フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

ヒュンダイ、どうだい?(←これ考えたコピーライターは反省文ものだぜ)

2016年10月31日 21時57分13秒 | 日記
ニュースが出た時にはまだ先かとおもってたんだけど、気が付けばいつの間にかフォードが日本の新車販売から完全に撤退してましてね。
相当前にブログでも取り上げたことがあったんだけど、ぬたりはフォードがなんか好きでね。ヨーロッパフォードは渋いしアメリカフォードは大らかながらもキャラクターが立ってる車があってね。ヨーロッパならフィエスタとかクーガ、アメリカならマスタングやエクスプローラーが好きでねえ。お金があればとひそかに狙っていたんだよね。

で、わざわざ行った、鶴ヶ島のお店も9月30日で閉店しちゃった。寂しいのう。

変わりもの好きぬたりゆえ、こういう経験は過去にもしている。まずはサターンだ。
これもネタにしたことあるけど、「礼を尽くす会社、礼を尽くすクルマ」のコピーで日本上陸を果たしたブランド。値引きが一切ないワンプライス、樹脂製なので、凹みにならずに元に戻るドアパネル、等々、後に他社が追随した革新的なこともあったけれども、日本では販売不振で早々に撤退。のみならずアメリカ本国でも販売不振でブランドは消滅している。ぬたりは群馬のサターンディーラーのオープン当初にお邪魔して、店長さんと仲良くなったんだよね。あの店長さん今何してるのかしら? お店はサターン→GM→マツダと変遷して、今はバイク屋になってるなあ。

んで、だ。本日のネタはぬたりが珍しい車のディーラーを訪れていながら、いままでブログで1回も触れられていなかった自動車ブランド。

ヒュンダイである。

また随分なものを、と少しでも車好きな人であれば言うかもしれないが、これに関しては実はぬたり自身が興味を引かれてディーラーを訪れたものではない。韓国好きでそれほど車詳しくない友人がどうしても見たい、と言ったのでぬたりもまあ見ておくかと思ったわけだ。
もはや乗用車に関しては日本市場は撤退してるから、マイナスになること言ってもいいだろうが、正直ぬたりはヒュンダイのディーラーの対応にはあまり良い思い出がない。たまたま東京に出掛ける用事があったので、虎ノ門の東京営業所を訪れたのだが、熱意は分かるが日本車を悪く言うようなセールストークをされたり(これされると引くよね)、群馬にあったディーラーを件の友人と訪れた際には、他にお客がいないのに、店員はカウンターの向こうからこちらを一瞥しただけで、対応は全くされなかった。要するに、出てくればこちらを引かせる話を、出なきゃ出ないで客を無視する、という姿勢を連続でされれば、そら良い感情を抱きようがない。
このように客を無視した対応をしていたせいか、群馬のヒュンダイディーラーは現在は廃墟となっている。ちょっとググってみても「いつ通ってもお客がいない」という状況だったようで、たまに来たぬたり達のような客にあんな対応してれば、そらそうなるわ、と言う感想しかぬたりには無いんだけどね。
で、だ。そんなことをフォードのディーラー閉店を聞いて思い出したぬたりは、なんとなくグーグルを叩く。群馬ディーラーは廃墟にせよ、他のところはどうなっているんですかね・・・おお、

まだ結構、ヒュンダイの看板掲げてるのな。こことか、こことか。

ある意味歴史遺産みたいなもんですなあ。
まあ、ありがたみはまるでないがな(おい)
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ちなみに最後の課題曲は「伝説のチャンピオン」

2016年10月29日 16時24分56秒 | 下手っぴギター&ウクレレ
ギター教室をやめましたわ。
最近は結婚だ新居建設だ子猫だとまともに練習も出来ていなかったし、この状況で月謝を払い続けるのも勿体ないと言えば勿体なかったのでね。家のローンもあるし。
とは言え、この状態で上達するためとなれば月謝も捨て銭になるが、もはや人前で演奏する機会もないであろうから上達にあくせくする必要もないし、月に何回か、楽器談義をしながらギターと悪戦苦闘する時間というのはそれはそれで貴重なので、ぬたりとすれば対価としてある程度月謝は納得していた。莫大な家のローンがあるから、そら無駄な出費はないに越したことはないが、さりとて無駄を削りすぎると精神衛生上よろしくない。と言うか無駄こそが人生の華。
今のギター教室をやめることの最大の理由は、実は近々うちのセンセが今のところやめて独立する、と言うことである。こう言うと薄情に聞こえるだろうが、センセに恩義は感じてもセンセの所属する会社組織に恩義は感じないので、センセが独立するとなれば、ぬたりはそちらに移るという選択肢しかない。何しろ月額1万円近い月謝を取りながら、特約駐車場のチケットすらくれないトコですからね。楽器売り場とかで買い物すれば1000円で1時間分のチケットくれるのにな。これはうちのセンセも上層部に言ったらしいが馬耳東風。ホントもう、車社会の群馬なのに。
まあ、いずれにせよ、いつかやめるという結論が見えているならいっそのこと早いほうがいい。故に「独立したら営業を何卒よろしく」とセンセに伝えて、長いこと通っていたギター教室はひとまず終了となりましたわ。
で、最後のレッスンである。まあ、多分また復活するよな、っていう共通認識があるから、お互いそう感傷的になることもない。

「こっちも独立の準備で忙しくってな。とりあえず準備は終わりで、これから建てる段階。手ぶらで来てもらってもいいように楽器もあれこれ探してるのな。レッスン用だから良いのじゃなくていいけど、かと言って安物の楽器じゃ触っててもつまらないしな。」
独立するのも大変っすね。
「実際やることも多くてな。ただ忙しいとついつい余計なもんまでオークションで見ちゃうよな。面白そうな楽器がいくつかでてるのな・・・こんなんとか(スマホ見せる)」
まあ、分かりますよね。あれもこれもやらなきゃと思うとついつい違うもん見ちゃいますよね。
「まだ出てるけど、興味あるなら落とせば?」
エレキは今持ってるのだけで十分ですわ。これすら使いこなせてないのに。つーか、お金の節約の意味もあって教室やめる部分もあるってのに、そんなん買ってられませんよ。
「楽器ってのは定期的に新しいの買えば練習のモチベーションにもなるよ。教室いったんやめるっていっても楽器趣味やめるつもりはないみたいだしさ。」
まあ、そうですね。いじってるのは純粋に楽しいですし。

「ん、じゃあ、最後にこれ見ていけ」
センセが脇から出したもの、ケースからして古ぼけた薄汚れたにも程があるヤマハのビンテージウクレレ。うわ、パリパリ鳴るわこれ。
「買わん?」
買わん。つーか金はないと言っておろうが。

というわけで、ギター教室はしばらくお休みですよん。
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本日更新はお休みです(本日も何も最近休んでばっかりだ)

2016年10月27日 18時25分59秒 | 日記
本日ぬたりは夕方に過去のトラウマを極度に刺激されたため、布団を頭から被り枕に顔をうずめて足をバタバタさせていますので、ブログの更新はお休みさせていただきます。

しかしまあ、日本が銃社会でなくてホント良かった。ぬたりが銃を持っていたら、その場で銃口を咥えこんで自分の脳漿をぶちまけずにはおれなかったもの。いや、ホント銃は社会に溢れちゃ絶対ダメ。ぬたりの様に恥の多い人生を送っている人間は、命がいくらあっても足らん。

では、今日はこのへんで。
もうちょっとバタバタするわ。
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本日の発見

2016年10月26日 20時46分31秒 | 日記
羽田空港って、徒歩で脱出が出来るのな。

どうでしょう見て、徒歩で脱出できないと思い込んでいたが、インフォメーションのお姉さんも知らんかっただけなのな。
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カメラに歴史あり

2016年10月24日 21時58分30秒 | 日記
ヘンテコなものが好きなぬたりの自室の机の上には、2台の銀塩一眼レフカメラが鎮座ましましている。デジタル一眼レフカメラを導入した今となっては、銀塩カメラはなかなか出番がないのだけど、気に入って買ったものだから捨てるに捨てられず、自室で作業する時の目の保養になってくれている。ペンタックスのMZ-SキャノンのEOS-3の2台である。
ぬたりがこの2台を気に入っているのは、MZ-Sはデザインであるし、EOS3はやたらに五月蠅いシャッター音なのだが、実はこれ、発売当初はそれぞれのメーカーのファンからは酷評された部分だったのよね。その部分が気に入るあたり、ぬたりはカメラや写真を真面目に語っちゃいけないよね、と言うことの証拠でもあるんだけどね。
特にMZ-Sの評価は当時最悪。当時高級機がなかったペンタックスで、待ち望まれていた高級機がついに出た! と思ったら、スペックは中途半端。デザインは珍妙で、価格だけは高級機に近い、とそら酷評されるわ、という感じ。ぬたりは叩き売り(どころか「置いてあっても邪魔だからお願いだから持って帰って」扱い。値段的にも交換レンズ買ったらカメラがついてきた感覚)だったけど、定価近くで売ってたら、そらぬたりとて手は出さないよ、これ。
ただ、評価は芳しくなかったとは言え、MZ-Sは使ってみるととてもよく考えられたカメラでね。珍妙なデザインだけども撮影者に向かって傾斜した操作部は視認性や操作性に優れていたし、デジタル機への移行期を意識した、撮影数値(絞りとシャッター速度)を現像したフィルムに印字する機能も便利。そして地味に売りにしていた「ハイパーオペレーティングシステム」は一度知ると病みつきになる機能だった。
多くの一眼レフカメラのモードは、オート(カメラ任せ)、絞り優先(絞りだけ自分で決める)、シャッター速度優先(シャッター速度だけ自分で決める)、マニュアル(絞りもシャ速も自分で決める)、の4種類。多くのカメラはモード選択スイッチでモードを選んで、カメラ本体のダイヤルを回して数値を変更する。しかしMZ-Sはそんなまどろっこしいことはしない。レンズの絞りリングをいじれば、即、絞り優先に。本体のダイヤルをいじれば、即、シャッター速度優先に。両方いじればマニュアルに。本体のボタンを押せば、即、オートに。斯様に直感的にモード切替が出来るので、かなり使いやすかったんである。
しかしながら、このシリーズはその後継続されることはなく、ぬたりが最近になって購入したK-5IIにも、このハイパーオペレーティングシステムは採用されていない。それどころか、ペンタックスのデジタルカメラ用レンズのDAシリーズは、マウントこそそれまでと同じだけども、絞りリングは省略されている。このシステムを継続する気はメーカーにもなかったんだろう。
さて、今になってなぜMZ-Sの話をしたか。実はこのMZ-S、発売時期もデジタルカメラ移行時期で将来のデジタルカメラ化も視野に入れて開発されていた。しかもイメージセンサーが35mmフィルムと同じ、いわゆるフルサイズデジカメとして。そして、試作機も完成していた。その名を「K-1」という。
そう、先日発売されたペンタックスフルサイズデジカメ「K-1」の名前のルーツとなるモデルでなんある。10年程度を経過して、日の目を見なかった「K-1」の名前を冠したフルサイズ一眼デジタルカメラはなんとか発売されたわけで、そのルーツを辿ると、まあ名前だけだけれどもぬたりの手元にある、この珍妙ながらも愛すべきカメラにも行き着く訳なのさ。
残念ながらこのMZ-Sを元にしたK-1は、発売するとなると高価になりすぎる、と言う判断から、比較的廉価な「*ist D」に取って代わられ、発売されることはなかったけどね。その判断には余りに酷評されたこのMZ-Sのイメージも影響したんだろうなあ。酷評されたデザインに近い形で、社運をかけたカメラ売り出すわけにはいかないもんなあ。ただまあ、当時あんまり存在感を示したわけでもないけれども、個人的には気に入ってた製品も、ちゃんとメーカーの歴史の中に息づいているんだなあ、って思うと、なんだかほんわかしますよねえ。

・・・まあ、会社の名前は当時からえらい変わっちゃいましたけども。今やペンタックスはリコーのカメラだもんなあ。
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ヲタネタは時折やっておかないとね(意味不明)

2016年10月22日 21時52分18秒 | ヲタネタ
吸血鬼美夕OP


吸血鬼美夕ED


いや、実は作品としてはほとんど覚えてないんだけどね。姉貴が好きで見てたのを脇で見ていて、なんとなく覚えていた。

今改めて見てみると女性キャラのデザインが割とぬたり好みやのう(キモヲタがいます。目を合わせないでください)。

気軽に視聴できる方法ないかなあ?(アマゾンプライムにはなかったわ)
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ナニャドナサレノ

2016年10月17日 21時26分28秒 | 日記
人間の脳は、普段その機能の3割しか使用していないという。すなわちその使用していない領域すらも活用できれば、人は新たな可能性を得られるだろう。
などというまだ研究の及んでいない段階の学説を元にした勘違い知識はともかくとして、本日は唐突な思い出話である。

正確な日付は憶えていないが、かれこれ10年くらい前の話。ぬたりは青森県新郷村を訪れている。長い間見てみたかった戸来のキリストの墓を見に来たのだ。
キリストの墓自体はトンデモ業界では有名なスポットで、まあ簡単に言えば、規模だけはでかい構想を持った新宗教のオヤジ(キリストもモーゼもモハメッドもうちの宗教だ)が、大正時代に田舎のなんてことない塚を勝手にそう名付けただけの代物でしてね。それだけでは飽き足らず、その村のあれこれをその宗教の関係者や信奉者があれこれとそれらしい物語を語りはじめ、気がつけばキリストの墓はあるわピラミッドはあるわ古代ヘブライ語を語源とした民謡はあるわの一大ミステリースポットと化してしまったところ。
当時の村の有力者達がこの話をどこまで鵜呑みにしていたのかは分からないが(当該宗教の信徒が見えないことを考えると、当時も眉に唾つけてたんだろうけど)、遠くから来た訳の分からん宗教関係者を邪険にはせず、ほうほうそれはそれは、と話を合わせていたようで、これらのスポットは今や村の大事な観光資源である。
もちろん観光スポットとは言え、ここでキリストが亡くなったなどと信じている人は地元にはまずいない。そういうことを唱えた人がいる、というスタンス。祭とか地域の産物のネーミングに「せっかくだから」使っているに過ぎないんだがね。
さて、今回の話の根幹は実はキリストの墓ではない。もちろんキリストの墓はそれなりの規模で綺麗に整備されていたし、資料館も小さいながら実に見応えがあった。ピラミッドも、山の中で足下が泥濘む中での山道歩きは難儀だったが、「どー見ても自然の巨石だろうがよこれは」とツッコミながら見るのは実に楽しかったんだが、今回の主役はキリストの墓の資料館に掲げられた、戸来地区のガイドマップである。キリストの墓の少し南側に以下のスポットが記されていた。

長慶天皇の墓。

歴史に興味ない(まあぬたりもなんだけど)人間には長慶天皇がどんな人なのかよく分からないかと思いますが、代数で言えば第98代の天皇。室町時代初期、南北朝の南朝の天皇で、有名な後醍醐天皇の孫にあたる。
詳しくはググってもらえれば良いんだけど、ただでさえ南朝は正式な記録が少ない中、この方の記載はさらに少なく大正時代まで正式な天皇とはされていなかったくらいのお方。お亡くなりになった場所も年も、実はいまだに正確には分かってはいない。
故に何かと語られてしまうもので、実はうちの村に来ていた、とか、うちの村の名物を考えたのはこの人だ、と可能性で語られてしまうもので、調べてみると長慶天皇の墓と言われるものは全国あちこちにある。かく言うぬたりの地元、群馬県にもあるくらいだ。
話を戻して新郷村の長慶天皇の墓であるが、資料館のガイドマップには大まかな場所は記されているが、新郷村のパンフレット(資料館に置いてあった)にその記載は一切ない。ガイドマップは得てして大まかに省略された地図でしかないので大まかな場所は分かっても正確な場所は分からない。大まかな現地を訪れてみたが、特に案内看板もなかった。
困り果てていると、すぐ近くにおばあさんの姿が見えた。地味目なスポットなので分かるかなあ? と思いつつ「このあたりに長慶天皇のお墓があるらしいんですが?」と聞いてみた。心配は杞憂でおばあさんは場所を知っているらしく、ぬたりに伝えてくれた。
南部訛りが激しすぎて、何言ってんだか分かんない。
結論を言おう。ぬたりは新郷村の長慶天皇の墓にたどり着けなかった。おばあさんが指さした方に向かってみたものの、案内看板もなかったし、道をそれようにも分かれる道はどれも田んぼの畦道程度で、入っていく勇気がどうしても湧かなかったんである。故にぬたりの数多い日帰り一人旅の中でも比較的満足度の高い新郷村旅行の中で、唯一小骨が喉に引っかかったように気になる存在が長慶天皇の墓というわけなんである。

さて、今更こんな古い思い出話をなんでしたかと言えば、今は少しは地元も動き出したっていうニュースを見たもんだからね。懐かしいなあ、と思ってね。



今なら行けば分かるかな? まあ、いまだに村のHPとかにも載ってないんだけどね。
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つじあやのさんとケリィ、そしてぬたりとケリィ そのに

2016年10月09日 18時18分48秒 | 下手っぴギター&ウクレレ

そしてここでぬたりの所有ウクレレである。つじさんのとほぼ同じモデルである。彼女の紹介によると、つじさんのは「カスタム」と言うらしく、ぬたりの「スタンダード」とは違うみたい。ただし、当時のグレード構成がいまだに不明なものでホントに違うかどうかは不明。つじさんのにはマイク端子が追加されているから(使ってはいないみたいだけど)、これをもってカスタムというのかも知れない。
つじさんに影響されてウクレレ触り始めたぬたりとすると、つじさんと同じモデルはどうしても欲しかった。でもこれがどこにも置いてない。ウクレレのフリーペーパーには昨日書いたチェンジしたモデルの広告は出てたけれども、これすらあまりお目にかかれない始末で、長いことネットで探していた。
そしてある時、ネットにてお茶の水の某楽器店に中古の在庫があることを発見したぬたりは、週末には東京へ赴いていた。そして件の楽器屋でケリィを試奏させてもらったぬたりは驚いたのなんの。

恐ろしく弾きづらいし、恐ろしく鳴らない。

弦高がかなり高く、また音もどこかとぼけている印象。これは駄目だろ、と冷静なぬたりが囁く。値段だって中古なのに当時の新品のケリィとほとんど変わらず、正直妙味は全くなかった。
一方、長年かかってやっと見つけたのに、とぬたりの物欲は囁いていた。何しろ数ヶ月毎日のようにネット覗いていて、やっと見つけた1本である。これ逃したら次いつになるんだか全く分からないのだ。
結果的には物欲に流されるままに購入をしたわけだが、この時ばかりはぬたりの物欲は良い仕事をした。この日以降、ぬたりがネットや楽器屋の店頭で、このモデルのケリィを見かけることはとうとうなかった。ぬたりは購入のワンチャンスを確実に生かした形となった訳である。
だが、所有欲は満たすが演奏欲はまるで満たしてくれない。演奏してても弾きづらく、しかも出力される音も気持ちよくない。このため、ぬたりが持っていた2万円程度のFamous以下の存在として、長らく押し入れに仕舞われることになってしまった。

しかし、復活は鮮やかであった。いつの間にかウクレレも触らなくなったぬたりは、ある日のさだまさしのライブで突如としてギターをやりたくなり、アコースティックギターを購入しギター教室に通いだした。で、このセンセがウクレレでもかなりディープな方で、どうせならウクレレも持って来いよとしきりに勧められ、ケリィをこのセンセに見せることとなった。
長年押し入れに放置した楽器を見せるのも恥ずかしかったんだが、それでもと持っていったケリィを見て、センセは一言、
「おぉ、この頃は真面目に作ってたんだけどなあ・・・」
そして、センセの口から語られたのが、ブランド消滅までの流れであった。
ウクレレ自体は真面目に作られた良いものだから、是非調整をかけようと言われ、ケリィはセンセのツテで全面的な調整に旅立っていった。徹底的に行ったために、5桁の請求書とともにぬたりの手元に戻ってきたわけだが、調整後のケリィを弾いたぬたりは驚いたのなんの。

コロンコロンと小気味よい音のする、激鳴りウクレレに化けやがった。

明るく乾いた、ハワイっぽい音と言いますか、とにかくまあ、コード弾いてるだけで気分が明るくなる感じ。10万円以上するウクレレも所有歴はあるが、ストロークに関してはケリィの方が心地よいほど。そうか、これがハワイのウクレレの底力か。紆余曲折はあったものの、今ではつじさんがどうこうではなく、ケリィはぬたりの宝物になっていますね。

しかしながらこの宝物、市場の価値は大してついてはいない。実は今現在のモデルは日本にもそれなりの本数が入ってきている。位置づけ的には「ハワイ製の中では安価なブランド」である。ハワイ製のウクレレの値上がりは近年激しく、永遠のスタンダードと言えるカマカのウクレレでも軽く10万はする。その中で、ケリィは比較的安価に購入できるブランドとしての位置を占めている。
要するに今のケリィは、わざわざブランド買いをする人間はあんまりいないって事。また、詳しい人なら過去の製品歩留まりの問題も頭をよぎるから、ケリィというブランド自体に中古品的な価値がつきずらいんである。この頃のモデルはかなり数が少ないので、その点では貴重とは言えるけれども、そのことを知っている人の数は絶対的に少なく、また、「この頃のケリィを」と求める人もいない。希少性はあってもニーズがなければ、やはり値段というのはつきずらいものなんである。

ぬたりは現行のケリィをどうこう言うつもりは実はない。「安い」というのはそれだけで十分武器になり得るし、そもそも今現在ハワイ製のウクレレは高すぎる。もちろん高くなる理由はちゃんとあるのでぼったくってるとは思わないが、それでもハワイのお土産にハワイ製のウクレレを、なんてことは言えなくなっている現状があるし、ウクレレやってれば間違いなく抱く「ハワイ製のウクレレが欲しい」という気持ちに気楽に答えてくれるウクレレが少なくなっている。その中で多少安く売ってくれるなら、これはありがたいくらいの話ではあるのだ。世の中のニーズは色々あるわけだからね。

斯様に、かなり渋めのブランドである「ケリィ」にも紆余曲折の歴史があります。先日、ケリィに関してGoogle検索で飛んできた方がいたものでね。ちょっと長々と語っちゃいましたよ、はい。
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つじあやのさんとケリィ、そしてぬたりとケリィ

2016年10月08日 20時43分40秒 | 下手っぴギター&ウクレレ
かつてはジブリ映画「猫の恩返し」の主題歌、最近ではNHK教育の「ふるカフェ系 ハルさんの休日」の主題歌で知られる、つじあやのさんの主力ウクレレのブランドはKelii(ケリィ)である(もちろんプロだから今では何本も持ってる。でも「風になる」の頃はホントにケリィ一本槍だった)。
別にメーカーとのつながりがあったわけではなく、たまたま手にしたウクレレの音量や音色が、人前でやるのに実に都合が良く、プロになってからずっと使っている、と言うことらしい。実際、つじさんがケリィ手にした当時、日本に正規輸入は行われていなかった。今では本数は多くないまでも輸入は行われている。
ところが、今現在、「つじさんの使ってるのはここのウクレレですよ」と現行のケリィを扱われるのはなんかこう激しい違和感があるな。現行のフェアレディZあたりを「西部警察でガルウィングに改造されて使われてたのはこの車です」と言われる感覚。名前はそうかもしれないけど別物だろ、という感じである。実際別物なんである。

まず現行のケリィ

そしてつじさんのケリィ

デザインが全然違うでしょ。

ハワイのウクレレメーカー、と一口に言っても様々な規模がある。カマカやコアロハ、カニレアのように従業員を雇ってある程度の規模(と言っても町工場レベルだが)でやってるところから、それこそ個人が庭先の物置みたいなところで作っているものまで様々。
今から20年くらい前、ハワイでは若い世代のウクレレに対する盛り上がりがあり、「自分が満足できるウクレレを作りたい」「ブームになってる流れに乗らなきゃ」という作り手側の動きもあった。この流れで興ったブランドの一つが「ケリィ」だった。ケリィは指板を含めて全てコアという木材で作るという思い切った設計(普通指板は別の材)で、ハワイで好評を博した。つじさんのケリィはまさにこの頃のモデルである。
そしてハワイからやや遅れて、日本にもウクレレブームがやってくる。それなりに著名なギタリスト(忌野清志郎さんとかサザンの関口さんとか)がウクレレの独特の味や深さに触れウクレレを手にするようになり、それに影響される形で、「第2次ウクレレブーム」と呼ばれてウクレレの販売が盛り返してきたわけである。
だが、日本国内のウクレレ生産は完全に下火。日本の第1次ウクレレブームはその更に数十年前の事で、ブームが去ると工房は次々に閉鎖。第2次ブームの頃に国内で組織的にウクレレ生産を行っていたのは群馬の三ツ葉楽器(ブランド名はFamous)くらいしかなく、ハワイからの輸入も全体的に下火。売るウクレレの種類が豊富では無かったのである。
この状況をそのまま放置するほどジャパニーズビジネスマンは甘くない。国内のいくつかの楽器インポーターがハワイに飛んだ。輸入の交渉である。そしてケリィというブランドがとあるインポーター(国内でも有数の会社)の目に止まり、日本への組織的輸出が始まった。
ケリィは決して大きな工房ではない。基本個人経営とも言える。そこに日本でも名の知れたインポーターが組織的な購入の話を打診してきたわけである。そしてそこに示された金額も、組織としての購入にふさわしいだけの立派な金額であった。そしてこれが運命を変えた。
組織的な輸入、これはある程度の金額が提示される事と引き替えに、それなりのまとまった数の納品も求められる。のんびりと個人が作って、できた時だけ輸出する、なんていう形は通らない。これ故かケリィはモデルチェンジをしている。オールコアのボディも変更され、シンプルだった見た目も変更されている。端的に言えば、これまでのケリィとはまるで別物になってしまったわけである。
ケリィの職人の話ではないのだが、一つの実話を披露すれば、そうして個人でやっていて、日本に輸出を始めた頃に、自分で加工したウクレレのネック材と、中国で加工させて取り寄せた物を並べて、「全く変わらない」と言い、ネック材の加工をやめてしまった職人もいたらしい。必要以上の見慣れぬ現金というのは、やはり人をどこかおかしくするらしい。
そうは言っても、ウクレレブームであった日本においては、ここまでならまだ通用する部分はあっただろう。だが、最大の躓きが他にあった。

製品歩留まりの悪さである。

無論、ハワイのウクレレである。チューニングはまともに合わせられなくて当たり前で、バンドでやるなら他の楽器をウクレレに合わせろよ、くらいの緩い楽器ではあり、歩留まりと言っても完全にピッチががっちり合ったウクレレなんてそもそも望めない。だが、クラックや歪み等々の物理的な不具合はいかんともしがたく、しかもこの手の不具合抱えた個体がやたら多かったらしい。
このため、日本で有数のインポーターが扱っているにもかかわらず、あんまり日本で見かけないという、おかしな状況になってしまったんである。正規輸入は早々に打ち切られ、一時期はケリィというブランド自体が消滅してしまった。(続く)
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マッドエンジニアの血脈

2016年10月05日 22時41分11秒 | 日記
ちょっと前に職場のデジカメを新しく買ったことをネタにしたんだけどね。
デジタルカメラというものは、撮った写真をその場で確認できる、家庭用のプリンターがあれば現像出さなくても気軽にプリントできる、と言う部分が受けて爆発的に発展。そして10年程度で携帯とスマホに取って代わられて規模が再び縮小、という経過を辿っていて、今では各社ともにラインナップは非常に絞り込まれたものになってる。まあ、元々写真趣味の方ってのはいるわけで、一眼レフとかになってくるとそれなりのラインナップは今もあるけど、安い機種に関しては今や寂しい限り。
そんなもん開発しても実際売れんわ、というのはメーカーの素直な姿勢だろうし、ぬたりとしても、仕事で使わせるデジカメなんてなんでも良いというのが本音。なんならお前が個人で持ってるスマホで取っとけよ、くらいな気持ちもある(ぬたりはスマホで仕事用の写真を実際に撮ったことある)
さて、我が社の規定として、一定金額以上の物品については帳簿を作ってきっちり管理しろ、と言うのがある。職場で使う高価な物品は当然ここに載せて管理するわけだが、デジカメあたりは今やそんなに値段もしないのでこの帳簿には載せる必要はない。
が、昔はそんなわけにはいかなかった。かつてはデジカメなんて高価な代物だったわけで、その頃のカメラはこの帳簿にいまだに載っている。通常考えれば、既に使える安いカメラがあるわけだから、とっとと帳簿から削除すれば良いんだが、削除するとなると「誰が見てもこれは使わないだろ」と分かる理由がないと、あとで財産管理をする部署から「まだ使える物をなんで削除しやがるんだ?」と文句を言われることになるわけさ。得てしてこういう人たちは現場を見てないことが多く、現場からするととんちんかんなツッコミをすることもあるが、さりとて物品関係の予算についての発言力もそれなりに持っているので敵にも回したくない。
故に「誰がどう考えてももはや役に立たないと分かるレベルまで帳簿に載せたままにする」という選択肢を選ぶことになる。そして今回、ぬたりがやっと帳簿から削除したデジカメがこれである。


富士フイルム FinePix 4800Z。
購入から15年経過という節目と、もう今更「スマートメディア」という記録媒体自体が使い物にならない、という理由付けである。

これこのとおりスマートメディア。何しろ富士フイルムはスマートメディアの後継媒体のxDカードすらも過去帳に葬っているからね。
で、だ。我が社の帳簿はともかく、今回のネタはこのデジカメである。もはやこういうデザインに凝ったデジカメは存在しないと言って良い。当時、なんとか特徴を持たせようとしたメーカーの試行錯誤が見て取れて、実にほほえましい一品である。
ま、突飛なデザインを売りにしたカメラなんて、キャノンのIXY以外は全部売れなかったけどな。京セラの「サムライ」とか憶えてる人はいるかしらね? とは言え、こう言うのはふり返って見てみる分には実に魅力的である。中途半端にやっていたなら残りもしないが、当時メーカーなりには一生懸命売ろうと頑張っていた結果な訳で、その姿勢は、こうしてその競争が過ぎ去った今となっては、皆等しく魅力的なものではないかなあ、と言う気がするのよね。

金属製のボディも、手に取るとずしりと重く、こういうダイヤルも金属を加工したもの。実際あれこれと手はかかっている。


工業デザインの「ポルシェデザイン社(※)」にデザインを外注したりね。差別化のために当時頑張っていたんだなあ、と実にほんのり、なのである。


撮ってみるとこんな感じ。夜の照明下、フラッシュも使わずに取ってこれだから、最低限の仕事はまだ出来そうよね。



フォルクスワーゲンで有名なフェルディナンド・ポルシェ博士の孫が作った工業デザイン会社。創業者が車のポルシェ出身ではあるけれども、車のポルシェとは元々は資本関係がなかったらしい。今は車のポルシェの子会社化されたけど、車のデザインを行ってはいないそうだ。
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