フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

一応書いとこうか

2024年07月04日 20時33分41秒 | つぶやき
gooブログにはいわゆる「イイネ!」のボタンが下に設置されていて、前回のネタにて同じ人が一人で何個も押していったんだけどね。
ぬたり自体が普段こんな機能気にもしていないので押す押さないは心底どうでもいいんだが、せっかく押してもらったので一言。

広告宣伝として考えてるならこんな過疎ブログ相手にしてちゃダメだよ。

相手の方のブログも拝見したが、まあ特定の志向が強いブログだったな、という感じ。内容的には「おバカお気楽」スタンスのここのブログと親和性は全くない。だからまあその指向性を宣伝するために中身も見ずにボタン押してったんだろうね。
うちのブログを眺めてみりゃ分かるがこのボタンを押された形跡はここ数年皆無。コメントもほとんどついていない。カウンターこそ表示していないが、ちょっと斜め見すればここの訪問者がいかに少ないか分かろうというもの。プロフィールに表示されるgooブロガーのフォロワー数も見てみろよ。4人だぞ4人。しかも今見てみたら一人は名前も消えてますね。
だから、数は少ないながらも今までこういう絡みがあった場合はほとんどの場合何らかの広告宣伝。多分新規更新順に一覧出して、上から中身も見ずに反応押しまくってるだけなんでしょうね。そうでなければここのような過疎地帯に立ち入ってくるわけがない。

別にネットでのそういう活動を否定する気も権利もないんだが、せっかくブログを利用するならもっと効率的な方法があるんじゃないのかと思いますけどね。端的に言うなら、仮にも政治を語るような人間がぬたりのような人間に絡むなんて言うセンスのないことしてんじゃないですよ、って感じ。こんなおバカな場所に来る暇があるなら、もっと他の為になるとこ行きなさい。

ちなみにぬたりの政治のスタンスは「共産党が嫌い」。以上である。
正しい正しくないではなく個人の好き嫌いの話。ぬたりは「共産党の主張は間違っている」とは基本的には言わない。個人的な体験として共産党の党員に嫌な思いを思いっきりさせられたので彼らのあらゆる言葉に耳を傾けたくないだけだ。ぬたり以外の国民が全員共産党を支持したとしてもぬたりだけは「大嫌いだ」と声を大にして言えるだろう、って位には筋金が入っておりますのであしからず。
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マイナーな趣味を持つという事

2024年04月16日 20時15分07秒 | つぶやき
さて、ここの水没遺構を語るにあたり、前提の話をしなけりゃいけないだろう。
「渇水時のダム湖に立ち入るのって違法行為じゃないの?」という疑問だ。
結論から言ってしまえば「(今回に関しては)法律上の問題はない」。
そもそもダム湖の多くは法律で言えば河川法が管轄する「公共水面」にあたり、川の敷地は誰のものでもなく(正確には国の所有)、その場所を行き来したりすることは基本的に自由である。ダム湖の多くでカヤック等が特に許可なく楽しめるのはこういう理由である。もちろんルールはあるが、これは法律がどうこうと言うよりも安全性のため。そして薗原湖もカヤック等のウォータースポーツは特に許可なく楽しめる。
ただダム湖全体が立ち入り禁止となっていることがあるのも事実。これはなぜかと言えば、あくまでも管理上の理由でそこに法律は一切関係ない。理由はいくつかあるが、一番多いのは水位の急激な上下降。発電用ダムだとこれが日常的にあるため、こちらの安全を考えて立ち入り禁止措置をとってくれているわけだ。そして薗原ダムに関してはこの措置が取られていないことからも立ち入りに関しては基本問題はない。もちろん全てのダムには管理用の区域があり、薗原湖もダムに近いあたりはカヤックやボートでも立ち入れないが、今回見た橋の辺りまでは水が溜まっている状態であればカヤックやボート類は問題なく立ち入れる場所。つまり管理上の立ち入り禁止区画でもないのだ。まあ今回の場合、極端に水位が下がっているとは申せゼロではないので、ダム湖の底歩いてダムの管理区域にはそもそも近づけなかったけどね。
ダム湖だった場所はヘドロも溜まっており、地面は管理もされていないから危険はもちろんある。気楽に立ち入って良い場所でないのは確かだが、さりとて危険には一切近づくなと言うのは極論。例えばラグビーをやっている人に「脳しんとうや故障のリスクがあるのにプレイするなんてけしからん」とは言わないだろう。同じ事であるのだが、興味を覚える人が少ないから暴論であっても許されてしまうわけだ。それぞれ趣味でやっているのだから、要はリスクをちゃんと理解した上で慎重に行動しなさいよ、ということである。
こうやって語っていくと「立ち入り禁止区域などに留意し慎重に行動する分には立ち入りは問題ない」と分かってもらえると思うのだが、残念ながらかつて某テレビ局のニュースで「干上がったダム湖に立ち入るなんてとにかく大問題だ」と一方的に暴論をぶちまけられたことがあってね。ダムの管理者にすれば、そら気軽に立ち入って欲しくはなかろうが、程度の大小の問題で、管理者の本音を極端に言えば、ウォータースポーツだって事故があれば管理責任を問われかねないわけだから積極的にやって欲しいわけではないだろう。ダム湖の立ち入りを、どうですか、と言われれば「遠慮して欲しい」という回答にならざるを得ないのは管理者とすれば当たり前なのだ。だからといって立ち入りを全面的に断罪するのは暴論にも程がある。
マスコミは結構物事を調べもせずにテキトーな事を印象だけで報じることがある、なんてのは令和を生きる我々には常識ではあるんだけれども、それでもいまだに影響力は強いままで、つい信じちゃう存在、ってのは昔とあまり変わらない。それだけに「昔ニュースで見たけどそれはいけない事だろ!」と文句をつけられる前に、こうして長々と事情の説明をしなきゃいけない訳なんですわ。まあ、聞く耳を持ってもらえるのであれば「実はこんな感じなんですよ」と事情を説明できるのは良いことではあるんですがね。むしろそういうパターンの方が「そうだったのか」と印象に残りやすいまであるし。
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年取ると自分語りをしたくなるのよ

2023年10月27日 22時10分41秒 | つぶやき
昨今あまり巡れてはいないものの、ぬたりは城跡が好きで、訪れた城跡、砦跡、館跡は余裕で3桁の数にのぼる。
概ねこういう「跡」は好きで、廃道や廃線、廃墟なんかも見たりすることはあるのだが、訪問数で行けばダントツで城跡が多い。一時期は休みのたびに出かけては1日複数巡っていた。
残念ながらサイト運営のセンスや絵心、さらには重いカメラを抱えていく根性もなかったもんで、現地で詳細な記録することも、それをネットにアップすることもできなかったわけだし、そういう根性は今もない。だからこれから情報をアップする予定もないのであるが、群馬県内の城跡好きとすれば、訪問数だけを見れば有数の人間と言えるかもしれない。まあ、行ってるってだけで、城の歴史とかの研究に関しては浅いにも程があるが。

で、他の廃モノも好きなのになんで城跡は頭一つ抜けて好きだったんだろう、とふと思った。

こういう疑問はやたら夢中で巡って楽しんでいるときには思い浮かばないもんなのよね。趣味も落ち着いてくるとこういう疑問がふと浮かぶ。
んで、一番の理由は城が現役だった時代と今の時代の隔絶にあるんじゃないかと思った。
ぬたりが巡る城や砦の多くは戦国時代までのものな訳だがその時と比べて人の生活が大きく違っている。
群馬県の話で恐縮だが、戦国時代に最も権威を持っていたのは関東管領の上杉氏であり、基本的な居城は平井城。有力な家臣としては箕輪城の長野氏、国峰城の小幡氏、白井城の長尾氏、と言ったあたりだが、上記4城に関しては現在お世辞にも都市部にあるとは言えない。現在群馬県では人口最多の街である高崎は小さな宿場であり、まだ高崎の名前もなかった(※)。
その後江戸幕府により「藩」という形で都市が形成され、基本的にはそれが今日の経済圏の礎になってはいるものの、それすらもそのままというわけではなく、例えば七日市藩は明治期に、世界遺産となった富岡製糸場ができたために、市の中心地が東にずれたし、絹織物で発展した桐生市(藩はなかった)のような例もある。
こんな形で当時と今では相当に人の生活圏が変わっているわけで、当時の様子というのはそれこそ歴史書か物語の中にしかない。その存在が今に残るのが城跡というわけだ。現実にそこに跡があるのに、その城の現役時代は遠すぎる世界の話になる。この感覚を無意識に念頭に置きながら、ぬたりは城跡を回っていたのだと思う。興味ない目で見れば山の中の単なる窪みや平らな場所にしか見えないが、それは遠い世界と今をつなぐ細い糸な訳で、そう思えばそんなもんでも愛おしい訳よ。
こういう「遠い世界」と言う感覚は他の廃モノでもないわけじゃないが、廃道や廃線、廃墟というのは今の我々と比較的地続きな感覚で、微妙に違うとも言える。現役時代を想像しやすくはあり、もちろんそれ自体は楽しいしぬたりも好きだが、フィクションの世界から抜け出したような感覚というのはあまりなく、これは城跡の方がはるかに強い。だって群馬県の城の滞在者を見れば、上杉謙信や武田信玄、真田昌幸なんて名前がゴロゴロ出てくるんですぜ。彼らと同じ地が実際踏める訳ですからね。
ただ、城跡を巡る、という行為が多少アカデミックに見えちゃうのはちょっと勘弁して欲しいとは思う。こっちとするとスタンプラリーみたいな気楽な感覚なので、背景の研究とかをあんまりしてない。そら必要に応じれば資料とかは当たるけど、こちとら歴史に一家言あるとか詳しいとか、そんな感覚は一つもないんですよねえ。ただ城跡に行ってるだけなのですわ。その点、有名なマニアの方とかはほんと歴史にも関係法令にも詳しくて頭が下がる思いですよ。いつも勉強させてもらってます。


当時は「和田」と言う地名(ちなみに今も高崎市和田町はある)。徳川家康の関東入封時に箕輪城に配された井伊直政は、交通至便の地として和田に目をつけ、この地に本拠地を移転。この際、川の岬状のところに立派な松があるのを見て、「松崎」という名前を思いつき、地元の住職に相談したところ「松は枯れることがある。けれども高さには限りがないから「高」崎はいかがでしょうか?」と提案され、高崎に命名されたと言われています(諸説あり)。関連あるかどうかは知らんが高松町なんて地名も高崎の中心部にあるな。高崎市中心部というと、やたらめったら町名が細かくて極端なところだとホント1区画ごとに町名があったりするんだが、地名を大切にする文化とかあるのかしら?
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星はうぶすな 人はかげろう

2022年11月23日 20時16分26秒 | つぶやき
というわけで見てきたわけだが、映画「すずめの戸締り」
にしてもまあ、おかあちゃんとの会話で「見に行くか行かないか」ではなく「いつ見に行くか」で最初から話してたのは驚きではあるな。見ることは前提なのか。
んでまあ、感想とかは書く気はなくてな。
つーかぬたり程度の浅い感想など、ちょっとググればいくらでも出てくるわ。だから今更ぬたりが語るまでもない。

でもまあ、正直こういう年齢層浅めの人たちもターゲットになる作品では、劇場予告を短くするとかの配慮ができんものかと心底思うわ。もちろん大人の事情があるからできっこないとわかってても言うんだけども、あまりの長さに愚図ってた子供がいたもんでな。「映画は静かに見てください」というのであれば、静かに見てもらうために自分たちにできることは何かないかとかは考えてほしいわ。
まあ、こちらとしても見たくもない「FクダUイチ」(個人の感情につき一部名は伏せる)の映画予告編とか見せられて最初から気分も悪かったしな。何度だって言うが、ぬたりは映画「Oタクに恋はMずかしい」の所業をこの先もしばらく許すつもりはないのでな。なんであの原作使ってあんなクソ・・・

(閑話休題)

そういう感じのマイナス要素もあったにせよ、ぬたりはどうも映画館ってのが苦手だ、ってのは今回改めて感じたわ。個人として作品に没入したいのに周りに人間がわらわらいるし、拘束時間も長い。特にどうも作品を見るとつい深く入り込む質のようなので、何らかの拍子に邪魔されると殺意にも似た感情が沸き起こるのよ。つーかぬたりの前に座った男子中学生。おめーらに言ってんだおめーらに・・・。

(さらに閑話休題)

まあこれはぬたり個人の資質なので、ぬたりは不用意に映画館とか行かないようにしようとは改めて思った。まあ、そんな風に感じていたからあんまり映画館行かないようにしてたんだけどもね。今回それを再認識したわ。

話を最初に戻して、「すずめの戸締り」映画館に見に行った方がいいのどうなの? と聞かれれば、個人的には以下のような答えになりますわ。

行こうかどうしようか迷った時点ですでに負けだから、おとなしく見に行ったほうがいいよ。

何処のシネコンも恐ろしい回転で上映してるから案外空席もあるよ。
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どうでもいい思い出話

2020年08月29日 10時31分33秒 | つぶやき
過疎ブログだからこそできるソースのない思い出話を一つ。

それは2007年のこと。当時首相を務めていた安倍晋三氏は任命した大臣の不祥事、支持率低下、自身の体調不良等により、辞任を表明した。
当時はまだ「あの」民主党政権の前夜。マスコミは自民党のことに関してはとりあえず否定的に語ることがデフォルトであり、辞任についても「遅すぎる」とか「投げ出しで無責任」といった感じで総じてフルボッコであった。
当時は「自民党に思い知らせるために、主義主張はともかく、大きな組織になった民主党に一度は政権をゆだねるべき」という世論が熟成されていた時期。まあ、今となれば、図体だけでかくて内部ガタガタというのが(当時の)民主党の正体ではあったのだが。
ともあれ当時は自民党の支持率も低空飛行。多くの人が安倍さんをフルボッコにしていたわけだが、それを見ていると、政治にさして興味のないぬたりあたりは逆に気の毒にも思えてくるのな。

だから当時やっていたSNS(多分mixi)で「まあ、いろいろあったけど、頑張ってればそのうちいいこともあるさ安倍さん」みたいなことを書いた。ちなみに当時のぬたりのmixiアカウントはもう死んでおり、その発言を見ることはできない。
そんな感じで、今はフルボッコでも時が経てばきっと元首相という肩書や経験が生きてくる、という風にぬたりは考えていたわけである。実際、安倍さんはその後見事に復活し、首相に再任されてもいる。実際にいいことはあったわけだ。

でも、ぬたりはそんな、また首相になるとか在職日数が歴代首相最長になるとか、そんな風になるとは夢にも思っていなかったのよ。そんなつもりで「いいことあるよ」といったつもりは毛頭ない。

例えば森喜朗。まあ、首相やってた時にも嫌われてて、今でも嫌われまくっているけれども、それでも元首相の箔からあれこれと今でも仕事がある。あれこれ文句を言う割には案外マスコミ露出も多くて、テレビ出演や、雑誌の記事執筆など、地味に引きがある。失言癖はいつまでも治らないけれども、昔、週刊大衆に文章載せてたのを見たことはあり、仕事も案外選んでなさそうな感じも見え、首相経験後の人生を割と充実してる感じはあるわね。挙句自民党の重鎮としてそれなりに権力もあるだろうしな。

そんな感じで、元首相として、例えばテレビに出て意見を言うとか、雑誌に記事を書くとか、そういう道は大いにあるだろう、とぬたりは考えていたのね。その程度の話だった。
当時のことを思うと、ほんと、世の中分かんねえもんだなあ、と思うことしきりですねえ。当時の自民党フルボッコを考えれば、たかだか数年でこの変わりようだもんな。

まあ、安倍さんの辞任を受けて、立憲民主党の某議員先生がやらかし発言かまして、枝野さん平謝りでも発言した本人は反省なし、というニュースも飛び込んできてな。ホント声だけは大きい左の方を抱え込むと執行部は苦労が絶えねえなあ、と枝野さんを久しぶりに同情したくなったりもしてな。党の変革も絡むこの大事な時期になあ…。
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暇で長文書くのはいいんだが・・・

2020年04月25日 10時59分30秒 | つぶやき
休みの日に自宅で過ごせると、ブログの文章書く時間ができるのはいいんだが、なんか気分が暗くなって文章書くスピードが遅くなったり、意味もなく無駄に長くなったりで、案外捗らんものでな。そんな中、どうにか公開してもギリギリ後悔しなさそうな文章が出来上がった。まあ、ふざけてない文章だから、後日後悔するかもしれないが。


さてさて、おかあちゃんが任天堂swichの「あつまれ!どうぶつの森」をやりたいと言いだし、先日からあれやこれやで本体の購入の手を尽くしているぬたりですけどね。
心が折れそうです。
いや、もうswich本体が、品薄と言うよりも品無し。もはや日本国内どこにも売ってないという状況で、ネットでの抽選販売は落選しまくり。かと言って、新型コロナウイルスが猛威を振るう昨今、あてどなく店舗周りで情報収集を行うというのも正直気が引ける(というか不要不急の外出にあたるだろ多分)。

新型コロナの影響、というのも任天堂は強調し、だから生産がままならないのだ、という主張ではあり、実際その影響はあるとは思うが、ちょっとゲームに詳しい人ならそれを額面どおりに受け取る人はおるまい。ちょっと人気になるとすぐ品薄になることに関しては、もう任天堂の歴史と言っても良い。ファミコンが発売されてから40年くらい経つが、任天堂の歴代ゲームハードで、日本で品薄騒動を起こさなかったのがいくつある? と言う話。プレステに押されて子供とマニアにしか売れなかったロクヨンとゲームキューブ、あと超絶売れなかったバーチャルボーイくらいのもんじゃないのかね? それ以外は、買いたくても物がない、という転売業者だけが喜ぶ事態を必ず引き起こしてる。ファミコンとスーファミの時代はソフトでも品薄騒動は当たり前だったな。ドラクエとかFFとかな。
ぬたりももういい大人であり、生産と流通、在庫リスク云々の話に関しては言われなくても分かっている。任天堂が別に意地悪をしてるとか煽ってるとか、そんなことは思ってないし言うつもりもない。買えないこと自体はそら心安らかなことではないのだが、まあ罵倒にならないように注意して、任天堂の商売のことをゲーム好き(だった人間)の目で語ってみたい。まあ、swich買えずに暇だし。
任天堂の商売を語るにあたり、避けては通れない事件がある。日本でファミコンを発売しましょうかと言うタイミングで、アメリカで起こったアタリショックである。
アタリショック自体はそらもうそれだけで一冊の本も書けるほど様々な事象が重なった末の出来事なのだが、要はアタリと言う会社のテレビゲーム機(当時テレビゲーム機としては圧倒的なシェアを誇った)のソフトが急に売れなくなって会社も流通もメタメタになった、という出来事。
アタリショックを事象別にまとめれば、
・適切な流通量の管理
・適切な価格の維持
・メーカー在庫のリスク
・ソフト内容の品質の維持
といった点に分けられる。このあたりがダメダメだったおかげでアタリショックは引き起こされている。
まずは流通量。販売にあたり小売店はメーカーに発注するわけだが、品切れの販売機会喪失を恐れて、多めに注文するのが人情。これを真に受けて素直に生産した結果、需要を遙かに上回るソフトが生産される結果となる。これが何を引き起こすかと言えば、価格の維持とメーカー在庫のリスクに繋がる。小売店は、多く在庫を抱えれば価格を下げて売るから、これが横行すれば新品ソフトの値段が高価に思えるようになる。放っときゃそのうち安くなる、と言う意識が働けば、新品の売れゆきが鈍るわけ。小売店が在庫リスクを避けて発注キャンセルすれば、メーカーは多大な在庫を抱えることになる。メーカー在庫の騒動については「ビデオゲームの墓場」とかでググってみると面白いよ。
また、アタリは知識さえあれば案外簡単にソフトの作成が行え、その管理をほとんどしなかったために有象無象の人物がソフトを作成、販売できた。ただそういうソフトは質に関してはあまりよろしくないゲーム(要はクソゲー)も多く販売されることになる。そんなゲームもそれなりな値段で店頭に並ぶわけで、せっかく買ったゲームが何本もそんなクソゲーだったとしたら、購入意欲は格段に減退する。
この他にも語ればきりが無いが、様々な事情が重なって、アタリのゲームの売れ行きは結構な勢いでブレーキがかかった。このタイミングが、任天堂がファミコンを開発してさあ売ろうかとしていた矢先だったもんだから、そら任天堂とすると気にするなと言う方が無理で、ああはなるまい、と言う決意の元、かなり独善とも言える流通システムを完成させることになる。詳しい人はよく知っている、初心会流通である。
初心会とは任天堂と付き合いのある卸業者の組合のこと。ファミコン流通の独占と流通量の調整、小売店の選別や監視など、ファミコン関連商品の流通に関しては絶大な権力を任天堂から与えられていた。ソフトの発売日すらコントロールできた、なんて噂もある。
権力の代わりに初心会には「事前の発注に従って任天堂が生産したファミコン関連商品は全て買い取ること」が義務づけられていた。このため任天堂は在庫リスクを一切負わないまま生産を行うことができたわけで、生産計画さえしっかりしとけば、全部買ってもらえるわけだから確実に利益を得ることができる。言ってみればかなりヤクザなビジネスモデルになっていた。初心会としても在庫リスクは避けたいので、権力を利用した人気ソフトと不人気ソフトの抱き合わせ流通なんかも行われていた(これはさすがに訴訟になりました)。これにより、販売のリスクの大部分は末端の小売店(と買わされる消費者)が負う形となっていた。まあ、販売が好調ならそういう不都合な点は目をつぶれるし、小売店も中古ソフトや卸されたまんまの抱き合わせ販売(違法行為)で活路を見出していたが。
また、ソフト開発についてもライセンス制を採用して、メーカーとして許可を得ない限り、開発ツールも販売しないし、正規流通もさせない姿勢を取って、ソフトの質も維持しようとした。こんな感じで、徹底的なリスク回避を行ったのが、ファミコン以降の任天堂のビジネスモデルだったわけ。
初心会流通自体は、ソニーがプレイステーションにてメーカー直販体制を敷き、メーカー在庫もソニーが元々持つ倉庫を利用したりで、小回りのきく、注文したらそんなに時間かからず再入荷できる体制を構築したため、相対的にかなり悪し様に小売店から言われるようになり、今では完全に過去のものにはなっている。ただし、任天堂のリスク回避の精神が失われるはずはなく、それが今日の品切れ騒動を呼んでいることだけは間違いない。品切れというのは販売機会のロスではあるんだが、それでも在庫を多く抱えるよりかはマシ、と言う考えなんだろうね。個人的には人気作が出るたびに毎回品切れになる姿勢にはげんなりしていて、任天堂のゲーム機に積極的に手を出そうという気はもうないんだけどね。
でも、今回の騒動は新型コロナという未曽有の事態がきっかけ。Swich自体発売から相当な期間が経過して、概ね欲しい人には行き渡っているはずだから、もう本体の大規模な生産体制なんかとってない時期。小規模の生産と店頭在庫回しとけば通常であれば十分な時期。かと言って急に増産体制なんかとれるわけないから、まあ任天堂としても今回の品薄騒動に責任を追えというのは酷な話ではあるね。誰も読めないよこんな事態。

さて、ぬたり個人の事情を話せば、今回はおかあちゃんのリクエストではあるんでな。自分勝手に生きてきたときにはそんなこと思いもしなかったが、自分が欲しいものが手に入らない以上に、身近な人の欲しいものが手に入らないというのはプレッシャーですねこれ。まあ、お互い大人ですから転売なんかに絶対に手は出さないけどな。まあ、任天堂さんも、損しない程度には無理していただきたいと思いますけどね。今のままじゃswich販売するサイトのサーバははみんなクラッシュするからね。
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物事は分からない方が得てして色々語れるもんだけどな

2019年10月29日 21時42分38秒 | つぶやき
台風や大雨により八ッ場ダムが注目を集めた昨今、いやあ、賛成派も反対派も皆さん机上の空論ばっかりで心に届かないことこの上ないな。試験湛水中の出来事だけ見て賛美してもしょうがないし、さりとて水量調整を軽視して、数字の印象だけでとにかく文句言いたいだけの意見も胸くそ悪いし。まあ、確実なのはそんなことを偉そうにマスコミで語る奴らは利根川沿いに住んでもいないし利根川の様子を見にすら行ってないだろうなってことだけでな。

んで、台風通過後の暇な時間に日本有数の廃道サイト、「山さ行がねが」をつい熟読していたんだけどね。いやあ、いつ読んでも、何回読んでも面白いな、このサイト。
んで、ここに「千頭ダム」が出てきましてね。ダムマニアの間でもなかなか行けないダムとして知られてる。アクセスは最寄りの駐車場から徒歩11キロとなる。
んでこのダム、実は一時期マスコミに取り上げられた。日本一堆砂の進んだダムとして、その堆砂率98%と言う数字とともにね。
このニュースについては当時はそれなりにセンセーショナルなニュースとして一般知名度もあったな。国のダム政策の無策を糾弾する意味合いで語っていた人も多かったかもね。つーかいまだに議員さんあたりがよく分からずに使ってたりするのも目にするな。
ダムというのはマニアが存在するとは言え、詳しい人の絶対数が少なく、実はその種類や用途に関して詳しい人は少ないし、知識のある人も少ない。堆砂率に関しても、どのように算出するのか含めて正確に知ってる人はあまりに少ない。前述のように行きにくいにもほどがあるダムなんだが、98%と言う数字だけを鵜呑みにしてダムに行った人がいたら、ことによったらあっけにとられるかもしれないね。
ダムから見る湖面は、見渡す限り青々とした水を湛えているだろうからね。
そもそも堆砂率の数字が紛らわしいんである。98%となれば、一般的にはダム湖の容積の98%と考えるところだが、そもそもダムの堆砂率とダム湖の容積はあんまり関係がない。
一言で言えば、ダムを作る際に計画した「計画堆砂容量」に比べてどれだけ砂が溜まっているかを示す値が堆砂率となる。ここまでの説明だと、じゃその「計画堆砂容量」がダムの堆砂の限界点なんだろ、とも思える部分があるけれどもこれも違う。「計画堆砂容量」は100年間で堆積するすると予想される土砂の容量を示しただけで、ダムの機能とかそういうものとは直接的には関係ないのね(勿論それを念頭に置いて設計するんだから間接的には関係はある)。
だからダムの設計や用途によっては、堆砂率が100%超えたって別に問題がない、なんて事態は当然起こる。ついでに言えば、予想のとおりなら何をしなくてもダム建設後100年経てば堆砂率は100%になる。50%超えてるダムが沢山、なんて新聞記事では一律で騒いでいたが、例えば建設後100年経ってるダムが堆砂率60%なら、むしろそのダムは堆砂率には余裕がある、ってこと。
で、件の千頭ダムは発電用ダム。水の量というよりは、取水口と発電所の高低差の方が命なので、水の要求量に対しては貯水量の余裕があり、現時点では堆砂はそれほど問題になっていないわけでね。ちなみに千頭ダムは建設後70年以上の古株のダム。なのでまあ、それなりの堆砂率になるのは当然と言えば当然と言うことでね。
とは言え、急峻な地形を多く抱え、河川整備や砂防に他国に比べ多くの対策を要する日本であるから、ダムの堆砂に関しても対策が要らないわけじゃないのでね。前述の千頭ダムも今のところは問題なくても、ダム湖のほとんどが埋まってしまえばさすがに機能不全を起こす。今後どう対策を取っていくかは関係者の課題であることは間違いないわけさ。ただ、今すぐ必要と言うことでもないし、ダム単体が機能不全を起こしても、機能をフォローできる別の施設があれば、そのダムは埋まっていても別段構わない場合だってある。要は、それぞれのダムの利用方法に従って、粛々と対策を取ればいいわけさ。数字だけ見てギャーギャー騒いでも意味はない。

・・・とまあ、そのあたりまで語ってまで、問題の本質に迫れるんだがね。ダム堆砂率、と言う数字一つとってもこんな風に結構奥深い話になるので、みんなもマスコミに踊らされることなく報道の裏にある事柄を自分で勉強しておこうぜ。
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メーテル またひとつ 星が消えるよ

2019年09月01日 21時58分35秒 | つぶやき


・・・いやもうなんかいきなり不景気な張り紙の画像で申し訳ないが、ぬたりが訪れた群馬県内の模型店では一番来客では賑わっていた、ファーベル伊勢崎店(←いつまでサイトが見られるか分からんが)が突然の閉店。前予告も何もなく、いきなりこの張り紙と共に閉鎖、である。
模型店の置かれた現状が厳しいことは過去にぬたりもブログで言及していたが、まさかここまでとは思わなかった、というのは正直なところ。だからその衝撃に思わず現地確認までしちゃって、こうしてブログ更新しちゃってるんだけれども。

ここの閉鎖は群馬県の模型好きにとってはかなり重い話にもなる。かつてここの店は「エルホビー」と言う名前だったんだが、その頃は群馬県南部の模型少年にとっては、「伊勢崎にすげえ店がある」と語られる存在で、行動範囲の広がった小学校高学年から中学生が念願のここを訪れて度肝を抜かれる、というのがお定まりのパターンだったようだ。その店がなくなる、ってんだから、ついにここまで来たのかよ、って感じは否応なしに押し寄せるわ。
まあ、名前が変わっていることからも分かるように、ここの店は数年前に営業が変わっている。単独店舗だったエルホビーから栃木県佐野市に本店のあるファーベルに店名が変更されている。単純なフランチャイズというもんでもないんだろうから、既にこの時に店の伝統は終わっていたという判断もできるんだがね。
店の伝統は兎も角、今やお客もそんなにいないのが当たり前の模型店ながらも、ここは違って週末ともなれば多くのお客が来ており、ぬたりがここ最近訪れた際は結構な数のお客が店内にいたから、よもやこんな事態になるとは夢にも思っていなかった。ぬたりは何気なくグーグルマップでこの店見てみたら「閉業」になってて初めて事態を知ったのだが、最初は悪質なデマだと信じて疑わなかったくらいだ。各種情報集めて、自分の目で見てようやく、本当なんだ、と飲み込めた次第。それにしてもあまりにも急な話だ。だって数日前まで何事もなく営業してたみたいだし。写真撮りながら中も覗いてみたが、店内狭しと商品は陳列されたままだったし。実際ぬたりが現地にいた数分間、ぬたりの他にも3組ほど様子を窺っている人たちがいた。事態を知らずに来たのか知ってて来たのかは分からんが。

ともあれ、群馬県からまた一つ模型店が消えた。県内では実は7月いっぱいで他にもう1件閉店していて、とにかく一つ、また一つと模型店が閉店していく。今現在営業している模型店にしても、傍目で見ていても果たしていつまでか、と思うような店も散見される。
もちろん、模型趣味というもの自体を嗜む人が減っている以上、こういう流れは止められないし、昨今は通販というものがある。実店舗がなくなっても、実は思うほど困らないんではないだろうかと思うぬたりがいることは事実。それに模型店じゃあ、本屋みたいに関係者が「文化の担い手だから」なんて弁護してくれることもあるまい。
だから、今回の出来事で、より一層、ぬたりは模型店に通って気になる商品は買わなきゃなあ、と思った次第。もちろんこの行為に意味はない。ぬたり一人が多少買ったところで模型店全体の売り上げが劇的に上がるわけじゃない。
ぬたりは、「ああ、こんなことならもっと買い物しておけばよかった」という後悔を少しでも軽くしたいだけである。だから他人にも同意なんか求めない。それが正しい行為かどうかも関係ない。その行為で模型店の減少を食い止めようなんて思いもさらさらない。


ぬたりは自分の為に、これからも模型屋にちょくちょく顔を出そうと思っているだけだ。今度の休みは、早速小さめの模型屋を回ってみよっと。
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第3新東京市に行ってきました ダークサイド

2019年08月08日 15時37分33秒 | つぶやき
注意!
本日のネタはぬたりが宿泊した某宿泊施設へ対する悪い印象の文章になります。冷静なレビュー的な文章にしたいとは思いますが、正直自信がなく、単なる悪口になっているおそれが高くなります。このため読んで気分を害するおそれがありますので、本文をお読みになる場合は自己責任でお願いします。このため、宿泊施設名は場所含めて本文中では明かしませんし、コメントでも一切お答えしません。ぬたりのお知り合いの方のお問い合わせには対応もするかと思いますが、そうでない方のお問い合わせには一切お答え致しかねますのでご了承ください。あと、普段おちゃらけネタを多く記するぬたりがかなり真面目に書いちゃってますので、正直文章としてあまり面白くないんじゃないかと思います。しかもこういうのは一気に吐き出したいから無駄に長いよ。
それでもいいなら、お進みください。










ぬたりがその宿泊施設を選んだのは、毎年の旅の考えとして「ある程度のグレードを持った宿」と言うことから、JTBのパンフレットから選んでいる。実際眺望も素晴らしく、落ち着いた雰囲気で、部屋もなかなかに広かった。今から思えば、チェックインに無駄に時間がかかっていて、しかもその間こちらをほったらかしなのは気になったのだが、これは演出のものかと思っていたくらいだ。実際、駐車場の入り口まで従業員が一人迎えに出てくれていたし、「おお、さすが」と思っていたのだ。
不吉な兆候は、部屋係の説明が終わった後に現れていた。「この後食事係が参ります」という説明があったのだが、待てど暮らせど誰も来ない。おそらくは「この後来るのは食事(の時に)係(が来る)」という意味での発言と思われたのだが、この後係が来る、と言われればこちらは風呂にも行けずにしばらく待ちぼうけをせざるを得なかった。結局待ちくたびれて大浴場に向かったんだが、その間に誰かが来ていたのかどうかは分からない。また、隣の旅館の改装作業の音がかなりうるさかったのだが、そのことに関する説明もなかった。
そしてその食事がそもそものネックとなった。ぬたり達の食事は午後7時からで、実際そのとおりの時間に始まったのだが、問題は食事の提供時間だ。
温泉旅館は懐石料理をベースとしており、そもそも時間がかかるのは当たり前。ファーストフードとは訳が違うので、美味しい料理をのんびり時間をかけて味わうものだ。
だが、食事開始から食事の終了までに2時間半以上を要するとなるとちょっと度が過ぎている。食事終了は夜10時近くで、ホテル内のバーラウンジに行くのすら時間的にギリギリになる。また、飲み物を頼んでもこれも時間がかかった。厨房ではなくラウンジから持ってくる、という説明はあったが、だからといって待たせて良いというもんではないだろう。
と言う具合になんだかなあ、と言う印象は宿泊初日には既にあった。だが、JTB予約特典として提供されたシャンパンハーフボトルが本物のシャンパンで、そこそこの値段のものであったりと、一応宿の格の高さを垣間見せるものはあったので、まあ、こんなもんかね、という形で床にはついた。
だが、本当の事件は翌日早朝に口を開けて待っていたのだ。

午前5時40分頃。
けたたましい警告音に早朝の眠りを破られたぬたり。東日本大震災以降、アラートがたてる落ち着かない音は何度も聞いており、さては、と思ったが、音の発信源は携帯ではなかった。警告音には自動音声がついていた。
「1階の火災警報器が作動しました」
ただならぬ音で落ち着かない気持ちを抱えつつも、取りあえずそのまま廊下に飛び出す。臭いや熱、煙等、特に異常は感じられず、エレベーターホールの吹き抜けまで行ってみても様子は同じ。ぬたりがいるのは2階でそれなりに危険度は高いが、取りあえずは緊急的にどうこうというわけではなさそうだ。だが、大丈夫そうだという見込みを許さないとばかりに少しすると自動放送の音声は切り替わった。
「1階で火災が発生しました。速やかに避難してください。」
運が悪かった部分はあるが、ぬたりの部屋は館内廊下隅の非常口プレートを視認しやすい場所にあった。避難ルートはエレベーターホールの階段と非常口なのだが、心情としてこういう時は非常口を選ぶ。そしてこの非常口、信じられないことにどこにも通じていなかった。無理をすれば敷地外へとエスケープできるか、と言う程度で、申し訳ないが後ろに炎か煙が迫って切羽詰まっていなければ使えないルートだったのだ。
結局は1階まで降りたところで他の客室の非常用ルートから逆に客室に侵入。1階の廊下から、敷地内の屋外施設へ行くと他の宿泊客がいたのでしばらく一緒にいた。ちなみにこの施設は傾斜地に建っていて、エントランスは5階にある。1階にはそんなに他の客はいなかったし、他の人は5階に行ったのかね?
そんなこんなで最初に警報が鳴ってから20分以上も経った頃だろうか。「ただいまの警報は誤報です」というアナウンスが流れたのだが、流石に心配で、しばらくはいつでも逃げられる建物からつかず離れずの場所にそのままいて、時間をおいて部屋に戻った。部屋に戻ったのは、警報発生から40分以上経過してからだった。そしてこの時点までにおいて、ぬたりの不信を徹底的にしているある出来事がある。

従業員の姿を一度も見ていないのだ。

早朝だし従業員が少ないのは分かる。だが、幸か不幸かぬたりは警報器が鳴ったという1階の、建物からつかず離れずの場所にしばらくいたのだ。それなのに従業員の姿を見なかった。ぬたりは安いホテルに泊まったのではない。それなりの値段を払って宿泊しているのだ。果たしてその値段の対価に見合った体制なのかこれは? という疑いはどうしても持ち上がってくる。
部屋に戻ってしばし。内線が鳴り、謝罪とお詫びとしてチェックアウトを1時間遅らせる旨の話があったが、これだけ不安にさせられた場所に長居したいとは到底思えなかった。ちなみに待ち時間の間、ネットで口コミをチェックしたら、このチェックアウトを遅らせる対応は、この施設で何らかのトラブルがあった際、必ず告げられるようだ。マニュアルにでもあるのかね。まずはお金のかからない部分から入れ、みたいな。
そして、朝食係がぬたりの部屋の戸を叩く朝8時まで、従業員は誰も来なかった。直接の詫びも出来んのかここは。ちなみにここ、客室数は20程度。回りきれない数じゃないだろ。
そう思って施設内を見ると色々とおかしな部分も見えてくる。壁紙の傷みや調度の痛みも見えるし、果てはショップの品揃えもお世辞にも素晴らしいとは言えず、そこらの雑貨屋にありそうなものばかり。払った値段に相応かと冷静に考えると疑問ばかりが見えてくる。部屋の冷蔵庫内のドリンクも全て有料なのも気になった。しかも全部コンビニに行けば買えるようなものばかりで、特別な飲み物は一つもなかったし、全部高い。
そして朝食を食べているときに、朝食の係からお詫びにチェックアウトを遅らせる旨の話が再度出たが、「予定があるのでそんなにいられないから、何かほかにサービスをして欲しい」と嘘をついた。こちらとすれば、もう一刻も早く宿を出たかったのだ。
で、代わりとして「夕食時のドリンクを無料に」と言うことになったのだが、こんな交渉までしなきゃならんと言うのも気分をげんなりさせた。なんで迷惑かけられたこっちが気を使って交渉せにゃならんの?
チェックアウト時、女将が出てきてそれはもう平身低頭、平謝りモードで、同施設で使える1万円分の商品券(宿泊でも買い物でも可)をくれた。女将の態度と人当たりに関しては全然悪感情を抱けず、有名観光地のそれなりの旅館の女将はやっぱりひとかどの人物なんだなあ、と感心はしたんだが、流石に時既に遅し。既にぬたりの気持ちは冷め切っていた。単に間が悪いだけなのでこれは宿に責任はないのだが、我々ヲタにとって、今「火災」と言うキーワードはちょっと心情的にきついのよ。それだけにぬたりのこの宿に対する印象はもう繕いようがないほど悪化していた。
ちなみにチェックアウトにも信じられないくらい時間がかかった。その際の従業員の何気ない一言にも、正直言おう、ムッとした。

「冷蔵庫内の飲み物も利用もございませんでしょうか?」

言われる前に無料にするとかの気遣いはねえのかよやっぱりここは。

言っておくが、ぬたり達は運が悪かっただけで施設の印象が悪くなったことは認める。だからこの文章が必要以上に施設に攻撃的になっていることも認める。
だが、我々は安心してくつろげるよう、それなりの格式の宿に泊まっている訳なので、そのがっかり感は汲んでいただきたいと思う。
宿自体は、眺望や部屋の広さ、館内の造り等にちゃんと光るものがあり、今でもそれなりな人気を誇っているみたい。でも今でも人気があるが故に、改良や改善、サービスの見直しが後手後手になってはいまいか、という感じは正直した。施設自体改装後20年近くが経過しており、実際あちこち痛みが見えるし。なので、こういう出来事を今後を見直すきっかけにしてもらえればプラスにもなるんでしょうけどね。それをするかどうかはもうあそこには行かないぬたりには関係のない話だが、旅行という楽しい雰囲気を一気にぶちこわされるような思いは、あんまり多くの人にして欲しくはないです。

最後に追加。調べて分かったのだが、この施設は20年近く前の大規模改装後に人気に火がついたそうなのだが、大規模改装の原因がなんと火災だった。それだけに、火災絡まりの対応があまりにおざなりだったことに、信じられない思いを禁じ得ない。お前達は火災を、そしてそのことが関係者にどんな感情を呼び込むか知っているはずで、その火災に絡んだ今回のトラブルに、なぜあんな対応しか出来なかったのか。愕然とする思いだ。

繰り返しになるが、ぬたりがここまで悪し様に言うのは、タイミングが悪かった、と言う点もあるので施設が全て悪いわけじゃないとは思う。けど、ぬたりの感情とするとせっかくの楽しい旅行をぶちこわされたということでちょっと納得できないので(意訳:幾ら払ったと思ってんじゃゴルァ!)、ブログでぶちまけさせていただいた次第。まあ、こうして文章にすると少しはすっきりしますですよ、はい。
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つまらんのは分かっているが、暑くて頭が回らん

2019年07月31日 15時53分20秒 | つぶやき
なんかとある大手芸能プロダクションで、会社側も意見を言う従業員もみんながみんな大層みっともない事態になっているところで、ちょっと思い出したエピソードを語る。アメリカのとある会社のお話。

今から20年以上前、当時アメリカで上位10社の大手航空会社の中では評判ぶっちぎり最下位、苦情件数ぶっちぎり1位というダメダメだったコンチネンタル航空でのこと。
当時再建途上にあった同社は、1994年冬、一つのボーナス提案を従業員に対して行った。
それは「1995年に毎月政府が発表する定時到着率が上位5社になれば、全従業員に65ドルのボーナスを支給する」というもの。ちなみに65ドルという数字にも根拠があり、定時到着が増えて苦情対応の費用が全体で半分になったとしたら、その浮いた費用を全従業員で均等に割ればその数字になるそうだ。
根拠のある数字、そして政府発表という誤魔化しのきかない数字のこと、従業員もやる気になったのか、1995年2月には早くも第4位にまであっという間に上昇し、とっととボーナスを従業員はゲット、3月4月は堂々の1位を獲得するなど、一気に定時到着率が向上。ちなみに「翌年は3位以内にハードルを引き上げる代わりにボーナスは100ドルに増額」と11月に条件を変更したら、12月には当たり前のように1位を獲得して、会社側が100ドル増額を1か月前倒ししたりと、社員は1年で一気にやる気になった。その裏には、ダイヤの改正や機体整備体制の強化など、会社側もただニンジンをぶら下げたわけではないのだけどね。要は「ちゃんとこっちも支援するから一緒に頑張ろう」という姿勢を見せたわけで、こっちの方が重要だったんだけどね。まあこっちの話は今は関係ない。
さて、本題はここからだ。
このボーナス、基準が定時到着率。一部の社員からこんな意見も上がったという。
「定時到着率向上の達成は、パイロットや客室乗務員、ゲート係や整備士など、現場で働く人間の頑張りによるものだ。なぜ事務方やチケット部門の人間までボーナスを受け取れるのか。彼らは向上に寄与していない。」
なるほどこれはもっともな意見に思える。その際、その質問を受けた社長は自分の腕時計を掲げてたった一言、こう言ったという。
「この時計で、どの部品が要らないと思いますか?」
目に見えて我々に時刻を知らせる針や羅針盤はもちろん、小さなねじ一本に至るまでたくさんの部品からなる時計には要らない部品は存在しない。ねじ一本でもなくなれば機能不全を起こす。定時到着率を上げようと現場がいくら頑張ろうとも、チケットを売ってくれる人がいなければお客さんが来ない。経理がいなければボーナスが出たってお金が手元にやってこない。全員がやる気になって仕事をしたからこそのボーナスなのである、と一言で示したそうで、文句を言った社員は二の句を告げなかったそうだ。
ぬたりの言いたいことはこれだけで分かってもらえると思うけどね。まあ、ギャラと言ってもそれが支払われるために目に見えない部分の動きがあるわけだ。その部分にきちんと還元されるのを、果たして一概に「ブラック」で片付けていいのですかね?


さて、ついでに関連のエピソードをもうひとつ。
実はこの臨時ボーナス。1995年の2-4月は順調に支給されていたのだが、5月6月と定時到着率が低下して支給されていない。これが実は一部のパイロットが組織する労働組合のストライキの影響によるもの。再建途上にあったコンチネンタル航空はボーナスが出たと言っても給与水準そのものが低く、組合としてもやむを得ない対応だったそうだが、いずれにせよ、従業員とすれば一部社員のおかげでボーナスを貰えなくなるし、会社側もせっかくの再建劇に水を差されるしで、多くの人に悪感情を植え付けた。
この時に会社の経営陣はどうしたか。とにかく粘り強く労使交渉を行ったのである。組合と他の社員の分断を図るようなこともせず、お互いに納得ができる点を交渉の中で突き詰めていった。そして交渉終了後も組合参加者を一切非難するようなことしなかった。パイロットの言い分にも一理はあり、これからもみんなが力を合わせて業務を行わなければならない、という事の意識統一を図った訳。経営再建の途上にあるコンチネンタル航空という会社は、一部の人間が勝って一部の人間が負けるということはない。勝つときはみんなの力で経営再建を成し遂げられる。負ければ倒産してみんなで路頭に迷う、の2者択一しかないよ、という考え方をみんなで共有したわけ。実際その後の影響は最小限に抑えられ、スト明け後も定時到着率は高い水準を維持したままにできた。
これもぬたりの言いたいことは分かってもらえると思うな。あれが悪いそれが悪い、なんて単純にギャーギャー言ってたら、かえって事態を悪化させるだけなのよ。コメント厨どもはそれでもいいけど、当事者は、ねえ。

まあ、コンチネンタル航空は稀有な成功例。滅多に出来ないから稀有たり得てるわけで、同じようにするのは相当に難しいんだがね。でも前例があるんだから、やれなくもないんで、まあ、経営陣も従業員も、お互いの否を認めるところから始めたらいいんじゃないかね、と無責任に言ってみたりね。だってぬたりはあそこのプロダクションの人全員が路頭に迷っても別に困らないもん。お好きにどうぞ。
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