今は、2021-9-11の夜の九時半です。下の文章の後半を加筆し始めます。+++++罫線以下の部分です。尚、9月12日の午前零時五分に、総タイトルを【参ったなあ。NHKが米軍拷問刑務所を21-9-10 21:00のNWで特集をして☛☛☛しかも次の日にnetで小泉パパのそこへの収容?を知って?!?!?】から、上のものへと変更します。
副題1、『私の情報源は、主にNHKニュースです。21-9-10NHKニュースウォッチは、グァンタナモ収容所を特集しました。むろん、いやな感じを受けました。多分、私狙いの脅かしだと、考えてです。普段は、それを文字化して、このブログの下書きボックスには、入れないことが多いのです。記憶には、入れます。だが、文字化しない。それは、それをすると、私が今、何を考えているかが敵さんたちにわかってしまい、したがって、そのニュースそのものが変更されていく可能性が高いからです。
が、今回は、あえて、文字化して、このブログの下書きに、入れておくことを決意しました。まあ、それだけ、最近、書いているものに自信を持っている証です。で、ニュースの内容が、変化しても、それに追随して、文章を構築できると、言う自信もありました。文章を書く際に、デテールを丁寧に丁寧に、書きこんでいく様になっていますので、どうにかなるさと、思っています。しかし、そのニュースについて、新しい文章を、ここで、書き公開をするつもりは、毛頭なかったのですよ・・・・・しかし、その後、急展開をしたので、そのニュースについて、一文を書き、公開をすることと翻意しました』
私が最近書いていることは、「COVID19は、新型生物兵器です」から始まって、最高レヴェルの真実の筈です。したがって、弾圧の方もものすごいこととなっています。ご近所住民を使う。・・・・・最近は、花輪夫人が、特に使われていて、前田清子さんの、選浄化に役立っています。鎌倉市内では、岡田登志代さん(音楽が好きな昔からの鎌倉市の住民・現在は未亡人)が使われています。昔、早川重章さん(現代アートの作家、奥様も前川桂子という現代アート系作家)が、行っていた役割を今は登志代さんがやっています。
鎌倉市内のお店も、見事にそういう方向で、動いています。文章が中断したままになっていますが、スーパー東急が、六個買ったはずのカット壁紙(ノリ付き)を、四個しか、配達してくれなかったのもそうですね。それから、東急側が、そんな設定を絶対にしていない、特別に高い配達料を取ったことも。みずほ銀行で、貸金庫のサイズ変更をお願いしたら、実際の対応は、三週間後に設定をされたのもその一環です。
NHKニュースも同じで、日大の理事が、お金を、ねこばばした可能性があって、捜査が入ったなどというのも私狙いのニュースです。日本記者クラブ(内幸町)で、記者会見をした宮川泰介・紗枝選手はともに、Mrs. Komura の英語塾の生徒だった可能性が高い(後注1へ)・・・・・など言う過去ブログを私が書いています。だから、日大が、狙われました。
そういう攻撃は、すべて無視したのです。というのもデジャブーがあるからです。
しかし、グァンタナモ収容所についてのニュース(いわゆる特集という、エッセーみたいなニュース)は、ちょっと、違うと、思いました。👉
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『NHKは、2021年9月10日に、グアンタナモ収容所は、テロリスト対策として、設置をされたと、言った、実はシャルリーエブド事件以来、私はご近所様三軒から、光を使った攻撃を受け続けている』
👉わたくしの文章の書き方も、相当に深まっていて、高度になってきていますが、敵さんたちのいじめ行為も、相当にひねってあると、思います。このグアンタナモ収容所についての、ニュースは、一見すると日本のことが、ちっとも出てきません。ただし、テロリスト対策だと、言っています。
シャルリーエブド事件以来、ご近所の重要人物である前田家では、二階の、(カーテン)の無い部屋の天井灯を、煌々とつけて、脅かしをしてきています。それが、最近では、平木家へ、移ってきています。前報で、東大へ、お子様が、一種の推薦入学でお入りになったと、私が言っている平木家に、受け継がれていて、この2021年9月10日も、午前零時近くまで、平木家の二階が点灯をされていました。前田家は、40mぐらい離れているので、しかも道路よりとても高い位置に家があるので、その部屋に、人間がいるかどうか、本当に使っているのかどうかがわかりません。が、平木家は、道路に面した高低差の無い家で、しかもカーテンの無い二階は、道路からは、5mくらいの距離ではっきり見えますので、その部屋に人間がいない(つまり、使っていないという)、形で、わたくし狙いの脅かしだと、はっきりわかります。
この脅かしですが、間に、白井家が入っています。シャルリーエブド事件が起きたのが、2015年1月の事で、わたくしは、2020年の初夏に、寝室を二階から、一階へ移しましたが、その日まで五年間、悩まされ続けました。
寝室を変更したのは、肉体への攻撃が、あまりにも頻繁で、二階の寝室は、古い家を買った部分にあったので、壁も薄いからです。レーザー光線で、攻撃されるにしても、壁が厚い方が、少しでも、被害が軽減できますのでね。一階の部屋は、元客間でしたが、もう一つ、16畳の客間が、リフォームの結果、別に生まれたので、一階の10畳を寝室として使っても差し支えないからです。その移動ですが、実は白井達雄・小野寺夫人夫妻(夫婦別姓である)からの攻撃から逃げると、言う向きもあったのです。白井家の二階は、ブラインドが下りているのですが、我が家と、そちらは、敷地の高低差が、1mあるので、その傾斜角によって、ブラインドは、こちら側では、まったく目かくしの役には立たず、そちらの家の中は丸見えなのでした。しかも近いです。距離は、ベッドに寝ていても、見える6m先のお隣ですからね。で、中に人がいないのが、はっきりとわかるのに、点灯をされ、そして、30分後に、消灯をされます。
それは、我が家の二階にある居間で、パソコンの電源を落として、明るいそこを離れて、西側にある別の部屋である、暗い寝室に向かうと、そこの西側の窓から、白井家の二階が、点灯しているのが見えて、我が家側のカーテンを開けて、その部屋に、だれもいないのを確かめたのちに、ベッドに入っても、ちょうど、目の高さに、明るいそちらの窓が見えるのでした。
午前二時に、パソコンの電源を落とせば、午前二時に点灯するし、午前三時に、パソコンの電源を落とせば、午前三時に点灯するのでした。ある時に午前五時に、意味ありげに点灯をしたので、さすがに驚いて、奥様に、数時間後の昼間、電話で問い合わせをしました。すると、自分はやっていないということでした。
我が家のプリンターも外部から電源を入れられます。これには驚いて、相当期間悩まされました。パソコンも、一時期外部から電源を入れられました。だから、白井家の、二階の点灯も、午前五時の場合は、あの夫婦がやってはいない可能性は、あります。
ただし、その煌々と電灯がついている部屋と、高低差はあるものの、次に(北側に)寝室があります。どうして、そういう間取りを知っているかというと、あそこの家は、TV朝日の【渡辺篤史の建物探訪】に、取材をされているからです。もちろん寝室には、カメラは入りませんでした。しかし、私自身、二度普請をしていて、一度リフォームをしています。だから、ほかの部屋が、紹介される限り、あそこの家の寝室がどこにあるかがわかります。
リヴィングダイニングの上が、大屋根構造になっていますので、その小屋裏というか、ロフトというかが寝室になっているでしょう。で、高低差はあるものの、当然のごとく隣の部屋で、午前二時に点灯するペンダント灯の、影響はあるはずなのです。それを我慢をしているというか気にしないと、言うのが不思議です。
+++++++++++++++++++++++++++
ともかく、カーテンの降りていない、かつ、素通しのガラスの窓、そして、だれもいない部屋の窓から見える、オレンジ色の天井灯が、12時まで、ついている情景、または、午前二時から、15分から、30分だけついている情景と、言うのは、心理的な拷問であり、三軒の家にわたって6年間続いているものです。ほぼ、毎晩ですね。
この光による攻撃は、2011年ごろは、東電も行いました。強力なサーチライトで、我が家だけを照らすという仕組み。表向きは、工事のためですが、どうして道路にある電柱の工事をするのに、我が家を照らさないとできないのでしょうか? また、一般的には住民に顧慮して、工事とは、午前九時過ぎから行うのが、普通なのに、午前二時とか四時の真っ暗な中で、行わないといけないのでしょうか? 真実は我が家だけに対するいじめでした。しかし、あまりにも単純だし、工事が、毎晩続くわけもないので、防衛のために、ブログでそれを、書いたかどうかを忘れました。そして、こちらの方は、心理的な拷問というほどでもなかったです。繰り返しますが、あまりにも単純だったからです。
ただ、どうして、そういうことをやられたかというと、2011年3月16日から、五月半ばまで、書いていた、原発事故に関する文章が、ことごとく正しかったからです。
誰もが、水素爆発だと、言っているときにこれはメルトダウンであり、ヒロシマ型原爆と同じものなのですよ。だから、死の灰も降ってきたわけで、すぐさま、移転をしなさいと、繰り返し言っています。それから、除染なんて、無駄なことで、そんなことで、お金を使うべきではないとも言っています。だから、東電本体から、いじめられました。
でね。原発反対運動をしている小泉純一郎氏が、どうして弾圧を受けないかが不思議だったのですが、本日の、早朝に、小泉パパが、キューバにある、米軍の拷問専門の刑務所、グアンタナモ収容所に入れられているというネット記事を見つけて、驚嘆をしているところです。ただ、そこに触れる前に、私に対する、拷問についてさらに述べさせてくださいませ。というのも、小泉純一郎氏への拷問という現象は、本日初めて知ったことで、あって、真偽が不明だし、ちょっと、今は、心理的に、対応しきれない情報でもあるからです。したがって、この章の最後には、そこへ戻っていきますが、途中では、よく知っている対・私に対する拷問を、引き続き語らせてくださいませ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『ここで、光による拷問と並行して行われてきた音による拷問があったと、言わざるを得ない。それについて、すでに、50本は、ブログを書いている。というのも発信源が多岐にわたるからだ。ただ、一本のブログの中に、5節から10節の副題があったと仮定すると、一節か二節を割いているという形になっているものが多い。
ごく直近のものを上げると、消防自動車とか、救急車があげるぷわーんぷわーんという異様なサイレン風の音。これは、19年前に、私の初めての孫が生まれたときに、日比谷線の車内で、響いた音で、いろいろな、攻撃の意味が入っているもっとも嫌な音である。しかし、8年ぐらい前は、これが、安野家とか、鶴岡八幡宮の駐車場の、スタッフ休憩小屋に詰めている、(刑事)が、発信をしていた。
其れの前に、嫌がらせの音としては、鶴岡八幡宮様が、音楽会とか、流鏑馬行事の日に、それが、流鏑馬は、午後一時から始まり、音楽会は、夜七時から始まるのにもかかわらず、朝の9時から「マイクの試験中です」という大音声と、異様な高音が流れると、言う仕組み。
これは、大町四つ角というひどく離れたところで、鍼灸医院を、60歳から、開業していた主人の耳に入って、私が間接的に聞いたことなのだけれど、「鶴岡八幡宮様が、このごろ、うるさくてたまらない」と、鎌倉市民の大勢が、噂をしていたほどだった。みんながそう言っていたそうである。
この異様な放送は、私がたまらないなあと、思って、音源を見に行って、竹部聡が、発生をしているのを知って、その実名を書いてから、やっと終わった。
武部 聡志 たけべ さとし |
|
---|---|
出生名 | 武部 聡志 |
生誕 | 1957年2月12日(64歳) |
出身地 | ![]() |
学歴 | 国立音楽大学 |
ジャンル | J-POP ポピュラーミュージック |
職業 | 作曲家 編曲家 音楽プロデューサー 音楽監督 |
担当楽器 | キーボード ピアノ パイプオルガン |
活動期間 | 1983年(音楽監督)- 1985年(編曲家)- 1987年(キーボーディスト)- |
レーベル | CBSソニー UNIVERSAL MUSIC EMIミュージックジャパン |
事務所 | ハーフトーンミュージック |
共同作業者 | 松任谷由実 斉藤由貴 崎谷健次郎 楠瀬誠志郎 KATSUMI TENSAW LOVE LOVE ALL STARS 一青窈 大黒摩季 今井美樹 長岡和弘 松井五郎 TUBE |
武部 聡志(たけべ さとし、1957年2月12日 - )は、東京都出身の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、音楽監督である。株式会社ハーフトーンミュージック代表取締役会長。音楽ユニット「kōkua」のメンバー、キーボード奏者としても活動している。血液型はA型。麻布高校、国立音楽大学卒業[1]。
流鏑馬の日の放送は竹部聡志が、やっていたかどうかは知らないが、鶴舞音楽祭とか、ジャパンオルフェオの公演の際には、竹部聡志が、シンセサイザーなどを、管理していたと、思う。彼は、麻布高校出身だけれど、鎌倉に今は、住んでいるのではないかなあ。だから、伊藤玄二郎に、そうしなさいと命令をされてやっていたと、考えられる。ただし、異様な音を彼が、全部担当していたかどうかはわからない。社員とか部下にやらせていた可能性もある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それから、大太鼓の連打・・・・・普通の場合、お賽銭ではなくて、一万円以上の玉串料を、奉納すると、本殿にあげてもらって、名前を入れて、祝詞を挙げてもらえる。それは、100人ぐらい申込者が集まったら、一回、行うという形で、それが、終わったときに、本殿内においてある大太鼓を、連打なさるのだが、大体、三分以内に終わる。
しかし、50回以上経験をしているのだが、25分間続いた時もある。また、園芸の仕事をしていたので、時計を見てはいないが、105回連打されたこともある。この目的は、私が自著の編集と制作(頁デザイン)を一緒に、一遍にやっているのだが、原文も書く人なので、編集中に新たに加筆をしたりする。というのも本というのは、新しい章は、必ず、奇数頁から始まると、言う約束事があるので、足りなかったら、加筆をすることになる。また、挿絵も自分で描くし、それをどこに挟むかも、自分で考える。したがって、仕事がものすごく複雑だ。それに、古村浩三君が、システム異常を起こすので、さらに複雑になる。
で、出版社を経営している伊藤玄二郎にとって、または、私が開いている、パソコン画面と同じものをのぞき込んでいる、井上ひさし、または、最近ご近所に引っ越してきた、警察庁のエリートと思われる、山田さんにしてみると、とても難しい仕事をしていると、言うことがよくわかる。したがって音によって、それを妨害してやろうと、言う判断だったと思う。そして、鶴岡八幡宮様にそれをやらせれば、私が委細をブログほかに書くことはないと、彼らは判断をしていたと思うし、
この件を書けば、彼女は、鶴岡八幡宮と喧嘩をしていると、言うことになって一般人(例えば、みずほ銀行鎌倉支店の支店長とか、坂本喜杏・冨山房インターナショナル社長)に、いえば、「え、そうですか」となって、彼女(=私の事)を嫌う様になって、こっちにとっては、非常に都合がよい。だから、八幡宮様に、おお太鼓連打をさせるのだ。引き続きさせるのだ。特に彼女が、井上ひさしが何とかと、言って、新しい真実を開示した時には、それを八幡宮にやらせろ。連絡は龍村神官で、いいから・・・・・・
と内心で、話し合っていたことだろうと、思っている。しかし、これも、心理的な拷問の一つだから、自分の生活を守るために、止めてもらいたいとは、思っていた。しかし、正面切って、「それは、わたくし狙いの、心理的拷問の一つですからやめてください」とでも言ったら、「ほら、あの女って、被害妄想の極致ですよ」とまた、彼ら鎌倉エージェントが笑うだけだ。で、長期間我慢をしたうえで、或る晴れた日に質問に行った。「どういうときに、どういう目的であの長い連打をなさるのですか?」と。 社務所の窓越しに、巫女さんが、こう答えた。「あれは、八幡宮の中で、お祭りがあるときに、午前10時に、ならすのです」と。
その日は、流鏑馬でもないし、例大祭でもないし、大祓いの日でもなかった。また、鶴舞音楽祭とか、ぼんぼり祭りとか、そういう外部の参加者がいる種類のお祭りの日でもなかった。で、きょとんとしていると、「今日は八幡宮境内にある、七つのお社の、お祭りがあるのです。そういう日には、午前10時に鳴らします」と、巫女さんは、答えた。七つのお社? なるほどと、思う。本殿の東30mのところに若宮という立派なお社があって、それが一つ目だと、数えよう。西側の小高いところに、若宮に比較すると少し小さめのお社がある。源氏池の真ん中にも小さなお社があったかなあ?と、思う。それから、江ノ電バスの鎌倉駅方面行きバス停のそば、川を隔てた境内の中側に、小さなお社があったと、思い出す。それからそのお社が西側のものとして、それに対称する位置として、東側、牡丹園の中にもあったかもしれないと、思う。それで、五つ、あと二つ、どこにあったかしら。などと思う。
それに、それのお祭りの開催のために、周辺住民が、「八幡宮様って、最近うるさいね」と、うわさをするほどの迷惑をかけて大太鼓で知らせないといけない行事だろうか? 一般人は午前10時だと、参加しないはずだ。それにバス停傍のお社なんて、樹木にさえぎられて、人が、前に立てないほどなのだ。それに社務所って、日本建築の平屋だけど、中に広いお部屋もあって、会社に例えると課長級以上の神官が会議を行う部屋も、当然あるはずだ。そこで、9時半ごろ朝礼をして、伝達すれば済むことなのに、「こんな単純な言い訳をおっしゃるなんて、これは、だれが考えましたか? 頭悪すぎでしょう?」と、思うわけです。八幡宮様の神官にも、袴の色で、階級がわかる仕組みがあるみたいで、金襴緞子の袴は、宮司様と権の宮司様で、次の階級の神官は、紫色の袴をはいていると、見えます。その紫色の神官にだけ、伝達すれば、全山に、通達は通ると思いますけれど。
これが、私の頭の中で、瞬間的に組み立てられる論理です。しかし、それを若い巫女さんに、言ってどうなりますか? 彼女はグーの音も、でなくなるでしょう。でね、かまくら春秋社の、田中愛子さんとの会話の二の舞になります。だから、黙って帰りました。
田中愛子さんという女性は、社長の伊藤玄二郎の右腕です。私費出版を一手に扱っています。わたくしは銀座の画廊街で、情報をつかんでいて、テキストだけを丸投げして、デザインを頁から、表紙まで、すべて相手がしてくれても、150万円で一種類の本が、一千部できることを知っています。そのうえで、「自分が、頁デザインとか、装丁とかすべて致します。だから、150万円で、お宅で、出版をしていただけませんか?」といったのです。もちろん内容を査定してもらうわけですが、たった、600部程度、銀座で、献呈しまくっただけなのに、アマゾンで、長らく、一万五千円以上で、取引をされていたほど、私の本は面白いのです。-エッセーなのにね。それに、他社で、公的に出版してもらう場合に、今書いている様な内容は、書きませんからね。大丈夫です。
左が、その時に、かまくら春秋社から、出版をしてもらいたかった本です。おインクのハトロン紙がかかっているので、表紙では、タイトルがうっすらとしていますが。
しかし、彼女は、二分間ぐらい黙っていた後で、
「川崎さん、150万円しか出せないのだったら、50部しか作れませんよ」と怒鳴ったのです。あのね。本って、ある程度の部数を作った方が安上がりなのです.50部も500部も同じ程度の費用が掛かります。私は、『あら、この人って、専門家のはずなのに、本の実際の制作については、何も知らないんだなあ』と、驚いてしまいました。つまり、その時点では、私の方が総合的な知識は上だったというわけです。で、彼女は、後日、「だって、川崎さんって、追い詰めるんだもの」と言いました。まるで、小学生みたいに口をとんがらせながら。
私はありとあらゆる人を相手にしても、たいていは相手を凌駕してしまうのです。心の広い人はそれが、許せるのですが、心の狭い人、または、勝気な人は、それが、許せないのでした。それと、かまくら春秋社が、お客側に提示している、私費出版の、費用がいくらかは、知りませんが、300~500万円とるのではないかしら。でも、本って、連続して注文を出している出版社なら、1000部、50万円で、印刷と製本を引き受けてもらえると、思いますよ。そういう原価を知っている(といっても、18年前の話ですが)私が出した、150万円という値段が、田中愛子さんの内心で、「自分たちは、実は、ぼろもうけをしている」と、言う意識を刺激したために、「追い詰められた」と感じたのだと、思います。
私は、鶴岡八幡宮の社務所の窓の外で、赤い袴の巫女さんが、あれこれ、説明をしてくれるのを聞きながら、「駄目だわ。この人に、私が、今、頭の中で、考えていることを言っても」と思った次第です。で、すごすご(苦が笑いしながら)と、引き返してきました。で、その後の展開は、私の想像通りでした。お祭りのための10時の連打なんて、すっかり反故にされて、午後二時だとか、午後三時だとか、全く不随意な時間帯に、鳴らされるのでした。しかも、あまりにも多数回、鳴らされるので、中で、お祭りがあるときに、社員(会社みたいですが、神社の神官もまさしく社・員ですね)に知らせるにしては、こんなにお祭りがあるはずもないと、言うほどに頻度高くならされるのでした。
このすごすごと引き返したと、言う点ですが、2020年の四月27日に手水鉢のそばで、藤間さんと、龍村さんを相手に、すごすごと、私は帰った様に見えたと思います。しかし、違うんですよ。しかし、こちらのポイントは別の機会に語ります。
上の巫女さんの、言い訳が、すぐ、破られたことで、例の鎌倉エージェント(=CIA軍団)が、如何に朝礼暮改の、人間たちであるかを悟ったのですが、そういう言い方をするのも、上で言っている竹部聡志が周辺住民に、迷惑をかけていることを言うのも、龍村さんの、言を引き取ってこその話ですから、龍村さんも、私の真実の人間像を知らないがゆえに失敗をしたと、言ってよいでしょう。
巫女さんは、命令されたとおりに、言っているので、失敗とは言えませんが。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4,『鶴岡八幡宮様は吉田茂穂宮司様になってから、容易に、また、頻繁に私をいじめられる。
ごく最近の事だが、例大祭があった。そのさいに、わざわざのお手紙が来て、「本年は、新コロナ騒動があるので、規模を縮小して行います。したがって、氏子様については、役員だけ参加します。それは、ご銘記くださいませ」と書いてあった。わたくしは、そちら様の駐車場との間ながら、八幡宮様とは地境地主で、氏子である。しかし、役員ではない。だから、「出席しないで、ください」ということだろうと、思う。
ところで、過去に例大祭があったときに、参加したことは、無い。春秋に行われ、私は、1984年の夏から、ここに住んでいるので、74回例大祭を、そばで、見ているわけだけど、本殿に上がる立場で、参加したことはない。したがって、こんなお手紙をいただかなくても、参加するはずがない。本殿に上がる人は、必ず、玉ぐし料を、一万円以上払うのが礼儀だと、思うし、これほどに、意地悪をされているので、そういうご奉仕をするわけもない。だから、このお手紙は、全くの嫌がらせだった。120%以上の嫌がらせだった。誰が考え出しましたか? 巫女さんに、長い太鼓連打は、境内で、お祭りがある際に、午前10時に打つのです。というでたらめな言い訳を言わせて、その後、全く違う時間帯、午後二時とか三時に、打った、ケースと似たり寄ったりの、単純な、思考のいじめだった。
私は長らく、八幡宮様に、こういってきていた。「誰か、大卒の、神官を三人程度選びだし、毎日わたくしのブログを読ませて、正しい上奏をさせないとだめですよ。総タイトルに、鶴岡八幡宮と入っていなくても」と。だけど、なさっていないみたいだった。その例大祭の当日だった。駅周辺に買い物に行くと、小町通り・入り口・三菱銀行傍の、赤い鳥居の、下側に、例大祭と、言う大看板が置いてあった。地境地主を中心とする氏子、また、コモ飾りや、清酒を、奉納する酒造会社、または、横浜DENAベイスターズの役員などが、参加をするのだろうと、思う。だけど、彼らは、場所を知っていて、また、例大祭の、日にちも知っていると、思われる。では、この大看板は誰に向けてのものですか?となるが、
一般大衆(観光客)に向けてのものだろうと、思われる。今回は、お馬に吉田宮司がまたがって、時代行列をする催しはないのかもしれない。子供たちが奏でるお神楽の練習も、まだ、始まっていない。だけど、普段の金襴緞子の袴ではなくて、衣冠束帯に、威儀をただし、漆塗りの木靴を履いて、社務所から、本殿まで、行列を作って歩かれる姿は、大勢の人に見守られながら、行いたいと、思っておられると、感じた。だから、一般大衆を招じ入れる大看板が、小町通の入り口においてあったわけだった。では、私も、氏子ですといって、特別な配慮を要求することは、せず、ただ単純に境内に行って、美しい衣装で、威儀を正した、神官の行列を、見に行ってもいいのだろうか? むろん、問題がないと、思う。
ところで、別の問題が、この鶴岡八幡宮様が、行ったいじめには、内包されている。
本当の大問題は、この章が、小泉純一郎元首相が、グアンタナモ収容所に、収容をされていて、拷問を受けている最中だと、言うネットの、記事を見つけたのちに書き始めていると、言うことにあった。
それが、本当ではないことを願います。しかし、小渕元首相は、ヘリコプターに乗せられて海の上に出て、ロープで、海につけられて、脳がだめになって、即死ではないものの、それが、原因で亡くなったと、聞いています。それは、紙の本でも、出版をされていて、日本人の多くが知ってることだと、聞いています。鎌倉在住の、慶応卒の美しい奥様でさえ、それを知っていました。その後の、小渕優子さん・たたき・と、つぶし・などを見ていると、本当だったのではないかと、思いいたります。
小渕優子さんは、日本で最初の、女性の総理大臣になるとか、言われていました。今回の、自民党総裁選で、高市早苗議員とか野田聖子議員が、出馬するのだったら、彼女も同等の資格を持っていたはずです。しかしメディアは、彼女を訪問をしません。彼女も、動きません。それは、領収書を問題にした激しいバッシングを受けたからでしょう。意気阻喪をしてしまったかな? となると、父小渕元総理大臣の、暗殺も本当だったと、なります。
で、小泉純一郎氏がグアンタナモで、拷問を受けていると、言うのが本当だったら、こちらは、まだ、紙の本では、出版されていないので、お気の毒だと、なります。
そして、私にとって大問題なのは、鶴岡八幡宮様が、対・私になさっていることは、拷問というキーワードを主にすると、グアンタナモ収容所で、小泉元首相に、拷問を加えている、看守たちと同じ姿勢と、言うことになるのです。
鎌倉には、観光客が年間二千万人訪れるといわれています。そのうちで、ご近所のリピーターは、特に美術館がなくなってしまったので、寄らないかもしれません。でも、一千万人の参拝客はいると思います。
小泉元首相が、土俵に上がって、貴乃花に支配を渡しながら、感動した」と、叫んだ時の映像は、ニュース、または、相撲中継で、日本国民の半数、6000万人は、見たと思います。国民を一転に集中させる、そういう団結力を持っていた首相が、今、その影響力を恐れて、特に、原発反対運動に対する国民の帰依と、信頼を恐れて、グアンタナモ収容所に、しゅうようされていると、言う話が、事実だと、したら、今、鶴岡八幡宮様は、本当に暗い位置に立っておられるのですよ。
わたくしに対する拷問としては、音以外にもあるのですが、本日は、すでに午前三時を過ぎたので、ここで、中断といたします。
@@@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。
シャルリーエブド社というのは、私が、1998年パリで、三か月版画修業をした際に、通った、プロ向け版画工房が、あった、シュマンベール駅の、
後注1、
FBが地獄であった頃の話(開発チエ、梅森伸一、三瀬夏之介、古村浩三、榊原節子、)
2018年、五月を中心にして記者会見をするという形で、起きた謀略が、宮川泰介選手、で
2018年8月に、突如として記者会見をしたのが、宮川紗江選手である。起きたのが、
後で正式なリンク先を探すこと。