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フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

特別寄稿 なぜ城下トンネルは県内有数の心霊スポットになったか

2025年07月20日 10時02分14秒 | つぶやき
さて、ブログの閉鎖を公言して幾年月、あとはデータ削除を待つだけのこのページであるが、今回はネタがあったので特別寄稿。ちょっと前に群馬県内有数の心霊スポットである薗原ダムの赤い橋について、極めて否定的に扱わせていただいた。
人間アラフィフにもなれば心霊スポットに一喜一憂なんかしない。そういうことを生業としてるんならともかく、霊が見えたと本気で言う人には、夜ぐっすり寝るように言うか、精神安定剤を処方して貰うように勧めるかどっちか、という常識的な考えを持つようにはなっている。ただ、そういう話が語られる場所については何らかの理由が得てしてあるので、それを探っていくのは個人的な知的好奇心が非常に刺激される。実際、図書館であれこれ考えながら資料を探してあれこれ調べるのはむちゃくちゃ面白い。
さて、赤い橋(正式名称薗原橋)についてはそちらを読んでいただくとして、群馬県下の心霊スポットとしてもう一つ有名な場所がある。桐生市黒保根町、国道122号に存在する城下(しろおり)トンネルである。
噂に関しては通り一遍(トンネルで語られる心霊話なんてどれも大同小異だ)なので省くとして、ここが心霊スポットとして語られてしまうことに関してはやむを得ない部分がある。

実際供養塔があるんですもの。これでは心霊話好きな人に語るなと言っても無理でしょうよ。線香をあげる台も設置されてるんですよこれ。
またこの供養塔が素っ気なくて、建立の経緯が一切書いてない。表は「供養塔」「交通事故」「諸聖霊」のみ。後ろは「昭和60年3月吉日建之」「贈 大間々町一一五二 高橋石材 高橋正治」(正確には「高」の字はいわゆるはしご高)とあるのみである。これではいくらでも邪推できる。ちなみに記載の住所(の今)であると推測できる「みどり市大間々町大間々1152番地」には2025年現在石材店はなかった。ググってみてもみどり市や桐生市には高橋石材という店はもう見当たらなかった。
昭和50年代に作られたそんなに新しくないトンネル脇に由来の分からない供養塔、しかも名前が「城下」と戦国時代を連想させる。これはもう話に尾ひれ背びれどころか胸びれ腹びれアブラびれまでつけて語ってくれと言わんばかりの状況である。当時の村長が実際に幽霊を見たのでこの供養塔が設置されたんだ、なんていう本物っぽい噂もまことしやかに語られるくらいにはなっている。

ただまあ、今更私が語るまでもなく尾ひれ背びれに関してはもうあちこちで否定されてます。ネットで調べても出てくるくらいで、
昔処刑場があった→そんなもんない
城で戦があった(敗残兵がここで首を切られた)→トンネル近く(ちなみにトンネルの真上ではない)の深沢城には戦の記録がない。城主阿久澤氏ものちに帰農していることが記録で語られいる。
足尾銅山の強制労働者が逃亡した際の処刑場があった→そもそも足尾銅山が遠くわざわざここまで来る意味がないしそんな事実は存在しない。

とこんな感じで大き目な話は大概出鱈目。興味を持って積極的に調べないと分かんないから、まあこれらの情報を知らないことを責めるのは酷ではあるな。

さて、ここからが本題。色々と語りはしたが心霊話の噂で否定しきれない、と言うか正しい情報がある。交通事故による死者の存在である。もちろんこの近辺で亡くなった人がいるから慰霊塔が存在するわけだからね。
ではこの供養塔はなぜここに、どういう経緯で建立されたのか、と言うことを調べてみることは噂の理解にも繋がる。だから地区の図書館を訪れ、地元の資料をあたってみることにしたわけである。
図書館と言っても正確には「黒保根公民館図書室」。現在黒保根地区の公民館は役場支所の中にあり図書室は建物の2階。でこれまた支所内の長いカウンターの一角の「黒保根公民館」のプレートの所の職員に言って鍵を開けてもらう形。誰が行っても自由に閲覧できる形ではあるが、少々敷居が高く感じたな。
蔵書的には残念ながら地元の資料はあまり多くはなかったものの、当時の広報の60年3月号にこの供養塔建立の記事が見つかった。全文転載してみよう。

交通事故犠牲者のめい福を祈る
去る1月21日、黒保根村下田沢の国道122号線城下トンネル北口にて、交通事故犠牲者供養が行われ、村交通対策協議会長の村長さんを初め、約35人が霊を慰めるとともに、事故の撲滅を祈願しました。
村内を走る122号線は、45年頃より拡幅工事が行われ、52年に全面改修がされました。この改修以後、7件の死亡事故が発生しており、このうち4件が同トンネル付近で起こっているため、今後の事故撲滅を願い、村交通対策協議会及び交通安全協会黒保根支部の共催で行いました。
トンネル北口道路わきには高さ2.5メートルの供養塔が建立され、大間々警察署長さんをはじめ、村交対協役員、安全協会支部役員さんらが焼香し、犠牲者のめい福と、交通安全を祈りました。


まあ内容的にはシンプル。特段何かの出来事の供養というわけではなくて、近辺の交通死亡事故で亡くなった方々を総合的に弔う形。同じような場所で4件の交通死亡事故があれば、供養塔を建てたくもなるし、心霊話を語りたくもなる人も出てくるだろう。でも、後ろに書いてあったように供養塔が石材店の寄贈であることを考えると設置に切迫性はあまり感じられない。それこそ「村長も見たから供養塔が立った」と言う噂ほどの話であれば、寄贈なんか悠長に求めてられない気もするんだよね。しかも寄贈者は隣の町の石材店だし。
また、事故の場所もトンネル「付近」としか分からない。「付近」ではトンネルからどのくらい離れているのか具体的には分からない。心霊話はトンネルに集中しているけど、トンネルで事故が起こったという記載ではなかったので、単にシンボリックだからトンネルに話の場所を求めているんじゃないかとはなんとなく思った。正直供養塔の位置に関しては、「トンネル近辺では道路脇の広い場所がここくらいしかなかった」って程度の理由だと思うな。

次に道路状況。昭和52年から昭和60年の8年間で沿線で7件の死亡事故が起こるほどの道なのかと言われれば、群馬県民としては「イエス」と言わざるを得ない。カーブやアップダウンはひっきりなしだし、道幅も「とりあえず片側1車線を確保しました」という感じで、路側帯もほぼ確保されていないところがほとんど。1回自転車で走ったことあるけど、もう二度とチャリでは行きたくないです。沿線は比較的風光明媚ではあるけど、そんなもんを愛でている余裕は全くなかった。程度の大小の話で、自動車を運転していても正直景色を愛でながらのんびり走れる路線じゃないです。
これはもう地形の問題。図書室で「黒保根村史」も読んでみたが、道路に関しては昔から酷く、群馬県の移動図書館の運転手が「ここに来る道は県内随一の酷さ」と述べたエピソードが記載してあるなど、昔から道路の悪さは筋金入り。それだけに国道122号の開通は村民の悲願だったはず。
ただし国道は改良されても走りにくい道として残り、そこに改良により交通量が増大したことで今度は交通事故の増加を招くことになった。元々人口の多くなかった村であり、一時期は人口一人あたりの事故率で県内ワーストを記録されてしまったらしい。この数字が国道の事故がほとんどだとするなら、国道整備は国と県が担当だし、通行者の多くが村外の人間。となればこの数字自体はかなり外的要因から来るもので村の行政や住民はとんだとばっちりじゃないかという気はするけどね。
ともあれ「人口比で事故の多い村」と言われてしまった村とすれば、これを払拭したいと当然考える。そんなところに死亡事故が多く起こる場所があれば、そら供養塔の一つも立てたくなるだろう。
同じく黒保根村史には交通事故の状況も記されており、国道全面改良後、供養塔建立までの黒保根村内の交通事故死亡者の数を列挙すれば、
昭和52年 1人
昭和53年~昭和55年 0人
昭和56年 1人
昭和57年 0人
昭和58年 1人
昭和59年 2人
とのこと。そもそも数が少ないので統計的な話もできないですねこれでは。でも少なくとも一般的な尺度で言えば死者が続出すると言われるような状況ではないことだけは確か。また供養塔建立前の2年で亡くなった方が増加してるのも事実と言えば事実なので、これ以上増やしたくない、という思いも供養塔建設に繋がった可能性はある。あまり田舎扱いすると地元の人に怒られちゃうけど、静かな山村にとって「事故率圏内ワーストワン」「2年連続死亡事故発生」ってのは大きな話になっちゃうんだろう。そもそも都市部ならもっと事故の件数多いし死者だって多いぞ。
ちなみに供養塔建立の昭和60年以降、村史に記載のあった平成4年までの7年間、黒保根村内の交通事故死亡者は0人である。第二次交通戦争と重なる時期でもあるから、これは村の関係者は誇っていいんじゃなかろうか。それとも供養塔がホントに効いたのかもしれないですね。いずれにせよ言えることは、令和の現在、城下トンネルでドライバーを惑わす存在は、元々いなかったか、もしくは供養塔の設置のおかげで出現しなくなったので、みんな安心して通行してよいですよ。
ただし、交通事故が起こるくらいの道の悪さは当時のままである。今回実際現地に行って歩いてみたんでよく分かったが、トンネル部分はグネグネが続く沿線の中では珍しいちょっとした直線に「感じる」から無理な追い越しが出来るんじゃないかと錯覚しやすい場所でスピード超過にもなりやすい。しかし実際は微妙に曲がっていたり微妙なアップダウンもあったりでスピードを出しやすく見えるのに実はそうでもない。トンネルはあんまり長くないし向こうも見えるから、全体的に見通しの悪い国道122号のなかでは珍しい長い直線だろうと私ですら思っていた。でも実際車降りて歩いてみて「こんな微妙なぐねぐね道だったのか」と驚いたくらい。となれば土地勘ない人にはここの危険は気づきにくいよね。

今回調べたことにより、まあ城下トンネルのあたりの交通状況に関しては理解は出来たし、あの供養塔の設置に関してもおおむね心霊話なんかを持ち出さなくても納得できるくらいには知ることが出来たとは思っています。ただ、心霊話を否定はしきれてないとも考えています。交通事故があったことは事実だし、当時の村長も見た、という噂に関しても肯定否定ともにソースがなく分からなかった。そのあたりはそれこそ当時の田沼新平村長とか寄贈した大間々町の高橋正治さんに聞かないと分からんが、正直個人が好奇心で調査するのはちょっと無理ですわね。

何度も言っていますが、私は心霊話なんか信じていない。ただし語られるには語られるだけの背景が必ずあり、それを調べることは本当に面白いと思っている。今回に関しては調べただけで心霊話を否定するには至っていないし、今回語った背景を認めてなお、心霊話をする余地は十分にある。
ただし道路好きとして言っておきたいのは、城下トンネルは多くの人に望まれて建設されたものであり、実際多くの人の喝采の元に使用されてきた。そして建設から半世紀近く、数え切れないほどの人々の行き来を見守ってきた存在なんである。そしてその脇にある慰霊塔も、多くの人思いを受けてあの場所に建設され、やはり40年ほどの年月、人々の行き来を見守ってきたんである。
だから、もしも今のトンネルに幽霊がいるなら、あなたが今いるこのトンネルと慰霊塔は、本当に多くの人の思いが結実したもんなんだよ、と教えてあげたいですね。
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名刺

2025年03月01日 09時51分05秒 | つぶやき
さてさて今年もやってきましたよ。

セクションの予算担当のぬたりが来年度予算のためにセクション全員の給与額とボーナス額を詳らかにして計算する季節がな。
出世なんかどうでもいいから楽して生きたい(※)がモットーのぬたりであっても、流石に自分の給料が相対的にどのくらいかが分かってしまうってのは心中穏やかではいられないのよねえ。もうアラフィフなんだからもっとこう余裕を持って優雅に日々過ごせんもんかねホントに。


ぬたりさんは「本社の重役に敬意を払わない」「行為に反省をしない」「向上意欲がない」という問題社員のトリプル役満をかまし、地位や給与は平均よりも低く抑えられている。それ自体は身から出た錆なので納得はしつつも、やはり数字で「アイツこんなにもらってんのか?」と分かりやすく示されるのは流石にきつい。所帯持つとなあ・・・。
とは言え同時にうちの会社の管理職があんなに責任背負わされる上に人員削減で担当業務まで持たされてるのにこれしかもらえないのかととりあえず上司に同情する季節でもあるが。世の中なかなか楽には生きられないよねえ・・・。
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マスコミだけじゃなくてネットのコメントも日産袋叩きなんだよね

2025年02月15日 09時57分46秒 | つぶやき
ホンダ「納得の合意点を見いだせず」、日産「完全子会社化では強み難しい」…基本合意書を撤回(←リンク先はヤフーのニュース)

交渉開始の時は各マスコミが「うまくいくのかよこれ」と懐疑的でいる中、あんだけウェーイしていて破談になったら「やっぱりダメだと思ってた」とかと掌返す自動車メディアやモータージャーナリストのいわゆる「クルマ村社会」の連中の反応に、やっぱりこいつらこの程度なんだよなあと苦笑いとともに肩をすくめる昨今。

ともあれ冷めた気持ちを隠さずに、それでも注視していたホンダと日産の経営統合は破談となったわけですけどね。

うーん、流石にマスコミ各社さん日産に厳しすぎじゃなかろうか?

前提として、「無駄にプライドが高い」「判断が遅い」「実は技術的には他社に後れを取ってる」とかという意見は日産嫌いのぬたりも激しく同意する部分ではあったりする。マスコミから日産が袋叩きにあっている構図は、個人的には口元を嫌な形に歪めながらニヤニヤしてる状況だったりする。
でもぬたりの場合は「嫌い」である理由としてそう思っているわけなので、実際にそれを事実として「あの会社はダメだ」と語るつもりもない。今回の合併劇、日産側は「極度の経営不振」という叩く材料があるからマスコミもどうしても日産側をつつきたくなるのは仕方ないにしても、むしろなんでそんなダメダメなのかを分析した方が面白いしみんなのためにはなると思う。あんまり現況だけを見て悪し様には言わない方が良いと思うんだけど。それこそマスコミにとっては広告という形での顧客な訳なんだから。
ぬたりは好みが相当に偏ってる自覚があるので、自分の「これはダメ」という認識が本当に周りの感覚と同じなのかという視点はできるだけ持つようにしている。と言うか、多分認識は周りとズレてるから、自分の感覚イコール正しいこと、とは思わないようにしていると言った方がいい。だからいくらぬたりが嫌いだからといっても日産が会社としてダメなのかどうかの判断はしていないつもり。人の好き嫌いは時に理由もないので、日産好きな人と論議をしたとしても多分一生議論は平行線のまま。だって理由がないから意見を翻しようがない。最後は「嫌いなもんは嫌いなんだよ」で終わり。で、こういう明確な理由のない主張は正直雑談に留めて置いた方が良く、こういう場所に書くにしても「○○だからダメなんだよ」とは書かずに「あそこは嫌い。○○な感じするから」と書いた方が良いと考えている。仮に○○が否定された場合、前者はその時点で意見が破綻するが、後者は「でも嫌いなもんは嫌いなんだよ」と言えば良い。他人に迷惑をかけない限り個人の好き嫌いを他人にとやかく言われる筋合いはない。

ともかくこれは両者の生き残り戦略のチェックポイントに過ぎないわけで、今後さらなる展開はあるはず。ぬたりがいくら日産が嫌いであったとしても、仮に倒産でもすれば販売会社含めればその影響はかなり大きい。ぬたりに日産関係の会社に勤めている知り合いはいないから直接は関係のない話ではあるけれども、気分はそんなに良くはない。特に日産の販売会社は、あの人を小馬鹿にしたとした思えないラインナップでよくそれなりの数の販売数をたたき出せるもんだと逆に感心してるくらい。きっと優秀なネゴシエート能力持った営業がいるんだろし、そういう人なら次の職に就くのもそんなに難しくはないかもしれない。でもそれでもそういう優秀な人の困ってる姿はあんまり見たくないもんだ。
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一応書いとこうか

2024年07月04日 20時33分41秒 | つぶやき
gooブログにはいわゆる「イイネ!」のボタンが下に設置されていて、前回のネタにて同じ人が一人で何個も押していったんだけどね。
ぬたり自体が普段こんな機能気にもしていないので押す押さないは心底どうでもいいんだが、せっかく押してもらったので一言。

広告宣伝として考えてるならこんな過疎ブログ相手にしてちゃダメだよ。

相手の方のブログも拝見したが、まあ特定の志向が強いブログだったな、という感じ。内容的には「おバカお気楽」スタンスのここのブログと親和性は全くない。だからまあその指向性を宣伝するために中身も見ずにボタン押してったんだろうね。
うちのブログを眺めてみりゃ分かるがこのボタンを押された形跡はここ数年皆無。コメントもほとんどついていない。カウンターこそ表示していないが、ちょっと斜め見すればここの訪問者がいかに少ないか分かろうというもの。プロフィールに表示されるgooブロガーのフォロワー数も見てみろよ。4人だぞ4人。しかも今見てみたら一人は名前も消えてますね。
だから、数は少ないながらも今までこういう絡みがあった場合はほとんどの場合何らかの広告宣伝。多分新規更新順に一覧出して、上から中身も見ずに反応押しまくってるだけなんでしょうね。そうでなければここのような過疎地帯に立ち入ってくるわけがない。

別にネットでのそういう活動を否定する気も権利もないんだが、せっかくブログを利用するならもっと効率的な方法があるんじゃないのかと思いますけどね。端的に言うなら、仮にも政治を語るような人間がぬたりのような人間に絡むなんて言うセンスのないことしてんじゃないですよ、って感じ。こんなおバカな場所に来る暇があるなら、もっと他の為になるとこ行きなさい。

ちなみにぬたりの政治のスタンスは「共産党が嫌い」。以上である。
正しい正しくないではなく個人の好き嫌いの話。ぬたりは「共産党の主張は間違っている」とは基本的には言わない。個人的な体験として共産党の党員に嫌な思いを思いっきりさせられたので彼らのあらゆる言葉に耳を傾けたくないだけだ。ぬたり以外の国民が全員共産党を支持したとしてもぬたりだけは「大嫌いだ」と声を大にして言えるだろう、って位には筋金が入っておりますのであしからず。
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マイナーな趣味を持つという事

2024年04月16日 20時15分07秒 | つぶやき
さて、ここの水没遺構を語るにあたり、前提の話をしなけりゃいけないだろう。
「渇水時のダム湖に立ち入るのって違法行為じゃないの?」という疑問だ。
結論から言ってしまえば「(今回に関しては)法律上の問題はない」。
そもそもダム湖の多くは法律で言えば河川法が管轄する「公共水面」にあたり、川の敷地は誰のものでもなく(正確には国の所有)、その場所を行き来したりすることは基本的に自由である。ダム湖の多くでカヤック等が特に許可なく楽しめるのはこういう理由である。もちろんルールはあるが、これは法律がどうこうと言うよりも安全性のため。そして薗原湖もカヤック等のウォータースポーツは特に許可なく楽しめる。
ただダム湖全体が立ち入り禁止となっていることがあるのも事実。これはなぜかと言えば、あくまでも管理上の理由でそこに法律は一切関係ない。理由はいくつかあるが、一番多いのは水位の急激な上下降。発電用ダムだとこれが日常的にあるため、こちらの安全を考えて立ち入り禁止措置をとってくれているわけだ。そして薗原ダムに関してはこの措置が取られていないことからも立ち入りに関しては基本問題はない。もちろん全てのダムには管理用の区域があり、薗原湖もダムに近いあたりはカヤックやボートでも立ち入れないが、今回見た橋の辺りまでは水が溜まっている状態であればカヤックやボート類は問題なく立ち入れる場所。つまり管理上の立ち入り禁止区画でもないのだ。まあ今回の場合、極端に水位が下がっているとは申せゼロではないので、ダム湖の底歩いてダムの管理区域にはそもそも近づけなかったけどね。
ダム湖だった場所はヘドロも溜まっており、地面は管理もされていないから危険はもちろんある。気楽に立ち入って良い場所でないのは確かだが、さりとて危険には一切近づくなと言うのは極論。例えばラグビーをやっている人に「脳しんとうや故障のリスクがあるのにプレイするなんてけしからん」とは言わないだろう。同じ事であるのだが、興味を覚える人が少ないから暴論であっても許されてしまうわけだ。それぞれ趣味でやっているのだから、要はリスクをちゃんと理解した上で慎重に行動しなさいよ、ということである。
こうやって語っていくと「立ち入り禁止区域などに留意し慎重に行動する分には立ち入りは問題ない」と分かってもらえると思うのだが、残念ながらかつて某テレビ局のニュースで「干上がったダム湖に立ち入るなんてとにかく大問題だ」と一方的に暴論をぶちまけられたことがあってね。ダムの管理者にすれば、そら気軽に立ち入って欲しくはなかろうが、程度の大小の問題で、管理者の本音を極端に言えば、ウォータースポーツだって事故があれば管理責任を問われかねないわけだから積極的にやって欲しいわけではないだろう。ダム湖の立ち入りを、どうですか、と言われれば「遠慮して欲しい」という回答にならざるを得ないのは管理者とすれば当たり前なのだ。だからといって立ち入りを全面的に断罪するのは暴論にも程がある。
マスコミは結構物事を調べもせずにテキトーな事を印象だけで報じることがある、なんてのは令和を生きる我々には常識ではあるんだけれども、それでもいまだに影響力は強いままで、つい信じちゃう存在、ってのは昔とあまり変わらない。それだけに「昔ニュースで見たけどそれはいけない事だろ!」と文句をつけられる前に、こうして長々と事情の説明をしなきゃいけない訳なんですわ。まあ、聞く耳を持ってもらえるのであれば「実はこんな感じなんですよ」と事情を説明できるのは良いことではあるんですがね。むしろそういうパターンの方が「そうだったのか」と印象に残りやすいまであるし。
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年取ると自分語りをしたくなるのよ

2023年10月27日 22時10分41秒 | つぶやき
昨今あまり巡れてはいないものの、ぬたりは城跡が好きで、訪れた城跡、砦跡、館跡は余裕で3桁の数にのぼる。
概ねこういう「跡」は好きで、廃道や廃線、廃墟なんかも見たりすることはあるのだが、訪問数で行けばダントツで城跡が多い。一時期は休みのたびに出かけては1日複数巡っていた。
残念ながらサイト運営のセンスや絵心、さらには重いカメラを抱えていく根性もなかったもんで、現地で詳細な記録することも、それをネットにアップすることもできなかったわけだし、そういう根性は今もない。だからこれから情報をアップする予定もないのであるが、群馬県内の城跡好きとすれば、訪問数だけを見れば有数の人間と言えるかもしれない。まあ、行ってるってだけで、城の歴史とかの研究に関しては浅いにも程があるが。

で、他の廃モノも好きなのになんで城跡は頭一つ抜けて好きだったんだろう、とふと思った。

こういう疑問はやたら夢中で巡って楽しんでいるときには思い浮かばないもんなのよね。趣味も落ち着いてくるとこういう疑問がふと浮かぶ。
んで、一番の理由は城が現役だった時代と今の時代の隔絶にあるんじゃないかと思った。
ぬたりが巡る城や砦の多くは戦国時代までのものな訳だがその時と比べて人の生活が大きく違っている。
群馬県の話で恐縮だが、戦国時代に最も権威を持っていたのは関東管領の上杉氏であり、基本的な居城は平井城。有力な家臣としては箕輪城の長野氏、国峰城の小幡氏、白井城の長尾氏、と言ったあたりだが、上記4城に関しては現在お世辞にも都市部にあるとは言えない。現在群馬県では人口最多の街である高崎は小さな宿場であり、まだ高崎の名前もなかった(※)。
その後江戸幕府により「藩」という形で都市が形成され、基本的にはそれが今日の経済圏の礎になってはいるものの、それすらもそのままというわけではなく、例えば七日市藩は明治期に、世界遺産となった富岡製糸場ができたために、市の中心地が東にずれたし、絹織物で発展した桐生市(藩はなかった)のような例もある。
こんな形で当時と今では相当に人の生活圏が変わっているわけで、当時の様子というのはそれこそ歴史書か物語の中にしかない。その存在が今に残るのが城跡というわけだ。現実にそこに跡があるのに、その城の現役時代は遠すぎる世界の話になる。この感覚を無意識に念頭に置きながら、ぬたりは城跡を回っていたのだと思う。興味ない目で見れば山の中の単なる窪みや平らな場所にしか見えないが、それは遠い世界と今をつなぐ細い糸な訳で、そう思えばそんなもんでも愛おしい訳よ。
こういう「遠い世界」と言う感覚は他の廃モノでもないわけじゃないが、廃道や廃線、廃墟というのは今の我々と比較的地続きな感覚で、微妙に違うとも言える。現役時代を想像しやすくはあり、もちろんそれ自体は楽しいしぬたりも好きだが、フィクションの世界から抜け出したような感覚というのはあまりなく、これは城跡の方がはるかに強い。だって群馬県の城の滞在者を見れば、上杉謙信や武田信玄、真田昌幸なんて名前がゴロゴロ出てくるんですぜ。彼らと同じ地が実際踏める訳ですからね。
ただ、城跡を巡る、という行為が多少アカデミックに見えちゃうのはちょっと勘弁して欲しいとは思う。こっちとするとスタンプラリーみたいな気楽な感覚なので、背景の研究とかをあんまりしてない。そら必要に応じれば資料とかは当たるけど、こちとら歴史に一家言あるとか詳しいとか、そんな感覚は一つもないんですよねえ。ただ城跡に行ってるだけなのですわ。その点、有名なマニアの方とかはほんと歴史にも関係法令にも詳しくて頭が下がる思いですよ。いつも勉強させてもらってます。


当時は「和田」と言う地名(ちなみに今も高崎市和田町はある)。徳川家康の関東入封時に箕輪城に配された井伊直政は、交通至便の地として和田に目をつけ、この地に本拠地を移転。この際、川の岬状のところに立派な松があるのを見て、「松崎」という名前を思いつき、地元の住職に相談したところ「松は枯れることがある。けれども高さには限りがないから「高」崎はいかがでしょうか?」と提案され、高崎に命名されたと言われています(諸説あり)。関連あるかどうかは知らんが高松町なんて地名も高崎の中心部にあるな。高崎市中心部というと、やたらめったら町名が細かくて極端なところだとホント1区画ごとに町名があったりするんだが、地名を大切にする文化とかあるのかしら?
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星はうぶすな 人はかげろう

2022年11月23日 20時16分26秒 | つぶやき
というわけで見てきたわけだが、映画「すずめの戸締り」
にしてもまあ、おかあちゃんとの会話で「見に行くか行かないか」ではなく「いつ見に行くか」で最初から話してたのは驚きではあるな。見ることは前提なのか。
んでまあ、感想とかは書く気はなくてな。
つーかぬたり程度の浅い感想など、ちょっとググればいくらでも出てくるわ。だから今更ぬたりが語るまでもない。

でもまあ、正直こういう年齢層浅めの人たちもターゲットになる作品では、劇場予告を短くするとかの配慮ができんものかと心底思うわ。もちろん大人の事情があるからできっこないとわかってても言うんだけども、あまりの長さに愚図ってた子供がいたもんでな。「映画は静かに見てください」というのであれば、静かに見てもらうために自分たちにできることは何かないかとかは考えてほしいわ。
まあ、こちらとしても見たくもない「FクダUイチ」(個人の感情につき一部名は伏せる)の映画予告編とか見せられて最初から気分も悪かったしな。何度だって言うが、ぬたりは映画「Oタクに恋はMずかしい」の所業をこの先もしばらく許すつもりはないのでな。なんであの原作使ってあんなクソ・・・

(閑話休題)

そういう感じのマイナス要素もあったにせよ、ぬたりはどうも映画館ってのが苦手だ、ってのは今回改めて感じたわ。個人として作品に没入したいのに周りに人間がわらわらいるし、拘束時間も長い。特にどうも作品を見るとつい深く入り込む質のようなので、何らかの拍子に邪魔されると殺意にも似た感情が沸き起こるのよ。つーかぬたりの前に座った男子中学生。おめーらに言ってんだおめーらに・・・。

(さらに閑話休題)

まあこれはぬたり個人の資質なので、ぬたりは不用意に映画館とか行かないようにしようとは改めて思った。まあ、そんな風に感じていたからあんまり映画館行かないようにしてたんだけどもね。今回それを再認識したわ。

話を最初に戻して、「すずめの戸締り」映画館に見に行った方がいいのどうなの? と聞かれれば、個人的には以下のような答えになりますわ。

行こうかどうしようか迷った時点ですでに負けだから、おとなしく見に行ったほうがいいよ。

何処のシネコンも恐ろしい回転で上映してるから案外空席もあるよ。
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どうでもいい思い出話

2020年08月29日 10時31分33秒 | つぶやき
過疎ブログだからこそできるソースのない思い出話を一つ。

それは2007年のこと。当時首相を務めていた安倍晋三氏は任命した大臣の不祥事、支持率低下、自身の体調不良等により、辞任を表明した。
当時はまだ「あの」民主党政権の前夜。マスコミは自民党のことに関してはとりあえず否定的に語ることがデフォルトであり、辞任についても「遅すぎる」とか「投げ出しで無責任」といった感じで総じてフルボッコであった。
当時は「自民党に思い知らせるために、主義主張はともかく、大きな組織になった民主党に一度は政権をゆだねるべき」という世論が熟成されていた時期。まあ、今となれば、図体だけでかくて内部ガタガタというのが(当時の)民主党の正体ではあったのだが。
ともあれ当時は自民党の支持率も低空飛行。多くの人が安倍さんをフルボッコにしていたわけだが、それを見ていると、政治にさして興味のないぬたりあたりは逆に気の毒にも思えてくるのな。

だから当時やっていたSNS(多分mixi)で「まあ、いろいろあったけど、頑張ってればそのうちいいこともあるさ安倍さん」みたいなことを書いた。ちなみに当時のぬたりのmixiアカウントはもう死んでおり、その発言を見ることはできない。
そんな感じで、今はフルボッコでも時が経てばきっと元首相という肩書や経験が生きてくる、という風にぬたりは考えていたわけである。実際、安倍さんはその後見事に復活し、首相に再任されてもいる。実際にいいことはあったわけだ。

でも、ぬたりはそんな、また首相になるとか在職日数が歴代首相最長になるとか、そんな風になるとは夢にも思っていなかったのよ。そんなつもりで「いいことあるよ」といったつもりは毛頭ない。

例えば森喜朗。まあ、首相やってた時にも嫌われてて、今でも嫌われまくっているけれども、それでも元首相の箔からあれこれと今でも仕事がある。あれこれ文句を言う割には案外マスコミ露出も多くて、テレビ出演や、雑誌の記事執筆など、地味に引きがある。失言癖はいつまでも治らないけれども、昔、週刊大衆に文章載せてたのを見たことはあり、仕事も案外選んでなさそうな感じも見え、首相経験後の人生を割と充実してる感じはあるわね。挙句自民党の重鎮としてそれなりに権力もあるだろうしな。

そんな感じで、元首相として、例えばテレビに出て意見を言うとか、雑誌に記事を書くとか、そういう道は大いにあるだろう、とぬたりは考えていたのね。その程度の話だった。
当時のことを思うと、ほんと、世の中分かんねえもんだなあ、と思うことしきりですねえ。当時の自民党フルボッコを考えれば、たかだか数年でこの変わりようだもんな。

まあ、安倍さんの辞任を受けて、立憲民主党の某議員先生がやらかし発言かまして、枝野さん平謝りでも発言した本人は反省なし、というニュースも飛び込んできてな。ホント声だけは大きい左の方を抱え込むと執行部は苦労が絶えねえなあ、と枝野さんを久しぶりに同情したくなったりもしてな。党の変革も絡むこの大事な時期になあ…。
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暇で長文書くのはいいんだが・・・

2020年04月25日 10時59分30秒 | つぶやき
休みの日に自宅で過ごせると、ブログの文章書く時間ができるのはいいんだが、なんか気分が暗くなって文章書くスピードが遅くなったり、意味もなく無駄に長くなったりで、案外捗らんものでな。そんな中、どうにか公開してもギリギリ後悔しなさそうな文章が出来上がった。まあ、ふざけてない文章だから、後日後悔するかもしれないが。


さてさて、おかあちゃんが任天堂swichの「あつまれ!どうぶつの森」をやりたいと言いだし、先日からあれやこれやで本体の購入の手を尽くしているぬたりですけどね。
心が折れそうです。
いや、もうswich本体が、品薄と言うよりも品無し。もはや日本国内どこにも売ってないという状況で、ネットでの抽選販売は落選しまくり。かと言って、新型コロナウイルスが猛威を振るう昨今、あてどなく店舗周りで情報収集を行うというのも正直気が引ける(というか不要不急の外出にあたるだろ多分)。

新型コロナの影響、というのも任天堂は強調し、だから生産がままならないのだ、という主張ではあり、実際その影響はあるとは思うが、ちょっとゲームに詳しい人ならそれを額面どおりに受け取る人はおるまい。ちょっと人気になるとすぐ品薄になることに関しては、もう任天堂の歴史と言っても良い。ファミコンが発売されてから40年くらい経つが、任天堂の歴代ゲームハードで、日本で品薄騒動を起こさなかったのがいくつある? と言う話。プレステに押されて子供とマニアにしか売れなかったロクヨンとゲームキューブ、あと超絶売れなかったバーチャルボーイくらいのもんじゃないのかね? それ以外は、買いたくても物がない、という転売業者だけが喜ぶ事態を必ず引き起こしてる。ファミコンとスーファミの時代はソフトでも品薄騒動は当たり前だったな。ドラクエとかFFとかな。
ぬたりももういい大人であり、生産と流通、在庫リスク云々の話に関しては言われなくても分かっている。任天堂が別に意地悪をしてるとか煽ってるとか、そんなことは思ってないし言うつもりもない。買えないこと自体はそら心安らかなことではないのだが、まあ罵倒にならないように注意して、任天堂の商売のことをゲーム好き(だった人間)の目で語ってみたい。まあ、swich買えずに暇だし。
任天堂の商売を語るにあたり、避けては通れない事件がある。日本でファミコンを発売しましょうかと言うタイミングで、アメリカで起こったアタリショックである。
アタリショック自体はそらもうそれだけで一冊の本も書けるほど様々な事象が重なった末の出来事なのだが、要はアタリと言う会社のテレビゲーム機(当時テレビゲーム機としては圧倒的なシェアを誇った)のソフトが急に売れなくなって会社も流通もメタメタになった、という出来事。
アタリショックを事象別にまとめれば、
・適切な流通量の管理
・適切な価格の維持
・メーカー在庫のリスク
・ソフト内容の品質の維持
といった点に分けられる。このあたりがダメダメだったおかげでアタリショックは引き起こされている。
まずは流通量。販売にあたり小売店はメーカーに発注するわけだが、品切れの販売機会喪失を恐れて、多めに注文するのが人情。これを真に受けて素直に生産した結果、需要を遙かに上回るソフトが生産される結果となる。これが何を引き起こすかと言えば、価格の維持とメーカー在庫のリスクに繋がる。小売店は、多く在庫を抱えれば価格を下げて売るから、これが横行すれば新品ソフトの値段が高価に思えるようになる。放っときゃそのうち安くなる、と言う意識が働けば、新品の売れゆきが鈍るわけ。小売店が在庫リスクを避けて発注キャンセルすれば、メーカーは多大な在庫を抱えることになる。メーカー在庫の騒動については「ビデオゲームの墓場」とかでググってみると面白いよ。
また、アタリは知識さえあれば案外簡単にソフトの作成が行え、その管理をほとんどしなかったために有象無象の人物がソフトを作成、販売できた。ただそういうソフトは質に関してはあまりよろしくないゲーム(要はクソゲー)も多く販売されることになる。そんなゲームもそれなりな値段で店頭に並ぶわけで、せっかく買ったゲームが何本もそんなクソゲーだったとしたら、購入意欲は格段に減退する。
この他にも語ればきりが無いが、様々な事情が重なって、アタリのゲームの売れ行きは結構な勢いでブレーキがかかった。このタイミングが、任天堂がファミコンを開発してさあ売ろうかとしていた矢先だったもんだから、そら任天堂とすると気にするなと言う方が無理で、ああはなるまい、と言う決意の元、かなり独善とも言える流通システムを完成させることになる。詳しい人はよく知っている、初心会流通である。
初心会とは任天堂と付き合いのある卸業者の組合のこと。ファミコン流通の独占と流通量の調整、小売店の選別や監視など、ファミコン関連商品の流通に関しては絶大な権力を任天堂から与えられていた。ソフトの発売日すらコントロールできた、なんて噂もある。
権力の代わりに初心会には「事前の発注に従って任天堂が生産したファミコン関連商品は全て買い取ること」が義務づけられていた。このため任天堂は在庫リスクを一切負わないまま生産を行うことができたわけで、生産計画さえしっかりしとけば、全部買ってもらえるわけだから確実に利益を得ることができる。言ってみればかなりヤクザなビジネスモデルになっていた。初心会としても在庫リスクは避けたいので、権力を利用した人気ソフトと不人気ソフトの抱き合わせ流通なんかも行われていた(これはさすがに訴訟になりました)。これにより、販売のリスクの大部分は末端の小売店(と買わされる消費者)が負う形となっていた。まあ、販売が好調ならそういう不都合な点は目をつぶれるし、小売店も中古ソフトや卸されたまんまの抱き合わせ販売(違法行為)で活路を見出していたが。
また、ソフト開発についてもライセンス制を採用して、メーカーとして許可を得ない限り、開発ツールも販売しないし、正規流通もさせない姿勢を取って、ソフトの質も維持しようとした。こんな感じで、徹底的なリスク回避を行ったのが、ファミコン以降の任天堂のビジネスモデルだったわけ。
初心会流通自体は、ソニーがプレイステーションにてメーカー直販体制を敷き、メーカー在庫もソニーが元々持つ倉庫を利用したりで、小回りのきく、注文したらそんなに時間かからず再入荷できる体制を構築したため、相対的にかなり悪し様に小売店から言われるようになり、今では完全に過去のものにはなっている。ただし、任天堂のリスク回避の精神が失われるはずはなく、それが今日の品切れ騒動を呼んでいることだけは間違いない。品切れというのは販売機会のロスではあるんだが、それでも在庫を多く抱えるよりかはマシ、と言う考えなんだろうね。個人的には人気作が出るたびに毎回品切れになる姿勢にはげんなりしていて、任天堂のゲーム機に積極的に手を出そうという気はもうないんだけどね。
でも、今回の騒動は新型コロナという未曽有の事態がきっかけ。Swich自体発売から相当な期間が経過して、概ね欲しい人には行き渡っているはずだから、もう本体の大規模な生産体制なんかとってない時期。小規模の生産と店頭在庫回しとけば通常であれば十分な時期。かと言って急に増産体制なんかとれるわけないから、まあ任天堂としても今回の品薄騒動に責任を追えというのは酷な話ではあるね。誰も読めないよこんな事態。

さて、ぬたり個人の事情を話せば、今回はおかあちゃんのリクエストではあるんでな。自分勝手に生きてきたときにはそんなこと思いもしなかったが、自分が欲しいものが手に入らない以上に、身近な人の欲しいものが手に入らないというのはプレッシャーですねこれ。まあ、お互い大人ですから転売なんかに絶対に手は出さないけどな。まあ、任天堂さんも、損しない程度には無理していただきたいと思いますけどね。今のままじゃswich販売するサイトのサーバははみんなクラッシュするからね。
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物事は分からない方が得てして色々語れるもんだけどな

2019年10月29日 21時42分38秒 | つぶやき
台風や大雨により八ッ場ダムが注目を集めた昨今、いやあ、賛成派も反対派も皆さん机上の空論ばっかりで心に届かないことこの上ないな。試験湛水中の出来事だけ見て賛美してもしょうがないし、さりとて水量調整を軽視して、数字の印象だけでとにかく文句言いたいだけの意見も胸くそ悪いし。まあ、確実なのはそんなことを偉そうにマスコミで語る奴らは利根川沿いに住んでもいないし利根川の様子を見にすら行ってないだろうなってことだけでな。

んで、台風通過後の暇な時間に日本有数の廃道サイト、「山さ行がねが」をつい熟読していたんだけどね。いやあ、いつ読んでも、何回読んでも面白いな、このサイト。
んで、ここに「千頭ダム」が出てきましてね。ダムマニアの間でもなかなか行けないダムとして知られてる。アクセスは最寄りの駐車場から徒歩11キロとなる。
んでこのダム、実は一時期マスコミに取り上げられた。日本一堆砂の進んだダムとして、その堆砂率98%と言う数字とともにね。
このニュースについては当時はそれなりにセンセーショナルなニュースとして一般知名度もあったな。国のダム政策の無策を糾弾する意味合いで語っていた人も多かったかもね。つーかいまだに議員さんあたりがよく分からずに使ってたりするのも目にするな。
ダムというのはマニアが存在するとは言え、詳しい人の絶対数が少なく、実はその種類や用途に関して詳しい人は少ないし、知識のある人も少ない。堆砂率に関しても、どのように算出するのか含めて正確に知ってる人はあまりに少ない。前述のように行きにくいにもほどがあるダムなんだが、98%と言う数字だけを鵜呑みにしてダムに行った人がいたら、ことによったらあっけにとられるかもしれないね。
ダムから見る湖面は、見渡す限り青々とした水を湛えているだろうからね。
そもそも堆砂率の数字が紛らわしいんである。98%となれば、一般的にはダム湖の容積の98%と考えるところだが、そもそもダムの堆砂率とダム湖の容積はあんまり関係がない。
一言で言えば、ダムを作る際に計画した「計画堆砂容量」に比べてどれだけ砂が溜まっているかを示す値が堆砂率となる。ここまでの説明だと、じゃその「計画堆砂容量」がダムの堆砂の限界点なんだろ、とも思える部分があるけれどもこれも違う。「計画堆砂容量」は100年間で堆積するすると予想される土砂の容量を示しただけで、ダムの機能とかそういうものとは直接的には関係ないのね(勿論それを念頭に置いて設計するんだから間接的には関係はある)。
だからダムの設計や用途によっては、堆砂率が100%超えたって別に問題がない、なんて事態は当然起こる。ついでに言えば、予想のとおりなら何をしなくてもダム建設後100年経てば堆砂率は100%になる。50%超えてるダムが沢山、なんて新聞記事では一律で騒いでいたが、例えば建設後100年経ってるダムが堆砂率60%なら、むしろそのダムは堆砂率には余裕がある、ってこと。
で、件の千頭ダムは発電用ダム。水の量というよりは、取水口と発電所の高低差の方が命なので、水の要求量に対しては貯水量の余裕があり、現時点では堆砂はそれほど問題になっていないわけでね。ちなみに千頭ダムは建設後70年以上の古株のダム。なのでまあ、それなりの堆砂率になるのは当然と言えば当然と言うことでね。
とは言え、急峻な地形を多く抱え、河川整備や砂防に他国に比べ多くの対策を要する日本であるから、ダムの堆砂に関しても対策が要らないわけじゃないのでね。前述の千頭ダムも今のところは問題なくても、ダム湖のほとんどが埋まってしまえばさすがに機能不全を起こす。今後どう対策を取っていくかは関係者の課題であることは間違いないわけさ。ただ、今すぐ必要と言うことでもないし、ダム単体が機能不全を起こしても、機能をフォローできる別の施設があれば、そのダムは埋まっていても別段構わない場合だってある。要は、それぞれのダムの利用方法に従って、粛々と対策を取ればいいわけさ。数字だけ見てギャーギャー騒いでも意味はない。

・・・とまあ、そのあたりまで語ってまで、問題の本質に迫れるんだがね。ダム堆砂率、と言う数字一つとってもこんな風に結構奥深い話になるので、みんなもマスコミに踊らされることなく報道の裏にある事柄を自分で勉強しておこうぜ。
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