図書館から、雑誌太陽の中原中也特集を借りて来て読んだ。中原中也の詩を一番読んだのは、20代の半ばだったろう。それからほとんど手に取ることもなく、興味は次から次へと変わって行った。特集号に掲載されていた詩を読むうち、なんだか大切なものをいつの間にかどこかに置き忘れてきているような気がしてきた。それが何かはわからないが、なんだかとっても大事なものだった気がする。
そんなこともあって、アマゾンに中原中也全詩集という文庫本を注文した。
若い頃というのは、多くの人がハシカにかかるように哲学や心理学、宗教のような精神世界に触れるものに興味を抱くのではないだろうか。若者にとって、世界はまだ見ぬ世界で、想像もつかない広がりを見せている。その前に立って不安と戦うためには、なんでもいいから心の拠り所が欲しくなるものだ。
が、大人になり、仕事や家庭を持つと、精神的なものなんてのはどうでも良くなって行く。とにかく目の前の煩雑な物事を、いかにうまくこなして行くかに力を出さなければならないからだ。だから、大人は若者に向かって「頭でっかちになるな」と忠告する。世の中を渡って行くには、頭脳以上に丈夫な肉体が必要なのだ。
しかしながら振り返ってみると、頭でっかちにならなかったものの、屈強な肉体を持つこともなく、実に中途半端な大人として、行く当てもなくウロウロしているというテイタラクだ。若い頃は、どこまでも高く掲げたハードルを飛び越えようと理想を抱いていたものだが、いつの間にやら飛び越えやすそうな高さのハードルばかりを狙って、手っ取り早く飛び越えて来た自分に気づく。
中原中也という人は、詩人として身を立てようと決心したときから、長屋のご隠居のように人生という舞台から下りてしまった感がある。「帰郷」という詩を読むと、人生の後半に突入したオッサンには、身につまされるものがある。
(前略)
これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いてゐる
心置なく泣かれよと
年増の低い声もする
あゝ、おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます