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昨日の「櫻井よしこ批判」への追加  文科系

2016年03月28日 09時07分03秒 | 国内政治・経済・社会問題

 昨日の「櫻井よしこ」エントリーへの追加です。二つのコメントを、加筆修正して、エントリーとして載せます。

『 まとめてみると・・・ (文科系)2016-03-27 14:13:18

 上のエントリートを要点度順にまとめてみると、面白いと気付いた。

①櫻井は、現憲法に対して、義務が不足し、権利が多すぎるという。さらには、こういう憲法が、殺人など、日本の「乱れ」の根源のようにさえ語る。

②対して小林は、こう反論した。
A そもそも憲法とは、国民の権利を侵害しがちな政府に対してこれだけの権利を守りますと国民が政府を縛って、約束させたもの。このためにそもそも憲法が作られたのであるというのが、立憲主義の理念である。
B だから、原理的に権利が多くて当たり前だし、義務は例外的に書いてあるに過ぎない。
C さらには現日本国憲法に於けるそれらの権利は、「公共の福祉」に反しない限りという条項によってすべて縛られている。そこでは、公共の福祉への義務として、すべての権利に制限が存在すると言えるのである。

③こうして櫻井の①が誤っているのは、②のA~C全てに無理解であるということだ。①はそういう彼女の不勉強、理解力のなさ、あるいは曲解が示されているに過ぎない。

④こういう国民の権利を縮小する新たなイデオロギー的理論も生まれつつある。それは、団体政治献金制度という「対価」によって政治が買われている実情を正当化するような議論である。こんな批判が出来るだろう。
A 金持ちの権利も憲法によって普通に守られている上に、さらに団体政治献金を認めるというのは、政治・公共サービスをもっと多く買い取るということを認めることである。
B その結果、金持ち減税、ロビー活動による利己的諸施策などの「公共サービス」が出来ることにならないのか。
C これを正当化する議論も生まれてくる理屈だろう。それが「納税は公共サービスの対価だ」とか「私は納税者のためにこそ政治を行う」という議論なのだ。
 国家を金持ちの所有物にして恥じない、前近代的な議論を新たに復活させようとしている事にならないか。

 結びだが、グローバリズム新自由主義が国家論をここまで堕落させてきたと、そんなことが示されていると思う。
 昨今の世の中が公共というものがどこかに消し飛んでしまったように見えるのも、なるほどということだろう。』 

 

『 官僚による工作 (文科系)2016-03-27 20:04:06
 
 国家役人、官僚による世論工作の一部を近頃垣間見た思いである。

①一つは、上の櫻井「理論」。その「アシスタント」による小林節変節工作。
「櫻井は『納税は公共サービスの対価だ』と言っている。これを小林先生のセリフにしてほしい。バシッと決まりますから」
 この言葉は、櫻井による小林の取り込み工作とも見える。が、こんな大きくて、巧妙な工作をば櫻井個人が全く思いつくはずもないし、こんな必要さえ彼女には存在しないだろう。後ろで、野党拡大の最大論客・小林節を懐柔しようとの大きな企みが存在したと確信するのである。そして、この背後には、そういうこと専門の政府部門があるにちがいないと僕は推察してきた。

②ノーベル賞の益川敏英さんの連載手記が中日新聞夕刊に載っているが17日木曜日のここにこんな下りがあったと記憶する。
 益川さんのところに、外務省関係者らが数人やって来た。テレビに出て秘密保護法反対論を述べた途端にやってきたわけだが、「先生の心配するようなことはない」と懸命に説得する。軍事研究に関わらないという名古屋大学平和憲章を変えたいという政府行動の一部でもあったようだ。益川さんは、米原爆製造に携わったオッペンハイマーの話を対置して、彼らを撃退したという。
「オッペンハイマーは、戦争抑止力になるかも知れないと原爆製造に協力したが、広島、長崎によって使わないという約束が破られてしまった。それで次の水爆製造には非協力を貫いたら、スパイの嫌疑をかけられて研究者生活がめちゃくちゃにされた」

 アメリカには国家政策に関わる研究機関が数多くあると聞く。日本にもこれはあろうが、官僚、役人による研究、宣伝、学者工作などが最強なのだろうな、きっと。と、そんなことを思い巡らしていた。
 原子力村でも、最強の音頭を取っているのは間違いなく経産省・文科省。今は、原子力規制委員会事務局。

 国家と学者たちが、どんどん民主主義縮小の戦略に乗っているという姿が目に浮かぶのである。 』

 


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5 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-03-28 18:15:20
二番目の方に関しては、そもそも、言っているのがサヨク新聞でしょ?
櫻井さんは・・・ (文科系)
2016-03-28 20:39:06
 櫻井よしこさんは、日本国憲法に関わって、以下の意味で悪質この上ないと言える。

 「日本国憲法には、権利ばかりが多く義務が弱い」などと語るが、それは上記のように当たり前のことなのだ。国民一般が国に守れよと命じた諸権利の書が、立憲主義の憲法なのだから。櫻井さんはこれを制限せよとでも語っているようだ。

 櫻井さんは上記の彼女の主張内容から国が乱れたとかなんとかを語るが、自分らの権利ばかりを政治に盛ろうとしてきた政治献金集団にもどうして着目しないのか。かれらほど政治を乱すものはないはずだ。

 こうして櫻井さんがしていることは、庶民の権利を縮小して、献金集団の権利拡大を主張しているとしか思えないのである。
「税は公共サービスの対価」だって? なら、政党が国から受け取る政党助成金という公共サービス以外の団体政治献金とは一体何なんだ?
 これをも含めて不正に権利を増やそうとしているやの金持ち本位の政治への説明を、是非求めたいものである。庶民の権利主張云々よりも、そちらのがはるかに横暴というものだろう。
国家という (らくせき)
2016-03-29 09:40:05
共同幻想に身も心もゆだねているんでしょうね。
桜井さんは。
それが心地よい人なんでしょう。
自己よりも国家のほうが大きく頼りがいがあったのは
国家が立ち上がって来る時で、
いまは個人が国家を構成している方向に向いているし
憲法はそれを保障している。
だから桜井さんは憲法がキライ。
自分のことを善良な国民と思っているでしょう。
100年生まれるのが遅かったと思います。


国家? (文科系)
2016-03-29 22:35:05
 僕は無政府主義者ではないけど、右翼、保守派の方々の国家崇拝行動、その動機である崇拝感情のことは、いつも笑える。アメリカの軍隊映画に良く出てくる「最敬礼」というのも同じだ(公務員、役人が、国民全体に最敬礼する理屈なら、まだ分かるけど)。この笑える理由は、次の通り。

 近代社会契約説によれば、国家って一種の契約書のようなものにすぎない。主人公である国民が、政府に「このようにせよ」と命じた命令。そういう契約書。それをその主人である国民に「尊崇せよ」と誰が命じることができるのか。そんなことは、ど成り立つはずがないことなのだ。ましてや、政府や文部大臣などがそんな「尊崇」の音頭を取る権限など原理的に存在しないはずだ。したがって、こうなる。そういう理屈を通したい人々って、この得体の知れない「尊崇」があると都合の良い人たち。それでもって何となく国民を押さえて、上に立った気分になるような政治家やその周辺の人たち。国家主義って、こういう人種が人為的に創りたいものなのだろう。
恥を知るべきだ (文科系)
2016-04-07 13:03:59
 櫻井よしこに正義感の欠片でも残っているならば、もう公的場を遠慮する謹慎に入るべきだろう。幾多の政治発言をしてきて、これだけ憲法無知をさらけ出しては、どうしようもないし第一恥ずかしいことである。そういう普通の羞恥心さえないのかも知れない。恥を知るべきだという言葉もあるのだが。昨今のテレビ解説者など、そんなのばかりなのだろう。そもそもちょっと正論を吐くと辞めさせられるとは、国民が皆知り始めたもの。

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