フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

ゴーイングマイウェイ

2021年02月27日 20時24分54秒 | 日記
唐突に思い出したことがある。

それはぬたりが中学生の時。ぬたりのクラスでは朝のホームルームで「スピーチ」なる時間があった。これは毎朝一人、順番になにがしかのスピーチをするという時間である。スピーチノートとかがあって、そこに事前に自分の話す内容を書いて、それをその通り話す、と言う段取り。
そしてぬたりが当番の日の朝、スピーチノートは白紙だったわけである。すっかり書くのを忘れてたわけ。
ぬたりはどうしたか、簡単な話だ。
朝登校してから、スピーチの時間までのわずかな時間でスピーチをでっち上げたのである。書いた物を読まなきゃいけない、と言う形であったのでスピーチの時間には白紙のノートを手に持って一席ぶって見せた。
今なら人前でしゃべるときはむしろそんなノートなんか書かずにフリートークをし、それなりに流暢にやれる自信もあるのだが、何しろ当時は中学生。結構なしどろもどろになり、怒られた記憶もある。
だが、今から思うと、スピーチなんぞはむしろノートを読まずに手ぶらで喋れた方が評価は高いわけで、ぬたりのやったことは、もちろん事前準備を怠ったという行為は褒められたもんではないが、将来の練習と考えるならばむしろ有用だったんじゃないかと思う。
かつてぬたりは仕事での人前でのプレゼンに関して所属事務所から結構な勢いで褒められた経験もある。実地で学んだことだが、人前で話す場合に手元にシナリオがあると得てしてそれに縛られすぎて、説明が棒読みになる。こうなると相手の印象に残りづらくなるもんで、むしろ本番では資料を捨てるくらいの気持ちを持った方が相手に伝わるもんなのよ。それだと話忘れが出ちゃうかも、と言う心配はあるんだろうけど、自分が伝えたいと思い壇上に上がっていながら話し忘れちゃうことなんか、得てして落としちゃっても問題ない事柄なのよ。まあ、もちろんこれをするには、直前まで資料を読んで内容を頭にたたき込んでおく、と言う前段階は、シナリオ持ち込みする時以上に必須になるわけだが。

翻って、ぬたりが中学生の時に怒られたのは「ノートを書かなかったこと」。だが、本来スピーチをするという「目的」の時間であるのならば、ノートという「手段」は本来枝葉の部分。スピーチがうまくできなかったことに関して怒られるなら本望であるが(実際あの時のスピーチはひどかった記憶がある)、ノートを書いていないと言うことに関してだけ怒られるのは正直違うと思うな。「ノートを書かなかったからうまく話せなかったじゃないの!」というお説教は正当。「ノートを書かないとは何事だ!」と怒られるのは違う。作文の時間じゃない。スピーチの時間だろう。「手段のためには目的を選ばない」というのは基本的にギャグのネタではあるんだが、学校教育の現場では得てして真面目にそういうことが行われちゃうのよね。
で、これをもって大上段に教育を語ればありがちな話になるが、まあ今回のネタはどう考えても事前準備してないぬたりが悪い。少なくとも先生は悪くないんだけどな。実際うまくスピーチをできなかった時点でぬたりはいかなる責めも負うべきだろう。そもそも学校は「手段」を学ぶべきところであくまでも将来の練習。スピーチするのにノートを書け、というのは、人前で話す時は必ず事前準備をしろよ、という手段の練習の一環でしかない。だからノートを書かせていたこと自体は別に間違っていたとは思ってないし教師のお説教も正当なもんだろう。
実際あの時の経験はプレゼンで褒められたぬたりに確実につながっている。中学生の時に「いかに手間をかけずにスピーチをするか」という考えで行ったことは、プレゼンの資料作成や説明シナリオの作成(本番には持ち込まないが、事前の練習用には作る)に生きているし、その後の経験で、「いかに効果的に説明するか」という側面が加わっただけ。ぬたりの場合は声のトーンや抑揚でそれをやるので、手元の資料があると邪魔、ということで、説明時は必ず手ぶらで、作成したパワーポイントと対峙するわけさ。

と言うわけで、別に学校を貶したいわけじゃなく、当時があるから今があるのだわなあ、と言うことを言いたいだけではあるね。まあ、かなりねじ曲げた形ではあるけどね。学校で言われたことの素直な延長線上には今のぬたりはなく、脇道を見てみたら割と居心地がよかったのでそっち進んだ、って感じですかね。
ただ、自分が脇道にいる、というのは脇に本道があるのが見えてるから自覚できるんで、そういう意味で学校教育がなければ今のぬたりの自分自身を自覚できないことは間違いない。そういう意味ではやっぱり教育って大事なんだな、ってのは思いますね。まあ、「学校は手段を教えるところで目的は自分で見つけないとダメ」「学校が教える道以外にも、自分に合った脇道もちゃんと見つけた方がいいよ」ということ位は教えて欲しかったかも、というのはちょっとは思うけど。「とにかく学校に従え。それのみが正しいんだ!」という刷り込みはあんまりして欲しくはなかったな。

そんなことをふと思う、先日仕事関係の説明会に参加したら、説明者がシナリオ棒読みで耳に入ってこないにも程がある経験をしたぬたりでしたとさ。俺にやらせろもう少しマシに説明してやるぞ。
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アラフィフっぽいブログになってきたかね

2021年02月23日 21時51分30秒 | 日記
足に原因不明の痛みが走る。

気が付けばぬたりもアラフィフ。そういう年代になれば会話の中心は、やれ人間ドックの結果だの、やれあそこが痛いここが痛いという会話になってくるもんだが、ぬたりも今回、朝起きたら左足の甲のあたりが何やらやたら痛いという現象が発生しましてね。
現在は冬ということもあり、ぬたりの愛猫が布団の上からぬたりの足のところに乗っかって寝る、ということを毎日しており、まあ1日くらいなら「変な格好で寝ちゃったな」で済むのだが、その痛みが3日間持続し、しかも3日目が一番痛い、ともなればそうそう気楽に構えてもいられない。
ということで整形外科なんかに行ってみた。しかしまあ世の中便利になったもんで、ネットで検索すれば最寄りのクリニックはすぐにわかる。何しろぬたりは結婚するまで、今居住する市町村についてはそんなに詳しくなかったしな。
でまあ、一通り問診されたりレントゲン撮ったりという、おおむね予想してたとおりの措置をされた結果、特に大きな問題なし、という診断結果になった。簡単に言えば関節の炎症でしょう、という感じ。
「往々にして疲れがたまってたりすると痛みが出ることはよくありますね。あとは最近冷え込んでいるので、寒さでも炎症とかは表面化しますね」
とか言われた。

思い当たる節アリアリ(不規則な生活、寝不足、猫が邪魔で熟睡できず&たまに布団から足がまろび出る)

で、処方箋を出してもらう。ぬたりの見込みでは湿布が出てせいぜいだろうと思っていたが、今回は湿布以外に飲み薬も出た。要は鎮痛剤と胃薬な。1日3回(毎食後)だそうな。医者に行ったのは昼前。こういう日の夕食はぬたりの当番なので、帰りしなにお昼ごはんと夕食の食材の買い出しをして帰宅。昼食後まずは飲み薬を服用。しばらくしたら確かに痛みは引いた。おお、さすが処方の鎮痛剤。
で、夕食である。何しろぬたり宅の夕食担当は圧倒的におかあちゃんの方が多くぬたりはたまにやるだけ(腕と料理を苦にするしないを夫婦で比べた結果こうなってる。ぬたりも料理できなくはないが腕が悪いから無駄に時間かかんのよ)。なので割と夕方くらいから料理にかかりきりになる。まあどうにかこうにか夕食にはなった。食事を楽しみ食後である。さて、鎮痛剤鎮痛剤・・・


ではシンクに転がってるこれはなんだ?
夕食後に鎮痛剤飲もうというやつがビール(大瓶)飲んでどうするつもりだったんでしょうな。ビールあけていい気分になって初めて鎮痛剤の存在に気が付いたわいやいや、我ながらドジっ子である、てへぺろ。
さすがに鎮痛剤はまずいだろうと、飲むのは遠慮した。おかげで翌日朝も足痛かったけどどうしてくれんのこれ(自業自得)
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Lost my music

2021年02月18日 21時34分59秒 | ヲタネタ
ぬたりはヤフオクに関してはあまり利用していない。
まあ、自分の性格が分かっているので、ついつい競りで熱くなる、ということが分かりきっているのでな。
というネタで語ると言うことは、先日熱くなって気がつけば割高な値段で落札しちゃった、という事実と連携するわけでな。ホントもう自分の性格が嫌になるわ。
とはいえ値段は数千円。傷口はそんなに深くない。全く価値のないものならともかく、一応競り合いになるくらいにはニーズのあるもんだから、まあ全くの損でもないだろう。
んで、今回落札した物はこちら。



ハルヒのフィギュア。激奏バージョン。

ぬたりと親しいヲタ友達なら、お前これ持ってたろう、という突っ込みが入るところだが、実際ぬたりは結婚まで持ってた。しかもみくるちゃんと有希も揃えてたな。でもその手のヲタ関係グッズはその手の店に持って行って、基本的に結婚資金に化けた。あれから数年、やっぱり一つくらいは美少女フィギュア持ってたいとふと先日思った訳よ。
だが時の流れは残酷で、高品質なフィギュアは順調に値上がりを続け、ぬたりが買っても良いかと思えるような物は総じて高額な物になってしまった。このハルヒのは当時確か1万円しなかったと思うが、いまや高品質な物はおおむね2万を超えてくる。昨今プレイしてるし、なんてFate関係のフィギュアとか狙ってみたが、良さそうなのは軒並み高い。むぅ・・・
と言う形でなんとも半端な気持ちでいたところの今回のヤフオクであり、ぬたりはかなり本腰を入れて競りに参加したわけ。で、これ開封済みの品なので正直ぬたりの落札額は少々高い。まあ、未開封中古品ならこんなもんでは到底済まないわけで、まあ、仕方ないか、と諦めもつく値段ではあるが、ネットで調べてみて同程度のものよりかはそれなりに安い価格で競り落とせたので、こんなもんかと思っていたんだけどね。

送料を忘れてたわ。

送料含んだら、その手のものと変わらないか、気持ち安い程度にしかならなかった。素性のわからない品が扱われてるオークション物と考えるとギャンブルに過ぎた感じではあったな。実物を見るに十分美品ではあったので、とりあえずは胸をなでおろした次第。

ハルヒの作品自体にはもはや興味はないが、キャラは相変わらず好きなのでな。とりあえずは飾っておくわ。
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仙石河岸線跡だけは遊歩道になってて気楽に歩けます

2021年02月16日 15時27分38秒 | 日記

ヨッキれんさんの生活は、俺が支える(意味不明)
・・・というのは大袈裟すぎる表現ではあるのだが、プロの廃道探索家として、探索した道の情報を発表する&それを公開したサイトのアフィリエイトで生計を立てる、という彼の収入を支えるには、こうして彼が書いた文章が載っている本を購入するのが一番手っ取り早い手段なのよね。
そんな具合で買ったこの本。ヨッキれんさんが執筆した話題は数あるネタの中のたった一つ。本1冊のうち数ページだけ。写真こそ多いが文章量はさほど多くなく、正直コストパフォーマンスは悪いよなあ。

・・・なんて考えていた時期が私にもありました。

読んでみたらびっくり、多くのネタがぬたりの個人の琴線にビンビン触れる。葛生の鉱山鉄道なんか、ぬたりが廃線跡に魅力を感じる萌芽となった土地(たまたまドライブで通りかかって、廃線跡を車道からしばらく追ったりしたことがある)。後は単純に群馬県内の廃線が複数あり、しかもどちらの廃線跡も半日程度をかけて廃線跡を巡った記憶がある。こんなネタを本媒体で見せられれば、そらもう面白く感じないはずがない。昨今買った本の中では有数の興奮して読める本だった。
で、地元ネタの一つ目は赤城ケーブルカー。今でこそネットにたくさん情報があるが、ぬたりがこの跡地を踏破したのは十数年前の話。当時の情報は山頂駅と山麓駅の遺構くらいでほとんど情報は得られなかった。山頂側山麓側ともに橋がなくなっているので、どちらから辿るにしても自然の原野に身をさらさないと廃線巡りはできない。
割と有名な廃線であり、辿った人は多かったとは思うが、何しろ当時はネットに情報がないもんだから、交換所の跡あたりで「ここを見た数少ない人物の一人になれた」なんて悦に入れたもんよ。
もう一つは利根川沿いの砂利採取路線。東武線小泉駅から延びていた仙石河岸線と、同じく東武線木崎駅から延びていた徳川河岸線の2つ。このうち徳川河岸線について、ぬたりは半日近くをかけて自転車で沿線を走り回った。
そしてほとんど何も発見できなかった。
この徳川河岸線、とにかく情報がないと言うことが必ず語られる。まあ砂利採取路線なんかそうそう大きく耳目も引かないし、設備的にもそれほど豪華には作らない。
そして廃線跡にそれを思わせるものがほとんどないのよここ。通常、昭和期に廃止された鉄道であれば、廃線跡は道になったりそれ沿いに区画された家屋が残ったりと、多少なりとも雰囲気を残すものだが、ここに関しては本当に跡形もない。せいぜい、木崎駅近くの線路分岐があったあたりの敷地が広く取られているのと、1カ所だけ、妙に細長い区画の畑があるくらい。跡地が道になっているとか橋の跡が残っているとかも一切ない。当時の地理院地図と今の地図を現地でにらめっこしながら辿ったが、結局これといったものは何もなかった。
そんな路線の記事である。ぬたりは当時の地図と、JTBキャンブックスの「鉄道廃線跡を歩く」くらいしか見ずに探索を行っていたから、今回買ったこの本に何か新しい発見があるんじゃないかと思わず期待しちゃったし、実際本には「そらこれは廃線になったら残らないよ」と思わせる木製の弱々しい橋を渡る貨物列車の姿の写真があった。うおお、これ当時の徳川河岸線の写真じゃあるまいか。
ま、でもこれらの写真は仙石河岸線のものでしょうね。実際記事的にも「大塩組仙石工場の軌道」だから、扱い的にも仙石河岸線の方が主役。徳川河岸線の方は軽く触れられている程度。やっぱり情報少ねえんだな、あそこ。
しかし、この本のシリーズは前回からヨッキれんさんに釣られて買ったわけだが、ヨッキれんさん関係なしに大層興味を引かれて読み込んじゃう内容の連続。今後も要チェックな本が一つ出来たな。
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クリエイターが先か作品性が先か 映画「ヲタクに恋は難しい」

2021年02月14日 21時03分41秒 | ヲタネタ
ともあれ、「ヲタクに恋は難しい」の実写映画版がテレビで放映されて、見てみたわけだがね。
端的に言いますわ。

個人的には人生で1、2を争う不愉快な作品でした。

とにかくこの作品、原作漫画とテレビアニメ版をそこそこに気に入っているぬたりの神経をことごとく逆撫でする作品だった。簡単に言えば、壊しちゃいけない原作の良さをことごとく壊してんのよ。こういう文句って割とくどい文章の割に読んでてつまんないので普段はできるだけ書かないようにしてるんだけど、今回はさすがに我慢できないので書く。

・キャラの扱いが雑
原作やアニメにおいて、登場人物はあらかじめキャラの性格設定がなされているわけだが、この設定上、まず行わないような行動を実写版では平気でやってる。原作と同じ名前のキャラがあり得ない行動をしているってことは、とにかく原作好きとしては、気持ちが悪いったらない

・そもそも実写映画関係者が原作の人気の内容を理解してない
「ヲタクに恋は難しい」という作品名から、主人公格の桃瀬と二藤の二人の恋愛模様を想像するし、実写映画でもそんな感じに話は進むが、そもそもこの作品、2人の恋愛模様の描写は案外薄く、試行錯誤の描写もそんなにない。この作品を引っ張ったのはメインの脇役ともいえ樺倉と小柳のカップルであり、この二人の恋愛模様はまさにタイトルにふさわしい。ただ、別にライバルが現れるとかそんな感じではなく、二人の絆は相当に深いのだが、それ故のお互いの苦悩が割とエピソードとして人気を博し、原作では2人は結婚するまでにキャラとして育った。
が、この映画では実際脇役扱い。樺倉は見た目が怖すぎるが作中誰よりも優しいのが持ち味のキャラだが、見た目にかなり引きずられるようにキャラが改悪されている。小柳はもうまんま脇役で、原作をどう読み込んだらこんなキャラ付けにできるのか、映画関係者を小一時間問い詰めただけでは到底足らないくらいに不満。

・作品のジャンルが変わっている
ヲタ恋はジャンルはラブコメである。ゲーオタ腐女子等の小道具は一見変わっているが、その実、案外王道のストーリーではあるのよね。ラブコメって、実は案外、たまに出てくるまじめな恋愛描写が重要だったりするのよ。だからコメディで笑える。
少なくともこんなばかばかしいだけのギャグ作品じゃねえんだよ。

とまあ、大まかに分けると3点になるが、これらがほぼ全編にわたって複合的に絡み合ってこちらに投げかけられる。ほんともう見てるだけで不愉快だった。あまりに不愉快なんで最後まで見てられなかった。残り20分くらいでテレビ消して風呂入ったわ(んで、風呂入ってるときに地震が来たんだが)


さて、もうホントぬたりとすればこれでもまだ罵倒し足りないくらいなんだが、この作品についてはこの点に触れなければ片手落ちになる。
擁護する意見も結構あるのよ。
で、これについて、実はぬたりは、「ああ、まあ、そうかも」と認めざるを得ない部分があるのよね。
というのも、この作品、一応えいがのフォーマットとすればちゃんとしてる部分はある。要するに、福田雄一の監督作品としてみれば、及第点の作品として見られるんではないかと。
「勇者ヨシヒコ」「HK 変態仮面」の例を出すまでもなく、かなり独特で人は選ぶにしても、その手腕は認められているわけで、その部分に関しては、確かにそういう作品には仕上がっているかと。映画単体で見るのなら、まあ、「そんな悪くないと思うよ」という意見は、十分ありだなあ、とは認めざるを得ないとは思うのよ。固定ファンの多い監督さんだしね。
ただ、ぬたりの立場は漫画とアニメのファン、という形なので、この映画は「福田雄一というクリエイターが自分の映画を作るために、原作を利用した」という形にしか見えないわけで、原作を意識しないで映画単体で、の評価をするつもりはないわけだ。なので、口を大にして「こんなもん作りやがって!」と怒るし、福田雄一という映画監督に不信感を抱くには十分なわけさ。今後この監督の作品は当分見たくない。


とまあ、ぬたりはあくまでも原作ファンの立場として好き勝手言わせてもらったが、正直劇場公開当時の原作ファンの反応もおおむね似たようなもんだったことは申し添えておくわ。
怨嗟の声が渦巻いてたぞ。それを再確認した感じな。
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SHINY DAYS

2021年02月09日 20時05分24秒 | ヲタネタ
ぬたりのおかあちゃんにはヲタ趣味はないのだが、珍しくおかあちゃん経由でアニメ作品に触れることになった。ゆるキャン△である。
おかあちゃんは、最近YouTubeでヒロシの動画(←リンク先音出ます)かなんか見て以降、自分ではキャンプなんかする気ないが他人がしているのを見るのは好き、という感じだそうで、その流れからドラマ版を見て面白かったそうな。んで、そんな話がぬたりに来れば、ぬたりは元になったアニメを見るわけだがね。

ん、まあ、面白いわけだが。

しかしまあ、まんがタイムきららの連載漫画ってのはフォーマットが似てくるのか、主人公がけいおん!の唯にそっくりだわ、さわちゃんみたいな先生も出てくるわ、なんかどっかで見たような感じの作品ではあるけどもね。つーかそもそもキャストにあいなまがおるな。ともあれ、こういう感じに定期的に評判になったアニメに触れられるってのは、元オタクとしては心地よい距離間ではあるな。円盤買うほどの熱はもうないけど(アニメの円盤は既婚者には高いんだもん)、余暇のちょっとした楽しみは提供してもらえる。
でまあ、ドラマ版の方も見てみたんだけどね。
さすがに原作とアニメに比べて、女子高生なのにキャストにとうが立ちすぎてるというのはテレ東制作の深夜ドラマに対しての突っ込みとしては野暮なのでしないとして、いい意味で爆笑しましたな。
えらいアニメに寄せてますな。
キャラの外観やら演技やら、相当にアニメ版に寄せてる。おかげでヲタの皆様からの拒否反応もあんまりなかったそうで、ドラマとしては成功を収めたようで何よりではありましたけどね。
でもここまでくるとさすがに笑うわ。ここまでやるならもういっそアニメ版再放送すればいいじゃんって突っ込みは思い浮かぶわね。
まあ、アニメだとそれだけで拒否されることもあるわけで、ドラマだから見てくれたって層はいる(おかあちゃんもそう)わけだから無駄じゃないんだけどね。

で、昨今の新型コロナ禍の下では、キャンプというのは蜜を避ける行楽の一つとはなりうるのだが、おかあちゃんにはやりたけりゃやってもいい、程度に言ってある。
まあ、実はぬたりは子供の頃に家族キャンプの経験はあり、火おこしとかもやればできる。多少のスキルはあるからキャンプしようとしてもまったくの手探りにはならないのであるが、なにしろぬたりの子供の頃のキャンプと言えばかなり自由が許された。ましてやぬたりの親父は名うてのアウトドア野郎だった。
はい、山奥のふつうの河原でキャンプしてました。焚火とかもガンガンしてな。今こんなことしたらえらい勢いで怒られるわ。もちろんオヤジにはそのあたりのスキルはあり、焚火の注意あたりも今から思えば相当に周到ではあったんだがね。まあ、ぬたりは真似しようとは思わないがね。素人が見様見真似で手を出していい世界じゃない。
で、こういうキャンプは「河原で何ができるか?」が主眼になる。何にもない河原は用意された遊び道具は何もないが、逆に言えば、そこらにあるもので遊ぶには無限の可能性があるとも言える。目についたもので、思い付いたことがあれば、大概は何でもできる。
が、キャンプ場でのキャンプは事情が異なる。他の人もいるしルールもある。主眼になるのは「何をやっちゃいけないのか?」であり、これは、ぬたりの子供の頃の体験に比べると、ちょっと不自由なのよね。
ま、あくまでもこれはぬたり個人の感覚。それにいくら自由だとはいえ、ぬたりは山奥でのキャンプをやりたいとは思わないし、キャンプするならキャンプ場を予約する。不自由であってもちゃんとルールは守るさ。
そういう意味では、案外ぬたりは幸せな子供時代だったのかもなあ、とは思うな。今となっては、そして当時としても、なかなかあんなキャンプできないもんなあ。まだ許される時代に曲がりなりにもそういうことができた、っていうのは実は貴重なのよね。

ちなみに、ぬたりが子供の頃キャンプをした河原のうち、一か所は既にダムに沈んでいたりしますけどね。当時は車のすれ違いもできないような未舗装林道を辿ったもんだが、今ではすれ違いも可能な舗装道路で簡単にアクセスできるようにもなってたりする。ま、道がいくら良くなっても、ぬたりが一晩を過ごした河原の地点は水底。もう一度足で立つことはもう叶わないが。

まあ、時代というのは移り変わっていくもんなんですな。そういう意味では、あまり雰囲気は昔と変わらないキャンプなんてのは、これからの老後に向けていい趣味かもしれないなあ。
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祭りだっ!!

2021年02月06日 19時24分11秒 | 日記
と言うわけで、毎年毎年ブログのネタにはすれども皆様からの反応は毎年毎年皆無なぬたりのお楽しみ、アメリカNFLのスーパーボウルの季節がやってきましたよ。今年はタンパベイ・バッカニアーズとカンザスシティ・チーフスの対戦。
まあ、日本ではアメフトなんか一切盛り上がりはねえけどもね。実際先ほど我が家の日本語変換システムはバッカニアーズを一発でカタカナ変換しなかったぜ。そらブログのネタにしたって多くの人にはピンとこないだろう。まあ、またアメフト界で不祥事でもあれば、自称事情通がいろいろ語りもするんだろうが(意味もなく喧嘩売るな)

閑話休題

でも、今年のスーパーボウルに関しては、多くの人に気に留めて欲しいとは思うのね。何しろどっちのチームが勝っても「史上初」の冠がつく制覇になるから。
バッカニアーズが勝てば「史上初の開催地ホームチームの優勝」
チーフスが勝てば「史上初の連覇」
どちらも今後NFLの歴史に長く刻まれる出来事になるはずだから。

まず「開催地ホームチームの優勝」
スーパーボウルの開催地は毎年立候補地の中から決められるのだが、単純に考えても32チームあるから自分のところで開催するタイミングでスーパーボウルに進出することがまず難しい。スーパーボウルはその年のクライマックスの試合であるから収容人員6万人以上という規定があるし、寒冷地での開催も原則不可。このためアメリカ南部の都市のスタジアムが多くなるんだけれども、まあ、全体の傾向的に寒冷地の方に強豪チームが多い印象もありますね。マイアミやニューオーリンズが開催回数は多いんだけど、どちらのチームも、チームの全体的な歴史を見ると、強豪とはちょっと言えない。ニューオーリンズは最近結構強いけど、何故かスーパーボウルに届かないんだよなあ。
そもそもこれまでホームスタジアムでスーパーボウルを戦えたチームはない。それだけに今年バッカニアーズが出場すること自体が既に史上初。これだけでも見逃せない。
NFLを知らない人なら「開催が事前に決まっているなら、それに向けて、フリーエージェントでも使ってチームを強くすればいいじゃん」とも思うかもしれないけど、このあたりはチーフスの史上初にも繋がるけれども、NFLにはサラリーキャップ(チームの選手年俸総額の上限)がかなり厳格に運用されている。だからその年のFA選手を金にあかせて買いまくる、なんてことは思ったようには出来ないようになっている。狙った年にチームを強くするなんてことは単純に難しい。

これがチーフスの史上初にも繋がる。「今までスーパーボウル連覇を成し遂げたチームはない」のである。
スーパーボウルの制覇、というのはそうそう成し遂げられないことであり、当然それを成し遂げた選手はそれなりの評価を求める。簡単に言えば多くの人に年俸アップを提示しなければいけない。
しかし、上にも書いたようにチームの年俸総額には上限がある。優勝したからと言って全員にボーナス契約をするわけにはいかず、年俸アップに関しても厳密に精査が行われる。
これは簡単に主力選手の流出に繋がる。スーパーボウルを制覇した選手であるから、上を目指すチームであれば、選手の言い値を飲んでも契約したいチームは現れやすい。ちなみにサラリーキャップには下限もあるので「どのみち客は入るから負けててくれた方が人件費抑えられていい」なんて舐めた経営も許されない。逆に弱いチームは積極的に良い選手を狙いに行ってキャップスペースを埋めることを求められるシステムになっている。
このため、スーパーボウルを制覇したチームは翌年の戦力ダウンは概ね想定される事態になる。また、他チームのマークも単純に厳しくなり対策を講じられるから、優勝したからと言ってそのままでいたら対策を講じられて思うように勝てなくなる。こんなような形になっていれば、強豪チームで居続けることがいかに難しいか分かると思う。毎年毎年、チームの戦略を作っては壊し作っては壊し、そんなことを継続することが求められる。

こんな具合で、今年はそんな難しい事態をクリアした2チームの対戦で、どっちが勝っても史上初。試合自体が面白くなるかは別として、見逃せない試合になることはもう確定していますな。

と言うわけで、今年も年明け早々には2月8日当日の休暇は申請済み。「すいません、用事があるので」という真面目な顔で申請しただけに、まさか上司も、朝からコーラ片手にポテチつまみながら昼過ぎまでダラダラとテレビ見る用事だとは思っていないだろうなあ。

あー、楽しみ。
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ま、心は健康ではあるんだけどな

2021年02月04日 21時05分37秒 | 日記
昨今は新型コロナの影響でおちおち病気にもなっていられないのだが、正直ぬたりは断続的な体調不良が続いていたりする。
もちろん毎朝の検温は欠かさず、味覚障害呼吸障害に関しても注意しており、今のところ新型コロナの感染をうかがわせる症状はないのだがね。症状とすれば持病の頭痛が持続してる感じ。
普通に生活してる分には、頭が重いな、程度なんだが、少し体を動かしたりえっちな映像見たりして血の巡りが良くなると痛みが襲ってくる感じ。
偏頭痛が新型コロナ感染のサインになった方もいるらしいので、決して安心できた状態ではないのだが、確かぬたりは過去に同じような症状に見舞われたことがある。その時はブログのネタにもしている。2012年1月だから9年前か。しかしこうして形に残しておくと役には立つもんだな。当時のことがちゃんと思い出せる。つーかもうそんな長い間gooブログお世話になってるのか。
結局この時はしばらくしたら良くなったし、特に異常がないことはわざわざお金払ってCT取って確認済み。払ったお金は帰ってこないが、まあ親から受け継いだ大過ない頭痛持ちであることが確定した訳なので無駄じゃなかったな。
なので現時点では経験則としてこれは新型コロナじゃないことは分かるのだが、さりとて前回も今回もここまで痛くなることの原因は不明。まあ、いずれ良くなるだろうと考えていたとある日の昼休み。職場の仮眠室を独占して(つーか設備が貧弱すぎて他の人が使わないだけ)仮眠を取っていたぬたりは急に目を覚ました。鼻の奥、喉の上あたりが「ぐぎゃ」っとなって目が覚めた感覚。有り体に言って、自分のいびきで目を覚ました、というやつだ。
これか頭痛の原因は。
解説すれば、いびきというのは気道の狭窄が原因で、得てして気道閉塞すら引き起こす。睡眠時無呼吸症候群というやつ。万病の元として昨今注目を集めて、恐怖ばかりが煽られるが、これが起こるからと言って別に死んじゃうわけでもないし、眠りが元から深い人に関しては、多少こういう症状で眠りが浅くなったとしても、許容範囲内であったりもするわけ。幼少期より「寝付きよく、起こしても起きず、目覚めぱっちり」だったぬたりにとっては、普段であれば影響はないのね。
が、その時感じたのは鼻の奥の詰まり。要するに昨今の寒さから鼻の奥に鼻水が溜まり、鼻呼吸の苦しさから口呼吸を優先する形で気道閉塞に拍車をかけている状況が概ね想像ついた。これで普段よりも眠りが浅くなったんだろう。そういえば前回こんな頭痛に悩まされたのも年末年始の寒い時である。

まあ、いろいろ言ったが、昨今ぬたりが悩まされている頭痛は、単に寝不足という結論になるというわけである。つーか長々と語った割に結論それかよ。。
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