銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

現芝翫は、十八世勘三郎と、組んだので、甘くなった・・・・・・と感じる私だが、

2018-01-30 10:31:25 | 歌舞伎

 現芝翫(八代目)が、非常に早まって、襲名をして、それは、私の歌舞伎座における隣の客との、短い会話を、盗聴された結果だろうと、前報(後注1)で言っていますが、この章では、何故、橋之助(三代目)時代に、甘い演技で、通って来たかを考えたいのです。なお、この一章は、夜10時40分に止めといたしました。

副題1、『・・・・・現芝翫は、若年労働者として、歌舞伎界で、酷使され続けてきたのだった・・・・・と、言う説を発見して、驚いている私だったが?』

 誰もが知る通り、現芝翫は、美形で背が高いです。これは、周辺から、ちやほやされる要素が一杯です。で、中学時代から歌舞伎に、でずっぱりだったそうです。

 それはですね。『現・扇雀(三代目)の落ち着き等と、比較すると仕方がないなあ。差が出ても』という経歴となります。扇雀は両親が良心ともに、とても、偉い人だから、批判の対象にはなりません。でも、大学を卒業した人(と言う事は修業した時間が短いはずだ)にしては、落ち着きがあり、演技に破たんがないです。立ち役(男性の役)をしても、女形(女性)の役をしても破たんがないです。特に女形をした時ですが、しっとり感とか、美形感は、既に・と・し・なので、少ないですが、世話物なら、役にふさわしい、リアルな部分を表現できるし、落ち着きを感じます。大阪城内を、描写した舞踊で、彼が、北政所(正妻)を担い、淀君やら、何とかの局と言う秀吉の愛人たちの、嫉妬関係をさばいて行く役で、若手の役者を、上品にも、支配して行ったら、「そうでしょうね。ピッタリです」と思いました。

 将棋界のプロが、高校を出るべきか、出ないでいいかの論議が、藤井聡太君をきっかけにして起こりました。歌舞伎役者も同じで、学歴が必要でないか、必要かとなると、総合的な概念としては、必要がありません。

 だから、元・橋之助(三代目)を、「高校も、卒業をしていない」と言って、貶めてはいけません。だけど、高校とか、大学というのは、友達を得る場所です。歌舞伎界から離れた場所で、友達を得る場所です。高麗屋の引幕(一番目のもの)が、三井物産から寄贈をされたものであるという事は、幸四郎が、暁星を、出ていて、しかも、成績が優秀だったという事が大きいでしょう。特に大学へ通う時期は、モラトリアムが与えられる時期であって、海外旅行をしたり、いろいろ、経験を積むことができる時期です。

 それが、橋之助にはなかったので、ある意味では可哀想にも思っています。

 特に驚くべき、投稿を、2ちゃんねるか、5チャンネルで、発見をしました。それは、ですね。橋之助が、中卒で、歌舞伎専念をして来たのは、ご本人の意志ではなくて、上からの、命令だったという話なのです。ご本人は、「僕は歌舞伎が大好きだから、早くから歌舞伎に専念をした」と言っています。

 同じ様な事を言っているのが、隼人君です。どこかの中学(もしかしたら、暁星であろう)から、高校としては転身をして、堀越へ進学しました。その時点で、大学へは進学しない事と決めたのでしょうね。堀越よりも前の学校の方が、大学受験には有利な高校だったと、思いますが、大学へは進学しないで、歌舞伎に専念しようと、思ったらしいのです。彼は、ブログなどで、私生活を公開していますが、「堀越学園で、出会った友達が、とても大切だ」と、言っています。神木隆之介君他、芸能界で、成功している友達が多いらしいです。「彼等と付き合うと、いい刺激を与えられる」と、言っています。是には嘘はないと、思っていますが、橋之助の方はどうだろう?

 もう、一度、2ちゃんねるとか、5ちゃんねるに、もどります。

 そこに書いてあることで、びっくりしたのは、『橋之助は、若年労働者として、長期間、働かされていた』という、考察です。びっくりしました。「本当だろうか?」と、驚き入っていますが、もし、本当だとしたら、彼の演技に、甘さがあるのも仕方がないと、成ります。労働者として、駆使されている現場では、つらくて、向上心など生まれません。自分が今、やらされていることに関して、研究などしたくありませんものね。

 歌舞伎が、今ほど、隆盛ではなかった時期と、橋之助(現芝翫)の、成長期がどういう風に重なっているかが問題ですが、もし、この投稿が、一面に於いて真実だと仮定をすると、彼の演技に甘さが見られるのも理論的には、無理もないと、成って行きます。だって、社会経験が、少なさすぎるとなりますから。

 でも、親である、芝翫が貧乏だったとは考えられないので、親会社の松竹の方が、三代目橋之助を、少年期から、駆使したというのは、考えられますね。美形だから、集客力があるという事で。ともかく、私が舞台を見て居ない時期なので、真相は、さっぱりわかりませんが、2ちゃんねるとか、5チャンネルは、他分野でも、裏側の真実をひょいと、さらしてくる、事が、あるので、その酷使情報は、もしかすると、真実であるかもしれません。

 ただし、かれは、33歳の時に、NHK大河ドラマで、全国的スターとなります。で、その酷使をされて来た期間が、NHK大河ドラマに主演する、33歳より前の、12歳ごろから、25歳ぐらいまでだと、すると、・そ・れ・も・あ・り・だったかもしれません。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『32歳の時に、NHK大河ドラマ【毛利元就】で、主役を果たし、38歳の時にNHK金曜時代劇【御宿かわせみ】で、主役を果たしている。こういう現象は、俳優としては、勝利、そのものなので、それ以降、歌舞伎界で、きちんと、枠組みにはまって、演技をする事を軽んじる様になった可能性は高い。既に、大河ドラマ以降、20年が過ぎているし』

 ここは、何も加筆しないで、先に進みます。奥様が三田寛子さんであることも、勝利感に拍車をかけたと、思います。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『しかし、私がもっとも、注目をしたのは、十八世勘三郎の、カンパニー(座組)に入って、一緒に、演技をしている事だった。その中では、難しい演技が必要な部分は、勘三郎が担い、橋之助(三代目)は、お殿様などの、かっこいい役どころを主に担い、しどころが少ない役が多い模様だった。・・・・・ここが重要だと、私は考えるのだった。・・・・・こうなると、演技力を磨く必要が無くなって来る』

 私は、それを、ぼんやりとは、知っていたのです。ここで、それとは、三代目橋之助と、十八代・勘三郎(先代・勘九郎と言った方が通りがいいと思うのだけれど)が、姻戚上の兄弟になっているという事を。つまり、橋之助の姉君と、勘九郎が、結婚をしていて、現在の勘九郎・七之助兄弟は、現・芝翫の甥にあたるという事を。この座組で、信頼できる演技者は、現在では、坂東亀蔵と、七之助です。勘九郎は、まじめ過ぎで、頑張り過ぎで、少し、余裕がなさすぎです。現芝翫と、足して、二で割ったらいいと、思うほどです。扇雀もこの座組で、こうえんすることが、あって、『まあまあ、いいかな』と、思っている次第です。

  しかし、その姻戚関係を忘れても、現芝翫が、十八世勘三郎と、その子息、勘九郎と、七之助の、座組で、一緒に芝居をしているのには、気がついて居ました。演劇界などの古い資料を当たっていたからです。

 でね。十八世勘三郎は、大変、活発な人間だったので、彼が生きて居た当時は、歌舞伎座に顔を出さなかった、私も、他のメディアを通じて、その動向は、知っています。そして、シネマ歌舞伎や、テレビの断片的映像、衛星劇場での、ふるいしばいの再度の、展開をも見ています。すると、演技は上手だと、言う事が解ります。特に、顔が美形ではないので、世話物とか、新作に取り組んでいて、しどころの多い役を担っています。しどころとは、歌舞伎界の言葉で、演技が、必要な部分を言います。

 その座組の中で、三代目・橋之助は、お殿様とか、その他、一種のわき役だが、顔が美形で、社会階層的に、位が高い役目を担っています。昔、ことわざに、「餅は、乞食に焼かせろ、魚は殿様に焼かせろ」と言うのがあったそうですが、それにも象徴をされている様に、お殿様とは、おっとりしている存在です。

 そうなると、あまり、難しい演技を必要とされません。しどころがないのです。で、十八世勘三郎は、橋之助の親ではないわけですから、橋之助の、進歩を求めるよりも、彼が、自分とは、違うキャラクターの人間であって、座組の中でとは異なった役柄を演じてくれることは、ベストなので、彼に自己変革などを求めなかったと、思います。

 ここが、中村獅童などとは、非常に違うところです。中村獅童は、親戚なら、いっぱいいるのですが、その年齢を考えると、それぞれが、獅童が少年期には、座組の統領ではありませんでした。だから、自分自身とか、自分の子供を引き上げることに精いっぱいで、獅童に、いい役を回してあげるほどの、力がありません。ですから、獅童の方が、立場としては、橋之助よりもはるかに、弱いのですが、それだけに、ご本人が努力をしています。顔についても、橋之助は、生まれながらの、お殿様顔ですが、獅童は、そうでもありません。それも相まって、演技力を磨いています。

 私は、橋之助の悪口を言いたいわけではないのですよ。ただ、ただ、例の如く、鎌倉エージェントの悪辣さを分析するためにこれを語っているのですが、その後の、NHKの扱い等に、見事にそれが、敷衍して行くのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『NHKがシリーズ化した番組の中で、一本だけに、橋之助(現芝翫)が出演した。親子で。すると、番組宣伝を、非常に大きく、してもらえる。こここそ、私が前報と、この章で、語っている、芝翫襲名が、鎌倉エージェントが、警察の協力のもとに、私と隣の客との会話を、盗聴をして、私をやっつける道具の一つとして、三代目、橋之助を使ったという証拠に当たるのだった。特に今の一節、で、副題4の二重ガッコ内で、NHKと、入れて、シリーズ化した番組の中で・・・・・と、書いただけで、文章がぶっ飛んで消えたが、

 その直前に、【超入門、落語 the movie 】の放映済み、過去番組を調べていたので、私がこれから、先に何を語るかがわかって居て、このパソコンを、公開前に、覗き込むことのできる、井上ひさし等が、delite key を使うか、または、それ専用の、どれかのアイコンをもらっていて、そのアイコンを使ったとたんに、生ん方が消える様な、仕組みを、自分宅のパソコンに入れ込めてもらっていると、推察しているが、今、すぐさま、それを、利用したので、私が語っていることがあっていると、見ている』 

 それは、コピペしておくと、

第3回 10月26日 六尺棒 三遊亭兼好
権助魚 古今亭菊之丞

 シリーズIIの三回目だった筈です。それ以前とか、それ以降の番組宣伝は、見たことがないので、現芝翫と、その息子、4代目橋之助を、どれほどに、ひいきしているかがわかります。

~~~~~~~~~~~~~

副題5、『四代目橋之助が休演をするという小さなニュースに刮目した私だった。すると、これから、先、何を語るかが、読めたらしくて、10月の21日に、若手大部屋俳優を、率いて、彼が、一日だけの、公演を、国立劇場で行った。 』

 ここで、公演の詳細を、置いていたのですが、それは、本文後に起きましょう。先に、ここで、問題にすべき、コンセプトを開示します。

これは、私がこれから先に語ろうとしていることに対して、予防線を張ったと、見ました。

 「三代目・橋之助の、お子さん方が、歌舞伎俳優としては、甘すぎる」と言う事は、衆目の一致するところだと、思います。しかし、実際に、歌舞伎座とか、国立劇場等へ、足を運んだ方以外は、判らなかったと、思います。というのも、NHKは、俳優祭の、録画を流しましたが、そこで、現芝翫と、子息たちは、その他、大勢の役者とともに、舞踊・演目に出演しました。

 舞踊の指導者は、父親ではなくて、藤間流宗家です。だから、すべての他の役者と、同じ扱いをされるでしょう。だから、比較して劣って見えるわけではありません。

 しかし、平成28年6月に、国立劇場で、橋之助が魚屋宗五郎を、演じた時に小奴三吉を演じた次男は、ひどかったです。宗生君と言って、襲名後は、福之助となったはずです。この三人がおおあまの、大甘で、見逃されているというのは、お父さんだけの責任ではなくて、お母さんである、タレントの三田寛子に、責任があるという声も大きいのですが、そこについては、わざと、「口にチャック」として、触れません。でないと、母親は、どうあるべきかについて、一家言の有る私は、到頭と語り始めて、この一文も終わらなくなってしまいますので。

 この三人のおばに当たる、梅彌丈は、三代目橋之助の姉に当たり、勘九郎と、七之助の母ですが、テレビ画面に映るという形での、タレント活動はしていませんね。踊りの流派を率いているそうですが・・・・・

 でね。子息三人が、研鑽が足りないのに、襲名公演で、光が当たる事の、是非ですが、もっとも、問題なのは、親が歌舞伎俳優ではない青年が、国立劇場のけんしゅうしょを出た後で、歌舞伎界に入って来た場合、彼ら、が、この三人をどう思うかなのです。絶対に本音は、口外をしない筈です。が、がっくり来るでしょう。有為の青年を暗い気持ちにさせることの是非なのです。

 そのことをこれから先に論じるだろうと考えた、鎌倉エージェントの連中が、企画をしたのが、この節の、下部に、コピペした、たった一日だけの特別公演の 開催です。この芝居では、四代目橋之助以外は、すべて、親が、歌舞伎俳優ではない青年です。すばらしい会の様です。特に指導者が、素晴らしい、大役者ばかりです。この公園に出演した人達は、ラッキーでした。

 然し、大海の一滴です。と言うのも数値を可視化して行きましょう。全国にいろいろな、劇場があり、同じ月に、五か所ぐらいで、歌舞伎をやっています。つまり、座組を五個ぐらいのグループに分けることができるというわけです。

 *1)、尾上菊五郎劇団、*2)海老蔵グループ、*3)白鴎やら、幸四郎を、中心とする高麗屋一族、*4)吉右衛門(播磨屋)グループ、*5)七之助を中心とする、故、勘三郎、一族、*6)、玉三郎をcを中心とするグループ。7)猿之助を中心とするグループなど、など、たくさんあります。システィナ歌舞伎と呼ばれる愛之助を中心とするグループもできつづありますね。また、尾上松也を中心とするグループもできつつあります。

 で、短い公演もありますので、平均、20日間、役者が一つの劇場に出演するとして、月に平均で、5か所で、公演が行われる、・・・・・と、仮定すると、御曹司と、生まれただけで、名前のある役名で、5(劇場)×12(月)×、20(開演日数の平均値)×6(演目)=7200演目にも、出ることになります。それを各座頭が率いる、カンパニー5つに振り分けると、一人の名前が、上がった役者が一年刊に、1600日も講、公演をこなしているのです。

 この数字と比較をすると、その日の、国生君を中心としたわかものたちの、公演は、1600分の1となるのです。

 それでは、それでは、不満をおさえるためにガス抜きをしたとしても、冷遇状態には、ほとんど、変りはありません。歌舞伎の将来は、だいじょうぶなのでしょうか?

劇場 大劇場
公演年月 2017年10月 (一回公演)
演目名 一谷嫩軍記(イチノタニフタバグンキ) → この目名で検索する
場名など 熊谷陣屋(クマガイジンヤ)
配役

熊谷次郎直実 = 中村橋之助(4代目)

熊谷妻相模 = 中村蝶紫(初代)

平経盛室藤の方 = 中村京珠(初代)

堤軍次 = 中村橋三郎

亀井六郎 = 中村蝶一郎

片岡八郎 = 中村蝶三郎

伊勢三郎 = 坂東彌風

駿河次郎 = 中村又紫朗

近習 = 片岡孝法

近習 = 中村富彦

軍兵 = 片岡燕治郎

軍兵 = 大谷桂太郎

軍兵 = 中村蝶次

村人 = 片岡千藏

村人 = 中村橋弥

村人 = 中村京純

梶原平次景高 = 坂東彌七(初代)

白毫弥陀六実ハ弥平兵衛宗清 = 片岡仁三郎(初代)

源義経 = 中村が又之助(2代目)

備考 第二十回伝統歌舞伎保存会研修発表会、上演日:平成29年10月21日(土) 、片岡仁左衛門=監修・指導、片岡孝太郎・片岡秀太郎・中村歌六・中村錦之助・中村雀右衛門・中村又五郎・坂東彌十郎・ほか伝統歌舞伎保存会会員=指導、並木宗輔=作

  本日は、ここで、終わって置きたいと、思います。なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4457748です。

後注1、

芝翫襲名、ダッカ襲撃事件、やまゆり園事件と続く、あの頃、どれほど、かれらCIAは、頭に乗っていた事か?  2018-01-28 23:04:08 | 政治

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする