都電荒川線の軌道です
正面に見えるのが王子の飛鳥山 かっては将軍家の鷹狩りの場でした
八代将軍徳川吉宗が 江戸庶民のために多くの桜を植え 花見の場所として開放しました
以来 江戸時代の花見時には無礼講の場として また仮装が許可され 庶民の人気を博していました
現在も桜の時期の人気スポットです
明治の世 都電の前身 王子電気軌道時代 ここ飛鳥山~大塚駅間が開通 ”郊外電車”の誕生です
その後 路線が延長され いまでは最新型の車両も登場し都民の大事な「足」になっています
遠くに 黄色い旧型都電が展示されている飛鳥山公園
冬は寒々してますが 季節になれば桜の満開となります
「花見は上野より飛鳥山だね」 江戸通を自任する花見客で大賑わいです
ところで 花見には早い王子飛鳥山の今日の話題ですが・・JR王子駅に通じる坂を下ると・・・
実に渋い木造建築物が迎えてくれます
JR王子駅ガード横の”さくら新道”飲み屋街です
飲み屋街の入口 これまた渋いお地蔵さま
新幹線の高架脇で 王子電気軌道時代そのままの雰囲気を残した飲み屋街!
近代化された王子の町並みですが
ここには昭和というより大正時代の雰囲気 息遣いが感じられます
昼下がりのひとときを建物を眺めながら行ったり来たりでした
若い頃はよく飲みにきました 経営者の多くが高齢者というのがよかった
王子駅前の映画館の帰り 映画の話題で盛り上がりアルコールのピッチがあがったものです
古き佳き時代の佳き飲み屋街
ところが昨年 この「さくら新道」の奥の店で火災が発生
類焼して3分の2もの多くの店が焼失しました
かろうじて残ったこれらの店も営業が定かでありません
日を改めての再訪が求められます
「営業しててくれ!」
祈る気持ちで”現場”を後にしました
帰路 都電荒川線はいつに変わらぬ元気さでガタゴト快走
周りの風景は変わっても 運転台と車内には 昭和の景色が残っていました
※ 公園内にある三博物館 渋沢史料館・紙の博物館・北区博物館は必見です ※
吉宗公もびっくりのプロジェクトでした。
景観を考慮したらしく、日本橋の上を覆い尽くす首都高とは違って、公園にいてもさほどの違和感を感じさせません。
いまはリタイヤしたオジさんたち。
さくら新道に夜な夜な出没しては怪気炎。
経済大国邁進のエネルギーを蓄えたのでしょう。
桜は観る人に不思議な力を与えてくれます。
1600本もの桜の木は、将来、浜街道復興のシンボルになりますね。
素晴らしい企画です。
最近は歩くように心がけています。
”新発見”があれば、ご紹介していきましょう。
乞う ご期待です(笑)
先日、お七(八百屋お七)坂を通りました。
新たな発見がありました。
いずれアップしますね。
大震災にも耐えた古い木造建築物でしたが、火災には弱点がありました。
残った数件の飲み屋さんですが、防火体制の完備が課題になります。
行政の援助はないのでしょうか。
都電も真似たい編成ですね。
さくら新町はどのあたりだったのでしょうか。
昭和の雰囲気、これからも探していきたいものです。
都電の隣にはSLのD51も展示され子供たちに人気を博しています。
焼け残った数件の店ですが果たしてどうなるのでしょうか。
料亭「扇屋」も変貌して、さくら新道もなくなると、昔の王子の面影は消えてしまいそうdす。
こんなことは珍しいですよね~。
一度花見の頃に行って確かめたいと思います。
この飲み屋さん街で、どれだけ多くのサラリーマンが出入りしたか?
昔ののんべぇさん達を想像してみました。
この間の神田藪蕎麦の火災も残念でしたね。
先月28日、三春滝桜の子孫木が、町長さんらの手でブータンの恩賜庭園に植えられたそうです。
国道6号線沿いの浜街道・桜プロジェクトも始動してます。
http://www.minpo.jp/news/detail/201301226174
WBCを観てます。
行きたくなりました!
東京にも、このような風景が残っているのですね~
登るのがすきなんです。
上に行きたい!
下りは坂でも階段でも躊躇してしまいます(笑)
いい写真ですねー
昭和の古い木造建築、残しておきたいですね。
でも火事は・・・
頭を使ってなんとか残してほしいですね。
ちょうどこの線路のような雰囲気でした(余計なことですが)
さすがオヤジさん、
さくら新道にも来たことがあるのですね、
昭和の雰囲気、いま本気で探しておかないと、
いけませんね。
都電荒川線というのは、テレビでも、何時だったか見せてくれました。
その飲み屋街、いいですね。郷愁を誘われるでしょう。
ぶらぶらしたい感じです。
当時営業していた料亭のひとつ「扇屋」の末裔が名物「玉子焼き屋」さんとして残っています。おいしいですよ。
ほんの少し前まで、東京にはこのような建物がたくさん残っていました。
いまでは郷土館で復元されています。
さくら新道は実物に会える数少ないところになりました。
想い出のいっぱい詰まった昭和も遠くなりつつあります。
ガード横の町筋の写真を見ていますと、東京にこんな所があるのだなぁとおもいますが、そこがオヤジな私さんのいろんな思い出がぎっしり詰まっている場所であるのが、理解できるような気がします。
昭和の面影の残る所は、その世代を生きてきた人にとっては捨てがたい思い入れがあるのですね。