銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

島田章三、森瑤子、杉本正子、大沼嘉津江、佐野研二郎、笹川良一、塩見和子、橋本徹、伊藤玄二郎、川名昭宣

2018-06-24 00:37:05 | 政治

副題1、『デザイナーがもてはやされて居て、商売の、根幹を握り、値段設定まで、行うと、たいてい、その商店はつぶれていく』

 この一文は前報(後注1)の、加筆推敲中に、急に、思い出したエピソードとして書いています。登場人物の一人、嶋田章三さんは、亡くなっているそうですが、氏の実妹大沼嘉津江さんは、存命でしょう。その嘉津江さんと、大の仲良しの、杉本正子夫人と言う人物は、鎌倉エージェントの、一人として、私に対する重要な攻撃を、数々、繰りだしてくる人物です。ので、以下の文章は、まだ、政治的な意味を持っている現役のお話です。

 どういう文脈で、この思い出が、浮かんだかと言うと、品川プリンスホテル内の、バイキングレストラン【ハプナ】で、コーフィーが、機械から提供される様になっているのを、35年ぶりに行ってみて、知り、驚いたと、まず、書いています。その後、このハプナより、1500円は安かった、横浜国際ホテル10階に在った、レストラン【オーク】は、相当に、いいものを提供していたという思い出に入ります。こちらのレストランは、【ハプナ】に比べると、スペースは、三十分の一と狭くて、料理の品数も、二十分のいちと、少ない提供でした。が、おいしかったので、評判が高かったのです。2008年など、神奈川県で、第二位の人気を誇りました。しかも飲み物の、提供の仕方が、ホテル風でした。一方の、ハプナは、お客を、ネズミ扱いをしていて、ただ、ただ、収益を上げることに熱心だと、見えます。久しぶりに行ってみて、がっかりで、「これで、4千円では合わないです」と、思った次第です。

 しかし、「オークは、今も、きちんと営業をしているかしら?」と、念のために、ネット検索をしたところ、そこが、なんと、名前も変え、しかも、場所も同じホテル内ですが、10階から、一階へ、変更されていることを知りました。しかも、売りポイントが、デザイナーズ・レストランになっているという点です。私は、懸念がたかまりました。

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 デザイナーズ、ショップだとかデザイナーズマンションだとか言って、誇示している物件とか、お店は、いがいと不成功です。

 このデザイナーズ・ショップと言うのは、鎌倉小町通りにも何軒かありますが、結構だめなのです。何故かというと、デザイナーと言うのは、はやって居て、人気が高ければ高いほど、収入が高いし、メディアに乗ったりして、付き合う人種が、芸能人だったりします。で、庶民ではなくなっています。で、彼らがブランドイメージを作ると、値段設定が高すぎたりするのです。小町通で、実際にショッピングをする観光客の心理から、外れているケースが多いのです。

 そのデザイナーの華やかさを、思っている処、それは、表参道とか、六本木に、集合するグループの世界であろうと、思い、そこから、急に島田章三さんに入って行き、森瑤子さんにも入って行くこととなります。

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副題2、『デザイナーが、当たった場合には、裏方として、根幹を握るので、マスコミ界で、ちやほやされやすく、従って、高収入を得て、セレブ化していきやすい』

 ここですが、急に、嶋田章三さんへ移らせてくださいませ。島田章三さんが、若いころ、安井かずみさんと、付き合っていることを誇っていたそうです。でも、如何にも立派な事の様に、それを話す、妹さんを見て居ながら、「あれ、油絵を描く人としての、嶋田章三さんが、安井かずみと付き合うことに何の意味があるのだろう?」と、私は思い、「こういう事を自慢げに語るから、嶋田家の、章三さんと、こちらの妹さんが、ご近所から、大きな悪口を言われる一因となっているのだろうなあと、思った次第です。

  ここですが、もし、嘉津江さんが、「兄もあれですわねえ。俗物根性がありましたわね。お、ほ。ほ」とでも、添えごとをすれば、私は、違和感を持たないのです。しかし、繰り返しますが、安井かずみと、付き合う事が、油絵画家としての、深まりに役立つとは思いません。『島田章三さんって、セレブになる事へ向かって、必死ですね。それって、俗物根性の塊です。だから、一種の勲章となる程の、美人の鮎子さんと、結婚をしたのですね。学内で、鮎子さんに、取り入って、迎合したのでしょうね。でも、鮎子さんって、トラップにかかった上で、章三さんの、一種のアクセサリーと化して居て、可哀想』と、内心で、ひそかに思ったのです。でも、私は、自分がどう思っているかなどは、嘉津江さんには告げませんよ。だから、他人とは、怖いものなのです。

 でも、嘉津江さんを持ち上げきっている杉本正子夫人なんて、一方で、他人(=私)を馬鹿にしまくりです。私は正子夫人が横浜・高島屋の靴売り場で、ご主人と出会ったのを、知っていますのでね。『やっぱり、思考の上で、限界があるなあ』と、思ってしまいます。本当の哲学とか、本当の芸術とか、本当の宗教心とかいう物には、無縁の人の一人です。お金と名誉に対する欲望は、非常に強い人ですが。

 安野智紗夫人もそうですね。だから、『教養が低いなあ』と、思ってしまいます。それをご本人たちに向かっては、言いませんよ。だから、他人とは、怖いものなのです。常に、ちょっと、上に置いて、相手の感情を、傷つけない様に、して、置かないといけません。

 島田さんの妹さんは、ご近所から「馬鹿だ。馬鹿だ」と、言われています。私は彼女がそういわれてしまう理由を、お子さんを小さいうちに、亡くしているとか、彼女自身が、高校を、転校をしているとか、いくつか発見をして居ますが、そのうちの一つには、横須賀市から大金が、章三さん二、流入していることも原因になっていると、思っています。その大金が流入した原因と理由ですが、北久里浜における、益山重夫と、瀬島龍三が組んだ、大規模な詐欺事件が、大きな関係があると、見ています。それは、書類上は、整っていますので、私は、それを、地籍変更届を利用した実質的な詐欺事件であると、言って居ますが、それに、関連した、杉本、横須賀市副市長(1978年当時は、横須賀市の土木課長だった。後に大出世を遂げる)と、その妻・正子夫人と、私と、嶋田章三さんの、妹・大沼嘉津恵さんの間柄を正しく理解をしている私には、しっかりと、判るポイントなのですが、今は、その詳細には、言及しないで、置きましょう。と言うのも、このブログが、終わらなくなってしまいますから。でもね、あまりにも大金が島田章三さんに流れるので、一般人が不審を抱いたと言う事も事実なのです。

 でもね、ここで、真に私が語りたいことは、デザイナーと言う人達が、いわゆるセレブ階級を形成して居て、そのグループ内での、感覚で、モノごとを処理すると、それは、成功をしないという事を言いたいのです。安井かずみと言うアイコンが、そのセレブ社会の象徴として思い浮かび、従って、嶋田章三さんに、言及したというわけです。が、音楽の世界って、一つヒットすると、大金が転がり込むのです。

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副題4、『マスコミに乗ったがゆえに、大金を得たセレブの、代表例として、一時期週刊文春に、連載を持っていた、森瑤子さんの、・・・・・庶民には、非公開だった・・・・・えげつない、一面を語りたい』

 ここで、もっと、適切な例を語りましょう。森瑤子が全盛期の時に、そういうセレブ仲間(しかも、女友達)に向かって、「今度、京都旅行をしましょう。その時、若いイケメンを、必ず同伴をする事」と、宣言したそうです。その頃、森瑤子が、実際に、自分の家来分として、支配していたイケメンとは、私の親戚の若い女性の夫でした。それを奪ったのです。

 私は親戚の家で、二人が平和だったころの結婚式の写真を見せてもらっています。相手は、有名企業の社長の甥にあたるそうで、背の高さは、180cmクラスです。私の主人はそのお嬢さんの、家庭教師をしていて、しかも従兄弟の間柄です。だから、衝撃を受ける話でした。お嬢さんの方は、その後、アメリカで、仕事をする生活に入りました。新しい相手を選んで、結婚生活に入ったとは、聞いて居ません

 森瑤子が、はるかに年下の、その青年を奪った力とは、熟れたセックスの魅力? それともお金の力? 

 森瑤子は、癌になった後で、マスコミを避ける生活に入りました。しかも東京を遠く離れた場所で、生活をした模様です。が、それは、そのイケメンと一緒の生活を送りたかったからだと、私は、推察しています。

 森瑤子さんの遺族(特にお嬢さんが)思い出を書いていて、それと、森瑤子の、わりと正直な告白記、【夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場】も、読んでいますが納得ができません。セラピーにかかっていたことを売り物にする姿勢は、草間彌生と、共通する匂いを感じますし。しかも、今、これを書いたとたんに、消去の運命に至ったので、きわめて、正しい分析だろうと、おもっております。文学賞候補になったことで、いろいろ、苦悩があったにしても、裏側での、計算という物も感じるのです。

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副題5、『佐野研二郎など、その典型例の一つなのだが・・・・・』

 ともかく、表参道とか六本木で遊んでいるセレブと、呼ばれる人の裏側って、ソドムの市と、ゴモラの町の世界です。森瑤子のお嬢さんが本を書いていますが、このエピソードはみじんも出てきませんし、秘匿されていることはいっぱいあります。

 ここで、森瑤子のケースから離れて、それらの、セレブと呼ばれる人たちの生活に戻ります。

 そして、そのマスコミにも乗っているセレブたちですが、自分達でも、自分達が庶民感覚とは別の世界で、暮らしていることをを、知っています。その結果、非常に、内向きの発想に成るのです。オリンピックのエンブレムで、海外のデザインを盗んだうえに、都庁前で、7000万円もの高額のお金を使った発表式を行った、佐野研二郎が、その典型例ですが、デザイナーが、乗り出してきて、ブランドイメージを作ったけーすが、意外と、伸びないというのは、何度も見ています。佐野研二郎は、多摩美と、そこに入学した上で、私に、「がっかりしたの、同級生が、面白くなくて」と、自由が丘駅のホームで、告白をした友人と、その思い出を、大学名を伏せて、エッセイとして書いた私との関係等があって、ああなっているのですが、それは、ここでは、削除しておきましょう。佐野研二郎は、最初から佐野研二郎ありきで、選ばれていたのですよ。だから盗作など、する事になったのです。それも、私のブログへの弾圧狙いだったのですが、世のデザイナーたちの、告発で、あのエンブレムが消えて、それは、よかった事でした。

 デザインは大切な仕事です。しかし、あくまでも、小町通で、商売をする、経営者の感覚を優先しないとだめでしょう。私に相談を仕掛けてくれば値段設定など、極めて適切な、お値段を提供することができますが・・・・・

 「高すぎる、これは、もっとお安くしないとだめですよ」と、売り子さんに言ったケースもあるのですが、それでも、言う事を聞かないので、つぶれて行って居ます。

 預言者は、世に容れられずで、値段一つでも、私が提案した方がいいのですが、言う事を聞かないので、予想通り、つぶれていきます。

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副題6、『雉も鳴かずば撃たれまいに、は、大沼嘉津江さんにも当てはまるのだった。大沼嘉津江さんが、PTA三役に選ばれたのは、無論鎌倉エージェントの働きがあってのことだったと、思う。つまり、これも、私を弾圧する為の、一手法だったのだ。それは、この40年間、ずっとわかって居た事だったが、今の今までは、語っては、来なかった事である』

 大沼嘉津江さんが、バカだ、バカだと、ご近所主婦たちから、言われて居たのは、清泉に入学したのに、急に転校をして、県立高校へ、入ったからでしょう。島田章三さんの、実家がある辺りから、鎌倉の清泉に通うのは、無理があります。ただ、私は、もっと、通学時間が長い、高校やら、大学へ、通いぬいていますが・・・・・彼女は根性が無かったのでしょう。又は、清泉でいじめがあった? ただね、長兄が東大卒、次兄が芸大卒にしては、彼女の転校先は、偏差値が低すぎる、高校でした。しかし、そこで、もし、お母さんが、ご近所から、嫌われて居なかったら、彼女が馬鹿だと、言われることも始まらなかったと、思います。母君は、歌人として名を成した人の様です。

 しかし、あの地域で、母君が歌人として名を成すという事は、相当に、とっぴな事なのです。文京区に住んで居て、ご近所づきあいなどない地帯であり、かつ、周辺は、学者ばかりですと、言う様な、地域で、「歌人です」として、生きるのは、簡単です。だが、横須賀市内で、京急堀之内駅を、最寄り駅とする、地域で、「歌人でございます」と言うのは、相当に、とっぴな事なのです。日本とは、横並びを尊び、突出することを許さない雰囲気の有る社会ですから、この母君は、歌人として成功するにあたって、ご近所を切っていたと、思いますね。それをあの地域では、『嫌な奥さんですね』という風に、周辺が受け止めて居たと、私は考えます。そのとばっちりを嘉津江さんは、受けていたと、見ています。

 しかし、もし、嘉津江さんが、PTA三役の一つ、広報委員長に、就任しなかったら、バカだ馬鹿だと、言われなかったと、思いますよ。PTA三役に就任するという事は、女としては、『周辺のあまたの有象無象に対しては、勝ちました』という事に当たるのです。で、しぶといタイプで、それを利用しきるのなら、そこから、市会議員に打って出たり、挙句の果ては、国会議員にまで、進出することができます。一方で、政治には、顔を出さず、地域社会の中で、文化系統で支配力を強めると、最終的には、家裁の調停委員などで、終わる人生となります。しかし、それだけに有名税と言うのがかかります。

 これから先、書いた2000字ぐらいが、突然に消えてしまいました。それを再現するのは、苦労を伴いますが、しかし、消えたからこそ、真実を書いていると、言う自負もありますので、再現していきましょう。

 嘉津江さんが、ご近所主婦たちに馬鹿だ馬鹿だと、言われてしまうのは「あの人には、PTA三役を引き受けるほどの、実力はないでしょう」と、見做されているからです。実際に、一年間を通して、彼女は、私に、非常に感謝してくれました。仕事上、切り盛りをしたのは、影の実力者である、私です。それで、嘉津江さんは、私には感謝してくれると、同時に、自分が全メンバーよりも、優越していることを示す為に、秋ごろから、しょっちゅうホールケーキを焼いてくる様になりました。フランス風の見事なケーキで、それを、作る能力としては彼女は抜群に優れています。バターや生クリーム、をふんだんに使ってあるもので、40年前の横須賀市内では、売って居ないタイプのモノでした。その20年後、私はパリに行ってみて、嘉津江さんが、当時作って居たのは、フランス風のケーキだったと、判ったのでした。背が低いのです。そして、トッピングは、あまり盛り上がって居ません。しかし、中身が濃い。そういう種類のケーキです。今では、特にフルーツが上にこってりと乗ったタルトと言う形で、そういうフランス風の背が低いケーキが蔓延し始めましたが、40年前には、お店には出て居なかったタイプのケーキです。

 したがって、大沼嘉津江さんが、周辺の、住民よりは、頭、一つか、二つ分、裕福だったという事を証明しています。しかし、しかしなのです。と、同時に、章三さんに大金が流れ込んでいることを知っているご近所主婦たちにとっては、その種のお金持ちぶりも、気に入らなかったと、思いますよ。

 また、40年前の、当時の横須賀市内では、手に入らなかったブルーベリーや、砂糖漬けの、ふきなどの素材は、鎌倉で買うか、横浜の元街で買うか、していた筈なので、材料費もエネルギーも、抜群に高くかかっています。しかし、PTA向け新聞を発行していく仕事は、その中枢を、目配りし、一つ一つの、仕事にも丁寧に、取り組んでいた、私の力が大きかったと、思いますよ。

 しかし、だいたいの組織や、カンパニーでは同じことが起きるのですが、私は、冠を持っておりません。別に東大教授でもないし、弁護士でもないし、芥川賞受賞者でもありません。しかし、ある組織の中で、下っ端の人間として、動き始めても、隠された、実力がありますので、結局はトップの地位に上ってしまいます。それを、許せないという人間が現れるのです。その一例が、渡辺幸子さんです。青木繁大賞展の、大賞受賞者にして、ICU中退者(だけど、卒業資格を既に与えられている存在)です。

 渡辺幸子さんは、若い時、父君が破産をしたので、ICUも中退せねばならず、JALの最初期のスチュワーデスをした人なので、きりきりしているところがあって、電話等を駆使して、私をいじめてきたのでした。その時のカンパニーは、ICU同窓会展という組織でした。その中には石塚雅彦さんと言う、鎌倉エージェントの重要人物もいるので、私の損害が更に拡大をしたのだと、見ていますが、大沼嘉津江さんは、お顔も渡辺幸子さんとは、まるで、違うし、物腰もまるで違うので、おっとりとしていて、私をいじめてきたことは有りません。問題は兄の章三さんなのです。

 これは、今日初めて語り始めるのですが、章三さんも、私のライバルとして、設定をされており、それゆえに、大金が流れ込むことになったと、私は見ています。ただね、冠の側面で、「違うでしょう。それって、誇大妄想にしか過ぎないでしょう」と、言われると、思って、今まで、その点については、黙って居たのですよ。

@@@@@ここが、25日に推敲した最前線。

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副題7、『笹川良一氏の元へ、塩見和子さんが、参入したのは、1978年だったと、最近知ったのだが、私のライバルとして設定をされた人間として、塩見和子さんが、最も大物でもあり、かつ、相当な被害を与えてきた人でもある。尚、塩見和子とは、私と同時期に、ICUで学んでいた、帰国子女の走りであって、私は、同じ講義を一緒に受けた事はない。で、お互いに、個人的な知遇はない』

 地籍変更届が関東法務局横須賀支所に、大建産業の名前で提出されたのは、1978年だったと、思います。その年の、10月11日から、13日の間に、もっとも、大きな立場で、主役を担っていた、益山重夫氏が、急死しました。自殺か、循環器系の、急病かは知りませんが、急死しました。益山重夫と言う人物は、旧海軍参謀であり、横須賀の地形に、熟知して居る存在だと、思います。軍の参謀と言うのは、とても高い立場であり、かつ、智恵がある人物だと、見做されている存在です。

 で、非常に高い山であり(もしかすると、三浦半島・いち・高かったかな?)敗戦時まで、重要な場所として、軍(または、国家)所有のモノだった、横須賀市の水道山に目をつけました。その裏に、敗戦による旧軍人へのパージ(職に就けないという事。で、商売などで、生きていくほかはなかった)を、屈辱として感じたり、妻が米軍基地内で、働いている最中に、米軍将校と、恋に落ちて、アメリカへ、逃げて行ってしまったことなども、大きな、要因として、あったとは、思いますが、庶民には考えつかないほどの、大規模な詐欺事件を計画しました。尚、益山氏は、妻逐電後の歳月で、不動産会社を経営していました。その中で、ある時点で、部下だった、若い女性と、再婚しました。そちらの女性は、原節子似の近代的な美女で、かつ、都立大学(=現在の名前、首都大学)の土木課卒のインテリです。二人は、非常に熱々で、いい夫婦でしたが、大きな秘密を抱えて居て、高さ5mの、木の塀で、自宅を囲み、かつ、大型のシェパードを放し飼いにしていて、絶対に他人が、自宅の敷地内に入らない様にしていました。それも、悪事の、計略のうちの一つだったのです。しかも、その妻たる、智恵子夫人は、私を白いセドリックハードトップで、轢き殺そうとしたのですよ。美人でインテリなのに、そこまでの、事をするのですよ。信じがたい経験でした。お茶なども一緒にした相手、しかも女性から殺されそうになったのですから。

 それが、午後4時半ごろで、その日のうちに、夫の重夫氏は、急死しました。劇的な事がいっぱいある事件でした。その中で、ストレスフリーで、努力も何もしないで、大金を得ている人物が、嶋田章三と、杉本夫妻です。

 この杉本夫妻への、大金の流入については、まだ、何も書いていないという部分です。

 ここで、元の地籍変更届の話に戻ります。それは、横須賀いち高い山である水道山を、中心として、その近辺の場所に、2400坪ほどを、私有化したいと、言う望みです。その為に彼は、まず、530平米(170坪)ほどの、土地を、買いました。山林と言う区分けで、あった時期だったと、思いますから、非常に安い土地だったと、思います。合計で、10万円程度だったと、思います。または、それ以下だったでしょう。

  うーん、この問題は、非常に複雑なので、過去のリンク先を探すのも大変で、ここで、新しく書くことも大変なのですが、益山重夫氏が死んだことで、彼の親友だと言われる、しかも、戦後最大の、CIAエージェントでもある瀬島龍三が乗り出してきたのでした。で、彼が警察まで、手下として、攻撃をしてくるのですが、そのことは、私は夢にも知りません。しかも、私は被害者として、巻き込まれたので、自分の被害を防ぐ行動をしただけですから、彼等から攻撃をされるとか、復讐をされるなどと言う事は、夢にも気が付かないでいたのです。しかし、最近の様に激しく、また、明瞭にご近所と、銀座の画廊のあれこれが、使役をされて来ると、事情をはっきりと、知覚することとなります。

 悪辣な彼らの、隠々滅々足る攻撃に、気が付く様になります。

 しかし、大建産業と言うのは、伊藤忠の前名ですし、この地籍変更届(実質的な詐欺事件)は京急が大きく協力をしていますので、瀬島龍三は、非常に初期(たとえば、1960年代)から、関わって居たのかもしれないのです。

 彼は、伊藤忠のトップとして表社会では、機能して居て、顔が非常に広いので、ボート(賭け事の対象としての)で大金持ちになった、笹川良一氏とは、無論親しいでしょう。そして、ありとあらゆる調査力を備えているので、私が笹川良一氏の処へ、泣きついたら大変だと、想像をしたらしいのです。

 なぜ、私が、笹川良一氏に泣きつく可能性があるかですが、それは、私が右翼的論客だからではありませんよ。そうではなくて、私が東大に勤務していた頃の上司様が、旧制高校時代、笹川良一氏と、親しかったという縁があるのです。・・・・・・その縁を頼って、私が、笹川良一氏に結びつく可能性があり、そうなたら大変だ・・・・・と、瀬島龍三は、考えたのですね。私は、そういう工作をする人間ではないのです。コチョコ著とか動きません。調べる事には熱心ですよ。しかも、調べていい部分だけ、熱心に調べます。膨大なお金を使っていますねと、法務局の偉い人(?)にも言われました。そうです。法務局では、大建産業(益山氏の会社)の、登記などを、閲覧したり、謄本(コピーの事)をとったりしました。

 彼は、自社の事業の一つとして果樹園の経営を上げて居ました。なるほどなあと、思います。水道山へどんどん蚕食して、そこに、栗の苗でも植える。そういう形で、公的な土地を「自分のものです」と主張をする。そういう風に、調べていい事だけを調べても、これが、詐欺事件であるという全貌が判ったのですよ。

 だから、日本のトップクラスの人間(=瀬島龍三など)には、私が頭がいい事が判るのです。しかし、渡辺賢司とか安野智紗夫人などにはわかりません。だから、私に失礼な態度をとるだけで、その人物たちがどれほどに、低レベルかを、私の方が、判断してしまうほどです。

 で、表向きは、1992年から、元サザビーの日本史社長だった、塩見和子さんが、突然に、笹川氏と、協力することとなったと大喧伝をされるのですが、どこかで、塩見さんが、笹川と組んだのは、実質的には、1978年だったと出て居たのです。こういう小さな真実でもどんどん曲げられます。

::::::::::ここで、挿入に入ります。今般、【英雄たちの選択】(NHK BSプレミアム)は、再放送だったらしくて、主役は、高田や嘉兵衛でした。そこで、資料を探す場面が出てきたのですが、嘉兵衛直筆の日記みたいなものがあるのが、大阪、中の島の府立図書館だと、画面上、出てきました。しかしね。中の島には、一つしか図書館はないはずで、それは大阪市立だった筈なのですよ。2013年の、5月か6月の末、間では、底は市立図書館だった筈です。それが、いつの間にか、府立図書館へと変更になっています。是こそ、私のブログが原因です。そして、橋本徹氏が、政治から手を引いてしまった、一因ともなっているでしょう。

 実はその同じ日に、大阪城北詰口駅で、尾行者に、ビデオカメラを盗まれてしまったのです。その中には、どうしようもないほどに、怯懦な、醍醐イサムの映像が映写されて居て、それを、CIA連中は、警察の別働隊を使って、取り戻したいと、思っていたのでしょう。

 ただし、私は、切符売り場で一種の置き引きの手法を利用して、それが、盗まれてしまった事には、午後の、二時から、6時半まで、気が付かなかったのです。その間、大阪城北詰口駅には、戻れない様に電車が、二時間も停車していたのですが、それでも、気が付きませんでした。しかし、図書館を含む観光を終えてホテルに帰り、ホテルで、NHKニュースを見て居た際に、突然にビデオカメラが、無くなっている事に気が付いたのでした。

 なぜ、気が付いたかと言うと、夕方六時からの地方ニュース内で大阪府知事、松井氏が、大阪市立図書館を訪問をしたと、言うニュースが流れたからです。このころ、図書館が、二つのポイントから、大問題になって居たのです。で、本来なら、橋本徹市長を訪問させるべきところですが、橋本氏が自分一人の考えで、松井氏を代理で派遣をさせたのか? それとも、東京(実際にはかまくら)からの指示で、少しずらして置いた方がいいので、橋本氏では、無くて、松井氏をはけんせよと命令を受けたので、松井氏を派遣したのでしょうか。それは、判りません。ただ、それが、脅かし兼、嫌がらせであることを、私にはわからせたいのです。しかし、ブログに委細を書かれると、橋本徹氏が困るので、両天秤に掛けたというか、弁明の余地を残して置いたと、言う事なのでした。

 「このピント外れのずれは、私狙いですね」と言う事だけは、ピンと来て、『そうか、金沢でも、京都でも、異常な事が多々あったけれど、今の自分は、CIAエージェントたちに総力を挙げて監視をされているわけなのですね。政治の渦中も渦中、真っただ中にいるわけです』と、思い当たるのでした。

 で、突然にビデオカメラが紛失している事にも気が付いて、その後、4時間もかけてありとあらゆる通貨ポイントを探すこととなるのですが、見つかりませんでした。現代日本って、とても、まじめな人が多くて、この手の政治が絡んだ泥棒ではないケースでは、たいていものが出てくるのですが、出てきていません。そして、醍醐イサムは、自分のみっともなさすぎる姿が、記録をされている動画が、この世から失われたと、知っている模様で、私に会うたびにニヤニヤしています。しかし、私の方では、彼の根本的姿を知ってしまっていますので、いつかそれを、書き表すこともできると、おもっておりますよ。政治的大事件と結び付けて。

 ところで、2008年ごろから図書館が二つのポイントで、大きな、注目ポイントとなって居たのでした。

 二つのポイントの、うちの一つと言うのは、我が家から、父母の写真と、父がサラリーマンながら、中国の遺跡を油絵で描く名手であって、愛新覚羅溥儀(ラストエンペラーとして映画化された方)の、宮殿に絵が飾られているという様な新聞記事の、切り抜きが、11枚もあったのに、それが、盗まれているのですが、その同じものが、国会図書館にはある筈だと安心しきって居たのですね。ところが、国会図書館では、満州関連の資料は、マイクロフィルム化されているとの事で、それが、新聞に何度も出てきました。そこで、訪問をしてみると、驚いたことに、文化面が削除されているので、父の業績は、見当たらなくなっていたのです。新聞や本とは、紙を折りたたんで、作るものなので、必ず、宮数頁で、終わるモノなのに、国会図書館では、奇数頁で、マイクロフィルムが終わっているのでした。しかも、それをひどいと指摘をすると、何と、マイクロフィルムが劣化しましたと言う事になり、満州時代の新聞は、一切見ることができなくなったのですよ。しかも、国会図書館を訪問するたびに、警察車両によって私は、脅かされたので、父母の写真や、新聞の切り抜きを盗んだのが、警察だと確信をする様に成るのです。で図書館とは、とても、重要になっているのでした。

 もう一つのポイントとは、伊藤玄二郎・かまくら春秋社・社長がポルトガル国からエンリケ航海王子勲章をもらっているのですが、そのきっかけは、彼が共同著者の一人となっている【びょんぶ】と言う書物なのです。で、その後書きに、もし、「河出書房新社の、川名昭宣氏に感謝します」という文言が有ったら、この壮大なミステリーの解明が、一気に進むのですね。それで、その書物を探しています。伊藤玄二郎が、献呈した相手は無論、わかって居て、二十数名をたちまちに数えることができますが、・・・・・例えば、養老孟司氏を訪問して、見せていただけますかと、今試してみるほどに、自分の方が、エネルギーをそこに注ぎたくはないです。いや、本当に真剣になったら、ポルトガル国の大使館に行きます。そして、それを見せてくださいと頼みます。そこに行けば拒否される理由はないです。公にはないです。しかし、国会図書館でさえ、【びょんぶ】が、秘匿されているという事は、ほとんど、私の推測が当たって居て、その書物は、川名昭宣さんが、編集した筈です。と、考えるとスタップ細胞疑惑についても、その他についても、真実の究明が、非常に容易になってくるのです。

 で、私はありとあらゆる案件について、今、自分が書いているk戸が正しいのだと、言う点では、揺るぎが無いのですよ。

 しかし、大阪市立図書館がいつの間にか府立図書館になっているというのには驚きました。それが、塩見和子さんがいつ、笹川良一氏の、手下になったのかの時期について、諸説が、横行していることを、説明するキエンになっています。

 :::::::ところで、ここで、二つ目の挿入を入れます。あれほど元気だった橋本徹氏が何で、急に脱力をしてしまったかについていえば、この件が大きな影響を与えているでしょう。橋本氏は、・・・・・如何に日本の政治意が難しい状況下に在るか!・・・・・が、この図書館の件で、わかってしまったのです。

 普段の彼は、CIA側にいじめられきっています。週刊誌の、攻撃で、激しく消耗をしている筈です。しかし、この大阪市立図書館の件についていえば、彼は逆らえない、人物からの命令で、CIA側陣営の、小道具とされてしまっているのでした。これほどの屈辱は有りませんよね。こういう国で、まともなことが通じるはずがないという事が彼にはわかってしまったのです。

 私は、橋本氏に対しても松井氏に対しても、怒っては、居ませんよ。ただ、橋下徹氏みたいな、まっすぐな人が、引っ込んでしまうのは、残念だなあとは、思っています。:::::::ここで、挿入から元へ戻ります。

 塩見和子さんが、いつ、笹川良一氏と、密接な関係を築いたかですが、本当のところは、瀬島龍三の、手配で、1978年には、すでに、築かれていたと、考えます。ただ、公益財団法人に成るとかいう形を整えたのは、2012年かもしれません。そして、1994年に、塩見さんが、週刊朝日で、大きな記事となったのは、その年に、私が生涯で、二度目の個展を、銀座で、しかも、とても派手な形で、行うのです。後年、美術9条の会が、できてからは、私をいじめることになる渡辺豊重さんが、「こんなに派手なオープニングは、久しぶりですよ」と、言ってくれたほどの、人気ぶりでした。

 だから、こそ、「お前、頭に乗るな、お前より、ずっと、塩見和子の方が大物なのだよ」という記事を週刊朝日に載せたのでしょう。無論、私だって、自分より、社会的な身分として塩見和子の方が上であることは認めます。

 容貌の点では、10倍ぐらい彼女の方が上で、

 収入の点では、1000倍ぐらい彼女の方が上で、

 知名度の点では、10万倍ぐらい彼女の方が上でしょう。

 となると、知名度の点では、10万倍ぐらい、彼の方が上である、嶋田章三が、1970年代から、ライバルとして設定をされて居て、どんどん、出世していくというのも瀬島龍三と、バッティングをする前に、すでに、ベイカーさんから、頭の良い人間だと、認められてしまっている私に対しては、起こりうることなのでした。

 そして、一番大きな問題点は、嶋田章三が、国画会内部で、「あいつ(=私の事)は、弾圧しなさい」と、言う暗喩的な指示を出していただろうと、言う事なのです。

 それを分析していくために、大沼嘉津江さんの、種々の言動が、役立つのです。

 キジも鳴かずば撃たれまいにと言うのは、広報委員長に彼女が選任をされたのを引き受けたという点にあるのです。広報委員と言うのは、一年を通じてもっとも、作業時間が多い部署です。私と嘉津江さんは、一年間に、160時間以上を一緒に過ごしています。そして、嘉津江さんは、周辺の人が馬鹿だ、バカだと言う通りで、単純な価値観を持っている人なのです。で、兄を偉い人だと信じ切って居て、兄の思い出を語るときに、どうしても自慢毛な、口調になってしまうのです。

 しかし嘉津江さんより百倍は多くの書物を読んできた私からすると、それらの自慢話とは、すべて、嶋田章三の、人格上の欠点をさらけ出しているのに過ぎないのでした。だから、これも、また、悪人は悪人同士で、殺し合うの一典型なのです。瀬島龍三がアイデアを全部出していたのか、それとも、その頃から既に、井上ひさしがリクルートをされて居て、アイデアを出していたのかはわかりませんが、嘉津江さんを、私の上に置いて、圧迫するつもりであって、意外にも、自分達にとって、大事なタマである筈の、嶋田章三の欠点をすべて、私に知らしむる結果となって居たのです。

 この青の太字の部分が初出なのです。それから、三土井色の字の部分も、その中で述べている理由付けや、因果関係の説明においては、初出の事が多いです。

 塩見和子さんが、週刊誌に登場したのは、1994年以降の話(後注2)であって、彼女が、1978年から、笹川良一のもとで、日本財団の仕事をしていたなどと言うのは別のところで、見つけた話です。しかし、75歳になった脳味噌の弱さゆえ、どこに出ていたかが思い出せません。でも、真実の期日がいつであろうと、彼等、鎌倉エージェントは、自分たちに都合の良いように事実を曲げてきますので、さして、重要ではないのです。

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副題8、『この章の結語』

 私は自分の頭脳の優秀さに自信を持っている。しかし、その頭脳は哲学的考察に、主に向かっていて、現世的利益の追求には向かわない。自らの周辺に、違和感を感じることを見出したり、NHKニュースの中に、違和感を感じることを見出したりすれば、その時、塩見和子の不思議な選択(サザビーの日本支社長という役職から、笹川良一の右腕となる選択の事)も醍醐イサム(突然に不親切になり、その原因を追究しようとする私の前で、メロメロに、醜態をさらけ出してくる)も重要になってくる。日本の政治が、CIAエージェントの、井のままに動かされている現状の下では、同じく、動かされているある個人を通して、それらの、より大きな現象を分析すると、非常に分かりやすくなるからだ。

 しかし、現世的な、利益を、求めないタイプだから、笹川良一に近づくはずもない。お金の動かし方にしても桁が違うので、近づくはずがない。1978年とは、小さな子供を育てている最中でもあり、最も大きな望みは、芸術家として大物になる事であった。そういう私が、笹川良一に、すがって行くことはあり得ない。しかし、現世的利益を最優先にするてあいが、瀬島隆三たち、鎌倉エージェントの面々だったので、自分達と似た穴を掘ると、言う風に私が誤解を受けたという事だ。

 いや、最近もつくづく、思い当たる事があった。鎌倉に、最良の物件が売りに出ている。税金も含めると、一億三千万円を超す物件だ。それなのに広さは、45坪程度しかない。しかし、75年の生涯を通じて望めば必ず、願いが叶ってきた人間が私なのである。100%の形で成功したとは言わないけれど、30%程度の充実度で、かなってきた人間が私である。

 で、大芸術家になる夢を捨てたのだから、代わりに、もう一度、家を新築する夢をかなえたいと思っている。資金はない。だけど、そういう夢を持っている。で、家を新築する為には土地が必要だから探している。追浜に、駅まで徒歩四分の、建蔽率80%で、容積率400%の地域で、28坪と言う土地を見つけてある。こちら、かまくらの方は駅まで徒歩7分だけれど、敷地45坪で建蔽率40%だ。両方ともに、設計図は、考えるのが楽しい土地だ。お金はないけれど、夢を大切にしようと思って、ある晴れた日に、鎌倉の方の現地を訪問をした。

 すると、東隣に最近、ここの売地を買った人が、新築をしていた。シートで覆われているので、建築確認申請の看板を見て、いくらぐらいの広さの家だろうと、推察して居たら、工事の、責任者らしい人が近寄って来て、いろいろ説明をしてくれた。それによると、その家は、本格木造建築で、しかも平屋で、しかも、総建坪は、100坪であり、坪単価は、300万円とは利かないという話だった。敷地は三百坪を超えると思う。彼は手に銅板を持っていて、これは、葺くとすぐに緑青が出て、緑色になるのですよと、言って居た。

 そこまで聞いただけで、私は、表面は冷静だけど、内心で笑い転げてしまった。・・・・・この家って秋篠宮さまの邸宅よりも豪華なのではないかしら。そうなると、ここは、お金が手に入っても、買ってはいけない土地ですね・・・・という事がはっきりとわかったからだ。桁が違い過ぎる収入の人の隣で、暮らすのは、幸せな事ではないと、思う。

 鎌倉では、将来ともに、出ては、来ないと、思われるほどに、環境の良い土地だったが、『これから先は、ここには、ノータッチですね』と、思った事だった。人は人、自分は自分だ。常に、平静であるためには、人と自分を比較してはいけない。でも、お正月に、三百人ぐらいのお客が、お隣を、訪問をするのを横目で見て居たら、自分の方が貧乏だとは、どうしても見えてしまう。そういうところに住むのは、幸せではない。いや、実際には、社員が700人もいる人の別荘だそうだ。だから、年始客は千人を超えるかな? しかも、登り龍の、威勢を持つ人の別荘だと、思う。工事人は、何も説明しなかったけれど、私の直感がそういう。すぐ近所にコナカの社長さんの家もあるし。

 どうして、こういう事を言うかと言うと、間に、立派な紹介者が居たとしても、私が、笹川良一と、付き合う筈は、ないと言いたいからなのだ。「瀬島龍三様、誤解をしてくださって光栄です」と、言っておこう。 

  ここで、後注2のリンク先として挙げた文章は私の文章ではないのですが、週刊朝日の記事をほとんどなぞっていると、思われるので、採用させていただきます。

 

 

後注1、

油揚げに髪の毛が入って居た話を、アランの幸福論風に書いている最中に、警察の殺人用別働隊が、轟音で脅かしてきた。why?  2018-06-22 21:52:25 | 政治

後注2、

http://kikuchi-blogger.blogspot.com/2008/06/16part1.html 

16億円の楽器を買う笹川財団の女性大物画商『週刊朝日』Part1



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