フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

メリークリスマース!

2019年01月29日 18時55分58秒 | 物欲
さてさて、ぬたりの経済状況はと言えば、ひとえに多額の住宅ローンと言うことになる。
が、それでも支払うこと2年。まあどうにかやっていけるんじゃないかという手応えも感じ始めた昨今ではある。それこそ贅沢なんかまるで出来ないんじゃないかと怯えていたが、将来の一括返済に備えた貯蓄もそれなりには出来ていて、今のままで行けば贅沢三昧こそ出来ないがそれなりの生活は送っていけそうだ。
んでまあ、自分へのご褒美でもないがちょっと冬のボーナスを物欲に割り振ってみた。物欲ネタとすればそんなに大きなものでもないが、こんなものを購入。



マルシン工業のFive-seveN。有り体に言ってモデルガンですな。もう少し細かく言えばガスブローバックガンってやつ。
お前モデルガンにも興味あったのかと言われれば、そんなにはなかった、という答えになる。まあ男の子ですから、銃に関する知識は少しはあるが決して詳しいわけじゃない。このFive-seveNにしても、別に好きな銃でもないし好きなキャラが使っていたとかの思い入れもない。
じゃあなんでそんなもんに万単位の金を使ったかと言えば、数年前に試射させてもらえたときの手元に来る「ガツン」とした衝撃が忘れられなかったのよね。過去にそのへんはブログで1回扱ったんだが覚えてる人もいないでしょうな。ここな
まあ高いもんだしなかなか買えないよねえ、と思っていたのだが、先日Nゲージを買ったお店に在庫があって、しかも結構安かったもんだから気になってしょうがなかったのよね。
このお店というのが、群馬県館林市にある明和模型というお店で、ここがまあ、とにかく品揃えがすごい。ぬたりは前回Nゲージと今回モデルガンをお世話になったわけだが、どちらも一つ一つ眺めてれば半日は過ごせちゃうんじゃないかという圧巻の品揃え。プラモに関してもかなり在庫は多く、こういう店が群馬にあったとはねえ、と恐れ入ることしばし。とは言え同じ県内だってだけで、県央部から館林市行くのは下手に隣の県行くよりも遠いけどな。
ともあれ、前回城跡巡りのついでに見かけたもので、今回も城跡巡りのついでに立ち寄って購入してきたわけですわ。

モデルガンに話を戻せば、こいつはガスの圧力でスライドが動くわけだが、ガスガンの業界で広く使われている代替フロンガスではなく、Co2ガスを使っている。細かい説明は省くが、代替フロンに比べて動作が速くなり(このため腕に来る衝撃がより大きい)、低温でも動作がより安定し(代替フロンよりも低温時に高圧を維持しやすい)、環境負荷も低い(工場等排出のCo2を高圧化してボンベに詰めてます)。地球温暖化に対し常に犯人扱いを受けるフロンガス(代替フロンも最近は槍玉)は常に規制対象とされる可能性が示唆されるだけに、その惚れ惚れする手応えだけでなくて将来のガスガンの姿としても注目されるモデルガンとも言えますな。

ただ、Co2ガスガン、ってのが違法改造銃の常套手段とされてて業界に広くアレルギーがあるみたいでね。マルシンさんがCo2ガスガンを商品化してから数年経つけれども、追随の動きがこれと言って見られないのよね。そもそもガスガン用の代替フロンの規制は噂では散々語られてるけれども、しょせん噂レベルで実際の動きは全然聞かない。だからまだまだ今のガスガンでいけるだろ、って読みも業界にあるんじゃないかしら。さらには今のガスガンそのまま使えるような新しい代替ガスの開発もしてはいるみたいだし。これが商品化されれば、んなわざわざ新しいシステムに手を出す必要もない。
また、小型とは言えガスのカートリッジを本体に収納するスペースがどうしても必要で、普通のハンドガンにはちょっとスペース的にきついらしい。Five-seveNはグリップが太く、ここがカートリッジを仕込むのに都合が良かったそうでね。
さて、仲間とサバイバルゲームをやるとかそういうこともないぬたりとすれば、たまに空砲でバシバシ撃ってその手応えが楽しめればそれで良いわけで、業界の動きや評判は正直関係ない。さらには一番欲しいと思っていたモデルが店頭在庫だった、というのも強烈に背中を押してな。これ古めのモデルで、こっちの方が撃ったときの手応え重いんだよ。新しいのは動作が速いかわりにやや軽いそうなのでね。店員に聞いてみたら古いモデルだってんで、その点も強烈に背中を押した。
ともあれたまには自分へのご褒美。いかな弾を発射しないとは言え、危ないので一応部屋から猫を追い出して、バシバシと動作させて手応えを楽しんでますわ。

さて、ここで話は表題に戻る。年も明けてしばらく経つのに何故こんな表題なのかと言うことだ。答えは単純である。

自分へのクリスマスプレゼントで買ったのに、動作不良でメーカーに返品してて、到着が最近になっちゃったんだもの。

そもそもマルシン工業というメーカー自体が「自分で調整できないやつは手を出すな」くらいのメーカー。ただ、このFive-seveNだけは「マルシンとは思えないほど箱出しでバシバシ撃てる」という評価で油断していたんだが、よもや業界の洗礼を浴びようとは思わなかった。
Nゲージもそうだが、業界自体の規模も会社の規模も非常に小さいので、こういう「分かってるやつ以外は手を出すな。手を出すんなら分かれ」と言う姿勢自体はそんなに批判するにはあたらない。ただ、このFive-seveNは違法改造のレッテルを回避しようと、そもそも素人には必要以外の部分を分解できないようにして、結果、いじれないならいじらなくてもいいようにある程度の信頼性を保たざるを得ない、という製品なので、これで動作不良掴むとかどんだけぬたりには運がないのか、それとも後ろにやっぱりその手の神様でも憑いてんじゃなかろかと自問自答する、そんな平成の最終盤ではありましたとさ。
ちなみにマルシンさんは、診た結果はちゃんと電話連絡をくれるというおそろしい丁寧さで、曰く「不良(ガス漏れだった)が再現できない」という、結局時間を取られただけの結論にはなった。手元に帰ってきて再度カートリッジを入れてみたが確かに問題がなかった。買ってきた日はシューシュー抜けてたんだけども何だったんだホントに?

でも、このCo2ガスガンのブローバックはホントに気持ちいいよ。モデルガンに興味のある人は是非一度試射してみて欲しいですな。尤も、試射だけさせてくれるような良心的なお店はそうはないだろうけど。少なくとも群馬県内にはないだろうなあ。そう考えるとホント、行きずりの客にいきなり試射だけさせてくれた、長野県松本市縄手通りの宇宙堂さんはサービスすごかったんだな。長野においてはそこそこ有名な店みたいだから、こんな零細ブログで宣伝する意味もないだろうが、皆様松本市にお越しの際は是非縄手通りのこのお店へ。プラモやラジコンだけじゃなくて、カードゲームとかボードゲームもあるよ(むしろそっちの方が品揃えがすごいの)
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キミの隣

2019年01月26日 10時58分59秒 | ヲタネタ
という訳で風邪を召しましたわ。
いや、厳密にはまだ治りきってないんだけどな。まだ少しだるいのと喉がおかしい。今回のはしつこいな。まあ悪いことにぬたりの仕事が長々とした休養を許さず、中途半端に仕事させられたのも悪かったな。一番体調的にきつかった2日間、連続で職場いたからね。一応医者行ってインフル陰性は確認したがな。
でまあ、少しは症状も落ち着いた頃にようやっと1日休暇貰えて横になっていたのだがね。

ずっとアマゾンのプライムビデオ見てました(ダメじゃん)

しかし便利になったもんで、今やタブレット端末やスマホがあれば布団に入って横になったまま映像見られるんだもんな。映画だって見放題。ぬたりは持ってるのはKindle Fireなので、ことプライムビデオ見る分には操作相当しやすいのよね。下手したらFireTVよりも扱いやすいのはどうかと思うが。つーかもう少し使いやすくしてくださいFireTV。
で、何を見てたかと言うと、
TVアニメ『ヲタクに恋は難しい』PV第1弾


ヲタ恋×halca「キミの隣」スペシャルPV

アニメ ヲタクに恋は難しい
ま、これを1日で一気見しちゃったんですけどね(寝れ)

いや、この作品、ぬたりがプライムビデオ見てるとやたらめったらPV流れんのよ。だから随分前から気にはなってたんだけれども、この年になると恋愛物はなあ。重いわ。
とりあえず原作本はどんなもんだと同じくアマゾンでサンプルダウンロードして読んでみたのね。
・・・いまいちかなー(おい)
という訳でしばらく気になってたけど見ずにいたんだが、風邪で寝てるとまあ暇だけはあるもんで、まあハズレなら見るの止めればいいや、と軽い気持ちで視聴を開始してみた。
おもしろいわこれ。
個人的に主演の伊達朱里紗の声が割とツボ。どこが良いか、というのも難しいが、腹から声出した時とか濁声の時の感じかね。
あと良い意味でヌルイね、この作品。恋愛物ってーと割とこう修羅場的展開がお約束じゃない? 恋敵が現れたり決定的に気持ちが離れたりとか、そういうドロドロした奴。この年になるとそういうの胃にもたれるけどもな。この作品そういうの全くないわ。終始展開ヌルイ。結構な適度なぬるま湯。刺激強くないので、長湯するにはいいと思うぞこれ。原作本もサンプルの後あたりから面白くなってくんのかねこれ。
そんなことを考えながら、だらだら見てたら、あら、1クールアニメ初の一気見。面白くて目が離せないとかではなくて、気が付いたらなんとなく全部見てた。

というわけでそんなことやってるから風邪治りきらねえんだよ、というツッコミは軽くスルーして、今の問題はコミックス買ったもんかどうかという事でな。

さださんにしてもヲタ趣味にしても、距離はとっても決して離れられないもんなんだな、と言うのが今日のまとめ。あと数年で50なんだがいつまでヲタ趣味やってんだかねえ(多分一生)
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山に行くべえ そのさん

2019年01月21日 20時11分43秒 | 旅行&おでかけ
だらだらと続いた旧碓氷峠歩きのネタも今日がいよいよ最後ですよ。まあ、皆様の反応も思いっきり冷めきってるのが手に取るように見えるところで、今日の分は今までに比べても長いよ(おい)

道はなだらかに下り続ける。写真の場所は少し斜度がきつくて、挙句枯葉が深く(くるぶし埋まるくらい)積もっている。シャワシャワふわふわと感触はいいんだけども、枯葉の下がどうなっているか分からないのでえらい気を遣うわ。そう言えばいつの間にか雪も見えなくなっていたな。

そして分かれ道。左がぬたりがこれから辿るべき旧中山道。右は明治天皇が明治11年に御巡幸をなされた際に整備された、通称「御巡幸道路」。ぬたりはこの道の存在を廃道界のカリスマヨッキれんさんの著書で知った。彼がここに来たのは10年くらい前で、当時は御巡幸道路はここからして立入禁止の措置だったみたいだけども、今は途中までは御巡幸道路を辿れるようになっている。最終的に道は御巡幸道路を離れ、旧信越本線の碓氷第3橋梁(通称めがね橋)へ通じている。
こんな感じで整備されたのは最近で、麓の観光案内所で貰った旧道のチラシにも「廃道」とうたわれている。御巡幸道路の現在も解放されていない部分は険しい山肌の中腹を辿るルートなので、落石や災害に弱いのが弱点でね。その点、それ以前からの旧中山道は尾根筋の道だから、落石や災害には比較的強く、今日まで一応存続している。ちなみに、御巡幸の基本交通手段は馬車であり、このことから「御巡幸道路は馬車で通行できるように開削された」という記載も見えるが(横川駅近くで貰ったチラシにもそんな感じで書いてあった)、いくらバイパスとして整備されたと言っても御巡幸に間に合わせるために突貫工事で造り上げた道だそうで、流石に道のスペックが足らず、御巡幸道路を馬車が通行したという記録はない。明治天皇は基本この峠は輿に乗って通行されたようだ。明治天皇は当時27歳と若く、この峠道では幾度か自らの足で歩かれた(玉歩と言うそうな)記録もある。沿線の絶景に思わず心が躍られたのかもしれないね。
ヨッキれんさんの著書と現状解放された御巡幸道路の行先を鑑みるに、ヨッキれんさんが一番驚いた道幅の広い急勾配の九十九折りも今や堂々と通行できるという事で、興味がないでもなかったが、今回は流石にパスして旧中山道をそのまま進む。そしてこの分岐には最終目的地の横川駅までの距離が書かれた看板もあった。

ふーん、あと7.5キロね・・・って、
あとまだ7.5キロもあんのかい!?
先は長いや。

道はまたしばらくなだらかに進み、「座頭ころがし」なる急坂を下る。下りきると再びなだらかになり、狭い尾根筋を進む。こういう狭い所で敵を狙うのが常道だわな、なんて思っていたら唐突に看板。

あら? 目的地着いちゃった。

こんな感じの尾根。看板の向こうが一番狭く、まさに道の幅しか尾根がない。ここを渡ってくる兵をこの背後の高台から狙い撃つわけだ。

高台から見るとこんな感じ。ここから道を責め来る敵兵を射かけるわけだ。

そしてこれから進む方向。切通しになっているので両側から矢を射かけられる。戦の為にこうしたわけじゃなくて、こういう地形の場所にさっきの堀切をしたり、守りの工夫を凝らしたってとこね。大道寺政繁は築城名人として有名で、彼が築いた(改築した)松井田城(碓氷峠を越えてきた先にある)は当時からして名城の誉れも高い。ここもなかなかに自然の地形と街道筋を生かした守りの工夫がすばらしいと思うな。

一番の目的を果たして、足も軽やか。地形的には刎石山という山頂付近の尾根筋を伝うルートで、多少のアップダウンを繰り返す。ただ、地形は険しく路肩はすぐ崖、なんて所も多い。なるほど難所と言われるわけだわ。
旧関所跡や茶屋跡、井戸など旧跡が連続する刎石山山頂付近を過ぎると、覗(のぞき)なる場所に出た。あまり視界の開けない峠道において、ぬたりにとってはこれから向かう、登ってきた人間にとっては少し前にいた、群馬県最後の宿場町、坂本宿が一望できる。

おお、とうとうここまでやってきたぜ。あの集落の向こうが横川駅。あとちょっとじゃねーか、と心底ほっとした。
で、実はこの時、ぬたりは碓氷峠を舐めていた。下りのみとは申せまだまだ体力に余裕はあり、翌日は一日動けないんじゃないかと歩きはじめるまでは戦々恐々としていたが、今のところ全然そんなことはない。下りのみの場合息は上がらないが体重と下りの衝撃を支え続けるため、足が悲鳴を上げるもんだが、今のところ全然大丈夫。正直下りであれば山道を10キロ以上歩くのなんてこんなもんか、と思っていた。ブログで「俺を峠のスペシャリストと呼べ。・・・下り専門だが(おい)」なんて冗談を書こうと思っていたほど。
ところが物事には理由がある。なぜ碓氷峠が有数の難所と言われるのか。御巡幸道路がなぜ峠の一部分だけ新たに開削されたのか。その理由をぬたりは上記の遠望のわずか数分後から身を持って味わうことになる。その場所の名を刎石坂という。
ぬたりがこれまで辿ってきた旧碓氷峠は基本尾根筋を伝っており、その中で平坦な場所や広い場所、少し急なところが点在する。一方これから向かう坂本宿や横川駅は沢筋にある。尾根から沢筋へ出るには一度尾根を降りなければいけないが、今までそんな場所は一度もなかった。これはどういう事か。
すなわち、これから一気に沢筋まで下りこむという事だ。その標高差は200メートル以上。この標高差を一気に下りこむ刎石坂こそが旧碓氷峠最大の難所で、前述した御巡幸道路はここを避けるためだけに開削されたものである。要するにぬたりは、旧碓氷峠の一番きつい所をまだ経験してなかったわけ。



で、この刎石坂。急なのももちろんなんだけども石がとにかくゴツゴツしていて足場がちっとも安定しない。だから足に無駄に力が入るしスピードもちっとも出せない。ちょっと下っただけで一気に足が悲鳴を上げた。一歩歩くごとに足が痛いよ足が。

看板にも一番の難所と書いてあるな。

看板にあったからその節理の分かりやすい場所の写真も載せておこう。こうして岩が割れていくわけね。

下ることしばし、旧国道18号線(車道)に出た時は東屋にへたり込んだわ。最後の1キロくらいだけで体力使い果たしたわ。こりゃ明日は動けねえな。あとでデジカメの撮影時間を見てみたら、峠からここまで2時間20分程度だった。
とは言えこれで終わりではない。ここから横川駅までまだ3キロ以上ある。そこまで公共交通機関は存在しない。夏休み期間ならバスはあるんだけどね。もちろんこんな田舎タクシーなんか走ってねえ。
再び歩き出す。道は坂本宿に至り、やっと遠望してた集落に辿り着けたわけだ。んじゃあ、ここから逆にぬたりがいた場所はどこなんだろうかと振り返ってみた。

恐ろしい所にいたもんだな、数十分前の俺は。
行程はこれでほぼ終了。歩ききった自分へのご褒美に、横川駅といえばここ、と個人的に決めている越後屋食堂さんに。



念願のモツ煮肉トーフセット定食を食す。相変わらずうまいのなんの。疲れたてた体にモツの味が沁みわたるぜ。

以上で当初考えていた予定はすべて終了。いやいや、体はきつかったが変なネタもオチもなく、大満足のトレッキングだったわなあ、と早くも痛み出した体を引きずりホクホクで横川駅へ。あとは信越本線乗って帰るだけだ。

高崎行きは5分前に出ちゃった後だったけどもな。
ちなみに次の電車は一時間後な。

という訳でキリのいいところで今回のお話はおしまい。オチはいらねえって言ってんだろだから。
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山に行くべえ そのに

2019年01月20日 13時51分08秒 | 旅行&おでかけ
さて、ここからは少し歴史のお勉強になるが、徒歩道時代の碓氷峠は幾度かルートの変遷をたどっている。現在「旧碓氷峠」と一般に言われるルートは、文久元年に行われた皇女和宮降嫁の際に整備されたルートで、通称「和宮道」とも呼ばれる。毎年5月に行われる、最近では名前も売れてきた仮装OKのマラソン大会「安政遠足(あんせいとおあし)」もこのルートを辿り、軽井沢側最後の急な上りだけを迂回するルートになっている。ちなみに明治期にもあと1回大規模なバイパス工事が行われているのだが、これは次回で記す。
が、ぬたりがこの日辿った陣城跡はそれより時代が遡る。陣城の場所も和宮道から分かれて少し旧中山道を進んだ位置にある。和宮道は難所を避けた、言ってみればバイパスで、歩くのなら少し戻ってそっち行った方が楽なのは分かっていたのだが、せっかく少し旧道を来たし、城跡巡りの観点からも当時使っていたルートである旧道を歩いた方が相応しかろうと、そのまま旧道を進むことにした。下りなら急であってもそんなに関係ないし。

こんな感じで最初は普通の歩道っぽかったしね。


ま、5分後には後悔してるんですけどね。
V字に切れ込まれた道は、底には落ち葉がたまっていてその下が分からないし、少し上の斜めのところに足を置こうにも霜柱でグズグズで踏ん張りがきかない。地味に体力を使わされるので、ちょっと後悔。下りで良かったよ。

とは言え、歩きやすい場所でふと振り返ると、歩道にうっすら積もった雪にはぬたりの足跡しかないという、それなりに気分の良い経験をしてたりして気分も晴れますけどね。前には一切足跡がなく、後ろには自分の足跡だけ、ってのは実に気分が良いわ。

その後、沢を渡ったりもしますけども、

道は往時の姿を思わせる感じが続くので、こと下りであればトレッキングとしては基本気分の良い道ですね。和宮道は一度は途中まで車道転用されてますから、道の雰囲気とするとこっちの方が断然いいと思うな。まあ、和宮降嫁なんてイベントをするのに遠回りのバイパスを設けたくなるのは、この旧道歩いていると痛いほどよく分かったけれどもね。下りは結構急だったもの。
そう言えばこのあたりでぬたり以外の足跡もありましたね。

人間のじゃないけどな。これはカモシカですね多分。結局この日、峠道では誰とも会わなかったな。

陣場ケ原、というところで、和宮道と合流。写真は振り返って撮影。右が和宮道。左が旧中山道。和宮道は写真のとおりだらだらと登って行くのに対し、旧中山道はしばらく平坦で(少し下りすらもある)最後一気に上る。そら大規模な行列通過させるのなら避けるわな。

これから歩む旧中山道は車道転用が一時期なされてもいるので、こんな感じで広くなる。けれども幅とすれば車一台がせいぜい。すれ違いは全くできないまま続く。ほとんど消えてはいたが(そして雪の上にはもちろん皆無)、車の轍も見える。まあ、ジムニーあたりが入ってくるんでしょうな。軽クラスじゃなきゃとても怖くて入ってこれないわこの幅。

とか言ってると、旧碓氷峠では有名な廃物件、廃バス車体にコンニチワ。道幅なんてギリギリいっぱいだろうに、よくもまあ、という感じ。

まあ、このあたりはかつて別荘分譲が行われた場所。もちろん、こんなすれ違いも出来ない車の幅ギリギリしかない未舗装道路を数キロ走ってくる山の中を好き好んで買う奴は少なく、当時としても人気は皆無だったんだろうけれどもね。

今でもいくつか別荘の廃墟が建っているがね。写真だとそんなにヤバく見えないだろうけれども、どれもこれも数十年放置されてますから、近づきたいとすら思わないな。
この元別荘地を過ぎると道の下りが増す。旧碓氷峠はそんな感じで坂があってなだらか、坂があってなだらか、という形を繰り返す。この坂は山中坂という、まあ名は体を表す山の中の坂で、下りきると道はなだらかになる。そしてそこにはやはり旧碓氷峠では有名な看板がある。

わざわざ赤い側線が引いてあるのがミソ。実際にはこの先でもジムニークラスならUターンできなくもないんだけども、この看板を境に車の轍がほとんど見られなくなる。

そしてここにはかつて茶屋集落があったそうな。ここの学校には明治初期に25人の児童がいて、御巡幸で小休止した明治天皇が「この様な山中(実際相当な山奥)でも熱心に勉学に励むは関心である。」と25円の奨学金の下賜が、供奉者からはさらに10円の寄付があったそうな。そんな山中の茶屋も、御巡幸の数年後に現在の車道が通る場所のルートに碓氷峠が移ると、一気に無人化したそうですけどもね。

山中茶屋跡を過ぎると道はいよいよ旧街道っぽくはなる。杉の間を延びる歩道はなかなかの雰囲気だけども、残念ながらこれらの杉は後で人間が植林したもんでしょうね。そんな歩道を歩いていると、一か所だけ視界が開けた。

ソービューティフル。
なんとまあ美しい西上州の山並み。こういうのあるんだから、群馬県が魅力ないとか騒ぐ必要ないんだよなあ。ちゃんと魅力はあるから焦る必要ないし、魅力度を上げようと騒ぐ必要もないんだよね。こういう魅力を知らないで騒いでいる馬鹿がいるだけなんだから。

(あともう1回だけ続くのね。つーかまだ目的地の大道寺堀切に着いてすらいないな)
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山に行くべえ そのいち

2019年01月19日 18時28分46秒 | 旅行&おでかけ
ぬたりが城跡巡りをするにあたって大いに参考にしているのが、「群馬県の中世城館跡」という本で、1988年に群馬県教育委員会が出版している。
で、この本にはそれこそ1000を超える城館が載っている。そうなってくるとなかなか規模の小さな城跡は目立たなくなってくるのだが、その中では規模関係なく目立つところもあって、地図に城域の場所を記載したページなんかで特異な立地の城跡なんかあれば案外目につくもの。
で、今回、何気なくページをめくっていたぬたりは群馬と長野の県境近く、碓氷峠の只中に、ぽつんと城跡の記載があるのを見つけた。本によると「大道寺堀切」と言うらしく、城跡というほど大規模なものではないらしいが、中世の城館跡であることは間違いなく、保存状態も良好らしい。
大道寺、碓氷峠、というキーワードから大道寺政繁を思い浮かべる方もあるかもしれないが、記録によると在城者に実際、大道寺昌直(政繁の子)の名前がある。小田原戦役の際に碓氷峠を越えてきた豊臣方の軍勢を、この堀切で迎え撃った記録もあるそうな。実際、一度は豊臣方を退けていて、この時の豊臣方の主力には真田の名前がある。うーん、真田丸から早数年。
とまあ、目についたのはいいんだが、ここは旧中山道の只中。登山道こそ旧中山道という事で整備されているが、ここに至れる車道は付近にはまるでない。往復するにしても10キロは登山道を覚悟しなけりゃならん。しかも日本有数の難所で知られる中山道碓氷峠。そうやすやすと行けるもんではない。
だが、一度気になってしまうとどうしようもなくなるのがぬたりの性分。このため、出来るだけ楽なルートだけは見つけたその日に考えていた。
まずは新幹線で軽井沢駅へ。軽井沢駅からタクシーで峠にあたる熊野神社へ行く。ここから現在は登山道となっている旧中山道を麓の信越本線横川駅まで歩いて下るルート。距離は十数キロってとこで、これならルートのほとんどは下りなので体が楽、という考えである。ぬたりは旧中山道碓氷峠を歩き通すことが目的なのではなく、堀切が見たいだけなので、こんな感じで出来るだけ楽をして辿ることのみに主眼を置いた。新幹線とタクシーで少々金はかかるが、メタボ中年が無理しちゃいかん。
兎も角今回は城跡巡りが趣味のメタボ中年がトレッキングコースとしてはそこそこボリュームがある旧碓氷峠を歩いてきたことをネタにする。ダラダラ長いから何回かに分けるよ。


んで、早速やってきたのは軽井沢駅。流石に冬の軽井沢は寒いが晴れているので事前に想定していたほどではなかった。季節はまさに真冬だけれども、この季節ならば碓氷峠の自然界からの脅威であるクマ(結構出没します)とヤマビル(日本でも有数の発生地帯です)を回避できるのな。さらには植物が枯れているので地形が見やすく、城跡巡りには実はベストシーズンなのな。
そのかわり峠まで行く軽井沢の周回バスが運行しておらず、楽しようとしたらタクシーを使わなきゃいけないのと、峠を折りきった先、横川駅までのバスがやはり夏休みくらいしか運航してないので、こっちは歩かなきゃいけないというマイナス面も抱え込んだが、まあこのくらいはしょうがないか。ちなみに駅から峠までタクシーは1900円でしたわ。

駅から旧中山道碓氷峠のサミットを眺めてみる。中央の低いあたりね。

さて、知らない人の勘違いに「冬の軽井沢なんて雪が積もってるから登山道歩きなんて危ないんじゃないの?」というのがあるな。スキー場も有名だしな。でも実は軽井沢は冬に積雪なんてほとんどないのですな。スキー場はほとんど人工の雪だからね、あれ。とにかく冬寒いだけでね。
隣県在住者としてこれを知ってるぬたりは、雪の心配なんか一切せずにこうして真冬の軽井沢を訪れているわけでね。こういう時に知識は役に立つのだよあっはっは。


では、なんだこれは?
駅の近辺はなかったんだけどな。峠来たらうっすら積雪してやんの。メタボ中年がこれから登山道行くっつーのに大丈夫かこれ? 

ともあれ峠にある熊野神社に参詣。この日の無事を祈願させていただいた。そして本殿で手を合わせたのちに振り返るとこんな光景が待っていた。

絶景かな。この眺めは碓氷峠を旅したほぼ全員が眺めたでしょうな。

ともあれ、旧中山道歩きスタートである。これから10キロは歩かないと乗り物に乗れる見込みのない山道である。さあ、頑張って歩くぞ!


と言いつつ、すぐに山野に分け入ってたりしますがね。ここは近年発見された城跡で、ぬたりの持つ本には載っていない。
おそらくは小田原戦役の際に豊臣方が築いた陣城であろうと考えられていて、そうであるなら、かの真田昌幸や真田信繁もここに在城した可能性は高いわね。うーん、真田丸から早数年再び。実際かなり保存状態は良好。そんなに手が込んだ作りじゃない辺りは、陣城たる所以かしらね。

(続くよ)
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かつては佐世保市内に実店舗もあった

2019年01月15日 20時29分30秒 | 日記
早いもので結婚をしてからもうすぐ5年となるわけで、もう2回も家移りを経験しており、2DKのアパートだった独身時代の自宅の眺めと、安普請ながら一戸建て持ち家(ローン付)の今の自宅の眺めは隔世の感があるな。たった5年なんだが。独身時代はでかいテレビもでかい冷蔵庫もリビングのソファもなかったわけで、家財道具もすっかり様変わりをしている。家族がいればそりゃ買い換えも必要というものでな。結婚や引っ越しを機にあれこれ買い換えた。そう言えば洗濯機も買い換えたな。
5年も経てばそら家電製品なんて結婚みたいなイベントがなくても変わるわな、とは思うのだが、実はぬたりの独身時代から、キッチンの一角を占拠したまま使い続けられている家電製品がある。
炊飯器と電子レンジである。
両方とも料理の基幹となる家電じゃないかと思うのだが、普通に使っている分には問題がなく、とりあえずは使えるものだから何となくこれまで使ってきた。独り暮らしの際に使っていたものだから炊飯器は3合炊きだし電子レンジも容量はミニマムな15リットル。んなの結婚と同時に買い換えろよと言われるかもしれないが、夫婦二人ならとりあえず3合炊きで不足はないし、電子レンジも一応はオーブンレンジなんで一通りの用途はこなせる。だから先送りにはなっていたのよね。
ただ、炊飯器は釜のコーティングはすっかり禿げてしまっているし、電子レンジも安いもの特有の丸ターンテーブルがおかあちゃんは気に入らず、かれこれ数ヶ月は買い換えようかどうしようかと家電量販店を見てはいた。両方買うとなるとそれなりの出費にはなるので踏ん切りがつかなかったのよね。





まあ、こういうもんってふとしたタイミングで買っちゃうのが常でな。ジャパネットたかた見てて衝動買いしちゃいましたわ。
ぬたりは普段からジャパネットはよく見ているんだが、別に何かを買おうということで見ているわけではなく、その話芸を楽しんでいるクチ。分割手数料かからないのがメリットと言われても、個人的には家電製品は一括で買う質なので、ぬたり的にはジャパネットにメリットを感じにくいのね。こうなると総支払額的には他の所とそんなに違いも生じない。とは言え高いとは決して思わないので、買う気のない通販番組でもそれなりに楽しく見られていたのだが。
んで、今回は何気なくテレビ見てたら、ちょうど検討していたのと同程度の炊飯器が紹介されて、そうそう、こういうの検討していたんだよなあ、と思ったら、やはり検討していたオーブンレンジがセットで紹介されて、思わず見入ってしまったわけでね。おいおい、まさにぬたりが検討していた2種のセットじゃねーか。こういうシンクロニシティってあるもんなんだな。炊飯器もレンジもジャパネットで過去に売られてたみたいで、両方バラで買うのに比べれば万単位で安い。
ただ、セット売りってのは仕様を好きに選べないから、個別に買うよりもよほど慎重にならないといけないもんで、紹介を見たあと、そりゃネットで情報収集しまくりましたよ。
ただ、昨今ジャパネットはオリジナルモデルばっかりなので、情報はあまりないし他店との競合が出来ない。機能とかをあれこれと検討した結果、まあ、最低限機能は満たしそうだな、ってところで購入を決定。オーブンレンジの方は容量的にそんなに大きくなくて、多分このあたりが買う人を選んで、結果セットで叩き売りにされた要因なんではないかと予測。ぬたりんちは2人だから容量はこんなもんで大丈夫だと思うが。炊飯器は、多分「圧力IH」という、普通のIHで十分なんじゃね? と思わせる機能がついて若干割高になるあたりが安売りの遠因なんじゃあるまいか。ぬたりは前から興味があって、次はこれにしようと決めていたのでちょうど良かったけれどもね。
家電製品の買い換えなんて必要に迫られてのものだからそんなに楽しいもんでもないが、今回はたまたま楽しくテレビの紹介も見られたし、情報収集も楽しく出来た。実際これ買って良かったかどうかの判断は、今後使っていっての判断になるけれども、まあ少なくとも納得してお金を使う、という点に関しては満足できる買い物になりましたわ。
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成人の日ですねえ

2019年01月14日 22時13分02秒 | 日記
休日ですねえ。



そんな日にこんな動画を見かけて、スキッドステアローダーなんていう、どう考えても一生縁がないであろう乗り物(※)についてネットで調べて過ごした、そんな休日。
無駄な時間の過ごし方にも程があるなしかし。


よく勘違いされるが、群馬でも平野部であれば雪は滅多に降らない。山間部はともかくとして、ぬたりの住んでるあたりで雪が降ってれば大概は同時に東京あたりも降ってマスコミが大騒ぎしてる。それなりの山間部であるぬたりの実家近辺ですら、除雪用にこんな重機持ってる人はまずいないよ。
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今年も、やる気は、ない!

2019年01月11日 21時02分48秒 | 日記
夜勤者の夜は眠い。

・・・出だしでかっこつけようとしてちっともかっこがつかないという典型例になりましたが、ぬたりの仕事には夜勤があり、そらもう勤務前も勤務中も勤務終了後も眠い。
無論仮眠を取らずに仕事に突入するほどぬたりも馬鹿ではないので、夜勤に入る前に家で睡眠を取っていくのだが、普段寝てない夕方~夜に仮眠取ったって深い眠りは得られないし、普段寝てる夜~深夜帯に起きてりゃどうやったって眠い。そんなだから勤務終了後も当たり前に眠いが家帰って仮眠取ろうったって、普段寝てない午前~昼に寝たって深い眠りなんて得られない。んで、その夜は昼に寝てるから眠りが浅くなる。どうしようもないな。
夜勤明けは我慢して夜まで起きてるのが後に残さない秘訣、なんてのは看護師やっている知り合いから聞いた話だが、基本生まれてこの方、昼起きてて夜寝る生活を続けていたぬたりにとって、夜起きててそのまま昼も起きてるなんて芸当は不可能で、夜勤明けは基本バタンキュー。後に残るのは分かっていても夜勤明けは寝ちゃうもんなのさ。
まあ、夜勤の人数は少なく、少なくとも上司はいないので、仕事してて要らんチャチャが入って手を止めなきゃならんことにはならないので、結構自分のペースで仕事を進めることが出来るわけで、仕事上の利点があると言えばある。だからまあ必要以上に夜勤を嫌がることはしてはいないがな。一応健康上のリスクはあるが、週に何日も夜勤があるってわけじゃないし、前前から人間ドックで言われている体重と肝機能の数値に関しては、ここに来てから逆に改善が見られるから、リスクマネジメントは我ながら出来てるっぽい。数値悪化の項目もあるけれども加齢からくるものっぽい感じでもあるしな。
仕事内容自体は正直好きなもんでもないが、別にそれはここだけの話でもないし、ぬたりは何処に行っても仕事を好きになることはないと思うな。日頃の眠気は確かに良いもんでもないが、ちゃらんぽらんぬたりにとっては、ねみーねみー言ってるのはそれほどキャラともズレないから、まあ人生なんてこんなもんだよなあ、というのが最近の感想ではありますな。

今日は長々と語って結局何が言いたいかと言えば、夜勤の入りの眠い頭では、眠気覚ましにコンビニコーヒー買った際に、ホットなのに何の疑いもなくガムシロップを突っ込むほど頭の回転悪くなるよ、ってことでな。

それ言うためだけに長々と意味もなく語ったんかいと言うツッコミもあろうと思うが、そこはそれ、夜勤者の眠い頭が紡ぎ出すものだとご容赦いただければと思いますわ、はい(夜勤を免罪符にすんな)


というわけで、皆様今年もよろしく。今年もぬたりはこんな感じです、はい。
コメント (2)
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