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随筆  連れ合いと孫と、大手術後の彼   文科系

2023年03月27日 21時56分42秒 | 文芸作品
 三月も後半にかかると、この高級住宅街を歩いて行くのはとても気持いい。ウメにボケ、レンギョウにユキヤナギなどが通りがかりの庭から顔を見せてくれる。その通りを彼は、孫のセイちゃん、小学校二年生男子と歩いて行く。東山動物園の門を出てから彼の家まで散歩がてら歩こうと二人で決めたのだ。彼との長距離散歩になれている孫二人は、いつの間にか散歩大好きになっていて、先日は六年女子のシーちゃんと名古屋駅まで歩いて、地下鉄で帰宅という散歩もあった。五キロほどかというあの時よりも、動物園内の歩きを入れた今日の散歩は、かなり長いものになる。セイちゃんはそれを緩急付けて悠々と歩いて行く。道ばたにホトケノザを見つけるとしゃがみ込んで、その花を口に含んでいたのは、植物大好きの友達に甘い味がすると教えられたからとのこと。
〈家に帰ったら、また奥さんが怒るな。シーちゃんとの名古屋駅の時も猛烈に怒ってたから。俺の身体を心配してなんだが。俺があの長期入院から退院してきた日に、正式スクワットを十回ほどやって見せただけで、涙顔になってた。心配のしすぎなんだよな〉
 この入院とか涙顔とかいうのは、こういうことだ。

去年四月末に膀胱癌が見つかって、その検査手術や化学療法の入院から、やがて膀胱全摘手術へ。その後も院内感染などもあって、断続的だったが合計四ヶ月ほど、二二年暮れの三〇日まで大学病院に入院していたのだった。今思えば奥さんは、すっかりヨレヨレになって帰ってくる彼を想像していたのである。ただ、そのことが彼には分からなかった。こんな理由からのことだ。
 ランナーだった彼は入院中もずっと、退院後の復活に備えてきた。去年春には月間一五〇キロから一八〇キロ走っていたのだから、その復活が当たり前とだけごく自然に考えて。それで、病院廊下の速歩きやスクワット、点滴が外れた後には病棟一八階の階段往復にも励んでいた。こんなふうに先だけを見ていたから過去をくよくよなどすることなどなかったんだなと、奥さんの涙を見て初めて気付いたわけだった。
〈あの涙には驚いたけど、結婚生活も六〇年近いんだから、いー加減夫の人間を分かってても良いよなー。膀胱摘出で癌のステージも三でなく二と分かったんだし、ちゃんと「大学病院内廊下を歩いてたし、病棟一八階の階段往復もやってる」と伝えてもきたんだし〉
 そう思ったその瞬間ひらめいた。この手術直後の彼が麻酔が覚めて簡易ベッドの上で病室に戻るべく手術室から出たその時に、お連れ合いが飛んできたその光景を。
「もう夕方で、九時間以上もかかったんだよ。さっきダヴィンチ手術の執刀医先生が報告にきてくれたけど、輸血が要る寸前だったって! 前にやった前立腺癌陽子線治療の火傷跡が膀胱と癒着してて、そこを剥がすのがとっても難しいと言われてたでしょ?」
〈あの時も泣きそうだったけど、先生はこんなことも付け加えたと、教えてくれたんだよなー。「ご主人は意外に心臓がお強くて、長時間手術の心電図もちょっと心強かったんですがって」。こういう心臓こそ、ランナー様々ってわけだ、やっぱり!〉
 
 そんなこんなで、二月後半には、通い慣れたジムで歩行速度よりもずっと遅く、ゆっくりと走っている彼だった。ジムの合間の日の補強運動として、付き合ってくれたシーちゃんと家の一八階段を五十往復などとやっていたある日には、お連れ合いからこんな声。
「もうやめなさいよー。何回やったの!?」
 ダイエット目的のシーちゃんは飛ぶようにして百往復を終えてしまっているのに、彼の方はまだ五十にも届かない。そんなに遅いのに、お連れ合いは心配しているのだ。
〈膝が悪いご自分は、三往復も無理だとこの前言ってたから、そんな感覚で見てるのかな。シーちゃんとはさっきこういう会話があったばかりだけどなー。「ジー、遅くなったねー」。「年寄りが癌のあんな手術で長く入院すると、必ずこうなるのね。覚えときな。若いって、とっても幸せなことなんだよ。ただ僕は、前みたいにやれるように頑張ってる真っ最中だけどね」。「うん、分かる。今のジイみたいな八〇歳でもなかなかいないって、もう分かったから!」〉

 セイちゃんは、相変わらずひょうひょう、悠々と彼の周囲をぶらついていく。さっきおねだりしてコンビニで買ったグミをつまみながら。小さく固め、何種かの色がある大好きなゼリー様のお菓子なのだが、「ジー、次は何色が欲しい?」などと彼に微笑みかけて来る。そして言った。
「ジー、ちょっとは走ろうよ!」
「いやいや、今のジーはもう、走れないんだよね」
 その時に彼はふっと思った。
〈俺は、孫と遊びつつ、もっと遊んでいたいから頑張って来たのかもしれない・・・・。だけど、もう一度前ほどに走れるように出来るのかなー?〉

 
コメント (2)
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