おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

国の成り立ち

2024-05-27 11:08:26 | 日記
 昔、日本はこの国のことを倭と呼んでいた、と僕が学生の時には学校で習ったが、正確には「国」ということではなかったようで、中国人に「お前の国は何というのだ」と聞かれ、「私たちは自分たちのことを『わ』と言っている」くらいに応えたのだろう。今でも青森あたりでは自分のことを「わ」と言っている。

 だから、当時中国により「倭」と記された場所には、日本人だけでなく対馬海峡あたりで生活する朝鮮人も含まれていたようだ。

 その後、大和王朝が日本を統一した。すると、国境というものが必要になってくる。その頃にはじめてはっきりとした「日本」という国の意識が生まれてきたのである。

 そもそも世界的に見ても、国というのは自然発生的で、同じ民族、同じ言葉、同じ風習、習慣を持つような人たちの集まりである。そこに力を持ったものが現れる。中国の唐だとか隋だとか秦だとか清だとか、武力で隣近所を制圧して作った国だ。権力の頂点にある人を「皇帝」と呼ぶが、別の力のあるものが地位を奪えば、別の国名になる。たとえ、そこに住む住民が同じ顔ぶれであったとしてもだ。そういう国は「帝国」といい、中国やドイツ帝国なんかがある。

 同じように力で国を治めても、代々血のつながった者が跡目を継いでいくと、それは「王国」となる。イタリア王国、フランク王国、プロイセン王国、イギリス王国だ。

 そんな中、国民ひとりひとりが人権を持ち、国王や皇帝といった権力者には従わないといって初めて国を作ったのが、アメリカ合衆国である。「契約国家」と言い、国民は憲法と契約を結ぶ。アメリカ国民になろうとすれば、憲法と法を遵守しますと誓えば、アメリカ国民なのだ。今読んでいる「哲学と宗教全史」で紹介されているエピソードに、トランプさんが司法長官に「俺に忠誠を誓え」と迫ったら、司法長官は「私はアメリカ憲法に忠誠を誓っています」と言い捨てられた話が出てくる。だから、アメリカでは移民を受け入れることに抵抗がないのである。

 そんなアメリカが独立戦争をしている時、ヨーロッパから義勇兵がたくさんやって来た。独立後それぞれの国に帰って行ったが、その盛り上がりが伝染したのがフランスだった。王様を処刑し、人権宣言を出して第二の契約国家となったのだ。だからフランス共和国という。

 日本が明治維新で近代化を図ったとき、どこの国を真似しようかと考えたが、ドイツはまだ帝国だったし、アメリカ、フランスは契約国家になっていた。イギリスが「北アイルランド及びグレートブリテン連合王国」を名乗っていた。日本という国のデザインを考えていた官僚たちは、代々血縁によって続いてきた天皇を頂点にした国づくりをするため、イギリスをお手本とすることにしたのだった。今でも日本の皇室がイギリス王室と仲がいいのは、こういった経緯があるからである。

 さて、大日本帝国憲法によって明治政府は「帝国」を名乗ったが、本質は「王国」だった。が、日本では天皇のことを王様とは呼ばない。そういうことから第二次大戦までは、日本は「帝国」でも「王国」でもない「皇国」と自称していた。

 ところが、戦争に負け、アメリカから「日本国憲法」を押し付けられ、天皇は「象徴」となって、これからの日本は民主主義国家になりなさいと言われてしまった。が、自分たちで勝ち取り作り上げた憲法ではなかったために、日本では「憲法」と契約を結んで日本国民になったという意識はない。

 移民の受け入れ問題や、憲法改正の問題がいつになっても進展しないのは、心の底では、いまだシンボルとしての「皇国」に住んでいるのであり、本当は「日本国憲法」との契約を交わすことで、日本国国民になっているということが理解できないからである。

 
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