おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

きっかけ

2018-08-29 10:47:57 | 日記

 若い頃というのは、僕もいっぱしの若者ぶって、それなりに悩んだりふさぎこんでいることがあった。人間関係や仕事のことで落ち込むというよりも、いつも自分自身の実力のなさや才能のなさ、根気や根性のなさに嫌気がさし、自分自身にうんざりしていた。

 オッサンになった今では、いちいち自分のことでふさぎこんだりはしない。年相応に図太くなったと言えなくもないが、本当のところは落ちこもうが自信に満ちようが、それで自分が立派になったりつまらない人間になったりしているわけでないことを知っているからだ。僕の好きな哲学者のアランさんによれば、気分が滅入るのは同じ姿勢を続けていたりするせいで、空想が自分を変なところに導いているにすぎない。そんな時は、さっさと立ち上がって体操をするのがいい、と悩んでいる人にとっては身も蓋もない助言をしている。

 しかしながら、これは真実である。人は落ち込んでいたり悩んでいたりするときほど、体を動かしたくはないものだから、その効果のほどを実感できない。もし、強制的にでも外に出て、畑仕事をするなりランニングするなりして、たっぷりの汗をかくなら、さっきまでの気分は嘘のように吹き飛んでいる。いかに自分が些細なことでクヨクヨしていたかが、バカバカしいほどハッキリする。人の一生には、生きるのが嫌になるほどのできごとは、そうそう身に降りかかるわけではないと思えば、体は軽くなる。

 図書館で借りた池内紀さんの「旅の食卓」を読んでいたら、こんな話があった。池内さんと知人のデザイナーとその知り合いの若い娘さんと三人で甲府で山登りをしたときのこと、用水路の縁に腰掛け水面を眺めていたら、水底でキラキラ光るものがある。甲州と言えばかつては砂金が採れたところだと、オッサン二人はパンツ姿になり水に潜ると、持っていたタオルでせっせと水底をさらった。結果、小指の爪ほどの砂金が採れた。同行の若い女性がこの後日本をあとにし、ブラジルに移住する予定になっているというので、砂金を餞別代りに進呈した。

 半年ばかりして池内さんのところに、ブラジルから手紙が来た。実はあの当時、公私ともにいろんなことがあって人生に絶望しており、日本を逃げ出そうとしていた。そんなとき、オッサン二人が水潜りに熱中する姿を見て、なんだか希望が湧いたという。

 きっかけなんて、どこに転がっているか、誰にもわからない。

 

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