その家はO町のはずれにありました
周りは畑 また畑。。
田園風景が広がります
みなさんに愛していただいている例の「渋い家」
今日は ちょっと様子が変ですね(笑)
そうです あの渋い家のリニューアルではありません
これぞO町が誇る国指定重要文化財「吉田家住宅」です
享保6年(1721)に建てられたことは 古文書で明らかになっています
八代将軍 吉宗の時代です
忠臣蔵 赤穂浪士の事件から19年後のことになります
この日は祝日でした
おかげさまで 畑作業も一段落しました
この家までは 畑から車で15分の距離です
暖かい 秋の日差しが眩しい1日でした
国や県 町の援助・補助を受けずに「個人」で”守っている”吉田家です
現状を維持していくだけでも 並大抵のことではないでしょうね
見学料もいりません 無料です
いまの主(あるじ)は 畑の師匠Yさんの中学時代の同級生だそうです
コーヒーの注文に応じる奥さんです
男性は フラリと立ち寄った「旅人」でした
文字どおり大黒柱に支えられ”生きてきた”吉田家住宅です
幾多の風雪に耐え 忍んできたのでしょうか
そして 285年もの間 幾人の人々の哀歓を眺めてきたのでしょうか
しばし 内部をご覧ください
江戸時代の出土品でした
手書きの表示が なんとも嬉しいですね
いまでも時々使用するという大釜です
一度でいいから この釜で炊いたご飯が食べたい じっと佇むオヤジな私でした
ご飯の代わりがダンゴです
炭火でゆっくり暖めます これはうまかった
炭といえば この竹炭です
畑のYさんのお父さんの作品です
柱を撫ぜ 畳に触れて当時を思いました
朝日とともに起き 夕日とともに家路につく
家では 長老を中心に大家族の夕べが待っています
赤ん坊の泣き声 釜戸の煙 家族の笑い声
そこには ラジオ テレビもありません
みんなで話し合う団欒のひとときだったのでしょうか
どうも想像が貧弱ですが たまには川越・寄居あたりの賑わいを楽しんだことでしょう
いつもの渋い家にに劣らぬ渋さを備えた吉田家でした
ニュー渋い家の誕生です
<今日のおまけです>
Yさんの茄子です 10月の半ばというのに この「元気」
ひと株から200個以上の収獲があったそうです
私のは 枯れつつあります
重厚な藁屋根の下で、営々と引きつかれてきた貴重な「渋い家」ですね。
なんといっても、現在そこで生活されながら、公開されていることが素晴らしいですね。
だから、何代も続く生きた生活を歴史の重みの中に見ることが出来るのですね。
これからもしっかりまもらていきますね。
暫く続いた畑日和を有効にお過ごしだったことが窺えます。
しばらくブログを休みました。
その間、畑・研修と続いていました。
吉田家には数年振りの訪問でした。
今回の訪問では、前回感じられなかった感慨、感動を覚えました。
この家は生きています。
かすかながら息使いまで聞こえてきましたよ。私の5倍近くも生きながらえてきた家です。生きた歴史そのものの家でした。
家族のみなさんのお住まいは目の前の普通の家でした。週に一度の「休館」以外は無休で開放しています。
これからも民営の歴史館として末永く無事であってほしい建物です。
一家の主の座る場所は決まっていました。
都会育ちの私は囲炉裏を見るのは初めてで、まるで映画を見ているような気分でした。
このブログの写真を見ると大きな竈のお勝手から「Aちゃん、いつ来なった~」って姑が現れそうな気がして懐かしさを感じました。
「豪農の館」は聞いたことがありますが、このような約300年もの歴史がある家は珍しいですね。
幾人ものご先祖様の魂が宿っていますよ。何か聞こえませんでしたか?
茅葺屋根の修復作業は大変ですね。
会津の大内宿の屋根の葺き替えの模様をテレビで見ることがありますが、それはそれは大変なようです。今、萱がそんなにありませんからね。本当に屋根の現状維持だけでも難しそうです。
こんなに珍しいものですからこれからは見学料を払わなければなりません。金額はご自由円です。
akisaienさん、往時を偲び感慨に耽ってみたんですね。やはり秋ですね~。
玄関脇のブルーシートの上に乾してあるものは何ですか?
Yさんのナス、凄いです。未だしっかりしてますね。
我が家のミニトマトもいよいよ元気がなくなりました。
本当に懐かしい茅葺の屋根の農家の家です。
私の母親の実家を思い出しました。
吉田家のような立派な渋い家ではありませんが、私が子供の頃よく遊びに行っていました。
懐かしいです。。。これで話を書きました。
トラックバックさせていただいてよろしいでしょうか?
いろいろな思い出が去来されたことでしょう。
昔は一家の主人は威厳がありましたね。
毎度の食事でも、おかずが一品多かったようですね。
この囲炉裏はいいものでした。
秋の気配の気温です。
暖かかったですね。
薪の火は心の中まで暖めてくれました。
ご先祖様の魂は確実に宿っているでしょう。
聞こえたようですよ(笑)
茅葺の補修だけでも大変な経費がかかるでしょうね。
入り口に、そっと「寄付」の依頼の紙の箱がおいてありました。
気持ちだけ投入してきました。
玄関脇にあるのは胡麻でしょうか。
これは質問しそこないました。
ナスはまだまだ収獲できるそうです。
やはりプロの腕前は大変なものでした。
ミニとまとも、終わりですね。
古いものを懐かしむ人たちが多くなったのでしょうか。
散歩コースに最適な立地条件にはありますが。。
ba-baさんはご主人の実家、pochikoさんはお母さんの実家を思い出されました。
訪れた方々にも、それぞれのいい思い出があるのでしょうね。
トラックバック、もちろん歓迎ですよ。
どのようなお話になるのでしょうか。
うちの義母の実家が、つい数年前まで大きな萱葺きの家だったそうです。
保存するようにって話もあったそうですが後を継いだ義母の弟
次の世代の者が住み辛いと言うからという理由で今風のモダンな家に建て替えました。
自分が生まれ育ち、事あるごとに話してくれた義母のご自慢の萱葺きの家
義母の落胆たるや、かなりのものでした。
その後間もなくして義母が脳梗塞で倒れました。
もしかしたらその事が原因じゃないかと思ったほどです。
残念な事に、私は義母の実家を訪ねた事がありません。
萱葺きの家が存命中に一度でいいから訪ねてみたかった。
悔やまれます。。。
Yさんのナス、さすがです。
我が家のもそろそろ終わりかなって感じになってきてます。
土間があってかまどがあって、生家にも残っていましたよ。
Yさんのナス!凄いですね。
やっぱり肥料でしょうか。
この写真を見て、農夫は肥料を買いに行くと言っています(笑)
やっとたまねぎの芽が出てきました。
心配なので苗も買うそうです(笑)
なかなかおくが深いですネェ。