おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

動物保護

2020-02-03 12:23:26 | 日記

 図書館から借りて来た「動物保護入門」という本を読んだ。今の日本の犬猫に対する法整備みたいなものがどうなっているのか気になっていたからで、図書館に何冊かあったそれらしい本の中から、一番新しいものを借りて来た。本のサブタイトルには「ドイツとギリシャに学ぶ共生の未来」とある。なぜドイツとギリシャなのかというと、ドイツは100年以上も前から動物保護に対して国を挙げて熱心に取り組んで来た動物保護に関しては先進国であること、ギリシャは経済破綻寸前でありながらアテネオリンピックのために、犬猫の保護活動に取り組んでそれなりに成功をおさめているからである。日本も社会保障費の増大で、動物保護なんかのために税金を使うべきではないという意見もあるだろうが、そういう点でもギリシャは参考になるのである。

 我が家のテオは愛護センターから譲り受けて来たが、面白いのはドイツなどの欧米では愛護などという言葉は使わない。あくまでも「動物保護」である。というのは、動物は人間の責任で保護してやらなければならないというある意味上から目線の考えであるのに対し、日本は動物と人間の立場というのは対等に近く、保護という上から目線ではなく、共生という意味から「動物愛護」と言っているそうである。

 さて、ドイツも日本同様第二次大戦では敗戦国になり、ドイツ憲法は連合国に押し付けられた憲法である。この点日本とよく似た経緯なのだが、戦後国の実情に合わなくなった憲法は、その都度改正を繰り返し、戦後だけでも60回の改正を実行している。近頃では、憲法に「動物の保護」と「環境の保護」のふたつを付け加えたという。

 それに対して日本は、いまだに一度も憲法改正を行っていない。憲法改正というと、すぐに戦争に繋がるというばかりで、憲法を変えること自体を憲法改悪と、憲法そのものを見直そうとはしない。だから、日本の憲法はいまだ環境についても、動物の権利についても何も触れていない。環境については何も書いていないので、戦後すぐの公衆衛生について触れた憲法の部分を拡大解釈して、なんとか環境問題にこじつけている。とにかくいつまでも解釈でどうにかするという姿勢から、必要不可欠なことは国民のためにもさっさと憲法に掲げてもらいたい。

 日本ではいまだに生体販売が行われているという実態がある。デパートやペットショップでの販売のことだ。おまけにブリーダーもライセンスの必要な許可制ではなく、ようやく届出制から登録制に変わったところだという。犬猫の殺処分ゼロを目指すなら、厳格なブリーダーの試験に通った人だけが犬猫の譲渡を行うべきで、違反すればライセンスを取り上げるべきなのである。

 ギリシャの取り組みは、お金をなるべくかけずに行わなければならなかったため、野良犬を保護すると、避妊手術やしつけなどした上で、保護した場所に戻したという。まるで日本で野良猫に対してNPOなどが行っていることを、犬に対しても実施したのである。これもまたむやみに殺処分しないという簡単な方法だ。また、サーカスなどの見世物でも、一切の動物の使用の禁止もしたとある。これなどは、猿回しの芸などがある日本では、なかなか実施できない法律だろう。

 ちなみに「動物保護」とは、ペットに対してだけではない。医薬品や化粧品のために犠牲になる実験動物も含まれている。実際、殺処分される動物の数は、こちらの方が多いくらいだ。動物保護の先進国では、動物を使った実験は、それ以外に代替するものがないものに限り、許可を受けた上で行うようにしているという。日本ではまだまだ手つかずになったままの分野だ。

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