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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

無病息災で

2024-12-31 10:28:06 | 福島
 いよいよ今日で2024年もおしまい。今年の我が家の十大ニュースは何?と考えたが、やはり一番は誰も病気にならず大きなケガもせず、平穏な暮らしができたことが何よりだったんじゃないかと思う。来年もそうあれば、それ以上に願うことはないのである。

 昨日の夕方の散歩は、テオを連れて白鳥を見に行った。距離としてはいつもと同じくらいだが、方向がまるっきりの逆方向になり、里山を離れ阿武隈川近くまで歩く。



 遮るものがないので、風が強い日は歩く気になれないが、幸い風もなく穏やかな午後だ。



 安達太良山には雪がたっぷりと乗っかり、少しだけ丸みを帯びて太っている。山も太ったり痩せたりするのが面白い。



 いつもは河原まで行かないと白鳥はいないのだが、この日は珍しく田んぼに群れが来ていた。



 すぐ近くまで近寄れたのは、親鳥2羽と黒っぽい子供の白鳥4羽のおそらく家族だろう。カメラを構えるとゆっくりと遠ざかっていくので、写真を撮るのは早々にやめてその場を後にする。家族水いらずを邪魔しちゃ悪いのだ。



 テオは滅多に見ることがない大型の野鳥に、興味津々のご様子。

 ということで、日付変わって今日は大晦日。裏の空き地で珍しい鳴き声がすると思い出てみると、朝からメジロのカップルが来ていた。すっかり熟した渋柿の実を啄みに来たようだ。





 今年も終わりなので、あいさつに来てくれたのだろうか。

 アベ家の大晦日恒例の行事は、たっぷりのおでんを作ることである。これでお正月を乗り切る。あとは玉ねぎのかき揚げを作っておき、年越しには天ぷらそばを食べようと思う。タミちゃんは紅白なますと伊達巻を作ると言い、朝一番で買い物に出かけた。

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デジタル認知症

2024-12-30 11:46:17 | 日記
 年末年始になると、テレビ局やタレントも休みを取るためか、早いうちに撮り溜めた特番や終わったドラマの総集編ばかりになる。そのことは仕方がないとしても、それが大して面白くないとなると、見せられている側としてはものすごく時間がもったいない気になってしまう。だったらネットで映画やドラマでも見ようかとも思うが、一日中映画やドラマを観るというのも、それはそれで疲れてしまうのである。

 というわけで、年末年始用にネットで本を注文した。お正月が賑やかなのはいいが、静かに心を落ち着けて過ごすのもまた一興かとも思う。じっくりと活字と向き合い、時間がゆっくりと流れる感覚を味わうのもいいものである。

 最近はテレビを見ていても、すでにネットで流れた映像をテレビで流すことが多くなり、テレビ業界の斜陽を感じる。番組の合間に流れるコマーシャルも、ほとんどが年配の人向けのCMばかりで、若い人がそれだけテレビを見ていないんだろうなと想像できる。

 日本では毎年年末になると、流行語大賞みたいなことをやっているが、イギリスではオックスフォード大学がその年を象徴する言葉を選んでいる。過去には「自撮り」や「数独」が選ばれているという。2024年の言葉に選ばれたのは「brain rot(脳腐れ、或いは脳疲れ)」であった。なぜ脳が腐ったり疲れたりしているのかというと、些末で頭を使わなくていいコンテンツの過剰消費の結果、精神状態や知性が劣化したと思われる現象のことだという。あまり考えなくていいような動画などを次から次へと視聴していく習慣により、なんとなく脳には悪いなと感じる人は多いだろうが、それが研究結果として証明されたというのである。

 イギリスの有名大学や研究機関で、インターネットの影響で脳の灰白質が縮み、集中力の持続時間が短くなって記憶力が低下し、認知プロセスに歪みが出てくるエビデンスが見つかった。最近は、歌では前奏があるものが敬遠され、ドラマは倍速で視聴するという習慣が生まれているというが、おそらく集中力の持続時間の短縮、記憶力の低下といった悪影響が現れているのだろう。

 さらに深刻なのは、脳が成長過程にある若年層にとっては、テクノロジーの使用過多による認知症のリスクまで出てきているという。こういう話を聞くと、AIが人間の仕事を奪うというようなことの前に、人間がすでに人間であることを放棄しようとしているとも思えるのである。

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年納め、来年の計画

2024-12-29 11:02:44 | 日記
 天気予報では午後から雪になり、もしかしたら明日の朝は雪で道路がツルツルになっているかもしれない。そうなるとランニングに出ることができなくなるだろうから、雪が降り始める前に走ってくるのが一番と、朝食後は着替えてランニングに出た。中四日で走っているので、今日走ればおそらく今年の走り納めになるだろう。

 スタートしたときには風もなく穏やかに晴れていたが、1時間ほど走ったところで急に冷たい風が吹き始めた。山の方を見るとすでに雪雲に隠れ、すぐそこまで雪が降っているのがわかる。走り納めでたっぷり走りたいところだが、早めに切り上げると、家に帰るなりどんどん雪が降り始めた。

 去年までは週一で走っていたが、今年はなるべく中四日を守って走ったことで、少しだけ階段を上がった気がしている。とにかく今がどうこうではなく、やっていればきっと未来は開けるだろうと考えるようにして毎日を暮らすようにしているので、最近は日々忙しくしている。

 絵、ランニング、習字、ギターとやることを増やし続けているが、この秋電子ピアノをもらったので、来年はピアノの練習にも身を入れようと考えている。そこで中古の楽譜をネットで購入した。買ったのはエリック・サティの楽譜である。知らない人はYoutubeで検索するとどんな曲だかわかるだろう。そのくらい有名な曲である。

 練習を始めたのは楽譜の中の「ジムノペディ1番」と「グノシエンヌ1番」だ。





 楽譜を見れば音符がちょっとしかない。音楽を聞いても、アップテンポではないので指が動かないということはない。楽譜を見ながら弾くことはできないので、とにかく楽譜を丸暗記だ。すぐに読めない音符には全部カタカナで「ド」とか「レ」とか書き込んだ。ピアノが弾ける人からすると恥ずかしいかもしれないが、素人には銭腹は変えられないのだ。

 ピアノを練習していると、音に反応してアンが寄ってくる。聞きなれない音に興味津々だ。



 来年は練習して、聴き惚れるような演奏を披露してあげるから、もう少し待っておくれ。
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道の途中

2024-12-28 11:30:36 | 日記
 大掃除を済ませ、餅つきをし、年賀状もとりあえず出した。年末年始にグダグダするための日本酒が足りなさそうなのでスーパーに買いに行くと、カゴいっぱいに食品を乗せてレンジに並んでいる。プリンターのインクも予備を買っておこうとホームセンターに寄ると、しめ縄やら大量にカゴに乗せてレジに並んでいる。そうか、世間は今日から正月休みに入るんだったなと気がつく。これからお掃除をしたり、飾りつけをしたりと忙しいのを横目に、我が家はすでにお正月気分を満喫しているのである。

 買い物から帰ると習字の練習だ。昔の人が書いたものが読めたらいいなとふと思い立ち、習字を始めたのが3年前の年末だった。タミちゃんに言って習字道具を少し分けてもらい、横棒と縦棒から始めた。年明けの書き初めも、まだ文字を書く段階まで行っておらず、右払い、左払いと文字の部品ばかりを書いていた。

 それからはなるべく休まず続けるようにし、毎日少しずつでも書いてほぼ3年が経過した。で、今日書いたのは「百人一首」の3番目に登場する柿本人麻呂の歌である。まだまだ道の途中だが、3年前に比べるとずいぶん進んで来た気はしている。



 書いてあるのは、「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」である。意味がなんとなくしかわからないので解説を読んでみると、「あしびきの」は次の山鳥の「山」に掛かる枕詞で、「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」が次の「長々し」に掛かる序詞だそうだ。つまり最初の五七五の部分は、ただ「ながながし」と言いたいためにくっつけた余分な部分である。例えるなら、会社で手紙を出すときに「貴社、ご清祥のこととお慶び申し上げます」みたいな意味のないことで、本件はその後の「さて」からが大事なのだ。

 で、結局意味は、「長い夜をひとりで寝てまっせ」と、隣に恋人がいないことを嘆いているのだ。昔の人はめめしかったのだなあと思うが、実はこのめめしさこそ「大和心」とか「大和魂」と呼ばれているものである。

 大昔、日本人は話しはしていたものの、それを書き留める文字を持っていなかった。中国から漢字が入ってくると、最初は漢文を書いていたがそれでは物足りなくなり、漢字の音だけを使って日本語を書き留めるようになった。それが次第に崩れていって変体仮名というものになり、今のひらがなが生まれてくるわけである。

 それまで漢文しか書けなかった日本人は、天下国家を論じたり吟じたりしかできなかったが、変体仮名の発明により、個人の心のうちを表現できるようになったのである。めめしいを書ける喜びというものが生まれたのであった。
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まずは身の周りから

2024-12-27 10:07:50 | 日記
 天気がいいうちに散歩をしようと家を出ても、最近は途中で小雪が舞ったりして冷え込みが激しく、長い散歩もなかなか楽しめない。雑木林を歩いても、木々はすっかり葉っぱを落とし寂しい限りだ。いよいよ年の瀬が迫っているなあと、早足で散歩する日々である。





 年の瀬も押し迫り、来年の区の副区長が決まらずにいるので会議を開くことになった。一旦引き受けてもらっていたことになっていたが、本人がそんな約束をした覚えがないと断ったというのである。お互い口約束しかしていないので、どこかですれ違いがあったのだろう。誰しもが、自分の都合のいいように理解しているので、そんなことになってしまうのである。

 で、慌てて区民の中から副区長を選ぶというので、候補者リストが会議で配られた。見ると現在の区長を最年長に、60歳を下限にして数十人の名前があがっている。が、リストを見るなり、僕は思わず意見してしまった。「ここにあがっているのは全員男じゃないですか。区の役員というのは女人禁制ですか」と。

 もちろんそんなわけはないのだが、知らず知らず役員のような地位は年配の男性の役目だと頭から思い込んでいるところがいただけない。おそらくイメージとして、昔話に出てくるような白い髭を生やした長老みたいなのが脳みそに刻み込まれているのだろう。



「イベントやボランティアに参加すると、大体企画運営しているのは若い人か女性が中心ですよ。オッサンというのは仕事を離れてのつながりが薄いし、何かを企画して楽しむという習慣がないから、これからの地区をどう変えて行くかというような話し合いには不向きなんじゃないですか。定年退職するまで職場での付き合いしかない人間に、退職後は地区の人と繋がれと言っても、知らない人ばかりじゃないですか」

「そうだよな、近所にどんな人が住んでるかも知らないのだから、役員候補を推薦する以前の話だよな。国会議員がオッサンばかりで代わり映えがしないなんて言う前に、まずは一番身近なところが旧態依然のままじゃ、改革だの偉そうなことは言えないな」



 政治家の研修旅行だの消防団の集まりだの、地区の集会だの言っても、集めたお金で飲み会を開くのが関の山なのは、結局はあまりにメンバーに多様性がないからに違いない。アイデアはなるべくタイプの違う人間が集まった方がたくさん出てくるし、その集まりも活性化する。日本社会が硬直化しているとよく言われるが、身の周りを見ると、なかなか変われそうにはないのである。


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1番、「秋の田の」

2024-12-26 12:28:59 | 日記
 ネットで注文した習字のお手本、「書道 小倉百人一首」が届いたので、早速練習を始める。習字を始めてほぼ3年、少しは前に進んでいるんだろうが、いまだ読み書きができているとは到底言えないというのが現状だ。道は長く続いて行くのである。

 百人一首といえば、カルタ取りで上の句を読み、下句を取る(やったことがないので多分そんなルールだろうと勝手に思っている)。頼んだお手本には、頭に「小倉」とついているから何かと思ったら、「武家百人一首」だの「女房百人一首」だの「新百人一首」だの、いろいろとバリエーションが世に出たので、それと区別するために、編纂された場所の「小倉」が頭についているそうだ。

 とにかく一番目にある和歌から始めたわけだが、まずは「天智天皇」の登場である。「てんち」と読んでいたら、ふりがなで「てんぢ」とある。あら、間違って覚えていた。百人一首は時代順に並んでいるというから、天智天皇が一番古い時代だということになる。天智天皇と言われてもピンと来ないが、大化の改新を中臣鎌足と行った中大兄皇子のことだと言えば、ああ学校で習ったぞ、となる。中大兄皇子は、聖徳太子の子孫を滅ぼし権力を我が物にしようとした蘇我氏を打つ革命を行った。これが大化の改新で、天皇になると功績のあった中臣鎌足に「藤原」姓を与え、藤原鎌足となった。これが藤原家の初代だ。その後、藤原道長の時代に権力の頂点に立ったことは、NHK大河ドラマ「光る君へ」で描かれている。

 天智天皇の歌は、「秋の田のかりほの庵(いほ)の苫(とま)をあらみ わが衣手は露に濡れつつ」である。苫というのは植物のことでこれで簡単な仮小屋を作り、収穫時期のお米を獣から守ろうと番をしていた。意味は、そんな粗末な小屋で寝泊まりしたら露に濡れてしまうよ、ということである。これを天皇の歌とすることで、それほど庶民のことを思っていたのだということになるが、実際に詠んだかどうだかわからないようだ。

 2番は天智天皇の娘で、のちに女性天皇になった持統天皇である。持統天皇は実の親である天智天皇の弟で、自分にとっては叔父になる大海人皇子と結婚したとなっているが、どうやら本当のことかどうかわからない。というのも、弟といいながら大海人皇子は兄より年上なのだ。おまけに大海人皇子は天武天皇となるが、天武天皇系の天皇は何代か続いた後に再び天智天皇系に戻ると、天武系は天皇家系列のお墓からは外されたのである。

 深読みするなら、天武天皇は天智天皇と血のつながりはなく、そのため万世一系(ずっと血がつながっている)の天皇としての前提が崩れるために、歴史書の中で天智天皇の弟にされたのではないかという。それだったら天智天皇の娘と結婚することも、天武系が現在まで無視されているのも理屈が通るのである。

 ちなみに持統天皇の歌は「春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山」だ。これも四季が順調に巡っているのは、天皇の治世がうまく行っていることを示している、ということになるらしい。
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カメラも復活

2024-12-25 11:05:21 | 日記
 今日はクリスマスで、キリストの誕生を祝うということになっているらしいが、イエスがいつ生まれたのかはわからないため、なんとなくこの辺で、ということなのだろう。一番考えられるのは、一年で一番日の短い冬至の頃をクリスマスとし、これから春が近づくという気分とイエスの誕生を重ね合わせたのだろう。

 それにしても、そもそも中東の砂漠地帯で生まれたキリスト教なのに、サンタクロースが分厚い服を着て、トナカイにソリを引かせるのが本当にキリスト教と関係があるのか疑わしい。仏教が霊魂の存在は認めていないにも関わらず、日本の仏教はご先祖の霊魂が帰って来るなんてことになっているが、それと同じように、時代や国の違いで別物になって行くのである。

 ネットで注文したものの、配達予定を丸一日過ぎてもやって来なかった荷物が、ようやく届いた。「遅くなりまして」と配達員は頭を下げたが、配達員のせいでないのはわかっているので、文句を言う筋合いもない。とにかく、手元に届いただけで満足なのである。

 習字のお手本はさておき、一眼レフのクリーニングキットを早速広げ、カメラの掃除に取りかかる。うまく行けば20万円したカメラを買い替えずに済むのだ。気合が入るぞ。

 今まではレンズやファインダーといった場所を掃除していたが、今回はセンサー部分の掃除である。繊細なだけに傷をつけるわけには行かない。この部分を掃除してダメなら、おそらくレンズ内にカビが生えていて、あとは僕では手の施しようがない。クリーニングは何やら液を染み込ませた布がスティックに取り付けてあり、それでそっとセンサー部分のゴミを拭き取る。20本入っていたので、3本を使って丁寧に掃除をし、ついでにレンズやファインダーももう一度クリーニングする。

 と、どうだろう。あれだけゴミだらけだった写真から、ほぼゴミらしきものがなくなり、鮮明なものになっているではないか。これには興奮した。



 早速、寒風吹く中、カメラをぶら下げテオの散歩に出る。標準で撮ったり望遠で撮ったりして、さまざまなシチュエーションを試す。画像を確認するのは家に帰ってからなので、とりあえずパチパチとたくさん撮っておく必要があるのだ。









 家に帰ると、すぐにパソコンにデータを取り込み確認する。拡大すると、ふたつ三つと小さなゴミが確認できるが、ぱっと見は気がつかない程度である。ここまで復活すれば十分だ。まだクリーニングキットには掃除するスティックが残っているので、もう一度掃除すれば完璧に近くなるに違いない。なんでも諦めずに、とりあえずやってみることが大切なんですね、神様。

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首が長くなる

2024-12-24 11:24:58 | 日記
 昨日の午前中に届くはずだった習字のお手本と、一眼レフのクリーニングキットがまだ届かない。荷物を追跡できるようになっているので、そちらを確認すると配達中とある。まるっと一日遅れだが、今日には届くのだろうか。

 アマゾンで頼んだ際、お急ぎ便では配送業者が大変だろうからと思い、普通便にした。それでもまだ早いから、日時の指定をしてさらに1日配達してもらう期日を延ばした。これで余裕だろうと思っていたら、なんのことはない、さらに1日遅れてまだ届かない状況だ。こんなことならお急ぎ便で、さっさと受け取ったほうが良かったか。

 というのも、ネットで荷物の追跡をしてみると、配達日時を遅らせて配送業者にゆとりを持たせようと思って指定した期日が、実はそれに合わせてアマゾンのほうの発送を遅らせれているだけで、配送業者は関係ないではないか。それでは意味がないのだ。

 福島からアマゾンに発送をお願いすると、どうやら倉庫は神奈川県厚木市にあるらしい。そこから小田原の業者に渡り、福島県田村市までやって来て、やっと我が家への配達となる。今回の遅れは、もしかしたら日本海側の大雪が影響したのかと想像してみたりしたが、神奈川県から東京経由で福島に来るとすれば、クリスマス寒波の影響は考えられない。荷物を追跡するサイトの情報では、確かに石川県、新潟県あたりの北陸で遅配が起きているみたいだが、まさか神奈川から日本海回りで福島に荷物がやってくることはないだろう。もしかして、そのまさかなのか。

 というようなわけで、今日から新しいお手本で習字をしようと考えていたのに、仕方がないから以前使った「奥の細道」を引っ張り出し、練習した。なんだかんだで、結局本当にクリスマスプレゼントになりそうだが、手元に届くまでは、本当に届くのかまだまだ半信半疑なアベさんなのである。このままだと、人間からキリンに進化しちゃうぞ。
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自分用のプレゼント

2024-12-23 12:03:00 | 福島
 朝起きてまずファンヒーターのスイッチを入れる。電源が入ると同時に、室内の温度が表示されるが、今朝は4度だった。う〜ん、外と変わらんじゃないか。九州だったら冬の最低気温がそのくらいだぞ。室温が4度なんて外で寝ているようなもんだ。

 もっともこれくらいでは本当に寒いとは言えない。冷え込みが厳しい朝なんて、テオとアンの飲み水を入れた容器に薄氷が張っていたりする。こうなると本気で外で寝ているのと変わらなくなってしまうのである。

 とはいえ、どんなに寒くったって夜が明ければテオを連れて早朝の散歩に出なければならない。昨日は寒波の影響で、激しく寒風吹き荒ぶ中、雪まみれになって散歩をした。今朝は雪がない分少しはマシだったが、風は相変わらず強く、あっという間に全身が凍りついてしまうのである。

 このところ中4日で走っているので、昨日は予定ではランニングに出るはずだったが、道路が凍っているところもあるので、用心のため一日延期した。今日は風がおさまれば走るつもりでいたが、相変わらず激しく風が吹いている。これじゃあ走っても、ちっとも前に進まないのだ。ここまで風が強いと、走っても全然体が暖まらないのである。

 仕方がないので、予定を変更して午前中は習字に集中する。ずっと書き続けていた「徒然草」のお手本は今日でおしまい。今日中にネットで頼んでおいた「百人一首」のお手本が届く。最近は古典を読む方法として、習字をすると頭に入ることがわかっているので、少しずつでも古典のお手本を増やしていきたい。

 ネットで注文したついでに、一眼レフのクリーニングキットも頼んでおいた。20年使い続けているカメラも、最近は画面にゴミが付着し、キレイな写真が撮れなくなっているので、カメラを持って歩くことが少なくなった。知人からは「それはカビだと思う」と言われていたので、ダメでもともとだとメガネレンズ用の布で拭きまくったら、かえって小さなゴミがたくさんついた。

 ゴミがつくということは、もしかしたら無くせるかもしれないということだ。そこでちゃんとしたクリーニングキットで徹底的にカメラの中を掃除し、それでダメだったら諦めようと考えたのだ。

 そんなことで、今年の自分へのクリスマスプレゼントは、「百人一首」と「クリーニングキット」にしたので、楽しみに届くのを待っている。
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一番短い日

2024-12-22 11:45:31 | 福島
 今日は冬至で、1年で一番昼が短い日だ。ということは明日からはだんだん昼が長くなるということなので、ようやくつらい散歩から徐々に解放されるのでうれしい。

 福島の日没は早く、九州と比べると1時間くらいは違うだろう。午後4時になると早くも日が傾き、暗くなってくる。4時半となると車はヘッドライトを点燈する。お日様が出ている間はポカポカ陽気でも、日がかげると途端に寒くなり、気持ちまで寒々しくなってきて、散歩をしている足も自然と早くなってしまうのである。



 テオの首輪を新調したついでに、テオのハーネスとリードも洗いピカピカにした。



 昼間の時間が短いので、窓ガラスを拭いたり掃除をしたりするのも、お昼の暖かいうちにやっておく。



 高い棚の上だのエアコンだの電灯だのもきれいに拭き上げ、大掃除も済ませる。



 餅つきもしたし大掃除もした。テオとアンにクリスマスプレゼントもしたし、年賀状の図案も完成した。あとやっておくことは、年末年始の食料の買い出しくらいだ。我が家では大みそかには大量のおでんを作っておき、正月の間は食っちゃ寝できる体制を整える。

 そうやって過ごすうちに歳を越すと、目に見えて昼間の時間が長くなっているのを感じるようになるのである。冬至と夏至で日没が2時間違うとすれば、3か月で1時間ということになるので、ひと月だと20分、1日だと40秒ずつ日が長くなる計算になる。この速度なら、冬至から2週間もすれば、日が長くなるのを感じるのは当然かもしれない。
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