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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

新たな引っ越し先

2025-04-22 10:48:30 | 日記
 朝からこのブログ「おっさんひとり犬いっぴき」の引っ越しを始めた。

 今度は「はてなブログ」さんにお世話になることにし、手順通りに作業を進める。新たなアカウントを取得し、自分のページを作り、そこへ今までのデータを移す。作業としてはこれだけだが、編集作業やデザインが今までとは変わるので、その辺は一からやり直さなければならない。

 どうせなら古いブログのタイトルも変えた方がいいかなと考えたので、新たなブログのタイトルは「犬やら猫やらジジイやら」にした。サブタイトルは今まで同様「家族がふえてもノンキな日々」である。

 デザインは編集方法をもう少し理解したら変更するかもしれないし、このまま続けるかもしれない。タイトルも即興で付けたので、これまた変更するかもしれないし、このままかもしれない。

 とりあえず引っ越し先をリンクしたので、今日からは新たなブログ「犬やら猫やらジジイやら」を、クリックしてご覧ください。

 このページ自体は、2025年11月の表示期限が切れるまで、このまま放っておきます。
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2025-04-21 11:45:39 | 福島
 畑に植えたグリーンピースがだいぶ大きくなって来たので、朝から豆の手を作りに行ってきた。豆の手と言っても、豆から手が出るわけではなく、豆のツルが巻き付くための棒を立てて来たのだが、こういうふうにやりなさないといった決まったやり方があるわけではなく、朝顔のツルが巻きつくのと同じで、グリーンピースのツルが巻きつくためなら何でもいいのである。ネットを張ってもいいし、ビニールの紐を張ってもいいし、笹竹を並べてもいい。今回はタミちゃんが笹竹を10本ほど実家に行ったついでに切ってきたので、今回はそれを立てることにした。

 ついでに雑草が伸びて来ているので、草むしりもやり、1時間ほど畑仕事に励む。

 今年はグリーンピースと空豆が順調に大きくなっている。そのほかにスナップエンドウも植えたのだが、大きくなる前に僕がじゃがいもの畝を作るのに、端っこにスナップエンドウの苗が植えてあるのに気づかずに掘り返してしまったので、スナップエンドウはダメになってしまった。おかげで、それ以来ずっと文句を言われっぱなしなのである。

 朝飯を食べていたら、テレビでスナップエンドウについてやっていた。スナップとはポキリと折れる様子を表し、アメリカで開発された。もとはサヤエンドウとグリーンピースを掛け合わせたらしい。

 で、少し調べてみると、グリーンピース、サヤエンドウ、えんどう豆は実は同じ植物なのだという。成長過程や食べられる部分によって名前が変わるのだそうで、ホームセンターで売っているグリーンピースの種だとかサヤエンドウの種だというのは、品種改良で特化させたものということになる。

 僕が子供の頃、豆ご飯と言えばグリーンピースご飯だった。そういえば最近はスナップエンドウ全盛で、家で豆ご飯を食べることがないなあと思ったので、今年はグリーンピースに初挑戦することになった。

 タミちゃんはスナップエンドウが一番好きだという。おかげでいまだに「勝手に掘り返してダメにした」と言い続けているのである。
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葉タマネギ

2025-04-20 11:35:52 | 福島
 夕方、テオの散歩をしていたら、ヤマブキがきれいに咲いていたので、持っていたスマホを取り出して写真に撮ろうと近づいた。と、急にヤマブキの間で黒い影がゴソゴソと動いている。何か大きな生物がいるとビックリして後ずさった。朝、アナグマに遭遇したばかりだったので、再び何かの野生動物と遭遇したのではないかと、咄嗟に思ったのだ。

 が、動いていたのは人間で、ヤマブキと一緒に生えている杉の木が邪魔になったので、ノコギリで切ろうとしていたのだ。

 僕があんまり驚いたものだから、オッチャンは手にノコギリを握りしめ、バツが悪そうに出てきた。オッチャンはヤマブキの中に入り込んでいたことを説明し、僕は僕でどうしてそんなに驚いたのかを説明すると、その場は笑いで包まれた。

 そんな僕らの姿を見てか、どこからかオッチャンの奥さんも現れ、「葉タマネギを持っていって」と言って渡してきた。タミちゃんは、「葉タマネギはどうやって育てるんですか」と、我が家の畑に新たな作物を増やそうと熱心だ。

 ありがたく葉タマネギを受け取ると、オッチャンは僕に「いつもカメラをぶら下げて歩いている人ですよね」と尋ねて来た。「パチパチとあちこち撮りながら散歩してます」と答えると、「お願いしたいことがあるんですけど」と言ってきた。

 どんなお願いかと思ったら、近くの田んぼで最近まで稲刈りの後ははせがけで稲を天日干ししていたのだが、近頃はコンバインで刈り取るので、天日干しをやめてしまったのだと言う。そんなわけで、「もしはせがけをしていた時の写真があったらいただきたいんだけど」とお願いしてきたのである。

 葉タマネギをいただいたこともあり、「ちょうど天日干しをしている写真があるかどうかわかりませんが、家に帰ったら今まで撮った写真の中にあるかどうか探してみます」と返事をしてその場を離れた。

 家に帰り、早速パソコン内の写真データを調べてみると、目的の田んぼでも田植えの時のや黄金色に稲穂を垂れた写真はあるが、なかなか天日干しの写真が見つからない。あっても、別の田んぼだったりする。数年前までさかのぼることで、とりあえず4枚の天日干し写真が見つかった。

 写真の出来不出来でいうとなにとも言えないが、向こうは天日干しをしていた時の写真が欲しいだけだろうから、とりあえず見つかったほどは持って行ってあげようと考えている。
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小学校のアナグマ

2025-04-19 11:00:02 | 福島
 朝6時、いつものようにテオを連れて散歩に出た。途中、ケンくんちの前でちょうど散歩から帰って来たのに遭遇し、おしゃべりをする。道草を食ったので先を急ぐと、小学校のグラウンドの脇を通りかかったとき、突然タミちゃんが声をあげた。

「あれなんだろう。アリクイみたいな顔してるけど」
「アリクイがこんなところにいるわけないじゃないか」と応え、指差す方角を見てみると、茶色い物体がゴソゴソと移動していた。



 なんだろう。あの色の感じから言ってタヌキだろうな。アリクイでないことだけは確かだ。

 タヌキらしき生き物は、こちらの存在に気づかないのか、ゆっくりと近づいて来る。テオは気づかないのか吠える気配もなく、気づいているのは僕とタミちゃんだけだ。案外人間の方が敏感なのかもしれないと、観察を続ける。



 それにしても、タヌキにしては顔の感じが違う気がする。

「あれはタヌキじゃなくて、アナグマじゃないかな」と言うと、タミちゃんは
「今までアナグマなんて見たことないよ」と言う。
「意外と人里近くにいるんだよ」

 僕は以前湯布院の低山を散歩がてら登ったら、下山途中に開けたところでアナグマに遭遇したことがある。その時はかなり近い距離で目撃したが、アナグマは逃げることなく、空に腹を向けて日向ぼっこを始めた。その時は、たっぷり写真を撮ることができたので、家に帰り図鑑でアナグマだと確認したのだった。



 早速、タミちゃんがスマホでアナグマの画像を検索する。「あっ、間違いなくアナグマだ」
 アナグマは、こちら側に出てこようとしたのかネットの下を掘り始めたが、ようやく我々の存在に気づくと、びっくりするでもなくゴソゴソと向こうへ行ってしまった。
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里は花盛り

2025-04-18 11:09:25 | 福島
 桜ばかりでなく、いろんな花が一斉に咲き始めたので、散歩をしていても気分が盛り上がる。裸の木ばかりだった雑木林も、ちらほらと淡い緑の葉っぱが出てきているので、日増しに賑やかさを増しているのだ。



 桜に似ているが、白い花を咲かせているのがおそらくスモモだろう。毎年スモモの花が咲いたと思い調べていないが、おそらく間違ってはいないだろう。

 桃の花も濃いピンクの花を咲かせているし、山桜も赤い葉っぱとともに咲いている。



 この辺は滝桜の子孫があちこちに植えられているせいか、シダレザクラが多い。溜池のほとりにあるシダレザクラを写真に撮っていたら、足元で何やら動く影があった。



 注意して見てみると、草むらをかるがものカップルがそっと見つからないように移動していた。カモの種類はいろいろあるが、嘴の先端が黄色いのがカルガモなので、すぐにわかる。

 散歩していて庭先や道端でレモン色の花を咲かせているがレンギョウだが、これからの季節、目にするようになるのがヤマブキだ。同じように黄色い花だがもっと濃い色で、名前の通り山吹色をしている。



 ヤマブキが咲き始めると、つい口をついて出るのが「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」だ。これは若き日の太田道灌が、急に雨に降られたために村の娘に蓑を貸してほしいと頼んだところ、山吹を差し出され、「何だこの娘は」と訝ったという話で有名だ。山吹は花は咲かせるが実はつけないと言われていて、娘は我が家は貧しくお貸しするような蓑もありません、と暗に答えていたのである。太田道灌はその後、自分の学のなさを恥じて勉学に励んだという。



 そうやってぐるっと歩いて来ると、最後は舞木駅に差し掛かる。ここは毎年ライトアップをして桜祭りをやっているのだ。そろそろソメイヨシノは散り始める頃だろう。
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初夏の気配

2025-04-17 11:20:20 | ランニング
 昨日まで冷たい雨が降り続き、せっかく満開になったソメイヨシノもさっぱりだ。おまけに散歩の途中で雹まで降ってきて、寒いのなんの。とてもゆっくりお花見をしているどころではないのだ。

 ところが今日は夏日予報だ。一気に10度近く気温が上がるというので、チャンスを逃さないように予定を繰り上げランニングに出ることにした。途中で暑くなるだろうから、ウインドブレーカーも必要ないだろう。

 ソメイヨシノは満開を迎えたが、山桜はこれからだ。桜は日本の花だとはよく言われているが、ソメイヨシノだとちょっとイメージが違う。「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花」(本居宣長)と歌われたように、日本の花は桜だが、その桜は山桜でないといけない。



 山桜の可憐さは、何と言っても葉っぱと花のコラボレーションの美しさだ。エンジ色の葉っぱと花の淡い色の組み合わせは、いかにも日本的な繊細で奥ゆかしい彩りなのである。普通に見て、ソメイヨシノの柄の着物よりも、山桜の着物の柄の方が上品に思えるのは僕だけだろうか。

 田んぼはあちこちで耕運機が田おこしを始めている。昨日までの雨で、田んぼはすっかり水浸しだ。そんな田んぼから、今日はカエルの鳴き声が一斉に聞こえてくる。田んぼの脇の道路を走りながら、カエルの大合唱を聞くのは夏が来たようで楽しい。

 田んぼの土手には今は菜の花が満開になっている。青い空を切り裂くように、小さなツバメが飛び回っている。



 久しぶりの快晴の下、20キロを2時間かけて走ったが、いつもより軽い気持ちで楽々と走れたのであった。
 
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世界の見え方

2025-04-16 11:03:35 | 日記
 普段は何の活動もしていない三春美術協会なので、たまにはお花見でもしようかという話になった。というわけで昨日は昼食会へと出かけたのだが、あいにくの荒れた天気に、この時期滝桜目当てに観光客が増える三春の中心街はひっそりしていた。



 用意された弁当を食べながら世間話をしていると、誰ともなく絵の題材が見つからないという話になった。絵を描く人間にとって、モチーフの問題というのは結構大きく、これが見つからないと真っ白いキャンバスはいつまでも真っ白いキャンバスなのである。



 で、とりあえず肖像を描いているとか、今度どこそこへ旅行に行ってみるとか、モチーフ探しについて話をしているうちに、絵を描くとはなんだろうということに関して、ふとある考えが頭をよぎった。それは、絵を描くとは、その人がどう世界を見ているかではないだろうか。あるいはその人の目にどう世界が見えているか、というそのことが絵のモチーフなのではないだろうかということだ。



 とりとめのない考えなので、その場で話を披露することはしなかったが、家に帰ってきてもその考えが頭を離れない。

 裸婦ばかり描く人もいれば、きれいな花ばかり描く人もいる。ノスタルジックな風景を描く人もいれば、ドロドロとした人間の醜い部分を描こうと努力する人もいる。が、簡単に考えるなら、その人の目に映る世界とは、そういう世界とは言えないだろうか。あるいは、そういうふうに世界を見たがっているということではないだろうか。



 そんなことを考えるでもなくぼんやり考えていると、これは絵を描くということだけでなく、その人の目に映る世界がどういうものかというのが、人それぞれ全然違うものだというふうにも思えてきてしまうのである。例えば、ニュースでは毎日のように野菜の価格が上がっただの下がっただの報道する、株価の上下を逐一流す。そういうニュースばかりということは、ニュースを作る人たち、ニュースを見る人たちの目には、この世界は経済第一で動いていると映っているからなのだろう。戦火にあるウクライナでは、こういったニュースはほぼ流れないだろう。

 桜が咲けば、どんなに人が詰めかけてようがそこに足を運ぶ人がいるというのは、その人の目には大勢の花見客と一緒に眺めるのが、満開の桜の姿だと映っているのだろう。



 僕の目には、足元でたくさん花をつけているタネツケバナや、空を飛ぶツバメの姿が気になって仕方がない。世界とはそういうものだと思い見ているし、もっともっと奥深くまでそういった世界を眺めていたいと、僕は切に願っているのである。
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ブログの引っ越しを考えながら

2025-04-15 08:58:41 | 日記
 gooブログのサービスの終了のニュースにビックリしたものの、さてこれからどうしたものかと冷静になった結果、とりあえずほかのブログのサービスに引っ越しをしようかなと考えている。というのも、新しくブログを始めるにはどうしたからいいかを検討するのに、ネットで「ブログ 引っ越し」と検索してみたら、すでにgooブログの終了の発表に合わせて、ここぞとばかりにユーザーの乗り換えを勧めるブログが多数あるのがわかったからだ。

 但し、gooブログを運営していたNTTが撤退するということは、ブログというジャンル自体の衰退が激しいということを意味している。仮に新しいブログのサービスを受けるとしても、ジャンル自体の衰退ということになれば、いずれ新しいブログに移っても、そこも早いうちに終了してしまう可能性は高い。

 とはいうものの、ブログ自体がなくなるのが、数年後なのか数十年後なのか、というのはわからない。今できる最善策は早いうちに新しいブログのサービスに引っ越しを済ませ、現在利用しているgooブログで引っ越し先を通知することだろう。

 ホームページのような大掛かりなものから、簡易なブログへと流行が移り、今度はもっと簡単に利用できるTwitterやFacebookへと世間は移行した。動画サービスもYouTubeからもっと簡易なインスタやTikTokへと利用者は移動して行く。こうした傾向は「時代の流れだよ」と言えるかもしれないが、よくよく考えると技術の進化というよりも、目先の変化にすぎないように感じる。

 これはちょうどナタデココが流行したり、タピオカミルクティーが一斉を風靡したりするのに、似ているように見える。日本料理店が中華料理店に変わるのは大変だが、ナタデココやタピオカのスイーツを売る店は、簡単に出したり閉店したりできる。おそらくそうしたお店を出す人は、流行している間にどれだけ儲かるかを考えているに違いない。そのサイクルは短くても構わない。とにかく爆発的に売れることが大事なのである。

 ブログの引っ越しを検索していたら、コロナの期間に需要の多かったネット回線を利用してウェブ会議ができるスカイプがサービスを終了させたという記事が出ていた。おそらくコロナ終了により需要が減ったためだろう。同じようにコロナ期間中に爆発的に業績を伸ばしたキャンプ用品などを扱うアウトドアメーカーが、軒並み業績が悪化している。「時代の流れだよ」というのは間違いではないかもしれないが、歴史的に見れば社会の揺らぎ程度のものなのかもしれない。

 そう考えなければ、トランプ大統領がクシャミをすれば株価が変動するのも、時代の流れということになってしまうのである。
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サービスの終焉

2025-04-14 11:31:08 | 日記
 ブログを書こうとページを開くと、「gooブログのサービス終了のお知らせ」が表示されているではないか。終わる時期は今年の11月18日だという。このブログを開設する前は、ホームページを自分で作ってせっせと書き込んでいたが、そのうちホームページ自体が人気がなくなったのか、無料だったのが有料のサービスになったのを機会に、このブログに移行した。

 が、ブログもそろそろ人気がなくなってきたのか、サービスを終了するというので、また別の手段を考えなくてはならない。大体、最近は長文を読むことが苦手という人も多いし、書く文章はほぼおしゃべりの延長だから、短いセンテンスでしかない。明治時代にそれまで話し言葉と書き言葉が別々だったものを、小説家なんかが言文一致運動を始めた。「話すように書きたい」というのが目標だったが、中には芥川龍之介のように「書くように話したい」という天邪鬼もいたりして、僕なんかは「なるほどなあ」と感心したものだ。

 近頃はもっぱらしゃべるようにしか書かなくなっている。そのせいか文字だけでは伝わりにくくなっているので、絵文字だったり文章の終わりに(笑)なんて説明を入れるのが主流だ。直近では書いてから送信するのではなく、書いている文章が同時進行で相手のスマホに表示されたりするらしく、「だったら最初からしゃべれよ」と僕なんかは苦笑してしまうのである。

 なんでもかんでもスマホやタブレットでという風潮の中、デジタル先進国のフィンランドでは、世界に先駆け教科書は100%デジタルでタブレットやパソコンを使うようにしたところ、子供たちの理解度が落ちてしまったということで、改めて紙の教科書に戻したそうである。

 日本なんかはひと周り遅れているので、これから学校ではタブレットなどの使用がどんどん増えるだろうが、物事を理解するには利便性や効率だけでは測れないものがあるようである。人間は文字を発明した時から、記憶力が低下し続けているという。スマホの登場により、ついに何も記憶しなくてもいい世界を誕生させた。スマホが命の次に大切だという若者が増えるのは仕方がない。なぜなら、手のひらの上に自分の脳みそがあるようなものなのだから。

 さて、ブログの終了後、どういうサービスを使えば今までのようにネットを利用することができるだろうか。その辺のところをこれから半年近くかけて考えなければならなくなったのである。
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小学校の桜

2025-04-13 12:02:08 | 福島
 散歩の途中で小学校の跡地を通ることが多い。里山にあり、昔は周りに家もなく、本当に山の中だったと古くから住む地元の人は言う。平地のない山の中ほどを切り拓き、校庭の一段上に学校が建っていたようで、今ではそこは墓地になり、運動場は広場として使われている。



 新しい小学校はここから下ったところにできたが、運動場の周囲に植えられたソメイヨシノはそのままになっている。昔も今も、小学校と言えばソメイヨシノなのである。



 今でこそソメイヨシノは全国至る所に植えられているので、よほどの名木でもない限り、人間で溢れかえる桜祭りなんかには行く気にはなれない。近所を歩き回るだけでいくらでも満開の桜を堪能することはできるのだが、不思議と小学校の跡地に咲く桜の下で花見をしている人がまったくいなかったりするのが、意外なのである。

 ソメイヨシノは接木でしか育たない。その代わり成長が早く、クローンで増やしたために同じ時期に花を咲かせる。山桜なんかは個体差があって、ソメイヨシノほどには揃って花をつけない。そういうところが花見客を呼ぶのには、ソメイヨシノのほうが楽チンなのだろう。

 今ではあまりに植えられたせいで、桜の中では風情を感じることは少ないが、それでも満開になればやっぱり綺麗である。特に青空の下で見る桜の花は、いつまでも眺めてられる。わざわざ夜にライトアップして見る桜なんてのは、邪道この上ない。色とりどりのライトで照らせば、花の色なんか関係なく、クリスマスのイルミネーションみたいになってしまうだろう。


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