銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

かまくら春秋社は、海の日と言う休日の夜には、全社の窓が、煌々と明るかった。もしかして、やまゆり園・追悼式の準備をしていたのかな?

2017-07-29 15:39:16 | 政治

 今は、30日の午前11時です。昨夜、いったん、止めますと、言っていた、この文章の続きを書きます。この一章は、かまくら春秋社が、何故、海の日と言う休日に、全社、電気を煌々と点けていたか? その謎を解くという形で、まとめたいのです。私は最初は、私の妹を殺したという事で、祝杯を挙げていると、推察していました。17日から、ほぼ、2週間近くそういう風に想像をしていました。しかし、28日の夜に、その会社では、中心部の窓(それは、一般の編集者が、仕事をしている窓ですが)の、ブラインドを下していました。そこの窓は、すべて、西を向いています。西側には、日本の道、百選に選ばれた、段葛と言う鶴岡八幡宮に向かう表参道があり、そこには、サクラが植わって居て、植え替えられてから、二年目に入り、すでに、樹勢も、あり、背が高くなっているので、対岸からの、眼を意識する必要はありません。しかも、対岸のビル群は、すべて、商店が入って居て、それらは、ほとんど、夜の6時には、閉まるのです。鎌倉は、駅周辺以外は、夜が、とても速く、終わる街なのです。だから、誰かの目を意識する必要は一切ないのに、ブラインドを下している。そこからも、謎が、解けていきます。それを、また、新しく、後半に加筆をして行かないといけません。いまから、それをはじめます。という前置きを入れて、本文に、入ります。

 さて、本日は、順不同に、たまっていたエピソードを並べていきます。私の内部では、妹の死(他殺だろうと、信じているが)以降の、各種の観察の集積です。で、すべては、妹が他殺であるという事を証明するのに役立つことだと、思って居ますが、・・・・・総タイトルについては、お断りをしないといけません。

 エピソードが、書けた順番に、総タイトルは、変更してく可能性があります。私に言わせると、ツィッター方式と言うやつです。それは、お許しくださいませ。ところで、以前書いたブログ類の、リンク先を見つけないといけないとか、誤変換直しやら、推敲やら、加筆をしないといけない義務は、残っておりますが。それは、本日は、一応、後回しとして、新しい文章を書きます。

 なお、変更した、総タイトルを、順番に記載をするのは、目次の役目を果たすので、それは、この場所で、行います。

*1) 『かまくら春秋社は、やはり、元の位置にありました』

*2)、『やまゆり園事件、は、一周忌直前の、24日に、追悼式が行われた。時期的に、非常におかしい』

*3) 『妹が殺されたのちの10日間、・・・・今度は、お前の子供や、孫を殺すぞ・・・・という、脅かしを受け続けた。CIAの私兵としての警察の特殊部隊がやることは、すべてが暗喩的に行われる。で、そのサインは、異様なサイレン音だったのだ』

*4) 『鶴岡八幡宮が、雇っている警備の、ガードマンの、特に湘南環工と言うロゴの制服を来た人間の中に、警察の特殊部隊の青年が居て、その音を出していると、言うことが分かった。ただし、青年と言っても、40代であろう』

*5)、『妹が、殺された前に、異様な死だと、私が考えて居る人の死が、いくつもある。本日は、簡単な説明をつけて、それらの人の死を語ろう・・・・・山口みつ子さんだけは、毎週、一回は、会っていたが、その他の人は、半年から、数年間は、間を開けていて、会って居なかった。したがって、直前の様子の詳細は、判らないのだが、絶対に他殺であると、考えている。そういう人達を、ここで、簡単に、羅列をして置こう・・・・・特に四人だけ、初出として、氏名を上げる』

*6) 『地下鉄東西線の、葛西駅の、登りホームは、地表より、相当、高い位置にある。その急な傾斜の長い、エスカレーターを登り切った途端に、じゃーんと言う形で、ガードマンが立っていた。これも、妹の死が他殺であり、特にやったのは、警察の特別な部隊である。と、感じたゆえんである』

*7) 『28日の午後に、私は、かまくら春秋社が入っているビルの前に行き、入り口に置いてある郵便用ポストを確かめた。すると、栄光ゼミナールと言う会社は、三階に、入居したものであって、かまくら春秋社そのものは、移転をしていなかった』

*8) 『かまくら春秋社は、海の日と言う休日の夜には、全社の窓が、煌々と明るかった。もしかして、やまゆり園・追悼式の準備をしていたのかな?』

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副題1、『かまくら春秋社は、やはり、元の位置にありました・・・・・その1』

 この7月の17日、夜の9時20分ごろですが、バスの窓から見ると、かまくら春秋社が、窓全体を、まっか、っかに、電気をつけて、明るくしていました。休日なので、出版社の、社員が、出社している筈もなく、私は、私の妹を、殺して、それゆえに、私がショックを受けているだろうと、伊藤玄二郎が考えて、祝杯を挙げていると、見ました。一人で、ワンフロアー全体を、照らしても、何のメリットもないので、他の人も来ているのだろうと、思いました。誰が来ている。酒井忠康氏、吉田茂穂宮司様、浄智寺さん、など? しかし、この想像が、間違っているとして、それなら、前田祝一氏たち? 我が家のご近所様?

 12日の夜に、義弟から私に妹の、死の、知らせがあって、その日=17日は、五日目です。そのビルの四階部分が、煌々と明るいのは、妹の死が他殺である事の、重要な傍証となるとみて、情報を、下書きボックスに入れて置きました。と、同時に、ご近所の動きも又、妹の、死が、他殺であると、言う事を証明すると、私は考えていましたし。

 しかし、その数日後、同じくバスの窓から、外を見ていると、ちらっとですが、栄光ゼミナールと言うロゴも見えたので、自分の考えが間違っているのかも、知れないと、思い直して、それを書いた(後注1)のが、26日です。26日は、やまゆり園一周忌で、NHKは、その件で、もちきりです。したがって、私は、その後の、27日は、かまくら春秋社が、入っているビルまで、寄り道をしている時間がなかったのでした。バスは、そこを通りますが、歩いて駅まで、行く際は、そこを私は、通らないのです。

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副題2、『やまゆり園事件、は、一周忌直前の、24日に、追悼式が行われた。時期的に、非常におかしい』

 ところで、やまゆり園事件については、すでに、18日には、重要な、しかも、ボリュームの大きい、ニュースが始まって居て、NHKは、それで、もちきりでした。莫大な量のニュースが、流されており、すべて、私が論じた過去文章を否定する方向で、作り上げられておりました。

 一つ、二つ、やはり、19人は、殺されていないのだと、論じることができるポイントはあって、・・・・・一審が、裁判員裁判で、行われ、かつ、19名の個人名は相変わらず、伏せる・・・・・と、朝のニュース内でだけ、発表をされた点です。それは、私が録画していないニュースなので、私に気が付かれることがなく、重要な嘘部分を、正当化させておこうという措置でした。これは、ひどいです。で、ブログを一本書いて居ます(後注2)が、読者の皆さまだって、「また、変なことを言ってらあ」ぐらいな感じで、私の意見の方を、見過ごされたのではないでしょうか? ネットでも、私の論調は、一切、無視されているみたいです

 だけど、被害者遺族には、何らかの補償(税金を使う筈)も出るだろうに、匿名で行うのですって。まあ、やりたい放題の嘘が、蔓延しているわけですが、・・・・・それは、あまりにもひどいので、急きょ、ブログを書きました。効果はないだろうと、思いながらです。

 しかし、その時にもう一つ、重要な現象を見聞きしました。彼ら、鎌倉エージェントは、できるだけ早い時期に、やまゆり園事件を、自分たちが、考えている方向に沿って、確定してしまいたいと、思っておりましたからでしょう。

 実は、私は、すでに、この14日(というのは、私にお知らせがあってから、たった二日目)には、すでに、妹が殺されてと、書き始めています。それは、14日の夜の8時ごろに、西隣の、白井・小野寺邸で、二階のペンダント灯を、不思議な形で、二基つけていたからです。その他にも、周辺には、いろいろがあって、これは、早急に防衛をしないといけないなと、感じ始めて、書き始めています。

 で、もし、私が、タイミングよく、・・・・妹の死(他殺)が、やまゆり園事件を、自分たちが言う通りの方向へ、持っていくためだった・・・・・と、書いてしまったら、自分たちののせっかくの謀略が役に立たないということになるわけなので、焦ったのでしょうね。追悼式を、24日に行いました。

 豪華にです。最高ランクのお式として行いました。

 ただし、変ですよね。追悼式って、一年目に行いますか? 一年目に行うのは、一周忌であって、地味目のモノの筈です。追悼式は、事件直後に行うモノでしょう。だけど、行うことができませんでした。それは、おっちょこちょいな、鎌倉エージェントが、「46人もの死者が出た」と、最初に大げさに、嘘を、発表をしてしまい、それに対する矛盾点を突いていた私が居たために、行う事ができなかったのです。

 しかし、彼等にとっては、あいつ(=私の方に)は、12日以降は、緘黙するだろうと、言う予想がありました。妹が殺されたからです。というのも、・・・・・妹の死は、他殺であるという事は、私なら、当然のごとく、予測がつく事であり、従って、次の段階への、おそれも、持つだろう・・・・・と、彼等は、考えていました。

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副題3、『妹が殺されたのちの10日間、・・・・今度は、お前の子供や、孫を殺すぞ・・・・という、脅かしを受け続けた。CIAの私兵としての警察の特殊部隊がやることは、すべてが暗喩的に行われる。で、そのサインは、異様なサイレン音だったのだ』

 次の恐れとは何かというと、今度は私の子供や孫に対する攻撃です。妹を殺したのだから、当然の事として、次は、お前の子供や孫だぞと、言われているのです。・・・・・それに対しては、ビビるはずだ。だから、やまゆり園事件については、書けない筈だ・・・・・と鎌倉エージェントは、考えていました。私、本人も、何度も殺されかけていますよ。だけど、それでも、真実を書き続けるのだから、今度は、お前にとって、大切な、周辺から、殺していくぞと、言われているわけです。そのサインが、異様なサイレン音です。これは、ほぼ、12年前の11月末、私の二番目の孫が、生まれた直後の、日比谷線内で、始まった現象であり、

 私は何度もその詳細を書こうとして居ながら、最後までは、書きぬけていない問題です。12年間続いてます。一時期は、安野家から、聞こえてきていました。しかし、最近では、山ノ下の、鶴岡八幡宮様の、駐車場から聞こえてきます。

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副題4、『鶴岡八幡宮が、雇っている警備の、ガードマンの、特に湘南環工と言うロゴの制服を来た人間の中に、警察の特殊部隊の青年が居て、その音を出していると、言うことが分かった。ただし、青年と言っても、40代であろう』

 鶴岡八幡宮の、ガードマンは、だいたい、湘南環工と言うロゴの入った紺色の制服を着ている老人が多いのだが、或る日だけは、美形の青年が、この制服を着て、駐車場の、休憩小屋の中に居た。・・・・・その日だけは、私が、この異様なサイレン音の、音源を確認しに行ったのだった。この美形の青年は、過去にも音で、脅かしてきたことがあり、したがって、警察の特殊部隊の人間だと、私の方には、判っているのだった。過去の方は、朝の八時に帰宅した、私を、大音響で、後ろから、脅かしたのだった。しいち稲荷近辺の、石段内で、後ろから、追いかけて来ていた彼が、鉄筋を、20本ぐらい、落として、その大きな音で、脅かしたのだった。その日、この山の中では、鉄筋を使う工事の予定はなかった。当時、私は紙でできた市販風の工業生産的、書物を作っていた時期だったが、自宅では、マイクロソフトの、ワードも、アドビのイラストレーターも、システム異常を起こし続けて、仕事にならないので、外で、貸パソコンを使い徹夜で、仕事をしていたが、特に異様な雰囲気に出会って、怖くなり、主人に迎えに来てもらっていたのだった。それを、電話で、お願いをしているので、さらに、脅かしてやれっと、後ろから、ついて来て、鉄筋を落としたのだった。今の、私だったら、「それは、どこの家の工事の為の鉄筋ですか?」という質問をすると、思う。

 しかし、あの頃は、まだ、全体像が、しっかりと、つかめていなかったし、防衛する手段を持っていなかった。今は、違う。全体像が、しっかりと見えているし、このブログに、詳細を記録するというのも、一種の防衛上の手段なのだ。読者の皆様に、味方をしていただきたいと、言うのではない。神様が、ある時点で、復讐(と言うか、バランスの取れた制裁)を行ってくださるというのが、判って来たので、神様への報告書として、これを書いて居る。神様は、すべてをお見通しなのである。

 今般、妹が殺されて以降も、何度も、そのサイレン音が聞こえて来ていたが、私は、いちいちは、確認をしに行っていない。だけど、意味は分かっていた。今度は、お前の子供を殺すぞと、言われているのだった。だけど、その脅かしに屈して、やまゆり園事件の、嘘の方向への大報道に、竿を刺さなかったわけではない。体力を温存していたというだけだった。

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副題5、『妹が、殺された前に、異様な死だと、私が考えて居る人の死が、いくつもある。本日は、簡単な説明をつけて、それらの人の死を語ろう・・・・・山口みつ子さんだけは、毎週、一回は、会っていたが、その他の人は、半年から、数年間は、間を開けていて、会って居なかった。したがって、直前の様子の詳細は、判らないのだが、絶対に他殺であると、考えている。そういう人達を、ここで、簡単に、羅列をして置こう』

 妹の死が、他殺であるという証拠を、リアルな世界で、見つけたかった。今まで、は、すべて、傍証づけだけで、語って来た。山口みつ子さんの死も、当日、遺体を見たわけではない。また、大久保忠春さんの死も、数か月か、数年後として、知らされたのだった。高木きよ子先生の死は、ベッドで、亡くなっていたが、友人と、食事会の約束があったので、先生が現れない事に、不審を持った友人たちが、ご親戚に連絡を取って、その日のうちに発見がなされた。私は、お知らせがあったので、通夜に行き、先生のお顔は、拝見したが、ベッドで、亡くなっているという事だったので、お顔は、平安なものだった。心理的には、非常に親しいとは、思うけれど、最近ではお付き合いがない。しかし、最近でも、おつきあいをしている、同学年の、友人が、3人いて、そこから哉、連絡が来た。しかし、彼女たちは、月に一回、作楽(桜と読む)会館(=お茶大付属高校専門の、同窓会間)で、高木きよ子先生と、一緒に、短歌を作っている。私の方は、ほぼ、20年前のお付き合いである。最近電話は掛けた。だけど、電話を掛けたので、先生が殺されたのではないかと、考えて、悲しんでいる。筋弛緩剤とかが、使われたと、推察している。

 ほかにも2007年ごろ、大勢の人が殺されているのだった。しかも、それを、お知らせして来るやり方が、異常だった。

 まず、最初は、2004年ごろ、嬲り殺されたと、私が考えている、小学校時代の、友人、K子ちゃん、・・・・・・晶文社、から、秋山裕徳太子氏が、【ブリキ男】を出版したので、ほぼ確定的に、そうだと、考えている。それ以前に、2009年だったと思うが、榊原節子さんが、PHPから、【凛としたシニア】を、出版した時からそれを推察していたのだけれど、秋山裕徳太子氏と、二重になっているので、確信をしている。ただし、これを説明するのは、非常に難しい。30年かかると、感じている。

 以下の、四人は、お知らせが来た時期が、バラバラなので、亡くなった時期については、順不同だけれど、やはり、他殺だと、思って居る。

*a)月岡節さん、芸大卒、公募団体展の、新カイ樹社の会員、金属の立体を制作する作家。鎌倉小町在住だった。

*b) 佐久間操さん。この人の死を、〇田恭子さんが、ランニング途中で出会ったという形で、ルネ北久里浜のエレベーター前で、教えてくれたのは、非常におかしい。〇田恭子さんは、一種のスパイとして、重要な時期に、使われる人物である。瀬島龍三と、組んで、横須賀市の水道山を、地籍変更届の仕組みを利用して、大建産業(社長は、当時の名義上は、仲野通巳吉氏)へ、ただで渡した1978年当時は、横須賀市の土木課長だった、杉本某氏の夫人、杉本正子さんの、私兵と、見做すことができる。

*c)稲村が先、在住の、某大企業所属の方。会社は、ガラスメーカーである。奥様が女子美卒で、私を支援してくださった。

*d)板橋区東新町1丁目の、製本所の社長、折り屋という専門職の事を教えてくれた男性(60代前半だったと、感じている)

 私は外部には出さないものの、こういうことを既に気が付いているのです。そして、それを背負いながら、生きて居ます。で、鎌倉エージェントの事を、深く嫌っております。で、彼等のやる事なら、どんな小さなことでも、その裏側がわかります。

 で、瞬時に書きます。だから、前田祝一氏のいう事など、聞いたら、これら、大量の殺人事件の、犯人側に、あなたが立っているものとみなしますよ。渡辺賢司さん、判っていますか? ちょろちょろと、7月18日の朝、8時半ごろ、石段の途中で、私の目の前に姿を現しましたね。それって、誰に命令をされたのですか? また、前田夫妻にですか? それとも、小野寺夫人にですか? 鎌倉で、紙類のごみを出す日には、8時半に山の下へ降りて行っても間に合わないのを知らないのですか?

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副題6、『地下鉄東西線の、葛西駅の、登りホームは、地表より、相当、高い位置にある。その急な傾斜の長い、エスカレーターを登り切った途端に、じゃーんと言う形で、ガードマンが立っていた。これも、妹の死が他殺であり、特にやったのは、警察の特別な部隊である。と、感じたゆえんである。これは、葛西駅のエスカレーターにも、エレベーターにも、監視カメラが設置されているから、こうなるのだが、葛西駅は、妹が住んでいた最寄り駅でもない。

 私は、前報の、副題2の、青字で書いた部分で、この件を一回書いて居ます。だが、それを、黒い字で、ここにコピペします。それは、%%%%%%%罫線で挟まれた間です。それを、もう一回ほど、説明を加筆して、詳細に語ります。加筆部分を紫いろの字で、置きます。こここそ、妹が他殺であるという重要な証拠の一つですから。

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 妹が殺されたので、私は、その件の調査にも、莫大なエネルギーと、時間と、お金を使っております。ただ、まだ、確たる成果は、有りません。昨日は、葬祭場に行ってきましたが、期待した、情報はもらえませんでした。ただ、それは、もらえない方が想定内に入っていたことです。一般的に言っても、もらえないだろうし、今回は、CIA(鎌倉エージェントと普段私が記載している連中・・・・警察も、その私兵として、機能をしている)が、関与しているわけですから、絶対に協力をして貰えないわけです。でも、それでも、後で、『あの時、葬祭場へ行って確かめるべきだった』と、思うのが嫌だったので、行ってきました。

 その前は、妹が、住んでいた街を、4時間もさすらいました。私が、毛布を洗い始めたよりも、ずっと、前からコインランドリーを利用していたと、聞いています。それは、どこに在ったのだろうか?とか。

 で、江戸川区民センターと言うところも、その目的のために訪問をしたのです。実は、そこに図書館があるだろうと、思って居たのでした。

 ここには、昭文社発行の紙の地図が、我が家から、盗まれている件とか、仕方がないので、大型の情報雑誌(同じく昭文社刊)を買ったら、図書館の場所が、示されて居なかったという問題が、影に、あります。調査の初歩は、地図を手に入れることから始まります。で、昭文社の、大型地図に、図書館の場所が記載をされて居ないのは、とても、困った事であり、かつ、それは、警察の命令に拠るのだろうと、おもっております。ただ、今回探したかった図書館は、灯台もと、暗しで、妹の、住んでいた地元、西葛西駅、の線路を隔てた、反対側に、にありました。

 こういう部分ですが、読者の皆様からは、「あら、いやだ。スマホを、持って出たら、瞬時にわかるじゃあないの? あなたって、もしかしたら貧乏で、携帯の契約をしていないのですか?」と、言われてしまうでしょう。私は主人の家族契約で、スマホは持っています。しかし、スマホを、持って出たら、そのGPS機能を利用されてありと、あらゆる場所で、いじめられてしまいます。しかも、こういう風に微妙な日には、絶対に持って出てはなりません。持って出ていないからこそ、警察の特殊な動きが判ったのですから。ところで、江戸川区民センターではなくて、西葛西駅の、北側にあったのでした。しかし、図書館に行くことは想定されていた可能性があります。

 ゼンリンの地図の、江戸川区、分冊だけが、しまってあるのは、通常の事だろうか? ただ、望外の、知識として得たのは、江戸川区には、六個も、図書館があり、かつ、西葛西分所も、非常に立派で、使いやすそうだったと、言う事です。鎌倉の図書館の、みじめさを再度、認識しました。

 さて、ここからが、この一文内で、最重要な場所となります。ともかく、22日の事です。昭文社の大型の情報誌、【でかっ字、東京23区。街の達人】にも出ていなかった図書館を、実際に足で、確かめようと、江戸川区民センターに行ってみると、そこは、公民館+体育館だったのでした。図書館は無かったのです。それで、高架下の、ショッピングタウンで、軽くお昼を取って、そののち、登りホームに向かったわけです。妹が住んでいた、西葛西駅に向かう為です。

 そうしたら、地下鉄東西線の、葛西駅、上りエスカレーターの、降りたちょうど、その場所にガードマンが待っていました。葛西駅と、西葛西駅は、川を渡るので、人が通っている土手も、またぐわけで、駅が相当高い位置に設定をされて居ます。で、エスカレーターは、傾斜が急です。しかも葛西駅は、登りホームは狭いのです。JR京浜東北線の、石川町駅とか関内駅の上りホームよりも狭いという感じです。で、登った途端に、ガードマンに出会うという形で、確かに衝撃的でした。だけど、何度も言うようにスマホは、持って出て居ません。じゃあ、尾行がついていた? 私は誰も殺していませんよ。むしろ、妹さえ殺された被害者です。そういう人物に、どうして、警察は尾行をつけないといけないのですか? 実際のところは、尾行ではなくて、駅の監視カメラを、警察が詳細に点検をしているという事でしょう。そして、私が、西葛西、葛西等の、東西線のどこで降りるかを詳細に検討をしていたというわけです。

 葛西駅に限らず、すべての駅のエスカレーターと、エレベーターには、監視カメラが設置されています。江戸川区民センターに、行って帰ってきた間の所要時間は、食事をとったのも入れて、たった、一時間です。

 すさまじいレベルで、警察が、緊張しているのを感じるので、それもあって、妹は、殺されたのだと、信じています。だから、NHKニュースも総力を挙げて、私が過去に書いたことを、すべて、修正して置こうと、多数のニュースを、持ち出して、修正用、事項を、述べていますしね。

 葛西駅は、妹の住んでいた最寄り駅ではないのです。だから、ガードマンを事前に、用意するのは、変な事なのです。それに、一時間前には、いなかったわけですからね。でも、どうして、そこまで、高揚するのですか? また、それほどに、緊迫して、追い回すのですか? それは、目的をもって、妹を殺したから、真相を探られると、困るからでしょう。違いますか?

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副題7、『28日の午後に、私は、かまくら春秋社が入っているビルの前に行き、ポストを確かめた。すると、栄光ゼミナールと言う会社は、三階に、入居したものであって、かまくら春秋社そのものは、移転をしていなかった』

 そうですよね。対、私への防衛上、移転をするなど、伊藤玄二郎の発想には、みじんもないでしょう。で、移転をしていないのだったら、『17日の夜に、全社が、窓の電気を煌々と点けて、明るかったのは、何をしていたのだろう?』と、成って来ます。私は、それを、彼が喜んで、祝杯を挙げていると、推察しました。彼は、やまゆり園事件が起きる前から、この山の、主だった連中と、土曜日には、夕食付きの会合を開いていて、私への弾圧策を、協議していたと、感じています。

 ですから、やまゆり園事件が企画をされた時点で、すでに、私の妹の、殺害までを、企画して居た、可能性はあるのです。これは、単なる直感ですが、お隣の小野寺夫人の私に対する態度の、あれこれを考えると、絶対に、私がこの世から消え去るはずだと、思って居るからこそ、ああいう態度をとる事ができるのだろうと言うほどに、ひどい態度の連続ですから、そこまで、決まっていたのかもしれません。だから、彼女は、たかをくくり切っています。

 スタップ細胞疑惑など小保方さんが、早稲田に、入学した時点から、すでに、計画をされて居たと、私は、すでに何本ものブログで、書いています。

 この時点では、17日の大さわぎは、対・私への勝利祝勝会であって、彼は、今度こそ、彼女(=私の事)はビビりまくって、もう、ブログを書けない筈だと、思って居たからこそ、今まで、使っていなかった、自社の、ビル、および、自社の応接室などを使って、お仲間たちと祝宴を張っていたと、見ていました。しかし、それから、十日後の、28日の夜の事です。私は、違う考察へ達します。

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副題8、『夜に、そばを通ると、社員たちは、ブラインドを下ろして、仕事をしていた。そんな必要は、みじんもないのに、そうしていた。それは、私のブログ等を、伊藤玄二郎が読んでいて、まっかっかにライトを点けていると、また、また、誤解を受けるから、ひそかに、仕事をしなさいと、社員に命令を下したと、考えた。と、成ると、17日の大さわぎは、祝宴ではなかったと、見做すことができる。何を大騒ぎをしていたのか?と、なると、・・・・・そうだったのか。急遽、開催することに決めたやまゆり園事件の被害者追悼式の準備だったのだ。なるほど、そういうわけですか・・・・・と、成って来た』

 やまゆり園の追悼式が、どこで、行われたのかは、NHKニュース内では出てきませんでした。それで、今、気になって、探してみた処、相模原市で、行われたのは、確かな様です。相模原女子大のグリーンホールと言う場所だったと、県のホーム頁は、言います。こういう大きなホールは、スケデュールが、先々まで、決まっていますので、この追悼式の、為の予約は、ずっと前から入っていたとも、考えられます。

 それから、県のホーム頁も見つけました。それは、資料として、公開し、後注4に置きます。で、追悼式は、24日に行うとずっと前から決まっていたとして、妹を殺すことも、私は、一年以上前から決まっていたと、考えていますので、堂々と、追悼式を行うことはできるでしょう。だが、なぜ、かまくら春秋社が、その準備に、没頭して居て、全社が、あか、あかとしていたかですが、休日だからこそ、一般人としての、社員には、秘密裡に動くことができるので、パソコン、携帯、それから、電話を使って、追悼式を盛り上げる体制を、作り上げていたと、想像するのです。

 たとえば。朝日新聞などは、署名記事として、このニュースを載せております。その記者は、伊藤玄二郎と、すでに、懇意になって居て、「ぜひ、あなたが来て書いてくださいね」と、依頼をする電話が、重要だと、思うでしょう。それで、その電話をかけていたとか?

 それから、過去にこのニュースがテレビに登場した際に、取り替え、ひっかえ、出て来た社会的、地位のある人、例えば、東洋英和女学院大学の教授にも、「ぜひ、来てください。場所は、こうこう、こういう場所であり、タクシーでいらしてくださっても、県の方で、タクシー代をお支払いをいたしますので」と、言う必要があったと、考えられます。

  そして、「県主催なので、香典はいりません」と、言います。しかし、来てもらう事が、この事件が、悲劇の事件としての印象が濃くなるわけですから、返礼品は、用意した筈です。それは、県側の主宰者(入倉かおるさんとか、他の、県庁職員)には、決定できない、または、家決定しにくい、事項なので、伊藤玄二郎が、豊島屋さんに、用意してもらったと、推察しています。豊島屋は、相模原市のお菓子屋ではありませんが、相模原市内のどこかに、支店と言うか、出張所と言うか、ブースと言うかは、在る筈で、豊島屋の物を使ってもおかしくないと、彼は、思ったでしょう。

 ともかく、やまゆり園事件は、伊藤玄二郎と、いまだ生きて居る、井上ひさしが書き上げた脚本に基づいて、作られた謀略ですから、警察関係者もいた筈です。それから、入倉かおる園長への確認事項もありましたね。彼女が、もし、心変わりをして、「19人は、本当は、死んではいません」などと言い出したら、アウトですから。

 そして、黒岩知事とかNHKとの緊密な連絡も必要でした。ここらあたりにも大問題があるのですが、それは、先送りしましょう。本日は、疲れました。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ、訪問回数は、4146983です。後ほど、誤変換を直し、リンク先を見つけたら、完成し他と言う事なので、書いた日付と、私の署名を入れます。 

 後注1

かまくら春秋社は、引っ越して、跡に、栄光ゼミナールが入ったのかしら?   2017-07-26 21:41:25 | 

後注2、

後注3、

やまゆり園一審は、死者19人を匿名で裁判をするそうです。それって、異常であり、本当は死者が、19人は居ないという事でしょう  2017-07-27 13:42:01 | 政治

後注4、 

かまくら春秋社は、海の日と言う休日の夜には、全社の窓が、煌々と明るかった。もしかして、やまゆり園・追悼式の準備をしていたのかな?  2017-07-29 15:39:16 | 政治

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資料として置く、やまゆり園追悼式に関するネット記事

2017-07-29 14:16:25 | 政治

これは、私が、書いたブログ(下記 1~3)への資料としてここに、置いて置きます。

 私はやまゆり園事件は、嘘の塊であり、19人もの死者は、おらず、作り上げられた事件であると、ずっと、主張を繰り返してきました。ところが、ここにきて、7月の11日に、妹が、謀殺をされたと、感じています。例のごとく、鎌倉エージェントたちのやることは、暗喩的であり、真実がなかなか、見えないのですが、すでに、10人程度の知人が各種のやり方で、殺されており、ここにきて、妹まで、達しました。

 時間が新しい順番で置きます。その方が、より詳しい部分へと、問題が入っていく事ができますので。

かまくら春秋社は、海の日と言う休日の夜には、全社の窓が、煌々と明るかった。もしかして、やまゆり園・追悼式の準備をしていたのかな?  2017-07-29 15:39:16 | 政治


なお、この文章を公開するのは、実際には、30日の午後、三時半です。しかし、これを資料として利用する方のブログを目立たせるために、こちらを、その下に現れる様にします。それ故に、この公開日付が、29日の午後2時となっています。あしからず、ご理解をいただきたく、 

*1) 神奈川県ホーム頁から

津久井やまゆり園事件追悼式を実施しました。

印刷用ページを表示

掲載日:2017年7月24日

 津久井やまゆり園事件でお亡くなりになった方々を追悼するため、次のとおり追悼式を実施しました。

1 日時

    平成29年7月24日(月曜日) 午後1時30分 から 午後2時25分 まで

2 場所

    相模女子大学グリーンホール(相模原市文化会館) 大ホール

    (相模原市南区相模大野4丁目4−1)

3 主催

    神奈川県、相模原市、社会福祉法人かながわ共同会

4 式次第

    

 

進行

登壇者等

開式の辞 

神奈川県副知事 首藤健治

式辞 

神奈川県知事 黒岩祐治

相模原市長 加山俊夫

黙祷

 

追悼の辞

 

厚生労働大臣(首相メッセージ代読) 塩崎恭久

神奈川県議会議長 佐藤光

相模原市議会議長 沼倉孝太

かながわ共同会理事長 草光純二

津久井やまゆり園家族会みどり会会長 大月和真

津久井やまゆり園園長 入倉かおる

献花

 

ともに生きる社会かながわ憲章朗読 

神奈川県知事 黒岩祐治

閉式の辞 

相模原市副市長 梅沢道雄

津久井やまゆり園事件追悼式次第 [PDFファイル/4.93MB]

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*2)相模原市のお知らせ

 グーグル検索では、やまゆり園事件に対する黙とうをお願いしますと、して、第二位に出ていたのだが、2017年7月30日の午後三時には、以下の表示が出て、その記事は読めなかった。 


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相模原市役所 広聴広報課 電話:042-769-8200 

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*3) 毎日新聞の記事

毎日新聞のこの記事は、なかなか、現れなかった。カスペルスキーが、保護された頁だというので。 

相模原事件1年

やまゆり園、19人を追悼

毎日新聞2017年7月24日 22時36分(最終更新 7月24日 22時41分)事件・事故・裁判速報 

津久井やまゆり園事件追悼式で祭壇に一礼する入倉かおる園長=相模原市南区で24日、代表撮影

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺された事件で、19人の追悼式が24日、同市南区の相模女子大グリーンホールで開かれた。施設を設置した神奈川県が主催し、遺族や園関係者のほか、県内の障害者ら約700人が参列した。

 祭壇に遺影はなく、園に残る入所者が折り紙で作ったヤマユリが飾られた。登壇した黒岩祐治知事は、遺族や園職員から聞いたという19人のエピソードを一人ずつ紹介。「夜空を彩る花火をみんなと見上げていた」「小学生と二人三脚を頑張った」「お母様からすてきな水着をもらって喜んでいた」「お祭りの屋台が大好きだった」--などと述べ、「私たちは決して忘れません」と呼びかけた。

 式典後の記者会見で黒岩知事は「本来は19人の名前を申し上げ、一人一人の遺影が飾られるべきだが、今の日本では許される状況ではない。残念に思う」と障害者への差別が残る状況を振り返り、「共に生きる社会の実現を目指さなければいけない」と語った。

 息子(32)が事件で首と頭を刺され軽傷を負った男性(70)は「よどんだ日々だったが、式でこの1年をゆっくりと思い返し、初めて一つの区切りをつけられた」と穏やかな表情で話した。

 式典では塩崎恭久厚生労働相や、やまゆり園の入倉かおる園長、大月和真・入所者家族会長らが追悼の辞を述べ、献花した。【宇多川はるか、国本愛】

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*4)朝日新聞の記事 

津久井やまゆり園事件から1年 670人集い追悼式

飯塚直人、岩堀滋

2017年7月24日22時38分シェア42ツイートlist

献花をする追悼式の参列者=24日午後2時48分、相模原市南区、池永牧子撮影

 19人が殺害され、27人が重軽傷を負った事件から26日で1年を迎えるのを前に、障害者施設「津久井やまゆり園」設置者の神奈川県や指定管理者の社会福祉法人「かながわ共同会」などが24日、合同で追悼式を開いた。相模原市内のホールに遺族ら約670人が集まり、亡くなった19人を悼んだ。

 入倉かおる園長は追悼の辞で、「園の地に降り立って身を置くと、あなたの息吹を感じます。風に吹かれると、あなたのしぐさがよみがえります。朝の日差しがまぶしい時、あなたの笑顔を思い出します」と涙ながらに読み上げた。「きっと1年が過ぎても悲しみは続くでしょう。それでも私たちは、目の前にいるお一人おひとりに寄り添って、あの日の前まで繰り広げられていた暮らしを取り戻すために誠心誠意尽くしていきます」と誓った。

 黒岩祐治・県知事は式辞で、「事件を風化させてはならない。園の再生に向けて全力で取り組む」と述べ、犠牲になった19人のエピソードを紹介。「満開の桜の中で甘酒を楽しんだあなた」「母から水着をもらって喜んでいたあなた」と語りかけた。壇上には、入所者が折り紙で作ったやまゆりの花が供えられた。

 事件で姉(当時60)を亡くした男性(58)は参列後、「1年が経ち、少し気持ちの整理が出来た気がします」と落ち着いた表情で語った。「こんなにたくさんの方にあたたかく見守ってもらっているんだと思うと、姉も少しは浮かばれると思う」

 追悼式終了後の会見で黒岩知事は、亡くなった19人の名前の紹介も、遺影を飾ることもできなかったことについて、「日本の現状では許される土壌にないと感じ、県独自では(オープンに)できなかった。とても残念だ」と語った。

 式では塩崎恭久厚生労働相が安倍晋三首相のメッセージを代読。「誰もが自分の夢を持ち、能力を発揮出来て、居場所があって、がんばれる。そういう気持ちになれる日本を目指す」とした。

 園の前では市民向けに献花台が設けられている。(飯塚直人、岩堀滋

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 *5)NHK online

相模原 障害者殺傷事件1年で追悼式

7月24日 19時12分

相模原市の知的障害者施設で46人が殺傷された事件から、まもなく1年になるのを前に、24日、神奈川県などが主催する追悼式が行われました。
式では、遺族の意向に配慮して亡くなった19人の名前は紹介されず、遺影も飾られませんでしたが、生前のエピソードが伝えられました。

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事件からまもなく1年になるのを前に、神奈川県や施設を運営する福祉法人などが犠牲者を追悼する式典を開き、相模原市内の会場には、遺族や入所者の家族などおよそ670人が参列しました。

式では、神奈川県の黒岩知事が「あまりに突然の凶行により、19人のかけがえのない尊い命が奪われました。事件を決して風化させず、ともに生きる社会の実現に向けた歩みを揺るぎなく進めます」と述べました。

このあと、参列者全員で1分間、黙とうをささげました。
式では、遺族の意向に配慮して亡くなった人の名前は紹介されず、遺影も飾られませんでしたが、亡くなった人たちが花見を楽しんでいたことなど、生前のエピソードが黒岩知事から紹介されたということです。

施設に入所する家族らで作る家族会の大月和真会長が「私たちのささやかな幸せが残忍な犯行で踏みにじられ、悔しさが折に触れてこみ上げてきます。卑劣な犯人を決して許すことはできません」と訴えました。

このあと、参列者が壇上に菊の花を手向けて、亡くなった19人を悼みました。

追悼式で19人のエピソード

24日、相模原市で行われた障害者殺傷事件の追悼式では、遺族の意向に配慮して亡くなった19人の名前は紹介されず遺影も飾られませんでしたが、生前のエピソードが伝えられました。

19人のエピソードは、神奈川県の黒岩知事が亡くなった人たち一人一人に呼びかける形で伝えられました。

新年会で和太鼓演奏を楽しんでいた、あなた。
かぜをひかないよう気をつけていた、あなた。
寒い冬のラーメンを楽しみにしていた、あなた。
家族と一緒においしそうにお寿司を食べていた、あなた。
満開の桜の中で甘酒を楽しんでいた、あなた。
お天気がよい日のひなたぼっこが好きだった、あなた。
さくらんぼ狩りを楽しんでいた、あなた。
行事でご家族と一緒においしいお弁当を食べていた、あなた。
小学生と二人三脚をがんばった、あなた。
すてきな作品づくりをしていた、あなた。
お母様からすてきな水着をもらって喜んでいた、あなた。
とても我慢強くて、笑顔がすてきな、あなた。
じゃがいも掘りをがんばっていた、あなた。
夜空を彩る花火を仲間と一緒に見上げていた、あなた。
盆踊りの炭坑節が好きだった、あなた。
家族からの誕生日プレゼントを楽しみにしていた、あなた。
お祭りの屋台が大好きだった、あなた。
大みそかの年越しそばを楽しみにしていた、あなた。
いつもご家族と新年を迎えていた、あなた。

そして、黒岩知事は「あなたがたのことを私たちは決して忘れません。この悲しみを大きな力に変えて、ともに生きる社会を実現していきます」と述べました。

息子がけがをした父親「今も心が張り裂けそう」

この事件で息子の一矢さん(44)が、首や腹などを切られるけがをした尾野剛志さん(73)は追悼式に出席したあと、「振り返るとあっという間の1年でした。今も心が張り裂けそうになりますが、前を向いて生きていかなければと思っています。今後も、この事件を風化させず語り継いでいくための活動をしていきたい」と話していました。

娘が大けがした父親「あっという間の1年」

この事件で、46歳の娘が首などを刺されて大けがをした77歳の父親は追悼式のあと、「あっという間の1年でした。娘は助かりましたが遺族の方の気持ちを思うとかわいそうで、追悼式では思わず胸が詰まる思いがしました。障害者を取り巻く環境は、この1年で改善してきているとは思えません。裁判も遅れているので早く手続きを進めてほしいです」と話していました。

家族会会長「区切りついたと言える感じではない」

追悼式のあとの記者会見で、知的障害者施設「津久井やまゆり園」の入所者の家族でつくる家族会「みどり会」の会長、大月和真さんは、事件からまもなく1年になる家族の心境として「改めて事件を受け入れること、乗り越えることの難しさを感じています。とても一区切りついたとか、気持ちの整理がついたなどと言える感じではなく、みんな、つらい毎日だったと思います」と述べました。

そのうえで「遺族も私たち入所者の家族も、追悼式のような催しを一つ一つ積み重ねることで気持ちが前に向いていくのではないかと思っています」と述べました。

やまゆり園長「多くの励ましに感謝」

追悼式のあとの記者会見で「津久井やまゆり園」の入倉かおる園長は、事件から1年となるのを前に「これまで数多くの励ましをいただき、どうにかきょうまでやってこられました。ありがとうございます」と感謝の言葉を述べました。

また、入所者や職員の様子について「事件を思い出すのか、『怖いよ』『嫌だ』と言う入所者もいて、職員が気にかけて戸惑ってしまうこともあります。職員はそれぞれ悩みや不安がありながらも精一杯業務にあたっていて、心のケアにきめ細かく取り組んでいきたいです」と話していました。

黒岩神奈川県知事「本当の意味での共生社会を」

追悼式のあとの記者会見で神奈川県の黒岩知事は「遺族の方々が亡くなった皆様をどれほど大切に思われていたかひしひしと伝わりました。この事件を風化させてはならない。二度と起こしてはいけないと改めて強く感じました」と述べました。

追悼式では、遺族の意向に配慮して亡くなった人の名前は紹介されず遺影も飾られませんでしたが、式の終わりに花見を楽しんでいたことなど、亡くなった19人の生前のエピソードが黒岩知事から紹介されました。

これについて黒岩知事は「本来なら遺影が飾られていてもおかしくなかった。家族が悪いのではなく社会が障害者を特別な目で見る現状ではまだそれが許されないことを残念に思いました。本当の意味でのともに生きる社会を実現し、そのような壁をなくすことが大きな目標だと思います」と述べました。

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19のいのち~障害者殺傷事件~

津久井やまゆり園で起きた殺傷事件の犠牲者19人の方々のエピソードや人柄などをお伝えしています。この事件についてのご意見も募集しています。

 

 

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*6) 新聞・赤旗 

やまゆり園事件1年 追悼式に遺族ら 

 

(写真)「津久井やまゆり園」入所者殺傷事件の犠牲者追悼式で献花する参列者=24日、相模原市

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人の重度障害者が殺害された事件から26日で1年がたつのを前に、神奈川県と同市、運営する「かながわ共同会」は24日、同市内で追悼式を開きました。671人が参列。参列者の中には車いすや白杖(はくじょう)を使うなど障害者の姿も。

 式壇中央には、仲間たちが哀悼の意を込めて折った「やまゆりの花」が標柱を支えるように咲いていました。

 黒岩祐治県知事が式辞で「利用者が安心して生き生きと暮らせる園の整備は県の大きな責務。この悲しみを大きな力に変えて共に生きる社会を実現していく」と表明しました。

 同園の入倉かおる園長は「1年たっても悲しみは続く。それでも私たちは、いま目の前にいる一人ひとりと寄り添い、事件前の暮らしを取り戻すまで誠心誠意尽くしていく」と追悼の辞を述べました。

 参列者が献花し、日本共産党からは畑野君枝衆院議員(代理)が献花しました。

 東京都世田谷区から車いすで参加した横山晃久さん(62)は「優生思想反対の立場をはっきり示したいと思い、参加しました。第2、第3のやまゆり園事件を起こしたくない」と語りました。

 式後の会見で黒岩知事は、式前の遺族との対面にふれ「多くの遺族から『やまゆり園をもとのように戻してほしい』と声をかけられた」と述べました。

 家族会「みどり会」の大月和真会長は「やまゆり園は“秘境の地にあり支援が劣悪だ”というでたらめが流れているが、地域の中で受け入れられてここまで育っている。支援は日本一ではないか。ぜひ、取り戻したい」と強調しました。

 

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