中心に広い人脈を持っている女性だと、言うことがあります。シロガネーゼですが、並みのシロガネーゼではない。

 そして、夫様が、これまた、すごいのです。名前は、市瀬家へ、養子に入ったものの、旧姓を使っておられるか、または、夫婦別姓の結婚だと、おもわれるので、私は、そちら様のお名前を知りませんが、慶応の理事にして、スクエアエニックスの顧問、または、重役、または、会長などの、役職を持っている人です。

 この女性は、小学校の同級生で、仲良しだったはずなのです。しかし、ある時、私がすでに、中に入っている歌舞伎座四階(多分そうだったと記憶しているが、三階だったかもしれない)のエレベーターにあとから乗り込んできたのです。

 その時に、最初に気が付いたことは、富裕層である彼女は、エステなどをしているらしくて、肌の色が真っ白で、79歳なのに、しみ一つないのでした。その時に、私は、お金があることとないことの差をまず、感じましたね。

 彼女の方は、この日を境にして、次から次へと、自分の方が上です。というセリフを発します。この時のエレベーター内でも、また、別の日の電話内でも、自分の方が勝っているのですよと、いう、差を強調するセリフ飛び出してくるのですが、それでも、それがあっても、私は、

 彼女に、無視をされると、言うこの政治的攻撃は、突破したいと思いました。なぜなら、1990年代から、すでに、20年以上、小学校時代のクラス会を開いていて、毎年彼女とは、あって普通に会話を交わしているし、二人だけで、彼女のおごりで、ごちそうになったこともあるし、無視されるはずのない間柄なのに、無視してくるから、当然に、鎌倉エージェントの依頼で、そうなっているとわかるからです。

 私は、すぐ、そういう裏側を理解をいたしました。それは、ご近所もしくは、銀座で、散々使われている手であって、普通なら挨拶を交わすはずの相手が、無視してくる。それによって、私が、屈辱感とか、悲哀を感じて、早めにノイローゼになるだろう。彼女を精神病院へ入れてしまえば、あのブログも閉鎖できるし、それが、今は、一番可能性が高い、彼女自身か、彼女のブログの方かをつぶしていく方法である・・・・・と、鎌倉エージェントが考えている手法であって、

 最近では、平木伸明さんが、常習的に使う手法であり、西隣の白井夫人が、観血的に使う手法なのでした。ただね、銀座の住人や、雪ノ下の住民と比較をすると、小学校時代=10歳の時からクラスが同じだったと、言う関係は、敵方に使われるのは、いやな関係です。

 このエレベーター内での邂逅の時期には、私は、ご主人がスクエアエニックスの重役であるとは、まだ知らなくて、個人的にゲームを作っている趣味の範囲のソフトプログラマーだと、言う程度に考えていたのですが、彼女が、別の日に、二人だけの車の中で、「株を(一部に?)上場した時に、お金が入ったので、妹たちにも数百万円上げたのよ」と、話してくれたので、それを聴いて、

 慌てて、帰宅してから、株式欄を探して、スクエアエニックスだと、わかってきたのでした。そうなると、イメージがまるで、違ってきます。そして、あの四階のエレベーターに乗ってきた日に、ご主人の方は、某所で、菊之助と、懇談をして、ファイナルファンタジーの歌舞伎化が、始まっていたのだと、それもわかってくるのでした。

 しかし、この企画のことを私は、2022年12月26日まで、知りませんでした。

 私は、スマホを持っていますが、カメラ機能と単純なゲームを、やるぐらいのことにしか使いません。で、スマホから、情報をインプットするということをいたしません。だから、知らなかったのでしょうか?

 しかし、これは、市瀬紀美子さんのご主人が、提案して、私のパソコンに、この歌舞伎化の、情報が入らない様に加工をお願いをしたと、考えています。私が、今その情報をえて、実際に見に行くかどうかですが、見に行かないと思います。ゲームについてはドラクエを、I から、Vまで、ピクセルで、ピコピコ、進んでいく時代にやっただけで、ふぁいなうファンタジーについては、色が灰色っぽいなあと、思っただけで、一度もやったことがないので、歌舞伎化後も、見に行かないと、思います。

 と、そう書くと、ウィンドーズ版PCにも、その歌舞伎の情報があふれかえるかもしれませんが。

 なお、この文章には、まだ、まだ、続きがあるのですよ。でも、本日は、ここまでと、致します。自分としては、前報をお読みいただいて、こちらは、まだ、お待ちいただきたいところです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする