フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

パソ本体はacerだから、台湾で揃ったな

2021年05月31日 19時49分10秒 | 日記
突然であるが、パソコンのディスプレイを買い換える。

まあ、スマホ全盛の今の世の中、パソコンに金をかけること自体、趣味の領域にもなっては来るのだが、正直ぬたりにはパソコンに関してはこだわりはない。こうしてブログの文章作るのに使いはするが、正直大して活用してない。
だからディスプレイについても別にこだわりはなく、10年くらい前にオンキヨーのデスクトップ買ったときに一緒に買ったものを継続利用していたし、不満は一切無い。
不満があるのは職場のパソコンである。
ぬたりが職場で使うパソコンは会社から貸与されている物で、リース品。こちらからこんなのが良いという希望はあまり言えず、まあ与えられた物を使う形。ぬたりはそんなに高度なパソコン作業はしないから、マシンスペックなんてある程度どうでもいいと思っていた。いや、今でもそう思う。
だが、先日ぬたりに与えられたパソコンがよりにもよってノートパソコン。これまでデスクトップを職場でずっと使っていたぬたりにはかなり使いにくいシロモノではあった。ただ、ぬたりは別にパソコンに関連した仕事するわけじゃないから、我慢の範囲内、とそれでも使っていたのだがね。
でまあ、こういう我慢というのは徐々に溜まるもんで、先日とうとう画面の小ささに発狂。スクロールが微妙にうまくいかず、エクセルで表示したいセルがうまく表示できないという事態となり、さすがにぬたりも我慢の限界が来た。仕事の足を引っ張るんじゃねーよこの糞パソコン!
でまあ、糞とはいえども現行スペックであることは間違いなく、こいつにはHDMI端子がついている。だから外付けのディスプレイが簡単に接続できる。スペック自体はそこそこなんだから、画面さえ大きくなれば使いやすさは格段に向上する。実際そうしてる社員も結構見かけるのよね。
が、まあ、ぬたりもぶーたれ社員の端くれ。仕事で使う道具に身銭を切るのもなあ、という考えもあり、しばし実行は躊躇していた。そんなあるとき、別の物を買いに来たハードオフで一計を案じた。自宅のディスプレイをアップグレードして、今使ってるのを職場で使えばいいんじゃなかろか。自宅でのパソコンのアップグレードと考えるなら身銭を切るのも惜しくない。ちょうど良い具合になかなか安いフルHDのディスプレイが売っていたところで即決。

と言うわけでASUSのVE248HRを中古で購入。まあアップグレードと言っても、こいつは別に高いモニターじゃないし、今まで使ってたのだってフルHDの21インチ。だから3インチ大きくなったという微妙な違いでしかないんだけどね。

こうして並べてみてもそんなに違いはないわね。
見た感じはそれなりの美品ではあり現状渡しの品ではない。ドフの保証も1ヶ月つきのちゃんとした物で、そう考えてくると安いね、と言う価格では買えた訳なのだが、ドフというところは市場価格をしっかり読むので理由もなく安い物はそうそうない。こいつも安いのにはちゃんと理由があった。
スタンドがついてないのな。
だから自立できず、上の写真も壁に立てかけてあるわけだ。
なので、アマゾンで安い汎用スタンドを購入。スタンドを含めた価格、ということになると、さて、高いか安いかの判断は微妙になるな。少なくとも購入日にハシゴしたドフに置いてあったフルHDモニターの中では断然の安さではあるが、ASUSだし、元が安いしなあ。微妙なところだな。
ともあれ、自宅ではモニターが大きくなって少し気分も良くなり、職場でのパソコン利用は随分快適になった。まあ、トータルで考えればいい出費だった・・・と思うことにしよう。
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合間の更新

2021年05月30日 09時45分03秒 | 日記
ちょっと更新の間隔があいてるので、ちょっとしたことで思いつき更新。内容的にお食事しながらの閲覧は注意のことな。

猫を飼った場合に必ず聞かなければいけない音、それは猫がたまに発する「こぱぁ・・・」という音。
はい、嘔吐の音です。
これに関してはやらない猫はまずおらず、飼い主は必ずその生暖かい物体の後片付けをしなきゃいけない。

で、この嘔吐に関しては、毛玉を吐く、という点がよく指摘される。
猫はきれい好き(体臭が付くのを嫌う習性がある)なので、それはそれはこまめに全身をなめまわして毛づくろいをするのであるが、この際に多くの毛を飲み込むことになる。毛というのはなかなか消化が難しいもので、体内に入った毛は何らかの形で処理しなければならない。このため、猫の体は嘔吐しやすくできており、この際に体の中の毛も「毛玉」という形で吐き出すわけだ。毛玉自体は体の中にたまってしまうと病気にもなってしまうために、それ対応の餌とかも昨今は売られているのだが、それを使っても嘔吐がまったくなくなることはあり得ない。

さて、うちの猫であるが、嘔吐に関しては確かにしょっちゅうやらかすのだが、そこには毛玉がほとんどない。嘔吐の場合はおおむねガツ食いした反動という、大きな声では言えない理由がほとんどになるのだがね。まったく意地汚い猫に育ちやがって…。
んで、こういう場合は他の何らかの方法で処理するように生き物の体はできているものですね。はい、上から出さないなら下から出すということですな。

とまあ、そんな具合で、さっきぬたりは猫トイレでマーブル模様のう〇こを片付けてきたところですわ。

ま、そんな幸せな(?)日曜日ですわ、はい。
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(昔々)大井川鐡道に乗ってきました そのさん

2021年05月23日 10時06分13秒 | 旅行&おでかけ
翌日は朝かなり早い列車で金谷に移動。大井川鐵道の窓口で「井川線の尾盛駅まで」と告げて切符を買ったが、特に奇異な目では見られなかったな。珍しい客だとは思うんだが。当時は今ほど秘境駅なんか市民権を得てなかったし。
さて、ぬたりのネタスキルはここでも発揮。当時大井川鐵道本線は土砂崩れにより一部不通になっていて、現在の門出駅のあたり(確か臨時の乗降場みたいなのがあった)から家山駅まで代行バスでの運転となっていた。経験ある人なら分かるかもしれないけど、列車だとそんなに混雑感じなくても、同じ人数でバスに乗ると結構混み合うもの。単純に気分のいまいちではあったな。で、その臨時の乗降場のあたりで、何やら工事中の高架が線路を跨いでいたが、なんか工事してる雰囲気がなかった。なんか新しい道でも作るのかと思っていたが、あれ第二東名の高架だったのね。今でこそ大活躍してますけど、当時は無駄だなんだと一時工事が止まってたんだよね。
ともあれぬたりは途中尾盛駅で途中下車しつつ終点の井川駅まで乗って引き返してきた。尾盛駅自体は個人的にはすごく良かったが、秘境駅の良さってのはなかなか言葉に出来ないもんでね。降りたときの他の乗客の注目を集める快感、列車が去った後の寂しさ、自然の中にぽつんと一人でいる心地よさ、そしてそんなはず無いけどもこんなところにホントに時刻表どおり列車はやってくるのかという不安感、実際に列車がやってきたときのほっとした感じ、何したわけじゃなく、ただ1時間くらいぼおっとしてただけなんだけど、あの時間は今も思い出として強烈に残ってる。

ところが実は大井川鐵道の思い出の白眉は尾盛駅じゃない。帰りの井川線と本線の乗換駅、千頭駅での出来事。ぬたりはさして考えずに次発の本線の列車に乗った。とりあえずドアから一番近い椅子に座っていると声をかけられた。
「これ○○駅に行きますか?」
声をかけてきたのは小学生とおぼしき男の子2人。駅自体はいくつか先にあったような気もしたものの、自分が乗っているこの列車がどの駅に駐まるのかは把握していなかった。別に「地元民じゃないので分からないなあ」と言っても良かったんだが、幸いすぐ近くの天井に停車駅一覧が貼ってあったので確認。自分の乗る列車が少年達の言う駅に駐まることが確認できたので、「うん、これ乗ってれば○番目の駅だよ」と教えた。
今となっては少年達が降りたのが何駅だったのか、少年達が何しに出掛けていたのかも覚えていないんだが、なんか車内で楽しく話したのを覚えている。少なくとも別れ際にハイタッチしたりしたわけだから、相当に楽しかったんだと思う。この旅行自体楽しい思い出はいくつかあるけれど、忘れられない旅行にしてくれたMVPは間違いなくあの2人の男の子だ。今では多分20才も超えたろうが、今もどこかで元気に暮らしているかしらね。

旅行の目的とすれば金谷駅で大井川鉄道を降りた段階で終わりなんだが、思い出して欲しいのはそもそもぬたりはこの旅を「全線普通列車で」行こうとしていたこと。
当然JRの切符も高崎~浜松の往復切符をすでに買っております。
と言うわけで大井川鐵道を降りた後はJRの普通列車の乗って群馬を目指したわけではあるんだけどね。
静岡駅で力尽きる。
どうしても疲れに勝てず、静岡から新幹線に乗って群馬に帰りましたとさ。いや、新幹線乗ったらあっという間に高崎着いたわ。すげえな新幹線。

ま、こんな旅行を昔やった。あんな旅はもう出来ないと思うし、他人にも勧めないけど、ホントあの時、あのタイミングで行って良かったわあ。大事な思い出ですよ。
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(昔々)大井川鐡道に乗ってきました そのに

2021年05月22日 11時55分19秒 | 日記
この時の行きの乗換駅は、確か、籠原、横浜(降りる必要はなかったけどシウマイ弁当買うための途中下車)、熱海、静岡、浜松、だったと思う。
で、静岡県内でダレる。
いや、富士山見るあたりまでは旅情もあってテンション高かったんだけどなあ。その先が風景がちっとも変わらなくてやたら長く感じた。おかげで浜松着いたときには結構な疲れがあったな。まあ、実際、朝4時過ぎに高崎を出て、お昼過ぎまで列車に乗り続けたわけだしね。いやあ、普通列車の長時間移動って案外疲れますね。
とりあえずは駅近くでひつまぶしを食べて体力回復。確かお店はここだったと思う。この店だったとすれば、ぬたりが食べたのは「うなぎまぶし」だったんだろうな。なんか行列店みたいな情報もあるけど、ぬたりは平日の昼過ぎに行ったのか、特に混雑してた記憶はないな。おいしかった記憶しかないけれども、ぬたりはうなぎみたいな高級品めったに食べないから、ぬたりの評価は鵜呑みにしないでね。
んで、航空自衛隊の浜松広報館に向かうわけだが、ぬたりはここでこの旅最大のミスをする。広報館を直接経由するバスは当時1日2本程度。最寄りのバス停とバス路線の名前は事前に調べて押さえておいたのだが、案外本数がなく、それなりに待ち時間があった。これを素直に待てば良かったのだがね。
何しろ浜松駅はそれなりに大きなターミナル。バス路線も多く設定されていてバスターミナルもかなりの活気。だとすれば、別に最寄りバス停通る路線を気にしないでも、広報館近くを通るバス路線だって複数あるんじゃないかと考えた。しかも行き先は航空自衛隊浜松基地の敷地内だ。だったら浜松基地を通る別の路線に乗ればいいんじゃないかと考えて実際発見。しかもそんなに待ち時間なく乗れる。これはいい。
そして数十分後、「浜松基地」なるバス停に降り立ったぬたりは、広報館がそこから2キロ以上離れていることを知るわけである。自衛隊の基地って広いのな。
というわけで、航空自衛隊基地の外縁を延々歩かされる。その途中軍用機の離発着でも見られれば「おお、怪我の功名だぜ」とでも盛り上がったけども、当日の浜松基地は静かなもんでしたわ。まあ、スクランブルとかは無いに超したことはないんだが。
紆余曲折を経て辿り着いた広報館自体は大満足で、すごく楽しかったんだけどね。でもバスの便が悪すぎたな。ぬたりはバス停間違えて30分くらい歩かされたわけだが、正しいバス停で降りたとしても徒歩10分かかる(帰りに利用しました)。まあ、みんな車で来るんでしょうけどね。
このバスの間違いが響いて、駅前に戻って楽器博物館についたのはもう夕方。おかげで人がほとんどいなかったのは良かったが、見学は駆け足にならざるを得なかったのは悔やまれるなあ。かなり節操なく楽器集めてるから、ゆっくり見られると面白いのになあ、と当時思ったけれども、今のところ再訪できていない。うーん。

翌日の大井川鐵道乗車に備えて、掛川に移動してその日は宿泊。駅前の掛川ステーションホテルに泊まったんだが、たしか部屋の中のチラシに星野仙一氏の姿があった。多分広告に起用されていたんだと思うが、今となってはググってみてもその辺の情報は出てこないね。当時の社長と懇意にでもしてたんだと思うが。(つづく)
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(昔々)大井川鐡道に乗ってきました そのいち

2021年05月21日 22時32分14秒 | 旅行&おでかけ
さて、昨日も触れたが、ぬたりが大井川鐵道に乗った旅行について語ってみたい。昔の写真も探したんだが見当たらなかった。実家にまだあるのかしら?

この旅行の白眉は大井川鐵道井川線にある秘境駅、尾盛駅訪問にあった。当時たまたま見つけた牛山隆信さんのサイト「秘境駅へ行こう!」に大層感銘を受け、自分も日本有数の秘境駅に行ってみたいと思ったわけだ。サイト上位の「すごい」が頭につく秘境駅の中で、群馬から比較的近かったのが尾盛駅だったのよね。
で、尾盛駅は静岡県にあるのであれこれ静岡について調べた結果、浜松に航空自衛隊の広報館があって、これにも大層惹かれた。また浜松には駅近くに楽器博物館なる施設もあるらしい。これも行かねば、と計画段階から盛り上がったのを覚えている。

ぬたりの旅は基本日帰りで、新幹線使えば静岡なんか余裕で日帰り圏内なんだが、調べてみると大井川鐵道を全線乗るとなると相当に時間がかかることが判明。これにより日帰りは不可能。1泊のスケジュールで出掛けることに。
で、1泊となると「日帰りが基本」のぬたりとすると計画がかなり緩くなる。緩くなると余計なことも考えるもんで、つい、群馬→静岡という距離感に注目してしまった。簡単に言えば「普通列車で行ったらどのくらいかかるのこれ?」
今だから言うが、この計画を思いついた当時の自分をぶん殴ってやりたいわな。でも時刻表を読み込んで実行可能な乗り継ぎを考えたぬたりは、当時は一人で盛り上がったもんですな。

んで、意気揚々と高崎駅発の上り始発列車に乗った訳よ。いや、途中までは文句なしに楽しかったんだけどなあ。
(つづく 軽くやるつもりだったけど書いたら長くなった本格的に旅行記形式にしちゃお)
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ブッピガン!

2021年05月20日 20時21分56秒 | 旅行&おでかけ
先日来、ドラマとアニメでぬたり宅のテレビを席巻している「ゆるキャン△」であるが、このたび原作のマンガもKindle版が我が家のライブラリ追加されましてね。読んでます。
感想はまあ置いておくとして、現時点でメディア化されていないエピソードとして、大井川キャンプがありますね。アニメ2期終了時点での次なる大きめのエピソードだけに、先日発表された劇場版はこれになりそうね。

大井川か・・・、懐かしいですね。

ぬたりは過去、大井川鐵道を本線、井川線ともに完乗しており、今でも楽しい思い出として心に残っている。あの頃はあっちこっちに出掛けていたが、その中でも印象深い旅行として心に残っているから、純粋に楽しかったんでしょうな。
楽しかった理由は、とにかく1泊2日であれこれ詰め込んだ旅行だったからだと思う。新幹線や特急を使わない完全な普通列車での旅行(計画)、長らく行きたかった航空自衛隊浜松広報館の訪問。大井川鐵道の乗車と日本有数の秘境駅である尾盛駅の訪問。旅先での出会い、などなど、長年の計画と当日の偶然(トラブル含む)が入り交じり、忘れられない経験になったわけだ。まあ、斯様に旅というのは思いがけないことが起こるもので、たとえ悪い思い出であったとしても、それを後日楽しく振り返れることが出来るかどうかが旅を好きになれるかどうかの分水嶺になるわけ。そもそもあの時の旅行だって、計画の無茶さから翌日の夕方には半端ないほど体がきつかったわけだし。
だからぬたりは旅好きでいられるんだろうね。たとえ飛行機に乗り遅れようと、台風やらハリケーンに直撃されようと、それらは全部ぬたりの旅を構成する大事な要素であり、後日旅を語る上では大事な要素なのである。だから、理由はともあれ旅がうまくいかなかったからと言って誰かを批判するとかの行為は、ホント理解できねえよな。しかも大上段に構えて「自分が正しい」とかと断じるようであれば、ぬたりとしたら距離を置きたくなるな。どんな出来事であったとしても、後日笑って思い出話に出来ないやつが旅を語るんじゃねえ。つーかあの某左な政党の関係者さんは、最初こそメディアが取り上げたけど、事情が知れてくるとものすごい勢いでみんなが扱わなくなったのは苦笑したな。今や注視してんのは5ちゃんねるくらいなもんだぜ。

閑話休題。

ともあれ、独身時代、気になった場所は見てみたい、気になったことは体験してみたい、という方向の好奇心だけは旺盛だったぬたりは、他人が見ても「それの何が楽しいのか」「いみがわからないよ」と言われるような一人旅を繰り返した。今から思えばそんなものにいくら費やしたんだか、と我ながらあきれる部分がないではないが、それでも今のぬたりの人格形成に大いに寄与している経験だとは思うな。そんな中で大井川の旅行と言えば、ふとしたきっかけで思い起こす思い出になってるのよね。ホント楽しかったもんな。
で、たしか旅行のことを文章にした記憶もあるんだけども、多分mixi日記とかなんじゃないのかね。前のアカウントのやつはもう残ってないし、今思い出しながらあの旅行のことを書いてみるのもいいかもしれないな。今だから思うこともあるだろうし。
というわけで、次回からはぬたりの個人的思い出話になると思うな。うーん、いかにも他人の耳目を引かなさそうな文章になりそうだよなあ(ならやめとけよ)
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写真はフレーム外と匂いは伝えない

2021年05月15日 11時03分35秒 | 日記
さて、先日江戸時代の隧道跡、綾戸の穴道に行ったことをネタにした。
まあ、個人的には大満足、読んだみんなは廃道なんか興味ないからなんとも思わない、という形の更新になったわけだがね。
さてさて、探索を行った当日のお昼ご飯は、誰もいない公園でカップラーメンを食べたわけだが、なんとなくスマホで撮ってツイッターにあげた写真がなんか割といい雰囲気に撮れたりしましてね。それがこれ。

なんかこう、高原の優雅なピクニック、みたいな雰囲気よね。
で、ここ、GWなのに誰もいない程度には多くの人に顧みられてはいない場所になる。まあ、穴場で人がいないとは言え、多くの人の興味は引かない場所だからこそ人がいないのであってな。なので教えたからと言って人が押し寄せる可能性は皆無なのではっきり言うが、群馬県昭和村にある阿阻城跡に整備された公園になる。
場所的には赤城山の裾野に広がる棚状の高原地が利根川の河岸段丘に落ち込む端に位置し、崖端城と呼ばれる形状の城。
城と言っても文献では砦扱いもされるところで、そんなに規模は大きくないのだが、真田氏の前に沼田の地を治めていた沼田顕泰が愛妾の父親(兄とも言われる)である金子美濃守にこの地を与えたことで文献には登場する。ちなみにこの金子美濃守は自らの孫(または甥)に沼田氏の家督を継がせようとしきりに暗躍したことで、関東あたりの軍記物や歴史書ではつとに有名。その甥っ子は長じて沼田景義を名乗り、後に真田氏に支配下にあった沼田城奪還を画策し、真田昌幸の策により沼田城内で殺害されたんだが、この時その策に乗り城内に招き入れたのが金子美濃守だったと言われる。うーん、戦国の世はえげつない。

話を阿阻城に戻すと、公園自体はそれなりにきれいに整備されてて、本丸の土盛りや空堀も残っている。城址公園として見た感じは悪くないんだけれども、何しろ場所が河岸段丘の崖の端。城跡はもうかなり崩れてしまったそうで、公園自体は案外狭い。周辺道路も完全に農道で、場所的にも分かりにくい。なにしろ、あのグーグルマップですらこの公園をスポットとして表示してない。そら人は来ないよ。
だからこそ誰もいないだろうとぬたりは密を避けた昼食場所としてここを選び、実際誰もいなかったわけで、優雅に高原のランチ(カップラーメンだが)と洒落込めた訳なんだがね。

ただ、何事も写真と現実は違う。ランチの写真ではぬたりは木の切り株をテーブルにしていた様子が映っており、これがまた高原のピクニック気分をもり立てるわけだが、ここ微妙に木陰にならないのね。当日はそこそこ暖かかったので、直射日光の下は少しだけ暑かった。でもここは公園整備された場所である。木陰となる場所にはベンチが置かれてはいた。そこで食べられれば良かったんだけどね。

人がほとんど来ない公園故、ベンチも朽ち果てておりました。なので切り株を使ったのは「やむなく」なのよね。

とは言え、やっぱり人はいないし、高原の広大な景色を眺めながらのお昼はなかなかに気持ち良いことは確かで、レジャーシートかなんか持ってって、お昼食べるとかには使えそうよね。高速の昭和ICからも近いし。

ただ、周りを大規模な畑(全国でも有数の高原レタスの産地です)に囲まれている関係上、畑に施肥するタイミングに当たると、それ相応の臭いを食らうことにもなるんだけどね。つーか、以前ここ来たときにはそんな感じだったわ。今回は運良く臭いはなかったので良かったですわ。
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八十里 腰抜け武士の 越す峠

2021年05月12日 22時08分16秒 | 日記
“酷道”289号「八十里越」開通見通し立つ 福島~新潟 甲子峠に続き分断解消へ

うーん、(一応)感慨深い。
・・・なんか歯切れが悪い言い方になってますけども、なにしろ開通したとしても、基本的にぬたりがよく使う道にはなり得ないからね。
この道が結ぶのは新潟県三条市と福島県只見町。群馬県在住のぬたりとすると、只見に行くなら国道252号が、三条に行くなら関越(北陸)自動車道が既にあるから、群馬からそれぞれに行くルートの短絡にもならんし、双方を同時に行く用事というのもまずない。多分わざわざ走りに行かない限りは通ることはないと思う。
で、そんな道、ぬたりはあくまでも国道252号線とセットで気にしていたに過ぎない。若い頃からいつか走ってみたいな、と思っていて、実際に走った道が252号。んでこの道は江戸時代からの街道で、通称六十里越。一方の289号は六十里越の隣の峠(直線距離で10キロ以上あるけど)で通称八十里越。名前も似てるし、こういう関係性であれば気にはなるよね。
国道252号は険路として知られる。そもそも日本有数の豪雪地帯のため、冬季は通行止めになるほどの区間だけれども、それに地形の険しさが相まって、冬の豪雪で道路施設が結構破壊されたり、そもそも路盤が崩壊するなどで、春になったからと言ってすぐに通れるようになるとは限らない道。んで、崩壊がひどければ補修をしているうちに気がつけば冬、と言うような事態もあって、ぬたりは昔から「なんかいつも通行止めだなこの道路」と気にしていた。
それでも時期を選べば通れる252号はまだマシで、289号はそもそも車道がなかった。まあ、昔の街道を元にした歩道はあるけども、歩き通すのにかなりな時間を要する。車道の方の289号線は、工事中、という話だけは聞いてはいたんだが、ホントに開通すんのかね、と半信半疑でいたんだがね。一応開通の予定が立ったという感じ。とは言え、ぬたりのお出かけやドライブに積極的に寄与する存在ではないので、普通なら、ふうん、程度で終わる話なのだがね。でもぬたりは割と道路好きなもんだからね。これだけの大規模な国道が新規に開通する、というニュースはそれだけで興味を引く。
何しろ今や日本は高度成長期にはない。昔のように開発こそ正義、という時代ではなく、多額の費用がかかる新規の道路建設はそれだけで厳しい目で見られ、工事着工しつつも中止になった道路も数多い。昔は重要視もしなかった「自然や環境の保護」も今ではとても重要な要素として道路計画に組み込まれている。289号のような山岳道路であれば、なおさら環境保護は重要となる。
それだけに大規模な新規道路の開通というニュースは案外貴重なものなのよ。この道は、ちょっときついけどぬたりの家からは日帰り圏内でもある。長いトンネルと橋梁が連続する最近の道は、走ったところでそんなに面白くもないだろうが、それでも興味を引く存在であることには変わりない。新潟県側には(一応)廃道部分も残されるしね。探索の楽しみもなくはなさそう。

言っておくが、この道の存在意義や自然環境への負荷とかそういうのをぬたりは言う立場にはない。この道を無駄だと断じる立場にも、必要性を声高に訴える立場にもない。道路好きとしては、生まれ出ずる道を、その建設の意図や経緯をプラスマイナス関係なく、それを知りたい、走ってみたいという好奇心があるだけ。
役に立つ立たないであれば、自分の交通の益にならない道路の知識を蓄えたところで意味はないとは思う。けれども、誰かの役に立つという考えの基にこの世に生まれた道を、そんな形で顧みることは、擬人化じゃないけれども、道も少しは喜んでくれるんじゃないかなあ、とかそんなことを考えたりもしますけどね。
ともかく、開通したら一度走ってみたいもんですわ。出来れば旧道(というか建設用道路というか)探索もしてみたいもんですけどね。
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GW 古道を巡るおでかけ

2021年05月04日 11時10分58秒 | 旅行&おでかけ
一度の量としてはちょっと長いけど、GWですし一気に載せちゃいますね。


さて、今年は出かけることが推奨されないGWだったわけだがね。
とは言え、いわゆる観光での病気の拡大が心配なのでそう言われるわけで、これを避けることができれば出かけても不都合はないわけだ。
・遠く行かない
・食事やトイレでもどこも寄らない
・人の来るとこ行かない
これさえ守れれば、出掛けても病気の拡大は抑えられるだろう。
もちろん、そんな観光して何が楽しいのだ、という突っ込みが今度は入るわけだが。

ともあれ、ぬたりは上記3点を守って出かけてみた。まずはこちらをご覧いただこうか。

まあ、だれがどう見ても「何これ?」としか言いようがない写真だけれども、これは「橋台」と言われる物。もう橋は架かっていないから橋台「跡」というのが正しいかな。橋の両脇で土台となる部分。
ここは群馬県渋川市赤城町棚下。橋の名前も棚下橋と言った。田舎にぽつねんとある橋台跡で別に何か案内があるわけでもないのだが、架橋は明治18年(1885年)とかなり古いもの。東京と新潟を結ぶ通称「清水国道(当時の国道8号線)」の橋なので、由来自体も相当立派なものなのね。ただ、橋は架橋の15年後、大水で流され、以降再び架けられることはなかった。
ここは今でこそ渋川市だが、平成の合併前は赤城村。赤城村はぬたりの出身地でもあり、よもや自分の生まれ育った村にそんな遺構があったなんて思いもしなかったわけである。まあ、この橋台とぬたりの実家は結構離れているけどね。今回はまずこれを見に来た
・・・で、実はこの写真自体はちょっと前のものだったりする。実はその時は買い物のついでで、服装は普段着で靴もデッキシューズ。で、ここもあくまでもついでに寄っただけで、本来見たかった場所がすぐ近くにあったりするのね。その時は現地の下見しか出来なかったので、今回は改めて装備を整えて再訪した次第。その場所の名前を「綾戸の穴道」という。
棚下橋は利根川に架かっていた橋だが、棚下橋の少し上流で川幅が狭まり、綾戸峡という渓谷となる。

上流側から見るとこんな感じな。ここの上流は戦国から江戸時代に真田家が領有したことでも知られる沼田の地。人の往来は昔からあり、この渓谷を越えるために昔から試行錯誤が行われてきた。明治時代の国道がわざわざ棚下橋を設けて利根川を渡ったのも、険しい地形を避けるための試行錯誤だったわけ。ただ、橋は大水の時に流されるという弱点を抱え込み、実際その通りになった。
話を綾戸の穴道に戻せば、こちらは江戸時代に端を発する道。従来綾戸峡を山へ高巻きをして超えていた不便さを解消しようと、綾戸峡のもっとも険しい部分(児子岩という岩場が川にせり出している。上の写真の右側の岩)にトンネルを穿ち、通れるようにしたもの。ただしこのトンネルは狭くて明治期の国道としては採用できなかったので、棚下橋が架けられた。その後、棚下橋が流された翌年には綾戸の穴道のあたりを通るルートに国道が移ったものの、古い穴道の隣にもう少し大きい断面の新たなトンネルが掘られて、旧来の穴道は使われなくなった。ぬたりが見に行ったのはこの旧来の穴道。
ただまあ、残っていると言ってもほんの一部分だけ。現在(令和3年)の東京から新潟県に抜ける幹線国道、国道17号もここを通っており、児子岩の部分のトンネルはさらに拡張されて「綾戸隧道」として今も使われている。穴道の南口はこの拡張に完全に飲まれていて、明治の隧道も江戸時代の隧道もいまや存在しない(というより今なおトンネルとして生きている)。しかしながら、北口に関して言えば、江戸時代の旧隧道の入り口がまだ残っているらしいのね。江戸時代の隧道なんて全国的に見ても貴重に過ぎる。実際、江戸時代のトンネルとして有名な大分県の青の洞門は有名な観光名所。そんな貴重なものがあるなんて、地元民としては見に行かねばでしょう! というわけで、今回やっと訪問できたわけさ。

ともあれ、ぬたりは1度普段着で来て、多少の試行錯誤の結果、隧道を拝めずに帰っている。理由は簡単で、北口は水面からおよそ10メートルの崖の中腹にあり、崖をよじ登る必要があったからなのね。だから一旦は崖の途中までよじ登って退散したわけ。退散地点は水面から7メートルから8メートルのあたり。初見だとこれでも結構怖いよ。

んで、春の日差しのGWに再び綾戸峡にやってきたぬたり。上の写真は児子岩と綾戸トンネルを捉えている。写真の中央右に落石覆いとガードレールが見えると思うが、あそこが現在の綾戸隧道。んで、穴道がどこにあるかというと…、

赤丸の部分。中央の人工物は地盤強化用の擁壁。穴道はそのすぐ背後にある。写真だと児子岩のスケールがでかすぎて分からないだろうが、赤丸の地点ですでに水面から10メートルくらいの高さがある。擁壁にしても相当に大規模な工作物になる。これの工事の時によくぞ北口が壊されなかったもんだが。

そしてその擁壁の真下にやってきた。赤丸の場所にある穴道のためにここをよじ登るわけだが、前回来訪時には黄色の丸地点で断念。この段差が2メートル以上あって、普通の靴では無理だった。じゃあってんで、青のルートも試したものの、ここも青丸で断念。擁壁の下端には20センチ程度の平坦部があり、ここを伝って行けなくもなさそうだったものの、1.5メートルほど手掛かりが何もない状態。しかも下側も滑らかなコンクリ斜面になっていて、とてもじゃなくて怖くて足が踏み出せなかった。なので今回は黄色のルートで。丸部分も何とか乗り越えた。前回は高くて死ぬほど怖かったが、2回目だと少しは怖さも薄らぐな。そして擁壁の裏に回り込むとすぐにそれが見えた。

江戸時代の隧道である。
ただまあ、奥行きはせいぜい2メートル。荒々しいにもほどがある素掘りなので、自然の地形と言われれば納得してしまいそうになるほど。でもこれは人口の穴であり、埋め戻されたもの。実際、岩壁と中に積まれた石の材質が違う。

壁面も荒々しい。残念ながら、人の手で掘ったと思われるような跡(削孔とか)は見られなかった。
全国でも有数の古隧道をこの目で見られた満足感はかなり高く、それなりな興奮状態にあったけれども、ここは安息の地とは言えなかったですね。

写真の下に映っている植物はいばらでございましてね。ええもう動き回るとチクチク痛い。おかげで両手が悲惨なことになったわ。

ともあれ、長いこと念願だったぬたりの地元にある全国有数の古隧道(の跡)を見ることができて、個人的には大満足のGWになったわ。ちなみに今でこそ国道のすぐ脇だが、大規模な地盤強化工事が行われていることから分かるとおり、ここはトンネル崩壊の要注意個所として見られている。
このため、ここを避けるバイパス工事がすでに着手されていて、計画通りであれば2023年に開通する予定になっている。現在の国道のトンネルは、危険防止の観点を考えれば完全に封鎖されるんじゃないかと思う。江戸時代から拡張されつつ人々の交通に供されてきたトンネルも役目を終え眠りにつく予定。その際にこの穴道の北口がどうなるかは未知数ではあるけど、おそらく既に顧みられる存在ではないから、今後も長くあそこで眠り続けるんだろうなあ、と思う。
なお、この地区の当時の道の状況が詳しく知りたい方はこの本が詳しい。道の歴史やバックボーン含めて相当に詳しいことが書いてあるよ。

世の中ホント思いもかけないところに思いもかけないものがあるもんですよ。多くの人が知らない貴重なものを見られたということで、何か歴史の目撃者にでもなったような、そんな感覚すら覚えるGWのお出かけでしたとさ。
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しあわせですか しあわせですか あなた今

2021年05月01日 13時11分11秒 | ぬこ様
東日本大震災以降、思い出したように余震が発生している昨今。
本日も東北を中心に比較的大きな地震が発生しており、ぬたりの住む場所では震度3の揺れを観測。東日本大震災以降、いろいろなことがあったし、今では新型コロナで世界中が大騒ぎになっているけれども、やはり現在は東日本大震災後の日々なんだ、と改めて実感する今日この頃。

さて、猫飼いの常識として、「猫の反応で地震に気付く」というのがあります。猫は感覚が鋭いので初期のわずかな揺れをも感知して、不意に周囲を窺いだす素振りを見せ、それを見た飼い主が数秒後に地震に気付く、という形。ぬたりも実家にいた際にはそういった猫の素振りで地震を教えてもらったことは何度かある。
さて、本日の地震(発表震度3)発生時のうちの猫の様子であるが

反応なし。
お前どこに野生捨ててきたんだコラ。

・・・とまあ、こんな風に気楽に話せることは幸せなんだと思うな。
最近ホント(主に仕事が)うまくいってなくて多少荒れ気味だったけれども、ちゃんと生きて、ちゃんと笑えて、たっぷり猫を撫でられる。こんな幸せはちゃんと嚙み締めないといけないと思う、特に外出予定のないゴールデンウィークの1日でしたとさ。
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