カテゴリーにある「坂道」です
いままで チャンスがなく そのままになっていました
「坂道」君から たびたびの催促 督促がありました
今日は 天気もよく 気温が高かったので 歩いてお出掛けをしました
3時間弱のウォーキングは 気持ちのよい汗をかかせてもらいました
初デビューの「坂道シリーズ」第1回は「団子坂」です
いま 新聞を賑わせている「談合」坂ではありません
(談合坂は 中央高速にありますが・・)
終戦直後の少年たちを熱狂させた「少年王者」の作者 山川惣冶
俳優の石井寛 さらに大平正芳元首相が住んでいました
団子坂は 文京区千駄木にあります 地下鉄・千代田線の「千駄木」です
都心にありながら この文京区には 名のついた坂が大小197ヶ所あります
この団子坂 幕末から明治末にかけて 菊人形で有名でした 別名「菊見坂」です
”自雷也も 蝦蟇(がま)も枯れたり 団子坂” *正岡子規*
菊人形は 文化年間(1804~18年)に巣鴨の染井におこり 安政3年(18
56年)に団子坂に移ってきたそうです
坂の名は 団子を売る茶店が多かったことが 命名の由来になりました
江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」は この坂がモデルで 名探偵明智小五郎がデビュー
しています 確か古本屋さんが舞台だったと思います
団子坂を登りきった場所にある この建物
区立図書館ですが 特色があります
「鴎外記念本郷図書館」です
そうです 森鴎外が 明治25年から終生住み続けた「観潮楼」が ここでした
全国の森鴎外ファンが見学にくるという 資料室です
大正2年に作成された胸像です
大正11年7月9日 死亡 60歳 デスマスク
熱心な 初老のファン
森鴎外 本名林太郎 文久2年(1862年)石見国(現島根県)に生まれました
明治45年(大正元年)50歳で歴史小説の執筆活動を開始
山椒大夫 阿部一族 高瀬舟など多数の小説を世に残しています
図書館の外は 昔ながらの「観潮楼」の庭園です
その名のとおり ここから東京湾の海が望めたのでしょうね
そして 団子坂といえば この店を忘れることはできません
団子坂下 台東区谷中小学校前の 名代『塩見煎餅』です
これからも 折をみて「坂道」君をご紹介しますね
よろしくお願いいたします
いままで チャンスがなく そのままになっていました
「坂道」君から たびたびの催促 督促がありました
今日は 天気もよく 気温が高かったので 歩いてお出掛けをしました
3時間弱のウォーキングは 気持ちのよい汗をかかせてもらいました
初デビューの「坂道シリーズ」第1回は「団子坂」です
いま 新聞を賑わせている「談合」坂ではありません
(談合坂は 中央高速にありますが・・)
終戦直後の少年たちを熱狂させた「少年王者」の作者 山川惣冶
俳優の石井寛 さらに大平正芳元首相が住んでいました
団子坂は 文京区千駄木にあります 地下鉄・千代田線の「千駄木」です
都心にありながら この文京区には 名のついた坂が大小197ヶ所あります
この団子坂 幕末から明治末にかけて 菊人形で有名でした 別名「菊見坂」です
”自雷也も 蝦蟇(がま)も枯れたり 団子坂” *正岡子規*
菊人形は 文化年間(1804~18年)に巣鴨の染井におこり 安政3年(18
56年)に団子坂に移ってきたそうです
坂の名は 団子を売る茶店が多かったことが 命名の由来になりました
江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」は この坂がモデルで 名探偵明智小五郎がデビュー
しています 確か古本屋さんが舞台だったと思います
団子坂を登りきった場所にある この建物
区立図書館ですが 特色があります
「鴎外記念本郷図書館」です
そうです 森鴎外が 明治25年から終生住み続けた「観潮楼」が ここでした
全国の森鴎外ファンが見学にくるという 資料室です
大正2年に作成された胸像です
大正11年7月9日 死亡 60歳 デスマスク
熱心な 初老のファン
森鴎外 本名林太郎 文久2年(1862年)石見国(現島根県)に生まれました
明治45年(大正元年)50歳で歴史小説の執筆活動を開始
山椒大夫 阿部一族 高瀬舟など多数の小説を世に残しています
図書館の外は 昔ながらの「観潮楼」の庭園です
その名のとおり ここから東京湾の海が望めたのでしょうね
そして 団子坂といえば この店を忘れることはできません
団子坂下 台東区谷中小学校前の 名代『塩見煎餅』です
これからも 折をみて「坂道」君をご紹介しますね
よろしくお願いいたします
一緒に散歩させていただいた気分です。
食いしん坊の私は団子も塩見せんべいも食べたい気分です。
鴎外記念館も庭園も興味深々です。
庭園は桜の季節もいいでしょうね。
考えるところがあった昨今ですが、
老春さんの「何が正しいかではなく、何が大事か」で行こうと思います。
今後ともヨロシクです。
東京の街をご紹介くださって有難うございます。
若い頃は東京都下に10年ほど住んでいましたが、このような町並みは知りませんでした。
これからも楽しみに読ませて頂きますので宜しくお願いします。
暖かい陽気の中、またいいリフレッシュになりましたね。
先ずは、「坂道君」に最敬礼で初めまして!!
文京区にはこんなに多くの坂道があるんですね。キューポラいえ、「坂に名のある町」ですね。
名前が付いていれば道を聞かれたときに説明しやすいですね。
「鴎外記念本郷図書館」は立派な建物です。東大の近くですか?
東京の坂で思い出すのが、高村光太郎の妻智恵子さんが入院していたゼームス坂病院です。
ここで智恵子の『切り絵』と光太郎の『レモン哀歌』が生まれたようです。
それと、昨年春に歩いた九段坂です。
2番目の坂道君も楽しみです。
私のペットボトル君もそろそろ・・・
ウオーキングは大好きですが、どちらかと言いますといつも殺風景な所を歩いている方です。
団子坂は聞いて居ましたが案内して頂いて、こういう所ならウオーキングも大いに楽しいだろうなと羨ましくなりました。
暖かくなったら一度上京して一、二時間歩いてみたいな、などと思っています。
坂道シリーズ、楽しみにしております。
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つづきです…
私は高校時代、大好きだった国語の先生に「女の子といえども、森鴎外くらいは読め!」と言われ、早熟ながら必死で読んだ記憶があります。以来、鴎外は私の青春となりました。
機会がありましたら、是非図書館を訪れたいと思います。坂道シリーズ楽しみにいたしております。
実は前々から気になってたんです(*^_^*)
いつか話しましたかね、坂道大好き、狭い道大好きの私です。
団子坂と聞いてヨダレまで出てきそうです。
私、自分が記憶してる中で一番最初に読んだのは森鴎外の作品だったと思います。
確か小学3年生くらいの頃だったと思います。
が、難しすぎました。。。(涙)
今読めば又、印象も変わってるんでしょうけど。
「博士の愛した数式」の本、手にはいれましたが、まだ読めずにいる私です。
オヤジさんの方が忙しくされてるのに、私、恥ずかしい限りです。。。
山の近くへ行けばあるんですけど…盆地というのは、そういう所なのかもしれません。
坂道は人生に似ていますね。
上り坂があれば下り坂があり、そして また上り坂と…登ったり下ったりしながら生きていくのでしょう。
森鴎外と言ったら、読んだのは山椒大夫でしょうか。確か読書感想文を書くためにだったと思います(^^ゞ
それから『 』バトンですが、ゆきじーさんのブログで更新されました。
お題はスポーツです。
http://blog.goo.ne.jp/neyuki104/e/9b267c9d93698d8e82b62b811df64931
です。
一緒に散歩させていただいた気分を大事にしております。
北国は連続4日も暖気が続き、雪氷結もヨダレをだしてだして、もう大変です。
この道をさらに進んで、学校を右に入っていくと、実家の菩提寺がありますので、よく行くところです。
鴎外図書館、建物は気づいていましたが、一度も立ち寄ったことがありませんでした。次のお彼岸にでも時間にゆとりをもって立ち寄れたらと思いました。ご紹介ありがとうございました。