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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

散歩は近所を

2025-03-31 11:03:12 | 福島
 絵の題材のヒントが見つからないかなと、以前撮った写真を遡って眺めていた。すると、2021年の時には4月1日には我が家の裏の空き地の桜や紫木蓮が見事に咲いている写真があった。温暖化で季節が前倒しになっていると思っているが、今年はいまだ桜もモクレンもまだまだ咲きそうにない。あれ、咲いていないのは我が家の裏の木だけかな。もしかしたら近所では咲いているのかもしれないな。と思い、普段以上に注意して散歩した。



 梅は今が満開である。つい1週間ほど前から咲き始めたが、日毎に次々に咲き、今はどこを向いても梅の花が満開である。歩いていると、フワッと梅の香りが漂ってきて、匂いのある花はいいなあと思う。匂いで花を感じるのは、梅と金木犀くらいかもしれないな。



 梅の花も白や赤、ピンクもあり、遠くから見るといろんな種類の花が咲いているように見えて楽しい。花が終わると、次は梅の実が楽しみになり、梅の実が手に入ったら梅干しやら梅酒やらを作りたいと思う。

 我が家の裏の紫木蓮はまだ蕾だが、ある家の庭先の紫木蓮は咲き始めていた。



 テレビでやっていたが、モクレンの花は日当たりのいい南側の成長が早いため、花の先端は北を向く。従って方位を知らせる花という別名を持っているらしい。

 キクザキイチゲやカタクリの花の写真を撮ろうと足元を見て歩いていたら、いつの間にやらあちこちから大量のツクシが顔を出していた。我が家のテオ同様、近所の家では近くの愛護センターから引き取られた犬が飼われているが、その犬はツクシが大好物で、パクパク食べるのに忙しく、ちっとも歩いてくれないと飼い主さんが嘆いていた。秋には木から落ちた柿を食べたりして、人間のような味覚の犬なのである。



 ぶらぶら1時間ほど歩き回ったが、山桜もソメイヨシノも蕾はまだ固かった。

 散歩を終えてテレビを見ていたら、東京での桜に狂乱する様子が流れていた。ソメイヨシノを見に、駅の改札制限が行われ、花見客がびっしりと桜の下を占拠している。ソメイヨシノなんてわざわざ出かけなくったって、小学校の校庭やらその辺の児童公園にも植えられていて、珍しい桜ではない。彼らは一体何を見に行くのだろうと不思議な気持ちになる。

 三春町には日本三代桜のひとつでもある「三春の滝桜」があり、品種はベニヒガンザクラだ。何度か足を運んだが、最近はあまりの観光客の数に足が遠のいている。滝桜の子供たちが街の至る所に植えられているので、わざわざ滝桜まで行かなくても、同じ桜はあちこちで見ることができる。花見はやはり、厳かな気持ちで静かに鑑賞したいものである。
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よもぎ餅を作ろう

2025-03-30 10:27:51 | 福島
 俳句の季語に「若菜摘み」というのがある。意味は「1月7日の7種の菜を摘むこと。古くから正月はじめての子の日に若菜を摘む習慣があったが、後に7種に合わせて1月6日の行事になった」となっているが、以前見た映画「たそがれ清兵衛」では、フキノトウらしきものを摘んでいるシーンがあって、若菜摘みと言っていたと思うが、春の七草だけが「若菜摘み」だとたいして面白い行事ではない。

「あづさゆみおして春雨今日降りぬ明日さへ降らば若菜摘みてむ」(古今集)や「茜うら帯にはさんで若菜摘」(一茶)みたいな句を見ると、新春というよりも春の行事のほうがイメージが膨らむ。

 フキノトウはすでに天ぷらやフキノトウ味噌を作って食べたので、次はよもぎ餅を作ろうと、散歩の途中で二日かけてよもぎを摘んできた。よもぎのゴミを取り、茹でてアク抜きをし、すり潰し冷凍しておいた。アンコは小豆を買ってきて煮て作った。来年は小豆は種まきからやろうとタミちゃんは言う。

 で、準備ができたので、今日は朝からよもぎ餅作りだ。

 3キロのもち米を機械で蒸す。



 ブザーがなったら、次はよもぎを入れて餅つき開始だ。蒸し終わったもち米が、機械でクルクルと回り始める。ただ回転しているだけなので、ちっともよもぎは混ざらないし、これで餅ができるのかと心配になるが、経験上放っておけば大丈夫なのはわかっている。10分ほど機械に任せた後は、餅の硬さを確認して機械を止める。これは勝手に終わらないので、手動でスイッチを切るしかない。



 蒸している間に、アンコを丸めておく。つきたての餅をパレットに開け、溶岩のように熱々の餅を小さくちぎって丸めていく。アンコを入れて丸めるのはタミちゃんの役めだ。



 たっぷりアンコを用意していたつもりだったが、最終的には半分強がアンコ。残りがアンコなしのよもぎ餅となった。



 完成したよもぎ餅は、少しだけパックに入れて、近所におすそ分けだ。

 丸めている間にも冷めて表面が固くなっているので、「食べる時には少しトースターで炙ってからだと、より美味しいですよ」とコメントしておく。早速我が家でもトースターで炙って試食したが、朝飯後だったこともあり、それで腹いっぱいになってしまった。

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予言の書

2025-03-29 11:04:00 | 日記
 有事の際に、尖閣諸島から住民を九州、山口に避難させる計画があると発表された。有事というのは、中国が台湾へ侵攻することを指している。ロシアがウクライナに侵攻したことを受け、中国と台湾の間で紛争が勃発することはかなりの確率で考えられることだからである。

 避難民十数万人と聞き、少ないなと思っていたら、今後の計画では沖縄本島に住む100万人の避難も考えているというので、納得だ。尖閣諸島だけが戦場になるわけではない。アメリカ軍基地のある沖縄全体が中国の標的になることはわかりきったことなのだから。

 今回の発表を見ていると、さすがに外側からの脅威に対しては対応せざるを得ないというのが日本政府の姿勢だ。が、これが外圧ではなかった場合、実に腰が重いのは変わりない。

 昨日のニュースでは、原発事故が起きた際、自宅にとどまる「屋内退避」の在り方について、原子力規制委員会の検討チームが報告書をまとめたと言っていたが、いまだに原発事故の際の対応は何ひとつ決まっていないのである。

 福島原発事故で直接的な放射線による死亡例はないということになっている。それ以上に、避難したがために環境が変わり、避難先で死亡する人たちがかなりの数に上った。だから、何が何でも避難するのではなく、どうしたらいいかをもう少し細かく検討しておく必要がある。その結果、本当に避難する必要がある人だけが、移動すればいいとなるかもしれない。

 南海トラフ地震の起こる確率が年々上がっていく。津波が来たらどうするか、原発が事故を起こした時にはどうするか、インフラが破壊され物流が途絶えた場合は、よそからの援助を期待することができるのか。そもそも自治体や政府が機能するのか。

 そうしたことすべてはなかなか想定されない。外圧に対してはどうにか対応を考えてみたが、国内で起こる危機に対しては、明言を避ける。昔から日本人は、契約書を作るのが下手くそだと言われ続けてきた。なぜなら、不測の事態に対してどうするかを明記することを避けるからである。その結果、いつでも抜け穴だらけの規則ができあがり、悪事を企てる人間に好きなようにやられてしまう。

 なぜ、不測の事態を想定したがらないか。それは不測の事態を明記した途端に、その書が不測の事態が起こるかもしれないという予言の書になってしまうという恐怖に駆られるからである。起きてほしくないことは、決して口にしない。これが日本人特有の信仰でもある。
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妖精も寝ぼける

2025-03-28 11:31:29 | 福島
 昨日は、気温もグングン上がり、3月とは思えない陽気になった。東北で20度越えというのは、ほぼ初夏の陽気なのである。

 お昼過ぎ、テオが散歩に行こうと騒ぎ出すが、まだまだ冬毛をたっぷり身に纏ったテオにとっては、暑くってたまらないだろう。「もう少し待て」と我慢させる。

 それでも夕方から用事があるので、3時過ぎには家を出た。少し歩いただけでも、冬仕様のままの体では汗ばんでくる。





 福寿草は地面いっぱいに黄色い花を咲かせ、梅の花も日毎に満開になって行く。この分だと桜も1週間もしないうちに咲くだろう。

 いよいよ春本番だなと思いながら歩いていると、足元に白い可憐な花が咲いていた。キクザキイチゲである。これはスプリング・エフェメラルの一種で、例年春を知らせてくれる可愛い花だ。

 ウィキペディアによれば、「スプリング・エフェメラル」とは、「春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花の総称。春植物(はるしょくぶつ)ともいう。直訳すると『春のはかないもの』『春の短い命』というような意味で、『春の妖精』とも呼ばれる」とある。

 また、こんな説明もある。「スプリング・エフェメラルは、虫媒花である。春の早い時期に活動を始める少数の昆虫がその媒介を行う。多くは植物体に比べて大柄な花をつけるのは、それほど数の多くない活動中の昆虫の目を引くためであろう」

 冬の間、葉っぱを落とした林間にたっぷりの日が射すようになると、木々が葉っぱを出して日陰にならないうちに花を咲かせて虫を呼ぶのが、スプリング・エフェメラルの戦略である。ところが今年は冬がなかなか終わらないうちに、突然初夏の陽気になってしまった。そのせいで、春の妖精たちは目覚める時期を逃したようで、桜の花が咲くのと時期を同じくして花を咲かせようとしている。目を覚ました時には、すでに若葉の季節になっているんじゃないだろうかと心配になるのだ。

 キクザキイチゲの花を見かけたので、近くをキョロキョロして歩く。と、スプリング・エフェメラルの代表的な植物でもあるカタクリが、ようやく花を咲かせようとしているのを見つけた。



 まさか、初夏のような気温になるとは思っていなかったのか、慌てて目を覚まし、花を咲かせてしまおうと焦っているように見えるのであった。
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ヒバリの声を聞きながら

2025-03-27 11:17:05 | ランニング
 昨日は一日中、暴風が吹き荒れた。トラックはひっくり返っているわ、屋根は吹っ飛んでるわ、新幹線は止まっているわで、我が家も今にも壊れるんじゃないかというくらい、ガタガタとうるさいほどだった。少しでも風が弱まればランニングに出ようと思っていたが、結局夜まで強風は吹いていたため、家の中でじっと過ごした。

 そんなわけで、今日は風がおさまっているので早速ランニングに出た。今日の最高気温は20度を超えるようなので、ジャージをやめてランニングのタイツと短パンといういでたちだ。上は風が出てきた時用にウインドブレーカーは着て行くことにする。汗をかいたところに風が吹くと、体が冷えやすいからである。最高気温は高くなるとはいえ、午前中はまだまだ寒い。

 暖かくなって嬉しいのは、靴底が冷たくないことである。真冬の間は凍りついたような路面から、しんしんと冷たさが足の裏に伝わり、走りながら足の裏の感覚がなくなっていくほどである。それはちょうど正座をして足が痺れた状態に似ているので、走っている際の着地がなんともおぼつかなくなる。ヘタをするとくねっと捻挫する可能性だってあるのだ。それがなくなるだけでも、暖かいのは嬉しい。

 昨日はテオの散歩でさえ、マスクがないと喉が痛くなるほど黄砂がひどかった。今日は花粉は飛んでいるようだが、黄砂はないようだ。ぼんやりとした春霞が空を覆い、そよそよと風が吹く。久しぶりの気持ちのいいランニング日和にテンションは上がる。

 阿武隈川の土手を走っていると、土おこしが済んだ田んぼの上をヒバリが盛んに鳴きながら飛んでいる。ピーチクパーチク鳴く声を聞くと、春が来たなあと気持ちになる。ウグイスとヒバリが、僕の中では春の訪れを告げる二大野鳥かなと思う。などと考えながら、2時間20キロを走ってきた。

 雲雀より 空にやすらふ 峠哉(芭蕉)

 天に雲雀 人間海に あそぶ日ぞ(一茶)
 
 夕ひばり 鎧の袖を かざしかな(蕪村)

 雲雀たつ 荒野に生ふる 姫ゆりの 何につくとも なき心かな(西行)
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思い出と歴史

2025-03-26 11:14:35 | 日記
 「西行 歌と旅と人生」(寺澤行忠著)を読み終える。ついでにと思い、家の本棚にあった「西行」(高橋英夫著)を取り出し、ペラペラめくっているが、西行さんにまつわるエピソードを思い出す。

 学生の頃、大阪に住んでいた。ある日の夜、先輩から肝試しに行こうと誘われ、みんなで車で出かけたのが弘川寺にある西行さんのお墓だった。真っ暗闇の中、手探りでお墓まで歩き、「怖い怖い」とみんなで騒ぎながら帰ってきたのだが、今思えばなんともったいないことをしたもんだと思い返すことしきりである。西行さんが有名な歌人だということも知らなかったし、そもそもまるっきり興味もなかった。今思えば、せっかく西行さんのお墓まで足を運んだのだから、しっかり手を合わせて来れば良かったなと思うのである。大体、真夜中に行ったので、周囲の景色なんかまるっきり記憶にないのである。

 知識がないということが、どんなにもったいないかを実体験したわけだが、思い出ということに思いを馳せると、不思議な気分になることがある。

 どんな人にも思い出というものはある。あの時、あの場所で、あんなことがあったなあと、思い出そうと思わなくても突然頭に蘇ったりして、懐かしかったり恥ずかしかったり悔しかったりする。普段はまるっきり思い出しもしないのにである。ということは、「思い出」というのは、思い出さない限りはこの世に存在しないものでもあると言える。

 学生時代、歴史は暗記物だと言われていた。「いつ」「どこで」「誰が」「何をした」ということを、闇雲に暗記するだけである。が、これだけなら自分の思い出の要素と同じである。いつ、どこで、僕は何をしたかというのが思い出だからだ。ただ歴史と思い出が大きく違うのは、思い出に関しては、「いつ」も「どこで」も「何をしたか」も重要なのではなく、それによって動かされた感情そのものが思い出とも言えるからである。

 ということなら、歴史に関しても、「いつ」「どこで」「誰が」「何をした」ということを手がかりに、大きく感情が動かされれば、それは歴史ではなく「思い出」と呼べるものになる、ということなのかもしれない。

 学生時代は、肝試しの対象にしかすぎなかった西行さんのお墓だが、西行さんの生涯を知り、西行さんが詠んだ歌を知ることで、おそらく今の僕にとっては年表の上の人物ではなく、思い出の中の人物となりつつある。今なら、お墓参りに行っても、全然別の感情が湧くんだろうなと思うが、残念ながら一度逃したチャンスはなかなか二度はないだろうなとも思う。
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親切にするには

2025-03-25 11:31:12 | 日記
 Amazonプライムで、主演・長谷川博己、相手役に綾瀬はるかが演じている映画「はい、泳げません」を観た。というのも、以前、好きな作家のひとりでもある髙橋秀実さんが書いた「はい、泳げません」を読んでいて、大変面白かったからである。

 ただし、本は全然泳げないおっさんが、スイミングスクールに通って泳げるようになるまでを書いたルポルタージュであり、同名タイトルとはいえ、中身は全然違っているようだ。映画は原作を踏襲し、泳げないおっさんが主人公だが、コーチとの交流を描いているということで言えば、原作とはまるっきりの別物であった。

 それでも映画を見終わると、もう一度髙橋さんの本が読みたいなあと思い、「はい、泳げません」は図書館で借りてきた本だったので(図書館では真面目に水泳の棚に置いてあった)、よほどAmazonで注文しようかと思ったが、ほかに数冊あるので、とりあえずあるものから再読していくことにした。

 というようなわけで、「からくり民主主義」という本を読み返しているのだが、かつてテレビのADをやっていた髙橋さんは、番組に対するクレーム電話を受けていた。そんなクレームも笑ってしまうようなものも多く、藤田まことが主演していた刑事ドラマ「はぐれ刑事純情派」では、「課長よりも的確な判断で活躍を続ける安さん(藤田まこと)が、巡査部長にもなっていないのは不自然だ」という苦情を受け付けた。こうなると、現実とフィクションの境目がわからなくなってくるのである。

 社団法人「小さな親切」運動本部についてのルポでは、いろいろと日本全国で展開される「小さな親切」に触れているが、思わず吹き出してしまったエピソードがある。

「群馬県にある明和高校は全生徒が会員という『親切な学校』である。1964年にこの運動に参加して以来、施設の慰問や清掃など『考えられるものはやり尽くしたと思われる』(同校校長)のち、現在では全校を挙げて、電車・バスの席ゆずりに励んでいる」

 そんな中、ある女生徒は、「知的障害者が席ゆずりをするのを見て『私にもできるんだという勇気をいただいた』結果、184回を達成し自分自身が変わったと言う。彼女によれば、席ゆずりのコツは『まず自分が座ること』だそうで、必ず座って年寄りが来るのを待ち構える。思いやりと気迫にあふれる親切である」

 親切の次は、統一教会のルポである。今でこそ安倍元総理の暗殺という事件で大騒動になったが、髙橋さんが潜入ルポを書いた時には、まだまだ新興宗教として合同結婚式ばかりが取り上げられていた。
「教会は年々、入信のハードルを低くして、誰でも入れるようにしているんです。合同結婚式も、今じゃサインすれば軽く参加できますよ」
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場所取り係

2025-03-24 11:01:38 | 日記
 高知や熊本でソメイヨシノが開花したというニュースが流れていた。平年より1日遅いなんてことを言っていたが、1日2日違ったところでどうということはない。それを問題にする方が、よほどニュースネタのような気もする。おそらく開花日が前後すると、桜祭りだの、お花見の予約だの、桜ツアーの時期だの、いろいろと経済的な問題があるからだろう。ソメイヨシノにすれば、ただ気温や日照時間に合わせ、自分の都合で咲いているに過ぎないのである。

 で、早々とお花見の場所取りの話が出ていた。近頃は場所取り合戦そのものはあるものの、昔のように会社での花見が減ったので、新入社員の場所取りはなくなっているという。そう言えば、昔は新入社員として入社すると、仕事を覚えるよりもまず先に花見の場所を確保するように言いつかっていて、バカみたいに朝からレジャーシートを広げてほかの社員が来るのを待っている姿が散見された。

 会社からすれば、まだ仕事を覚えていないのだから当然だということなのだろうが、そもそも仕事もできないのに会社に就職できているということが不思議だと思っていないのが、世界的に見れば不思議だというのがわかっていないのである。場所取り要因のための社員なんて、まるで会社の持ち物のような扱いなのである。

 「就職」という言葉がある。意味としては、職につくということである。だから、海外の会社では、人員が不足した部署にふさわしい人材を募集する。ところが日本では新卒者を大量に入社させ、その後適性を見て配属部署を決めるということになっている。これでは「就職」ではなく「就社」なのである。だから、就職活動とはほぼ就社活動であるとも言える。

 世界中から日本の社員が奇妙だと言われるのは、どういう仕事をしたいかよりも、どの会社に入るかのほうが重要だと考えているように見えるからである。

 イギリスと日本の大企業を比較調査した人によると、イギリス人にとって職種が最も大事であり、その次に地域への愛着であり、勤務している企業には大きな意味はないということである。これが日本では正反対で、まずどんな企業で働いているか、次にどこの工場(支社)で働いているかが続き、職種にはアイデンティティを持たず地域に根ざしてもいないという。

 だから何って言うほどではないが、新入社員を場所取り係だと考えて不思議に思わない日本企業が、もしかしたらなかなか変われないところでもあるのかな、なんて想像してしまうのである。
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「面倒臭い」は言わない

2025-03-23 11:24:43 | 日記
 最近流行りの考え方の中心にあるのが、効率の良さを良しとする風潮である。いかに少ない労力で成果を上げるか。コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスが問題にされ、時短を人生の最大の問題にでもしているかのようだ。

 技術開発が進み、世の中は便利になって行く。洗濯は洗濯機がやれば、調理も電子レンジでチンするだけになれば、時間はいくらでも余裕が生まれる。現代人は昔の人に比べればよほどのんびりと毎日を過ごせるようになっているはずなのだが、「忙しい」「時間がない」が口癖みたいになっている。もしかしたら本当は忙しくもなく、退屈するほど時間はたっぷりあるのに、忙しそうにしている方が人間が立派に見えるとでも勘違いしているのかもしれない。

 忙しく時間がない人間にとって、ちょっとした手間はすべて面倒臭いなのだ。だから、面倒臭いことは可能な限り避けて通りたい。「やりたくないこと」はイコール「面倒臭いこと」なのである。

 こういう傾向に対して意義を唱えるのが、スローライフという考えである。なるべく手間暇をかけて毎日を送る。面倒臭いことをあえてやる。面倒臭いから自分で作らず外食する、すでにできあがっているものを買ってきて食べるのが、時短であり面倒を避けることなら、その逆を行く。スローライフは、面倒臭いことをすることが実は充実した楽しい生活を保障してくれることを知っているからだ。

 大リーグで大谷くんの活躍を見ていると、普段の生活がいかに「面倒臭い」から遠いかがわかる。トレーニングも食事も日々の積み重ねの大切さを知っているから、面倒臭いからと言って決して手を抜かない。もし「面倒臭い」ことが嫌なら、わざわざアメリカに渡り、一流選手の投げる球を打つ必要はない。小学生の投げる球でも打っておけば、ホームランだって簡単なのだから。

 大分に住んでいた時に、大分の知事が「大分県民に根付いているヨダキイズムを払拭する」というようなことを言っていた。大分弁で「よだきい」とは「面倒臭い」というような意味である。何をするにも「よだきい」と言い、なかなか動こうとしないことを指し、知事が発明した言葉であった。

 面白いことをしようと思えば、面倒臭いを回避しては何もできないことは、好きなことをやり続ける人にとってはわかりきったことである。それどころか、簡単なことでも、わざわざ面倒臭いやり方でやったりする。物事は抵抗が大きいほど、達成感が強いからである。
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野鳥識別図鑑より

2025-03-22 11:41:33 | 日記
 昼過ぎに自転車に乗って我が家に向かっていると、近くの畑に野鳥の群れがいた。最初はヒヨドリだろうと思ったが、それにしては数が多い。自転車を降り改めて確認すると、ヒヨドリよりもスマートで頭に黒い帽子を被り、水色の羽をしている。「あっ、オナガだ」と、久しぶりの遭遇に興奮する。慌ててスマホを取り出して撮影しようとしたが、少し距離がある上にオナガの動きが速いためにシャッターを切ることができない。これでは撮影したところで、何が写っているかわからないだろうと諦め、目に焼き付けるにとどめておくことにした。

 オナガを初めて見たのが10年ほど前だ。我が家の裏の空き地に群れでやってきて、「あれはなんという鳥だ」と慌てて調べた。爽やかな水色が野鳥にしてはできすぎだ。どんな鳥か紹介できないかとネットで調べると、「野鳥識別図鑑」というサイトがあったので、そこの写真を借りることにした。日本中の野鳥ファンが、自分の撮った野鳥の写真を撮影地や日時とともにアップしている。僕が以前撮った写真もあるが、探し出すのに何日かかるかわからないのだ。というわけで、無断借用をお断りしておく。

 で、これがオナガ。



 ついでなので、「野鳥識別図鑑」の写真を利用して、もう少し今時期の野鳥を紹介すると、ここ何日かで急に耳にするようになったウグイスは、案外間違えて覚えている人が多い。ウグイス色とかウグイス餅といったものがある印象からか、メジロをウグイスだと覚えているのである。



 これがメジロ。目の周りが白いから。で、これがウグイス。



 「梅に鶯」なんて言葉があるが、ウグイスは藪の中を好んでいるので、本当はあんまり梅の木にいるところは見ない。絵としてはメジロの方がカッコがつくので、「梅に鶯」と言いながら、ちゃっかりメジロを描いてあったりする。

 今朝、散歩していると目の前にジョウビタキのメスがやってきて、しばらく僕らの歩くのに合わせてついてきた。オスはゴツゴツした感じだが、メスの容姿は可愛く、性格も人懐っこいようだ。



 藪の中から、けたたましい声で鳴いているのがコジュケイ。大柄の体で飛ぶのが苦手だ。「チャッチャッチャーン、チャッチャッチャーン、チャッチャッチャーン」と鳴き声というより、コマーシャルのジングルか、運動会に流す音楽のように激しい。こいつらが同時に鳴き始めると、春の野はたちまち騒々しくなるのである。

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