おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

休日ランナーの孤独

2018-02-05 12:57:24 | 福島

 毎日少しずつでもせっせと走るというような根性はないし、大きな大会にエントリーする気もないが、休みになると走ってこなければ、なんとなく無駄に過ごしたような気がしてしまう。時々走るくらいでは、健康のためとも言えないし、結局のところ、なんのために走っているのかわからないけれども、今日も性懲りもなく、朝飯を食った後からお昼まで走って来た。理由を強いてあげるなら、家の中で昼寝をすると罪悪感があるが、海まで出かけて木陰で昼寝をしてくると、休日を充実して過ごせたような気分になるのと同じようなものか。昼寝をしてしまえば、家の中も海辺の木陰も同じなんだけど。

 天気がいいので、久しぶりに滝桜までの25キロを走ってこようと出発したが、途中で道路が全面凍結している箇所が時々出てくるので、急遽途中から雪が少ないであろう阿武隈川の土手を走ることにした。この辺に雪がなくなっても、滝桜の近辺は山がちで谷が多いので、いつまでも雪が残っているのだ。

 途中でコースを変更して遠回りした分、普段のコースでも距離は1.5倍増しになった。氷点下まで冷え込んでいる月曜日の午前中、風が強い河原の土手にいる人はほとんどいない。走っているのは僕くらいなものだ。なるべく何にも考えないように、心の中で、「吐いて、吸って」とそれだけを念仏のように唱える。こういう目の前のことだけに集中するのは、日常のつまらない雑念を追い払うには有効な方法らしい。普段の生活では、2時間という時間を、ほとんど何も考えない状態でいるということは少ない。

 走りながら、ふと「幻覚が現れるほどきつい状態というのは、どれほどのものなんだろうな」と考える。というのも、ニュースでパキスタンかどこかの「人食い山」と呼ばれる山に挑戦していた女性登山家が救助されたという記事を見たばかりだったからだ。女性は男性とパートナーを組んでいたが、男性は見捨ててくるしかなく、女性自身もとても助かるような状況ではなかった。救助を待つ間、一番苦しかったのは、飢えや寒さではなく、幻覚に苦しめられたことだったと、救助されてからそう述べている。救助隊が来てくれた幻覚が現れたのだが、彼らが靴を脱ぐよう命令するので、冬山の中で靴を脱いでいたという。そのために両足は凍傷にかかっていた。

 遭難者がサードマンという幻覚に助けられる話は有名だが、本人を凍傷にしてしまうような幻覚とはどういうことなんだろう。ともかく、そんな目に遭うほどつらい状況には、どう頑張ってもなりそうにない軟弱な休日ランナーなのであった。

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