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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

市販本は、本当のところ、50万円でできるのだ(田中愛子、開発ちえ)

2014-09-16 21:21:35 | 政治
 婚章ですが、連続している現在の日本政治分析に役立つ、裏側と言う同じテーマで、書くのですが、登山口をまた、別のところに見つけましたので、そこから登って行くことをお許しいただきたいです。そして、この一文にも多様なテーマをてんこ盛りに盛りこんで、行くつもりです。この文章に一応の目安がつき、因果関係が、成り立つのは、18日の午後になるだろうとお考えくださいませ。最初、17日中にと、お約束をしておりましたが、それは、無理になった模様です。
 で、総タイトルは、書き抜けた内容に沿ってつけていきますので、何回も変わる見込みです。でも、2014-09-16 21:21:35アップの文章という事でIDENTIFY(=同定)していただきたいと存じます。

 で、一回目は、『子宮けいがんワクチンと、伊藤玄二郎と、川名昭宣君の、関係は?』でした。今は、17日の午後4時ですが、二回目のモノに変えています。
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副題1、『私は、2005年まで、順風満帆であった。で、安心して、大アーチストになろうとして、希望に燃えていた』

 私は、1998年までは新聞は良く読む人でした。しかし、テレビはあまり見ない人でした。そして、1998年から、2003年ごろまでの、五年間は新聞も読まなければ、テレビも見ませでした。何をしていたかというと、個性的な道でインプットし、それをまた、個性的なやり方でアウトプットすると言う事に取り組んでいたのです。私が接していたのは、50人程度、または、500人程度、または、5000人程度の、自分が、親しいと思っている人たちだけでした。

 50人とは、毎回一万円ぐらいかけて、手書きコピーのエッセイを郵便で送っていた最初期のメルマガのメンバーの人たちの事で、長電話を交わしたり、一緒に食事をしたりする相手を含みます。二人だけで、食事をしたり、10人前後で、食事をしたり、50人程度、100人程度、150人程度の食事会もありますが、<二次会になると、10人前後でおしゃべりをします>という間柄の人たちです。

 次の500人ですが、電話をかけて誘い合って、一緒に食事をとるなどという付き合いはないものの、いざとなれば、心が通じると感じていた間柄の人たちです。

 次の5000人ですが、すでに、30年間にわたって、銀座の画廊街を見続けています。で、顔、名前、作品、住所を知っている美術系作家が数千人はいます。それと、同窓会とか、地域のPTAとか、女流展とか国展などの、公募団体展で、知り合った人たちを指します。その五千人の中には、汲美という現代アート系の、良い画廊を経営していた磯良(いそらと読む)さんも含みます。突然にお亡くなりになって、悲しい事でした。心より哀悼の意を表します。でも、意空酸とも、私は心が通じていたのですよ。それはお互いの表情で、分っていました。誠実で、良心的な人だったと思いますが、そういう人たちはお互いに、類は類を呼ぶのです。

 順風満帆でと、副題につけてはおりますが、それは、2005年以降の数々の不思議な現象、特に、2007年以降のパソコンの機能破壊現象の、数々に出会う前の事で、詳細を語れば、それ以前の時代も、それなりに、波乱もトラブルにも出会っています。

 で、母が、「あんたは友達が多すぎるのよ。少し整理なさい。そしたら、トラブルは少なくなるわ」とよく言っていました。今の言葉で言えばリア充の人でもあったのです。子供を産み育てもしています。非常に広範囲に何でもできる人でもあるのです。dけど、そうなるためには、魅力的な性格というのを持っていないといけないので、それは、かわいい人と呼ばれる部分もあるが、繊細で、なんでもよく気がつくと言う事でもあり、だからこそ、傷つき易かったとも言えます。

 ただね、2005年、または、2007年を境として、それ以前のトラブルと、それ以降のモノは、徹底的に性格が違います。

 2005年以降のトラブルは、すべて、原初のところに、伊藤玄二郎・鎌倉春秋社社長が仕掛け人として存在しているでしょう。伊藤玄二郎が酒井忠康(元神奈川県立近代美術館・館長・・・・現在は世田谷美術館・館長)氏を巻き込み、酒井氏が、石塚雅彦さん(元日経い新聞論説委員にして、現在は早稲田大学教授)を巻き込む・・・・・など・・・・・という形をとって、小保方ミステリーを含む、不思議まりない現象が、おきていると思います。その伊藤玄二郎のさらに、源泉として、彼の愛人だったと、女性側から公言している石川和子(鎌倉春秋窯主宰者、現在は亡くなっている)さんがいます。その石川和子さんが、私の猫の事で、警察を巻き込む大騒動を起こしたのですが、その時から、すべてはおかしくなったので、その謎を、今、紐といているところです。
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副題2、『子宮けいがんワクチンを、2013年4月には、中学生に強制投与すると発表をされたのだった』

 伊藤玄二郎は、神奈川県立・平沼高校から、中央大学法学部政治学科に進学し、卒業後、河出書房へ入社しました。ちょうど同じころ、川名昭宣君もフランス留学から帰国して、ここへ入社をしています。

 伊藤玄二郎とは人たらしの天才で、北鎌倉の五山のひとつ、浄智寺さんも、味方につけているし、東鎌倉、二階堂にある、・・・・・鎌倉の住人が、よそから来たお客を案内する筆頭の場所と言われる・・・・・覚園寺さん味方に取り込んでいます。無論のこと、鶴岡八幡宮さまも自分の味方にしているし、豊島屋も味方につけているし、JR東日本も味方につけているし(だから、紀の国屋は、JR東日本に買収をされたのかな?)医師会も味方につけています。

 で、上にあげた場所や組織のそれぞれが、前報で、取り上げた藤田千彩さんとか、開発ちえさんなどの個人と同じく、伊藤玄二郎に利用をされています。私から言わせれば悪用ですが、それぞれの寺社の代表も豊島屋の現社長さんも、その悪辣ぶりには気がついておられないのでしょう。豊島屋の前社長だけは、婉曲に、「私どもは、伊藤玄二郎さんとは付き合いがないのです」と、好きではないということをほのめかされましたけれどね。

 この一章では、彼が、医師会をどういう風に、利用しているかだけを、取り上げますが、彼が医師会にとり入っているからこそ、私が・・・・・そのワクチンを体内に、注入すると、若い女性が、不妊化するらしい・・・・と、フェイスブック時代に知った、子宮けいがんワクチンを、私が警告したからこそ、厚生労働省を動かして、強制投与させ様としています。それで、あやうく、日本人は、子供が生まれない国に住むこととなっていたのでした。

 この件については、テレビ朝日の報道ステーションは、最大の貢献をしました。私は朝日新聞を既に、手書きコピーのメルマガ時代から批判を始めていますが、是々非々であって、子宮けいがんワクチンを投与すると、激しいけいれんを始め、種々様々な副作用が起きることを取材し、報道をしてくれたのは、

 上々でした。安倍内閣は、子育てが安心してできる国を目指しているそうですが、一方で、女性の社会進出を促すんですって。矛盾も矛盾です。子供って、今現在の親たちが考えているよりも、ずっと、心理的な意味で、手間をかけないと、いけない存在なのですよ。これからの日本社会は、末恐ろしいです。心理的な面で、徹底した手抜き育児となっていますので、人間として、育ちあがっていない、、、、外面だけが、大人になっている獣の様な人間の氾濫になるでしょうから。白杖の少女の膝を後ろから蹴った男性がいるそうですが、それも、オスカー号を指したのと同じCIAの一員かもしれませんが・・・・・というのも顔も名前も公表をされていませんね。だが、自然発生的な事件だったら、そういう人間が満ち満ちる社会になって行くでしょう。
 しかも、当初は、強制投与と、NHKニュースでは言っていました。矛盾も矛盾をした事を、平気で行っている内閣です。
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副題3、『河出書房新社は、大衆向け雑誌を持っていないので、経営は大変そうだ』

 さて、話がどんどん飛びますが、ここでは、川名昭宣君と、伊藤玄二郎がほぼ、同時期に河出書房新社で、机を並べて働いていた可能性を語りたいのです。川名君は私と同期生ですが、大学在学中に、フランスへ留学をしたそうで、したがって卒業が遅れているはずです。一方、伊藤玄二郎ですが、現役で、中央大学へ入り、留年をしないで、卒業したとしたら、1967年に河出書房へ入社しています。

 彼は自らの、エッセイ集やホーム頁で、「たった一年で、河出をやめた」と豪語しています。似た様な存在で、大成功をしているのが沢木耕太郎と、立花隆ですが、私は伊藤玄二郎の場合は、前者二人とは、いささか違った思いと経緯があるのではないかと推察しています。前者二人は、自らの才能や感覚を信じて独立をしましたわけですが、伊藤玄二郎の場合は、伊藤整の子供だから、一種の貴種として、鎌倉文士(とくに里見氏)に、かわいがられていて、それを、種というか、基盤として、独立をしたという風に推察をしているのです。

 これは、おお相撲壊滅作戦の時に、最初に委員長を引き受けた、伊藤滋氏が、伊藤整の子供だと知ったときから、推察し始めた事ですが、結構当たっているでしょう。ただ、平沼高校の同窓会などでは、伊藤玄二郎=伊藤整の息子だとは、出て来ていないし、鎌倉でも、それを言う人がいないので、彼は、それを隠したい事情があったのだと思います。

 でね。もし、彼の母親がベテラン編集者で、伊藤整氏の担当であって、しかも、横浜の旧制第一高女出た才媛であるとすると、いろいろな謎が一気に解けるのです。大卒二年目で、起業するなど、普通ならやりませんね。企業そのものも失敗する可能性があるし、出版界のしきたりや技術を一年ではマスターできないでしょう。そこをパッとやめてしまったのは、母親が、自分の会社を手伝ってくれると言う、確信があったせいではないかな? 母親は現役の編集者だったが、子供の勤務先がつぶれそうだと思えば、大手出版社(又は朝日新聞社など)を辞職して、息子の会社を手伝うのはありでしょう。

 ベテラン編集者が、バックにいてくれれば、タウン誌を発行するにしても何にしても、とても、楽です。自分は営業で外を飛び回っていても、小さなしもた屋の二階を借りた出版社の事務所で、母君が頑張ってくれていて、あたかも、自動的にできたみたいに、雑誌、<鎌倉春秋>ができているという形。
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副題4、『Do it yourself は、私の実家の伝統です。それで、お金をもうけて来ました』

 母君は、一種の非嫡出子として、伊藤玄二郎を生んで、育てたのだけれど、やはり、彼女も、普通の人と同じく、年をとってくるわけです。で、一番最初の社員として、田中愛子女史を雇ったわけでしょう。で、人たらしの天才、伊藤玄二郎は、まず、田中愛子女史を、手名付け切って、と、同時に、石川和子さんには、夫、柳沢昇をあてがったとも、推理できます。で、田中愛子女史は、忠誠を誓って御奉仕をしていて、今では発行人の欄は、彼女の名前が筆頭に出るほどですが。

 私はね、ライターとしては、キャリアがありません。だが、あふれる様に文章が出て来てしまいます。そして、2000年にノートパソコンを使い始めてから、文章の保存が容易になり、さらに、文章が生まれる様になりました。で、やはり、それらを本にしたいわけですね。これは、とても大切な事です。そして、実際に本にすると、本屋で、売らなかったのに、ネットの世界(ブックオフや、アマゾン)で中古本が、出回る様になりました。献呈した人が売りに出しているのです。それほど、評判が高いのだと思います。六種類全部ではなくて、特に評判が高いのは、ニューヨークの版画工房の三カ月を書いた、『黄色いさくらんぼ』ですが。

 しかし、これは、偶然が重なって、全部、自分で出版をしたのです。私は編集人としての経験もなければ、印刷会社のデザイナーとしての経験もありません。だが、本を作り上げてしまいました。大変な努力ですが、小さい頃、神奈川県一、頭が良かったのですから(笑い)、望めばたいていの事は、実現できてしまうのです。マア、少しだけ想定より小型、または、小幅の実現となりますが、でも、すべての欲望はかなえられてきました。主人が良く、お前ほど、恵まれている人はいないと言いますが、もしかしたらそうです。それは、当たっているでしょう。

 でもね、それは、偶然が重なったと言う事と、天の御助けがあったからできたわけで、それが、実現できる前は、普通の人として、謙虚でした。だから、私費出版で、まず、一冊(=一種類)を出そうと思っていました。それも東京ではなくて足元の、鎌倉春秋社で、最初の一冊を出そうと思っていました。そこは、私費出版で、経営が成り立っていて、しかも高いお金を取るので、ビルが、たったとも言われていました。そうですね。小さな木造の電気工事店の二階で、ずっと、事業をやって来たのに、最近トントン拍子で、4階建てのビルを建てたのも、それが、もうけ頭だからだと思います。

 だけど、私はうかうかと相手の言うなりにお金を出すつもりはありませんでした。実際に自分の本を出した人に、現在の相場はいくらかは問い合わせていて、相当数のデータをつかんでいました。すると、ほとんど人は100万円で一冊(一種類)の自分の本を手に入れていました。

 どうしてそれが可能かというと、アーチストって、もし、パソコンを使う人だったら、図形処理ソフトを、使いこなす事が出来るからです。昔は、別の固有のソフトを売っていたそうですが、そういうものを買わなくても、アドビ社の図形処理ソフト、フォトショップと、イラストレーターと、アクロバットを使いこなせれば、本のデータは、自分で作る事が出来るのです。
 で、出版社名は、自分自身で勝手につけて、バーコードとISBN番号は、なしでもいいし、誰か、友達が出版社にいたら、どうすればつけられるかを教えてくれるでしょう。それで、完璧な形の市販の本ができます。私は既に、6種類も作ったので、ISBN番号も、バーコードも自分の出版プロダクション固有のものを持っています。

 どうして素人なのに、そこまでできるかというと、ドゥ イット ユアセルフは、木工や園芸だけではなくてありとあらゆる側面で、我が家の人間のとるべき手法なのでした。たとえば、自分の家を建てるとするでしょう。すると、設計から確認申請をとるまで、父は全部自分でやってしまいます。建築の専門家ではないのですよ。いわゆる化学や、(石油専門)ですが、明治の男で、ちょっとしたインテリなら、たいていの事は理解できるみたいで、立面図、側面図まで、すぐ書いてしまいます。そして、昔は青写真と言ったコピーもとって役所に持って行けば、はい、一丁上がりです。

 そして、そういう部分から生み出したお金で、土地を買います。それも今はインターネットで管理されていますが、そうではない時代に、役所の計画図を調査したり、自分で歩いたりして、一つ一つ勝って行きます。で、父が死んだときに、今湘南モ-ルで当たっている辻堂の百坪など、30年前の時点で、一億で売れました。そう言うのを傍で見ているわけですから、私も自分の頭は使いたいと思っているわけです。

 で、アーチストた血が、全員、百万円で、文章の本なら、2000冊を手に入れているし、画集なら、1000冊を手に入れているわけですから、500冊の文字だけの本だったら、自分がデータを作れば、鎌倉春秋社のお名前拝借料に五十万円を充てて、「150万円で作っていただけますか?」と言ったら、「川崎さん、百五十万しか出さないのなら、50部しかできませんよ」と言ったのです。

 これは、驚天動地の捨て台詞です。そして、田中愛子女史は勝ったつもりです。私は現場では、一切喧嘩をしない主義ですから、黙ってすごすごと引き下がります。だけど、いま、ここで丁寧に分析して行きましょう。すると、実際には、本を50分だけで、工業印刷をする事はありません。それって無理なのです。で、鎌倉春秋社みたいに、多数の私費出版を引き受けている会社だと、お客一人に、一頁一万円で、500部出版すると、引き受けているはずですが、

 本って、量産こそスケールメリットが出るものなので、著者の違う、タイトルも違う本を、10冊一緒に、工業的に印刷製本をすると、5000冊を一気に制作することとなります。本って、デザインの段階にお金がかかるものなので、印刷機にかかったら、500部作るのも、5000部作るのも、ほとんど似たような時間と、費用で出来上がるのです。

 張ったりとだましで、繁栄している会社が、田中愛子さんがお客に対して怒鳴った鎌倉春秋社なのです。

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副題5、『馬子にも衣装と言うが、それで、だまされている人間は、パニックに陥りやすい』

 伊藤玄二郎と言う人間は、女性の力を信じていて、女性をうまく使って、生きて来たと思われます。と言うのも田中愛子女史・・・(=現在会社の方で目に見えるパートナーシステムをとっている)・・・と、私への迫害が、彼女が、私の猫の事で警官を呼んだ日から始まった、・・・石川和子さん(=彼女自身が、私は、昔、伊藤玄二郎の愛人だった。だからあらゆる便宜を図ってもらっていて、鎌倉市の公民館は自由につかえると言っている。その上、鎌倉春秋窯と言う、本体の出版社と同じ名前をもらった陶芸教室を運営しているのだから、たぶん確かに愛人だったのだろう)・・・の二人ですが、日常的にちやほやされまくって生きているらしくて、傲慢でわがままな事、際限がないと言うほどなのです。

 そして、二人とも、子供はいません。子供を産める年代を、伊藤玄二郎に支配をされていたからでしょう。

 でもね。今、ふと、思ったのですが、安倍総理大臣の「女性の、社会進出を助ける内閣」って、伊藤玄二郎・的、女性の支配の構図と、伊藤玄二郎・的、女性の利用法の、二つを正当化するために、伊藤玄二郎が、エージェント力を駆使して、安倍総理大臣に迫った政策ではないかしら? 『うーん、当たっているかもしれません。そして、安倍総理大臣にもお子さんがない。だから、子育てに、どこでどういう手配と配慮が必要かが、分かっておられない。それで、教唆するものたちに、容易にうなずいてしまう。

 おや、おや、意外な収穫が採集できました。と言うのも、この考察は、開発ちえさんの罵詈雑言を分析する過程で、ひょうたんから駒として、出て来たものだからです。

 私はそれを公開するつもりはないのですが、それでも、開発さんの罵りメールとは、すさまじいもので、あまりにもすさまじいので、途中でハッキング担当者が、その文字を文字化けして、内容が私に伝わらない様にしたのですが、それでも終わらないので、とうとう、私のパソコンを壊したのです。以前はそこで、私の文章がおわっていましたが、今は、醍醐イサムの分析が終わっていますね。

 醍醐イサムの醜態を記録したビデオカメラが、その本体そのものを、大阪城北詰め駅の改札口で、盗まれています。それはどう考えても、警察がやっていると思われました。と言うのもその同じ夜に、NHK大阪は、6時からの地方ニュースとして、私が出かけたのと、同じ、時間帯に維新の会の、松井大阪府知事が、中之島の大阪市立図書館を訪問していると言っていたからです。つまり、私は別に大阪市立図書館にびょん部を探しに行ったわけではないのですよ。だけど、そういう風にすると推察されて、脅かし策がとられたのが、松井知事の私立図書館訪問です。維新の会は、右翼的な会派でしょう。それが、どうして、CIAのエージェントの言う事を聞きますか? 警察が間に立って、依頼をしたから、松井府知事は、市立図書館を訪問したのでしょう?

 びょんぶと言う河出書房新社刊の本は、大きな秘密を秘めている本なのです。そのうち、あとがきや献呈だけを取り替えた本が出版され図書館に再納入されるのではないですか? だけど、そうなればどこからか、うわさは外へ漏れるでしょうね。超、不思議な話だから。ところで、このビデオカメラの盗難の件から類推すると、構図がそっくり同じだから、開発さんのメールが送られてきた私のノートパソコンが、破壊をされたのも、やったのは、警察でしょうね。

 こうなると、ますます、鶴岡八幡宮のおお公孫樹が倒壊した事が意味を持ってきます。これほどの悪辣さが、伊藤玄二郎の周辺に満ち満ちていると、そりゃあ、神様は怒りますよ。当り前でしょう。

 この『パソコンが破壊をされた件』と、開発さんとの関係については、また、日を改めて、語ります。本日は、パニックに陥った女性が放つ罵詈雑言ということだけで、まとめたいのですが、開発さんも、裏からお願いをされて、私にちょっかいを出したものの、圧倒的な私の、力量にびっくりして、、パニックに陥ったのだと思いますよ。開発さんもある意味で可哀そうな所もあります。だって、セックスまみれの、石川和子さん(それは、猫を毎日取りに行かさせられた歳月に、見せつけられた彼女たち夫婦の振る舞いで、十分すぎるほどわかりました。その上、和子さんが死んだら、早速、別の女性を家に入れて、その女性が早朝も早朝、道路のコンクリートの割れ目から芽を出したど根性三つ葉を摘みに出て来たので、事情は、すぐわかりましたね。それにプラスして、柳沢昇と言う人間の真実の姿が)と、伊藤玄二郎との、恋愛関係を隠すために、使役をさせられたと推察されるからです。あのね、断っているのだから、私の猫をいじらないでくれれば、ここまでの事を語りません。しかも、返さないので、迎えに行けば冬でも寒い中を、迎えに来ているのが、わかっているのに、待たせるのです。だから、彼らがサディズムを行使して、それで、性欲を亢進させる夫婦であって、その道具として私の猫を使っていた事がわかっているからです。

 東京圏の一戸建て住宅に住む場合、あいさつ程度で、納めて置くのが、最上なのです。しかも、ここは、家が、20軒しかなくて、しかも、昼間活動しえいる女性は、10人を超えないのですよ。よほど気をつけないといけないのに、児戯に等しいわがままを貫くから、ここまで、事態が発展します。この鎌倉・雪の下の谷戸に住んでいると、目の前でバルザックの世界そのものが展開します。別に見たくもないのに、見せつけられます。

 で、開発さんに戻ります。なぜ、彼女がパニックに陥ったかと言うと、普段修行をしていなくて甘やかされきっているからでしょう。だが、伊藤玄二郎の周囲にいる女性陣とは、少し違った甘やかされ方をしていますね。
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副題7、『藤田千彩さんは、上手に収めたのに、なぜ、開発さんに、同じ事が、できなかったのか?』

 藤田千彩さんが、悪人たちに教唆をされて,ゴッホの死因を種に、私を迫害したのは、事実です。それは、VACANTの証拠と言うものでわかりました。フェイスブック固有の機能を、利用したいじめでした。しかし、彼女は私に対しては、直截な攻撃は、して来ませんでした。なぜなのかですが、東京に住んでいるので、誰かから、「あの人(=私のこと)と戦っても、勝てないと言う様な風評を、すでに、聞いていたのかもしれません。または、私のブログを一回でも読んでいたと仮定をすると、納得される行動様式でした。

 で、割目すべきエピソードは拾えなかった藤田さんですが、それでも、ここで、開発さんと比較をすると語るべき事が出てくるのでした。それは売文で生きていくと言う事の厳しさです。藤田さんはフェイスブックにはたいした事は書いていません。それは、フェイスブックに書く前に、美術評論のノルマを果たさないといけないので、それで、疲れてしまうからでしょう。

 で、男性か女性かが、私の方に、わからなかったぐらいです。しかし、35歳を超えていると思われる今も、実家から生活費を送ってもらっているかと言えば、送ってもらってはいないでしょう。彼女も実家はお金持ちだと思いますよ。だけど、親が定年退職後は支援ができないのがサラリーマン家庭です。彼女はたぶんですが、サラリーマン家庭のお嬢さんです。藤田さんは、ホーム頁に美術評論を書くことで画廊からか、作家からか、一定の稿料をもらっているはずです。
 後、素人さんと一緒に画廊巡りをした際に、作家などについて、解説をする旅行ガイドと言うか、カルチュアー教室の先生見たいな役目で、それを主催している人物から、謝礼をもらうと言う形でしょう。他にも文章を書いて紙のメディアに載せてもらえばいっていの稿料は入ります。

 しかし、ここが最大の不思議さなのですが、売れているから良い文章ができているとは言えないのですね。それとコンスタントに書き続けるためには、どうしてもスタイルを確立し、それを踏襲する様になるものです。

 これから先は18日の午後に書くことでお許しください。次の日になっていまして、十分に睡眠はとっていますが、出かけない地毛ません。
 ところで、メモとしてあげておけば、そんなに、本が安くできるのなら、どうして、出版不況は起きたのか? とか、どんどん話題は発展をして行きます。


 そして、開発さんの生活費についても推理として、言及したいところです。彼女が、2012年の私とのトラブルを経て、彼女を使役した人物たちが、『申し訳なかった。もう一回、あなたに光が当たる様に、手配と工夫をいたしますから,どうか、東京に出て来て活躍してください』と、提案したとして、今、東京で暮らしているとしても、実家から、引き続き、生活費の、援助が出ていると私は、思います。実家の料亭の運営が会社組織になっているとすれば、彼女は一種の広告塔だから、『きれいさをキープし続けて、男性陣からちやほやされ続けていれば、重役としての御役目、達成』と言う事で、50万円以上の、仕送りがあるのではないかな?


@@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。

副題8、『伊藤玄二郎の片腕、田中愛子女史に、怒鳴り散らされたので、私は川名昭宣君に、接触をし始めたのだが』

須賀敦子、池内紀、池澤夏樹、群ようこ、久間十義

副題9、『私が<びょんぶ(河出書房新社刊)>を、必死になって追いかけているわけは?』

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、 2457386です。
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