フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

KASUMISOU

2019年03月31日 15時37分20秒 | 奥華子


買ったけど年度末で忙しくてのんびり聴く時間がねえんだこちとらぁぁ!!!
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紙切れ一枚地獄行き

2019年03月25日 21時07分45秒 | 日記
というわけで、ぬたりは4月から事務所内で係を変わることとなり、5年ほど務めた庶務事務から離れることになった。ま、これ自体は人事異動のある会社のことであり、まあやむを得ないことなのでそれに文句はない。うちの会社の庶務については一通りは学べたかね。
んでまあ、4月からの仕事はうちの職場ではそれなりに重要なセクションである。これが少々首を捻る要因となった。
というのも、ぬたりは自他ともに認めるやさぐれ社員である。ぬたり自身にもやる気がない自覚はあるし、出世も同期に比べると遅目で、先日の上司との面接では遠まわしにそんなことは言われている。
まあ世の中出世すればそれですべて幸せかと言えばそんなこともないし、無能認定のおかげで定時退社も気兼ねなくさっさと行える心持ちにもなれてるので、現状に不満もないんだが(実際無能である自覚もある)、その俺を重要なセクションに割り振るか普通? と移動を告げられた時には首を捻った。

異動を告げられてから数日、自分なりに状況を把握してみた。おそらくは理由は以下のうちどれかであろう。

そのいち
重要なセクション、というのは実は思い込みで、実は事務所的には重要ではないのではないか。そうするとぬたりのような無能を送り込むのは妥当。だとすればこちらも気楽に仕事もできるな。一番の安楽コースだが、どうだろうなあ? いくら何でもあそこうまく回らないのは結構まずいと思うんだが。

そのに
実はぬたりは無能認定されていないのではないか。社的には給与査定低いから無能であることは揺るがないんだが、現在の直属の上司の評価とは必ずしも一致しない。なんだかんだ言われてたのは上司が期待している裏返しなのではないか。
・・・まあ、無いわな。ぬたりが有能認定されてることは天地がひっくり返ってもないわ。

そのさん
そもそも上司があそこのセクションの重要性をきちんと認識してない。

鉄板でそのさんだわな、と思うあたり、ぬたりも職場不信もかなりなレベルになっていると思うんだがどうか。

新年度どうなっても知らんぞ、ホントに…。
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天中殺かよ(おおげさ)

2019年03月20日 21時15分31秒 | 日記
本日の出来事。

朝起きる。
頭痛い。
先日の夜勤の影響がまだ抜けてねえのかな?

仕事があるので仕事行く。朝一で本社より連絡。
先日、多大な睡眠時間と休日の一部を潰してやった仕事がすべて無駄になった旨の連絡を貰う。
こちらとしては少しでも良かれと思ってやったことなのだが、遠回しに「余計なことすんな」と言われ無茶苦茶凹む。

体調不良を理由に午後休暇取って帰る。昼寝して起きたので、とりあえずせっかくの休暇を満喫しようとスマホゲー、Fate/Grand Orderを立ち上げる。
夕方までメンテナンスでやんの。
プレイできず。

夕方そう言えば一つ思い出すことがあり、ア○ゾンを立ち上げる。
本日発売の奥華子のニューアルバム「KASUMISOU」のア○ゾン限定版がトラブルにより発送未定、下手すりゃ向こうから一方的に注文キャンセルの可能性があることを知る(問い合わせるも数時間たった今でも返事無し)

・・・まあ、こんな日もあるわなあ。そんな冬の日。

さあ、明日の春分の日(仏滅)も仕事だ(TT)
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ユニークな衣類倉庫

2019年03月18日 15時50分48秒 | 日記
ぬたりはメタボ体型である。
まあそのことに関しては別に今更隠す事でもないのだが、いきおい、着る服のサイズも大きくなるわけでな。日本サイズならXLってとこでね。たまにアメリカサイズの服とか選ぶとMで着られたりするのはアメリカ人どんだけでかいんだよ、って感じではあるがな。ぬたりがミディアムかよ。
で、それに加えて体がそもそも大きい。身長は180センチを超えるのでな。だからまあ、体重ほどは太って見えないらしいが。ただ、こればっかりは今一つ自分ではわからないけどな。
ともかく、おかげさまで仕事用のスーツは、紳士服や行ってパッと買うわけにいかず、必ずイージーオーダーしないと買えない体である。まあ、イージーオーダーならまだ値段は吊るしプラスアルファくらいで買えるんでまだいいが。
スーツとなるとワイシャツもセットで語るべきものだが、こっちに関しては一応既製品で何とかなってはいる。
選べないけどな。
男物のワイシャツを買う場合、首回りと裄丈が選ぶサイズの基本となるが、ぬたりの場合裄丈が毎回困る。ためしに皆さんもお近くの紳士服屋に行って、裄丈88センチのワイシャツを捜してみたらいい。ただでさえ少ないのに、さらに首回りを合わせようとすると在庫はほぼ絶望的になる。
とはいえまあ、柄やデザインを選べないとはいえ一応買えるには買えるんで、今まで我慢していたんだが、今回買いに行った紳士服屋で、大々的にセールをやってるにもかかわらず、ぬたりに会うサイズはほとんどなく、セール除外品の高い奴を買わざるを得なくなったことにより気持ちが切れた。

まあ、簡単に言えばユニクロの軍門に下った訳でな。ユニクロのXLワイシャツの裄丈は88センチという事でな。首回りがちと緩いが、まあ普段ネクタイしねえしな。ネクタイする時は、他のを着ればいいし。
・・・とまあ、10年くらい前なら安物買いのネタになったんだけどな。正直今ユニクロそんなに安物の値段してないから、ネタとしては微妙だったりするのな。昔ユニクロで安物買いしていたオッサンとすると、今のユニクロって当時の感覚に比べて500円から1000円高いもんな。
でもまあサイズがゆったりしてるから、ぬたりのようなメタボさんがインナーとかモノトーンの服買うのには今でも重宝するけどね。ワゴン品とかなら今でも安いしな。
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ゲンセンカン主人

2019年03月11日 19時42分35秒 | 旅行&おでかけ
さて、御巡幸道路の探索を終えたぬたりは心地よい疲れに身を委ねていた。当日は「慎重、ゆっくり、無理しない」を心がけたので、前回に比べても体の疲れは大したことが無かった。
車の中で休むことしばし、ふと思ったのは「温泉でも入りたいな」と言うこと。
こういう時に群馬県というのは便利で、日帰り入浴施設はそこいら中にある。なんなら車を駐めている場所から徒歩圏内に峠の湯なる温泉施設もある。
いいねえ、ひとっ風呂浴びて帰ろう、と思ったのだが、時折しも明治初期の御巡幸道路と昭和38年に廃止されたアプト式鉄道の廃線跡を歩いてきたわけで、気分はすっかりいにしえの旅人なんである・・・気分だけな。そもそもその時のぬたりが腰掛けていたのは21世紀に作られた自動車のシートだ。
温泉も渋くいこう。

というわけでやってきたのは富岡市にある大島鉱泉。
温泉と鉱泉の違いは、まあ簡単にいってしまえば「源泉が25度以上あるかないか」の違い、ととらえるのが一般的。一定成分を含んでいれば25度以下でも「温泉」を名乗れるそうではあるんだけれどもね。
んで、ここは鉱泉である以上、堂々とお湯を沸かしている。ぬたりが訪れた際にも煙突から煙が出ていた。

しかし渋いにも程がある建物。入浴は写真のところが入り口。宿泊もやっているようで、そちらの入り口は写真で言えば建物の右側を回り込んだ先にある。ともあれ煙が出ているからにはやっているに違いない。すいませーん。

もう入り口からして渋い。立ちこめる昭和臭にくらくらしそうだ。出てきたおばさんは奥に向かって「お風呂大丈夫?」と尋ねている。事前にググったときには「これから沸かします」と言われることもあるんだとか。奥から出てきたおじさんは板(草津で言うところの湯もみ板ですな)でもってお湯をかき回し、大丈夫だよ、とOKをくれた。

外湯はなく内湯だけ。しかし浴室も渋いですわね。ここ来た人が誰もが言うけど、まるでつげ義春のマンガの世界に迷い込んだようだわ。ともあれ体を洗って、湯船に浸かるとしましょう。よっこいせ。
熱い!!
まあ貯め湯するとこでは(フェリーのお風呂なんかもそうだね)ありがちなんだけども、お湯を張った最初は湯温が基本的に高い(徐々にさめる)。できるだけお湯を動かさないようにして静かに入っていないといけないくらいだったわ。しばらくしたらある程度慣れるし、これはまだ多くの人が入っていないという証なんだけどね。
当日は平日昼すぎ。お客なんかもちろん男女含めてぬたりしかいない。その中で沸かしの湯であるお風呂に浸かることしばし、ぬたりはとあることに気がついた。

音がない。

他に客がいないから話し声もないし、掛け流しじゃないから流水音もしない。聞こえる音は定期的にしたたり落ちる「ピチャン」という滴音だけ。大して広くないとは言え、それでも複数人がくつろげる規模の浴室で、たった一人、滴音のみを聞く。これは相当に珍しい体験で、少々やみつきになりそうだったわ。
そもそも見た目が単なる民家。シャワーもないし清潔好きな人に掛け流しや循環もない貯め湯と言うのも抵抗があるだろうから、多くの人には勧めないけれども、風呂に入るだけで間違いなくここでしかできない経験ができる。そういうの好きなら今のうちに行っておいて欲しいですね。

こんなレトロなマッサージ機もあるよ。動くのかなこれ? 一応もみ玉の上下調節はできたけど。
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メタボ中年御巡幸道路探索記 そのさん

2019年03月08日 20時15分33秒 | 旅行&おでかけ
(最後なのでちょっと長いよ)

滝からしばらく進むとそれまで頭上を圧していた屏風岩がふと途切れた。道はその隙を見過ごさない。

一気にヘアピンカーブで高度を稼ぎ始める。

更にもう1回。

更にもう1回。結果3段の九十九折り。ここがヨッキれんさんが驚いた「道幅と勾配の決定的なミスマッチ」区間。幅的には下手したら車の擦れ違いすら余裕なほどであるのに、勾配が急すぎる。ヨッキれんさんの言葉を借りれば「自転車のフルブレーキングですら制止できないほど」の急坂。御巡幸の記録では「羊腸なる坂」と表現している。同じ旧碓氷峠最大の難所、刎石坂はここに勝るとも劣らない急坂だが道幅は比べるのもおこがましいほど狭い。本当に大行列の徒歩の一行を速やかに通すためだけに設計された道で、これは確かに珍しいかも。

驚きの九十九折りを登りきると少しだけ視界が開けた。沿道では唯一と言っていい展望所で、おそらくは明治天皇一行もこれを眺めただろうね。遠くにはぬたりの出発地点、坂本ダムも見えるな。あそこから歩いてきたのか。ずいぶん遠くまで来たもんだ。
つーかこれからあそこまで歩いて帰らなきゃいけないんだが。

景色を眺めるとほどなく旧中山道との合流だった。うん、ここは憶えてる。1か月半前のぬたりはここを左から右に抜けた。車道との分岐からここまでの時間はちょうど1時間半だった。今回はこの分岐で休憩。今回は魔法瓶にお湯を入れてきたのよね。

山の中で食べるカップラーメンは・・・美味しくはないけど格別ですね(微妙な物言い)。分かってはいたけど魔法瓶だと熱湯じゃないから少しぬるいね。それでも空腹と雰囲気が調味料で加わるからホント格別。次からは折り畳みのガスバーナー買って持ってこようかしら?

ここからは戻るわけだが、途中から解放された歩道のとおりにめがね橋に下る予定で、一部ルートが違うので、看板の表記もよく読んでみた。

増水時通行不可ねえ。前日は雨だったんだけど大丈夫かいな?

そう言えば行きには気にしなかったが、旧中山道の分岐近くで、かろうじて通れるとは言え倒木が道をふさいでいる。最近の歩道整備された後の倒木かと思うでしょ。整備するんなら倒木とかは気になるもんね。

ここまで苔むしてるからね。どう考えても整備より前からここにある。歩道整備してもどけないんだね。

来る時に上った「羊腸の坂」を分かりやすいアングルで。かなりの力技の道開削ですね実際。でも現地に来れば分かるけど、屏風岩を避けて幅広の道を尾根筋まで上げるにはここしかないと思うな。そういう意味では地形を読み切った上での優れたルート選定だと思う。

さて、帰りは比較的気楽。御巡幸道路とめがね橋に下る歩道の分岐は行きに見た看板で間違いないことが分かったし、そうなればもう道に迷う心配もないし、かなりの距離は来た道を戻るだけ。それでも途中どのあたりに来ているのか一応確認しようと手近な石に腰かけようとした際、それを見つけちゃったのよね。

何らかに野生動物のフン。彼らのテリトリーに独りでいることを改めて実感。ところでこれ何のフンかね? 黒豆じゃないからシカやカモシカではないし大きさ的にくまさんでもない。大きさ的にタヌキあたりだろうかね。
さて、めがね橋に至る歩道はかつての治山工事の作業道を転用したものであり、工事が行われたあたりは幾筋も作業道が分岐して下り方向だとちょっと迷いやすい。これは登りで探索して正解だったかも。

こんな感じの治山工事が行われたみたいね。沢筋一つまるまるの改修だから結構大規模よ。
めがね橋へ下る歩道はその作業道を転用したもので、歴史も何もないのでそれなりのペースでほいほい下る。一気に沢近くまで下ってきた。

水量は・・・それほど多くないな。もしも沢の量が多くて通れないとなりゃ御巡幸道路まで戻らなきゃいけないが、まあ大丈夫そうな感じ。そして山の上で見た「増水時通行不可」の場所が見えてきた。

なんだこのやる気のない橋は?
これが市役所が認めたトレッキングコースですか?

近くで見てびっくり。橋じゃないよこれ。普通にホムセンで売られてる伸縮性のハシゴをただ渡しただけ。こんなんで大丈夫かいな。

大丈夫じゃないです、むっちゃ揺れます。板ならともかく足の乗せ場のほとんどないこんなハシゴ、ぐらぐらしてたら渡れないよ。

結局ハシゴの下流の岩をジャンプして渡った。勘弁してよホントに。とは言えここまでくればあとは基本舗装された道。

ほどなく地域一番の観光スポット、めがね橋に到着。事ここに至って、ようやく重要な看板を発見。

この二つはホント注意よ。だからぬたりはこんな寒い時期に来てるんだが。

ここから先はぬたりにとってはウィニングランみたいなもの。めがね橋からは遊歩道整備されたアプト鉄道時代の廃線跡「アプトの道」を辿れば車を停めた駐車場までは苦もない。10分ちょっとで車まで戻れたわ。

さて、ぬたりの今回の主目的は「御巡幸道路の踏破」と「トレッキングコース化されて御巡幸道路はどう変わったか」という事で、踏破は問題なく達成。
で、正式に歩道化された部分の御巡幸道路は変わったか、という問いには「ほとんど変わってない」という答えで良いと思う。人が入ったから昔に比べれば歩きやすくはなってるんだろうが、めがね橋近くの沢を渡るのが既製品のハシゴってところからも分かるように、歩道化に関してはおそらくあまり予算をかけてない。めがね橋~御巡幸道路まではおそらく治山作業道をそのまま活用しただけだろうし、下草刈りくらいしか行われていないんじゃないだろうか。
そもそもトレッキングコースとして全くと言っていいほど取り上げられていない。関係ホームページにもその記載はほとんど見られないし。旧中山道には旧跡に案内看板がかなりの数あるが、御巡幸道路には「御巡幸の記」に記載のある屏風岩も飛瀑も羊腸の坂も、全く案内看板がない。整備された際には県内版の新聞中心とは言えニュースになって、トレイルランニングにも、なんてコメントもあったが、その割には沢筋の路盤消失あたりもあるのは踏み跡程度で本格的に修復されている風もなく、走らせるにはかなりおぼつかない。
もちろん今後時間をかけて整備されていく可能性も高いのではあるが、現状はまだまだ廃道時代とそんなに変わらない、と言うのが結論で、知らない人がめがね橋から旧中山道との合流までを歩けば「あまり人気がなくてそんなに整備も行き届いてない、そのくせ一部道幅は無駄に広いトレッキングコース」という印象を抱いて終わりでしょうな。

まとめれば、トレッキングコースとしては今後に期待、歴史ある道としては廃道気分が味わえる今のうちに行っとけ、って感じですかね。実際楽しかったですわ。明治期の石垣をお腹いっぱい味わえた感じだし、石垣が見られる部分は今のところ今後も整備される予定はないから、マニアの間でしか見ることも語られることもないしね。総じて楽しい一日になりましたわ。群馬に住んで40年以上経ちますが、まだまだ身近なところにも宝物の様な場所が眠ってるもんなんですねえ。
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メタボ中年御巡幸道路探索記 そのに

2019年03月06日 20時36分46秒 | 旅行&おでかけ
(続き)
電柱過ぎるとまた石垣が見えた。

すごいぞこの規模。これ数年間しか使われてないんですよね。もったいねー。で、ここをワクワク気分で過ぎる。

のわー!
さっきの石垣で驚いていたら直後に更に大規模な石垣が。何度も言いますよ。これ明治11年に作られて、それ以降一切手が付けられてないんですよ。

とは言え、実際廃道は廃道で、その石垣手前には沢があって、道の跡は完全に途切れていて横断には少々気を遣う。山を歩き慣れた人ならまだ行けるレベルだけれどもね。踏み跡らしき筋も一応見える。

見上げるとこんな沢。こんなとこに明治初期に道をひらけば、そら大雨で流されるわな。

その大規模な石垣の上の道。なるほど安定してるわ。140年経ってもいまだこれだけの道の形を維持できるんだから、石垣施工って実際凄いんだな。

ちょうどそんな石垣のあたりから下を見ると、有名な碓氷第3橋梁(めがね橋)が見えた。あそこはそこそこな観光名所で訪れる人も多いが、頭の上にそんな歴史のある道があるなんてことを知ってる人は少ないんだろうな。ちなみに帰りに橋から見上げてみたが、どこに道があるのか皆目わからなかったな。

石垣発見はまだまだ続く。すごいなここ。ヨッキれんさんの本にはこんなにあるとは書いてなかったが。意図的に伏せたのかページの都合でカットしたのか、いずれにせよ廃道石垣マニア(いるのよそんなニッチ層)が来たら悶え死にそうなほどの廃道だわここ。

石垣のあることころは沢の近く、という傾向がこの道にはあるけど、ここの沢はどういう訳か落ち葉の吹き溜まりになってた。おかげで尋常じゃなく緊張した。靴が完全に埋まってるよこれ。踏み誤って沢を滑落すれば、良くて大怪我、悪ければ・・・、の世界だからね。ちなみにぬたりは覚悟してやったが、この行為はお勧めしないよ。落ち葉の中に何が潜んでいるか分からないからね。

これまで石垣のあるところは地形的に下に回り込めなかったけど、ここは下りられたので間近で観察。荒いにも程がある積み方で、間にモルタルなどの充填剤もないが、とてもとても100年以上補修されてないとは思えない程しっかりしている。ホント凄いわこれ。

ホント、もういいから! と言いたくなるほどまたしても石垣出現。で、これは見たことがあって、何度も出てきているヨッキれんさんの本に写真が載ってた石垣だねこれ。それにしてもすごい地形のただなかに道を通したもんだよここ。で、石垣あるところ沢もあるという事で、横断時に下流側の写真を撮ってみた。

もし足を滑らせたら、それほど急ではないとはいえ(それでも写真で見るよりも急)掴まるところもない沢を滑落し、正面の視界が切れたところで空中に放り出されることになる。その先の段差の高さによって、怪我で済むかあるいは・・・が決まるでしょうね。おー、怖い怖い。

その後少し歩くといきなり道が不鮮明になった。おや、と思いつつ進むと、何やら看板と分かれ道が見えてきた。ハイキングコースの、看板?

実際その通り。なのだが、だとするとこの先はどちらもここ1、2年でトレッキングコースとして整備された道のはず。だが正直今までとそんなに印象が変わらない。これから辿るであろう右側の道は落ち葉がうず高く積もっているし。開放されたトレッキングコースならどけるよねこういうの。
少しの間、道は多少な急な上り坂になる。治山工事の作業道も行く筋か走るので、そちらに迷い込んだのでは? と不安にはなったが、しばらくすると歴史を感じさせる道に戻った。下から登ったのは正解だったかもな。道も多少は踏み跡っぽい感じも増えたから、やはりあの看板以降が歩道整備された道なんだろう。最近の整備の割に新しく整備された感じはあんまり無いんだけどもなあ・・・。

ふと頭上を見上げると、巨岩が頭上を圧している。これが碓氷峠を難所たらしめている地形で、碓氷峠のルートとなる刎石山はぐるりとこの巨岩に囲まれたテーブルマウンテンとも言える山。旧碓氷峠はこの巨岩の上の尾根筋をひたすら辿り、尾根の一番隅でかろうじて歩いて下れるルートを一気に下っている。ぬたりがこの日辿った御巡幸道路はひたすらこの巨岩の下をトラバースし続けている。登ろうたって登れないもん、こんな切り立った岩。この巨岩の連なりは「屏風岩」と言うそうで、この近辺で明治天皇は輿から降りて歩いたらしい。そしたら案外歩くのが早くてお供の皆さんが慌てて後を追ったらみんな汗だくになった、とかそんな感じの記録があるそうで。なんか微笑ましいエピソードで、ちょうどそのあたりをぬたりも歩いているという事だ。そしてその近くには滝もあった、と記述にあるそうな。

まさに目の前に見えたよ。

水量は大したことないけどね。道のそばで滝が出来そうな地形はここしかなかったから、記録にある飛瀑はここに間違いない。この時の御巡幸には、岩倉具視、大隈重信、大山巌、井上馨などの名前をあるらしいから、そんな明治期の有名人もここの滝に手を浸したかも、とかと考えるとこんな水の滴りでも感慨深いものがあるな。

(まだ続く)
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メタボ中年御巡幸道路探索記 そのいち

2019年03月05日 20時36分30秒 | 旅行&おでかけ

ここは坂本ダム。堤高36.3メートルの重力式コンクリートダムで、碓氷川をせき止めている。目的は不特定利水であり、碓氷川の水位の調節等に活用されている。もともと砂防ダムを改修したものであり、ダム湖側から見ると少し変わった感じのするダムである。

こんな感じね。水位が上がれば自然越流が発生する・・・ってうちのブログはダムマニアのサイトじゃないぞ(まあダムも嫌いじゃないが)。
今回はここに駐車しただけでね。ここのほど近くに御巡幸道路と車道の分岐があるのね。

明かりが悪くて道路部分白くとんじゃってますけども、ここが御巡幸道路の廃道部分の入り口。坂本ダム過ぎて右を見て行けば他に分岐らしい場所は無いから案外分かりやすい。ヨッキれんさんの著書には「自動車整備工場が向かいにある」と書いてあり、実際建物と古い車体(見る人が見ると宝の山かも知れないくらい古い車がゴロゴロと)は置いてあるが、自動車整備工場はもうやってない。

今は息子さん夫婦が雑貨屋と喫茶店をしている。コロボックリという雑貨屋さんで、なかなかにかわいい手作り雑貨が置いてあるのよ。各地のクラフトフェアとかにも出店してるみたいだから、見かけた方は是非。

ちなみにこれは以前にぬたりが買ったステッカー。可愛いでしょ。

ともあれ、ここからはチェーンが張られてて車での侵入は不可。別に御巡幸道路の跡だから整備されてるわけじゃなくて、林業作業道に転用されただけで、コンクリの簡易舗装も入り口だけですぐになくなる。

写真は振り返って撮影してますが、しばらくはこんな感じで車が通れる幅で続く。轍は見えないけどもね。

そしてとある谷筋であっさり車道の幅がなくなる。Uターンできる場所もないんだけども、ここ車で入ってきた林業関係者はどうやって車をUターンさせてたのかしら?

このあたりから純粋な廃道区間でしょうね。そう考えると確かに道幅が広い。いくら一時期1級国道扱いされたとは言え、明治初期の峠越えの徒歩道でこの幅は確かに珍しい。峠道なら当時は今で言う遊歩道程度のものは当たり前だったんだし。そんなこと思ってたら沢筋で危険な場所に出た。

多分ヨッキれんさんが著書で「水量があれば突破困難かも」「地味ながら一番の危険個所かも」と言っていた沢の様子。落ち葉が積もっているし一部見える岩肌は湿っていていかにも滑りそう。
んで、下から登って来ると、御巡幸道路の遺構として一番の見ものがここでまず見られる。写真では丸部分。拡大写真は下。

石垣である。
んなもん日本中そこいらにあるわと思われるでしょうが、これ明治11年の石垣で、数年使われて放棄された道にあるものですから、一切改修されてないものと考えていい。明治11年=1878年。要するに141年物の石垣ってことですよこれ。そう考えると貴重だわ。んで、この御巡幸道路の跡は、下から登って行くと石垣の規模が徐々に大きくなるという、見学者にとっては実に美味しい展開となってくるのね。これはまだ小手調べ。
で、御巡幸道路で廃道となっている部分は、それでも人の踏み跡くらいはあるのだが、林業関係者や炭焼きをする人以外にもここを使っていた人もいたようでね。

道の跡を占拠する形で電柱が建っている。ただ、この奥に電気を通すような人家はない。

ま、こういうこと。既に廃線となっている信越本線の横川軽井沢間ですので、既に電線もない。こうして電柱だけが人知れず立ち続けている。

(続く)
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伝説の道

2019年03月04日 21時07分55秒 | 日記
先日ぬたりは軽井沢の峠町から横川駅まで、旧中山道碓氷峠を歩き通した訳なんだがね。
十数キロ歩くというのはぬたりとしても何年振りかという珍しい体験であり、体はきつかったが、体験とすると相応に楽しい思い出になった。当日は疲れるわ痛いわでロクな思いじゃなかったが、こういうのは過ぎると得てして楽しい思い出に化けるもんだ。
で、当日ぬたりは城跡巡りを主目的としたもので、一般に言われる「旧中山道碓氷峠」とは一部だけルートが違っている。文久元年に行われた皇女和宮降嫁の際に整備された、通称「和宮道」(峠手前のバイパス)は通らず、そのさらに旧道を辿った。そしてやはり明治11年に行われた明治天皇御巡幸の際に整備された、通称「御巡幸道路」(半分以上今も廃道)も通っていない。ぬたりは廃道マニアというわけではなく城跡好きなので、中世城館跡がないこれらふたつのルートを通らないことに間違いは無いし、実際和宮道から離れた陣城跡と、御巡幸道路から離れた大道寺堀切に関して、満足いくほど見学できたわけだから、思い残すことは本来無い。

・・・無いはずなんだが、気になるのよねえ。

そもそもマニアでは無いとは言え、ぬたりも廃道や廃線が好きである。実際に歩いた廃線や廃道も結構ある。それだけに元々旧碓氷峠に興味はあったわけだ。歩き通すと長いので、今までは体力的に遠慮していただけでね。ところが実際に一度歩き通せば遠慮も無くなるもんでね。
そうなると今まで気になっていた道で一部分行けてないところがある、と言う状況は何とも気持ち悪い。実際、先日歩いたとき、御巡幸道路との分岐で「今日はこっちに行かないんだな」と思ったときに、同時に思ったのは「いつか来なきゃ」だったしね。
鉄は熱いうちに打て、そして碓氷峠は熊とヤマビルが出てくる前に巡れ、は鉄則である。というわけでぬたりは今冬の旧碓氷峠巡り第2弾を計画したわけである。
手っ取り早いルートは、前回と同じで新幹線とタクシー乗り継ぎで峠町へ。そこから今回は和宮道~御巡幸道路で歩いていないルートはコンプリートできる。行き残しはない方がすっきりするので直前まで悩んだけれども、このルートは今回はパス。お金がかかるのが最大の理由だが、ぬたりが通らなかった部分の和宮道は車も一応通れるように整備されているので、当時の遺構や雰囲気と言うものに期待ができないので優先度は低い。それに今後は年1回の冬の旧碓氷峠歩きを恒例化しようかという考えもあるので、来年でもいいかな、と思ったのね。と言うわけで今回は御巡幸道路のみにスポットを当てることとした。

で、まずは歴史のお勉強。碓氷峠の御巡幸道路とはどんな道か。
簡単に言えば、天皇が複数の目的地を巡る(この行為を巡幸という)際に整備された道だから御巡幸道路と呼ばれている。明治天皇が明治11年におこなった北陸・東海道巡幸において、碓氷峠を通過するにあたり整備された、言ってみればバイパス道路である。御巡幸の際に道が整備されるのは珍しいことではなく、日本中にそんな道路はそれこそごまんとあるが、碓氷峠が特異な点は開削後数年で廃道化していること。他のところのほとんどは、天皇陛下が通るという事でそれなりの緩い勾配や広い幅で整備しているから、その後の車道化の元となってて今も道として生きている。
で、このバイパスで避けた刎石坂は、ぬたりも先日下りとは言えその厳しさを身をもって体験しており、数百人から千人とも言われる御巡幸の一行を通すにはそら避けたくなるわと深く頷くところ。ましてや天皇陛下を興に乗せてあそこ登るというのはちょっとぞっとしないな。狭いし急すぎる。
御巡幸道路も含む旧碓氷峠は、その後明治18年に馬車通行を念頭に置いた現在の車道のあるルートに移されたため、御巡幸道路は使われたとしてもわずか7年。地形的に大雨に弱かったらしく、明治天皇の通過直前にも破損した(何とか修繕して当日は通れたらしい)、なんて記録もあるから開削後もどれだけ使われたかは不明(それまでの碓氷峠は災害には強いルート)という、おそろしく短命な道ではあるものの、それでも天皇陛下ご一行を通すためのグレードを備えた道であることは間違いなく、それがしかも現在使われることなく群馬県の山中に眠っているわけ。廃道好きとすればこれはそそられるものがある。で、最近一部分は歩道整備された。ググってみると整備したときの新聞記事もヒットする。
ぬたりがこの道を知って、当日も大いに参考とした本は歩道整備される前の情報が書かれている。探索が平成21年だから今から10年くらい前。歩道整備を含めて、今はどんな風になっているのかも今回は見てみることにしたわけよ。本の著者、ヨッキれんさんは廃道のスペシャリストだからいいけど、こちとらメタボ中年。記述の中に何か所か沢で路盤が丸々欠損してる、なんて文章も見られる廃道を、果たして無事に辿れるのかね? まあ、無理はしないで駄目ならすぐ引き返そうというのを肝に銘じて当日は歩きましたけどね。今回のネタは写真多いから長くなるかもしれないよ。その割に廃道ネタを面白がれる人は相変わらず少なそうだが。

次回に続く
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ギョギョギョ~!!

2019年03月02日 20時40分46秒 | 日記
ぬたりが嫁実家の両親に褒められたこととして、魚の食べ方がきれい、と言うのがある。魚が出てきたとき、食後、皿に残っている状態がきれいである、と言うことで、何らかの食事の席で気に入られたものである。
まあ要は「食用に耐える部分は皮だろうがエラだろうがワタだろうが全部食べる」という行動からくるものなので、全てがお上品な行動だ、と言うものでもないのだが、少なくとも食後の皿はきれいだし、ちまちま食べられる部位を箸でつついて分ける動作をせずにスッスッと大胆に箸を動かして食べられるので、食事中の所作もそんなに下品には映らない。
魚というのは癖のある食べ物なので、こういう食べ方が全てにおいて正しいというつもりもなく、各自が各自に合った食べ方をすればいいので、マナーとかそういうものにはあたらないと思うし、ぬたりとしても他人が魚を食べるときにまるで解剖実験かなんかしてんじゃないかという作業してても特には何とも思わない。魚のワタとかは食べられる人の方が少ないと思うし。ただ、きれいに平らげると褒められることはあっても貶されることはないのね。実際、魚料理に強い居酒屋なんかで、ぬたりはお店の大将や女将さんにその食べ方を何度も激賞されている。まあ、それで得したことは特にないが(おい)、その後酒飲むのが純粋に楽しくはなったな。店の人との会話が弾んで。
ぬたりとても子どもの頃からこういう食べ方をしていたわけではなく、むしろ魚は苦手な部類で、出来るだけ癖のない部分を食べるにとどまっていた。魚に限らずぬたりは割と偏食な方なので、苦手な食べ物は子どもの頃はとても多かった。
ただ、親は魚に関してはそういう形できれいに食べており、本来はそういう食べ方が出来るんだなあ、と思っていたのが大きかったかな。本来そういう食べ方が出来るけれども、自分が偏食でそれをしていない、という考えだったから、成人に近くなってくればそういう食べ方を試してもみるもんで、もとより偏食の少ない(なくはないよ)両親の血筋からか、大概のもんは食べられるようになっていったわけ。おかげで今日の「嫌いなものは多いが食べられないものはそうそうない」と言う風になってきたわけだ。
偏食が多くて魚全体に苦手意識があったぬたりだが、実は例外的に好きな魚があった。それが鮎である。夏になると群馬では多くの場所で塩焼きが売られ、比較的ポピュラーな食べ物であった。で、ぬたりはこの炭火で焼いた鮎の塩焼きが子どもの頃からの好物だった。
鮎の塩焼きには癖が比較的ない。身は白身で淡泊だし、串に刺して炭火焼きにするとワタは溶けて多くが流れてしまうので、魚が苦手な人の多くが嫌う苦みや臭みもそんなにない。子どもの頃も好んで食べていたし、魚への苦手意識がほぼなくなった今となっては昔ほどの好物ではないが、今でも食べればとてもおいしくいただける。まあ、昔ほど天然物が気楽に食べられるわけでもないけどな。
んで、先ほども言ったが魚の食べ方には嗜好こそあれどもマナーなどはないというのがぬたりの考え。ネットを叩くと鮎の骨抜きがマナー、などと書いてあるところがあるが、こういうのが不要なマナーの典型例で、鮎は塩焼きであれば頭から骨ごと全部食べられるから、別に骨抜きなんかしなくてもいい。骨や頭が苦手な人はいるわけだから骨抜きが無駄な行為では決してないのだが、どちらかと言えばテクニックや生活の知恵と呼ぶべきもので、マナーなどでは決してない。こんなもんをマナーにされてたまるか。
ぬたりも骨抜きはやったことはあり、正直上手には出来なかったから、これを簡単にやってのける人がいたら素直に賞賛すると思う。骨離れはいい魚なんだが、やってみると案外難しいのよね、あれ。だけれどもぬたりにとって鮎は全身を全て食べるものであるから、基本的には不要のテクニック。うまくなっても使う機会はあんまりないな。
繰り返しになるが、ぬたりは鮎の身しか食べない人を貶す趣旨は毛頭ない。それはあくまで嗜好の問題なので、仮に頭からおいしく食べられる鮎を出す料理屋であっても、どうしても食べられない人が頭や骨を残す行為に関して何かを言うことはしたくはない。ざっと見ると、魚の皮を食べられる人は半々、ワタや鮎の頭まで食べられる人は少数派だろうし。
ただ、ぬたりのようにきれいに魚を食べられるスキルを持つ人間は、こういう場所において褒められることはあれども貶されることはないんだよね。それは人生ちょっと得したことになるんではないかな、とは最近思いますね。現に嫁の両親に気に入られる一助にはなったしな。

で、今日のネタで結局何が言いたいかというと、若い頃、ぬたりが鮎の塩焼きを頭から食べたことについて、盛大に貶した友人どもは、そろそろ落ち着いた大人になって、自分らがいかに大人げない、物を知らない言動をしたか分かるようになったか? と言うことでな(今更蒸し返すお前が一番大人げないわ)
まあ、長い付き合いであれば「お互い」腹が立つことも何度かあるだろうし。こっちが苛つかせたことも何回もあるだろうしなからお互い様だわな。ついでと言ってはなんだが、ぬたりがとある機会に人前でギター弾き語りをした際、直前に緊張で挙動不審になってるときに「そんなに緊張して馬鹿じゃねーの」みたいな言い方されたときには本気で殺意が湧いたわ。人前で芸を披露した機会のない人間が偉そうに抜かすなこんちくしょうが。まあ、演奏は実際ガタガタだったんだがな(結局ぬたりが一番ダメダメなのが今日のオチ)
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