フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

年末のご挨拶

2012年12月30日 19時14分13秒 | 日記
私がこの世に生まれてきた事は ただの偶然で奇跡ともいえて
大人になりたいと背伸びしてた頃 今よりいろんなことが見えていた気がする

Where is borderline?
I will just there sometime.

今は希望や理想なんていう言葉とは程遠い現実で
昨日も明日も変わらない毎日 嫌なら辞めればいいじゃない
でも現実甘くないんだ 結局お金がなくちゃ何も出来ないんだ
でも何の為に生きてるの?


卵の殻を割らないと 食べられないように
自分の蓋を開けないと その中を二度と知ることはなく

Where is borderline?
I will just there sometime.

二度と来ない今という時をどう生きるかなんてね 難しい事じゃなく
今が楽しければそれでいいなんて言わないけれど先の事は見えない
後悔だけはしたくない


幸せなんて目には見えないけれど 誰もが欲しがって
それぞれの幸せを それぞれの生き方を追い求めてゆくのですね

遠いその道の向こうには何が その草の影には何があるのか知りたくなる
だけど踏みとどまらせてるものは 世の中でも他人でもなくて
自分の心にあるよ

今は希望や理想なんていう言葉とは程遠い現実で
昨日も明日も変わらない毎日 嫌なら辞めればいいじゃない
でも現実甘くないんだ 結局お金がなくちゃ何も出来ないんだ
でも何の為に生きてるの?

でも何の為に生きてるの?
(境界線/奥華子)




人生の意味、なんてものが分かるにはまだまだ人生経験が足りないぬたりではありますが、今年も変わらずに過ごしてきました。
良い意味も無論あります。生きたくても生きられない人が沢山いる。不慮の事態や病気お腹をすかせて死んでいく人だって世の中にいる。その中でぬたりは今生きてこれを書いているし、おなかいっぱい食べることもできる。それはある意味で勝者だろうと思います。
だけれども、相変わらずダメな自分が沢山ありました。自分の努力が足らずに奈落の底に落ちていくのは自業自得だから仕方ないにしても、その醜態を他人にわざわざ晒すという事態まで起こしてしまいました。せっかく奈落に落ちないように設えてくれた台すらも、ぬたりは易々と踏み抜いてしまいました。
ぬたりなりには踏み抜かないように注意したつもりだけど、それは言い訳にしかならない。踏み抜いた事実は動かない。

いつか踏み抜いた場所を補修できるだろうか? 次は注意深く歩けるだろうか?

答えは分かりません。出来るかもしれない。出来ないかもしれない。
それでもいつかまたあそこまで這い上がらなければいけない。補修するために、今度こそ注意深く歩くために。そんな生きる意味も、あっていいのではないかな、なんて思います。

それだとその場でうまく行ったら生きる意味がなくなる?

とんでもない。その上には過去に踏み抜いてきた場所が無数にあるのがぬたりの人生。先はまだまだ長い。
おちおち、死んでられないですよ。まだまだ生きてゆかなきゃ。



今年の更新はこれが最後です。今年一年、本当にありがとうございました。
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”希望”という名の未来へ

2012年12月29日 16時35分54秒 | ヲタネタ


というわけで、ゲームとすればある意味スタート地点に立ったとことも言えるんだけど、「リトルバスターズ! エクスタシー」について、とりあえずトゥルーエンドまでは辿り着いた。まあこれ4年も前のゲームだから、今更感バリバリなネタではあるけどね。
にしても久しぶりですね。エロシーンに必要性を全く感じないエロゲーって。「群青の空を越えて」以来だ。

実際、もともと「リトルバスターズ!」ってのは全年齢対象ゲームだったもので、それをシナリオの追加等を含めて成人ゲームに逆輸入したのが当作なんだけれども、いやもう付け足し感が半端ない。エロシーンに流れるなんかこう間の抜けたとも言える音楽も相まって、どう考えても制作陣はこの作品でエロを感じてもらおうという気がないよねこれ。エロゲーやってて、明らかにその手のシーンに行くであろう選択肢をわざわざ避けた、なんて経験は初めてだわ(セーブしといてあとでギャラリーの為に選択肢を選ぶという事をした)。

さてさて、4年も前のゲームだし、ネタバレとかも正直そんなに気を遣わなくてもよさそうな感じはするも、アニメ版が今ちょうど折り返しという事で、下手するとまっさらな気持ちで作品に触れている人もいるかもしれないので、ネタバレは出来るだけしないようにしますが、現段階のアニメもそうですが、ゲームも序盤は結構明るい感じ。ギャグや小ネタも多いし、気楽に楽しめる。

楽しさは単なる前振りでしかない。

後半はがらりと作品の雰囲気が変わる。何も知らない方は何も知らないまま見ていってほしい感じですね。ぬたりのように「こんな風に展開させちゃうわけ!?」という感覚を味わってほしいと思うな。
展開的には正直そんなに劇的で独創的とも思わない。伏線もちょこちょこと、かつ大胆に張られてますので(アニメ版は多分次回あたりから)、先の展開がある程度は読める。
けれどもこの作品の良さはそこではなくて、あくまでも作品の展開、エピソードの積み重ねが実に巧みであること。
クライマックスに向けてエピソードをどう積み上げていくのか、そこに至るには如何な伏線が必要なのか、そういった点が実にうまい。いや、これ面白いですわ。やったことない方でやれる環境にある方(Windows、PS2、PSP、PS Vita)にはおススメですな。

いやいや、こういう出会いがあるからヲタ趣味はやめられないんですよね。
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せめて「はやぶさ2」を「ヤマト」とかに出来ないかなあ?

2012年12月27日 20時34分54秒 | 日記
【公式】NASAの新型宇宙服がどう見てもトイストーリーのコスプレだと話題に(←リンク先はロケットニュース24)

ん、意識はしてるだろうなあ。
ただ、バズをモデルに、というよりは、新しく作ってみたら、ちょっと形が似てたもんだから、それらしく色を塗った、という方があり得る話だと思う。首回りを大きくしたデザインは、多分宇宙飛行士からの要望だろうと思うなあ。首の所に頭を通すのはかなりきつくて耳がもげるかと思うほど痛いらしいし。

NASAに関する本を2つ3つ読めば、NASAの最大の懸念はタコの形や灰色の宇宙人ではなく、予算であることが容易に想像がつく。
予算の額的にはある程度のものが組まれはするものの(それでもアメリカの国家予算からすれば大した事はない)、とにかく宇宙開発というのはお金がかかる。スペースシャトルが長きに渡って使われたのも、システム自体が優れていたと言うよりも、後継機を開発する予算がなかったという方が正解に近い(もちろん優れた部分はあるからこそ長いこと使えたという側面はあるが)。チャレンジャー、コロンビアの2機のオービターと複数の宇宙飛行士の命が事故で失われ、対処療法的に対策は施されたものの、基本的なシステムはそのままでフライトが続けられたのも、根本的な解決を行う予算がなかったからだ。緊急脱出装置すら満足に搭載されなかったぐらいだから。
そういう中で、NASAに必要なのは、予算を寄越せという活動と、予算の少なさを吹き飛ばす優秀な人材の確保なわけで、一般認知度の高い作品をイメージさせるのは有効な手段とも言える。国民の多くが「頑張って活動しろ」と言ってくれれば予算は増えやすいからね。対テロ戦争なんていい例だ。アメリカはあの戦争に幾ら使ったんだか。

ちなみにNASAにはSF作品に絡んだ(絡まされた)前例がある。スペースシャトルのオービター1号機とも言える、エンタープライズがそれ。
有人宇宙船を造る、とNASAが発表したところ、スタートレックのファンから「宇宙船の名前はエンタープライズにして欲しい!」という意見が寄せられたらしい。日本で言えば、「ヤマト」か「999」にして欲しい、みたいな感じか。
そもそもこの機の名前は「コンスティテューション(日本語で「憲法」。発布200年記念だそうで)」であり、同名の原子力空母も配備済みで、基本的には検討の目はなかったんだけども、当時の大統領の目にこの意見が触れて、何だかんだで実現してしまったんである。
おそらくはファンは歓喜したことだろう。こう名付けられたことにより、NASAに耳目が集まったのは間違いない。NASAが「予算増やして欲しいな」と言った場合、「そうだそうだ増やすべきだ」と同調した国民も多少は増えたはずではある。「エンタープライズ号に乗ってみたい」と、宇宙飛行士を志した子供もいたんじゃなかろうか? ぬたりとしても、例えばギブソンの新しいエレキギターの名前が「Gi-ta」とかになったら、買う買わないは別にしてギブソンに注目するものな。ギブソンに限って絶対やらないだろうけど。

さて、この話にはオチがある。オービター1号機はエンタープライズではあるのだが、この機体、実は単なる滑空試験機。ジェット機にくくりつけて、上空からちゃんと滑空するかを見る、言ってみれば実物大のモデルでしかない(もちろんある程度本気で作ってありますが)。宇宙に飛び立つ能力は備えていないんである。ファンの活動があまりに早すぎたと言うわけで、彼らの夢見た宇宙船エンタープライズ号はとうとう実現しなかったんである。
チャレンジャー号が失われた際、エンタープライズを改修して宇宙船に、という話もあったらしいが、「バラバラの予備部品を新たに組み上げた方が遙かに安上がり」という理由で新たに建造(エンデバー号)されたくらいだから、エンタープライズが如何に宇宙船から遠い存在だったかは推して知るべし。
ま、世の中そんなもんだよね、って感じでね。2度のシャトル事故でアポロ以降の魔法が解けて、「NASAの新技術!」みたいな売り文句もすっかり魅力を失った昨今(いまだにありがたがる人もいるけど)。それでもシャトルの経験を生かして、また有人宇宙船を作って欲しいなあ、なんて、幼心にスペースシャトルに「未来」を見たぬたり
とすると、思わずにはいられないんだけどね。

JAXAあたりでは有人宇宙船なんか無理だろうしなあ。
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お箸の国の人だもの

2012年12月26日 19時40分31秒 | 日記
突然だが、ぬたりの朝食はご飯と決まっている。
ぬたりの実家は、米に関して言えば、ぬたり家初代からぬたりの父親に及ぶ4代に渡る農家であり、ぬたりのひいじいさんの代から3代に渡る堂々たる小作農である(凄いんだか凄くないんだか分からん)
ひいじいさんの代から、田んぼに関しては自分の家のを持っておらず(理由は察すれ)、借りた田んぼで米作りを行っていた。まあ、自分ちで食べる分プラスアルファくらいの小規模なもんだが。
で、田舎の近所付き合いはのんきなもんで、貸すと言っても「遊ばせとくよりマシ」という感覚に過ぎず、小作料はあって無きが如し程度でずっと作っていて、子供の頃にはぬたりは田んぼは自分ちのだと信じて疑わなかったほどだ。
こんな家庭で育てば、食事の中心はパンではなくてご飯になる。朝食は当然のことながらご飯である。ぬたりは40年近くこういう生活を続けてきた。
ご飯が好きかと言われればパンより断然好きだと答えるぬたりではあるが、別にご飯が好物というわけではなく、単に40年近くの経験から、その方が落ち着くという話でしかないのは確か。パンはなんか食べた気がしないのよね。
数年前に米作りは実はやめてしまったんだが、実家では長年の付き合いで米は容易に手に入り、そんな具合なので実家に電話をかけて「米、米、米!」と言えばお米が貰えるのがぬたりの環境であり、朝食はご飯と決まっているのである。パン買う金も勿体無いし(ぶっちゃけるな)
で、先日米びつがほぼ空になっているのに気が付いた。実家に取りに行っても良いんだが、ふと一計を案じた。実家に帰るまではどうしても間があるから、この間パン食に移そうかと思ったわけ。
何でそんなこと思ったかと言えば、「おかずのクッキング」のテキスト準拠で料理を作ろうと思ったら、土井先生流は頑なにパン粉を使わず食パンをミキサーで挽く手順を踏むのである。食パンが6枚切り1枚程度が必要量であり、どう買っても余りが出てしまうからである。なら、実家に取りに行くまで、朝食はパンにすれば具合が良い、とこう言うわけ。

繰り返しになるが、ぬたりの朝食はご飯が基本。正直やむを得ずの気持ちであった。あんな物足りないんだし、パン食なんかする人理解できないよなあ、なんて思っていた。

朝、すげー楽だわこれ

いやもうびっくり。前日に用意しなくて良いし、当日の洗い物も皿一枚とパターナイフのみ。なんか朝にえらい余裕があった。これは良いわ。

と、しばらく楽をしてパン食に移るかと言えば、やっぱりパンのお金が勿体無いので、実家に帰ってお米をもらってきて、また朝食はご飯に戻るんだけどね。やっぱり正直物足りない。ぬたりはやっぱり、朝はご飯に納豆かなめ茸ぶっかけて食うのがよいわ。うん。
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Don't say "lazy"

2012年12月25日 19時59分33秒 | 日記

今聞くとなんか懐かしいなこれ。

さてさて、ぬたりは今ちょっと野暮用につき、今日はちーとブログ休みます。
では、また明日。
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一期一会

2012年12月24日 14時10分32秒 | 日記
何日か前の話。
twitterでフォローさせていただいている(またはマイミクの)りょーかんさんが「今更ながらというか、ついに決断」というツイートを行い、まあ、そういう風に誤解されていた。
「世間的には大した事じゃない」と予防線は張っておられたので、結婚ではなさそう、という予想は容易に出来たわけではあるんだけれども、まあアラフォーになって「決断」という言い方をすれば、そういう風に取られるのはむしろ自然なことではあるんだけどもね。(ちなみにiPhone購入だったみたい。確かに「え?まだしてなかったの?」って感じ)
ちなみにぬたりも誤解のないように言っておきますが、その話を取り上げたからと言って、ぬたりにそっちの話があるわけではない。意図的なはぐらかしとかが多い当ブログではありますが、これだけは本当の話としてはっきりさせておきます。ぬたりは今は絶賛フリーの身です。紹介してもらってダメだったばっかりなのであまり胸を張っては言えませんが、ホント紹介の口があったら是非にお願いしますわ。

閑話休題。
このツイート見て、「世間的には大した事はない、個人的な決断」という事柄として、ぬたりは個人的には、さださんのCDを買わなくなったときのことを思い出しちゃいましたね。
ぬたりは2010年6月発売の「予感」からさださんのオリジナルアルバムを買うのをやめている。その前数作あたりから、買って聴きはするんだが作品に気持ちが入らない、という状況が続いていて、どうしようかどうしようかと思っていて、決断したのがこのアルバムの時だった。
世間的に見て、特定のアーティストのCDを買わなくなる、というのは大きいことじゃない。興味というものは移り変わるものだし、「そういえば昔は聴いてたなあ」というアーティストの一人や二人いる方が普通。
しかしぬたりは15~6才の時から、ずっとさださんの歌を聴いてきた。今では首を捻ることが多いとは言え、さださんには本当に色々なことを教えて貰った。その恩を感じるが故に、歌に気持ちが入らない、言動に首を捻る、ということが多くなってもCDを買うのをおいそれとはやめられなかった。年1回程度の習慣、と言うのもあったかもね。こういうモノは分かっていてもなかなかやめられない。
そのため数回、首を捻りながらもアルバムを買って、結局ほとんど聴かない、ということが続き、「予感」の前作「美しい朝」で、とうとう「次は買わない」という決断に至った。
「美しい朝」というアルバムをどうこう言うつもりはない。とりたてて出来の悪いアルバムだとも思わない。ただ、その前のアルバムには「雰囲気的に合わないから」という理由で「がんばらんば」を収録しなかったのに、今回は収録(がんばらんばmotto)。で、雰囲気に合わせてアレンジするのかと思ったらほぼそのまんま。今回のアルバムにだって合わないじゃん、なんてことが引き金にはなっている。
自分でも思うがこれははっきり言いがかりである。正しくも何ともない理論。ファンが見れば怒るのも当然の乱暴すぎる意見である。それは分かっている。
けれどもそう思っちゃったんだから仕方がないんである。それが自覚できたときに、ぬたりはさださんのCDを買うのをやめようと思ったわけ。

ここまで書いても、みなさんの感想は「で?」でしかない取るに足らないことだとは思う。ただ、ぬたり的には結構大きかった。当時は店頭で「予感」見かける度に、本当に買わなくて良いのか?  という何とも落ち着かない気持ちになったのは今でも憶えている。なんか今までの自分を否定しているみたいでね。

あれから2年。ぬたりはさださんとは付かず離れず、程度の距離感を保っている。CD買わないライブも行かないテレビも見ない。けれどもブログではちょくちょく扱うし、今度のギター/ウクレレの披露も多分さださんの曲。さださんの歌は、もうぬたりの血となり肉となってるんですよね。

まあ、そんなことを考えるクリスマスイブイブだったりするわけですよ。さて、「映画 けいおん!」忘れずに録画しなきゃね(どんな〆だコラ)
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たのしい日曜日

2012年12月23日 19時35分57秒 | 日記
本日はレコーダーに撮りだめていた番組とか、「リトバスEX」とかやって、昼飯はサッポロ一番みそラーメン。晩御飯はほか弁という、実に怠惰に一日を過ごす。

大変有意義な一日であった(おい)

いや、こういう休息もたまには大事さ。
ところでほか弁屋のレシートに「TAKE-OUT」と書かれているんだが、ほか弁屋でテイクアウト以外に取れる行動あんのかしらね?
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年賀状はお早めに

2012年12月22日 19時29分55秒 | 日記
両親の年賀状の案をいくつか作って母親に見せたところ、一番パッとしないの選ばれて、理由を聞いたら「ヘビがいないから」と言われてしまったぬたりですこんにちは(挨拶)

お前そんなにヘビが嫌いか、と言うとこなんですがね。こっちもそれをふまえてヘビの図案にしてもヘビの玩具とかシルエットとかだけにしたんだけど、駄目な人はとことんダメよね。ちなみにそんな母親の子供であるぬたりも、触るのには抵抗あるくらいには苦手であるな。毒のないヘビ(良く見るアオダイショウとかね)あたりなら見る分には平気だし近くにも寄れるが。
ともあれ、斯様にぬたりは両親の年賀状も代行している。パソコンに去年の送付先のデータはあるから、誰に送るかの打ち合わせさえすればあとはぬたりの方で送れるからね。年末に返事用のハガキ(宛名のみ未印刷)を実家に持ってけば、送らなかった相手への迅速な返事も出来るし。
本来筆無精のぬたりですから、よく家族とは言え他人の年賀状まで請け負うなあ、とぬたりを知る人間なら思うだろう。これは両親、ぬたり、ともに「年賀状というものは少なければ少ないほど良い」という哲学を持っているため、両親ぬたり合わせても30枚も年賀状があれば十分、という物理的な少なさによるところが大である。
もちろんうちの両親が人付き合いをないがしろにしているという意味ではない。うちの父親に関しては、まあめんどくさがりではあるものの交友関係は狭くはないし外面はよい。が、なんか訳の分からないけど説得力がある、というスキルを持っており、「1月中に面と向かって挨拶できるんなら年賀状なんかいらないだろ」という訳分からん理屈で、親しい人間にはほぼ年賀状を出さないので、ここまで枚数が節約できるというわけ。一方のぬたりは、まあ人付き合いはないがしろにしてる気があるから、両親とはちと違うな。単純に友達が少ないだけだ。社内的な暗黙の了解として、仕事関係に関しては基本的には年賀状は出さなくて良い、というのがあるから、仕事関係は省けるし。

さて、今回のぬたりの年賀状なんですけど、正直申し上げますが、かなり手抜きちっくです。イラストをスキャナで取り込んで、パソコンにバンドルされていた「筆まめ」でレイアウト合わせて完成、というもの。イラストを押し出すあまりに、手書き文章をくわえる余地がなくなってしまい、結局は印刷したものをそのまま出すという、もうちょっとお前手を加えろよ、という年賀状にもなっておりますが、ご了承下さいませ。

毎年思うけども、こういうの作るセンスが欲しいよなあ。ホントに。
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もぎゅっと”Love”で接近中!

2012年12月20日 20時51分56秒 | ラブライブ!


今日は以上だ(おい)

なお、明日は職場の忘年会につきブログ更新はお休みです。お休み前にはラブライブ! それでトップに長く置いておくというのは、うちの暗黙の了解なのです。
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人生七転八転

2012年12月19日 19時33分59秒 | 日記
日曜日。ぬたりは車を運転していた。仕事のためである。

ぬたりの会社は基本は週休二日であり、土日は休みである。ぬたりの職場は休日の当番者がおり、1か月に一度くらいは休日当番も回って来るが、それにしても代休の対応をするから勤務日数自体は変わらない。
こういった時間外の勤務は、本来雇用者が被雇用者に命令をして行わせるものである。実際は兎も角、労働基準法的にはそうなっている。これは裏を返すと、上司の了解がない限り時間外の勤務は認められない、という事になる。
勿論上司も鬼ではないので、必要であることを説明すれば、ぬたりの職場においては往々にして時間外勤務を認めてもらえる。ぬたりはそれほど残業をしていないが、忙しい人はそれなりに残業を認めてもらっている。
話を戻して日曜日である。ぬたりは仕事と言った。休日に仕事をする理由は「今日あたりに出先仕事しておかないと後日ぬたり自身だけが困る」という状況だったからである。
そんな状況に時間外勤務が認められるはずもなくてな。まあ、ハナから申請する気もなかったけど。

そんなわけで自宅から車に乗って外仕事。高崎方面へ。仕事(の前準備みたいなもの)をこなす。
用事自体はお昼ごろには終わった。場所的にどうでしょうの原付東日本でも紹介された達磨寺が近かったので、駐車場に車を停め一休み。コンビニで買ったペットボトルの緑茶を飲み一息つく。仕事自体が嫌と言うわけではないのだが、プライベート削って仕事をするというのはやはり微妙にやるせない。
ふう、とぬたりは深呼吸し、そして思った。

そうだ、だるまを買おう(意味不明)





というわけで、長い前振りから唐突ですが、だるま買いました。どうでしょうでは達磨寺の売店で買ってましたが、ぬたりはだるまのお店で買ったので、その場で名入れがサービスとなった。せっかくなんでちょっと変わった文字を入れてもらいました。


まずは真ん中にドカンと鎮座まします「渟足」の文字。ちなみにこれでちゃんと「ぬたり」と読みます。まあ名前書くトコですから。ちなみに職人さんから「これ、なんて読むんですか?」という羞恥プレイを見事に受ける羽目にはなった。


向かって右にはぬたりの座右の名ですな。「笑門来福」。笑ってりゃ大概の問題は向こうから離れていきます私の場合。


そして向かって左に「生生流転」。元は仏教用語でそれはそれは深い意味があるんだけれども、ぬたりの場合は「なんだかんだで物事は変わっていっちゃうんだから一つの事にくよくよ悩んだってしょうがねーしゃん。明日は明日の風が吹くんだぜ」というお気楽にも程がある意味を込めて書いてもらった。
なお、「生々流転」と書く方が本来だし、横山大観の絵も生々流転なのに、なんで生生? とお思いの方もおられるかと思うけども、あくまでなんとなくです。言っておきますが、ぬたりはもう決してさだファンじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!

まあ、ぬいぐるみと共に今後ぬたりの楽しい同居人になってくれるでしょう。いつも笑ってるし。
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