フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

メタボ中年清水国道体験記 2/2

2019年09月30日 21時27分44秒 | 旅行&おでかけ

JRの巡視、という用途がなくなった道はあからさまに道の感じが悪くなった。しかしその直後に喜びも待っていた。

再びの明治期石垣出現。

しかも相当な規模で。いやあ眼福眼福。

相変わらず近くににじり寄ってます。こうして見てみると、冬に見た碓氷峠の御巡幸道路廃道の石垣と似てる感じがするなこれ。

で、点線国道部分になってから2キロくらい来ているが、正直廃道巡りとしては拍子抜けするくらい道が良かった。ゆっくり走ればよっぽど車高が低くない限り普通車ですら走行が可能じゃないか、というくらい。実際JRの点検車輛もたまに入ってきてるんだろうし整備しとかないと困るしな。

ただ、石垣を見つつほんの少し歩くとあっという間に道の様子がおかしくなって、

あっけなく広い幅はおしまい。どうやらここはがけ崩れの跡の様子。

谷側にかろうじて踏み跡がある。踏み跡を辿ると、目の前に大きな沢があった。芝倉沢である。

しかしまた豪快な沢の渡り方してんなここ。そして沢の洗い流しが見えた直後、路盤はバッサリ欠損していた。

写真は振り返って撮影。ここにあるべき洗い流しなり橋なりが跡形もない。

分かりやすいように芝倉沢を渡った対岸から撮った写真。芝倉沢を渡る直前のここの沢で完全に旧路盤はぶった切られてます。いよいよここからが本格的な廃道という事。

そして辿り着いた芝倉沢の豪快な洗い流し。しかもまた豪快に欠損してやがるし。

見れば見るほど豪快な洗い流し。これは見られてよかったな。
で、この時点で歩き始めてから約2時間。そろそろ折り返しを検討する時間帯になっていた。時間的にはあと1時間くらいは足を延ばしてもいいんだがなあ、と少しだけ先の路盤を見てみた。



心が折れる。
先ほどの路盤の欠損によりこの先はほとんど道の補修がなされなくなったようで、写真では分からないかもしれないが路盤もクソもなく、単なる上級者向けの登山道。踏み跡があるだけで、かつてそこに馬車が通れるような幅広の路盤があったなんて信じられないくらい。まあ、ここが特にひどいんで、先に進めばまた路盤も良くなってくるらしいんだが、いずれにしても、キリのいいところで芝倉沢を今回の折り返し地点とした。
そうと決まれば早速昼食休憩。今回も魔法瓶にお湯を入れて持って来てるので、

「2分がウマいんだよ。知らないの?」(←リンク先はYoutubeだから音出るよ)とやりたかったんだけどね。魔法瓶のお湯は若干ぬるくなってるんで規定どおり3分。それでも少し硬めにならざるを得ないし

まあ、こんな眺めで食べられる食事は何でもおいしいよね。ちなみに足を沢の水につけながら優雅に、なんて思って足をつけたが、冷たくって10秒と入れてられなかったわ。

山を振り仰ぐとこんな感じ。こっちも気持ちいいにも程がある眺めだなあ。



で、たっぷり休憩した後踵を返して、あっという間に枝道との分岐点。帰りのルートは迷ったんだが、来た道をそのまま戻るのもつまらないので、湯檜曽川の川筋を辿る登山道を戻ることにした。それにぬたりが行って帰ってきた道が「健脚者」むけの道なら、この枝道はそんなにきつくないんだろ。



こっちも相当にきついぞ。この下りでとうとう左足親指の爪が死んだわ。下る際に力入れたら痛みが走って、ベースに帰って足見てみたら真っ青だった。あーあ、またやった。少し小さいんだよねこのトレッキングシューズ。冬のボーナスが出たら買い換えようかね。

下りきってしまえば、あとは川筋を行く歩道となる。

ここで歴史の勉強をすれば、古くから越後と関東地方を結ぶルートとしてここ清水峠は存在している。かの上杉謙信も関東出兵の際にこの清水峠を何度も越えた。明治期に入ってもこの道は歩いて通るルートとして整備が継続されていて、おそらくはこの歩道こそが旧来の清水峠なんじゃないかと思う(未確認)。ぬたりが先ほどまで辿っていたルートはあくまで、明治17年に馬車通行が可能なルートとして新たに明治政府に開削されたルートなわけだ。そうなるとぬたりがこの時辿っていた川沿いの道の方が下手したら歴史の長いルートなのかもしれない。でも、そういう観点で見比べると、明治国道の方がなんというか、道としての格式は高い気がする。「道路状況があまりにも劣悪」と当時諸外国に馬鹿にされた明治政府が国家の威信をかけて築いたルートというのは、整備後100年以上を経て、さすがに荒れては来ていても、勾配や幅員、道路開削の技術などで今でもその片鱗を見せるもんなんだなあ、というのは、こうして歩道を歩いているとなんとなく感じ取ることが出来た。だから、歩道側で帰ったのも無駄ではなかったな、と。親指は死んだけどな。今もこれ書いててズキズキ痛むわ。

とは言え、体力的にきつい素人のトレッキングこそ余裕を大事にしたいもの。こうして道端の小さな花を愛でる気持ちを忘れないでいたいですな。

湯檜曽川の河原に降りられる場所があったので休憩。いやあ、何とも安らぐ景色だ。

下流側も。気持ちいいなあ、ここ。

で、実はぬたりがこのあたりを歩くのは2回目になる。前回は小学校高学年の時。遠足で土合駅から一ノ倉沢までを歩いたことがあった。で、行きは旧国道を歩いて、帰りはこっちの歩道を歩いたと記憶にあったので、当時を思い出しながら歩いてみたが、もちろん30年前の光景なんか何も思い出せなかった。

せいぜいこの滝があったな、ってくらい。場所は概ね記憶と合ってたが、それにしても歩道からもっと近くになかったかな? と記憶のあやふやさに首を傾げてましたがね。
この滝は車を止めたベースエリアのすぐ近く。この後まもなくぬたりは車に帰りついたわけだが、当時の小学校の担任の先生たちに言っておこうかな?

こんなキツイルートを当時の小学生に歩かせたんかいな。帰りの歩道結構アップダウンがきつかったぞおい(単にお前の体力が落ちてるだけだという当たり前のツッコミは禁止な)

ま、楽しかったですわ。清水国道全体の踏破もしてみたい気持ちがなくもないが、ぬたりの体力じゃ無理そうだわな。経験者ですら峠で一泊が基本みたいな感じだし。

おわり
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メタボ中年清水国道体験記 1/2

2019年09月29日 11時14分48秒 | 旅行&おでかけ

なんかもういきなり歩き出してますけど、現在国道291号群馬側は、谷川岳ロープウェイの麓側の駅のある「谷川岳ベースエリア」までしか乗用車が乗り入れできない。昔は一之倉沢(現在の国道としての管理もここまでみたい)まで車の乗り入れ出来たんだけどね。ただ道幅狭いし歩く人も多いしで相当な危険箇所だったのよね。なので乗り入れ禁止は正直しょうがないと思うな。昨今は環境保護も重要視されるしね。今でも一ノ倉沢までは路面は舗装されてるし、こんな感じの気持ちのいい遊歩道って感じですけどね。
今回は目標を決めず出来るだけ国道を奥まで辿り引き返してくる計画。メタボ中年たるぬたりは、ハナから峠までなんて行けるわけないと考えており(コースタイムは6時間以上)、スタートも9時とお世辞にも早くない。正直そんなに奥までは行けないだろうな、という予想があった。道荒れてるらしいし。

ベースプラザから歩きはじめると、まず眺望が開けるのはマチガ沢という沢筋。多くの人が「おお、絶景」と足を止めそうな感じの谷川岳の雄姿なんだけど、写真だと伝わらないな。その割に今回のネタは写真がやたら多くなりますが。

マチガ沢を過ぎても引き続きの舗装路面。実際このあたりはまだ正式に現役国道のはず。

現役国道のはず…。

間もなく谷川岳では有数の大きい沢筋、一之倉沢が近いというところでこんな看板見かけた。風穴みたいなもんですね。早速道の山側を歩いてみましょう。

・・・よくわかんねえ。涼しい風邪が来て・・・るかなあ?

そして一之倉沢からの眺め。ホントもう写真だと伝わらねえんだよなこの迫力。

で、実際絶景スポットなもので、ここまでは観光客用に小さな電動バスで来ることもできるのね。なのでド平日の当日でも観光客はそこそこいた。

沢に関してはこんな感じに渡る。振り返って撮影してます。

渡った途端に未舗装に。雰囲気は出てきたな。多くの地図によるとここからが点線国道部分の始まり。廃道探索とすると、いよいよ、って感じですね。

で、ここにあった遮断機の曲がり具合はいったいどうしたもんか。やっぱり雪の重さかしらね?

そしてこのあたりの道路脇の岩壁にはなにやらプレートが設置されている。実はこれ、谷川岳登山で亡くなった方の遺族や知人が故人を偲んで設置したもの。
谷川岳が多数の遭難者を出している、という話は、実は岩壁を登るロッククライミング(アルパインクライミング)での話。もちろん100%安全な山登りは存在しないが、通常の登山ルートであれば、谷川岳は特異的に危険な山という訳ではない。なんだったらロープウェイで途中まで上がれるし。
そんな中、先ほどの一之倉沢からの写真で見ていただいた岩壁を直登するアルパインクライミングとなると、ルートによっては世界屈指の難易度を誇るようになるので、これが谷川岳が多くの人命を飲みこんできた要因となっているわけですね。ここだけではなく、ベースエリアの近くには大きな慰霊碑もある。心の中で手を合わせつつ、厳かな気持ちで歩を進める。で、その直後、

路傍に石垣発見だぁー!(あっという間に有頂天)
組み方的にかなり古いものなのは間違いなく、ほぼ埋もれかけていることからも、明治期の石垣の可能性は高い。別にここで有頂天にならなくても、もうしばらく進めばもっと大規模に残っている場所(看板もあり)もあるんだけども、予期せぬところで見つけると嬉しくなるよね。

それがここ。

結構大規模に残ってる。うんうん、これは廃道好きなら文句なしに楽しめるわ。何しろ明治10年代の石垣。

近づいて積み方を観察したりもできるよ。苔生し方が芸術的だ。

スタート地点から4.2キロ、一ノ倉沢から1.1キロで幽ノ沢。幽霊の幽じゃなくて幽玄の幽が名前の由来の様ですが。

沢筋からは山が良く見える。何処から見ても絶景である。

幽ノ沢を越えたら、地形の険しさが良く分かるこんな風景に。道も轍が寂しくなりつつあるけど、それでもまだ車が入っている様子はある。このあたりはもう長年一般車両通行不可のはずなんだが。

そして分かれ道(というか現状は枝道別れ)。真っすぐが旧国道で何やら掲示物がぶら下がっている。右に折れるのはこの先の道路決壊を受けての迂回ルート。旧国道の路盤は決壊してはいるものの、歩きなら通れなくはないため、通行止めにはなっていない。

健脚者向けだそうですが。

国道側にぶら下がっているのはこんな感じの掲示物。別に歩き通すつもりもないし、多分表示のある武能沢まで行けないと思うので迷うことなく直進。

九十九折があった。考えてみれば、ベースエリア付近以来だな。九十九は直後にもう1回あった。

こんな奥地にまで車の轍があった理由がやっと判明。JRの巡視路があった。こんなとこまでごくろうさまです。こうして日夜鉄路の安全の為に(まあ、ここに職員が来る頻度は多くないだろうが)JRの職員さんは頑張ってくれているわけですね。
まあ、連中はここまで車で来るんだけどな(ぬたりは歩きで2時間弱かけてます)

つづく
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メタボ中年清水国道体験記 導入

2019年09月28日 11時19分03秒 | 旅行&おでかけ

突然だが谷川岳である。

気が付けば暦は9月も下旬。冬も近づきつつある昨今であり、ぬたりにとっては城跡巡りのハイシーズンが近づきつつある。
まあ、正直県内には行ったことない大規模な城跡こそもうそんなにないのであるが、それでもこれからあちこちに出掛けて歩くことになるわけだ。
ところが元来怠け者のぬたりであり、暑い季節にはとにかく運動をしない。だからこの季節はすっかり体が鈍っているのね。自覚あるもん。
というわけでリハビリを敢行しようと思いたったわけ。それで白羽の矢を立てたのが谷川岳だったわけだ。
とは言え、遭難者の数に関して言えば世界でも有数たる山として知られる谷川岳である。リハビリには重すぎるだろう、とお思いになられる方もあるかもしれませんな。
でも種明かしをすれば単純明快。ぬたりは谷川岳に登ってなんかいない。そもそも冒頭の写真も谷川岳の山体を捉えているでしょ。
自分が谷川岳に登ったら谷川岳の写真なんか撮れないわな。

今回ぬたりが眼をつけたのは谷川岳の脇を走る国道291号線である。知ってる人には「清水越新道」とか「清水国道」と言えば分かってもらえるかもな。
国道291号は群馬県前橋市から新潟県柏崎市に至る国道なんだが、多くの地図では群馬県は谷川岳のあたりまでしか国道の記載がなく、山を越えて新潟県六日町市の清水集落のあたりまでは車道が通じていない、いわゆる点線国道となっている。
点線国道になるのにも様々な事情があるのだが、この291号の場合は「明治時代に1度、馬車通行が可能な国道として整備された」という歴史があり、現在の国道指定に繋がっている。車は車でも自動車ではなく馬車ながらも、車輪の付いた乗り物が通れる道として、しかも明治時代のかなり早い時期に整備された過去があるわけよ。
で、この明治期の道路開削がそもそも一大国家プロジェクトだった。1878年に大久保利通が提唱した土木7大プロジェクトの一つとして道路開削が進められている。当時重要な港として利用されていた新潟港と東京を直線的に結ぶルートとなるわけで、明治18年の完成と同時に国道8号線に指定された。峠道自体のスペックも幅3間(5.4メートル)というから当時とすれば立派なもの。
しかしながらこの道は、正直当時の技術力からすると無理がある代物だった。何しろ世界有数の豪雪地帯である上越国境を素直に越える道。しかもただでさえ急峻な峠付近の沢筋はどこもかしこも雪崩の巣。一説には9月に開通して、翌月の豪雨で道が決壊、補修できないうちに冬が来て、例年通りの豪雪で道がメタメタにされて、以降はもう二度と馬車での通行は出来なくなった、なんて話まであるほどである。特に新潟県側は登山道としてすら無視されている(登山道は別ルート)ほど。群馬県側はほとんどの場所は(一応)登山道として再利用されている。上越国境に車輪が付いた乗り物が往来できるようになるのは、鉄道なら上越線清水トンネル開通の昭和6年(清水国道開通の46年後)、車両であれば国道17号三国トンネル開通の昭和34年(同じく74年後)まで待たなければいけない。
国道は国が指定する道路である以上、どこを通っている、という規定がある。これは点線国道であっても同じで、たとえ通れなくても国道のルートが選定されている以上、公的な台帳に載っている(らしい)。んで、この291号の点線部分は、まんま明治時代の国道のルートが指定されている。要するに、廃道であっても国の図面上はそこに道が今でも存在するわけだ。これは廃道好きとしては一度は行っておきたいところで、実際廃道マニアの間ではこの廃道区間はつとに有名。何しろ当時の1級国道として指定された道が机上の計画ではなくてそこに一応存在したわけだ。しかも群馬県側は、ほとんど登山道として一応通行可能となっている。
さらに注目して欲しいのが、明治国道時代の清水越新道が「馬車が通行できる道」として整備されているという点。すなわち、基本的に急勾配は無いということで、これは怠け気味なぬたりのリハビリにもってこいではなかろうか、という思惑と結びついたわけだ。そこで今冬の探索の小手調べとして、まだ残暑残る夏の上州最北部へと足を向けたわけである。(つづく)
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さらばフジ模型

2019年09月21日 20時56分51秒 | 物欲
というわけで、先日ネタにしたとおり、前橋市のフジ模型さんが今月いっぱいで70年ほどという長年の歴史にピリオドを打つ。
お店というのは突然閉店されることもあるので、お別れできるだけまだ幸せというもの。ましてや閉店セールを行っていただけているので、欲しいものがあればお得に手に入れることもできる。フジ模型はその歴史の終盤を鉄道模型のお店として経営を行ってきたわけで、ぬたりも先日、SLのNゲージを購入させていただいた。
んで、本日、最後のお別れとして買い物をさせていただいたわけだが、今回ぬたりが購入したのは鉄道模型ではない。
というか、鉄道模型はもうおおかた売れちゃっててな。ほとんど残ってない。鉄道模型のジオラマ作るのならまだ使えそうなものが結構残っているが、車両に関しては、特に自走できるものはもうあんまり残ってないね。客車とか増結セットならまだそこそこあるが。
ぬたりが今回購入したのはミニカー。といってもトミカとか買った訳ではなく、ビンテージミニカーと言われるもの。製造年とかは詳しく調べてないけど、多分ぬたりと同じか年上のミニカーになるんじゃないかな? フジ模型さんは鉄道模型とビンテージミニカーのショップ、と看板を抱えているので、珍しいミニカーも結構な在庫を持っていて、これも閉店セールになってる。
別にぬたりはビンテージミニカーに興味があるわけでもなくてね。実際、閉店セールには過去2度ほどもう来ていて、棚も眺めていたが、反射的に「このミニカー欲しい!」と思えるようなものはなかった。
が、1週間前に訪れた際に、常連さんが1個ミニカーを購入する時に居合わせ、細かく拝見させていただく機会を得たのだが、作りこみの細かさや、ビンテージならではの味に、なかなかそそられる気持ちをおぼえたのよね。
なので、その時に改めて棚をチェック。気になる車種をいくつか憶えておいて、家に帰って、ミニカーの製造会社や車種についてネットで検索。ビンテージミニカーについて詳しくはないから、どちらかというと車種で絞っていって、最終的に2台ほど欲しいと思えるものがあったので、今日お店にお邪魔して購入してみた。まずはこちら。

DINKY社製 ジェンセン FF
この車の兄弟車に「インターセプター」と言う車があり、こちらはイギリスのそれなりの高年齢の車好きには、国産ハイパフォーマンスカーとしてそれなりの認知度がある。日本でも有名なイギリスの自動車番組「トップギア」「名車再生クラシックディーラーズ」と言ったあたりでも取り上げられていて、ぬたりも見た。一方のFFは右ハンドル専用設計のためアメリカで販売できず、車とすると若干地味ではある。とは言え、当時としては革新的だった4輪駆動を実現するなど、今から見ればなかなかに頑張っていた車とも言えますな。
車自体は1966年から1971年までの5年間生産され販売台数は320台というから、商業的には失敗でしょうな。製造元のジェンセン・モーターズも1976年廃業している。

さて、ぬたりがこのミニカーを買った理由はといえば、やっぱり雰囲気ですかね。ちょっと前のイギリス車って、かっこいいんだかカッコ悪いんだかさっぱり分からないんだよね。

真横から。明らかに前が長くてバランスが悪いだろこれ。

正面。バッサリ縦に切られたようなフロント部が、何ともいえず不格好な感じ。
で、そんな感じでいやあ、カッコ悪いだろこれ、とかとしばらくバカにしながら見てると、1か月もすると不思議と魅力的に見えてくるんだよなこれ。ブリティッシュデザインってホント良く分からん。車じゃないけどBACライトニングとかホントデザイナーを小一時間問い詰めたいわ。


そしてもう一つはこれ。



MEBETOYS ISO S4
そもそもこのMEBETOYS(メーベトーイ)のミニカーを買ってる常連さんを見たことが、ぬたりがここでミニカーを買うきっかけになった。仕事が細かいとか塗装が良いとか話してたのよね。ちなみにその人はフェラーリ買ってたけど。
で、このS4。ISO(イソまたはイーゾ)というあんまり知らない自動車メーカーだったので調べてみたんだが、イタリアの高級車だったようで、かのジョン・レノンが一目惚れして買った、なんてエピソードも出てきた。

実際言われてみれば、スラントしたボンネットやトランクリッドにイタリア車らしいデザインセンスが見える。なかなかに味のあるデザイン。古い車だから皆が皆、という訳にもいかないだろうが、多くの人が「かっこいいね」と思ってくれるデザインだと思うな。

そして作りが細かい点がエンジンルームに。S4のエンジンがアメリカのシボレーコルベットが使っていたエンジンを載せており、エンジンにちゃんと「CHEVROLET」「ISO」の両方の名前がある。こういうのは車好きにとっては憎い演出だよね。
ちなみに車自体は1967年から1974年まで生産され、販売台数は189台と、売れてなかったジェンセンFFのさらに半分程度。製造元のISOは1974年に倒産(だからS4の生産も1974年まで)という感じである。

ということで、奇しくも2台とももう40年も前に倒産した自動車メーカーのミニカーを買ってきたわけだがね。メーベトーイにせよディンキーにせよ、箱付美品ならそこそこのお値段がオークションあたりでもつくようで、ぬたりのも大事にしとけば将来寝が付くこともあり得るんだろうけど、そこはそれぬたりのマイナー好みが、こういう多くの日本人が会社すら聞いたことないような車のミニカーに興味を寄せるもんだから、価格はつきにくいんだろうなあ、というのが今の正直な考え。金に困ったら売る…となっても期待は出来んなこりゃ。

ともあれ、このお買い物はお別れの儀式みたいなもの。中学生のぬたりがなけなしの小遣い握りしめて訪れたあの日の楽しい経験の、せめてものお礼みたいなもんですね。広い店内のたくさんあるプラモデルを見上げた時の感覚は、今でも覚えてますからね。

お世話になりました。さようなら、フジ模型さん。
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数年経つとわずかに吸引力は下がるそうですが

2019年09月18日 19時42分33秒 | 日記


と言うわけでダイソンの掃除機である。
家電の買い換えなんてそんなに盛り上がるもんでもなく、ぬたりとしても、今まで使っていたのが不調になっちゃったし、増税前に、と言う程度の話なのだが、どういうわけか普段何呟いても反応のないツイッターで反応をいただけたもんで、せっかくだからブログで仕切り直そうかと。
実際の所、ダイソンの掃除機というのは今でも高嶺の花で、日本のメーカーの掃除機に比べれば幾ばくも高い。最高級モデルなんて実売価格で言えば7万はする。まあ、ぬたりが買ったのはもっと安いやつだが、それにしたって他のメーカーの高級モデルと遜色ない値段がついていた。こうなるとみんな「値段に釣り合う性能はあるのかよ」と気にもなるんでしょうね。
まあ、ぶっちゃけて言えば性能面ではまだほとんど使ってないんだし分からん、としか言いようがないのが本音でね。このため皆さんにアドバイスする事もできないのよねこれが(役立たず)。まあ、よく言われる「うるさい」「使いにくい」と言う点に関しては、ちょっと使った感じでは、気になると言えば気になるか? 位ですかね。
で、今回、ぬたりの場合、ソフトローラークリーナーヘッドなる掃除機の吸引部に惹かれたのね。
ぬたりんちのゴミで最大のものは猫の抜け毛である。ホントこれがそこいら中に散らばっており、また悪いことにぬたりんちの愛猫はやや長毛である。掃除機をかけると子猫が中に入ってんじゃねーかと思うくらい毛が取れる。
んで、この毛がたった数年で掃除機を不調に追いやった原因であることに論は待たないわけで、昨今予期せず電源が切れる不具合が多発。挙句吸引部のローラーは猫の毛が絡まってえらいことになっていて、ドライバー片手に分解整備をバッチリする羽目にもなった。また分解整備しにくくてね、これが。
そんなぬたりの分解整備の苦労の甲斐なく不具合は治らず、せっかくなら増税前に、と家電量販店を訪れ、ペットを飼う家にオススメの掃除機でもあるんかいなと店員にまずは聞こうとはしたのよ。で、ここで昨今の家電量販店の罠がある。昨今は量販店のスタッフが売り場にあんまりいないのね。
代わりに立っているのは、家電メーカーの服を着込んだメーカー派遣の人ばっかり。そしてその日ぬたりが訪れた家電量販店の掃除機コーナーにいたスタッフは3人。1人は現在ぬたりが使っている(そして不具合で困っている)メーカーの人。さすがにこの人に声はかけづらい。
そして残り2名はダイソンの人。
もうこの時点でダイソンから逃れられんわな。興味があればなおのこと。
話をしたら案の定、オススメはダイソン。しかも前述のソフトローラークリーナーヘッドが良いとの推し。分解して丸洗いも可能、と言うことで、実際分解もしやすそうで、先日の分解整備の苦労を考えれば魅力的。
また、この店員さんの話術が、ジャパネットもかくやと言うくらいに実に巧み。おかあちゃんには使いやすさやフィルター洗浄は1年に1度でいい等の説明や実際に体験させたりで感覚的に訴え、カタログを持ってたぬたりには、各モデルの違いや、各機能やオプションの使い方や利点を技術的に、実に理路整然とした説明だった。そうとう説明と売り込みに慣れてんな、この人。
で、高いのにダイソンともなると値引き交渉もほとんどできない。ポイントが量販店側の逃げ道にもなるし(値引くくらいならその分ポイントためた方がいいですよ、とか言われちゃう)、ダイソンは9月までキャンペーン中でな。なおのこと値引きはきつかったわ。

ともあれ、帰ってきて早速使ってみたおかあちゃんは「とても使いやすい」とご機嫌であった。まあ、そうやって気分良く掃除してくれるんなら、それなりに張ったお値段は安いもんと言えるかもしれないな・・・と言うか思わなきゃやっとれんわ。夏の旅行も終わったこのタイミングで数万の出費は結構痛いぞ。

ちなみに豆知識として、ダイソンの今があるのは日本人のおかげであることを皆様ご存じだろうか?
ダイソンがサイクロン式掃除機を発明したのは実はかなり前の話。しかしながら値段がかなり高く、お世辞にも反応は良くなかったらしいのだが、日本のとあるメーカーの目に止まり、しばらく業務用掃除機としてライセンス生産が日本で行われていた。このライセンス料でダイソンは会社を興すことができたそうな。この日本のメーカーは今はもうないらしいんだけどね。
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冒険でしょでしょ?

2019年09月13日 22時31分52秒 | ヲタネタ
唐突だが、ヲタの部屋といえば美少女フィギュアである(唐突にも程がある)

かく言うぬたりの部屋にも独身時代には複数のフィギュアがあった。激奏バージョンのハルヒ、みくるちゃん、有希を筆頭に、メイド鶴屋さんに、スーツセイバー、ねんどろいどぷちで放課後ティータイム5人揃えたりしてたな。
んでまあ、これらは結婚費用の足しにされる、というヲタとすれば敵前逃亡で絞殺刑になっても不思議ではない理由で手放され、今は手元にない。とは言え、地味に助かったのは確かで、万単位の臨時収入にはなったな。箱とか取っといてよかった。
あれから幾年月、結婚当時の2LDKのアパートから、(ローンが果てしなく続くとは言え)持家で、しかも自分の部屋もちゃんとある状況になっていた。
それならもうそろそろ美少女フィギュアの一つも持っていていいんじゃなかろうかと思った訳だ(結論がおかしい)。
おかあちゃんもあんまり俺の部屋入らないし、おかあちゃんの友達が来たら、という考えもあったが、うち、ぬたりの友達含めて来客滅多にねえしな、えっへん(いばんな)

という事ではあるのだが、問題が一つあり、ぬたりは昨今、熱心にチェックした作品というのがなく、フィギュアを買うほどの思い入れのあるキャラがいないのである。安い買い物ではないから、そう簡単にキャラ選定は出来ない。
ぬたりが昨今チェックしている作品は、スマホゲーのFate/Grand Orderのみといえる。そう言えばFateという作品についても、PC版を初めてプレイしてから、かれこれ10年くらいの付き合いになるし、昨今関連作品も増えたし、このあたりをチェックしてみるかとパソコンを叩く。
・・・えーっと、まあグッドスマイルカンパニーからかね? FGO関連だと・・・、こんなんどうだ? ジャンヌダルクの1/8スケール。厳密にはFate/Apocryphaのキャラだが、まあ外観は変わらないんだし。
高いけどな(いちまんはっせんえん・・・)
・・・まあ、気を取り直してセイバー(アルトリア)はどうだ? お、まさにFGOの場面のがあるじゃん。
高いけどな(いちまんはっせんえん・・・)

えっと、少し目線を変えようか。グッドスマイルカンパニーがダメならアルターがあるさ。こっちも出来は良いしな。どれどれ・・・おお、ジャンヌオルタがあるじゃん。ジャンヌは欲しくて今年の正月のピックアップガチャを数十回、回したなあ。何とか手に入れられたけど、これ良いんじゃないか?
もっと高いけどな(にまんろくせんえんはっぴゃくえん・・・)

という訳ですっかり怖気づいたぬたりがここに。スケールフィギュアもいつの間に高くなったもんだなあ。もう少し考えたいとは思うが、この手の商品は、ただでさえ高いのにアマゾンあたりの在庫なくなると一気にプレミアついて値段が跳ね上がるから、悩んでいる時間もそんなにないんだけどね。そう考えると、7800円くらいであれだけのクオリティの物が買えたハルヒの激奏バージョンってお買い得だったんだなあ。

ちなみにその激奏バージョン、新品のデッドストックなら買い直しもいいかとアマゾン見てみたが流石に甘くなく、ハルヒも有希もプレミアついてた。
そんな中唯一プレミア値がついてなかったみくるちゃんについて何とも複雑な心境になったりならなかったり。なんでさ? 胸元のホクロも完全再現してんだぞあれ?
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メーカーの垣根を越えた・・・!

2019年09月07日 22時34分07秒 | 日記




マイクロエースのD51 23号車に曲がりなりにもTOMIXの客車が連結出来たわ。いや、SLでも黎明期のスーパーナメクジがブルートレインの客車(しかもJRのペイントあり)引いてるとか、頭痛くなる編成でしかないんだが。
とりあえず連結出来ることは確認できたから、いろいろ買って来てもいいかもな。フジ模型の閉店は9月末だし、そういう客車1両とかならまだ在庫は若干あったし。


なんて言ってたら、早々に不具合出てますけどね。連棒外れてんじゃないのよ。
細かすぎて素人じゃ手が出せないし、購入直後の不具合だってんでメーカーに出そうにも閉店セールで買ってるからレシートもないし、直すとなると有償修理だねこりゃ。

ま、相当に安く売ってもらえてた訳だしな。世の中こんなもんだ。
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今年のファンタもいい味だ

2019年09月06日 20時39分34秒 | 日記
山梨「ワイン県」で本場PR=北海道や長野、ライバル台頭(←リンク先はヤフーのニュース)

ああ、来年は山梨旅行もいいかもなあ(今年の箱根旅行が大ハズレだったので現実逃避中)。富士の麓でワインと温泉。

最近なかなか行けていないのだが、独身時代には群馬県昭和村にある奥利根ワイナリーに何回か行っており、顔も覚えられていた。
あそこのワイナリーは高いのでも数千円程度なので、言ってみればテーブルワインしかないようなとこなのだが、ぶどうの生産から自分の所で手がける群馬県内唯一のワイナリーだけに、ワインの知識とすれば相当に確かで、実際色々教えてもらった。
その話の中で「ワインの生産量が一番多い都道府県はどこだと思います?」と聞かれたことがある。記事にあるように山梨県じゃないの? とお思いかもしれないが実は違う。分かって読んでいれば分かるのだが、知らなければ分からないような書き方を実はこの記事はしている。
この記事。行が開いているにもかかわらず1行目と2行目が繋がっているのね。山梨県が生産量1位なのは1行目にある「国産ぶどうだけで醸造する日本ワイン」であり、ワイン全体の生産量が1位というわけじゃない。
こうまで書けば分かると思うけれども、輸入したぶどうを用いて国内で醸造されたワインがかなりの量生産されており、これを含んだ「国産ワイン」の生産量であれば、残念ながら山梨県は1位じゃなくなる。
では1位はどこかと言えば神奈川県。そう言われると何か意外なような気もするが、横浜港が大輸入港なので、大手メーカーがその近くで醸造するわけ。スーパーで売ってる安価なワインは、結構な確率で神奈川県生産だそうな。

とは言え、だからといって山梨がワインで売ることについては、ぬたりにも否はないけどね。幾ら神奈川が生産量が多くても、それが観光に結びつくわけでもない。山梨県であればワイナリー見学も複数箇所で可能だし、お土産としても良いしね。そこそこの規模があるからワイナリー見学も結構楽しいのよね。

弱点は車で行くわけにはいかない、ってことかね。テイスティングは飲まずに吐き出せばいいんだろうけど、口の中にほんのわずか残るからまるっきり摂取しないわけじゃないし、それにタダで飲めるのに飲まないなんてそんな居心地の悪いことができるか、ってのね(結局飲みたいだけかい)
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悲しみの連鎖

2019年09月03日 20時09分55秒 | ヲタネタ
さて、先日、群馬県内の模型店では来客数に関しては有数だったファーベル伊勢崎店が、経営会社の倒産という形であっけなくなくなってしまったので、そのあまりの衝撃からネタにした。
そもそも、今年7月末にはみどり市内にあったホビーショップアザミが閉店(こちらは倒産とかではなく、かなりの期間閉店セールもやった)しており、2か月連続でそれなりの規模の模型店は閉店している。
正直嫌な流れで、今後後悔の無いように模型屋さん周りをしてみようと思ったのが日曜日のこと。そしてその後最初の仕事休みとなった今日、早速回ってみたわけなんだが。

フジ模型お前もか。

ぬたりとフジ模型の関係は過去に語っているのだが、当時ダンジョンズ&ドラゴンズのスタートキットを買ったお店と、30年後にこんな別れをするとは思わなかったなあ。しみじみ。
未確認情報として、フジ模型が閉店セールやってる、というのは数日前にネットで見ていたんだが、実際目にするまでは信じられなかった。実際見てみてもそのとおりでしたね。
まあ、ファーベルに比べればこうしてきちんと挨拶もできるという事で、「私、初めてこの店に来た時は中学生でしたよ」と、和やかな雰囲気の中でご挨拶が出来た。今までありがとうございました。
んで、閉店セールをいつからやっているのかわからないが、鉄道模型に関してはあらかためぼしいものはもう売れちゃってた。複数両のセットのものはほとんどなく、残っているのは増結セットばっかり。元の車輛を持っていないぬたりとすると手は出ないね。
そんな中でも売れ残りの中で、ぬたりとは何がしかの縁がある(と無理やり思える)物をお別れに購入させていただいた。まずはこちら。

マイクロエースの国鉄D51-23号車
D51としては国内では有数の走行頻度を誇る群馬県在住者とすれば、D51は持っててもいいかな? 一応最初の所属は高崎機関区だったらしいので、群馬県在住の関係がなくもない。欠点はぬたりはマイクロエースのNゲージ他に持ってないんで、連結して走らせる客車がねえんだよな。買ってくるのかねえ?
もう一つ買ってきた。

KATOの富山ライトレールTLR0605
富山ライトレールはJRが廃止した富山港線を第3セクターにて引き継いだという、まあJRが切り捨てたローカル線のよくあるパターンながら、一部経路を変更して路面電車化して、本数も増やすなど、攻めの姿勢で第3セクター化して、それなりの成功をおさめている路線。ぬたりは過去に富山に行った時に(華ちゃんのコンサートだったかな?)、わざわざ乗ったことがある。こんな車体ペイントではなかったと思うけどね。

ともあれ、中学の時に初めて買い物したお店にとりあえず最後のご挨拶は出来た。しかしこれで、群馬県は3か月連続で模型店の灯が消えることになる。寂しいにも程があるな。ホント興味ある方は模型店を大事にしてあげてね。あっという間になくなるよ、お店って。
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あの頃はETCじゃなくてチケットだったな

2019年09月02日 22時54分06秒 | 日記
東北自動車道佐野SAでレストランが営業再開(←リンク先はヤフーのニュース)

いや、ニュース自体はどうでも良いんだけどね。労働条件は労使間で決めてもらう以外にないから、外部がなんか言っても意味はない。利用者だったら意見を言ってもいいだろうが、ぬたりは居住地的に佐野サービスエリアを使う機会があんまりないのよね。以前は群馬県から東北方面に向かうには佐野藤岡インターチェンジを使う事があったのでまだ通り道だった(※)が、北関東道が関越道と東北道を繋げた(佐野SAの少し北がジャンクション)今となってはそもそも通らない。北関東道経由で東京方面に向かうなら通るが、東京に向かうならそもそも関越道を使うし、仮にこのルートを使ったとしても、もう少し南下すれば、江戸の町をテーマにしていて雰囲気の良い羽生パーキングエリア(上り線)もある。ぬたりが佐野サービスエリアを使う場面があまり想像できない。
全く無いわけでもなく、今年1度だけ訪れてはいる。ただしこれは、千葉県北部から埼玉県のミゼット2の中古車を虱潰しに見ていた際の話。最後の店が春日部にあり、見終わったらもうお昼過ぎ。帰るには東北道~北関東道が一番早く、しかも帰り道にこれと言ったお昼食べるところがなかった、という条件が重なってのこと。こうまで条件重ならないと使う事はない訳よ。だったらまあ、ぬたりがこの問題に関して語る必要も無い。それに同じようなルートで食事したくなって佐野のレストランが使えなくても、今は太田強戸PAまで我慢すれば食事はできる。新しいしな、太田強戸PA。
さてさて、そういう運営上のことはともかくとして、先日佐野SAに寄った際に感じたことは、「古くて特色が無い」ということ。ぬたりが若い頃のサービスエリアってこうだったよね、って感じ。レストランと、うどんとかそば中心の軽食コーナー。それからお土産物屋がある、っていう形。施設的にも雰囲気が昔のまんま。
昨今、サービスエリアやパーキングエリアはあちこち特色を出してきていたり施設の建て替えが進んだりで、あちこち小綺麗になっていたり特色を出したりしてる。前述の羽生パーキングもそうだし、関越道には星の王子様をテーマにしたパーキングエリアもある。ぬたりがよく使う関越道に関して言えば、三芳、高坂、上里、赤城高原、と言ったサービスエリア(三芳のみパーキングエリア)あたりはかなり大規模に手が加えられていて、20年前あたりと比べても面影がないほど。
東北道に関しても、そもそも通行量が関越道よりも多いこともあるし、多くのサービスエリアがリニューアルしている。同じ栃木県内でも上河内とか那須高原はかなりきれいになった。そんな中、なぜか佐野サービスエリアだけは昔の雰囲気のまんまなのよね。2008年にリニューアルはしたらしいんだが、これと言った「新しい点」がない感じ。ぬたりとすれば、「そうそう。免許取り立てで嬉しくてあちこちドライブに行ったときに寄ったサービスエリアはこんな感じだったよ懐かしい。今はどこもかしこもすっかり小綺麗になっちまって」というちょっとしたノスタルジックな気分ではあったが、そんなマニアックな雰囲気を喜ぶそうは相当なニッチだろうし。
ま、こういうのは順番のもんなんで、次あたりに大規模リニューアルを、と関係者も考えていたんじゃないかと思うので、この機にもっと特色のある施設へのリニューアルを検討してもいいんじゃないかとは思いますけどね。少なくとも上り線は羽生パーキングエリアのリニューアルで強烈なライバルができたところで、活性化を図らないと。実際羽生パーキング大人気よ。休日とかは人が一杯だもん。ぬたりが行ったときもごはん食べる席を確保するのがかなり大変だったわ。そういう意味では、マスコミあたりは意図的な視野狭窄視点で「代替施設のない高速道路でこんな事するなんて利用者を無視している!」なんて煽っていたけど、正直、特色の無い佐野SA寄るくらいなら、もう少し走って羽生パーキングに寄れよとしか思わなかったがな。楽しいよ、羽生パーキング上り線。一本うどんとか話のネタにもなるしな。


※ただ、群馬県の中北部の場合、国道122号~日光~国道461号経由で矢板に抜けるよく知られた裏道があり、これを使うと佐野まで南下するのと比べて、時間がそれほど変わらない上に高速代も安いので、ぬたりが実家に住んでいる際はこのルートばっかり使っていて、やっぱり佐野SAを通ることはあんまりなかったな。
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