フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

へんないきものは、きっとまだ日本にたくさんいます

2024年04月30日 22時09分32秒 | 日記
さて、群馬の妖怪の話をしたところで、ぬたりが今回参考にしたのが「群馬県史 資料編27」。ここに記載の「怪異」の項ではあるが、アズキトギ婆は文章量こそ多いが項目トップの妖怪というわけではなかった。天狗やカッパという全国的に有名な怪異もあったが、こと「群馬県史」で扱われた妖怪のうち、一番最初に記載されていたのは「ワウー」である。
ワウーは今で言う利根郡みなかみ町藤原で伝わる妖怪。藤原自体が平家の落人伝説も残る山奥の集落だが、ワウーが出たのはそのさらに山奥、武尊山の山中になる。伝承はこうである。
ある日村の猟師が武尊山山中に狩りに出かけ、その日は里には帰らず刈俣(という場所)の山小屋に泊まった。すると夜中に「ワァーウー!」とうなり声を上げる化け物がやってきて、山小屋をガタガタと揺すりだした。
猟師は恐怖のあまり夜一睡も出来ず、翌日里に帰ると「ワウーのお化けが出た」と里にふれて回ったという。
しかし山に生きる藤原の里の生活に山の資源を欠かすことは出来ず、数日後今度は木工職人が材料集めで山に入らなければならなくなった。
そして夜になり山小屋の中にいるとやはりワウーがやってきて、「ワァウー!ワァウー!」と体がしびれるほどの大声を上げながら、一晩じゅう山小屋を揺らし、職人は恐怖で数日間小屋から出ることが出来なかった。数日後ようやく里に帰り、このことを皆に伝えたという。
それ以来、ワウーが出たあたりの沢のことは「ワウー沢」と呼ばれるようになったという。

さてこのワウー。間違いなく地域独自の妖怪で小豆洗いのように他の地区にも伝承があるなんてことは無いと考えられる。似たような事をする妖怪は他にもいるだろうけど、ワウーとは言われていないだろう。
さて、令和の世の中、妖怪と言ったらまずは水木しげる先生。水木先生が作品で大きく取り上げた妖怪の知名度は相当に高いが、そうでない妖怪の知名度は低い。ワウーに関しては奇妙な鳴き声で小屋を揺らすだけなので特殊能力という点では弱く、それこそゲゲゲの鬼太郎に登場しても扱いに困るだろう。このため群馬県民でもワウーを知っている人は少ないんじゃないかな。
ましてこのワウーが出たという場所は具体的に一体どこなのかとかは、ワウーについて記載した文書にもほとんど書いてない。「武尊山中」「刈俣」と書かれていても、じゃあそこはどこなのかの記載は見当たらないのである。民話の中の地名だから、あまり追っても仕方ないのかもしれない
・・・でも、気になっちゃったんだよねえ(つづく)
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みんなでうたおう ゲゲゲのゲー

2024年04月24日 20時35分45秒 | 日記
子供の頃はとにかく怖がりでその手の話が大の苦手だったぬたりなのだが、子供の頃「水木しげるの妖怪辞典」をなぜか持っていた。確か世界の妖怪の本もあって、外国の妖怪は見るだけで死ぬとか容赦ないのが多くて、日本に生まれて良かったなあ、なんて子供ながらに思った記憶がある。怖がりのぬたりよくもまあこんな本を持っていたもんだとは思うが、そのあたりは一時代を築いた水木しげる先生の流石の影響力、って感じ。
本の内容は今となってはほとんど覚えてはいないのだが、一つ覚えているのは各県の妖怪伝承マップにぬたりの地元群馬県には小豆洗いの伝承が伝わると書いてあったことだ。
小豆洗いの伝承のある地域は群馬以外にもそこそこあるようで、妖怪とするとポピュラーな方。境港の水木しげるロードにも銅像がある。説明だと小豆を洗う音をさせる妖怪で姿を見たものは誰もいない、とまあ、どちらかというと微笑ましい妖怪ではありますね。実害があるとすれば「なんか不気味で怖い」「安眠妨害」くらいなもんだろう。
で、この小豆洗いであるが、さすがに団塊ジュニアのぬたりの身近な存在、というわけにはいかない。外を歩いていて小豆を洗う音を聞いたことはないし、経験談も聞いたことはない。昔話としても聞いたことはなかったから、小豆洗いの伝承はぬたりの住んでた地域ではなくて群馬の他の地域のものなんだろう、というのが子供ぬたりの結論だったわけだ。
そしてぬたりはアラフィフ。この年になると子供の頃のこういうなんてことない記憶を意味もなく思い出すもの。となれば「ではどの地域の伝承なのだ?」と調べる気にもなるもんである。
で、廃道とかと違い今回は案外簡単。民間伝承は研究している人も多く、ちょっとネットを叩いただけで群馬県発行の「群馬県史 資料編27」に記載があることが見つかる。早速最寄りの図書館へ行って該当の本を拝見。そしてそこにはちゃんと小豆洗いの伝承の記載があった。
いやもう、あるわあるわ。
小豆洗いに類する名前では県内22の地区で伝承があるとの記載だった。で、群馬の多くの地区では小豆洗いではなくて「アズキトギ婆」らしい。
最大公約数的なアズキトキ婆の伝承は、橋の下にアズキトギ婆が現れ「小豆を洗うか、人を取って食うか」と小豆を洗いながら歌っている、というもの。実際に人をさらったという伝承もある。このため小さな子供のいる親が「アズキトギ婆が出るから暗くならないうちに帰ってきな」と言い聞かせるわけだ。ひたすら小豆を洗う音を立てるだけで姿も決して見せないという多くの地域の伝承に比べると、歌を歌ったり人をさらったり、群馬のアズキトギ婆は少しアグレッシブなようだ。

それにしても、昨今不思議な現象は「心霊」や「都市伝説」ばっかりになっていて、妖怪の肩身はやや狭い感じ。話的にはそれぞれが亜種とも言える存在だと思うんだけど、妖怪話はなんというか「隙」がある。確かに人を襲ったり命を奪う妖怪話も多いが、「小豆を洗う音をさせるだけ」とか「砂をかけるだけ」とか「行く手を阻むだけ」とかと、直接的に人を傷つけない話も多い。「無念の死を遂げた人が祟り殺す」だの「国が隠蔽している。信じるか信じないかはあなた次第」などと、ただ恐怖心を煽るだけの話に比べれば、どこかユーモラスな妖怪の話の方が今の世の中には必要なんじゃないかと思いますけどね。大変なときこそユーモアって大事だと思うんだけどなあ。
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なぜ2月の探索ネタを今更やったのか

2024年04月20日 15時05分15秒 | 日記
さて、下手したらダム建設以来久しぶりに地上に姿を現した薗原ダム湖に沈む橋を愛でてきたわけだが、道路好きとしては一つ気になることがあった。
この橋の名前は?
いやまあ上に架かっている吊り橋が「薗原橋」なんだから、これも多分同じ名前なんだろうとは思ったのだが、物事は何事も例外があり実際にソースを当たらんことには分からない。心霊話でも触れたが、そもそもかつてはこれは県道の橋。でもダム建設により県道のルートは変更され、ほぼ同じ場所に橋は架けられたとは言え、目的が変わり管理者も変わっている(県道時だと群馬県。新しい橋は架橋時は利根村、今は合併で沼田市)。だから橋の名前が変わっている可能性も否定できなかった。
でも昭和30年代までしか使われていなかった箸の名前なんてどうやって調べれば良いんだ?
一応そのあたり調べてからブログのネタにしようと思っていたので探索から公表までにタイムラグがあったわけだが、調べてみたらあっという間に解決。沼田市立図書館でとりあえずこれからか、と手に取った「利根村誌」にてなんと写真付きで載ってた。この橋の名前はやっぱり「薗原橋」でした。
しかしこの園原ダム建設、地元ではやはり相当に大きな出来事だったようで、利根村誌でもかなりのページ数を割かれ、実に細かい記載がなされている。園原地区への影響だけでなく、村内では有数の観光地である老神温泉も影響を受けてますからね。
話はダムの話に脱線するが、「当時反対運動は全国有数の激しさだった」とは言われるが、建設自体は昭和27年の事業採択から昭和40年完成だから工期は13年。言われる印象ほどは長くない。ただどうやら地元の意見集約がうまくいかなかったようで、地方の村の一集落なのに4つも住民団体が結成されており、交渉がやりにくかったんではあるまいか。
特に強硬に反対する住民グループは「話し合いをすると、どう立ち退くか、の話になる。そもそも立ち退きする気はないから話すこともない」と話し合いすら拒否。彼らの肩を持つわけじゃないがダムが建設された当時の昭和30年代の話であるから、立ち退き交渉において、地方集落の住民が「国のためなんだからさっさとどけ田舎もんが」とかと軽んじられた可能性は否定できない。彼らが関係者に送った手紙にも、強硬な姿勢な中、「洪水の防止という大義は分かる」と苦しい心境も見える。このような強硬派の住民グループは8戸であったと利根村誌は伝えている。関係者と反対住民との物理的な衝突に関しては利根村誌に記載はなかったが、測量調査時においては隣の穴原地区出身で地区に顔見知りの多い警察官を警備にあて衝突を避けたという事例が紹介されている。そもそも園原ダム自体はほぼほぼ集落一つを水没させるとともに、地区では有数の温泉地の源泉と数軒の旅館に影響を及ぼす計画だったわけで、こんなの交渉に困難が伴わない方がおかしい。

閑話休題

ともかく利根村誌に載っていた往時の薗原橋の姿である。

全く同じアングルではないが、水没後60年近く経った今の姿がこれ。

ずいぶん埋まっちゃってるんだな。

ちなみにぬたりが現地で「特徴的だな」と思った3つの小さな岬状の地形。ここに天狗社というお社があったことは現地編で述べたが、ここの写真もあった。

写真は上流側からの撮影ですね。上に新しい薗原橋が見えてますから水没直前の写真ってことですね。

これこそ同じアングルじゃないですけど、手前の岬状のところには石垣が残ってますね。

ともかく、たまたま通りかかったら相当に水位が下がっていて、そこに昔の橋が見えていたものだから探索した上で、ダム建設の経緯も知るに至った。まあ群馬の片田舎のダムの話など知識として持っていても多くの人は今後の人生で役に立つことはまずないだろうが、それでも探索や図書館調査の時間はむちゃくちゃ楽しかったですね。久しぶりに有意義な時間を過ごせたと思うわ。
最後に、施設工事が終われば再びダムの底に沈む旧園原橋に改めて敬意を表して終わりにします。たくさんの人の役に立ってくれてありがとう。そして、おやすみなさい。
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58年ぶりに水面上に現れた橋を見に行った話

2024年04月18日 21時08分54秒 | 日記

というわけでやってきました薗原ダム湖畔のとある公園。ダム湖を見るがこのあたりだと水は全く溜まっていない。このあたりからカヤックを漕ぎ出したこともあるんだけどな。
このあたりは渇水期であれば地面が見えることも多く、地面のぬかるみはそれほどでもない。汚れを気にしなければスニーカーでもなんとかなるんじゃないかな? ぬたりは長靴(ワークマンで売ってるごっついやつ)で歩きましたけど。

で、案外近かったのでいきなり橋に到着。ここまで水位が下がったのは58年ぶりとも言われるが少なくとも橋まで来るだけなら泥の堆積自体は長靴すらいらないくらい。まあ泥の跳ね上げとかがあるので汚れを気にしたら長靴一択だし、橋の下は相当な泥の堆積なので下に落ちたら命の保証はないな。ちなみに探索時にぬたりは万が一を考えて、紐を引っ張ると瞬間的に膨れる浮き輪を腰に巻いてました。

なにやら特徴的な意匠のある親柱。

残念ながら銘板は失われていますね。

そして橋の上。かなり泥は溜まっているけど歩く分には問題ない。そして橋の向こうは・・・

うん、ここから先はぬたりには無理。石垣とか多少の遺構は対岸からも見えていたけど自分の踏破能力を考えればこの先に踏み込むのは蛮勇。橋を踏みしめられたことで良しとする。

それでも久しぶりに地上に姿を現した橋を往復。

橋の上流部には道の跡が少しの間確認でき、駒止も残っている。短く岬上の地形が3つ続き特徴的な地形ですね。後で分かったことだがここには天狗社というお社が鎮座していたらしい。

道の跡はまもなくなだらかな地形に紛れ判然としなくなる。もちろんこの先にも道路(水没当時は県道だった)は通じていたので、辿れば辿れるんだろうが今回は橋を踏みしめることが目的だったのでこれ以上の探索はせずに撤退。当時の詳細な地図でもあれば探索もしやすいが、探索当時も、そして今も手元にはないので、道がどこを通っていたのか正確に分からないしね。
ともあれ、60年前に沈んだ橋に再び触れることができたという、得がたい経験をさせてもらいました。
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マイナーな趣味を持つという事

2024年04月16日 20時15分07秒 | つぶやき
さて、ここの水没遺構を語るにあたり、前提の話をしなけりゃいけないだろう。
「渇水時のダム湖に立ち入るのって違法行為じゃないの?」という疑問だ。
結論から言ってしまえば「(今回に関しては)法律上の問題はない」。
そもそもダム湖の多くは法律で言えば河川法が管轄する「公共水面」にあたり、川の敷地は誰のものでもなく(正確には国の所有)、その場所を行き来したりすることは基本的に自由である。ダム湖の多くでカヤック等が特に許可なく楽しめるのはこういう理由である。もちろんルールはあるが、これは法律がどうこうと言うよりも安全性のため。そして薗原湖もカヤック等のウォータースポーツは特に許可なく楽しめる。
ただダム湖全体が立ち入り禁止となっていることがあるのも事実。これはなぜかと言えば、あくまでも管理上の理由でそこに法律は一切関係ない。理由はいくつかあるが、一番多いのは水位の急激な上下降。発電用ダムだとこれが日常的にあるため、こちらの安全を考えて立ち入り禁止措置をとってくれているわけだ。そして薗原ダムに関してはこの措置が取られていないことからも立ち入りに関しては基本問題はない。もちろん全てのダムには管理用の区域があり、薗原湖もダムに近いあたりはカヤックやボートでも立ち入れないが、今回見た橋の辺りまでは水が溜まっている状態であればカヤックやボート類は問題なく立ち入れる場所。つまり管理上の立ち入り禁止区画でもないのだ。まあ今回の場合、極端に水位が下がっているとは申せゼロではないので、ダム湖の底歩いてダムの管理区域にはそもそも近づけなかったけどね。
ダム湖だった場所はヘドロも溜まっており、地面は管理もされていないから危険はもちろんある。気楽に立ち入って良い場所でないのは確かだが、さりとて危険には一切近づくなと言うのは極論。例えばラグビーをやっている人に「脳しんとうや故障のリスクがあるのにプレイするなんてけしからん」とは言わないだろう。同じ事であるのだが、興味を覚える人が少ないから暴論であっても許されてしまうわけだ。それぞれ趣味でやっているのだから、要はリスクをちゃんと理解した上で慎重に行動しなさいよ、ということである。
こうやって語っていくと「立ち入り禁止区域などに留意し慎重に行動する分には立ち入りは問題ない」と分かってもらえると思うのだが、残念ながらかつて某テレビ局のニュースで「干上がったダム湖に立ち入るなんてとにかく大問題だ」と一方的に暴論をぶちまけられたことがあってね。ダムの管理者にすれば、そら気軽に立ち入って欲しくはなかろうが、程度の大小の問題で、管理者の本音を極端に言えば、ウォータースポーツだって事故があれば管理責任を問われかねないわけだから積極的にやって欲しいわけではないだろう。ダム湖の立ち入りを、どうですか、と言われれば「遠慮して欲しい」という回答にならざるを得ないのは管理者とすれば当たり前なのだ。だからといって立ち入りを全面的に断罪するのは暴論にも程がある。
マスコミは結構物事を調べもせずにテキトーな事を印象だけで報じることがある、なんてのは令和を生きる我々には常識ではあるんだけれども、それでもいまだに影響力は強いままで、つい信じちゃう存在、ってのは昔とあまり変わらない。それだけに「昔ニュースで見たけどそれはいけない事だろ!」と文句をつけられる前に、こうして長々と事情の説明をしなきゃいけない訳なんですわ。まあ、聞く耳を持ってもらえるのであれば「実はこんな感じなんですよ」と事情を説明できるのは良いことではあるんですがね。むしろそういうパターンの方が「そうだったのか」と印象に残りやすいまであるし。
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正体見たり枯れ尾花 実践編

2024年04月15日 20時55分57秒 | 日記
以前にも取り上げたことがあるんだが、群馬県沼田市利根町にある薗原ダムにかかる赤い吊り橋、薗原橋は県内有数の心霊スポットになっている。
で、取り上げるたびに言っているが、あそこが心霊スポットな訳はない。自殺者が続出なんていうソースはそもそもないし、心霊現象が多発して語られるほど人が多く行く場所でもない。ただ話に尾ひれをつけてみんな語っているに過ぎないんだけど、ぬたりは原因を「場違いに赤く立派に見える橋だという違和感」にあると分析している。赤いので周囲からは目立って見えるが幅は車一台がやっとで渡った先に特に何もない。周辺は別に観光地化されてもいない。じゃあこの橋はなんのためにあるの? というのは多くの人が疑問に思う。
以前も述べたが、「道の向こうには耕作地があった」「ダム建設前に同じ場所に架かっていた橋を付け替えた」「対岸にキャンプ場開発など開発の予定もあったし、ダムが完成した頃はダム自体に観光要素もあった」と言う理由でここに赤い橋が架けられたと考えれば別におかしな話でもない。こういうことは調べなきゃ分からないから、違和感を短絡的な説明で補うのに得てして心霊話は使われる。心霊話は違和感の説明には一切なっていないんだが、違和感に対して、よりおかしな話をぶつけると、不思議と腑に落ちたような気がしてしまうもんなのさ。
CBC製作の「道との遭遇」で道マニアの鹿取さんも仰っていたが、「道路というのはそれを使う人のために作られ、人々の生活を便利にするためだけに歴史を重ねる。だから心霊だなんだと言って道を貶める行為には苛立ちを覚える」。確かにこの橋は今や使う人も相当に少ないと考えられる(橋の向こうの耕作地も現在は使われていない)が、それでも求められて生を受けた橋な訳で、昭和40年頃にかけられて約60年、人々の生活を支えてきたんである。そのリスペクトを少しは持って欲しいと思う。
で、心霊話はさらに話を盛り始める。ぬたりが指摘した「そもそもここに橋があったから橋があるのが当然」というツッコミにでも対処するつもりか「そもそも昔かかっていた橋が危くて、転落者も多くいた。だからここは昔からのスポットだ」などと言い出すわけだ。今やダム湖に沈んだ元々の橋が悪かったのだ、と言う。ふーん、もとの橋ね。

では、このコンクリート永久橋のどこが危ないのか、ぬたりの目を見て説明してみる気はないか?
写真の撮影日は2024年2月12日。この場所は渇水期にも水面上に出てくることはまずない場所なのだが、ダム施設工事のため、撮影当時恐ろしいくらいに水が引いており水面上に顔を出していたんである。幅の狭い吊り橋の旧橋だからさぞかし見窄らしい橋だったんだろうと短絡的に考えたんだろうが、残念ながら旧橋は県道の橋でもあったので(現在県道はルートが変わっている。写真の奥に現在の県道が写ってますね)、実際には現行の橋よりも遙かに立派な橋だったのだ。心霊話がいかにテキトーに語られているかの物証が、こうしてダムの底から顔を出したわけである。普段旧橋が見えないからって好き勝手語りやがってからに。
別にぬたりは世の中のすべての心霊現象を否定したい、と言うわけではない。世の中には不思議なこともあろうし、お盆には実家帰って線香の一つもあげる。だが、世の中の心霊スポットに関しては、それが語られるようになった背景を分析していた方が、現地行ってバカ騒ぎするよりもよほど面白い。語られるようになった原因や理由も結構多くの事柄が絡んでいることも多い。だからそれらを紐解いていくことは謎解きゲームのようですらある。薗原ダムに関しては、全国有数の反対運動の激しさだった、なんてことも理由の一つとなり得るかもしれないしね。

さて、この橋に関しては心霊スポット話を抜きに語ることはできないので長々と語ったが、道路好きとすると、めったにない低水位で浮上した遺構なんてのは探索ネタとすれば垂涎もの。見かけた2日後には探索を行ったわけだ。(次回はちょっと脱線するよ)
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めいど・うぃず・どらごんず

2024年04月12日 20時32分27秒 | 日記
生を受けてからずっと過疎、最近は更新すらもまばらで今回は2週間以上放置という当ブログであるのだが、それでも歴史だけは無駄に積んでいて、2009年開設だからなんと15年もの歴史を誇る。まあ歴史と言ったって世の中に一石を投じるなんてことは全くなく、デジタルリソースを無駄にして駄文をだらだらと垂れ流してきただけなんだが。
それでも15年というのはそれだけで時に意味を持つもので、何気なく読み返していた時にとあるネタが目にとまった。AGC38(←流石に公式サイトはもうないのでリンク先はWikipedia)である。
名前から企画の方向性は分かるだろうが、これは旭プロダクションというアニメ会社が立ち上げたアニメーションアイドルプロジェクト。今なお高い人気を誇る「ラブライブ!」とほぼ同じ時期にプロジェクトが立ち上がって、特に話題に上ることもなくプロジェクトは自然消滅している。
さてこのプロジェクト、名前のとおりキャラクターは38人いる。キャストは当時まだ実績の浅い方や声優の専門学校に通っていた人ばかりで、他に代表作を持っているような声優さんは当時一人もいなかった。そしてブログのネタにしてから10年以上の時が経った。

38人もいれば一人くらいぬたりが知るような声優さんになった方がいるんじゃあるまいか?

早速調べてみる。主観ダダ漏れ百科事典Wikipedia先生の門を叩き、キャストの欄を参照する。でも残念ながら多くのキャストの方は項目が作られていなかった。項目が作られていてもやはり記載があっさりしてる人が多く、最近の情報がない人も少なくない。結局は声優業界の厳しさを改めて知ることになった。
それでもと項目のある方のリンクを踏んでいく。その中で当時の芸名「ゆうき」さんのリンクを踏んだ。そんな名前の声優さんに心当たりは無かったが、表示された声優さんの項目は桑原由気さん。
メイドラゴンきたー!
小林さんちのメイドラゴンの主役(の一人)トール役の桑原さんがこの企画に参加しておられましたわ。しかもAGC38がデビュー作だったらしい。うーん、立派になってくれておじさん嬉しい(キモいわ)
残念ながら他には「出演作品」「キャラ」「声優さんの名前」がともに分かる方は一人もいなかった。ただし「鬼滅の刃」の那田蜘蛛山で死亡する女性隊士の役で、鬼気迫る演技で爪痕を残した東城日沙子さんが参加されてましたね。お名前は存じてなかったですが(エンディングでもクレジットされてないそうな)、確かにあの演技は覚えておりますわ。

というわけで、当時はなんとなくラブライブ!の比較でネタにするという微妙な形ですれ違ったAGC38。38人の声優さんのうち、後にぬたりがまたすれ違うことになったのは2人。まあ確率的にはそんなもんなのかなあという感じでしたわ。
もちろん今回取り上げたのは「ぬたりが見た作品に関係ある人」という形なので、業界でちゃんと頑張っている人、近い未来にブレイクする人とかがいても不思議はないです。というか、声優さんなんて厳しい業界なんだから、多くの人がのほほん生きてるぬたりの何倍も努力や苦労をしてるはず。そういう人たちはできるだけ報われて欲しいですね。
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