フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

幸せは なるものじゃなくて きっと心で 気づいてゆくものだから

2012年04月30日 07時53分46秒 | 奥華子
まもなく華ちゃんのライブと言うことで、少しは気にして「good-bye」(←アマゾン。全曲試聴もできるよ)を聴いてて、だんだん飲み込めるようになってきましたね。

感覚のもんなので異論もあるだろうけれども、何となく前作「うたかた」あたりからポップな方向の曲が増えてるなあ、という印象がありましてね。今回で言えば「年上の彼」「シンデレラ」「good-bye」あたりね。以前であればこの手の曲はアルバムにせいぜい1曲しかなかったもの。だから以前に比べて「あれれ?」と言う感じで、とっつきがあまり良くなかったのね。まあ、ライブになれば相変わらずのピアノ弾き語りだから、活動全体を見れば方向性はそんなに変わってないけどもね。あくまでアルバムの話で。
言っておきますが、別に良し悪しの話をしたい訳じゃなくて、ぬたりは嗜好的に暗い歌の方を求める傾向にあるよ、と言うだけのことだからね。暗い歌の方が個人的にはスッと気持ちが入りやすいと言うだけで、明るい歌だって聴きますし、お気に入りがない訳じゃない。こういう話をすると「貶された」と思っちゃうファン心理というのはさださんの時で学習しましたしね。発言は慎重にもなりますよ、そら。

アルバムの第一印象なんてあてにならない、というのもそれこそさださんで学んだことで、聴き込んだり寝かせたりすると案外良くなる事も多いんだけど、今回の場合は聴き込んで、「なるほどね」と思えるようになってきた感じ。何故第一印象でぐっと引き込まれなかったかの自己分析も出来るようになった。当たり前の話ですけども、ぬたりが全面的に共感できる曲がそうそうある訳じゃないからなのね。だから自分なりに分析する時間が必要だった感じ。「年上の彼」なんかまさにそんな感じで、ぬたりは年上の異性と付き合っていたことはあれども、歌詞とはまるで逆。今思っても年下のぬたりの方が色々な面で(お財布も知識も経験も好きだという気持ちも)上だった。そんなこと言っちゃうと自惚れと自己愛がひどいなと思われちゃうかもしれんけど、実際そうだったんだからしょうがないじゃん(おい) 
ま、その辺の話は話しても分かってもらえないので話を広げないが、要は歌詞に対して「そういう世界があるんだ」と咀嚼して理解するまでの時間がかかったと言うことで。

咀嚼に時間はかかったものの、大好きなシンガーソングライターのアルバムである。最初に聴いたときから心に残るフックがあるのが憎いところ。買ったときにちょっと触れたが、1曲目「ロスタイム」にもうそれがあった。サビの部分ではこう歌われる。

♪あなたは寂しさも不安も 愛し方も あたしに教えてくれた人
 最後にお願い 好きな人の忘れ方を教えて


身が焦がれるような恋愛(と失恋)をしたことのある方は頷ける歌詞じゃあるまいか。恋愛ってのは相手の影響を激しく受けるもので、色々なことが変わる。そうして相手と一緒にいつまでもいたいと思っていくわけだ。が、失恋すれば一瞬にしてそれが無に帰す。その瞬間の思いのうちの一つの真実の形だろう。もう一緒にいられないなら、いっそ忘れられたらどんなに楽か。
ただ、この曲はこう終わってゆく。

♪出逢えたことも 離れたことも すべて夢みたいに過ぎてきた日々
 あなたの声を あなたの温もりを 思うたび動けなくなる
 忘れない 忘れたくない いつまでも


これがラストにあるからストンと落ちるべき所に落ちる。忘れられるもんなら忘れたいと思う。でも絶対に忘れたくないのが心からの恋愛というもの。
まあ、どちらかというと破滅型の恋愛の歌詞とも言えなくもなく、ここまでの恋愛したことない人も多いだろうし、あんな思いは多くの人にして欲しくはないわな、というのが経験者ぬたりの正直な気持ちではあるが(おい)
いずれにせよ、ここまで歌詞の世界を丁寧に紡げる人はそういない。それだけに、やっぱり華ちゃんに出逢えて良かったなあ、というのは正直なところ。

ま何が言いたいかと言うと「TAKOYAKI」は何気に良い曲だなあ、ということで(よりにもよってそれですか?)

さあ、今日は宇都宮だ。楽しんでこよっと。
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One day in the rain,One day in the shine

2012年04月28日 19時22分11秒 | ラブライブ!
人間には、それぞれ進むべき道というものがある。

その道は人の数だけあると言っても良い。当然その形態も様々で、単調な道を歩む人もいれば、ドラマチックな道を歩む人もいる。
多くの人はドラマチックな道に憧れるのかも知れない。しかしそれはそれで失うものもある。道そのものが変化に富むと、路傍になんということもなく咲く花の美しさに足を止める余裕は失われる。単調なればこそ、そこにある何でもない景色に喜びを見出すことも出来よう。そういう意味で人生は平等である。
ぬたりの人生が相対的に見てどのような道かは、まあ他人の目に委ねることにする。ぬたりは案外普通の道だと思っているが、他人の目ではどう写るか分からないし。
そんなぬたりの人生の道に、たまに現れるものがある。それを人はこう呼ぶだろう。






年中行事と(おい)

というわけでまたもやって参りました。閲覧者を引かせまくる「ラブライブ!」ネタのお時間。実際これ扱うと訪問IPはともかくPVがガタ落ちするのは、閲覧者が更新情報見て踏んだは良いが、引きまくって次の更新情報まで寄りつかなくなった、と言うことの証拠だろう(だからそういう状況なんだからやめろっての)

とはいえまあ「ラブライブ!」も手を変え品を変え色々やってくるもんですわ。今度はデュオ&トリオで4月連続リリース。ファーストシングル発売から2年弱で正規流通CDは11枚。限定販売のソロBOX合わせれば17枚という大量生産。2ヶ月に1枚は何らかのCD出してる計算になる。そう考えるとすげえなあ。
相対的にヒットしているわけではないんだけれども(CD売り上げも数千枚がトコ)、出せば無条件で買うコアなファンはがっちりついた感じ。だから先日のライブでも物販に多数のファンが押しかけて騒ぎになったんでしょう。今のペースで採算が取れているなら、今後もある程度は安泰っぽいな。来年からはシリーズアニメ化(テレビアニメ化ではないの?)もアナウンスがあったしね。じわじわ売れ始めてる中の人もいるのでギャラが急に跳ね上がるとかそういう事がない限りは大丈(回線が切断されました)

ともあれデュオシングル第一弾、「Mermaid festa vol.2」であります。キャラクターは穂乃果(CV:新田恵海)と凜(CV:飯田里穂)。
「Mermaid festa vol.1」とはうって変わってのアップテンポな曲。良いではないですかこれ。vol.1との連続性を感じさせないあたりも潔いと言えば潔い。

歌詞はさっぱり意味不明だけども(おい)

概ねしっかりイメージに沿った形のCDだと思うので、ファンなら安心して買えるし、実際良い感じに聴けると思う。ただ、「ヲタCDだと思って買ったらことのほか良い曲」というような感じまでは無いかな? そういうのお求めの方は「Snow halation」というCDがありますので、そちらをどうぞ。
なお、凜ちゃんの中の人は、「プロの声優さんの演技は、聞いているとそのキャラが話している姿がきちんと思い浮かぶ。なのに自分の演技は聞いてみても凜ちゃんの姿が思い浮かばなかった」、と企画当初の忸怩たる思いを先日ネットラジオで仰っており、その謙虚な姿勢と自然な感性に、かなりぬたりの中で株が上がっております。次の選挙では凜ちゃん&りっぴー推しで行きましょうかね。

一応視聴動画もペタリ。お好きな方でドゾ。
↓youtube


↓ニコ動
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目先が変わったものと優れているものは必ずしも一致しないよ

2012年04月27日 20時22分04秒 | つぶやき
“うつにならない人間関係”の4つのポイント(新刊JP)

こういう誤解を招きかねない本を無意味に高く評価するから、うつ病に対する間違った認識ってのがなくならないんだよな。これ読んで鬼の首取ったように主治医のところに「薬を減らせ!」とか初診の時に「薬を出すなんてひどい!」なんて言う困ったちゃんが出ないことを願う。それにこの記事書いた奴、うつ病に対する知識はゼロだろ。

そもそも、本日の医療行為において、薬と言うのは欠くべからざる要素として確立しているわけで、なぜ精神科医療についてのみ、薬を用いない医療と言うのがこういう風に高く見られるのかぬたりには理解できん。皆さん風邪ひいて医者行って、薬(もしくは処方箋)出してもらえなかったらどう思う? そういう事。
で、「精神科の薬は一度飲むと一生飲まなきゃいけなくなる」なんて反論も良く聞くけど、高血圧の薬だって飲み始めりゃ一生もんだぜ。そういう薬は向精神薬に限った話じゃないんだよ。ちゃんとそういうこと理解してる?

さてさて、人間にはある程度の自然治癒力と言うものがある。実際これを意識した医療行為もあるんだから、この著者の「薬を使わないうつ病治療」ってのも一定の説得力はある。
が、あくまで一定しかない。カウンセリングで治療を目指すにしても、薬を服用させて症状を落ち着かせてからカウンセリングした方が効率はいいでしょ。そういう効率を考えた場合、薬を使った方がいいからほとんどの精神科医は薬を使うのである。軽い症状ならカウンセリングのみでも治るかもしれないけども、それを薬でやるときわめて短期間で軽快させられる可能性が高い。そういう効率性の話でしかなく、どちらが優れているという話では全くない。
薬をどうしても飲みたくない、という人もいるだろうから、薬を用いない治療もアリと言えばアリだとは思う。ただし、そのリスクはきちんと認識した方がいいと思う。ぬたりは総合的に見て薬を使った方が効率的だしリスクは少ないと思う。実際ほとんどの精神科医は処方箋を書くわけで、要はそういう事。うつ病は薬だけじゃ治らないぜ、という主張はまさにその通りだから、薬だけ出してはいおしまいという治療が問題外なのは確かにそうなんだが、だからと言って薬なんかいらない、ってのはちょっと危険な論理だとは思うよ。

で、色々と「うつ病にならないための考え方」とか書いてあるけども、「風邪ひきたくなきゃあったかくして寝ろ、糖尿病になりたくなきゃ暴飲暴食すんな」程度のアドバイスと思えばいいですこんなの。それを頭において、そういう考え方ができればいいけど、それができればうつ病にならないってわけじゃないし、そんな風に言われて簡単に人間の考え方なんか変わるわけがないです。このアドバイスを実行しようと無理して逆にストレス抱え込んだらまさに本末転倒甚だしいわけよ。
気をつけてたってウイルスが体内に入れば風邪はひく。痩せてたって体の中でインシュリンが作られなくなれば糖尿病になる。それと同じで、ストレスなんて感じてなくても、細胞内でセロトニンが作られなくなれば(※)うつ病にはなる(と考えられている)。

ぬたりはうつ病になる可能性なんか気にしない。日々をぬたりなりに生きてます。ある程度のストレスなんてあって当たり前だし、それがうつ病のリスク云々なんて頭は一切ない。自分で料理してて塩が多すぎたときに、それが高血圧のリスクだ、なんていちいち考えないでしょ。それと同じ。
うつ病になったら医者に行けばいい。それだけ。職務上とは言え、昔、精神疾患について学習したことがあるから、必要以上に怖がったりしません。

最後に言っておくけども、ぬたりは薬を用いないうつ病治療を否定はしないし記事中の「うつ病にならない考え方」も否定はしない。ただし薬を用いないことについては、方法論の一つであり薬を用いる治療より優れているものではないと思うし、考え方についても、まあそういう考えができればいいよね、とは思っている。
それがいかにも優れているよ、とか、これさえできればうつ病になんかならない! と大きく出ていることに首を捻っているだけだ。これで救われる人もいる可能性は否定しなが、その数はそれほど多くないだろう、と言いたいだけでね。



うつ病の原因としてのセロトニン欠乏説は現時点においてはあくまで仮説でしかありません。まあ、こういう要素はほぼ間違いなくあるよね、というくらいの有力な仮説ではありますが。
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意見にも満足度にも個人差があります

2012年04月26日 21時25分20秒 | 日記
知り合いがガラケーからスマホに替えるそうである。
ぬたりは既にスマホに切り替えているのだが、切り替えの際、多くの人が「使いこなせるか」という事を重視するようですね。
↓実際昔々、ヤフーにこんな記事もあった。
スマホを”完璧に使いこなしている”人はわずか8.3% -- MMD 研究所が『スマートフォン白書2012』を公開

けれども、ぬたりは常々「使いこなさなきゃいけないの?」と疑問に思っている。
思い起こせば、携帯電話やパソコンを使い始めてからもう15年以上経つけれども、ぬたりはどっちも使いこなせたためしなどありはしない。ガラケーですらそんな状況だったんだから、スマホなんてハナから使いこなせるはずもないと思っていたし、今のパソコン買う時にも「こんなスペック絶対いらない」と思いつつ注文していた。実際どちらも現状、ぬたりの使用状況から考えれば、無用の長物と言ってもいい。

が、ぬたりはそれを不満には全く思っていない。

ぬたりがオーバースペックな機種を選定した理由は、オーバースペックから来る余裕を求めたからである。
auのガラケーユーザーであれば、ウェブの閲覧は「ezweb」になるわけだが、対応ページでなければ表示が出来ず、対応してなければ専用のビューアを使ってPCページを表示するわけだが、これが非常に見づらかった。これがスマホであれば、そもそもフルブラウザであるわけだから、見づらさはかなり軽減できる。出先でいろいろとつまらんものにも「あれ何だろう?  どういう意味だろう?」と比較的興味を引かれやすいぬたりには、こういういつでもググれる体制ってのは非常に便利なんである。ぬたりがスマホで求めた点はこの一点のみと言っていい。雑多なアプリなど全くいらない。現にいまだに有料アプリをダウンロードしたためしがない。
パソコンも同じような形。ぬたりが求めるのはあくまで「動作快適性」。意図的にシステムに余裕を持たせることにより、パソコンの動作に負担がかからないようにしているのである。
パソコンもスマホもアプリケーションをガンガン突っ込んで、色々と便利にしようなどとは全く思わないんである。それをする事によりシステムの余裕が無くなるからね。本音を言えば、パソコンにインストールしたノートン先生も切りとばしたいくらいなんだけどもね。入れたらはっきり動作遅くなったし。まあ、こればかりは切れないけど。

ぬたりは機能に金を払っている訳じゃなく、そういった余裕に金を払っているので、はっきり使いこなせていないが不満は一切ないのね。そういう視点もあるってこと。

だが、上記の記事とかにかかると、好きにこっちの考えをいじられちゃうんだよね。ぬたりが答えるとなると「使いこなせていない」と回答するわけだが、そうすると
使いこなせない=難しい=不満
みたいな感じで誘導記事を書かれちゃうのよ。
ぬたりはスマホが難しいとは思わない。色々覚えるのがめんどくさいとは思うけどな(おい)。まあ、これはぬたりの怠惰が問題だろうし、スマホには責任はない。ただ、アンケートだと、そういう深い感覚まではなかなか出て来ないのね。
というか担当者が鉛筆をひと舐めすれば、印象操作なんて簡単にできるんで、どんな我田引水な結論も引き出せるんだけどもな。アンケート結果なんて得てしてそんなもんだ。大体このMMD研究所ってのは信用できる組織なのか? アンケートっつってもネット上では「オトメス○レンの男性読者」なんていう、誰がどう考えても存在しないであろう対象者のシロモノまであることだし(おい)

ま、ともかくスマホを求める理由なんて人によって千差万別。そこに何を求めるか、どの程度で満足できるかも千差万別だから、そこを考えて使う道具を選べばいいんじゃないかと思います。うん。
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それにすべての日本を持っていってください

2012年04月25日 19時41分50秒 | 音楽
世の中には不文律と言うものが存在する。

たとえバレバレでもコ○ンの正体がばれないように、水○黄門の旅先には必ず悪代官がいるように、ストーリーと大人の都合の為には守らなきゃいけないことと言うものがある。
もちろんこれの度が過ぎると「ご都合主義」に転落してしまうのだが、作者もファンもそのことを共通認識として持つことにより、下手な説明なしに話を進めることができる利点がある。水戸○門が宿場町に来れば、毛利○五郎が眠らされれば、客は「ああ、そういう事なのね」と素直に納得する。いちいち説明は必要なくなるわけ。

さて、ぬたりの持ちネタに「僕もうさだファンじゃない」というのがある。今のぬたりのさださんとの接し方を踏まえたギャグな訳である。



こういうの買っちゃったら不文律守れないじゃないの。

あくまで今のさださんと距離を置いていながら昔の曲を聴く、ってスタンスじゃないと駄目じゃないのよ。まあ、これは「きだまきし」ですけど(おい)
真面目な購入の理由としては「安い」「説教臭くなさそう」「今までになさそうな感じ」というあたりでね。

まあ、全体的な感想を言えば良い意味でも悪い意味でも想定内。値段の元は十分取れたなあ(安いしね)という感じ。
悪い意味、ってのを先に言っちゃえば、Take It Allを「テキトー」と読ませるセンスもそんなに若いとも思わないし、扱ってるネタも年齢的にさださんのファン層狙い撃ち、みたいな感じでね。ぬたりの年齢層ではあくまで知識としてのネタになるので、腹から笑えるかと言うとちょっと微妙。せっかくギャグやるんだからもっと突き抜けて欲しかった。それやれる実力がさださんにはあると思うんだけどなあ。
ただまあ、もちろん良い意味の想定内と言うのもあるわけで、おふざけやってる割にはやっぱり音楽クオリティは高いし、オッサンたちが楽しんでやってる姿ってーのは、何ともほんわか。この辺はぬたりの加齢によるものもあるだろうけどもね。ぬたりももう若くねえし、頑張るオッサンの姿は思わず応援したくなる。

要するに、こんなおふざけを世に出せる還暦のオッサンがいる、ということ自体に、ぬたりは「やっぱりさださんやりおるわ」と思うわけですよ。内容的なもんはこの際どーでもいい。珍妙な服装で珍妙なポーズとって、キムチ(チムキーか)に至ってはメガネ逆さまにかけた表紙のCDブックを書店に並べる。
その行為がなんとも可笑しいのだ。中身ではなく、これがよりにもよって書店に、下手すればクラシックとかのお堅いCDブックの隣に並んでいる,
この状況がぬたりの笑いを誘って仕方がないのだ。ああ、俺もこんな風に年を取りてえと心底思う。定年退職の時にムンクさん抱えて花束受け取るくらい、肩の力の抜けたジジイになりたいもんだよなあ(それはやめとけ)
そのギャグを楽しむために、6月の完全版も買ってみたいと思う。できれば店頭でお目にかかりたいもんだ。「さ」のところにあるのか「き」のところにあるのか。「さ」のところにあったとしたら、さださんの40周年記念アルバムと言うそれはそれはメモリアルな作品の隣にこんなブツが並ぶことになり、その「なんかもう台無し」って感じを目にしてみたいもんだ。その状況こそ最高のギャグである。やっぱりスゲエよこの人。


あと出版が「宝島社」ってのも地味に吹かせていただきました。またなんちゅーかアレな出版社からまあ・・・。
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とある御宅の額縁時計

2012年04月23日 19時34分18秒 | ヲタネタ
何日か前にTwitterで「ノギスの使い方間違えた」なんてツイートしたら、なんでそんなもんが一般家庭にあんねん、とツッコミを受けてしまったぬたりですこんにちは(挨拶)

そうかなあ? 正確な長さを測るにはノギスとキルビメーターは一家に一本は必要なものだと思うが(おい)
まあ、ノギスに関しては定規がなかったから使ったに過ぎないわけでね。何の長さを図ったかと言えば、フォトスタンドに納める紙を長さにあわせて切った訳。そのまんまじゃ収まらなかったのよね。
となれば「何の写真よ?」と興味が湧くと思うが、残念ながら写真ではない。そもそも写真ならフォトスタンドに入れるのに切る必要ないでしょ。今回納めたのは絵葉書である。


分かる人は分かると思うが、これは一昨年の華ちゃんの卓上カレンダーの絵柄部分。切り離すと絵葉書になる。
今年の年賀状はいっそこれで、と思ったことも一瞬あったけれど、さすがにそれもできんので、どーしたもんかと思っていたところ、2つ持ってるフォトスタンドが目に付いたわけ。これに入れることを思いついたものの、大きさが合わず、やむなく長さを測って切った訳。んで、この長さ測る時にノギスの使い方を間違えたという次第。切りすぎちゃうともう修正効かないからね。

 
こんな具合に仕上がった。よく見ると左右が少し小さいことが分かります。
で、見てわかるとおり、正確にはこれはフォトスタンドクロック。時計がついておりますので、時計を設置していない脱衣所及び廊下に設置。これで部屋のどこにいても時刻が分かるようになった。設置して数日、何気に便利で気に入っております。

さてさて、ここで終われば「独り暮らし男子、生活にひと工夫のちょっといい話(か?)」で終わるところだが、賢明な方は一つだけ気付かれたことがあると思う。ぬたりは絵葉書にあわせてフォトスタンドを手に入れたわけではない。もともと所持しているフォトスタンドを見て絵葉書を入れることを思いついたのである。となれば、もともとそのフォトスタンドには何が入っていたのか? ということ。
残念ながら実物は処分してしまったのでもうないが、フォトスタンド実物にヒントは残されている。当該部分をご覧いただこう。





これらの写真と、ぬたりが毎月購読している雑誌が「電撃G’sマガジン」であるということを鑑みれば、フォトスタンドの入手経路はおのずと推測できようというものでな(推測じゃなくてそのまんまじゃねーか)
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ルビコントレイルを渡る

2012年04月22日 17時23分21秒 | 日記
というわけで、ぬたりは絶賛自動車ローン地獄の真っ最中である。

去年の7月から乗っていて、9ヶ月以上を経過。今のところ走りに関するトラブルは皆無という、まあ一番の懸念は払拭しつつはありますがね。
走りに直接関係しないトラブルはあるけどな(おい)
何にせよ、免許を取ったときからの「一度はオープンカーに乗ってみたい」という夢を叶えているわけで、ローン返済も何のその、って感じではありますわね。MINIは走りも楽しいし。

誰かの歌じゃないけども「あの頃の未来に僕らは立っているのかな?」と言う感じで、ぬたりが免許を取得した際に思ったことは何だかんだで叶えているなあ、と今更ながら思う。
スポーツカーに乗りたいな、というのはインテグラタイプRで叶えたし、オープンカーに乗ってみたいなあ、というのは今のミニコンバーチブルで叶えている。前の愛車カローラにせよ「大きな愛の様なカローラ」の頃から憎からずは思っていた(理由は言う必要はないな)
あとは子供の頃から夢であるリトラクタブルライトの車に乗りたい&ポルシェに乗りたい、くらいか。ただまあリトラクタブルライトとなると日本では2002年を最後に(RX-7)、世界的には2005年を最後に(コルベット)生産してないし、ポルシェは純粋に高すぎる。まあこれらは夢物語としておこう。ポルシェあたりは退職金で、とか考えなくもないが、我々の世代の老後が桃色だと思うほどぬたりも楽観的ではないしな。

ま、そういう夢の話はともかくとして、まずはローンの返済である。それ自体は苦痛ではあるものの、苦しんだご褒美として、晴れた天気の良い日に屋根開けて走れば、他のものに代え難い快感を得られるのですからね。良い車を買ったものです。

なら何故貴様はジープのお店で長々と説明を受けて、カタログまで貰ってきておるのだ。

ジープラングラーという車は、このブログにも何度か登場しているが、ぬたりが乗りたい車の一つである。
「外車に乗ると言うことはその国の文化に触れると言うこと」というのがぬたりの外車哲学。アメリカ車という存在を語る場合は、やはりある程度極端な車に乗りたいと思う訳よ。マスタングやカマロと言ったスポーツカーとかジープのようなごつい車ね。んで、ジープの中でも一番極端なラングラーに、やっぱり「せっかくアメ車乗るならこのぐらいまで極端にいきたいよね」と思っちゃう訳なのよ。どーせアメ車乗ることなんて一生に一度だろうし(おい)
そんな具合でディーラーに行けば、そら話も長くなろうというもんでな。
いや、まあ、言っときますけど、ちゃんと「しばらくは買うどころの話じゃないよ」というのは先方に伝えてますからね。その上でいつかは、という段階の話しかしませんでしたけどね。まあ物欲は疼くけど、極端な車は中古車の相場も下がらねえんだよなあ。

ところで、そのディーラーにはアメリカから直輸入した現車が置いてあったが、いやかっこいいのなんの。で、この車、このかっこいい部分を訂正しないと法律上車検通らないんだそうで。ホント日本の車検制度ってのはクズだわ。
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豚とんハンバーグ

2012年04月21日 20時16分59秒 | 日記
ぬたりの料理のレパートリーに「ハヤシライス」がある。勿論レパートリーと言うからには、市販のルーは使わず、ケチャップ、ウスターソース、赤ワイン等で作るわけなのだが。
まあ、男の独り暮らしの特権で、「食えればなんでも料理は大成功」という感じではあるので、他人にも勧められるかと言うと首は捻るが(おい)。まあ、暇な時にこういうの作ることで時間がつぶせるわけではあるので、それはそれで重宝するスキルではある。
で、今週末は久しぶりにぽっかり何にも用事のない週末と相成った。まあ街中に出かける用事はあるのだが、逆に言えばそんなもん。となると久し振りに今日はハヤシライスかなあ、なんて思いながら街中に買い物に出かけた。

昼にカレーライスを食う馬鹿がどこにいる。

だって食べたかったんだもの、と独りごちても意味はないわけでね。まあ違う料理ではあるものの方向性は同じ。昼にピラフ食って夜にチャーハン食うようなもんだ。食えなきゃないけど、もう少し計画性を持とうよ、とセルフツッコミは避けられないところ。
ま、昼にカレー食った時点でセルフツッコミはしていたわけなんだが、ともかくハヤシライスを強行するかさもなきゃ他のものを作るか、いっそのこと近くの店でツマミ片手に生ビールでもやるか、と悩むことしばし。手元にあったおかずのクッキングのテキストから土井善晴先生が「こんな日はハンバーグですがな」とぬたりに語りかけてきた。
・・・この場合、その声がどうしても大泉さんのモノマネで聞こえてきてしまうのはどうでしょう馬鹿の宿命でな。
実はハンバーグってのは過去に一度失敗しておりまして、結構苦手意識がありましてね。食べたかったらマルシンハンバーグ買ってくればいいや、って感覚もあって。
とは言え今回は土井先生がついている。テキストに書いてあるとおりにやればいいのだ。いざ、混ぜるべし! 焼くべし!



そして完成したハンバーグ。ちなみにごはんもテキストに準拠して「じゃがいもと豆のごはん」を作ってみました。
いやいや、思いつきで作った割にはうまく行ったわ。パン粉使わず食パンちぎって牛乳に浸すという手間まで踏んでます。肉にしたってロースとひき肉混ぜてますし、更には肉と同量のタマネギをぶち込んでいるから、見た目に比してヘルシーなんだそうで(そのあたりが土井先生のミソ)



焼き加減もどーですか。ちょうど良いではないの。さすがにテキストのハンバーグに比べれば見劣るが、これだけ見る分には問題ない。
さてさて、写真にはハンバーグが二つ写っている。勘違いの無いように言っておくが、一人で二つ食っており、誰かに食べさせたわけではない。購入した肉の分量的にテキストどおりのやり方をするしかなかったのだ。


だから冷蔵庫には同じだけの生地がまだ眠っていたりする。

わあい、明日もハンバーグだ。きっとサンタさんのプレゼントに違いない(意味不明)


ちなみに今回のレシピの載ったテキストは現在全国の書店にて絶賛発売中であるので、興味のある方は是非。
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Amazing Grace

2012年04月20日 20時39分58秒 | 音楽






聴けば聴くほど、このハゲたオッサンこの人スゲエなあ。


・・・ハーモニカやってみようかな? なんて思ってないんだからね!
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短め更新

2012年04月19日 21時28分22秒 | 日記
今日の出来事。

仕事中、近くを歩いていたカラスに「カーカー」という声ではなく「こ~う、こ~う」という低音の鳴き声を発せられて力が抜ける。

デザートに買ってきた「とちおとめ」がむちゃくちゃハズレだった。

以上。なんか力が抜けてます&やる気ねっす。
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