九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆  彼の「音楽」    文科系

2023年05月23日 11時28分05秒 | 文芸作品
 さっきからここを、彼は何度弾いていることか。今練習中のクラシックギター曲三つの第一曲目、その出だしの四分の二拍子のたった二小節を、今日もかれこれ三〇回は弾いたはずだ。悪い癖が付いているのにその発見が遅れて放置してきたというそのツケに対して、この一週間悪戦苦闘してきた。それでも直らないのは、彼のいくつかの悪癖が集中して衝かれる箇所だからだとようやく気付くという始末。左小指の形が悪くて押さえが甘くなって旋律音が死んでしまう。それを正そうとするとその小指移動が遅くなってリズムが乱れがちになる。加えるに、この旋律音を装飾する和音の低音を鳴らす右親指の振幅が大きすぎて、その爪部分が時に隣の弦に触り、いわゆるビビった音が出る。さらには、その装飾低音の消音を忘れていると発見する始末。よく響く装飾用の低音開放弦を装飾不要になった時点できちんと消さないと、次の旋律がきれいに聞こえないのである。あと二日の五月二四日で八二歳になる彼には、その曲のこの部分で三つも重なって気になる悪癖を治すのは至難の業なのである。この三つの小曲を選んだ今年の発表会は六月二五日、あと一か月に迫っている。
 
 退職後の六二歳にギター教室入門をした彼は、その当初から独特な教習方法をとらせてもらってきた。暗譜主義というやり方である。年取って習うのだから楽譜を見ながら弾くのではいつまでたっても「音楽」にならないだろうと考えて、好きな曲だけを選んだその最初から機械的に丸暗譜する作業に入っていく。六〇歳代には楽譜一ページをおよそ一週間で暗譜できたが、一曲を暗譜してから弾きこんで曲にしていくというやり方なのだ。すると、その時々の腕に余る相当難しい曲でも、中のあちこちに傷は残っていても、一応はこなせるようになっていくものだ。こうして、どうしても傷を治して上手く弾きたいと思った曲だけを選んで暗譜群としてキープしてきたのである。つまり月に数周りは弾きこむと決めた曲の群れなのだが、その中で「あれを落とし、新たに覚えたこれを入れ」と二十年やってきて、今は大小難易とりまぜて二四曲ほどになっている。こんなやり方で腕が上がってくれば、いつまでたってもとうてい無理だと昔に落とした曲でももう一度編入ということも起こるものだ。こういう暗譜曲群のうちのどれかが「ほぼ聞ける程度にはなっているな」と思えるようになったときに、これを仕上げて発表会で弾いてきたわけである。ただし、今年の三つの曲に限ってはすべて過去の発表会のどこかで弾いたものばかりになった。と言っても古いのは十年前、新しいのでも三年前に弾いたものだから、気づくのはギターの親友たちくらいのものだろう。それらを前よりも上手く弾いてやろうという構えなのである。

 クラシックギターは、ピアノの兄弟のような和音楽器としての楽しみ、楽しみ方がある。和音楽器というのは、旋律を(和音)伴奏で飾っていくという、いわば一人、一楽器で合奏していく楽しさを生み出してくれるものだ。ピアノは伴奏音を含めて最多十の音が同時に出せて、ギターはそれが六という違いがあるが、旋律の情感を伴奏和音でもって引き立たせていく楽しみは同じものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする